ギリシュは35歳頃から脚本家として活動しました。その並外れた能力は、その後30年の間に、演劇や風刺、ミュージカルなどを含めて79本もの作品を生み出し、他にも多くのショートストーリーや記事、詩、歌を作りました。
ギリシュの脚本は宗教や社会、歴史や神話をテーマに描かれました。その革新的な精神はベンガル演劇界で長期に渡り影響を及ぼし、ベンガル演劇界の父のような存在として知られていました。
ギリシュは脚本の中で、重苦しさや不自然さを避けるために、伝統的な美辞麗句は使わず、不規則な無韻詩を台詞の中に加えました。のちにこれはギリシュのチャンダ(ギリシュスタイルの韻)として知られるようになりました。
ギリシュの脚本に出てくる台詞は、自然で力強く詩的な話し言葉でした。ギリシュは、動作や相互作用は舞台に躍動したエネルギーを作り出し、その精神が台詞をもたらすのだと感じていました。
ギリシュの頭脳は並外れていて回転が非常に速く、次々に浮かぶ言葉を書き留めるための書記官が必要になりました。ギリシュは絶え間なく溢れ出るアイデアの中に浸り、まるで登場人物を彼自身が演じているかのように部屋中を行き来して、その台詞を筆記させていました。書記官は羽ペンをインク壷につけて書く暇が無かったため、3本の鉛筆を常時していました。あるとき書記官はギリシュの速さについていけず台詞を聞き直すと、ギリシュは、雰囲気を壊さないようにと怒り、聞き漏れた箇所は自分で修正するから印をつけておいてくれ、と言いました。
ギリシュの執筆の才能については多くの逸話があります。彼は一つの戯曲を2〜3日で書き上げたといいます。『シーターの追放』やサダヴァル・エーカダシーへの26の歌は一晩で作られました。シスター・デーヴァーマーターは『Days in an Indian Monastery』の中で、「ギリシュは素晴らしい作品の一つである六幕の劇の『聖者ヴィルワマンガル』を28時間休みなしで仕上げました」と言っています。スワミ・サスボーダーナンダは、「ギリシュが3つの別々の脚本を、3人の書記官に同時に口述筆記させていたことがある。」と話しています。ある夜の日は、ギリシュはバンキン・チャンドラ・チョトパッダーエの有名なフィクション『カパルクンダラ』を4人の書記官に口述していました。