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連帯オール沖縄・東北北海道コミュの【色平哲郎氏のご紹介】 《宋富子 文化センターアリラン副理事長 「アリラン図書館」を全国に!  韓国・朝鮮と日本を結ぶ》 

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【色平哲郎氏のご紹介】
《宋富子 文化センターアリラン副理事長
「アリラン図書館」を全国に!  韓国・朝鮮と日本を結ぶ》 

【差別がどんなに恥ずかしいか 歴史を知らなければわからない】 
山岡淳一郎 週刊金曜日 2017年9月15日号

在日三代史の一人芝居は1988年から演じていたというから、観た人も多いのではないだろうか。その半生は試練の連続だったという。
宋さんがいま取り組んでいるのは、韓国・朝鮮と日本の歴史図書館を全国に建てることだ。


ソン プジャ・初代高麗博物館館長、NPO法人文化センター・アリラン副理事長。結婚後、川崎市で生活し、子どもの保育園入園を機にキリスト教と出会い、民族の尊厳と歴史の大切さに目覚める。「川崎子どもを見守るオモニの会」会長を6年務め、1988年から在日三代史を「一人芝居」で演じる。


東京都新宿区大久保、職安通りに面したビルの8階で、日本と韓国・朝鮮に関する歴史の図書館が市民に門戸を開いている。「特定非営利活動法人文化センター・アリラン」である。日本の朝鮮史研究のパイオニアとして知られる梶村秀樹の運動史資料、田川孝三や姜在彦(カンジェオン)の文庫など約5万点の蔵書類を所蔵する。第一級の史料は56坪のスペースには収まらず、埼玉県の三郷(みさと)資料室で保管し、目録作成を進めている。

このセンターの副理事長、在日コリアン2世の宋富子(ソンプジャ)(76歳)は中学2年生のとき、社会科の授業で「豊臣秀吉の朝鮮征伐」を習った。「朝鮮は弱くてだらしないから日本が征伐した」ーー日本は朝鮮をわがものにできると教えられ、足元が崩れるような衝撃を受けた。宋は学校を早退し、「今日で人生は終わり」と近くの橿原(かしはら)神宮(奈良県)の池で自殺を図る。近鉄電車の轟音でわれに返り泥の中から這い出たが、自己嫌悪に陥った。暮らしている村の朝鮮人は肉体労働者ばかりで貧しい。朝鮮人は「野蛮で下品」だと思った。

・歴史を知らない日本人

その後、差別に苦しみながらも成長し、主婦生活を送っていた31歳のころ、キリスト教と出会い、歴史を知ることに目覚めた。中卒で読み書きが不十分だった宋は、泣きながら漢字を覚える。1冊500円の副読本で、学校では教わらなかった日本と朝鮮の歴史の一端を知り、目の前が開けた。歴史を知る意味を、宋はこう語る。

「無知は恐ろしい。古来、日本は朝鮮の影響を受けて発展しました。漢字は中国で発明され、朝鮮の渡来人が日本に伝えた。仏教、暦、織物、瓦、酒造も。古代の高句麗(こうくり)、百済(くだら)、新羅(しらぎ)の人々は戦に負けると日本に渡り、政治や経済を担った。
埼玉の高麗(こま)神社や奈良の飛鳥寺はその証左です。朝鮮出兵は負け戦で、秀吉は引き返した。野蛮で下劣なのは日本人でした。主婦だった私はそういう歴史を知り、もっと学びたいと思った。歴史を知ると、憎しみや悲しみ、怖さを突き抜け、日本をどうしたらまともにできるか、歴史に正義が与えられるか、そればかり考えた。個々の市民は善良でも、愚民化(無知)政策で歴史を知らないからです」

歴史を知るにつれ、日本が朝鮮半島とのかかわりをねじ曲げていたことに宋は愕然とする。とくに近代以降は、隠蔽(いんぺい)と歪曲の連続だった。1910年に日本は「韓国併合」を行ない、朝鮮を植民地支配した。非人間的な方法で国を盗(と)り、土地を奪い、朝鮮人に窮乏を強いた。その事実を、あたかも朝鮮人自身が選んだかのように吹聴する日本人もいる。

植民地化されて生活に苦しむ多くの朝鮮人が渡日し、炭鉱やトンネル、鉱山、鉄道やダムの建設現場で働いた。宋の父も、土地を奪われて日本に渡ってきた。

「約70万人の朝鮮人が強制連行され、日本の近代産業発展の陰で大勢が死にました。たとえば相模ダム(神奈川県)の建設中にどれだけの朝鮮人が犠牲になって”柱”にされたか。日本列島は白骨列島です。この事実を知り、私は身体が震え、一日一日を大切に生きて平和を築こうと決心しました」

宋の口調は穏やかだが、一語一語が日本人に生まれた私の胸に突き刺さる。朝鮮の植民地化を後押ししたのは市井の民であり、世論をリードする報道機関だった。つまり私たち自身の問題につながる。

・流言は否定もされなかった

一例をあげよう。
文化センター・アリランが発行する『アリラン通信第55号』に「関東大震災、横浜での朝鮮人虐殺」という記事が載っている。筆者は元横浜市立中学教員の今本陽子。関東大震災の直後に小学1ー6年生が書いた作文「震災記念綴方帖」(23年12月)の原本が2004年にまとまって見つかり、その内容を紹介している。

作文では6割以上の子どもが朝鮮人に関する記述をしており、避難先で「朝鮮人騒ぎ」を見聞きしていた。流言がもとで朝鮮人がなぶり殺しにされるのを目撃した子どももいる。子どもたちは「朝鮮人と戦い、まるで戦国時代のようである」「わたしもぶってやった」と敵視する。

今本はこう記す。
「地震から3か月以上たっているにもかかわらず、子どもたちには流言を疑うことも、虐殺を『むごい』とか間違った行為だという認識もない。猫や犬等の動物の死をあわれんでも、虐殺された朝鮮人に心を寄せる様子はない(略)虐殺は反省させることなく、流言もまた否定されることなく、朝鮮人の名誉回復もされなかったわけである」

誤りを正されず、無知なままの子どもが成長し、後の日本社会をつくる。先の大戦で日本はアジア諸国を蹂躙し、国家を破綻させた。そうした歴史的文脈を無視し、横浜市教育委員会は、12年に市議会での質問を受け、中学校に配布していた副読本の朝鮮人虐殺に関する記述について「軍隊・警察の関与は記述しない」「『虐殺』『迫害』の語句は用いず『殺害』とする」と決めた。

政治的判断で隠蔽したのである。

一時、職安通りにこだましたヘイトスピーチの淵源は、関東大震災後の朝鮮人虐殺にある。いま平然と嘘をつく政権は、権力の私物化を「記憶にない、記録にない」と隠す一方で戦時体制へのアクセルを踏む。「無知の怖さ」は、この100年単位の迷妄を生んでいるのだ。

「全国の都道府県に日本と朝鮮の近代史を教える図書館を建て、日本人の150年に及ぶ優越感と逆のコンプレックスを正し、人間は平等だと伝えたい。朝鮮人を差別の目で見るのはおかしい。そこに気づかない限り、日本人はまともになれません。90歳まで講演をして、文化センター・アリランの会員を募って図書館を建てたい」と宋は笑顔で言う。

・キリスト教との出会い

宋は41年、日米開戦の年に奈良県飛鳥地方で在日朝鮮人2世として生まれた。家では「トミ」、外では「廣田富子」と呼ばれた。2歳半のとき、父は過重労働で夭逝。46歳だった。10歳下の母は、終日リヤカーを引き、ボロ買いをしながら遺された6人の子どもを育てる。

大好きだった母への思いが、小学校に上がって一変した。学校で「チョーセン人」といじめられ、白い目で見られ、自分の命と母を憎んだ。自殺を考える。母は、父の命日には一晩中、エプロンに顔をうめて「ハンソリ(恨声)」を歌って泣いた。

「アイゴー ネ パルチャヤ(私の運命よ)ウェ ナルル ナードゥゴ ホンチャカヌニャ(なんで、私をおいて一人で逝ってしまったのか)ムスン チェガ マナソ(どんな大きな罪を犯したというのか)」

中学を出た宋は、出自を知られるのを恐れて職を転々と変える。二十歳で見合い結婚をするまでに22の仕事に就いた。夢は、日本国籍を得て、上品でお金持ちの日本人になることだった。

縁あって川崎市で自動車修理工場を営む同胞と結婚した。21歳で長女を産んで母への恨みは消え、尊敬の念を抱く。26歳で4人の子をもうけ、家族と従業員合わせて13人の食事を朝昼晩と作った。母の辛さが身にしみる。子は宝だった。

転機を31歳で迎える。息子を預けた桜本保育園の保護者会で、園を運営する在日大韓基督教会川崎教会の李仁夏(イインハ)牧師は、こう言った。

「聖書には、『自分を愛するように、あなたの隣り人を愛せよ』とあります。もう植民地時代ではありません。自分を愛する意味で、韓国・朝鮮人の保護者も園児も日本名ではなく、民族名の本名を名乗ってもらい、日本人の皆さんには隣人を愛する意味で、韓国の歌や民話、ハングルでの挨拶を教えます。日本の皆さん、韓国は一番近い国です」

宋は全身に電気が走ったようなショックを受けた。なぜ、私にはいくつも名前があるのだろう。植民地って何?イエス・キリストはどんな人?あふれ出る疑問を抱え、同教会の小杉剋次(こすぎかつじ)副牧師の聖書研究会に通った。会の最後に会員の今村秀子が「神さま、日本人の罪をどうか許してください。この若いオモニ(母親)さんたちが自分を愛して本名で生きられるように、聖霊の力を与えてください」と泣きながら祈る。顔を覆う掌からしずくが落ちていた。

「李牧師から人間の尊厳と誇り、民族差別撤廃運動の重要さ、小杉牧師と今村さんから隣人を本気で愛することを学びました。3人に出会えなかったら、いまの私はなかったでしょう」と宋はふり返る。

・一人芝居で「在日三代史」

幼いころ、日本と韓国を行き来した夫は差別され、心に深い傷を負っていた。宋はそんな夫を説得して、民族の尊厳を取り戻そうと本名の表札を玄関に掲げた。
またある日、宋は日本人らしく見えるようにと買った高価な着物や宝石を売り払った。それを知った夫は、宋の髪の毛をつかんで引きずり倒し、殴った。「殺される」と感じた宋は家出をする。5日後に帰宅し、夫や親族を愛してこなかったと告白、謝罪し、話し合う。夫も暴力を詫び、新しい生活がスタートした。

宋は40代で一人芝居
「身世打鈴(シンセタリョン)ーーオモニの恨晴(ハンプリ)に生きる」をはじめた。自身の体験を踏まえた「在日三代史」である。父の命日に泣き明かした母の恨(ハン)を解こうと、朝鮮人の気高さを込めて演じた。そして舞台から歴史館建設を呼びかけて募金を集める。
01年、多くの市民の協力で職安通りに「高麗(こうらい)博物館」が開設され、初代館長に就く。10年に文化センター・アリランが同じビルに移り、現在に至っている。

宋の半生は「失われた歴史」を取り戻し、「民族差別のない平和な日本」を築く闘いの連続だった。そのきびしい試練は、短い紙幅ではとても表せない。くわしくは、宋の自伝『愛するとき 奇跡は創られるーー在日三代史』(三一書房)をお読みいただきたい。

隠蔽や嘘が横行する昨今、私設の文化センター・アリランの運営は、決して楽ではない。3年前、センターは運営の危機に見舞われた。
ヘイトスピーチが原因だった。韓国・朝鮮への罵詈雑言を吐く一団が職安通りを練り歩き、近くのコリアンタウンの客足が止まった。センターの蔵書はコリアンタウンで商売を営む役員が無料で倉庫に預かってくれていたのだが、本業に赤信号が灯り、有料にしないとやっていけなくなった。センターの資金繰りは悪化、宋は頭を抱え込んだ。

「はじめて神さまに弱気のお祈りをしました。7年前に韓国でくも膜下出血で倒れて手術し、後遺症はないけれど疲れやすい。わたしの手には負えません、と。そうしたら数年ぶりに80歳のオンニ(お姉さん)から連絡があって『肺がんで余命半年。死ぬ前にいいことしたい』と寄付をしてくれました。数日後、また会員が『ここは大切な広場だね』といずれも高額の寄付をしてくださった。もうやめるとは言えなくなりました。へこたれていられませんね(笑)」

「祖国」という言葉は重い。『広辞苑』を引くと「先祖以来住んできた国。自分の生まれた国」とある。

「この国は、わたしのふるさとです。この国を愛するために、命懸けで、人間を人間とも思わない”狂気”を終わらせたい。だから歴史が大切なのです。人間の命に優劣をつけ、少数の在日コリアンをいじめ、差別することがどんなに恥ずかしいか、歴史を知らなければわかりません」

文化センター・アリランには、いろいろな人が来訪する。学生や研究者ばかりではない。韓流ドラマが好きな若者もふらりと入る。新宿に来たら一度、文化センター・アリランを訪ねてほしい。(文中敬称略)

文化センター・アリラン http://www.arirang.or.jp

「命を大切にするには歴史を隠さず伝えなきゃ」と宋さん。文化センター・アリランで。
(写真キャプション、撮影・筆者)

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やまおか じゅんいちろう・ノンフィクション作家。
著書に『原発と権力 戦後から辿る支配者の系譜』(ちくま新書)、
『逆境を超えて 宅急便の父 小倉昌男伝』(KADOKAWA)ほか多数。

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