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聖者の生涯&言葉&聖者についてコミュのラクシュミー・デーヴィーの生涯

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シュリー・ラーマクリシュナの姪のラクシュミー・デーヴィーの生涯です。

コメント(12)

(1)

 「ラクシュミー・デーヴィーの生涯」



 至高者が人間として化身するとき、他の神々や女神、ヨーギーや輝ける魂もまた、彼とともに化身します。
 彼は一人ではやって来ません。なぜならば、彼は彼の神の遊戯を理解し、彼の使命を達成する手助けをすることのできる仲間が必要だからです。
 ちょうどアリが象の強さを理解できないように、普通の人々には、すべてに遍在する全智全能の神を理解することは不可能です。
 しかし、至高者と共にやってきたニティヤシッダ(永遠に自由な魂)は、神の資質に恵まれているので、すぐにアヴァターラ(神の化身)を認識することができるのです。
 彼らは彼と、そしてお互いとの間に特別な関係を感じます。まるで彼ら自身の神性が彼らにすでに明かされているかのように。
 そして彼らは次第に、アヴァターラである主人公の指示の下で、演じなければならない役、そして目標に気づいていくのです。



 シュリー・ラーマクリシュナの姪のラクシュミー・デーヴィーは、シタラ女神の化身でした。
 ある日、ウドボーダンの家でホーリーマザーは、彼女の義父のクシュディラムについて、信者たちにこのように話しました。
 
「彼は神への熱烈な信仰を持っていて、ずっと彼のおそばにいらっしゃったシタラ女神に献身していたのよ。
 礼拝のための花を摘むために、夜明け前に起きるのが彼の習慣でした。
 ある日彼がラハスの庭園に行くと、9歳くらいの小さな女の子が彼のところに来て、こう言ったのです。

『こっちに来て、お父さん。
 ここの上の枝にお花がついてるよ。私があれを押さえておくから、お父さんは花を摘んでね。』

 彼はこう尋ねました。

『あなたは誰だい? なぜこんな早い時間にここにいるのかな?』

 すると彼女は彼にこう言いました。

『お父さん、私はハルダルの家から来たの。』

 彼(クシュディラム)の信仰深さと献身のために、神ご自身が彼の家で生まれ、そして彼の仲間たちはみな、彼と共にやって来たのです。」
(2)

 クシュディラムには三人の家系の神々――ラグヴィール(シュリー・ラーマチャンドラ)、ラーメーシュワラ・シヴァ、シタラ女神――がいらっしゃいました。
 クシュディラムが崇拝していたシタラの象徴は、マンゴーの小枝をてっぺんにつけた水でいっぱいの瓶と、赤いティラカでした。
 その女神は赤い衣をまとい、平穏と繁栄のためにその小枝を使って水を撒いている姿で瞑想されていたのです。
 当時、シュリー・ラーマクリシュナがドッキネッショルに住んでおられた頃、信者からいろいろな甘いお菓子や果物をお受け取りになることがありました。
 ある日、彼の心に考えがふと浮かびました。

「私はここでたいそう多くのおいしい食べ物を得ていて、カーマールプクルのシタラ・マーはそれらを全然得ていないではないか。」

 数日後、彼は夢を見て、その中でシタラ・マーは彼にこうおっしゃっていたのです。

『私は水瓶の中に一つの現れを宿し、そしてもう一つはおまえの姪のラクシュミーに宿しているのですよ。』

 その後、シュリー・ラーマクリシュナはおいしい食物が手に入る度に、その手でラクシュミーに食物を与えられたのでした。



 ラクシュミーは1864年の2月にカーマルプクルで生まれました。
 彼女の父ラーメシュワルは、シュリー・ラーマクリシュナの二番目のお兄さんでした。
 ラクシュミーにはラームラルとシヴァラームという2人の兄弟がいました。
 5歳になるとラクシュミーは、サンダルのペーストを作ったり、花を摘んだりして、家系の神々の礼拝を手伝いました。
 彼女の遊び時間は主に礼拝をして過ごしていました。そして彼女は独りが好きでした。
 ラクシュミーは村の学校で一番基本的な書物を読み始めていました。学校から帰ってくると、彼女は10歳年上の叔母のシュリー・サーラダー・デーヴィーと、習ったことを共有したのでした。
 後にドッキネッショルで彼女たちはシャラト・バンダリという若い少年から、その次に基本的な書物を学びました。師がその目的のために彼に命じられたのです。
(3)


 雨期の間は、ドッキネッショルは非常に不衛生になりました。よってシュリー・ラーマクリシュナは雨期にはよく、カーマールプクル、ジャイラームバーティ、シハールなどに、フリダイを連れて行っておられました。
 あるとき、ラグヴィールに捧げる食物のために使われる特別なお米がすべてなくなってしまいました。そしてラーメーシュワラの妻は、娘のラクシュミーに、ムクンダプールまでおつかいを頼みました。
 ラクシュミーはそのとき10歳で、痩せていて、小さな服を着ていました。
 雨が降っている中、彼女は頭に竹の籠をのせて、0.5ルピーを持って裏口から出て行きました。
 師はそのとき、何人かの村人を連れて正門の近くにおられました。
 しばらくしてラクシュミーは手ぶらで帰ってきて、正門で師と会いました。
 師はこう尋ねました。

「ラクシュミー、どこに行っていたのだね?」

 その小さい女の子は、突然泣き出してこう言いました。

「主のために米を買いにムクンダプールに行っていたの。でもね、何も買えなかったの。」

 師のハートの御慈悲は、ひどく困っている彼女へと向けられました。
 彼は言いました。

「おお、世の人々には何という苦しみがあることだろう!」

 それから彼は義理の妹を呼び、彼らは自分たちが食べるための米は持っているが、供養のための特別な米を持っていないのだと説明しました。

 そしてただちに師は、家系の食べ物の問題を解決する措置をとりました。
 彼は隣人のシュリー・ラーム・ヨーギーと、少年時代の友達のガヤーヴィシュヌを呼び、彼らにいくらかの土地を買うように頼みました。
 長いこと探した後に、6エーカーの土地が見つかりました。
 仕入れの役人を設けるために、師はかごに乗ってゴガトの裁判所に向かったのでした。
 後に師はこの件について、このように説明しています。

「私は以前、ラグヴィールの名の下に、土地をその権利として登録するために登記所に行った。
 役人は私に私の名をサインするように言ったのだ。――しかし私はそんなことはできなかった。『私』の土地だなんて、そんな気分になれなかったのだよ。」

 そしてカーマールプクルに帰ると、師はラクシュミーにこう言いました。

「これからおまえは食物に困って苦しむことはない。そしてもうこれ以上、お米を探しにムクンダプールに走っていく必要はないよ。」
(4)

 ラクシュミーは師から、カダンバの木の下にクリシュナが住んでると聞きました。
 そしてある日、シュリー・ラーマクリシュナが昼食後に休んでいる間に、彼女はクリシュナに会いに、カダンバの木を探しに家を出ました。
 カダンバの木はカーマルプクルでは一つも見つかりませんでしたが、彼女は近隣の村で探し続け、その樹を一本見つけたのでした。
 長い間彼女はその木の下で待っていましたが、クリシュナは来ませんでした。
 彼女はとうとう家に帰りました。
 師は彼女を見たとき、こう尋ねました。

「どこに行っていたのだね?」

 ラクシュミーは、クリシュナを見つけるためにカダンバの木の下に行ったけど、クリシュナに会えなかったと説明しました。
 師は彼女に言いました。

「カダンバの木は外にはない。それは心の中にあるのだよ。」




 ラクシュミーの師の話は直接の体験によって得たものであり、細かく残っています。 
 何年もたった後、彼女はアメリカ人の信者たちに、以下のような出来事を語りました。

「タクル(シュリー・ラーマクリシュナ)が村にいらっしゃるとき、彼は毎晩、彼の母の家の扉の近くに座って、外の通りを通りかかる人を見るのが習慣でした。
 女性たちは皆、池に水を汲みにその通りを通らなければなりませんでした。
 彼女たちは水瓶を持って来て、その扉のところにいる彼を見つけると、水瓶を傍に置いて小さな庭に座り、彼の神の話や歌を聞くことの喜びにすべてを忘れるのでした。
 彼女たちが仕事をおろそかにしているのではないかと思い、彼は彼女たちについて尋ねました。
 一人の少女はこう答えました。

『私は牛を一頭飼っているの。あなたが来るということを聞いて、一ヶ月分の藁を切って部屋に詰めておいたのよ。』

 また他の女性に彼は言いました。

『おまえの赤ちゃんはどうしたのだね?』

『あ! 忘れてた!』

 彼女は叫びました。

『お隣さんに預けたままだったわ。』

 彼女はそこに来るために1マイル以上も歩かなければならなかったのでした。


 ある日、タクルは言いました。

『さあ、今日はおまえたちが歌いなさい。私は聞いているよ。』

 彼女たちはみんな黙っていました。思い切って声を出すものは誰もいませんでした。
 しかし、そこにはタクルが非常に愛しておられ、彼女が来ていないとわざわざ呼び寄せるほどの少女がいました。
 他に誰も歌わないだろうということを理解するとすぐに、彼女は弱々しく甲高く震え声で歌を歌いました。
 彼女が歌い終わると、少女たちはみんな笑いだしましたが、タクルはお喜びになられました。

『見てごらん、彼女の信仰はなんと素晴らしいことか!』

と、彼は大声をあげました。

『私が要求したというだけで、彼女は非常に素直に、純朴に歌った。おまえたちの中で、彼女のみが真の信仰心を持っているよ。』」
(5)

 ラクシュミーは何人かのカルカッタの信者に、次の話を語りました。

「シュリー・ラーマクリシュナは、どんな世俗的な話を聞くことも我慢がおできになりませんでした。
 あるときカーマルプクルで彼は、ハルダルプクルの池の沐浴ガードにいた何人かの村の女性たちの会話を、家で立ち聞きしました。
 彼女たちはその日の間、食事のメニューについて話し合っていました。
 彼はフリダイにこうおっしゃいました。

「見てごらん。あの女性たちは、どのようにいろいろな魚料理を作ったかについてのみ話しているよ。
 そのようなくだらない話をやめるように言おうかね?」

 フリダイはハルダルの淑女たちがそこにいたので、師がそのようにするのを思いとどまらせました。
 しかしフリダイが去るとすぐに、師は急いで池の方に走っていって、その女性たちにこうおっしゃいました。

「あなたたちはこの貴重な人生を、魚の調理についての話に費やしていたいのかね? それとも神の話かね?」




 ラクシュミーは11歳のときにゴガト村のダナクリシュナ・ガタクと結婚しました。
 その結婚は彼女の父、ラーメシュワルが1873年に亡くなる前に取り決められました。
 ラームラルがラクシュミーの結婚の知らせを、そのときドッキネッショルにいた師に持ってきたとき、シュリー・ラーマクリシュナはすぐに、「ラクシュミーは未亡人になるだろう」と言って、サマーディに入られました。
 フリダイはショックを受けました。
 しばらくして、師は通常意識に戻られました。そしてフリダイは師に言いました。

「あなたはラクシュミーを非常に愛しておられます。彼女の結婚の知らせを聞けば、あなたは彼女を祝福してくれるだろうと思っていましたのに、それどころかそんなひどいことを言うとは!」

 シュリー・ラーマクリシュナは答えました。

「私に何ができるというのだね? 母なる神が私を通して話されたのだよ。
 ラクシュミーと結婚した人は普通の人間であるというのに、彼女は力の女神シタラの部分的化身なのだ。
 ラクシュミーと楽しく過ごすことなど、彼には不可能だ。
 主シヴァが男として化身されなければ、誰も彼女を娶ることなんてできないのだよ。
 だから彼女は間違いなく未亡人になるよ。」



 結婚の2、3ヶ月後、ダナクリシュナは仕事を探す旅に出る前に、カーマルプクルのラクシュミーに会いに行きました。
 そして二度と戻ってきませんでした。
 ヒンドゥー教の習慣に従って、ラクシュミーは12年待って、シュラッダーの儀式のために、夫の家に行きました。
 シュリー・ラーマクリシュナはラクシュミーに、夫の財産を一切受け取ることを禁じたので、彼女は彼の家族の人たちにそれらを分け与えたのでした。
 彼女の夫の失踪後の三年間の間、ラクシュミーはカーマルプクルに住んでいました。そしてそれから、彼女はシュリー・ラーマクリシュナとホーリーマザーが住んでいるドッキネッショルに引っ越してきました。
 彼女はそのとき十四歳の若くて美しい少女でした。
 シュリー・ラーマクリシュナは彼女にこのようにアドバイスしました。

「家でお前の務めを為し、修行しなさい。一人で聖地を旅してはならないよ。
 誰がお前を傷つけるというのだね? お前のおばさん(シュリー・サーラダーデーヴィー)と一緒に暮らしなさい。世俗の生活は恐ろしいものだ。」
(6)

 ラクシュミーはドッキネッショルでの師との思い出の日々を、このように語っています。

「わたしたち(ホーリーマザーとラクシュミー)は以前はナハバトに住んでいました。
 師はよくナハバトを鳥かごと呼び、わたしたちをシュク・サリと呼んでいました。(クリシュナの栄光を語るのが上手なインドの民話の二匹の鳥)
 母なる神に捧げられた果物や甘いお菓子が師のもとに持って来られたとき、彼はラームラルにこう言い聞かせました。

『あの鳥かごには二羽の鳥がいるのを忘れないでおくれよ。あの鳥たちに果物やエンドウ豆をいくらか与えてあげておくれ。』

 新しく来た人たちは、師の言葉を言葉どおりにとらえていました。
 マスター・マハーシャヤ(『シュリー・ラーマクリシュナの福音』の著者)も、最初はそう思っていました。

 私たちがあのナハバトの小さな部屋でどのようにしてやりくりしていたのか、わたしは時々不思議に思います。
 それは師の神聖なリーラーでした!
 普段はホーリーマザーと他の少女と私で暮らしていました。
 そして時々、大きな体の女性のゴーパーラ・マーや、他のカルカッタから来た女性の信者たちが、私たちと共に過ごしたのでした。
 さらにわたしたちは食材、料理の器やお皿、そしてさらには水瓶さえも、その部屋に蓄えなければならなかったのです。
 師がお腹を壊されてからというもの、私たちも彼の特別な食事を作るための食物を保管しなければなりませんでした。

 全生涯を通じて、師は胃が良くありませんでした。
 おばあさん(シュリー・ラーマクリシュナのお母さん)がドッキネッショルに暮らしていたとき、師は毎朝彼女に挨拶していました。
 おばあさんは大きな女性で、そしてとても美しかったのですが、古風な人で、また、とても恥ずかしがり屋でした。
 一番下の息子(シュリー・ラーマクリシュナ)の前でさえ、彼女はヴェールで顔を覆っていたのでした。
 彼が来ると、彼女はこう言いました。

『胃の調子はどうだい?』

 師は答えました。

『あまり良くないんだよ。』

 するとおばあさんは、

『カーリー女神のおさがりを食べてはいけないよ。』

とアドバイスしました。(それはとても刺激の強い食べ物だったからです)

『お前の胃が良くならない間は、お前の奥さんがあっさりしたスープとごはんを作ってくれるからね。だからそれだけをお食べなさい。』

 そのうち師は、毎日病人食を食べるのに飽き飽きしてしまいました。
 そして彼はお母さんに、1、2品の料理を作り、それをカーマルプクルでよく作ってくれていたように味付けしてくれるように頼みました。
 そこで、おばあさんは、時々彼に料理を作り、そして師はそれを楽しまれたのでした。


 師は、料理をする女性を、こう言って励まされました。

『それは、心にとって良いことなのだよ。
 シーターは料理がとても上手だった。
 ドラウパティーとパールヴァティーもそうだった。
 ラクシュミー女神は彼女自身で料理し、他者に食事を与えていたのだよ。』

 2人の息子を失った後、おばあさんは少し元気がなくなり、引きこもりがちになりました。
 さらに、アラムバザールの麻工場の汽笛が聞こえるまで、お昼ごはんを食べませんでした。
 それが聞こえるとすぐに彼女は叫びました。

『ああ! 天の汽笛が聞こえるわ。
 ラクシュミー女神と主ナーラーヤナに供物を捧げなさいというサインだわ。』

 しかし日曜日にはいつも問題が起こりました。麻工場があいていないと汽笛がならないので、彼女は何も食べなかったのです。
 師はこれをとても心配して、このように嘆かれました。

『ああ、なんてことだろう。
 お母さんは今日何も食べてない。これでは弱ってしまうよ。』

 フリダイは師にこう言いました。

『おじさん、心配しないでください。
 おばあさんはお腹がすいたら勝手に食べるでしょう。』

 しかし師は答えました。

『とんでもない。私は彼女の息子なのだよ。
 お母さんの世話をするのはわたしの勤めなのだ。』

 そう言って師はなんとかしてお母さんを説得して、クリシュナのプラサードを食べさせたのでした。

 ある日フリダイはキセルに息を吹き込んで高い音を出しました。
 そしておばあさんにこう言いました。

『ほら、おばあさん。天の汽笛が聞こえませんか?
 さあ、ごはんをお食べください。』

 しかし、おばあさんは笑ってこう言いました。

『いいえ、あなたがキセルで音を出したのよ。』

 そしてみなが笑ったのでした。」


 母が亡くなったとき、師は嘆き悲しみました。
(7)

 またラクシュミーは、次のような出来事についても述べています。


「ある夜、師はラーダーの霊性のムードに満たされて、自分をラーダーと同一視し、クリシュナに会いに、あずまやへ行くことにしました。
 部屋を出ると、彼はバラ園に入り、外界の意識を失いました。
 彼はすぐにバラの茂みに足をとられて、体中が傷だらけになりました。そして彼はそこで立ち上がりました。
 その夜、警備員が彼を見つけ、私たちを起こしました。
 すぐに私は寺院の管理人のところに彼を連れていきました。
 他の多くの人たちも、人が集まる騒ぎで目が覚めました。おばさんもそこに来て、突然泣き出しました。
 これは彼女が人前に顔を出した最初の時でした。
 部屋に運ばれると、師は言いました。

『私はあずまやへ行くよ。なぜわたしを煩わせるのだね? 行かせておくれ。』

 この後から、おばさんと私は師の部屋に泊まり始めました。
 しかし2、3日後に、彼は私たちに言いました。

『なぜそんなことをして苦しんでいるのかね?
 今はとても暑いではないか。ナハバトの方がよく眠れるだろう。』

 そして私たちはそれに従ったのでした。」





 「インド僧院での日々」の中で、シスター・デーヴァマーターは、ラクシュミーが語った物語を次のように記録しています。


「ある朝、シュリー・ラーマクリシュナがどこにも見当たりませんでした。ホーリーマザー、彼の姪のラキディディ(ラクシュミー)、そして他の信者は、彼を探しにバンヤンの樹のところに行きましたが、見つかりませんでした。
 彼女たちは至る所――庭の中、寺院の池、彼の部屋、寺院の中、小屋の中――を探し回りました。
 最後にホーリーマザーは、彼はガンガーの岸でサマーディに入って、河に落ちたのだと結論付けました。
 彼女たちは皆、ひどく泣き始めました。
 その日、牛が行方不明になり、それを探していた庭師が寺院の庭の角の林のいばらのやぶの中に飛び込みました。
 そして彼はベルの樹の下の境界壁の近くで、シュリ―・ラーマクリシュナが、自分が原因となっている悲哀に全く気づかずにサマーディに入って座っているのを見つけました。
 師は後に、こう説明してくださいました。
 彼がバンヤン樹の下に座っていると、ガンガーに沐浴をしに向かっている途中で彼に礼拝し、子供や世俗的な利益のために祝福してほしいと立ち止まる女性たちに気をそらされるので、もっと近づきがたい隠居所を探そうと心に決め、ベルの樹を見つけたのだそうです。
 私たち(女性)はできるだけきれいな場所を通ってその樹のところに行きましたが、敬意を表して裸足でいったために足がヒリヒリし、出血していました。なので、密集したいばらをかき分けて行った彼の御足は、間違いなく傷だらけになっていたことでしょう。」



 他にも、ラクシュミー自身の言葉でこのように語られています。

「ある日、私はホーリーマザーと一緒にタクル(シュリー・ラーマクリシュナ)に食事を運びに行きました。
 ラカールたちはすぐに、そこに私たちだけを残して部屋から出て行きました。
 タクルはサマーディに入ってベッドに横になっておられましたが、師は全然生気がないように見えたので、長い間師の健康を心配してこられたマザーは、師が肉体を去られたのだと思って泣き出してしまわれました。
 それからマザーは、師がかつて彼女に、あのような状態の師を見つけたら、ただ彼の御足に触れれば、彼が通常意識に戻ってくるとおっしゃっていたことを思い出されました。そこで彼女は彼の御足をさすり始めたのです。
 ラカールたちは泣き声を聞いて、部屋に戻ってきて、一緒に必死に師の御足をさすり始めました。
 すると師は意識を取り戻し、眼を開けると、驚いて、何が起きたのだ、とおっしゃいました。
 そして彼らが恐怖しているのを見て取ると、師は微笑んで、こうおっしゃいました。

『私は白い人たちの国にいたのだよ。彼らは肌が白く、ハートも白く、そして簡素で正直であった。
 それはたいそう美しい国だ。私はそこに行くことになるのだと思うのだよ。』」
(8)

 ある晩、ホリーマザーとラクシュミーは、ナハバトで信仰歌を静かに歌っていました。
 師はご自分の部屋でそれを聞くと、翌朝、彼女たちにこうおっしゃいました。

「昨晩、おまえたちは歓喜しながら歌を歌っていたね。それはたいそうよい。」



 シュリー・ラーマクリシュナはある日、ラクシュミーにこうおっしゃいました。

「おまえはどの神が一番好きなのだね?」

「ラーダー・クリシュナです。」

と、ラクシュミーは答えました。

 すると師は種で彼女の舌にそのマントラを書き、彼女に聞こえるようにそれを唱えました。
 彼女はトゥルシーの数珠を持っていました。それは師が彼女が使ってもよいと認めたものでした。
 過去にラクシュミーはスワミ・プルナーナンダという僧からシャクティ・マントラのイニシエーションを受けていました。ホーリーマザーがそれを師に述べると、師はこうおっしゃいました。

「問題ない。私がラクシュミーに正しいマントラを与えたからね。」




 あるとき、師は彼の部屋の半円のベランダに立ちながら、「百年後にまた生まれてくるだろう」とおっしゃいました。
 しかしホーリーマザーは、この世に生まれるのはもう嫌だ、ということを述べられました。ラクシュミーもそれに対して熱烈に反対し、

「たとえタバコの葉のようにズタズタに切り刻まれても、もう二度とこの世に生まれて来たくありません!」

と言いました。

 すると師は笑って、彼女たちにおっしゃいました。

「私がここに来たら、おまえたちはどこにいるというのだね?
 おまえたちのハートは、私に恋い焦がれるだろう。
 われわれの根っこはカルミ草(池の表面に生えるつる植物)のように絡み合っているのだよ。一つをひっぱれば、全部くっついてくるだろう。」
(9)

 師の癌の治療を容易にするために、師はドッキネッショルからカルカッタのシャーマールプクルに、そしてそこからコシポルに居を移されました。
 ホーリーマザーも師にお仕えするために居を移されました。そして後にラクシュミーもコシポルのホーリーマザーのもとに行ったのでした。
 コシポルでのある日、師はラクシュミーをシタラ女神として礼拝されました。
 そしてギリシュ・ゴーシュに、彼女に甘いものを食べさせるようにおっしゃいました。
 そしてそれとほぼ同時に、ラクシュミーにバングルとネックレスをあげたいとおっしゃったのです。
 しかし、ラクシュミーはこう言いました。
 
「装飾品には興味がありません。そのお金でヴリンダーヴァンに行きたいです。」

 後に、ある信者たちが師の要求を聞き、彼女のために作った装飾を持って来ました。
 彼女は一度だけそれらを身につけると、放棄の心から、それらを捨ててしまいました。



 ある日、師は、Mの妻とラクシュミーに、家々を訪ねて食べ物を乞うて来るように命じました。

「家々を訪ね、主の御名を広めてきなさい。
 人々はおまえたちをあげつらうかもしれないが、それでも彼らの家は、おまえたちの祝福された足に触れるのだよ。これは彼らに幸運をもたらすだろう。」

 同様に師は、豊かな家からではなく貧しい家から物乞いするようにおっしゃいました。
 ラクシュミーは美しくて若い女性であり、彼女が乞食しているのを見ると、ある情け深い淑女はこう言いました。

「あなたはなぜ乞食なんてしているの? 私の義理の娘として私の家に来たらどう? あなたに装飾品をあげますわよ。」

 後にその淑女は、彼女がシュリー・ラーマクリシュナの姪であると知り、非常に恥ずかしくなり、野菜やその他の品物をコシポルのガーデンハウスにいる彼女のもとに送ったのでした。


 シュリー・ラーマクリシュナはコシポルでラクシュミーを祝福して、こうおっしゃいました。

「おまえ自身については心配ないよ。多くの人々が神のことについて聞くためにおまえのもとに来て、彼らはおまえの世話をするだろう。」




 師の最後の日々についてラクシュミーが語ったことは、非常に感動的でした。

「師はベッドの枕にもたれて寄りかかっていました。
 辺り一面が静まりかえり、皆が師のことを心配していました。
 師は話すことがおできになりませんでしたが、マザーと私が来ると、そっと、かすかにささやかれました。

「おまえたち・・・・・・来たのだね・・・。
 ねえ・・・・・・私はどこか遠くに行くような気がするよ・・・・・・海を越えた遠い遠い国にね・・・・・・。」

 マザーはわっと泣き出しました。
 すると師は、彼女にこうおっしゃいました。

「心配はいらないよ・・・・・・おまえは今と同じように生きていくだろう。
 ナレンたちが私に仕えたように、おまえにも仕えてくれるよ・・・・・・。
 ラクシュミーの世話をして、彼女と共に生きなさい。
 彼女は自分で生きていくよ。決して重荷にはならないだろう。」
(10)

 シュリー・ラーマクリシュナが1886年にお隠れになった後、ラクシュミーはホーリーマザーと共にインドの遠くの聖地を巡礼し、そしてカーマールプクルへと戻ってきました。
 しかしときどき、彼女はカルカッタに行き、カンクルガチ・ヨゴディヤーナに滞在したり、ホーリーマザーと過ごしたりしていました。
 シスター・ニヴェーディターは1898年に、ホーリーマザーのカルカッタの住居でラクシュミーと出会い、「私が見た師」の中で彼女のことを次のように述べています。

「シスター・ラッキー、またはインドの名でいうとラクシュミーディディは、確かにシュリ―・ラーマクリシュナの姪でありました。けれども、いくぶんか若い女性であられました。
 彼女は宗教の師、そして導き手として幅広く求められていました。そして最も才能に溢れ、愉快な法友であられました。
 ときどき彼女はヤトラの一つ、あるいは宗教的な歌劇から、聖なる対話を何ページも繰り返し読んだり、あるいはまた、宗教的な絵画の中のさまざまな神々のポーズをとったりして、静かな部屋に穏やかで陽気な賑わいを起こしていたのでした。それはカーリーであったり、またはサラスヴァティーであったり――また別のときにはジャガダットリー、そしてさらにはカダンバの樹の下にいるクリシュナだったりしました。彼女はそれらを、絵になるような生き生きとした効果や、わずかばかりの戯曲の材料を使ってアレンジしていたのでした。」


 ラクシュミーは非常に才能豊かな女性で、人の心をとらえるような性格でした。
 彼女は歌い、踊り、演技をし、ものまねをし、人に霊性を呼び起こさせるのでした。
 彼女は素晴らしい物語の語り手でありました。彼女の子供のような純真さ、無邪気さは、人々を深く感動させました。
 ときどき、集まりで、彼女はゴーピーのように着飾って、美しい声でラームプラサードのキールタンを歌いました。
 またあるときには、彼女はジャガダットリー女神の役を演じ、シスター・ニヴェーディターは彼女の乗り物のライオンを演じたのでした。
 女性たちは彼女たちが部屋中を動き回るのを見て、おなかがよじれるほど笑ったのでした。
 ニヴェーディターはこのように書いています。

「このような娯楽は、シュリー・ラーマクリシュナが快く許可していたと言われています。
 女性たちによると、ときどきは彼自身、宗教的な戯曲を読むことに時間を費やし、順番順番にそれぞれの役者の役を演じながら、詩にのせて言い表された祈りや礼拝の最高の真意を、彼の辺り一帯に悟らせたのでした。」


 ある日、カーマールプクルで、四十人近い村の女性たちが、ラクシュミーのキールタンを聞きにラハスの家の屋上に集まりました。
 しばらくするとその女性たちは、今が何時なのかも、自分がどこにいるのかも忘れて、信仰のムードに没入したのでした。
 彼女たちの夫や身内たちは階下から彼女たちを呼びましたが、返事がありませんでした。そこで彼女たちに教訓を与えようと、男たちは階段の扉の鍵を閉めて去っていきました。
 歌が終わると、女性たちは階段を降りようとしましたが、扉に鍵がかかっていることに気づき、男たちにからかわれているのだと思いました。
 そこで彼女たちは隣の台所の上の低い屋根に降りて、そこから灰が山積みになっているところに飛び降り、男たちの悪戯な企みを台無しにしたのでした。
(11)

 ラームラルが1905年に妻を亡くすと、彼は妹のラクシュミーにまたドッキネッショルに戻ってくるように頼みました。そしてその後、彼女は兄と十年間一緒に暮らしたのでした。
 次第に彼女は人々にイニシエーションを与えるようになり、弟子の一団を形成しました。彼らは彼女のために家を建てる手伝いをしました。
 その家の屋上からはガンガ−を見ることができ、そしてそれはドッキネッショルの寺院の庭の近くだったのでした。



 ラクシュミーはとても思いやりがあり、優しかったのですが、同時にとても強く、パワフルでした。
 かつて彼女は信者たちと共にヴァラナシへと巡礼にいきました。そのとき、彼女は四十歳になっていました。
 ある晩、彼女がケダルナート・シヴァの夕拝に参加している際に、若い男が彼女に触れてきました。
 最初彼女はスリかと思い、その彼の手をただ押しのけただけでした。
 しかし再び彼が触れてきたので、彼女は彼の悪しき動機を知り、左手で彼の髪をつかむと、彼を右手で激しく殴り始めました。
 夕拝はただちに中断されました。
 祭司は合掌しながら彼女のところに来て、こう言いました。

「母よ、あなたは正当な罰をお与えになりました。その悪党はいつも寺院で女性たちを悩ませていたのです。
 今日、主ケダルナートが、彼に良い教訓をお与えになったのです。」



 ある僧はラクシュミーに非常に献身的であり、まるで弟子のように彼女に仕えていました。
 彼女もまた彼のことを非常に気に入っていました。
 しかししばらくすると、彼女は彼が女性たちと打ち解け、非常になれなれしくなっていっていること、そして結婚式に出席し始めていることに気づきました。
 そのような態度は修行僧にふさわしくありません。彼女は彼が心配になりました。
 ある日、ラクシュミーは彼にこう言いました。

「ブラザー、あなたは本来ならば獅子のようでなければならないのに、今はジャッカルのように振る舞っています。
 恥を知りなさい!
 あなたは、いつも女性たちの周りにいるではありませんか。
 修行僧なのだったら、女性からは遠く離れるべきですよ。
 あなたはシュリー・ラーマクリシュナの子供でしょう。どうして彼の教えを忘れることなどができるのですか?」
 
 その僧は憤慨して、しばらくの後にそこを去っていきました。
 しかしラクシュミーは気を悪くすることなく、彼の幸福を師に祈ったのでした。
(終)

 ラクシュミーはガヤー、ヴァラナシ、プラヤーガ、ヴリンダーヴァン、ナバドウィープ、ガンガーサガールなどのインドの多くの聖地を訪れましたが、特にプリに惹きつけられました。
 これを知ると、ある信者は彼女のために、プリの海岸の近くに家を建て、それを「ラクシュミー・ニケタン(ラクシュミーの住処)」と呼びました。
 1924年の2月に、彼女はプリに移り住んだのでした。


 ラクシュミーのプリでの日課は、非常にシンプルでした。
 彼女は朝3時に起きて、身を清め、瞑想とジャパのために座り、その後、少しばかりプラサードを食べて、10時に沐浴に行きました。
 それからまた午後までマントラを唱え、その後に昼食を取り、その後に休憩すると、午後3時からは、師について信者たちに話をしたり、ジャパをしたりしました。
 そして6時から8時まで、彼女はマントラを唱え、そして信者たちはキールタンを歌い、シュリーマド・バーガヴァタを読みました。
 それから夕食にプラサードとミルクを取った後、10時に就寝していたのでした。



 ラクシュミーは頻繁にバーヴァ・サマーディに入り、さまざまな神々、女神のヴィジョンを得ていました。
 かつて彼女はジャガンナート寺院の祭壇にシュリ―・ラーマクリシュナのヴィジョンを見ました。その後、彼女は師とジャガンナートが同一なのだと確信したのでした。

 またある日ラクシュミーは、一人でスワルガドワラの近くの海岸に沐浴をしに行った際に、突然、強烈な引き波にさらわれました。
 約一マイル離れたチャクラティルタの近くで、一人の牛飼いが現れて彼女を救出し、そしてすぐに姿を消しました。
 家に帰るとラクシュミーは寺院の主ジャガンナートに会いに行きました。
 彼女は驚嘆しました。バララームの像に、あの牛飼いの微笑んだ顔を見たのです。
 そのとき命を助けてくれたのは主バララームだったのだと、彼女は悟ったのでした。



 師はかつてラクシュミーに、こうおっしゃっていました。

「神を思えないなら、私を思いなさい。それで十分だ。」

 この大いなる請け合いは、ラクシュミーの心の中に一生涯刻まれていました。
 彼女のシュリー・ラーマクリシュナへの愛と信仰の深さは、計り知れませんでした。彼女は決して飽くことなく、彼女が見た彼の神聖なるお遊びを、人々に語り続けたのでした。 
 彼女はユニークな方法で師のメッセージを広め、多くの魂にインスピレーションを与えました。
 シュリー・ラーマクリシュナの他の弟子たちはラクシュミーをとても愛し、尊敬していましたが、ホーリーマザーは特に彼女に愛を注いでおられたのでした。


 プリで、日に日に健康が衰えていくにもかかわらず、ラクシュミーは恍惚境に入り続けていました。
 そして弟子たちがこれ以上ないほどの世話をしていたにもかかわらず、彼女は1926年2月にこの世を去りました。62歳でした。
 亡くなる前に、彼女はサーラダーナンダに、彼女が見たヴィジョンをこう述べていました。

「目がくらむほどの眩いばかりの雲の山を見ました。
 その山の片側に、ラクシュミー女神と主ナーラーヤナがいらっしゃり、もう片側にはシュリー・ラーマクリシュナがおられました。
 師はホーリーマザー、スワミジ(ヴィヴェーカーナンダ)、ラカール・マハラジ(ブラフマーナンダ)たちに囲まれておられました。
 それから、ヨーギン・ディディ、ゴーラープ・ディディを見たのです。彼女たちは私にこう言いました。

『ああ、ラクシュミーよ、ここには食べ物や眠りや病や苦悩についての問題が全くありませんよ。
 師と共にいれるのだもの。私たちは終わりなき至福を得たのですよ。』」

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