ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

聖者の生涯&言葉&聖者についてコミュのスレンドラナート・ミトラの生涯

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
☆Shavari先生(http://mixi.jp/show_friend.pl?id=535251&from=navi)の書かれたスレンドラナート・ミトラの生涯をご紹介いたします。

コメント(9)

 ラームチャンドラ・ダッタはスレンドラとは近所同士であり、スレンドラが苦しんでいることを知っていました。 ラームチャンドラ・ダッタはスレンドラを救うために、彼を師ラーマクリシュナの元に連れていこう思ってました。しかしスレンドラは、いつもそれを拒否しました。
 彼はこのように言いました。

「いいかい! お前が彼を尊敬するのは勝手だが、でもなぜ私がそこへ行かねばならないのだね? 私にはその場所は合わないよ。鶴の中に白鳥がいるようなもんだ。もうかんべんしてくれないか。」

 ラームチャンドラ・ダッタは、自分の師に対して述べられた皮肉にとても傷つきましたが、それでも決してあきらめませんでした。
 幾多の説得の後に、ついにスレンドラは、

「よろしい! そこまで君が言うなら、行ってみることにしようではないか。
 しかしその聖者が偽物だったら、彼の耳をつねってやるからな。」

と言いました。

 
 1880年頃、スレンドラが初めてドッキネッショルを訪れた時、ラームチャンドラ・ダッタとマノモハンも一緒でした。
 その日、師の部屋は多くの供物でいっぱいでした。スレンドラは、彼の批評家としての立ち位置を譲らないことを決めていました。だから彼はラーマクリシュナに何の挨拶もせずにその場に座りました。

 師は、
「なぜこの男は、子猫のようではなく、若い猿のような態度をとっているのだね? 
 母猿は動き回るので、子猿は自分の努力によって母親にしがみつかなければならない。
 しかし子猫は、母親が来てくれるまでミャーミャー泣くだけで、母親はやさしく抱きとってくれるのだよ。
 若い猿は時々母親につかまる手を離してしまう。そして地に落ちてしまい、ひどく傷ついてしまうものだ。
 しかし子猫はこのような危険な目には遭いはしない。なぜなら母親自らが、あちこちに運んでくれるのだから。
 神に自身を明け渡すことと、自分自身で試みようとすることは、全く違うものだ。」
とおっしゃいました。

 師の言葉はスレンドラに深い印象を与えました。そしてこの初めての師との謁見が、彼の人生の大きなターニングポイントになったのでした。

 ここで彼は気付きました。

「たしかに私は若い猿のように振る舞っている。それがすべての問題の原因だ。これからは、自分の内側に宿る母なる女神様に、どんな状況であってもすべて捧げきろう。」

 彼はそのとき、強い内的力と、偉大なる神の姿を感じました。

 彼が帰るとき、師は彼に「必ずここへまた来なければいけないよ」とおっしゃいました。
 スレンドラはこのときにはへりくだり、そして喜んで師に礼拝を捧げました。

 帰り道、彼は、

「ああ!師は私の間違った概念を変えてくれた! 私の耳をつねってくれたのだ!
 このような方がこの世におられるなんて、まるで夢を見ているようだ。信じられるかい? 彼は僕の深い意識を的確に読み取ったんだ。
 今、自分の人生には何か多くの意味があるのだということを感じるよ。」

と、仲間たちに言いました。
 スレンドラは最初の謁見から、ラーマクリシュナに自分を極端に捧げ始めたのでした。そして毎週日曜日のほとんどは、師がおられるドッキネッショルに通うようになりました。

 彼の友人は、彼の劇的な変化と神への愛を見たときは、大変驚きました。しかしそれは、スレンドラの過去からの悪い習慣が変わったという訳ではありませんでした。
 彼はそのときはまだ、評判の悪い場所に頻繁に出入りすることをやめられずにいました。スレンドラ自身、ときには仕事が忙しいふりをして師と距離を置いてしまうほど、わが身を浅ましく思っていたのでした。

 しかし、あるとき誰かがスレンドラの悪い行いを師に報告したとき、ラーマクリシュナは特に驚きも心配もせずに、こうおっしゃいました。

「そうか! スレンドラにはまだたくさん現世的な欲望があるだろう。しばらくは楽しむがいいよ。でも彼はそのうちすぐに清らかになるだろう。」

 スレンドラは、師が彼についておっしゃったことを伝え聞き、次の日曜にドッキネッショルにやってきました。
 彼は師の前に座ることは少し気まずかったので、部屋の端に席をとりました。
 すると、ラーマクリシュナが愛情深い声でおっしゃいました。

「なぜ私の近くに座らないのだね?」

 スレンドラは師に従い、近くに座り直しました。

 そのとき師は神意識に入られて、こうおっしゃいました。

「人が悪い場所に出入りをする時、なぜ彼は母なる神のことをうとましいと思うのか?
 それは彼女が彼の悪い行為を邪魔するであろうからなのだよ。」

 おそらくスレンドラだけが、この場において師が述べられたことを理解できたただ一人の人間でした。 彼の良心はハチにさされたように激痛が走りました。

 師は続けられました。

「男らしさは、誰にとっても必要だ。」

 このとき、スレンドラは心の中で祈りました。

「これは私の病気なのです。神よ、私をここから救いたまえ!」

 すると師は突然、彼を見てこうおっしゃいました。

「私は低俗な人間のように、現世的な喜びに奮闘せよとは言っていない。それは低級な動物がなすことだ。私は、アルジュナのような偉大な男らしさのことを言っているのだ。
 ――それは、生涯最後の呼吸のときにおいても、決して理想からずれないということなのだ。」

 スレンドラは、師が皆に自分の悪事を暴露するのではないかと恐れました。しかし師はそんなことはせず、それ以上は何もおっしゃいませんでした。
 この出来事と師の言葉は、この後、スレンドラが念正智して悪習に対峙するための助けとなる大いなるアドバイスとなりました。
 スレンドラは、カーリー女神に大いに献身し、尽くしました。 彼は自宅に彼女の礼拝所を作り、彼女を大いなる愛をもって崇拝しました。
 ある日、師はスレンドラにおっしゃいました。

「母なる神の信者は、ダルマと モークシャ(解脱)を成就できるのだ。また彼はアルタ(富)とカーマ(欲望)も同様に享受している。
 かつて私は、女神様の子として、お前のヴィジョンを見た。おまえは二面性を持っている。ヨーガとボーガ(楽しみ)だ。そうでなければ、おまえの顔つきはもっと素っ気がなかっただろう。」

 スレンドラは、精神的訓練の力によりその習性が変わったとはいえ、飲酒の習慣をやめることはありませんでした。
 ラームチャンドラ・ダッタは、ラーマクリシュナの有名な信者の中に酒飲みがいるということを、好ましく思っていませんでした。もしこれが人々に知れ渡れば、師の名声が曇ってしまうと考えたのです。
 しかし彼がスレンドラにこれについて話そうとすると、いつもスレンドラはその話をすることを断るのでした。

 スレンドラはシャクティの崇拝者でした。よって、酒を飲むことは彼に取っては必ずしも罪ではなかったのです。
 ある日彼はラームチャンドラ・ダッタに言いました。

「なぜあなたはこのことについてそんなに悩んでいるのだ? 師は、それがもし悪いことだと思っていたら、私に注意していたはずだ。師はすべてをご存知なのだよ。」

 そこでラームチャンドラ・ダッタは、こう言い返しました。

「わかったよ! では今日、師を訪問しようではないか。彼は確実にやめろとおっしゃるだろう。」


 スレンドラはこれに同意しました。しかし彼は、師にこの件をこちらから言い出さないようにと言いました。

「もし師が私に酒をやめるようにとおっしゃれば、私は酒をやめよう」


 彼らがドッキネッショルに着いた時、師はバクルの木の下に忘我の状態で座っておられました。
 彼らが師にあいさつすると、師はスレンドラにこうおっしゃいました。

「スレシュよ。お前が酒を飲む時、普通の酒のように飲むべきかどうか、考えなければいけないよ。
 初めに母カーリーに捧げてから、プラサードとしていただくのだ。ただし、酔っぱらってしまわないように、細心の注意を払わなければいけない。
 決して、フラフラしたり、ボーッとしてはいけないよ。
 最初は普通の興奮状態のような感じになるだろう。でもすぐに霊的至福に導かれるだろう。」

 ラームチャンドラ・ダッタとスレンドラの二人はとても驚きました。
 師はスレンドラに決して禁酒するようにとはおっしゃりませんでしたが、その時以来、彼は、パーティーの席や、いつも酒を飲みたいと思っていた場所などで、酒を飲むことができなくなりました。
 師の指示にならい、毎晩彼は、自分が飲む前に、神に少量の酒を捧げました。
 妙なことに、彼のこの行為は、大きな信仰心で溢れていたのでした。

 その後しばらくしてスレンドラは、母なる神に向かって、子供のように泣き始めました。そしてただ彼女とだけ話したがるのでした。また彼はよく深い瞑想に没入しました。

 ラーマクリシュナの不可思議な神秘的影響力は、徐々にスレンドラを変化させました。
 そして酒の悪影響は、その後、彼を害することはありませんでした。

 神が人に恩寵をもたらす時、何が起きるのでしょうか。
 最初にエゴが壊され、謙虚になります。
 二つ目は、世俗的なことが楽しくなくなり、彼の意識は神の中に住むようになります。
 三つ目は、神と、神聖な集団に対して、抗し難い魅力を感じるようになります。
 明らかに師が、スレンドラを救済する役目を担われたのでした。
 彼はスレンドラが、現世の泥に覆われた宝石であることを見抜いていました。その泥を少し洗い流してあげると、スレンドラの内側には宝石の輝きが見つけられたのでした。
 師は彼の悪習に対して、決して叱ることはありませんでした。
 愛と愛情を弟子の上に注ぐことによって、彼のハートを制したのです。
 ある日スレンドラが彼の礼拝所で瞑想していると、ある考えが心に浮かびました。もし師が礼拝所にいる自分の前に現れたなら、彼をアヴァターラとして見よう、と。
 すると不思議なことに、彼は三度にわたって、師が礼拝所に現れるのをハッキリと見たのでした。彼のすべての疑念はここで完全に崩れ去りました。

 スレンドラは、職場では大変責任のある立場でしたが、彼はすべてを捨てて師のもとに行きたいという圧倒的な渇望を何度も感じるようになりました。

 ある日彼は、仕事がまだ終わっていなかったけれども、ドッキネッショルに行くために職場を出ました。到着したとき彼は、カルカッタに行くための準備をしていた師を見つけました。
 スレンドラを見ると師は、

「ここへ来たことは良いことだ。私はお前の事が気になって、お前に会うためにカルカッタに行こうとしていたのだよ。」

とおっしゃいました。

 スレンドラは師が自分のことを考えていてくれたことを大変嬉しく思い、同時に驚きました。

 彼は謙虚に、

「もしあなたが私に会うために外出なさろうとしてくださっていたのなら、 どうか私の家にいらしてください。」

と言いました。

 師は同意して、祝福するために彼の家に行きました。


 スレンドラの師に対する愛は、深く深く成長していました。師もまたスレンドラを心から愛しておられました。

 師はスレンドラナート・ミトラのことを、スレンダルとか、時々はスレシュとお呼びになったり、「神の力を半分与えられた者」などともおっしゃいました。
 そしてスレンドラは、食事や寝具などを師への奉仕として準備したり、夜、ドッキネッショルに滞在して、師に奉仕をして過ごしたのでした。

 ラーマクリシュナは、スレンドラの心を理解していました。
 Mは著書「ラーマクリシュナの福音」の中で、1885年2月の以下の談話を書き留めています。

「師(スレンドラに):時々はここへ来なさい! かつてはナーガの真鍮の水差しは、 毎日磨かれねばならない、さもないと汚れてしまうと言ったものだ。
 ひとつの手段としては、現世を放棄した修行者たちと絶えず暮らすべきだ。
 『愛欲と金』を放棄することは、サンニャーシンのためなのだよ。それはおまえのためではない。時々は一人で過ごし、心から真剣に神を求めるのだ。放棄は心においてすべきだ。
 チャイタニヤは、戒律を修習すること、奉仕をささげること、神の御名を唱えることは、あなたが平安に暮らすために必須だとおっしゃった。
 なぜこのことを、お前に全部言わねばならないのか。お前は商売人の職場の中で働いている。これをお前に言うのは、お前はこれら多くのことをする義務があるからだ。
 お前は職場で嘘を言う。なのに、なぜ私はお前がくれた食べ物を食べるのか?
 それは、お前が稼いでいるよりも、ずっと多くのお金を慈善に出しているからなのだよ。
 『瓜の種は、より大きな果実になる。』ということわざがあるように、私は欲深い人々から与えられる食べ物は、何も食べることができないのだよ。
 これらの富は、このような方法で浪費される。『まず訴訟、次に盗みと強奪、3つ目は医師、4つ目は不道徳な子供たちによる放縦』――このような感じだ。

スレンドラ:私は時々、繰り返し母なる神の御名を唱えているのですが、 良い瞑想に入れません。
 ベッドに横になるときは繰り返し、彼女の御名を唱えて眠りにつくことにしています。

師:それで十分ではないか。おまえは彼女のことを覚えているではないか。」


 スレンドラはドッキネッショルにおいて、ラーマクリシュナの弟子の何人かが、師の指導に沿って霊的修行をしているのを見ていました。
 自然な流れで、彼はその輪の中に入り、同じようにしてみたいと欲するようになりました。
 彼は自分の計画を師に知らせた後、ある日、ドッキネッショルに寝具と私物を持って来て、二、三夜を過ごしました。
 しかしながら、彼の妻はこのことに大いに動揺しました。彼女は彼に、

「あなた、昼間はどこに行こうとも構わないけれども、夜は家から出ないようにしてちょうだい。」

と言いました。
 けれどもスレンドラの妻は、彼が夜ドッキネッショルで過ごすということを妨げることができませんでした。
 彼の心は神を求めて泣いていたのです。
 彼の体が家にあるときも、心はいつも師とともにあったのでした。
 ラーマクリシュナのような神の化身の弟子になることは、容易なことではありません。
 そのような偉大な師の教えは、弟子にとっては時に理解し難いこともあります。その教えは、時には愛によって、時には無関心によって、そして時には断固たる厳しさによってなされます。
 それらの師たちの生命は真理の中で確立し、真実を説き、神自身なのです。
 それゆえに彼らは、我らの一門は真理の中で揺らぐことはないと主張するのです。

 かつてスレンドラは師に、彼が行ってきた聖地巡礼について話しました。

スレンドラ:我々は休暇中にヴリンダーヴァンに行ってきました。
 訪問者達は絶えず金について悩まされていました。なぜなら聖職者達が、絶えず金を求めてくるのです。
 我々は彼らに、次の日カルカッタに発たねばなりませんと言いましたが、我々は逃げるようにして、その夜、カルカッタに帰りました。

師:なんだそれは? なんて恥知らずな奴なんだ! 次の日に帰るといいながらその日の夜に帰るなんて! まったく恥知らずだ!

スレンドラ:(当惑しながら)ここで我々は、世俗を離れて森の中で霊性の独居修行をしているババジ達(ヴィシュヌ派の聖者達)を見たのです。

師:おまえは彼らに何か差し上げたのか?

スレンドラ:いいえ、差し上げませんでした。

師:それは良くないことだよ。
 僧と神の信者達には何か施すべきだ。そのような人々と出会う時というのは、布施すべき時だという意味を持っているのだ。




 スレンドラは金持ちであり、貴族的でもあり、同時にとても傷つきやすい人物でした。
 Mは、師がスレンドラのエゴを彼の自宅で壊した、1881年のある日の出来事を、次のように描写しています。

「スレンドラは花輪を持って、師の首にかけようと近づきましたが、師はそれを持つと、わきに投げ捨てました。スレンドラのプライドはズタズタに傷つき、目から涙が溢れ出しました。
 彼は西のポーチに座っているラームとマノモハンその他の所に行きました。 そして悲しさで声を詰まらせながら、こう言いました。

『私は本当に腹が立っている。貧しいブラーフミンは、このようなものの価値が分かっているのだろうか。
 私はあの花輪に大金をはたいたのにも関わらず、師はお受け取りになることを拒否されたのだ。
 私は怒りを抑えきれず、信者たちに、『他の花輪が施される予定だったのだ』などと言ってしまいました。
 今それはすべて自分の過ちだったと気付きました。神は金では買うことができない。
 彼(神)は、虚栄心の強い人間には手に入れることはできないのだ。
 私は本当にうぬぼれていた。なぜ師のような偉大な方が、私のような者の崇拝を受けねばならないのか。
 私はこれもう以上、このように生きたくない!!』

 涙が頬を伝い、彼の胸を濡らしました。
 その頃、トライロキヤが部屋で賛歌を歌い始めました。
 師は至福に浸りながら、踊り始めました。そして師はさきほど投げ捨てた花輪をご自分の首にかけて、(スレンドラの)片手をつかみました。彼は体を揺らして歌い、踊りました。
 この時が、スレンドラの至福が解放された瞬間でした。師は彼の供物を受け入れて下さったのです。

 スレンドラは、

『神は間違いなく私のプライドを壊されたが、代わりに謙虚さと謙遜という宝物をくださった。』

と自分自身に言いました。

 キールタンが終わり、皆で師の周りに座って、楽しい会話を交わしました。
 師はスレンドラに『何か食べ物をくれないか』とおっしゃいました。
 そのとき師は、住居の中に入られました。そこで女性達が彼に挨拶をしました。
 食事の後、ラーマクリシュナはドッキネッショルに発ちました。」



 ある夜、スレンドラは、愛する師から冷たくされることに我慢がならなくなりました。
 彼はラーマクリシュナの所に行き、泣き始めました。
 彼は師の助けを求めて、教えに反する自分の過失をすべて告白しました。
 ラーマクリシュナは、スレンドラの後悔の涙により、彼の不純物が洗い流されたのをご覧になりました。

 師は彼を祝福し、

「母の祝福が、お前の人生に祝福をお与え下さるだろう。」

とおっしゃいました。

 ちょうど疾風が部屋の空気循環の悪さを取り除くように、神人の存在は、彼の心から世俗的な雰囲気を取り除いたのです。
 スレンドラは、師を家にお招きする機会がある度に、ラームの家の右隣にあるカンクルガシの彼のガーデンハウスにお招きするのでした。
 カルカッタにあるスレンドラの自宅は、ラーマクリシュナのお気に入りの場所の一つとなり、ここで信者たちと謁見したりするのでした。


 「ラーマクリシュナの福音」には、ラーマクリシュナがスレンドラのガーデンハウスを訪ねたときのことが、二つ記されています。
 1つは1883年12月26日と、もう1つは1884年7月15日です。
 最初の出来事は、ガーデンハウスで軽食を食べていた僧に出会った話です。
 もう1つの出来事は、スレンドラが多くの人が参加する祭を取り仕切ったときの話です。
 それは大きな行事でした。師は賛歌が歌われている間、何度も深いサマーディーに入られました。
 スレンドラはこのような方法で、他者に喜びを与えることが大好きでした。
 この日、師はこうおっしゃった。

「スレンドラは、今はなんという善い気質を持っていることか!
 彼はとても素直なのだよ。真実を話すことを恐れていない。
 彼は公平無私で、物惜しみしないのだ。
 彼のもとに助けを求めに行って、手ぶら帰る者は誰もいなかった。」


 普通の人間には、至高者の化身であるアヴァターラの言葉やしぐさ、振る舞いは到底理解できません。
 Mは祭の終盤で起きた出来事を、次のように描写していました。

 小休止の後、ラーマクリシュナはドッキネッショルに発つ準備をしておられました。
 師は、スレンドラの富について思索しておられました。
 彼はやさしく神の御名を唱えながら、別の部屋を訪ねました。
 突然、師は立ち上がり、

「そういえば食事の時に、私はルチ(揚げパン)を食べていなかった。ちょっとだけ持って来てくれないか。」

とおっしゃいました。
 師は、ほんの少しだけお召し上がりになり、

「私がルチを頼んだことには、多くの意味があるのだ。
 もし私がスレンドラの家で何も食べていないときは、必ず食べていないことを思い出さねばならず、それのために(スレンドラの家に)戻らねばならないのだよ。」

とおっしゃいました。

 これはアヴァターラである師が、信者たちとお遊び(リーラー)される方法の一例です。
 彼は磁石であり、信者たちは針なのです。


 スレンドラは師への奉仕者の一人だっただけではなく、彼の評判には多くの『一番目』がありました。
 1881年、スレンドラはドッキネッショルで、ラーマクリシュナの誕生祭を主催しました。
 最初の二年間は、彼は多額の費用を彼自身で賄いましたが、三年目からは、他の信者たちが彼と費用を分担して賄いました。
 1881年11月にカルカッタのスレンドラの自宅で、ナレンドラ(後のヴィヴェーカナンダ)とラーマクリシュナが初めて顔を合わせたのは、スレンドラを通じてでした。
 さらに、スレンドラがナレンドラを初めてドッキネッショルに連れていきました。またスレンドラはラーマクリシュナを油絵で初めて描いた人物でした。
 その絵の中で、ラーマクリシュナはケシャブ・センに、キリスト教、イスラム教、仏教、ヒンドゥー教の調和をご指摘されていました。
 ケシャブはその絵を見て言いました。

「このアイデアを具現化した人に祝福あれ!」

 ラーマクリシュナはまた、この絵を見て、

「そう! これは『すべて』を包合している。これは現代の理想である。」

と述べられました。

 1881年12月10日、スレンドラは師を、カルカッタのベンガル人写真家ラーダーバザールのフォトスタジオに連れて行きました。
 ラーマクリシュナは写真機器に興味を示されました。
 写真家は師に自分の技術について説明し、硝酸銀で覆われていたガラスが、どのようにして画像を撮るのかを見せました。
 その後、師は、もし人の帰依心が汚されてしまった時、どのようにして神の印象を保持するのかを説明するために、この写真の例証を引用されました。
 彼らがそこにいた間、スレンドラは写真家に師の写真を撮らせました。
 ラーマクリシュナは写真を撮られていると、サマーディにお入りになられました。
 このスタジオで撮られた肖像画は、師の存命中に撮られた三枚の写真の内の二番目のものでした。
 1885年9月、ラーマクリシュナは癌の治療のために、ドッキネッショルからカルカッタのシャーンプクルに居を移されました。
 スレンドラは毎年祝賀祭を催していましたが、いくつもの不幸が生じたために続けられなったので、自宅で母なるドゥルガーを崇拝してよいとの許可を師から得ました。
 彼の兄弟達は、自宅でドゥルガーの礼拝を催すことの迷信について不安がりましたが、スレンドラは、それを行い続けることを決心しました。ただ一つの落胆は、師が病のために来られることができなかったことです。
 しかし、サンディプージャー(崇拝の期間の間の吉祥な第二、第三日のこと)の時に、師がご自分の部屋で、信者たち、医者のサルカール氏の面前で、深いサマーディに入られました。
 師は、約1時間半後に通常意識に戻って来られました。

「光り輝く小道が、ここからスレンドラの家まで広がるビジョンを見た。
 スレンドラの信仰によって、母がそこの像の中に顕現し、ご自身の第三の目で神の光を放射されたのだ。
 普通の灯明が彼女の前で燃えて、庭で座っていたスレンドラは悲痛な面持ちで、『母よ!母よ!』と呼びかけながら泣き続けていたのだよ。
 おまえたち、皆ですぐに彼(スレンドラ)の家に行っておあげ。
 おまえたちと会うことで、彼の心が安らぐだろう。」

 師のお言葉に従い、ナレンドラその他の信者たちはスレンドラの家に行きました。
 驚くべきことに、そこで起きていた出来事の詳細が、師がご覧になられたヴィジョンと一致していたことが分かったのです。



 ラーマクリシュナの容態が徐々に悪化していき、担当医は信者達に、カルカッタは空気が悪く、師のお体に障るので郊外に引越したほうが良いと忠告しました。
 コシポルにガーデンハウスという物件が見つかったのですが、そこは月の家賃が八十ルピーと、当時としてはかなり高額でした。
 ラーマクリシュナは、このことをお聞きになってスレンドラを呼び、おっしゃいました。

「スレンドラよ、見なさい!
 信者達のほとんどが、大勢の家族を養っていたり、働いていても給料が安いというような者達ばかりだ。
 このような者達がどうやって、ガーデンハウスの高い家賃を工面できるというのだね。
 お前が家賃の全てをまかなってくれないか。」

と。

 スレンドラは師のお言葉に喜んで同意しました。
 その他にも彼は、時折必要になる物や、師の部屋の日光や温度を調節したりするブラインドのようなものを買うためのお金を布施したのでした。
 スレンドラは今や、全く別人になっていました。

 Mは、スレンドラの帰依と、神への心酔について、何回か手記に描写していました。

「それは晩の8時頃だった。ラーマクリシュナはベッドの上に座っておられた。
 2、3の信者達が、師の正面で床に座っていた。
 スレンドラは職場から着いたところだった。彼の手にはオレンジが四つと、花輪が二つがあった。
 彼は、師と他の信者達を見ていた。
 彼は、師の心の重荷を下ろしたのだった。
 スレンドラは、Mと他の信者達を見て言った。

『私は、自分の事務仕事が終わればここに来ます。
 近頃思うのですが、二隻の船の上に同時に立つ利点は何でしょうか。
 私は自分の義務を最初に優先し、ここに来るようにしています。
 今日は年の初めで、そしてまた火曜日で、母なる神を礼拝するには吉祥な日です。しかし私はカーリーガートには行きませんでした。』

 私は自分自身に言った。

『カーリーを真に理解され、カーリーと一体である師とお会いできるだけで十分です。』

 ラーマクリシュナは微笑まれた。

スレンドラ『ある方が、グルや聖者のもとへ伺う時は、果物と花を持っていくべきだとおっしゃいました。
 だから私はこれらを(師のために)持って来たのです。
 神のみが、私の心をご存知なのです。
 ある人々の中には、1ペニー使うことさえ惜しいと感じる人もおり、他の人の中には、何千ルピー使おうともなんの躊躇もない人もいます。
 神は信者の内なる敬愛を見、そして(敬愛者の)布施を喜んで受け入れられます。』

 ラーマクリシュナはスレンドラに、それは正しいと、うなずかれた。

スレンドラ『私は先日、ここへ来ることができませんでした。年度末で、職場を抜けられなかったからです。
 でも私は、師の写真の周りに花を飾りました。』

 ラーマクリシュナはMにサインでおっしゃった。

『素晴らしい献身だ!』

と。」




1886年4月17日 Mの記述から

「それは夜の9時頃だった。
 スレンドラと他の2、3人の信者がラーマクリシュナの部屋に入り、花輪を差し上げた。
 ラーマクリシュナは、スレンドラの花輪を首にまかれた。
 全員が黙ってそこに座っていた。
 師が突然、スレンドラに、側に来るように合図された。
 弟子がベッドの近くに来た時、ラーマクリシュナは自身の首から花輪をお取りになり、スレンドラの近くにそれをお置きになった。
 スレンドラは師に礼拝した。
 ラーマクリシュナは彼に足をこすり合わせるしぐさによって、彼に尋ねられた。そしてスレンドラにそれらに対し、やさしい言葉を差し上げた。
 何人かの信者が、花壇の貯水池の岸で、シンバルやドラムの伴奏で歌っていた。
 音楽が終わった。スレンドラは、至福の境地の中にあった。」
 ラーマクリシュナは1886年8月16日に、コシポルのガーデンハウスでこの世を去りました。
 ラーマクリシュナの死後、ガーデンハウスは解約されたので、そこに寝泊まりしていた何人かの若い弟子達は行き場がなくなり、自分達の望みとは裏腹に、家に帰らなければなりませんでした。
 彼らはまるで、親を失った孤児のようでした。

 9月初旬のある夜、スレンドラが自宅の礼拝所で瞑想していると、ラーマクリシュナが現れ、彼にこうおっしゃいました。

「お前はここで何をしているのかね? 私の子供達が行き場を無くして彷徨っているというのに。
 他の何よりもまず、そのことに対処しなさい!」

 スレンドラは急いでヴィヴェーカーナンダの家に行き、そこにいた何人かの若い法友たちに言いました。

「兄弟たちよ! どこに行きたいのだね?
 我らの家を借りようではないか。
 あなたたちはそこに住み、師の礼拝所を作ってください。
 在家信者の我々は、そこへ師を礼拝しに行きます。
 いかにして私たちは、妻と子供たちと共に、昼も夜も俗世で過ごすことができましょうか?
 私はコシポルで、師のために多額のお金を使いました。
 私は喜んで今、あなた方に、(住むための家の)費用を差し上げたいと思います。」


 その後、バンガロールのガンガーのほとりに、月家賃11ルピーの家が借りられました。
 スレンドラは家賃や食べ物、その他日用品を、ラーマクリシュナの若い出家修行者達のために布施しました。
 Mは「福音」の中でこのように記述しています。

「スレンドラは実に祝福された魂である。ラーマクリシュナの名に関した偉大な『使命』の基礎を築いたのは彼である。
 彼の献身と自己犠牲は、熱心な求道者達が現世を捨てて、神を具現化することを可能にしたのである。 」


 しかしながらスレンドラは、(師が亡くなってから)長くは生きませんでした。
 彼は1890年5月25日、40歳で亡くなりました。
 彼が深刻な病に冒されたとき、アドブターナンダとラーマクリシュナーナンダは、彼に会いに行きました。
 そのときにスレンドラは、師の礼拝所を建設するように、彼らに500ルピー布施しようとしましたが、 ラーマクリシュナーナンダは彼に言いました。

「あなたの健康が良くなるまで待とうではないか。その後にこのことについて話をしよう」

と。

 スレンドラの容態は良くなることはありませんでしたが、死の直前、彼はガンガーの近くの修道所建設のためにと、1000ルピーを布施しました。
 僧院の弟子たちはスレンドラの偉大な愛に報いるために、何か特別な時がきたらこのお金を使うことにしようと、このお金を使わずにおくことを決めました。
 そしてベルル・マト建設の際、このお金は、衆生の幸福のため、そしてラーマクリシュナの像が置かれた礼拝所の床に使うための大理石購入の資金に充てられました。

ログインすると、みんなのコメントがもっと見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

聖者の生涯&言葉&聖者について 更新情報

聖者の生涯&言葉&聖者についてのメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング