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聖者の生涯&言葉&聖者についてコミュの「ラーマクリシュナ福音」より抜粋

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コメント(11)

☆慈善について


 このような慈善活動をすることによって、あなたは実は、自分のためになることをしているのです。もし、それらを無私の心でおこなうことができるなら、心が純粋になって、神への愛が深まるでしょう。その愛を持つやいなや、あなたは神を悟るのです。
 人は、本当は世を救うことはできない。神だけがそれをなさるのです。――太陽と月をお作りになった彼、親たちのハートに彼らの子供たちへの愛を入れ、高貴な魂たちに慈悲心を、修行者や信仰者たちに神への愛をお授けになった『彼』だけが、それをなさるのです。いささかの利己的動機もなしに他者のために働く人は、実は自分のためになることをしているのです。
 あなたのハートの中には黄金が埋められています。しかしあなたはまだそれに気づいていません。それは薄い土の層で覆われています。ひとたびあなたがそれに気づけば、これらすべてのあなたの仕事は少しずつ減っていくでしょう。子供が生まれた後は、家の嫁はその子の世話にかかりきりです。彼女のすることは全部、子供のための仕事です。姑は彼女に、家の仕事はさせません。

 前進なさい。
 あるとき一人の木こりが、木を取りに森に入りました。一人の出家修行者が彼に『前進せよ』と言いました。彼は教えに従って前進すると、白檀の木を見つけました。数日後に彼は考えました。
『あの出家修行者は、「前進せよ」と言った。彼は、ここで止まれとは言わなかった。」
 そこでさらに前に進み、銀鉱を発見しました。数日後にさらに進んで金鉱を、そして次にはダイヤモンドやその他の宝石の鉱脈を発見しました。このようにして彼は、巨万の富を得たのです。

 無私の行為によって、神への愛が心に育ちます。それから、彼の恩寵によって、人はやがて彼を悟るのです。
 神は見ることができます。人は、私があなたに話しているように、彼に話をすることができるのですよ。」
☆神に目覚めよ


 雌虎が山羊の群れを襲った。猟師が遠くからそれを見つけて射殺した。雌虎の胎には子がいて、それが生まれてしまった。
 その子虎は山羊の群れの中で大きくなっていった。はじめは山羊の母親の乳を飲んでいたが、その後、少し成長すると草を食べ始めた。そして、山羊と同じようにビャービャーとなく。だんだん成長して大虎になったが、相変わらず草を食べ、ビャービャーとないている。他の野獣に襲われると、山羊と一緒になって一目散に逃げ出す!
 ある日、猛虎が山羊の群れを襲った。彼は、びっくり仰天して眺めた。山羊どもの中に虎が一匹いて、草を食べている。しかも、山羊と一緒になって逃げ出した!
 それで、山羊どもはほうっておき、その珍しい草くい虎を捕まえた。そいつはまだビャービャー哀れな声を出して、逃げようとするんだ! 苦心しながら水際まで連れて行った。そして言い聞かせた。

「この水に映っているお前の顔を見ろ。そーれ、よく見るんだ。俺は、鍋のように丸い顔だが、お前の顔も俺と同じだろう。」

 次に、一片の肉を口の中に押し込んでやった。はじめ彼は、何だろうかと思って食べようとしなかったが・・・・・・やがて、味を覚えて肉が好きになった。そこで、猛虎はまた言い聞かせた。

「お前は山羊どもと一緒に暮らして、あいつらと同じように草を食っていたんだぞ! 恥知らずめ!」
 
 それを聞いて、彼は本当に恥ずかしく感じた。

 草を食うとは、愛欲とお金にしがみついていることだ。
 ビャービャーないて逃げるのは、世間一般の人間と同じように行動することだ。
 猛虎と一緒に行くのは、グルが神の意識に目覚めさせてくださることだ。そのお方にすべてお任せして、そのお方こそ自分の本当の身内であると知ることだ。
 そして、自分の正しい顔を見ることは、尊い自己の本性を悟ることだ。
 神お一人だけが、永遠に自分のものなのだ。うれしいときも悲しいときも、あのお方のことを思っているといい。
 塔の下にいるうちは、車だの馬だの、西洋風の紳士淑女たち――こういうものばかりが見える。
 頂上に登ると、ただ空と海が広々と果てしなく広がっている! そして、家屋敷、人間などに気を引かれなくなる。
 だって、みんなアリみたいに見えるんだもの!
☆信


 ときどき高徳の人びととともに暮らし、ときどきひと気のないところに行って神を瞑想するのだ。その上に識別を行なって、神に、『私に信仰と帰依心をお与えください』と祈らなければならない。人がひとたび信仰を得たら、彼はいっさいを得たのである。信仰よりも偉大なものはない。
 (ケダールに)お前は信仰の巨大な力についてきいたに違いない。プゥラーナに書いてあるのだが、神ご自身――絶対なるブラフマンの権化――であられるラーマが、セイロンに向かって海を渡るのに橋をつくらなければならなかった。しかしハヌマーンは、ラーマの御名を信じてひと跳びに海を越え、向こう岸に着いた。彼は橋を必要としなかったのだ。(みな笑う)
 あるとき、ある男が海を渡ろうとしていた。ビビシャナはラーマの御名を木の葉に書いてその男の着衣の端にくくりつけ、彼に言った、『恐れるな。信仰をもって水の上を歩け。しかしよくきけ。信仰を失ったらその瞬間にお前はおぼれるぞ』と。男はやすやすと水の上を歩いた。突然、彼は、自分の着衣のなかになにが結びつけてあるのか見たい、という強い願望に駆られた。彼はそれを開いたが、ラーマの御名の書かれた一枚の木の葉を見ただけだった。『これはなんだ、ラーマの御名だけではないか!』と彼は思った。疑いが彼の心中に起こるやいなや、彼は水中に沈んでしまった。
 もし人が神への信仰を持っていれば、たとえ彼がもっとも邪悪な罪――雌牛かブラーミンか女を殺すというような――を犯したとしても、その信仰によって間違いなく救われるであろう。神に向かって『おお主よ、このようなことを二度といたしません』と言いさえすれば、何も恐れることはないのである。

 信仰によって神を見ることができる。
 しかしそれは、プレーマ・バクティ(真の愛のバクティ)とか、ラーンガー・バクティ(赤く燃えるバクティ)というような、成熟した信仰でなければダメだよ。あのお方を心の底から好きになることだ。――子が母を慕うように、母が子を愛するように、妻が夫に恋するようにね。
 神に対してこのような信仰を持つようになると、妻子、親戚、友人などに盲目的に執着するということがなくなる。
 慈悲の気持ちを持っているだけだ。
 この世はどこかよその土地で、ただちょっと仕事をしに来ているだけ・・・・・・という感じになる。故郷に家屋敷があるのだが、カルカッタに仕事があるから、そのためにカルカッタに家を借りて住んでいる、というわけさ。
 神を愛するようになると、この世への執着や、俗っぽい感覚からすっかり抜け出せるようになるよ。
 信仰(バクティ)こそ、この世で一番大切なもの。正しい信仰を持つ人には、何一つ恐れることも、悩むこともない。
 母なる神がすべてを見ていてくださっている。守り導いてくださる。
 善業には善果があり、悪業には悪果がある。コショウをなめると口がひりひりするだろう?
 しかし、これも皆、あのお方のリーラーだ。
 カルマの果報はあるよ。だが、あのお方を本当に信じている人にとっては、話は別だ。
 神がすべてを為したまう。あのお方が使い手で、私は道具なのだ。この信念が不動のものになれば、その人はこの世で生きているうちから大自在だ。


 神がしている神の仕事
 人は私がするという。
 ただ一人、あのお方だけが行為者で、私は人形か道具にすぎない。 ――この不動の信念ができたら、ジーヴァーンムクタ(生前解脱者)だ。

 
 私のいつ日救われる?
 それ、その私が消えたとき。
 人望とか、学問とかいうものに忙しがっているから、神を見ることができないのさ。
 子供がおもちゃで遊んでいる間は、母親は放っておく。赤くてかわいい、子供の好きそうなおもちゃがあるからね。
 子供がおもちゃに飽きて投げ捨てて、『おかあさーん!』と言って泣き出すと、母親は料理中の鍋まで火から下ろして、子供のところへ飛んでくるさ。
 神をつかむためには、強烈な離欲の精神がいる。神への道に邪魔だと思うものがあれば、すぐに捨てなけりゃいけない。もう少し後で、などと言って、そのままにしておいてはダメだ。
 愛欲と金が、神に通じる道の障害物だ。この二つから心を離すことだよ。
 グズグズしてたいたら、ダメ。

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