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有名人の死から「死」を考えるコミュの森村桂/谷山豊

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森村桂(1940年1月3日生)

作家


 父は作家の豊田三郎、母は歌人の森村貞香。

 公立小学校入学後、学習院初等科に編入。学習院女子中等科・学習院女子高等科を卒業後、学習院大学文学部国文学科に入学。

 大学在学中、19歳の時に父と死別。以後一時家計が苦しくなり、また母親との困難な関係を抱え、苦悩のうちに大学生活を送る。

 大学卒業後、女性向け週刊誌記者を経て、暮しの手帖社に入社するが退社。

 1964年にニューカレドニアに一人旅に出る。1965年、当時の女子大生言葉を駆使したエッセイ『違っているかしら』でデビュー。
 ついでニューカレドニア旅行の体験を描いた旅行記「天国にいちばん近い島」を発表。

 その後続々とエッセイや小説を書き、1960年代末には、書店ではノーベル賞作家の川端康成と森村だけコーナーが設けられていたと言われる人気作家となり、70年代には講談社から「森村桂文庫」30巻ほどが刊行された。

 角川春樹と親しく、著作は角川文庫にも多く収められ、1984年には『天国にいちばん近い島』が原田知世主演で映画化され、本は200万部を越える大ベストセラーになる。

 その他にもNHK朝の連続テレビ小説・「あしたこそ」の原作やエッセイなど著書が多数ある。

 1985年に軽井沢に手作りのケーキとジャムの店「アリスの丘」を開く。また趣味で始めた絵画も、「アリスの丘絵画展」を全国で開くほどになるなど多才ぶりを発揮する。

 しかし最初の結婚に失敗し、再婚の後も精神を病むことが多く、2004年9月27日、長野県内の病院で自殺した。享年64。

 美智子皇后の友人で、森村は葬儀の際、皇后から弔辞を受けた。


2004年9月27日逝去(享年64)
 

コメント(1)

 
谷山豊(1927年11月12日生)

数学者


 もともと名前は「とよ」と読むのが正しいものの、「ゆたか」と読み間違える人が多かったので、いつからか自ら「ゆたか」と名乗るようになったという。

 そのため世界的には「ユタカ・タニヤマ」の名前で知られている。

 埼玉県出身。開業医の家庭に生まれる。高等学校時代に高木貞治の「近世数学史談」を読んで、数学者を志すようになる。

 東京大学理学部数学科、大学院、数学科助手を経て、1958年に東大助教授に就任。

 同年、婚約が決まりプリンストン高等研究所から招聘を受けてまもなく、自宅アパート・静山荘で遺書を残しガス自殺。

 また谷山の死から半月後、婚約者・鈴木美佐子も彼の後を追うという遺書を残して、12月2日にガス自殺。翌年1月25日、谷山・鈴木両家による「葬婚式」が行われた。



【遺書】

 昨日まで、自殺しようと明確な意思があったわけではない。しかし私が精神的にも肉体的にも疲れてしまっていたことに気づいていた人が少なからず居たと思う。

 自殺の原因について、明確なことは自分でも良くわからないが、何かある特定の事件乃至事柄の結果ではない。ただ気分的に云えることは、将来に対する自信を失ったということ。

 私の自殺のために、ある程度迷惑を被る方々が居られるでしょう。私の自殺がそのような方々の将来に黒い影を落すことがないよう、心から望んで居ります。

 いずれにしても、私の行為がある種の裏切であることは否定できませんが、私の最後の我儘と捉えてください。私がこれまでの人生で行ってきたように。


1958年11月17日逝去(享年31)
 

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