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聖者の生涯&言葉&聖者についてコミュの聖者の生涯「ギリシュ・チャンドラ・ゴーシュ」

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コメント(29)

(1)



ギリシュ・チャンドラ・ゴーシュの生涯



 私たちのような一般人にとって、偉大な聖者たちの活動の意図をはかることは、不可能であることがしばしばあります。
 人は自分の精神的キャパシティの中で判断し、時には偉人たちの行動の背景にある動機を理解しようとせずに批判することもあります。
 ブッダの伝記の中には、お釈迦様がヴェーサーリーの権力者たちからの晩餐の招待を断り、アンバパーリーという娼婦からの招待を受けたことに、権力者たちが失望したという記述があります。
 イエス・キリストの弟子たちは、イエスが社会的に軽蔑されていたサジタリアンの女性と話すのを見て驚き、シモンは、ある不道徳な女性がイエスの足に聖油を塗ることをなぜ彼が許可したのかと理解に苦しみました。
 同じように、シュリ・ラーマクリシュナは売春婦や酔っ払いたちに「道徳的嫌悪」を示していないとして非難を浴びました。
 しかし偉大な魂は、罪人たちさえ高徳な人々と同様に愛するという特徴を持ちます。
 実際に、ちょうど母親が五体満足の子よりも障害を持つ子に対してより多くの愛情を注ぐように、偉大な聖者も、自分勝手で聞き分けのない神の子供達に対してより多くの慈悲の念を抱くのです。
 結局のところ、善人が良いことをしてどれほどの栄光がそこにあるのでしょうか?
 仏陀やキリスト、ラーマクリシュナといった神人たちは、堕落者や虐げられている人々、貧困者に特別な愛情を注ぎ、彼らを素晴らしい意識状態に引き上げました。彼らは罪人を聖者に変えました。

 ギリシュ・チャンドラ・ゴーシュは、シュリー・ラーマクリシュナの救済の力によって引き上げられた蝶でした。
 ギリシュはそれまで向こう見ずで快楽的な生活を送っていました。自らを放蕩者と主張し、向こう見ずで神に対して反抗的でしたが、それでも彼は強い性格で寛大な心を持つ男でした。
 1884年12月14日に行われたシュリー・ラーマクリシュナとのある会談は、ギリシュの人生に訪れた転機をよく表しています。

師「母なる神へ信仰を持ちなさい。そうすればお前はすべてを達成できるよ。」

ギリシュ「しかし、私は罪人です。」

師「罪を絶えず繰り返して言う哀れな人が、罪人になるのだよ。」

ギリシュ「師よ、私が座るこの地面は不浄になってしまうのです。」

師「どうしてそんなことを言うんだい? たとえ千年のあいだ暗闇に包まれていた部屋であっても、明かりが灯されれば闇は一瞬で消えるだろう?」

 少し間をおいてギリシュはたずねました。

「私はどうすればよいのか、教えてください。」

師「神にお前の代理人の権限を渡しなさい。そして彼に好きなようにしていただきなさい。」
(2)


 ギリシュの生涯はとても興味深く、それは希望のない者に希望の光を与え、不実なものには誠実さを、探求者には神のインスピレーションを与えてくれます。
 ギリシュは1844年2月28日、カルカッタで信心深い両親の元に生まれ、のびのびと陽気に成長しました。彼は父親から鋭い知性と人生への実際的アプローチを受け継ぎ、母親からは文学を愛する心と神への献身を学びました。しかしギリシュをインドの叙事詩と神話の豊かな遺産に導いたのは、彼の祖母でした。夕刻になるとギリシュは祖母の語りをうっとりとした様子で注意深く聞いたのでした。ある時、祖母はヴリンダーバンからのクリシュナの出発のエピソード(バーガヴァタで最も感動的な場面のひとつ)を話してくれました。

『クリシュナのいとこのアクルーラが、クリシュナをマトゥラーに連れていくためにヴリンダーバンにやってきた時、ゴーピー達は絶望でいっぱいになりました。クリシュナが二輪馬車に乗ると、牛飼いの男の子達は「おおクリシュナ、どうか行かないで!」と泣きながら懇願し、牛飼いの女の子たちは馬車のタイヤや手綱にしがみついたりしました。それでもアクルーラは構わずにクリシュナを連れて去っていきました。こうしてクリシュナと牛飼い達の楽しい日々は終わりました。』

 ギリシュは熱心にその話を聞いていましたが、最後は目に涙をいっぱいに溜めて、「クリシュナはそのあとヴリンダーバンに戻ったの?」と同じ質問を3回繰り返し、祖母はそのたびに「いいえ」と答えました。そのあとギリシュはわっと泣き出して走ってどこかへ行ってしまいました。そしてそれからの数日間、彼は祖母の語りを聞きたがりませんでした。

 ギリシュの母親は、彼が11歳のときにこの世を去りました。ギリシュの父親は非常に優しく寛大ではありましたが、彼は息子に、一人前になって神のみに依存することを願っていました。
 ある日、ギリシュは父親と一緒に、船でカルカッタからガンガーを数マイル上ったところにあるナバドイープというシュリー・チャイタニヤの生誕地を訪れました。しかし道の途中で、船が突然逆流に飲み込まれ、沈没しそうになりました。ギリシュはぎゅっと父親の手にしがみついていました。その後、幸いボートは安全に操縦され、無事に岸に到着しました。しかし父親はギリシュに、
「なぜ私の手をつかんだんだ? 私は自分の命のほうが大切なんだよ。船が沈み始めたら、お前を見捨てて手を振り払っていただろうね」
と言いました。
 後年、ギリシュはこの事件について、
「父の容赦のないこの言葉に、私はすごく傷ついた。しかしこれによって、万事において頼れるのは神のみだ、ということを学んだのだ」
と言いました。
 母親の死から3年後、この父親も亡くなりました。
(3)

 ギリシュは少年時代から貪欲な読書家であり、自由な思想家でした。父親の許可を得て、彼はある学校に入学しましたが、そこの規則に抑圧的なものを感じ、またその教授法は知識に対する彼の渇望を満たしませんでした。
 父親の死後から1年経ったころ、ギリシュは結婚しました。そして単位を取得しないまま学校を退学しました。

 ギリシュはインドの歴史の変革期に生まれました。特にカルカッタでは、西洋の教育と文化がインド社会に押しつけられ、伝統的なインド文化と宗教は在り方を問われるようになり、ギリシュと同世代の若者は疑念や無神論、文化的カオスの中で成長しました。成熟する段階で、ギリシュは酩酊、放蕩、気ままさと強情さにはまっていきました。 
 地元の不良グループのリーダーとなったギリシュは、数年後には地域の脅威となり、時々ヒンドゥー教の神や女神の肖像さえ冒涜しました。しかしそのひねくれた振る舞いの一方で、資金を集めて貧困者へ食料と医薬を配ったり、地元で亡くなった者の火葬の手配をしていました。また、ホメオパシーの医療方法を学び、人々に治療を施し助けていました。

 彼はよく、家のドアの小さな穴を通して、道行く人々を観察していました。ある日の午後、ギリシュは修行僧の装いをした偽善的な占星術師が、近所のある家の主人が仕事で不在の間に、その妻についての情報をそこで働く女中から嗅ぎまわり、占い師としてその家を訪ねるのを観察していました。単純で好奇心の強い女性は占い師に手相を見てもらおうとしていましたが、ギリシュはそれを見逃すことができず、彼は中庭の花木の枝をつかんでへし折り、走っていって占い師を攻撃しました。そしてそのエセ占星術師が地域外に逃げるまで追いかけ続けました。

 ギリシュはどこの学校にも在学していませんでしたが、学問の研究を投げ出すことはなく、やがてアジア協会とほかのカルカッタの有名な図書館の会員になりました。ラーマーヤナやマハーバーラタ、プラーナそしてベンガル文学など幅広く読み、徐々に歴史や論理、哲学、生物学、英文学に精通するようになりました。ギリシュはまた科学と医学も学びました。中身のないうわべだけの情報にとらわれない物事に対する深い洞察力と鋭い人間観察力は、その後に自然体の詩人・劇作家としての彼を形成していきました。
 ある日、のちにカルカッタ高等裁判所の裁判官となったギリシュのある友人が、「シェイクスピアの“マクベス”の中にある魔女の会話をベンガル語に訳すなんて不可能だ」と言いました。それを聞いてすぐにギリシュはマクベスの全篇を翻訳することに決めました。難題に挑戦したり、するなと言われたことをやってしまうのが彼の性質でした。例えばもし誰かが「幽霊が出るからあの場所には行くな」と言えば、彼はそこへ飛んでいくでしょう。ギリシュは恐れを知らず独立していて、自分の強さを誇りに感じていました。誰も彼に命令をして仕事を始めさせたり、圧力や脅しで仕事をクビにするなどということはできませんでした。
 彼はよく、「獣はムチで飼い慣らせるが、人間は不可能だ」と言っていました。
『どうして楽しめない仕事をする必要があるのか? 自分が導いた結論を信じているなら、なぜ誰かの批判を気にしなくてはいけないのか?』
というのが彼の姿勢でした。しかし一方でギリシュの無謀さと放蕩は続いたため、彼の義父は見かねて、ギリシュに自分の事務所で経理の仕事を任せることにしました。そこで働くあいだにマクベスの翻訳はおこなわれましたが、病気の妻の看病でギリシュが休職しているあいだに事務所が倒産し、その時に原稿も失われてしまいました。その後、再び翻訳されたマクベスは、カルカッタのミネルヴァ劇場で上演されました。
 ギリシュはその後15年間、色々な企業の様々な地位や立場で働き、また不屈の努力で舞台に次第に傾倒していきました。日中はオフィスで働いて、夜は芝居のために劇場へ行き、帰宅は明け方4時頃というのが彼の習慣になっていました。
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 ギリシュは幼少期に母親を亡くし、青春時代に父親、成人してまもなく妻を亡くすという、実に不運な人でした。1874年、ギリシュがちょうど30歳の頃、彼の妻は息子と娘を残して死にました。その後まもなくして仕事も失い、絶望の厚い暗雲が彼の頭上に立ち込めました。

 ギリシュは再び放浪し始め、悲しみを忘れるためにアルコールに頼ろうとしました。しかし同時に彼の鬱積した感情は、鋭い詩的作品集に抜け道を見つけました。
 中央インドのバガルプルに仕事で短期滞在していたある日、ギリシュは数人の友人と散策へ出かけ、騒ぎまわってある谷へ飛び込みました。しかしそこは深く、ギリシュは這い出ることができず、友人たちも彼を助けることができませんでした。友人は「深刻な事態に陥ってしまった。君は無神論者だが、運命は神のみぞ知る!」と言いました。 
 その時ギリシュは、心から神に祈っている自分に気が付きました。すると不思議なことが起こりました。峡谷への出口が見つかり、無事に脱出することができたのでした。
 ギリシュは友人に、
「今日わたしは恐怖を感じて神を呼んだ。次にまた彼を呼ぶことがあるとすれば、それは愛の心からだ。それ以外には、命を失おうとも、今後彼を呼んだりしない」
と言いました。

 ギリシュはカルカッタに戻ったあと、再婚して別の仕事に就きました。彼の上司はベルを鳴らして従業員を呼びつけるイギリス人でした。あるときギリシュはベルで呼ばれましたが応じませんでした。係員がやってきて、ベルの音が聞こえなかったかと聞きました。ギリシュは「いいえ、聞こえませんでした」と短く答え、作業を続けました。上司は報告を聞いて、怒ってギリシュに詰め寄りました。
 「私にはベルの音は聞こえませんでした」ギリシュは答えました。「もし聞こえていたとしても、ベルが私を呼んでいるなんてどうして分かるのでしょうか? ベルは“ギリシュ、ギリシュ”とは言わないでしょう?」
 さらに、真面目な顔をして言いました。
「いいですか、今まで私は一人の紳士としてあなたにお話していましたが、はっきり言います。私はあなたの召使いでも運搬人でもないし、ベルの音で立ったり座ったりすることに慣れていません。部下が上司にベルで呼び出されることにも屈辱を感じます。そのように感じる従業員が働く会社の評判は下がるでしょう。」
 事情を知った会社の社長は、ギリシュの味方をしました。イギリス人上司はギリシュに謝罪し、最後は親しい友人同士になりました。

 再婚して半年経った頃、ギリシュは悪性のコレラにかかり、担当医は回復の見込みは絶望的と判断しました。親戚が泣きながら見守る中、ギリシュはベッドに横たわり、朦朧とした意識の中で、赤い縁の布をまとったまばゆい女性の姿を見ました。慈悲と愛に満ち溢れた顔をしたその女性はギリシュのそばに座り、「このプラサードをお食べなさい。」と言って、彼の口に何かを入れました。
 その後、ギリシュはゆっくりと意識を取り戻し、たちまち彼の体は回復し始めました。のちにギリシュは、この不思議なヴィジョンについて兄弟弟子にこのように述べています。

“この出来事から6年後(1891年)、ジャイラーンバティで初めてホーリーマザーにお会いした時、私は驚きと喜びに包まれた。神聖なプラサードを与えて命を救ってくれたのは、他ならぬマザーご自身だったのだ。”
(5)


 病気や最愛の者の死、事故や計り知れない苦しみは、常に人生の転機となります。
 ギリシュはこれらすべてを経験し、また無神論者を自ら主張していたにも関わらず、実際にはより重要な真実が存在するのかもしれないと考え始めていました。

 彼は回顧録にこう記しています。

“このような難局で私は思ったのだ。「神は存在するのか? 彼は人々の祈りを聞いているのか? 彼は闇から光への道を示しているのか?」
 ・・・私は「その通りだ」と思った。そしてすぐ目を閉じて祈った。
「おお神よ、私をお受け取りください。お守りください。私には何もありません。」 
 私はギーターの言葉を思い出していた。
『苦悩の時のみ私の名を呼ぶ人たちにも、私は救いの手を差し伸べ保護する』
 この言葉が心に深く染み込み、悲嘆に暮れる私を慰めた。
 ギーターの言葉は真実だった。太陽が夜の闇を取り除くように、希望の太陽は私に重く圧し掛かっていた憂いを一掃した。トラブルの海の中で安息の港を発見したのだ。
 しかし私は長い間、「神などいない」と主張してきた。ふくらんだ疑念の残骸はいったいどこへ行くのだろうか? 私は物事の因果関係を論理的に分析していき、葛藤を和らげた。だが完全に取り除くのは難しく、私は再び疑い始めた。そんな中でも「神は存在しない」とはっきり言う度胸はなかった。“

“真実を知りたい欲求が沸き起こってきた。様々な出来事の中に、時々は信が、またある時には疑念が浮かび上がってきた。私の悩みについて私が話した人たちは、『グルの導きなしでは疑いが晴れることはなく、霊的生活において何も達成することはできない』と、皆同じ意見だった。しかし私の思考は、生身の人間をグルとして見ることを許さなかった。『グルはブラフマー、グルはヴィシュヌ、グルはシヴァ大神、神の神』 等々の言葉をもってグルに敬礼しなければいけないというのも、理由の一つだった。それは私にとって偽善行為だった。
 だが、疑念のすさまじい暴虐は、徹底的に私の心を醜く突き刺した。もし、ある男が突然誰かに両目を塞がれ、真っ暗な独房に食料もなしで閉じ込められたとしたら、男はどんな心理状態に陥るだろうか? もしあなたがその精神状態を想像できるなら、私のそれも理解してもらえるだろう。ただ固唾を飲んで見守るだけの時間だった。絶望的思考がノコギリのように私を引き裂いた。
 ある時は、過去の記憶が甦り、心の闇は果てしなく広がった。“

 ギリシュは「インディアンミラー」という本の中で、シュリー・ラーマクリシュナについての記述を読みました。また有名人のケシャブ・チャンドラ・センとブラフモ・サマージの信奉者たちがどのようにしてシュリー・ラーマクリシュナから影響を受けたかについて知り、ギリシュはこのドッキネッショルの神がかった男性について興味を持つようになりました。
 1877年、カルカッタのディナナート・ボースの家で、ギリシュは初めてシュリー・ラーマクリシュナに会いました。彼はラーマクリシュナと会った初期の頃の事を回顧録に残しており、最初の出会いを次のように記しています。

“夕暮れ時だった。明かりが灯されて、それはシュリー・ラーマクリシュナの前に置かれていた。しかし彼は 「今は夜なのかな? 今は夜なのかな?」と何度も繰り返していた。私は「何てことだ! 外は薄暗くて明かりが彼の目の前にあるというのに、今が夜かどうか分からないなんて!」と思い、うんざりしてそこを離れた。“

 数年が経過し、ギリシュがシュリ・ラーマクリシュナに二度目に会ったのはバララーム・ボースの家でした。大勢の人が師に会うために招待されており、ビドゥーという踊り子の少女が、賛歌を歌うためにシュリー・ラーマクリシュナの横に座っていました。ギリシュはシュリー・ラーマクリシュナが招待客と話すところや、人々が彼に向かって礼拝している姿を観察していました。

“私の古い友人が師を指差して、「ビドゥーは彼と性急に親密になったに違いない! だから彼はあんなふうにあの少女と笑い合い、冗談を言ってるんだろう」と皮肉を言った。私は彼の嫌味が好きではなかった。ちょうどその時、『アムリタ・バザール・パトリカ』の編集者としてよく知られているシシャ・クマール・ゴーシュが到着した。友人はラーマクリシュナをあまり尊敬していないようだった。私はもう少しその場に居たかったが、「もう行こう。もうたくさんだ!」と彼がしつこく言うので、その日は帰った。“
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 1884年8月、ギリシュが手がけた戯曲『チャイタニヤの生涯』がカルカッタで大評判となりました。シュリー・ラーマクリシュナは演劇を見たいと言いましたが、一部の信者達は不道徳な女性達が出演していることを理由に反対しました。その当時、劇場の芝居は身分の高い女性達の仕事ではありませんでした。しかしシュリー・ラーマクリシュナは信者達にこのように話しました。

「私は彼女達を至福の女神そのものと見るよ。もし彼女達の一人がチャイタニヤを演じたらどうなるだろう? 偽物のカスタードアップルでも、本物を思い出すことができるんだよ。」

 ギリシュは回顧録にこのように書いています。

“1884年9月21日、私の戯曲『チャイタニヤの生涯』はスター劇場で上映されるところだった。劇場の外庭でぶらぶら歩いていると、シュリー・ラーマクリシュナの信者のマヘンドラナート・ムコパディヤイがやってきて言った。
「シュリー・ラーマクリシュナが演劇を見に来ていますよ。もし師に入場無料券をくださるなら良いですね。そうでなければ、私たちでチケットを購入します。」
 私は、「彼がチケットを購入する必要はないが、他の人たちは買ってください」と言って彼を迎え入れた。
 シュリー・ラーマクリシュナが馬車から降り、劇場の庭園に入ってくるのが見えた。私は彼に挨拶したかった。だが、私がそうする前に彼が私に会釈をしたので、私は会釈を返した。すると彼はまた私に会釈をした。私がまた頭を下げておじぎをすると、彼もまた同じように私に返した。永遠に続くのではないかと思われたので、最後は心の中で歓迎しながら、彼を二階のボックス席に案内した。付き人が彼を扇げるように手配した後、私は具合が悪くなったので家に帰った。“

 ギリシュがシュリー・ラーマクリシュナに会ったのは、この時が3度目でした。

 上演のあと、信者がシュリー・ラーマクリシュナに感想を聞きました。彼は笑顔で「本物とまるで同じように再現されていたよ」と答えました。このとき、チャイタニヤを演じていたビノディニの頭に触れて祝福し、「輝いていなさい」と言いました。

 このビノディニは自叙伝に、こう記しています。

“世界中の人々が、私の罪深い人生をどれほど軽蔑しようと気にしない。私はシュリー・ラーマクリシュナから祝福を受けたのだ。彼の愛、希望溢れるメッセージは、今なお私を勇気付けてくれる。ひどく落ち込んだ時は、甘く哀れみ深い彼のお顔が心に浮かび、「ハリグル・グルハリ(神は私のグル、私のグルは神)と唱えなさい」という言葉が聞こえるのだ。”
(7)


 見事な脚本を書いたギリシュをベンガル中の人々が称賛しました。また、正統派のヴァイシュナヴァ(ヴィシュヌ派の一派)までもが舞台を見にやってきました。――それまでは劇場は昔からの風習で不道徳な場所とされていたのですが。
 ヴァイシュナヴァの何人かはギリシュの自宅まで訪れました。ギリシュは感情的なヴァイシュナヴァの相手は日中はあまりしませんでしたが、夜は遅くまでもてなしました。しかしついにお世辞やおだてに疲れ果て、彼らを追い払うために計画を立てました。彼らの前でわざとワインを飲んだのです。
 ボトルのワインをグラスに注いで飲んでいるギリシュを見た敬虔なヴァイシュナヴァが、「ご病気ですか? 薬を飲まれているのですか?」と聞きました。「いえ、これはワインです」とギリシュが答えると、舞台で表現される理想とギリシュの実際の人生が違うことに気づいたヴァイシュナヴァ達は去っていきました。ギリシュはニヤリとしてこう思いました。
「俺はギリシュ・ゴーシュだ。何をも恐れないし恥じない。なぜ誰かの意見を気にしなきゃならないんだ?」


 このようなギリシュが、シュリー・ラーマクリシュナの崇高な神々しい魅力に気づいたのは、4度目に会った時でした。

“私は交差点沿いにある友達の家のベランダに座っていた。シュリー・ラーマクリシュナがナーラーヤンと数名の信者に付き添われてゆっくりと近づいてくるのが見えた。私の目が彼をとらえるや否や、向こうからすぐに挨拶をしてきたので、私も挨拶を返した。
 彼はこちらに向かってきた。言葉では説明できない、目に見えない糸のようなもので、私の心は彼に引き寄せられていったのだった。彼がだいぶ近づいてきたとき、彼を追いかけたいという衝動に襲われた。この世のものとは思えない引力に魅了されて、私は落ち着きを失った。それはまったく予想だにしていない感覚で、言葉では表現できない独特のものだった。ちょうどそのとき使者が来て、「シュリー・ラーマクリシュナが呼ばれています」と伝えに来たので、私は彼のところへ行った。”

 このときシュリー・ラーマクリシュナは、バララーム・ボースの家へ行く道の途中でした。ギリシュもそこへ一緒に行くことになりました。

“バララームとの少しの会話のあと、シュリー・ラーマクリシュナは突然大声で「私は大丈夫だ、大丈夫だ!」と叫んで、とても奇妙に見える意識状態に入っていった。そのあと彼は、「違う、違う、わざとやっているんじゃないんだよ」と言った。ラーマクリシュナはしばらくその状態に留まったあと、普通の様子に戻った。
 「グルとはなんですか?」と私は彼に聞いた。彼は「グルがなにかを知っているかね? 彼は仲人のようなものだよ。仲人は花嫁と花婿のめぐり合わせをアレンジする。同様にグルはそれぞれの魂と最愛の神とを引き合わせてくれるのだよ。」
 彼は続けて言った。
 「心配することはないよ。お前のグルはもうすでに選ばれているよ。」
 私は「マントラとはなんですか?」と聞いた。
 「神の御名だよ」と彼は答えた。”

“その後、話は劇場のことになった。
師「私はお前の演劇をとても気に入ったよ。智慧の太陽がお前の上で輝いている。すべての心の染みが洗い流されようとしているよ。信仰が溢れんばかりの喜びと平安をもってお前の人生を清めてくれるだろう。」
 私はそんな性質のかけらもない人間で、脚本は金のためだけに書いていると言った。シュリー・ラーマクリシュナはしばらく沈黙してこう言った。
「お前の劇場に連れて行ってくれるかね?他の戯曲も見せておくれ。」
 私は答えた。
「もちろんです。いつでもあなたのお好きな時に。」
 彼は「では手数料を払わなければいけないね」と言うので、「8アンナでどうでしょうか」と私は言った。シュリー・ラーマクリシュナは「それだと座席はバルコニーだね。あそこはとても騒がしい」と言った。私は「いいえ、そこには案内致しません。前回と同じボックス席はいかがでしょうか」と言った。彼は「ではお前は入場料を1ルピーとらなければいけないよ」と言ったので、私は「お好きなように」と言った。“
(8)


 ギリシュはプライドが高く、誰かに頭を下げるという習慣を嫌っていましたが、シュリー・ラーマクリシュナの影響で、彼の傲慢さや横柄さ、無礼さは次第に和らいでいきました。
 彼は五度目に師に会ったときの思いを、このように表現しています。

“劇場の着替え室で座っていると、一人の信者が慌てた様子で心配そうに私のところに来た。彼は「シュリー・ラーマクリシュナが到着されて馬車の中にいらっしゃいます」と言うので、「そうですか。彼をボックス席にお連れしてください」と私は答えた。だがその信者は「ご自身で彼をお出迎えされないのですか?」と言った。若干の苛立たしさを感じて、「そうしなければいけない特別な理由でもあるのですか? 彼はご自分でここに来ることはできないのですか?」と言った。
 結局、私は彼を迎えに行ったが、馬車から降りてくるシュリー・ラーマクリシュナの、非常に穏やかで光り輝く顔を見て、私の硬くなっていた心は溶解した。私は恥ずかしくなり、自分を責めた。その時の気まずさは今でも甦ってくる。この寛大で甘くお優しい方の出迎えを拒むなんて! 
 そのあと、私は彼を上階へ案内して、彼の御足に触れて挨拶をした。今でも理解できないのだが、その瞬間に急激な変化が起きたのだ。私は完全に違う男になって、彼に一輪のバラを差し出していた。彼はそれを一度受け取って、再び私に返し、こう言った。
「神か高貴な男だけが花を受け取れるんだよ。私はこれで何をするべきだろうか。」”

 ギリシュはシュリー・ラーマクリシュナと数名の信者を、スター劇場のホールに連れていきました。

師「ああ、お前は良い戯曲を作ったね!」

ギリシュ「しかし、私はほんの少ししか理解しておりません。ただ書いただけです。」

師「お前は多くのことを理解しているよ。私は『心から神を愛する人だけが神聖な人格を表現できる』とお前に話したことがあるよ。」

ギリシュ「私はよく自身に問いかけます。“なぜ演劇のことでこれ以上思い悩むのか?”と。」

師「いいえ、いいえ! 成すがままにさせておきなさい。今後人々はお前の作品から多くを学ぶよ。」

 偉大なバクタであったプラフラーダの生涯の上演のあと、ギリシュはシュリー・ラーマクリシュナに感想を聞きました。シュリー・ラーマクリシュナは、「舞台の中で神ご自身が役を演じられているのを見たよ。女性の役は、至福の女神の化身に見えたよ。」と答えました。

 このとき、シュリー・ラーマクリシュナはギリシュに言いました。

「お前の心にはまだ少しへそ曲がりな性質があるね。」

 ギリシュは自身について考えました。

「はい、確かに。いろいろとたくさんございます。」

 そして師に尋ねました。

「どうすれば直りますか?」

 シュリー・ラーマクリシュナは、

「信仰を持ちなさい」

と言いました。
(9)

 ある日の午後、ギリシュが劇場に行くと、メモが置いてあり、そこには、シュリー・ラーマクリシュナがカルカッタにあるラームチャンドラ・ダッタの家に行くと書かれてありました。ギリシュは突然、師にお会いしたいという抑えがたい欲求に駆られ、ラームチャンドラが誰かも知らず、招待状も持たずにとにかくラームチャンドラの家を目指して劇場を出ました。
 ギリシュは回顧録で後にこのように言っています。

“夜だった。シュリー・ラーマクリシュナは中庭で、恍惚状態で踊っておられた。ドラムの演奏で歌が歌われていた。信者達はシュリー・ラーマクリシュナを囲んで輪になって踊っていた。歌は『ナディアはガウランガのハートから発される神の愛のうねり寄せる波に揺さぶられる』と言っていた。中庭は至福の海のようで、わたしは目からは涙が溢れてきた。シュリー・ラーマクリシュナは突然動かなくなり、サマーディの中に溶け込んでいった。信者たちは御足の塵を取り始めた。私も同じようにしたかったが、シュリー・ラーマクリシュナの元へ行って御足の塵を取ったら他の者はなんと言うだろうかと考え、恥ずかしくて出来なかった。しかしこの考えが頭をよぎった途端、シュリー・ラーマクリシュナはサマーディから降りてきて踊り始め、私の目の前に来た。そして再び直立したまま動かなくなり、サマーディに入られた。私はもう躊躇せずに彼の御足の塵をとった。”

“演奏のあと、シュリー・ラーマクリシュナは応接室に行って座られた。私もあとに続いた。私は彼に聞いた。
「私の心からひねくれた性質はなくなりますか?」
「大丈夫だよ」
と彼は言った。もう一度同じ質問をすると、彼は同じように答えた。私は3度同じ質問をした。彼は「大丈夫だよ」と変わらずに答えた。”


 劇的な変化がギリシュに起こりました。彼にはシュリー・ラーマクリシュナが近親者のように感じられ、師の愛情あふれる気遣いによって、自分は欠点を咎められることはないのだと気づきました。

“私はドッキネッショルに行った。シュリー・ラーマクリシュナが部屋の南側のベランダに座っているのを見つけた。彼はバヴァナートという若い信者と話していた。私は彼の前にひれ伏して心の中で「グルはブラフマー、グルはヴィシュヌ、グルはマヘーシュワラ、神の神」と唱えた。彼はこう言った。「ちょうどお前のことを話していたのだよ。もし信じられなかったらバヴァナートに聞いてみてごらんよ。」“

 “ある時、彼は霊的アドバイスをくれた。しかし私はそれを遮って言った。
「どんなアドバイスも聞きたくありません。私は荷車一台分ほどのそれを自分のために作りましたが役に立ちませんでした。どうぞ私の人生を変えるための実質的な何かをしてください。」
 この言葉を聞いてシュリー・ラーマクリシュナは非常に満足した。彼の甥のラームラールが居合わせていた。シュリー・ラーマクリシュナは彼に一つの賛歌を朗読するように頼んだ。歌詞はこのようなものだった。
『孤独の中に入って洞窟の中に自身を閉じ込めよ。平安はそこにはない。平安は信仰のあるところにある。信仰はすべての根源』 
 私はシュリー・ラーマクリシュナの唇が微笑んでいるのを見た。すべての不純性から解放されていく瞬間を感じた。私の傲慢な頭は、彼の足元に低くひれ伏していた。彼の中に避難所を見つけた。私のすべての恐怖は消え去った。
 私は彼の前にひれ伏し、家に帰ろうとした。シュリー・ラーマクリシュナは北玄関まで私についてこれらた。そこで私は彼に聞いた。
「あなたの恩寵を受けた今、私は今までと同じように仕事を続けてもよいのでしょうか?」
 彼は「だめな理由があるかい?」と言った。その言葉から、舞台の仕事は私の霊的生活を邪魔することはないと理解した。”

“私のハートは喜びでいっぱいになった。私はまるで新しく生まれ変わったように感じていた。完全に別の男になったのだ。葛藤や疑念は一切なくなっていた。
「神は実在する。神は私の聖なる唯一の場所。私はこの神格者の中に私の避難処を見つけた。わたしはすぐに神を実感できる。」
 この言葉が私の中で響き続けた。それは歩いているときも夢を見ているときも続いた。
「私は恐れ知らずだ! まさしく自分自身を見つけた。世界はもはや私を束縛できないのだ。最大の恐れえも、死の恐怖さえも過ぎ去ってしまった!」“


 「神へ一歩近づけば、神は十歩近づいてくる」という言葉があります。ギリシュがシュリー・ラーマクリシュナを探していただけではなく、シュリー・ラーマクリシュナは彼の神聖な演劇の中で重要な役割を演じる人物としてギリシュを探していたのです。
 シュリー・ラーマクリシュナはギリシュに出会うずっと以前にあるヴィジョンを見ており、それをこのように表現していました。

“ある日、カーリー寺院で瞑想をしていたら、寺の中を裸の男の子がスキップしているのが見えた。彼は肩まである髪の頭の上に王冠を乗せて、左脇の下にワインのフラスコを持ち、右手には甘露の器を持っていた。「お前は誰だい?」と聞くと、少年は「私はバイラヴァです」と言って私のところへ来て、「あなたのお仕事をするんです」と言った。時が経ってギリシュが私のところへやって来た時、私は彼がバイラヴァだと分かったよ。”
(10)

 ギリシュは偽善を心底嫌い、その奔放で強い性格は、自分の弱点を隠そうとしませんでした。 ギリシュは “私が今まで飲んだワインのボトルをもし積み上げれば、エヴェレストに届くくらいだ。”と言いました。彼が多量の飲酒やアヘンに溺れていたことも事実です。売春宿にもよく通っていました。しかし単純に彼が女たらしだとか、強欲者、詐欺師や残虐者だと思うべきではありません。彼の長所はそれらの不道徳さを補うものでした。

 ギリシュは酔っ払うと少しばかり理性を失う性質でした。この状態のギリシュには、売春宿の少女たちさえ、門戸を開くのを躊躇していました。

“ある夜、私は酔っ払って有頂天になり、友人二人と売春宿に行こうとしていた。しかし突然、シュリー・ラーマクリシュナに会いに行きたくなり、馬車を呼んでドッキネッショルに向かった。夜も遅く、皆は寝ていた。私たちはほろ酔いでよろめきながらシュリー・ラーマクリシュナの部屋に入った。彼は私の両手をしっかり掴んで、恍惚状態の中で歌って踊り始めた。頭の中に、ある思いがひらめいた。「私のような、自分の家族さえ非難するような不道徳な男のことさえ、愛し、抱擁してくださる人がいる。確かにこの聖なるお方は、高潔な人々から尊敬されており、そしてまた堕落者の救済者でもあるのだ。」”

 ある日一人の信者が、ギリシュの飲酒癖についてシュリー・ラーマクリシュナに不平を言い、彼にそれをやめさせるよう頼みました。しかしシュリー・ラーマクリシュナは厳しい調子でこう答えました。

「どうしてそのことでお前が頭を悩ませるのかね? お前は彼の保護者なのかね?
 ギリシュは英雄タイプの信者なのだよ。いいかね、飲酒は彼に影響を及ぼさないのだよ。」

 別の機会にシュリー・ラーマクリシュナは、アシュウィニー・クマール・ダッタに、ギリシュ・ゴーシュを知っているかどうかを尋ねました。

「どのギリシュ・ゴーシュですか?あの劇場の?」

「そうだよ。」

「彼に実際に会ったことはありませんが、評判は知っています。」

「良い男だよ。」

「飲んだくれだと聞きました。」

「好きなようにさせておやり! どれくらい彼はそれを続けるだろうね?」

 
 シュリー・ラーマクリシュナは、ギリシュに対して飲酒を禁じる指示を出したことは一度もありませんでした。にもかかわらず、師の愛の影響力は静かに奇跡を起こしていました。
 ギリシュはまだこの偉大な魂を理解することができませんでしたが、シュリー・ラーマクリシュナの影響力で、彼の人生に変化が起きていることを感じていました。
 ある日ギリシュは師にたずねました。

「あなたはどなたでありますか?」

 シュリー・ラーマクリシュナは答えました。

「ある者たちは私をラームプラサード(ベンガルの詩人、聖者)だと言うよ。別の者たちはラージャ(王)・ラーマクリシュナだと言う。私は単なるここの住人だよ。」

 ギリシュは徐々に、シュリー・ラーマクリシュナが神の化身だと確信し始めました。そしてその思想を信者の間に広め始めました。
 ある時、シュリー・ラーマクリシュナはギリシュに言いました。

「やあ! お前は私についてなんて言ってるんだい? 私は飲んで食べて、はしゃいでいるだけだよ。」

ギリシュ「あなたについて私たちはなんと申し上げればよろしいのでしょう? あなたは聖者ですか?」

師「いいえ、何者でもないよ。本当に、私は自分が聖者だなんて感じていないよ。」

ギリシュ「ジョークでさえ、あなたには叶いません。」

 
(11)


 ある日ギリシュは、自分自身をシュリー・ラーマクリシュナに完全に明け渡しました。 
 ギリシュは師に、たった今から自分はどうするべきかとたずねました。

「いつもと同じようにしていなさい。」

 シュリー・ラーマクリシュナは言いました。

「片方の手で世間をつかんで、もう一方でしっかりと神にしがみつくのだよ。少なくとも朝と夕方に神のことを考えるようにしなさい。」

 ギリシュにとってこれはとても簡単なことに思えましたが、しかしすぐにギリシュは、不規則な生活の中で、決められた時間に神を思い出すことは難しいかもしれないと思い、返事をせずに黙っていました。シュリー・ラーマクリシュナは彼の考えに気づき、
「分かったよ。もしこれができないというなら、食べる前と寝る前に神を思い出しなさい」
と言いました。しかしいまやギリシュは、シュリー・ラーマクリシュナとのどんな約束も気が進みませんでした。ギリシュは、自己規律と規則に対する本能的抵抗心から、自分はこれほどの単純な約束さえ守れないかもしれないということを知っていたからでした。

 するとシュリー・ラーマクリシュナは恍惚的ムードに入り、ギリシュに言いました。

「これさえもお前はやりたくないと言うのだね。分かったよ。では私に、お前の代理人の権限を与えなさい。たった今から、お前の全責任は私が負うよ。お前は何もしなくてもいいよ。」

 ギリシュは承諾しました。これは彼の好むところでした。ギリシュは、彼の幸福な霊的生活をシュリー・ラーマクリシュナが完全に保証してくれるのだと理解しました。しかし実際には、ギリシュはこのときから、「シュリー・ラーマクリシュナのしもべ」となったのでした。完全に自己を明け渡すということは、単に厳しい戒律を守るよりも、より強い拘束だったのです。

 この出来事のすぐ後のある日、ギリシュはシュリー・ラーマクリシュナが同席しているところで「私はこれをやるだろう」という言葉を使いました。すると彼はシュリー・ラーマクリシュナにたしなめられました。

「お前はそんなふうに言えないのだよ。『それが神のご意思なら私はそうするだろう』と言いなさい。」

 ギリシュは、「代理人の権限」の秘密をようやく理解し始めました。時が経つにつれて、彼はもはや自分の意志では何もできないことを理解していました。意識的に神の意思に降伏しなければならず、そして徐々にどんな時も師のことを余儀なく考えさせられていることに気づいたのです。晩年、ギリシュは「私を見てごらん、呼吸でさえ私の自由ではないのだ」と言っていました。
(12)


 霊的生活における成長の大部分は、自己の激しい努力によって決まります。しかし、過去のサンスカーラを滅するには時間がかかります。しかしギリシュの場合は、彼の信仰と愛が強烈だったために、彼の人生の変容はとても早く訪れました。
 
 しかしシュリー・ラーマクリシュナはギリシュについて、他の信者に一度このように話したことがありました。
「あなたはニンニクの匂いが染み付いたカップを1000回洗うかもしれないけれども、それでも完全に匂いを取り除くことが可能だろうか?」

 ギリシュはこれを聞き、傷つきました。彼はシュリー・ラーマクリシュナのところへ行って、「ニンニクの匂いは消えるのですか?」と聞きました。

「消えるよ。」

「消えると、おっしゃるのですね?」

「赤々と燃える火があるうちは、すべての臭みは消えるよ。ニンニクの匂いのするカップを熱したら、匂いは取り除かれて、新しいカップになるんだよ。」


 時々、シュリー・ラーマクリシュナは、ギリシュの劇場にお菓子を持って訪れました。あるときは、師が自らギリシュにお菓子を食べさせました。ギリシュはこのときのことを回顧録にこう書いています。

“ある日私がドッキネッショルに到着すると、シュリー・ラーマクリシュナはちょうど昼食を終えたところだった。彼は残りのデザートを私に食べるように言った。しかし私がそれを食べようとすると、師は「ちょっと待ちなさい。私がお前に食べさせてあげよう」と言った。そして彼はプディングを彼自身の手で私の口に入れてくださったのだ。
 私は小さな赤ん坊のように自我意識をなくして、貪るようにそれを食べた。自分が大人だということを忘れ、私は子供で母親が食事を与えてくれているように感じていた。しかし、私の唇がどれほどの不純なものに触れてきたかを思い出し、そしてシュリー・ラーマクリシュナが彼の神聖な御手で私のその唇に触れてどのように食事を施してくれているかを考えて、私は感情に圧倒されて自分自身にこう言った。
 「これは本当に起こっていることなのか? それともただの夢なのか?」”


 ある日シュリー・ラーマクリシュナはギリシュに、足をマッサージするように言い、弟子へのイニシエーションとして、愛溢れる個人的奉仕を許可されました。

“私は気が進まず、こう思った。「なんて馬鹿げているんだろう。誰が座って彼の足をマッサージしたいというのだ?」
 しかし今は、そのことを思い出すと、深い後悔の念でいっぱいになる。それは私を慰めるための彼の無限の愛の表れだったのだ。”
(13)


 ギリシュは次第に、他の信者たちがどれほどの愛と尊敬を持って師にお仕えしているか、またそれとは対照的にどれほどの悲惨な人生を自分は歩いてきたのかに気づき始めました。そして今までの自堕落的な生活から師への奉仕に気が進まず、居心地の悪さを感じていました。
 その後のある日、シュリー・ラーマクリシュナが劇場を訪れたとき、酒で勢いがついていたギリシュは、思いを口にしました。

「私はこの人生であなたにお仕えすることができていない。だけどもしあなたが私の息子として再び生まれてくれば私は奉仕できるだろう。どうか私の息子になると約束してください。」

「何を言っているのだ?」

 シュリ・ラーマクリシュナは答えました。

「どうしてお前の息子として生まれなきゃいけないのかね? 私はお前の選ばれた神聖なグルでなければならないだろう?」

 師がそう言うと、ギリシュは怒り出し、師に対して下品な言葉で罵倒しました。居合わせた信者たちは大変なショックを受け、二度とギリシュに会わないように頼みました。
 シュリー・ラーマクリシュナは静かにドッキネッショルに帰り、祈りました。

「おお、マーよ、ギリシュは役者なのです。どうすればあなたの栄光を理解することができましょうか? 彼をお許しください。」

 翌日、ラームチャンドラ・ダッタがドッキネッショルを訪れました。彼は前夜の事の顛末を聞いており、そのことについて師に話をしました。

「師よ、毒蛇のカーリヤは、クリシュナにこう言いました。
『主よ、あなたが私に与えてくださったのは毒だけなのです。私はどこであなたに供養する蜜を得ることができましょうか?』
 それはギリシュも同じです。彼はどこで蜜を得られましょうか? ギリシュは、あなたが何を彼に与えようとも、あなたを崇拝していたでしょう。」

 シュリー・ラーマクリシュは微笑んで、同じ部屋にいた他の信者達に言いました。
「彼の言っていることに耳を傾けなさい。馬車を用意して。今すぐギリシュの家に行きますよ。」

 一方、ギリシュは非常に後悔していました。彼は何も食べずに、ただ悲しげに泣いていました。そのとき突然、家の前に師がやってきたのです。ギリシュは感動に圧倒されて、こう言いました。

「師よ、もし今日こちらにあなたがいらっしゃらなければ、私はあなたが称賛と非難を超えた智慧の究極のステージ、パラマハンサには達してないと結論付けたかもしれません。」

 シュリー・ラーマクリシュナはギリシュにこう言いました。

「お前は粗暴で荒々しい言葉をよく使う。しかしそれはお前にとっては大したことではないよ。お前は日ごとに純粋になっていっている。日に日にとても成長していっているよ。いずれ人々は驚嘆するだろうね。」
(14)


 ある朝ギリシュがバララーム・ボースの家に行くと、バララームが米を洗っているのを見ました。バララームは金持ちの地主であり、多くの使用人がいるのに、このような雑事をこなしていたのです。ギリシュは驚き、バララームになぜそんなことをしているのかと聞くと、バララームはこのように答えました。

「今日は師が昼食をとりにこちらに来られるから、その準備をしているのだよ。」

 ギリシュはバララームの師への献身的な愛に感動しましたが、同時に師にそのように奉仕できない自分自身に悲しくなりました。彼は家へ戻り、部屋に閉じこもって考えました。

「なるほど、神はバララームのような情熱を持った者の家にやってくるのだな。私は人でなしの飲んだくれだ。彼を迎え入れておもてなしできる者は、ここには誰もいない。」

 ギリシュはベッドに横になりました。午後1時半でした。ドアをノックする音が聞こえ、ギリシュがドアを開けると、そこに師が立っていました。

「ギリシュ、私はおなかがすいたよ。」

 師は言いました。

「なにか食べるものをおくれ。」

 しかしシュリー・ラーマクリシュナはたった今、バララームの家で食事を終えたばかりのはずでした。
 ギリシュの家には何も食べるものがなかったので、ギリシュは師にお待ちいただくようお願いし、急いでレストランへ行って、揚げパンとポテトカレーを持って帰ってきました。それらは消化しにくく、師が普段食べている食事とは似ても似つかないものでした(その頃ラーマクリシュナは胃腸が弱かったため、消化の良いものだけを食べていた)。しかしシュリー・ラーマクリシュナは大喜びでそれらを食べたのでした。
(15)


 あるときギリシュは、シュリー・ラーマクリシュナがこのように話しているのを聞きました。

「もし瞑想中に欲望が起きてそれが執拗に消えない時は、瞑想をやめて祈りなさい。その欲望が叶ったりしないよう、それが取り除かれることを主に真剣に祈りなさい。」


 ギリシュはこのように記録を残しています。

“シュリー・ラーマクリシュナは、すべての人に、嘘はやめるよう話していた。私は聞いた。
「師よ、私はよく嘘を言います。どうすれば誠実になれるでしょうか?」
 彼はこう答えた。
「心配しなくてもいいよ。お前は真実と虚偽を超えているよ。」
 私が嘘をついてしまいそうになったとき、師を思い浮かべたことがあった。その時、嘘は口をついて出なかった。師は私の心を大いに揺さぶっていた。それは彼の愛の力によるものだった。ただ師の超越的な愛の力を感じれば、渇望や怒り、醜い愛着も消え去り、他の霊的修行の必要はなくなるのだ。これは人間の生において、最高の気づきだ。”


 あるときギリシュは、シュリー・ラーマクリシュナの恩寵を試したくなり、売春宿へ行き、わざとそこに宿泊しました。しかし真夜中に耐え難い熱さを体中に感じ、ギリシュはすぐに自宅へ戻りました。翌朝、ギリシュはドッキネッショルへ行き、前夜の出来事をシュリー・ラーマクリシュナに話しました。師は毅然として言いました。

「ラスカル、お前は毒蛇につかまっているのに逃げ出せると思うかね? お前は本物のコブラにかまれてしまったのだよ。三度涙を流したら、静かになるだろう。」

 シュリー・ラーマクリシュナに対するギリシュの信は強まりました。彼は、師がジャガイとマダイという悪党を更生させ聖者に変えたシュリー・チャイタニヤのような救世主だと信じるようになりました。
(16)


 1885年7月28日、シュリー・ラーマクリシュナはナンダ・ボースというカルカッタの裕福な男の家へ行き、神や女神の写真を見ていました。彼はとても感動してナンダに言いました。

「お前は在家だけれど、心は神を思い続けている。それは些細なことだろうか? 世俗を放棄した出家者は、当然のこととして神に祈るだろう。そこに称賛はあるだろうか? 在家者の人生を送りながら神に祈っている者は、本当に祝福されている。彼は20マウント(1マウントはおよそ82ポンド)の石をどけて探し物を見つけた人のようだ。」

 ナンダ・ボースはシュリー・ラーマクリシュナに菓子をもてなし、トレイの上に置いたキンマの葉を勧めました。しかしすでに他の客人がトレイから葉をもらっており、誰も手をつけていないものだけを神に捧げるという習慣があったため、師はこれを受けませんでした。ナンダはこれに気づき、師にたずねました。シュリー・ラーマクリシュナはこう答えました。

「私はなんでもまず神に捧げるのだよ。これは私のやり方なんだよ。」

 ナンダはヴェーダンタ哲学の学識に少しプライドを持っていたので、シュリー・ラーマクリシュナの行動を知性的に判断しようとしました。ナンダは「キンマの葉はそれでも神へ捧げられるのではありませんか?」と言い、さらに「あなたはパラマハンサであられます。なぜ経典に書かれてあるような禁止事項や命令を順守するのですか? それらは無智な者のためのものです」と言いました。シュリー・ラーマクリシュナは微笑んでもう一度答えられました。

「これはただ私のやり方なだけだよ。」

 ナンダは、シュリー・ラーマクリシュナが、カルマの法則を超えた不二一元の究極の悟りに達していないのだろうと判断しました。ギリシュはこのことを知り、不愉快になりました。師は、ナンダが学識に対してのプライドを持っているため、彼に対して師の神性さを明かしていないのだと思いました。
 そのことを彼自身で試すために、あるときギリシュは師を自宅に招待しました。ギリシュはトレイに乗せたキンマの葉を一枚取り、そのあと何も言わずにトレイを師に勧めました。師はすぐにギリシュの意図に気づき、微笑みながらキンマの葉を取りました。ギリシュは狂喜して師に何度も何度も礼拝し、居合わせた人々に説明しました。規則を作った本人だけが、その変更をすることができるのです。また偉大な教師達は、自分の利益ではなく他人のために経典の教義に基づく規則を順守するのです。このようにしてギリシュは、シュリー・ラーマクリシュナの救済の力によってその信を確固たるものにしたのでした。
(17)


 1885年の春、シュリー・ラーマクリシュナの身体で深刻な喉の癌が進行していました。信者たちの手配で、治療のためにシュリー・ラーマクリシュナいったんカルカッタに引っ越しましたが、9月になって再びドッキネッショルに戻ってきました。
 聖母カーリーの特別礼拝が11月6日に行われました。シュリー・ラーマクリシュナは弟子の一人に、
「プージャーのために少し準備をしたほうがいいだろうね。ほかの者たちにも伝えておくれ」
と言いました。信者たちはそれに合わせて準備をしました。ギリシュはこのときの様子を記録に残しています。

“シュリー・ラーマクリシュナは、礼拝するための花や果物など様々なものに囲まれて座っていらっしゃった。そして突然、私の方を向いておっしゃった。
『母なる神の日だよ。誰かが座ってこのように瞑想しなければいけないよ。』
 私はその言葉の意味を図りかねていた。私は前に出て、「ジェイ・シュリー・ラーマクリシュナ」と唱え、彼の足元に花を供えた。参加していた者はみな同じようにした。
 シュリー・ラーマクリシュナは突然サマーディに入られた。彼の手は安堵と恩恵を意味する形をとっていた。”



 シュリー・ラーマクリシュナの病状が次第に悪化してくると、担当医は、空気の良い町へ移動するように彼にアドバイスをしました。ちょうどカーシープルに美しいガーデンハウスが見つかり、1885年12月11日に、シュリー・ラーマクリシュナはそこへ引っ越しました。師の治療費や食事代、家賃は、弟子たちによってまかなわれました。未来の僧院の中心となるべき未婚の若い弟子たちが、看護や買い物の管理をしていました。
 しばらくして何人かの在家の弟子たちが、出費が徐々に増えていることに気づきました。彼らは不注意な若い弟子たちに問いただし、会計帳簿を厳しく管理するように言いました。このことに気分を害した若い弟子たちは、一部の在家信者からの布施を受け取るのをやめました。
 このような事態が緊迫し始めてきた時、ギリシュは皆の前で、会計帳簿に火をつけて燃やしました。そして在家信者たちに、それぞれの能力に応じて布施をすれば赤字は埋められるだろう、と言いました。そして出家僧たちにはこう言いました。
「心配しなくていい。もし必要なら、私は自宅を売っても構わない。」
(18)


 1886年1月1日、シュリ・ラーマクリシュナは体調が少し良くなり、庭を散歩されました。その日は祝日で、多くの信者たちがカルカッタから師に会いに来ていました。師はゆっくりと庭を歩き、信者たちはその後についていきました。突然、シュリー・ラーマクリシュナはギリシュに言いました。

「ねえギリシュ、皆に話せるような神の化身としての何かを、私の中に見つけたかな?」

 ギリシュは師の前にひざまずき、手を組んで敬意を表し、最大限に心をこめて言いました。

「主について何かを言えるような私でしょうか? ヴィヤーサやヴァールミキのような聖仙たちでさえ、主の栄光を測ることができたでしょうか?」

 シュリー・ラーマクリシュナは深く心を動かされました。彼はギリシュを祝福し、他の信者たちを集めて言いました。

「ほかに何か言うべきことなどあるだろうか? 君たちすべてを祝福する。輝いていなさい!」

 師はサマーディに入られ、信者達一人ひとりに触れながら祝福され、霊的覚醒の力を注ぎました。


 この出来事から少し後、ゴパール・ゴーシュ(のちのスワミ・アドヴァイターナンダ)が、黄土色の布とルドラクシャの数珠を僧侶たちに配りたいと師に申し出ました。シュリー・ラーマクリシュナは若い弟子たちを指差して言いました。

「そうだね、彼らは放棄の精神に満ちている。彼らほどの優秀な僧はほかにいないだろうね。」

 ゴパールは12組の布と数珠を用意し、師に手渡しました。シュリー・ラーマクリシュナが自ら若い11人の弟子達に配りました。このようにして、未来のラーマクリシュナ教団の土台が師によって築かれていきました。
 そして12組の布と数珠のうちの最後の1組は、ギリシュのために残されたのです。ギリシュは誰にも負けないほどの放棄の精神を持っていたからです。


 ギリシュは病気の師を見ることが耐えられなかったため、お見舞いのためにカーシープルへ行くことはあまりしませんでした。ある日ギリシュがカーシープルに行くと、師がちょうどでんぷんのプディングを食べ終わったところでした。プディングの食べ残しと傷ついた喉から吐き出したものが入ったカップが床の上に置いてあり、小さな蟻がそこに集まっていました。そのカップを指差し、シュリー・ラーマクリシュナはギリシュに言いました。

「ねえ、見てごらんよ! 人はまだ私のことを神の化身だというのだよ!」

 ギリシュはすぐに答えました。

「この蟻たちも解放されていくのでしょう。それ以外にあなたの病気の理由はあるでしょうか?」
(19)


 シュリー・ラーマクリシュナは、1886年8月16日に亡くなりました。ある信者がギリシュの元へこの悲しい知らせを持ってやってきました。ギリシュはその事実を頑なに拒みました。

「そんなのは嘘だろう。師が死ぬはずがない。」

「いいえ、私はその場所からやってきたのですよ。」

「もう一度戻って確かめたほうがいいよ。」

「しかし私は、一部始終をこの目で見ました。」

 ギリシュは両手で目を覆いながら言い返しました。

「何とでも言えばいい。私は見ていないのだから信じない!」


 ギリシュは後にこのように言っています。

“師が亡くなったという知らせを聞いても、カーシープルに行くことはできなかった。師の亡骸を見てしまえば、私の弱い心は師の不滅の本性を信じ続けることができないと思った。
 そして私の目は師への信に逆らって囁いていた。「シュリー・ラーマクリシュナは死んだのだ。お前自身の目で確認しないのか?」――私はわざと、目と耳が師の死について葛藤するのを放っておいた。もし耳が私に「シュリー・ラーマクリシュナは死んだ」とささやけば、私は「お前は本当に多くの師の(悪い)噂話を聞いてきたが、それを全部信用するというのか?」と言った。人々には好きなように言わせておけばいい。私は師の死に立ち会っていない。だから信じない。”

 ギリシュは、師は神ご自身であり、彼の身体は永遠不滅で、純粋意識に満たされていると確信していました。病気や死が彼の身体に障ることはなく、師は人間の役を演じるために人として生まれたので、死はただの演技の一部でしかないからです。

 師の他界からすぐあと、不運がギリシュを襲いました。二人の娘を亡くした後、1887年に二番目の妻も亡くし、またホーリーマザーに強い信仰を持っていた息子も若くして死にました。
 ギリシュは、戯曲の中に彼の思いをこのように表現しました。
「人生は苦なり。この世は虚しく、庭園の美しさもやがては朽ちる。」

 これらの苦悩の経験により、ついに燃えるような放棄の精神がギリシュの心に湧き起こり、愛着や欲望、不純性を燃やし尽くしました。ニンニクの匂いがしみついたコップは火にあぶられ、臭気は取り除かれたのです。

 ある日、師の弟子の僧侶であるスワミ・ニランジャナーナンダがギリシュに言いました。

「師は君を修行僧にした。在家としての人生はもう必要ないんじゃないか?」

 この兄弟弟子のアドバイスを師からの命令として聞き入れたギリシュは、裸足で自宅を飛び出し、質素な布をまとってバラナゴル僧院に行きました。しかしギリシュの肉体が厳しい僧院生活に耐えられないことを知っていた他の兄弟弟子たちは、彼を自宅に返しました。
 その後ギリシュはホーリーマザーの故郷であるジャイラムバティにマザーを訪ねて行きました。師の生まれ故郷であるカーマルプクルのそばにあるジャイラムバティの神聖な雰囲気をギリシュはとても気に入っていました。ジャイラムバティの心を打つ質素な村の様子や牧草地のうっとりさせるような美しさ、平原に沈む夕日と静かな夜、そして特にホーリーマザーの愛情と優しさが、家族を亡くしたギリシュの心を慰めてくれました。
 ギリシュは出家して僧院に入れるようマザーに許可を求めましたが、マザーは、在家として留まり、師の生涯や教えを舞台で表現するよう、ギリシュを説得しました。ギリシュは新たな希望と閃きを感じてカルカッタに戻りました。
 のちにマザーはカルカッタ滞在中、ギリシュの舞台を何度か見に行き、大いに楽しまれました。
(20)


 ギリシュの快楽主義的な魂は、シュリー・ラーマクリシュナの神秘的な接触により鎮められました。ギリシュは最終的に完全にアルコールを絶ち、彼の生活習慣は完全に変わりました。そして以前の堕落的生活の経験は、俳優や劇作家としての彼の成功に大きく貢献していました。戯曲の中の人格は、悲嘆や喜び、絶望や希望を経験したギリシュの強い心によって鮮明に描かれました。ギリシュはよく、詩や脚本は実体験をもってのみ生命を吹き込めるのだと言っていました。
 あるとき彼は「私の戯曲の中の人物について批判できる人がいるだろうか?私は売春婦からパラマハンサまでのすべての人生を学んだのだよ。」
と話しました。
 ギリシュはその豊かな想像力で、戯曲の登場人物を鮮明に描くことができました。
 ある時、ギリシュはスワミ・サラダーナンダに自宅に毎日来るよう言いました。
「私は少しばかりの気分転換が必要なんだよ。今はミルカシムの脚本(身内に裏切られたベンガルのイスラム君主の話)を書いている。おお、なんという陰謀だろう! 私はもう耐えられない。ミルカシムが夢にまで出てくるんだよ。彼のひげ面が目の前で動くんだよ。」

 シュリー・ラーマクリシュナの影響を受けたギリシュの脚本について書かれた多くの書籍や記事がありました。
「私がヴィルワマンガルの脚本を完成した時、数名の師の信者から質問を受けた。シュリー・ラーマクリシュナから劇作の技を学んだと話した。」
 スワミ・ヴィヴェーカーナンダはギリシュのヴィルワマンガルを何度も読み、その度に新たな光を感じたと言いました。
 ルパ・サナタンという戯曲の中で、ギリシュはシュリー・チャイタニヤが挨拶のときに信者の足に触れる様子を描きました。衝撃を受けたチャイタニヤの信者がギリシュに真実性を求めてきました。
 ギリシュは、
「私はこの目で、シュリー・ラーマクリシュナが信者の足に触れるのを見た。私は実体験以外の話は書かない。信者の家で賛歌を歌う会合が開かれたとき、シュリー・ラーマクリシュナはその家の塵をとって自分の体に塗りつけたんだ。信者達がやめさせようとしたら師は『この場所は出席している信者たちと神聖な会話と神への賛歌で清らかな場所になっているんだよ! 神は信者達が彼の御名を賛美し、栄光をたたえる様子を聞きに来られるのだよ。この場所の塵はまさに信者達の足跡によって純粋なものになっているのだよ!』と言ったのだ。」
と話しました。
(21)

 ギリシュは35歳頃から脚本家として活動しました。その並外れた能力は、その後30年の間に、演劇や風刺、ミュージカルなどを含めて79本もの作品を生み出し、他にも多くのショートストーリーや記事、詩、歌を作りました。
 ギリシュの脚本は宗教や社会、歴史や神話をテーマに描かれました。その革新的な精神はベンガル演劇界で長期に渡り影響を及ぼし、ベンガル演劇界の父のような存在として知られていました。
 ギリシュは脚本の中で、重苦しさや不自然さを避けるために、伝統的な美辞麗句は使わず、不規則な無韻詩を台詞の中に加えました。のちにこれはギリシュのチャンダ(ギリシュスタイルの韻)として知られるようになりました。
 ギリシュの脚本に出てくる台詞は、自然で力強く詩的な話し言葉でした。ギリシュは、動作や相互作用は舞台に躍動したエネルギーを作り出し、その精神が台詞をもたらすのだと感じていました。
 ギリシュの頭脳は並外れていて回転が非常に速く、次々に浮かぶ言葉を書き留めるための書記官が必要になりました。ギリシュは絶え間なく溢れ出るアイデアの中に浸り、まるで登場人物を彼自身が演じているかのように部屋中を行き来して、その台詞を筆記させていました。書記官は羽ペンをインク壷につけて書く暇が無かったため、3本の鉛筆を常時していました。あるとき書記官はギリシュの速さについていけず台詞を聞き直すと、ギリシュは、雰囲気を壊さないようにと怒り、聞き漏れた箇所は自分で修正するから印をつけておいてくれ、と言いました。
 ギリシュの執筆の才能については多くの逸話があります。彼は一つの戯曲を2〜3日で書き上げたといいます。『シーターの追放』やサダヴァル・エーカダシーへの26の歌は一晩で作られました。シスター・デーヴァーマーターは『Days in an Indian Monastery』の中で、「ギリシュは素晴らしい作品の一つである六幕の劇の『聖者ヴィルワマンガル』を28時間休みなしで仕上げました」と言っています。スワミ・サスボーダーナンダは、「ギリシュが3つの別々の脚本を、3人の書記官に同時に口述筆記させていたことがある。」と話しています。ある夜の日は、ギリシュはバンキン・チャンドラ・チョトパッダーエの有名なフィクション『カパルクンダラ』を4人の書記官に口述していました。

 ギリシュにとっての最大のライバルは彼自身でした。彼の一つの脚本が特別な評価を得ると、それを上回る作品の制作意欲に燃えました。
 あるとき、シュリー・ラーマクリシュナの弟子の僧侶が、ギリシュを挑発するようにしてからかいました。

「師が世界の堕落者たちを救うために君に任務を与えてくれたと言うけれど、君は自分の情熱によって脚本を書き、芝居をしている。恥ずかしく思わないのかい?」

 これに対してギリシュは堂々と答えました。

「ちょっと待ってください、兄弟! 私がもう一度シュリー・ラーマクリシュナにお会いできたら、もう悪役はやらないと話すでしょう。次は師の出家弟子たちが悪人を演じて、私は貴族の役をやるのはどうですか?」

 実際にギリシュは、神の計画の演劇の中で役割を演じるために師が信者たちをこの世に連れてきたのだと信じていました。
(22)

 ギリシュ彼は才能あふれる役者であると共に、『ベンガル演劇のシェイクスピア』『ベンガル演劇界のガリック』などと呼ばれていました。ある事件によって彼の俳優としての評価が上がりました。学者で慈善家のヴィッダシャーゴルがギリシュ・バーブの劇場にある夜やってきた時、ギリシュが放蕩者の役で女性を虐待する場面がありました。ヴィッダシャーゴルはあまりの生々しい描写に動揺して、スリッパをギリシュめがけて投げました。スリッパはギリシュに当たり、舞台の上に跳ね返りました。ギリシュ・バーブはそれを拾い上げて頭の上に乗せ、観客に向かっておじぎをして、『贈り物はこれ以上受け取れませんよ』と言ったのでした。

 予想通り、ギリシュの戯曲の革新さに反対意見も出始めました。彼の不規則な無韻詩は、伝統的な脚本家から批判されました。また、芝居のために売春婦を雇っているとして、清教徒からは痛烈に攻撃されました。それまでは男性が女性の役も演じていました。売春婦達には教養がありませんでしたが、ギリシュは簡単な台詞を用意して自然体で演じられるように彼女達を訓練しました。有名なスター女優となったティンカリは言いました。『私は読み書きもできませんでした。私が今あるのはギリシュのおかげです。

 ギリシュとティンカリについて、興味深い話があります。ある裕福な男が、演技を始めた頃の、まだ16歳だったティンカリ好きになり、売春斡旋人である彼女の母親に、ティンカリへの結婚を申し込みました。男は宝石や莫大な資産をティンカリのために用意しましたが、ティンカリはそれを断ったため、翌日母親が竹棒で激しくティンカリを打ち、ティンカリは高熱を出して三日間寝込みました。彼女の体調が回復した頃、マクベス婦人の役のオーディションでギリシュはティンカリの芝居に感動し、ミネルヴァ劇場の経営者にティンカリとの1年間契約を申し入れました。
 ティンカリの身体的な美しさ、愛らしさ、そして生き生きとした演技は、ミネルヴァの経営者を夢中にさせました。直ちに彼はティンカリに結婚を申し込み、再び彼女は窮地に立たされました。ティンカリは女優の仕事を犠牲にして金持ちの妻となることを嫌がっていました。ティンカリは彼女の守護者であるギリシュに相談しました。ギリシュはティンカリに言いました。「そうだ、あなたは結婚などに束縛されるべきではない。金は何にもならない。あなたはその才能で、将来素晴らしい女優になるんだ。」
 
 ティンカリは劇場経営者のプロポーズを拒みました。経営者は微笑んで彼女に言いました。「いいかい、君の美しさもあっという間に過ぎていくんだよ。芝居の仕事も同じだ。もし君が私を選べば、安心と安全は保証されるのだよ。まあいいだろう。今まで通りに芝居を続けなさい。私は待つことにしようじゃないか。」
 富裕な人々は気難しく、お金と権力でなんでもできると考えています。劇場経営者はティンカリとの結婚を邪魔しているのはギリシュだと知り、邪魔なギリシュを殺す計画を立てました。ある夜、経営者は北カルカッタ郊外のシンティのガーデンハウスに、ギリシュとティンカリを含めた数人の親しい知人を招待しました。ギリシュが到着し、ティンカリも従業員のファキールと共に到着しました。経営者は、宴は夜の12時で終わり、それからビジネスの会合を行うのでギリシュとティンカリ以外は帰るようにと言いました。家中が晩餐と踊りや歌で賑わっていました。
 ラジェンというギリシュと経営者の共通の友人が、遅くにやってきました。ガーデンハウスに入る時、ラジェンは数名の男が花壇の隅の暗闇でごそごそしているのを見ました。好奇心に駆られて近づくと、ラジェンの知り合いの悪名高いゴーラープ・シンと何人かの男が穴を掘っていました。ゴーラープは「夜までにこの場所を離れてくれよ。今夜、俺達はギリシュを殺してこの穴に埋めるんだ。そして植木鉢で隠すのさ。」とラジェンに言いました。ラジェンは経営者がゴーラープにギリシュを殺すよう命じたのだと知りました。
 ラジェンは、ファキールはどこかとたずねました。「彼はどこかにいるはずさ」とゴーラープは答えました。ラジェンはゴーラープに、ファキールにも夜中までに帰るように言わなければ彼は目撃者となってしまうんじゃないかと言いました。ゴーラープはそれもそうだと言いました。ただちにラジェンは池のそばにいたファキールを探し出し、馬車を手配して、外でティンカリとギリシュを待つように指示しました。その後ラジェンはパーティー会場へ駆け込みました。経営者はラジェンを見て喜び、お酒を勧めました。ラジェンがギリシュについて尋ねると、経営者はギリシュとティンカリは二階にいると答えました。
 ギリシュとティンカリは食事の最中でした。ラジェンはギリシュに事のすべてを話すと、ティンカリはしくしくと泣き出しました。ギリシュはパーティー会場を出ようとしましたが、ラジェンは、今行けば四人の悪党が門のところにいて、つかまれば誰も彼を守ることができないと言いました。
 このときギリシュは動揺することなく、「私にはグルの恩寵があるのだよ」と果敢に言いました(この出来事はシュリ・ラーマクリシュナの死から数年経った頃のことでした)。
 ラジェンにはある計画がありました。「逃げ道が一つだけある。このベランダはトイレにつながっている。その窓には鉄格子がはめられていないから、窓から出てトイレと壁の境にあるマンゴーの木をつたって壁を越えれば外に出られる。歩道でファキールが馬車で待っている。」
 ギリシュとティンカリとラジェンは、無事に脱出することができました。こうしてギリシュ殺害計画は失敗に終わったのでした。
(23)

 ギリシュはすばらしい芸術感覚を持っていました。彼は芸術的才能というのはもし恐れや疑念、プレッシャーや利己心があれば正しく開花されないことを知っていました。ギリシュは後にニュースター劇場の建設を完成させるために1万6千ルピーを劇場支配人に寄付し、こう言いました。
「どうか役者たちを辱めたり、悪用して彼らから搾取したりしないようにしてくれ。彼らには自由に演技をさせてあげてくれ。」
 ギリシュは実際には、その評判に反して、非常にまじめで落ち着いていました。彼は障害や批判をものともせず、最終的には周囲からの尊敬と注目を集めることができたのです。ギリシュの強情さはいささか過度に強調して表現されているところがありました。

 ギリシュは近代の素晴らしい劇作家としてだけではなく、才能豊かな俳優でありプロデューサーでもありました。下層社会の女性たちに、俳優を職業として人生を変えらえることを示したのは彼でした。悲惨な境遇にある多くの魂を、演技の訓練をすることで救いました。それだけではなく、男性達が舞台上で女性の役を演じている時代に、それまで売春を強いられていた女性達を少なくとも6人、最高ランクの女優にまで育て上げました。それ以来、ギリシュのすべては変わりました。

 彼が育てた花形女優のうちの一人は、後にこう言いました。

「彼(ギリシュ)は一般的な女性らしい生き方の中に革命をもたらしたわ。強制的に奈落の底に落とされているような女性たちも含めて、ひどい困窮にあえいでいる女性を舞台によって救ってくれたわ。でも父(ギリシュのこと)はそれだけでは終わらなかったの。私たちはラーマクリシュナの教えに出会うことができたのよ。」

「神に礼拝して祈りを捧げるとき、彼は私たちを僧院に連れていきたがったのよ。私たちは、自分達が神聖な場所を汚してしまうんじゃないかと心配したわ。でも父(ギリシュのこと)はこうおっしゃった。
『ラーマクリシュナが今ここに住んでいたら、お前たちや私に、彼自身で教えをお聞かせくださっただろう。彼は私たちを愛しているのだよ。彼は私たちのような者のために地上に降りてきてくれたんだと思わないかい?』」

 多くの年老いた俳優や女優との会談の中で、人々はギリシュが、自由奔放な仲間のところに留まることによって、より精神的な利益をもたらしたのだと確信しました。ギリシュは(師によって聖者として)生まれ変わったあとでも、道徳的な成り上がり者のようなふりはしませんでした。彼は自分の過去の何も否定しなかったのです。

 ギリシュが俳優達の間に導入した習慣は、今でも実践されています。舞台に上がる前に、役者たちはシュリー・ラーマクリシュナの写真の前にひれ伏します。このようにしてシュリー・ラーマクリシュナは、ある意味ベンガル演劇界の守護者のように扱われるようになり、彼の写真はカルカッタにあるほとんどの劇場の舞台裏に飾られるようになりました。
(24)  

 ギリシュの師への陶酔ぶりは、本当に独特で驚くべきものでした。スワミ・ヴィヴェーカーナンダはこのように見解を述べています。

「彼の中だけに、真実の服従の姿を見ることができる。神のしもべとしての本当の魂を。私はあのような人に会ったことはない。私はギリシュから、忘我の境地を学んだよ。」

 ギリシュの晩年、たくさんの僧侶や信者たちが、シュリー・ラーマクリシュナのことを学ぶために、ギリシュを訪れるようになりました。師についてギリシュが話すとき、彼の顔は興奮で紅潮するのでした。スワミ・ヴィヴェーカーナンダさえも、カルカッタ滞在中は信者達に「ギリシュのところへ行って偽物の会話を楽しもう」と言って、信者を連れてギリシュのもとへ通いました。ギリシュが彼のありったけの帰依と気力、誠実さで師を弁護するのを聞くことができるように、ヴィヴェーカーナンダはわざとシュリー・ラーマクリシュナを批判するようなことを言ったのでした。こうして引っ張り出されたギリシュの師についての情熱的な話は、とてつもなく巨大で神秘的な雰囲気を生み出しました。

 ギリシュは信者達に非常に尊敬されていました。ナーグ・マハーシャヤは、このように言いました。
「もしギリシュのそばに5分でも座ったら、彼は世俗的な痛みや苦しみからその人を救い上げるだろう。彼は偉大な英雄なのだ。シヴァの守護天使なのだよ。」

 ある日、スワミ・ヴィヴェーカーナンダがリグ・ヴェーダの授業で、音からどのように宇宙の創造が展開されていくかということを教授中でした。ギリシュがそこに到着したとき、ヴィヴェーカーナンダはギリシュに向かって言いました。

「いいかね、G.C。君はこれを勉強する気はない。君の崇拝と神は、年月と共に過ぎ去ってしまったのかね? ん?」

 ギリシュは答えました。

「兄弟よ、私は何を学べばよいのでしょう? 私にはこれらを思索したり十分に理解したりする時間がないんですよ。でも今回、シュリー・ラーマクリシュナの恩寵により、私はマーヤーの海を渡るでしょう。あなたのヴェーダとヴェーダンタに別れを告げて。師はあなたを通して多くのことを人々に教えたいと思っているので、あなたにこれらすべてを学ばせるようになさるでしょう。でも私には必要がないのです。」

 そう言って、ギリシュはリグ・ヴェーダに手で触れて、叫びました。

「ヴェーダの形をまとったシュリー・ラーマクリシュナに勝利あれ!」

 そしてギリシュはスワミ・ヴィヴェーカーナンダにこう言いました。

「兄弟よ、あなたはヴェーダとヴェーダンタについて十分な書物を読んできましたね。それらの中に、苦悩の叫び声、飢餓や姦通など恐ろしい罪をもたらしているこの国の悲惨さから人々を自由にする方法が見つかりましたか?」

 スワミ・ヴィヴェーカーナンダが沈黙している間、ギリシュはインド社会の悲痛な現状の説明を続けました。ヴィヴェーカーナンダの目から涙がこぼれ出し、彼は立ち上がって教室を出ていきました。

 ギリシュはヴィヴェーカーナンダの弟子たちに言いました。

「見たかね? なんと偉大で愛に溢れる心であることか! 私は君達のスワミジを、ヴェーダの学者としてだけでなく、真に尊敬している。彼の偉大な心は今、彼の同胞の悲しみを思って泣き、出て行ったのだよ。」
(25)

 ギリシュは晩年になっても、シヴァラートリー(シヴァ神の栄光を称える年に一度の祭典)の間は宗教的慣習に従って断食をしていました。あるとき、誰かが「あなたは老いていて体調もよくない。断食はしなくてもいいんじゃないのか?」と言いました。するとギリシュは「あるものをつかんだんだよ。」と言いました。

「それは何ですか?」

「ヴィジョンさ。」

「誰のヴィジョンですか・・・? シヴァ神かシュリー・ラーマクリシュナですか?」

「師のヴィジョンを見たのだ。」

「師はあなたに話しかけますか?」

「いいや。」

 そしてギリシュは、「それが私の最後の願いだ」と付け加えました。



 ギリシュは晩年、ひどい喘息に苦しめられました。それでも病気や痛みや苦しみは、彼の強い心を押し潰すことはありませんでした。喘息の発作中でさえ、微笑を浮かべてこのように言っていました。

「ねえ、私はこの不快な体に何の同情心も持っていないんだよ。この体のために栄養あるものを食べ、世話をした。それでもこの体は酷い喘息に付き合っている。正直なところ、この病気には治ってほしくない。喘息の発作が起こるたびに、肉体の無常性を思い出すからね。」

 そして彼は「慈悲深き主よ、死ぬまで帰依いたします。」と言いました。
(終)


 ある日ギリシュは、自分の死について深く考えていました。

「まあ、死というのはゆっくりと近づいてくる。死んだらどうなるんだろうか? 私はどこへ行くのだろうか?」

 そのときちょうどM(マヘンドラナート・グプタ)が自宅を訪ねてきましたが、ギリシュは死後のことについて考え続けていました。
 Mはギリシュに、師について話し始めました。すると突然、何かをひらめいた様子で、ギリシュはMに言いました。

「兄弟、ちょっとあなたの靴で俺をぶってくれないか? これは冗談じゃなくて、真剣な話なんだ。」

 Mは微笑んで、そんなことをしなければいけない理由を尋ねました。するとギリシュはこのように答えました。

「俺は実に靴でぶたれるにふさわしい人間なんだ。シュリー・ラーマクリシュナは私の心に座っていらっしゃる。そしていつも私を守ってくださっている。しかしまだ私は、死後のことなどを考えている!」


 また別のある日、ギリシュは兄弟弟子たちに、普段の調子で勢いよくこう言いました。

「この平凡な病気を、俺が治すことができないと思うかい? 私はできるんだよ。それを証明することもできる。もしドッキネッショルのパンチャバティの地面の上を転がって力強く師に祈りさえすれば、この病気は治るんだ。でも師がとても慈悲深いのも知っている。私がこの病気や悲嘆、痛みや苦しみを経験しているのは、彼のご意思なのだ。すべては私のためなんだ。彼の恩寵によって得たこの気持ちは、病気を治したいという気にならないほど強いんだよ。シュリー・ラーマクリシュナは願いを叶える樹なんだ。いつでも何でも、私が祈ればそれは叶った。」

 シュリー・ラーマクリシュナと触れ合ったことで、ギリシュの中には神意識が徐々に目覚めていきました。そして確固たる帰依と情熱が、さらにそれを強めていきました。あるとき彼は師について言及してこう言いました。

「私は彼に従い、彼を愛し、彼を礼拝することに何の困難さも感じない。しかし彼を忘れることは確かに難しい。」

 シュリー・ラーマクリシュナに会えなかった人々が、病気の運命を嘆き悲しんだりしているのを見ると、ギリシュはこう言いました。

「ガンガー女神がサガラ王朝を取り戻すために100本の小川に流れ込んだように、最終的に世界を取り戻すために多数の信者を通してシュリー・ラーマクリシュナの溢れんばかりの愛が流れているんだよ。」


 シュリー・ラーマクリシュナはギリシュに芝居や戯曲の制作をやめないように言ったので、彼は死ぬまでその仕事を続けました。1911年7月15日、カルカッタのミネルヴァ劇場が、ギリシュの最後の演技となりました。雨が降る寒い夜でした。彼は喘息に苦しんでいたので、人々は彼の体調を心配して演技をしないように言いました。しかしギリシュは、それは師の意思に反することだと言って聞き入れませんでした。また、もし出演をやめれば多くの観客が失望することも知っていました。しかしこの時の負担と天候が彼の病気を悪化させ、それ以来ギリシュの身体は急速に衰えていきました。
 心配する人々に対し彼は、「この肉体は私のものではなく、師のものだ。彼が思し召すまでこの体も保たれるのだろう。」と言いました。
 
 1912年2月8日、ギリシュは息を引き取りました。彼の最後の言葉は次のようなものでした。

「師よ、来てくれたのですね。どうか私の世俗的な毒を破壊してください。シュリー・ラーマクリシュナに勝利あれ! さあ、行こう・・・・・・」

 ギリシュはベテラン俳優の風格と勇敢さをもって劇場を去り、この世界からも退いたのでした。それ自体がまるで戯曲のように、彼の人生における奇跡的な変容の物語は、人から人へ、場所から場所へ、国から国へと伝わっていったのでした。彼の芝居や脚本、芸術を愛する心、貧困者や堕落者に対しての思いやり、そしてとりわけグルに対しての彼の強い帰依が、彼を不滅にしたのでした。


 

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