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聖者の生涯&言葉&聖者についてコミュの聖者の生涯「ブラフマーナンダ」

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☆Shavari先生(http://mixi.jp/show_friend.pl?id=535251&from=navi)の書かれた、「クリシュナの永遠の友達」といわれた、ラーマクリシュナの弟子「ブラフマーナンダ」の生涯をご紹介いたします。

コメント(35)

(1)「師との出会い」

 1863年1月21日、カルカッタに近いシクラという村で、アーナンダ・モハン・ゴーシュとケラシュ・カミニの一人息子が生まれました。母のケラシュ・カミニがクリシュナの信者だったので、子供はラカール(クリシュナの友達の羊飼いの少年)と名付けられました。この母はラカールが5歳のときに亡くなりました。

 村の小学校を卒業すると、ラカールはカルカッタの中学校に入学しました。中学校ではラカールは運動クラブに所属し、そのリーダーとしてナレンという立派な少年がいました。このナレンこそ、後のヴィヴェーカーナンダでした。このようにしてナレンとラカールは、運命的に出会い、同い年の二人は大の仲良しとなりました。

 この当時、ケシャブ・チャンドラ・セン率いるブラフモ・サマージという宗教組織が、ベンガル地方の知的な人々の中に新たな宗教心を呼び起こしていました。ブラフモ・サマージの中心教義は「神は一つ」ということであり、伝統的なヒンドゥー教の多神教的な面を非難し、また寺院などにまつられる神像などを拝むことを拒否しました。
 ナレンとラカールもこの運動に参加し、その教義に従うことを署名しました。

 ラカールは学業にはあまり身を入れず、ただ唯一なる神への祈りと瞑想のみに没頭しました。
「どうしたら唯一なる神に達することができるのか」
 これが、彼の心を占める唯一の思いでした。

 ラカールは几帳面にブラフモ・サマージの礼拝の儀式に参加し、また自らも瞑想を行ない、日々絶え間なく祈りと瞑想をし続けました。

 しかしラカールの父は、学業をおろそかにして神への祈りや瞑想に没頭するラカールの態度を良く思わず、ラカールの心を世俗に向けるために、ラカールをヴィスウェシュワリという少女と結婚させました。

 しかしこのラカールの父の策略は、全く反対の結果を生むこととなりました。なぜなら、この新妻のヴィスウェシュワリの兄と母は、ラーマクリシュナの熱心な信者だったのです。

 ヴィスウェシュワリの兄であるマノモハンは、義理の弟となったラカールを、ラーマクリシュナに合わせたいと考えました。


 さて、こうしてラカールがラーマクリシュナを訪ねることになる少し前に、ラーマクリシュナは不思議なヴィジョンを見ていました。
 あるときラーマクリシュナは母なる神に、
「母よ。私は私の永遠の伴侶となる者が欲しいです。
 心が清らかで、深くあなたに帰依している少年を連れて来てください。」
と祈りました。

 その数日後、ラーマクリシュナは、カーリー寺院の境内のバンヤン樹の下に、一人の男の子が立っているヴィジョンを見ました。

 またその数日後、ラーマクリシュナは、母なる神が小さな男の子をラーマクリシュナの膝の上に乗せ、
「これがお前の息子です」
と言うヴィジョンを見ました。
 またその数日後、ラーマクリシュナは別のヴィジョンを見ました。それは、ガンガーの河面に美しい千枚花弁の蓮華が咲いており、その蓮華の上で、二人の男の子が躍っているというヴィジョンでした。そのうちの一人はまぎれもなくクリシュナであり、もう一人は前のヴィジョンで見たのと同じ男の子でした。この二人のダンスはたとえようもなく美しく、一つ一つの動きで美の大海の泡が飛び散るようでした。この聖なるヴィジョンに圧倒されながら、ラーマクリシュナは恍惚状態に入りました。
 まさにそのとき!――一艘の船が、マノモハンとラカールを乗せて、ドッキネッショルに到着しました。ラカールを見た瞬間、ラーマクリシュナはおどろきました。

「これは何ということだ!? あの子はまさにバンヤン樹の下に立っていた子だ。母が膝の上に置いて下さった子だ。たった今、蓮華の上でシュリー・クリシュナと踊っているのを見たばかりの少年だ。これが、私が母にお願いをした、心の清らかな伴侶なのだ。」

 ラーマクリシュナは、しばらく無言でラカールを見つめた後、マノモハンに、
「この子は素晴らしい可能性を持っているよ」
と言いました。そしてラーマクリシュナは、まるで旧友と再会したかのように、しばらくラカールと親しげに話をしました。

「名は何というのか?」

「ラカール・チャンドラ・ゴーシュです。」

 「ラカール」という名を聞くと、ラーマクリシュナは深く感動し、つぶやきました。
「ラカール! ヴリンダーヴァンの羊飼いの少年――シュリー・クリシュナの遊び相手だ!」

 そして最後にやさしい、愛に満ちた声で、
「ぜひまた遊びにおいで」
と言いました。

 ラカールは、初めてラーマクリシュナと会って、特別な喜びの感情と、愛と、そして強烈な魅力を感じました。寺院を出てからも、「ぜひまた遊びにおいで」というラーマクリシュナの優しく美しい声が、胸の中でこだまし続けていました。

 ラカールは家に帰り、学校に行きましたが、ラーマクリシュナのことしか考えられず、早くまたラーマクリシュナに会いたくてたまりませんでした。
 そして数日後、ラカールはひとりでラーマクリシュナをたずねました。ラーマクリシュナは大変喜んで、言いました。
「なぜもっと早く来なかったのか。私は待っていたのだよ。」

 ラカールは何と答えていいかわからず、ただラーマクリシュナをじっと見つめていると、また前にも感じたような、恍惚とした喜びがこみ上げてきました。

 こうしてラカールは次第に足しげくラーマクリシュナのもとへ通うようになり、時には何日もラーマクリシュナの部屋に泊まりこみました。ラーマクリシュナのもとにいる間はラカールは全く世間を忘れ、神の意識に没入するのでした。

 ラカールの父親は、さまざまな方法で、ラカールの心を世俗の生活へと引き戻そうとしました。ドッキネッショルへ行ってはならぬと厳しく命じましたが、まるで効果がないと知ると、ついに彼はラカールを家の中に閉じ込めました。ラカールは師のもとへ行きたいと強く熱望し、それを知ったラーマクリシュナは、ラカールの霊的修行の過程に横たわる障害が取り除かれるよう、熱心に母なる神に祈りました。
 
 数日後、父親が仕事に打ち込んでいる隙を見て、ラカールはついに家を抜け出し、ラーマクリシュナのもとへと走りました。その後、父親はそれに気づきましたが、ある訴訟事件のために法廷に出なければいけなかったので、数日間はどうすることもできませんでした。
 数日後、やっと暇ができると、父親はラカールを連れ帰ろうと、ドッキネッショルにやってきました。父親がやってくるのを見ると、ラカールは恐れて隠れようとしましたが、ラーマクリシュナはそれを許しませんでした。そこでラカールは師に促されて、父親に会い、愛と尊敬をこめて挨拶をしました。
 すると奇跡が起こりました。あれほど執拗に反対していた父親が、もはやラカールに帰宅を強要することなく、ただラカールを時々自分のところへよこしてくださいと、ラーマクリシュナにお願いしたのでした。




つづく
(2)「師のもとで」

 こうしてラカールは、ドッキネッショルのカーリー寺院で、ラーマクリシュナと一緒に暮らし始めました。

 ある日、ラカールの若い妻が、母と一緒に寺院にやってきました。彼女を見て、ラーマクリシュナは言いました。
「彼女は神々しい性質を持って生まれている。決してラカールの霊的進歩の妨げにはなるまい。」

 そしてラーマクリシュナはホーリーマザー(ラーマクリシュナの妻のサーラダー・デーヴィー)に、この少女を祝福し、義理の娘として歓迎しなさい、と伝えました。こうしてホーリーマザーの祝福を受けて、ラカールの妻とその母は家に帰りました。

 
 ある日ラカールはラーマクリシュナに、自分はたいそうお腹が空いているのだが、何も食べるものがない、と告げました。それを聞くとラーマクリシュナは非常に心配して、寺院に面している河に向かって、
「おお、グールダーシー! 早く来ておくれ! 私のラカールがお腹が空いているのだよ!」
と叫びました。

 すると間もなく、ラーマクリシュナの女性の弟子のグールダーシーが、数人の他の弟子たちとともに、食べ物を持って船で到着しました。ラーマクリシュナは子供のように喜んで、ラカールを呼んで言いました。

「ご馳走が来た! さあ、行っておあがり。お前、ひどくお腹が空いているのだろう?」

 ラカールは決まりが悪くなり、小声で、
「はい、確かにお腹は空いています。でもそれを広告なさらないでもよいのに。」
と言いました。

 ラーマクリシュナは無邪気に、
「お腹が空いているのならそう言って何が悪いのだ。さあ、行っておあがり。」
と言いました。



 あるときラカールは、ラーマクリシュナを油でマッサージしながら、超越的ヴィジョンの力をお授け下さいと師に懇願しました。ラーマクリシュナはそれを聞き流して黙っていましたが、ラカールが何度もしつこく繰り返すと、ラーマクリシュナは突然振り向いて、荒々しい言葉を発しました。ラカールは腹を立て、油の入った瓶を床に叩きつけて、走り去りました。
 しかし寺院の門まで来ると、突然、足が麻痺したようになり、一歩も進むことができなくなり、ラカールはどうしようもできずに道端に座り込みました。
 間もなく、ラーマクリシュナは甥のラームラールをつかわして、ラカールの怒りをなだめさせました。ラームラールに連れられてラカールが再び姿をあらわすと、ラーマクリシュナは微笑みながら言いました。
「ね! 私の周りにひいておいた線の外には、一歩も出られなかっただろう!」
 ラカールが恥じて黙っていると、ラーマクリシュナは恍惚状態に入り、母なる神に向かって話し始めました。
「おお母よ、あなたが彼に、あなたのお力の16分の1をお与えになったことを私は知っています。彼の内部のその力は、全人類を益することでしょう。」

 そしてその恍惚状態のまま、ラカールに言いました。
「お前は私に腹を立てた。なぜ私がお前を怒らせたのか、わかるか。それには目的があったのだよ。薬は、腫れものの口が開いたときに初めてきくだろう。
 神は形を持ってもいらっしゃる。形を通して見ることもできる、ということを信じなさい。神は、自分の心を支配しえた人にお姿をお見せになるのだ。」

 そしてその数日後、ラーマクリシュナの足をマッサージしているとき、ラカールは突然外界の意識を失い、彼が切望していたあの超越世界に入ったのでした。

 後年、ラーマクリシュナはよく、部屋の中のある場所を指し示し、ここがラカールが初めてサマーディに入った場所だと、皆に教えたのでした。

 
 
つづく

(3)世俗との別れ


 ナレンドラ(後のヴィヴェーカーナンダ)は、ラカールより6か月ほど早く、ラーマクリシュナに会っていました。二人は、同じ聖者(ラーマクリシュナ)を師とし、その師のもとで再会したことを喜びました。
 しかしある日ナレンドラは、ラカールがラーマクリシュナの指示に従ってカーリー聖堂に入り、母なるカーリーの像に礼拝しているのを見て、ショックを受けました。ナレンドラとラカールはかつてブラフモ・サマージにおいて、偶像崇拝はしないという誓いを立て、署名していたからでした。
 まだ母なるカーリーの実在性に気づいていなかったナレンドラはラカールを激しくとがめ、二人は一時険悪になりましたが、ラーマクリシュナが慈愛をもって仲を取り持ち、この偉大な弟子である二人の少年はすぐにまた仲直りしたのでした。


 さて、こうしてラカールがラーマクリシュナのもとで修行にはげみ、二年の月日が過ぎました。ラカールはほとんど修行と師への奉仕に没頭していたために、彼の若い妻のことは全く省みていませんでした。しかし彼の妻の母であるシャーマスンダリーはラーマクリシュナに深く帰依していたので、ラカールを理解し、逆に自分の娘がラカールにふさわしい妻になるように訓練しました。
 あるとき隣人がシャーマスンダリーに、
「お宅のお婿さんはお坊さんになろうとしていらっしゃるらしい。お嬢さんのために、彼の心を世俗に連れ戻す工夫をしなさいよ」
と言いました。
 それに対してシャーマスンダリーは答えました。
「私に何ができましょう。一切は主の思し召しにかかっています。もし婿がお坊さんになるなら、私はそれを、大きな恩寵として受けましょう。」

 ラカールはすでに世俗への未練はありませんでしたが、ラーマクリシュナはラカールに、時々妻のもとを訪れるように指示しました。ラカールはそれに従い、時々妻のもとに行きましたが、だんだん、妻の将来のことを心配するようになりました。ついにラカールはラーマクリシュナに、妻を捨てて修行一筋に生きるべきか、妻のために世俗で義務を果たすべきか、どちらの道を選ぶべきかを相談しました。しかしラーマクリシュナは、ハッキリとした指示を出すことは拒みました。
 重い心を抱えたまま、ラカールは妻のもとに帰り、「道を示したまえ」と心の中でラーマクリシュナに祈り続けました。すると数日後、突然、ラカールの視界を覆っていた一枚のヴェールが落ち、彼は神のマーヤー、母なる神のお遊び(リーラー)を見ました。彼は自分がどの道を選ぶべきかをはっきりと確信しました。自分と妻は、結婚という絆で縛られるべきではない、ということをはっきりと知りました。ラカールは神の道で、果たさねばならぬ大きな使命をもっていたのです。また彼は、妻の将来が守られていることを確信しました。そして不思議なことに、妻もまた、自分の人生が平安に満たされていることを感じました。
 そこでラカールは妻に別れを告げ、ラーマクリシュナのもとへ帰りました。ラーマクリシュナは、何が起こったのかをすべてご存知でした。ただ黙って微笑しつつ、愛する霊の息子の帰宅を迎えたのでした。

 

つづく


(4)修行の深化


 ラカールはラーマクリシュナのもとで激しい情熱をもって修行に励んでいましたが、あるとき彼は、規則正しく瞑想することをやめてしまいました。それに気づいたラーマクリシュナがその理由を尋ねると、ラカールは答えました。

「常に霊感を受けるというわけにはまいりません。ハートが干からびたように思われ、虚しさを感じるのです。」

 これを聞いて、ラーマクリシュナは言いました。

「そんな理由で、決して瞑想を怠ってはならない。修行を実践する決意をせよ。そうすれば情熱は自然にわいてくる。百姓の家に生まれて百姓を仕事としている者は、収穫がなかったというだけの理由で百姓をやめることなど、しもしないし、できもしないだろう。そのようにお前も、たとえ目に見える効果がなくても、瞑想をやめてはいけない。修行は几帳面にやり続けなければならない。」

 この会話の後、ラーマクリシュナは、いつものように礼拝のためにカーリー女神の聖堂に行きました。ラカールもそれについていき、聖堂に面にした広間に座って瞑想を始めました。
 すると突然ラカールは、カーリーの聖堂が光り輝くのを見ました。光はさらに強まり、ついには太陽そのもののようになりましたが、しかし眼をくらませるような光ではなく、それはやさしく柔らかに輝いていました。さらにその光は聖堂から外に伸び、ラカール自身をも包み込むように思われました。ラカールは怖くなり、立ち上がって広間の外に出て行きました。
 そしてラカールが自分の部屋に帰ると、そこにラーマクリシュナがやってきて、言いました。

「なぜおまえは逃げたのか。
 お前は、ハートが干からびて霊的ヴィジョンが得られないと不服を言いながら、何でもを経験するとなると恐れる。それはよくないぞ。」

 
 その数日後、ラカールは聖堂の前の広間で瞑想し、恍惚的な歓喜状態に浸っていました。するとそこにラーマクリシュナがやってきて、恍惚状態でラカールに近づくと、ラカールに特別なマントラを授け、
「見よ! お前のイシュタ(その修行者と特別な関係がある主神)である!」
と言いました。
 するとラカールは、彼のイシュタが、目の前に、実際に生きた存在として立っているのを見ました。それは光り輝き、口元に微笑をたたえていました。
 その後、恍惚状態から覚め、通常の意識を取り戻すと、ラカールはラーマクリシュナの足元にひれ伏しました。

 またあるとき、ラカールが瞑想していると、心が全く無感動で、しかも不安定な状態になりました。それをしずめようといかなる努力をしても無駄でした。この失敗に失望落胆したラカールは、瞑想をやめて席を立ちました。するとそこへラーマクリシュナがやってきて、言いました。
「お前の行く手に障害物が見える。舌を出してごらん。」
 ラカールは舌を出すと、ラーマクリシュナはそこへ指である線を引き、
「さあ、行って座りなさい。」
と言いました。
 ラカールが瞑想すると、自分の心が既に散乱状態から脱しているのを知りました。


 この時期に、ラーマクリシュナはラカールに様々な修行法を教え、ラカールはそれらを熱心に修行しました。その結果、ラカールは頻繁に恍惚状態に入るようになり、またさまざまなヴィジョンや神秘体験をしました。しかし、それらを誰にも話してはいけないというラーマクリシュナの指示を守り、師以外には自分の体験を話すことはありませんでした。

 あるときからラカールは、人の心の中が、まるでガラス戸を通して中を見るように、ハッキリと見通すことができるようになりました。ラカールはこの力を使って、ラーマクリシュナを訪ねて来る人々の心のなかを見て、真面目で熱心な人以外は、ラーマクリシュナに会わせないようにしました。しかしこれをラーマクリシュナが知ると、ラーマクリシュナはラカールを厳しく叱責して言いました。
「お前の力をこのように使うことは卑しいことなのだ。オカルト的な力に関心を持つ者は、完全なる神の叡智の中に生きることはできない。」

 後年、ある男が、ラーマクリシュナの弟子たちを指して、
「彼らは神通力を持っていないから聖者ではない」
と言ったとき、ブラフマーナンダ(ラカール)はこう言いました。
「オカルト的な力を得ることはやさしいことだが、心の清らかさを成就するのは、非常に難しいことだ。心の純粋性を見出すのが、宗教の本当の真理を知ることなのだ。」



つづく

(5)ラカールの病気と師の病気


 あるとき、ラカールは重い病気にかかりました。ラーマクリシュナはラカールを、治療のためにカルカッタに住む在家信者のバララームの家に送りました。ラーマクリシュナは特に気を付けてラカールの世話をするようにバララームに頼み、言いました。
「ナレンやラカールのような少年たちは、神から与えられた使命をもって生まれてきているのだ。彼らに奉仕することは神に仕えることなのだ。」
 しかしカルカッタの気候がラカールの病気に合わなかったため、バララームはラカールをヴリンダーヴァンへと連れて行きました。ここでラカールはヴリンダーヴァンの神聖さに感動し、病気も回復に向かいましたが、その後再び病気は悪化していきました。これに関してラーマクリシュナは、弟子たちにこう言いました。

「私はこの上なく心配した。ヴリンダーヴァンは、シュリー・クリシュナが若い時を過ごした聖地である。母が私に、ラカールはシュリー・クリシュナの遊び相手であり、ヴリンダーヴァンの牧童の一人である、とお示しになったから、私はラカールがヴリンダーヴァンで自分の過去の生涯を思い出しはせぬかと心配した。もしヴリンダーヴァンでラカールが自分とクリシュナとの関係を思い出したら、彼はそこで肉体を捨てるかもしれないのだ。それだから私は、熱心に母なる神に祈った。すると彼女は、心配する必要はない、と請け合ってくださった。」

「私は母なる神に、ラカールの回復をお願いした。ラカールは一切を捨て、完全に私に依存しているのだ。
 なぜ私がこれらの少年たちをこんなにも愛するのか。彼らのハートが清らかだからなのだよ。」


 しばらくして病気から回復したラカールがラーマクリシュナのもとに戻ってくると、そこには以前以上の多くの新しい弟子たちが集まっており、その中にはラカールの昔の学校の友達もたくさんいました。
 そしてその後まもなく、ラーマクリシュナは重病にかかり、療養のためにコシポルのガーデンハウスに移りました。ラカールもそこへ一緒についていき、またそれまで通いでラーマクリシュナのもとにやってきていた若い弟子たちも、一人また二人と、すべてを捨ててラーマクリシュナのもとへ泊りこみ、病床のラーマクリシュナへの奉仕をするようになりました。この時期に、後のラーマクリシュナ僧団の基礎ができ、集まった若い弟子たちは、師に奉仕する日々を送りながら、現世放棄の理想に燃えました。
 ラーマクリシュナは病床にありながらも、弟子たちの各々の素養に応じた方法で弟子たちを導きました。ラーマクリシュナは病気ではありましたが、ガーデンハウスは至福の場所になり、弟子たちのハートは、神とともにある喜びにあふれていました。
 
 この時期、ラーマクリシュナはナレン(後のヴィヴェーカーナンダ)を育てるために、毎日何時間もそばにおいて、さまざまな教えを与えました。あるときの会話の中で、ラーマクリシュナはナレンに言いました。
「ラカールは王者に値する鋭い智性をもっている。彼が望みさえしたならば、一国の王となることもできただろう。」
 これを聞いて、ラーマクリシュナの胸中を知ったナレンは、あるとき、若い弟子たちで一緒に座っているときに、皆にラカールの偉大さを語り、
「今日からわれわれは、ラカールをわれわれの王(ラジャ)と呼ぼう」
と提案しました。皆は、ラーマクリシュナがラカールを特別に愛していることを知っていたので、皆、このナレンの提案に喜んで同意しました。これを知ったラーマクリシュナも、喜んでそれを承認しました。こうしてラカールはラジャ(王)というニックネームで呼ばれるようになり、そしてさらにのちにはマハラジ(大王)と呼ばれるようになりました。

 このようにして、病気というリーラー(神の遊戯)を利用して若い弟子たちを身近に集め、彼らに救済者としての種子を植え付けたラーマクリシュナは、自分の使命が達成されたことを知り、1986年8月15日、マハ−サマーディに入り、肉体を捨てて母なる神の中へと融合したのでした。
 

 
つづく

(6)出家の誓い



 あまりにも偉大であり至福の源であった師ラーマクリシュナの死後、弟子たちは空虚さを感じました。しかし師の意思を引き継ぐべく、若い弟子たちはバラナゴルに僧院を作り、ナレンを中心としてラーマクリシュナ僧団が結成されました。
 このときに集まった若い弟子たちは、ラーマクリシュナが病床にあるときにすでに師から出家修行者の衣を授けられていましたが、ナレンの提案により、改めて出家を誓う正式の儀式を行ない、皆が出家者としての新しい名前をつけることになりました。
 ナレンはさまざまに名前を変え、最後にヴィヴェーカーナンダという名前で世界中で有名になりました。
 ラカールはブラフマーナンダという名前になりました。しかし多くの信者や兄弟弟子たちは、尊敬と親しみをこめて彼をマハラジ(大王)と呼びました。

 ラーマクリシュナが残したこの若き弟子たちは、いまや一心不乱に修行に励みつづけました。彼らは貧しく、食べるものが全くない日もあり、野菜も塩もなくただ味のない米だけを食べる日々もありましたが、そんなことは問題にはなりませんでした。彼らの唯一の思いは神のことであり、神の実現のためだけに、彼らは日々激しい修行に没頭し続けました。

 あるときブラフマーナンダはバラナゴルの僧院の庭で、M(ラーマクリシュナの主要な在家信者の一人で、「ラーマクリシュナの福音」の著者)とこのような会話を交わしました。

ブラフマーナンダ「もう、一瞬も浪費することはできない。修行に深く飛び込むのだ。」
  
M「君の言うことは本当だ。僕には君が偉大な信仰心に満たされていることがよくわかる。」

ブラフマーナンダ「僕の今の気持ちを、なんと言ったら説明することができるのだろう。
 今日の昼ごろ、ナルマダに行って厳しい修行をしたいという強い願望に駆られました。瞑想に深く沈潜するのでなければ、何一つ成就することはできません。外の世界は心を散らすものでいっぱいです。清き永遠の解脱者シュカデヴァでさえ、世間の喧騒を恐れました。」

M「そうだ。ヨゴパニシャッドには、シュカデヴァが世間――マーヤーの領域――を放棄した時の有様が書いてある。シュカデヴァと父のヴィヤーサとの問答も書いてある。ヴィヤーサは彼に、世間の生活をしながら神を見出すことを勧めた。シュカデヴァは答えて、『唯一の真理は神です』と言うのです。彼は世間の生活の虚しさ、色欲と物欲の虚しさを知ったのだ。」

ブラフマーナンダ「多くの人は間違えて、女との交際を避ければ十分だと考えているけれど、昨晩ナレンは、真実を見事に表現しました。彼は、『男が色欲をもっている限り、彼にとって女は存在するのだ。色欲から解放されれば、人は性の違いを見なくなる』と言ったのです。」

M「それは本当だ。子どもたちは性の違いを見ないもの。」

ブラフマーナンダ「だから僕は、内に深く飛び込まなければだめだと思うのです。明智に到達するためには、人はマーヤー、色欲と物欲の領域を越えなければなりません。」


 このように、ヴィヴェーカーナンダやブラフマーナンダをはじめとする若い弟子たちは、完全な現世放棄の生活に入り、神に浸りきって生活したい、と熱望していました。彼らははすでにラーマクリシュナの存命中に、ラーマクリシュナの力によって、超越的な瞑想状態を何度か経験させられていました。そして今、師の恩寵によってほんのひととき経験したその真実の経験を、自分たちの努力によって永遠に自分のものにしたい、完全にその意識の中に生き続けたい、と思っていたのです。




つづく

(7)放浪の旅へ


 放棄の念に燃えていたブラフマーナンダは、ある時、ヴィヴェーカーナンダに、しばらくの間、無一物の放浪僧として、すべてをただ神にゆだねて生きたい、と言いました。ヴィヴェーカーナンダはそれを認めましたが、ブラフマーナンダを深く愛していたヴィヴェーカーナンダは、兄弟弟子のスボダーナンダを、身の周りの世話をするために同行させることを提案しました。ブラフマーナンダは本当はひとりで放浪したかったのですが、愛するヴィヴェーカーナンダの頼みを断ることはできず、スボダーナンダとともに放浪の旅に出発しました。

 二人はベナレスに一ヶ月間滞在した後、ナルマダ河の堤に立つオンカルナート寺院に行きました。ブラフマーナンダはそこで、六日間連続でニルヴィカルパ・サマーディの中に住しました。
 六日後、通常の意識に戻ってきたとき、彼の顔は悟りの喜びに輝いていました。神の非二元性をありのままに経験し、梵我一如の真実を悟ったのでした。

 その後も二人は旅を続け、ゴダヴァリ河畔の、ラーマとシーターが暮らしたといわれている場所にやってきました。そこでブラフマーナンダは、ラーマとシーターの姿を、実際にありありと見、三日三晩、サマーディに没入しました。

 このようにブラフマーナンダが頻繁にサマーディに没入しているとき、スボダーナンダは、細心の注意を払って、ブラフマーナンダのそばについていました。このようなサマーディに長期間連続で入った場合、そのまま肉体に戻って来なくなる危険性があることを知っていたからです。

 この後、二人はクリシュナの聖都ドワーラカーへと向かいました。そこで一人の信仰深い裕福な商人に出会いました。彼はブラフマーナンダとスボダーナンダの真摯で神聖なふるまいや言葉に感服し、さまざまな形での援助を申し出ました。しかしブラフマーナンダはそれをすべて断り、こう言いました。

「私は、誰から何をしてもらう必要もないのです。主が、私の唯一のよりどころです! 彼が、私どもの世話をしてくださいます!」

 そこで商人は一冊のバガヴァッド・ギーターを贈り、二人の僧はそれだけを喜んで受け取りました。




つづく

(8)ヴリンダーヴァンからの手紙


 ドワーラカーを立ったブラフマーナンダとスボダーナンダは、さらにいくつかの聖地を巡った後、ヴリンダーヴァンにつきました。ここはクリシュナが若き日を過ごした場所で、ブラフマーナンダはかつて病気療養のために、ラーマクリシュナの在家信者のバララームとともに、一度ここへ来たことがありました。
 この聖地への二度目の訪問中に、ブラフマーナンダはバララームに、次のような手紙を書きました。

「誰が神のみわざを推し量ることができましょう? 誰か彼の神聖なお遊びを知ることができましょう?
 人はカルマに縛られている間は、幸と不幸との支配を受けなければなりません。学識があろうとなかろうと、善人であろうとなかろうと。――これがあらゆる人間の運命です。混ぜ物のない至福を得ている人は本当にまれです! すべての欲望から解放された人だけが、尽きることのない喜びを見出すのです。

 この世には幸福より不幸の方が多い。大部分の人は、不幸な生活をしています。父なる神は愛深く親切です。その子供たちが苦しむ理由を、誰が説明することができましょう。

 人は、自分の迷妄のゆえに苦しむのです。この迷妄は、要するに彼のエゴの感覚です。人が『我がもの』と呼ぶもの一切を捨て、彼の生命も、彼の心も、そして彼の知性をも万物の主の清き御足のもとにゆだねて、このエゴイズムから解放されたとき――そのときにこそ、彼は本当に恵まれているのです。そのような人だけが本当に幸福なのです。

 自分の力では、人は何一つ成し遂げることはできません。なすべきことはたった一つ、神に祈ること、そして不断に祈ること。これをすれば、われわれはエゴを忘れきり、神のみが実在であるということを、神のみが真理であるということを、始終覚えているでしょう。そのときにはじめて、われわれは迷妄から解放されるのです。

 シュリ・ラーマクリシュナはよくこうおっしゃいました。
『何人の人々が、自分の身内を愛するのと同じように神を愛していることやら。神を愛したいと思っている人でさえ、何人いることやら。』

 心は、外界の形成要素でもある三つのグナによって作られています。それだから心は、世間のことを考えるのが好きなのです。これがまさに心の性質であり素質であるのです。人がわが心を外界から内部に引っ込めて、神の聖なる御足に集中せしめることができるのは、ひとえに神の恩寵によることです。

 私は主に、物質界の意識から完全に解放してください、と祈ります。グルの蓮華の御足の中に浸りきりでいられますよう、どうぞお恵みください――これが、私の心中の、たった一つの願いです。」



つづく

(9)熱望


 ヴリンダーヴァンにおいてブラフマーナンダは、物質界の意識をほとんど失い、連続した恍惚状態の中に生きていました。兄弟弟子のスボダーナンダとさえ、ごく稀にしか口をききませんでした。ブラフマーナンダは肉体はこの世に置きながらも、心は全く別の世界に生きていたのです。

 スボダーナンダはブラフマーナンダのために、毎日、托鉢をして食物を集めてきて、それを黙ってブラフマーナンダのそばに置くのでした。ブラフマーナンダは決まった時間に瞑想から起きて、スボダーナンダが持って来てくれた食物を食べるのですが、たまたまスボダーナンダの帰りが遅く、そこに食物が置いていなかったときは、そのまま何も食べずにまた瞑想に入り、次の日の同じ時間まで何も食べずにまた瞑想し続けるのでした。

 ブラフマーナンダがこのように寝食を無視して瞑想に没頭するのを見て、スボダーナンダがある日こう尋ねました。
「なぜこんな厳しい生活をするのですか? あなたは神の化身の息子なのです。あのお方(ラーマクリシュナ)がすでに、あなたのためにあらゆることをなさったではありませんか。あのお方の恩寵によってサマーディも経験なさった。それなのになぜまだ、乞食のように座って、主の恩寵を乞わなければならないのですか?」

 ブラフマーナンダは答えました。
「あなたの言う通りだ。師は我々のためにあらゆることをして下さった。しかしなお、私は内に欠けたものを感じるのだ。このことは、われわれが(師に与えられた)サマーディを、自分にとって自然な、日常のものとするには、修行を繰り返さなければいけない、ということを示している。知っての通りウッダヴァはシュリ・クリシュナの献身的な弟子であり、彼の恩寵によって神を悟った。それでもなお、シュリ・クリシュナは彼をヒマラヤ山中に送り、独居と黙想の生活をさせたではないか。」

 
 しばらくして、スボダーナンダ自身が、一人で厳しい修行をしたいと熱望するようになり、ブラフマーナンダと別れて、ヒマラヤのふもとの聖地ハリドワールへと旅立ちました。

 その後、一人でヴリンダーヴァンで瞑想修行を続けていたブラフマーナンダは、ある日、ラーマクリシュナの在家信者で、仲のよかったバララームの光り輝く姿を、瞑想中のヴィジョンとして見ました。バララームは神々しい微笑みを浮かべたまま、神の光の中に溶け込んでいきました。
 その翌日、ブラフマーナンダは、バララームが亡くなったという知らせを受け取りました。バララームを深く愛していたブラフマーナンダは、この知らせを聞いて悲しみにくれました。しかしこれもまた執着の一つであると悟り、以前にもましてより強く、この世の事物を離れて神の国へと飛び込みたいという強い熱望が、ブラフマーナンダの内に生じました。


つづく

(10)目的の達成


 しばらくしてブラフマーナンダもヴリンダーヴァンを立ち、ハリドワールへと向かいました。ブラフマーナンダはハリドワールの近くのカンカルという村に小屋を見つけ、そこでしばらく瞑想修行を続けました。
 その頃、実はその近くのリシケシで、偶然、ヴィヴェーカーナンダ、トゥリヤーナンダ、サーラダーナンダ、スボダーナンダ、その他の兄弟弟子たちが、瞑想修行をしていました。彼らはカンカルにブラフマーナンダがいるということを知り、皆でたずねてやってきました。
 しばらく兄弟弟子たちの再会を喜んだあと、ヴィヴェーカーナンダは皆に、自分と一緒にデリーに行くことを求めました。そしてヴィヴェーカーナンダがまず先にデリーに行き、その後で兄弟弟子たちもデリーに向かいました。

 聖者たちの生活、ことに彼らの旅の仕方は、普通の人の目にはしばしば、不思議なほど気まぐれであると映るものです、常に内なる神の声に従っているために、彼らは世間の人々がするような確固とした計画は立てないのです。彼らの考えは常に、いつ変わるかわからないものです。
 このときも、ヴィヴェーカーナンダの指示通りに兄弟弟子たちがデリーに集まると、ヴィヴェーカーナンダは今度は自分はひとりで旅をすると言いだしました。「主の思し召されたときに再び会おう」と言って、ヴィヴェーカーナンダは皆に別れを告げました。

 ブラフマーナンダは今度は、兄弟弟子のトゥリヤーナンダに旅の同行を求めました。ラーマクリシュナが生前ブラフマーナンダに、「兄弟ハリ(後のトゥリヤーナンダ)と仲良くしなさい」と言っていたのを覚えていたからでした。ラーマクリシュナは弟子たち同士の縁や素養を見抜き、そのような指示をよく与えていたのでした。

 トゥリヤーナンダは、信仰と智慧をバランスよく持ち、聖典に深く通じ、また純粋無垢の厳しい出家修行者の生活を貫いている人でした。ブラフマーナンダはよくトゥリヤーナンダを指して、「ギーターの理想を正確に具現した放棄の人である」と言っていました。

 ブラフマーナンダとトゥリヤーナンダの二人は、徒歩で北インドの様々な聖地を旅してまわり、二年近くの旅の後、ボンベイに着きました。そこで彼らは、ラーマクリシュナの深い信者であったカリパダ・ゴーシュの家をたずねました。すると偶然そこにヴィヴェーカーナンダもやってきていて、兄弟弟子たちは思わぬ感動の再会を果たしたのでした。ヴィヴェーカーナンダはアメリカで行なわれる世界宗教会議への参加の準備をしていたところでした。
 その後、ヴィヴェーカーナンダと別れた二人は再び旅を続け、いくつかの聖地で瞑想修行に没頭しました。
 二人がヴリンダーヴァンの近くのクスム湖畔に滞在していた時、ブラフマーナンダは真夜中に起きて朝まで瞑想する日々を送っていましたが、ある夜、彼は起きるべき時間になってもまだ寝ていました。すると誰かが彼の体を押して、眼を覚まさせました。
 ブラフマーナンダは最初、これはトゥリヤーナンダが起こしてくれたのだと思いましたが、やがて、ヴィシュヌ派の聖者の姿をした光り輝く存在があらわれ、ブラフマーナンダのそばで数珠をくって瞑想しているのを見ました。
 そしてこの輝く聖者のヴィジョンはほとんど毎晩あらわれて、ブラフマーナンダと一緒に瞑想しました。
 後年、この出来事に関連してブラフマーナンダはこう言いました。
「多くの聖者たちが、肉体を去った後に精妙な霊体に住み、熱心な求道者たちを様々な方法で助けるのだ。」


 1893年の末、トゥリヤーナンダは、一人の兄弟弟子からの手紙を受け取りました。それは、アメリカにおけるヴィヴェーカーナンダの成功を伝えるとともに、トゥリヤーナンダに僧院に帰ってきてほしいという懇願が書かれていました。ブラフマーナンダは、
「私のことは心配するな。僧院に帰りたまえ。君はあそこで主のお仕事をしなければならない人である」
と言って、トゥリヤーナンダを僧院に送りだしました。

 その後さらに一年間、ブラフマーナンダはヴリンダーヴァンにとどまりました。この時期に彼は時々、食物や他の生活必需品を誰にも乞い求めない、という誓いを立てました。それでも神の恩寵により、たいていは見知らぬ信仰深き人がやってきて、ブラフマーナンダのそばに食物を置いていきました。しかし時々は、何日間も何もない日もありました。
 あるときは、ブラフマーナンダが一人瞑想していると、見知らぬ信仰者がやってきて、ブラフマーナンダの前に、温かい毛布を一枚置いていきました。するとその直後に、別の見知らぬ人がやってきて、その毛布を持ち去ってしまいました。ブラフマーナンダはただじっと座っていましたが、母なる神の奇妙なお遊びを見て、ひそかに微笑みました。

 このような数年間にわたる激しい修行を通じて、ついにブラフマーナンダは目的を達成しました。かつてラーマクリシュナから瞬間的に経験させられたサマーディの境地を、完全に自分のものにしたのでした。通常の意識状態にあるときでさえも、ブラフマーナンダの心は、彼自身の言葉で表現すれば、「常に神で充満」していました。どこに行っても、彼の周りは、自然さえもが歓喜に振動しているように見えました。
 ブラフマーナンダはついに永遠に神の意識に定住することに成功し、そして同時に、苦しむ人々に奉仕する準備ができたことを感じました。そしてある日、全く突然に、ブラフマーナンダは、兄弟弟子や信者たちが待つカルカッタへ向けて旅立ちました。胸中に神の喜びをたたえながら。



つづく

(11)僧団の長に


 ブラフマーナンダのカルカッタへの帰還は、兄弟弟子たちの間に大変な喜びをもたらしました。彼は兄弟弟子にこう言いました。
「僕はヴリンダーヴァンで非常に幸福だったのだけれど、ここの僧院に住むためにあの聖都を去った。僕の兄弟たちと、そして人類に奉仕したいと思うのだ。われらの師シュリ・ラーマクリシュナは至上の愛と献身の権化でいらっしゃったのだから、僕たちの生涯は、それによってこの世の苦しみと不幸を背負った世界中の人々が彼の清き御名を呼び、彼の中に休息と平安を見出すことを学ぶようなものでなければならない。」

 そのときまだアメリカにいたヴィヴェーカーナンダが、ブラフマーナンダの僧院への帰還を知ったとき、彼はもう、ラーマクリシュナ僧団の運営については何ら心配することはない、と感じました。

 2年後、欧米への布教の旅から帰ってきたヴィヴェーカーナンダは、アメリカの信者たちが布施をしたお金のそっくり全部をブラフマーナンダに渡し、言いました。
「このところずっと、私は保管者の役を務めてきた。今この金を本当の持ち主であるわれらのラジャに返してホッとした。」

 ヴィヴェーカーナンダとブラフマーナンダ――ラーマクリシュナの高弟の双璧であるこの偉大な二つの魂は、お互いに愛し合い、尊敬し合っていましたが、その性質は大きく異なり、またそれは相補うものでもありました。
 かつてラーマクリシュナはこう言いました。
「ナレン(ヴィヴェーカーナンダ)は絶対者、非人格神の領域に住んでいる。彼は、引き抜かれた鋭い識別の剣のようだ。
 ラカール(ブラフマーナンダ)は神、大慈悲者、一切の恵まれた性質の宝庫の領域に住んでいる。彼は、母の膝の上で一切を彼女に任せ切っている幼子のようである。」

 ヴィヴェーカーナンダはすべての悪と不純を焼き尽くす、燃え盛る太陽の炎のようでした。ブラフマーナンダは痛む心を慰める、柔らかい月の光のようでした。
 ヴィヴェーカーナンダは常に無智迷妄と戦い、深く激しい大海のようでした。ブラフマーナンダは内的で無言で、忍耐強い心をもつ、不動の青空のようでした。 

 ヴィヴェーカーナンダは数年間にわたってインド中を徒歩で旅しながら、貧しいインドの人々の様々な苦しみを見、そして西洋に渡ってからは逆に、物質的には恵まれていながらも霊的・精神的に貧困である西洋の人々の苦しみをまざまざと見てきました。そうしてインドに帰ってきたヴィヴェーカーナンダは、師ラーマクリシュナの教えに新しい表現を加え、兄弟弟子たちにこう語りました。
「全生涯を自分だけの神の悟りのためにささげるのでは十分ではない。同時に我々はすべての人々の利益のために、すべての人々の幸福のために生きなければならない。」
 そして彼は、瞑想生活を人類への奉仕と結びつけるよう、兄弟弟子たちに頼みました。最初、このヴィヴェーカーナンダの言葉に無理解な者もいましたが、ブラフマーナンダはいち早く、ヴィヴェーカーナンダの理想の深さを理解し、これを全面的に支持しました。

 1897年5月1日、ヴィヴェーカーナンダは、ラーマクリシュナの出家・在家の弟子たちの代表者会議を開き、ここで正式に「ラーマクリシュナ・ミッション」が結成されました。そしてブラフマーナンダは、そのカルカッタ・センターの長に選ばれました。その後、1902年、ブラフマーナンダはこのラーマクリシュナ・ミッション全体の長の座に推薦され、その後彼自身がこの世を去るまで20年以上、その地位にありました。

 ブラフマーナンダの徳と力によって、ラーマクリシュナ・ミッションは大きく発展しました。インドや欧米の各地にそのセンターが作られていきました。
 外国人の多くは、ラーマクリシュナ・ミッションの、さまざまな社会奉仕の実績を高く評価しましたが、ミッションの僧たちにとっては、それら社会奉仕の成功はあくまで二義的なものでした。ブラフマーナンダは常にこのことを強調しました。
「人生の唯一の目的は、神を知ることである。至福の大海に深く身を沈めて、不死の者となれ。完全なる神の叡智と信仰を獲得し、それから、人類に内在する神に奉仕せよ。」



つづく
(12)「僧団の発展の中で」

 僧団が大きくなり、出家修行者も増えてくると、以前にはなかったような様々な問題も起こるようになってきました。あるとき、二人の若い僧が殴り合いのケンカをしました。そこでプレマーナンダはブラフマーナンダのところへやってきて、言いました。
「マハラジ。我々兄弟弟子は長年、平和に仲良く暮らしてきました。我々の間では、乱暴な言葉が交わされたことも一度もありませんでした。この二人の若者をどうしたらよろしいでしょうか。彼らを除名してはいけませんか。」

 これに答えてブラフマーナンダは言いました。
「兄弟よ。彼らが迷惑なことをやったのは本当だ。しかし彼らがシュリ・ラーマクリシュナの聖なる御足のもとに隠れ家を求めてここに来たのだ、ということも忘れないでください。彼らは、あなたの助言と指導をあてにしているのだ。あなたは彼らの生活を変え、彼らのハートに愛を芽生えさせるような何かをしてあげることができるのですよ。」

 「おっしゃる通りです。」
とプレマーナンダは答え、さらにこう言いました。
「彼らはここを頼ってきたのです。しかし兄弟よ。彼らを祝福し、その姿を変える人は、あなたです。」

 

 あるときブラフマーナンダは、新しい僧が増えてきたために、僧団の新しい規則を作ってくれるように頼まれました。しかしブラフマーナンダはこう答えました。
「スワミジ(ヴィヴェーカーナンダ)がすでに、われわれのために規則を作ってくれた。われわれがこれに新しいものを加える必要はない。
 もっと愛を加えよ。
 もっと信仰を深めよ。
 そして皆が神に向かって進むのを助けてやりなさい。」


 インド全国にラーマクリシュナ僧団の僧院と社会福祉施設の網が広がると、ブラフマーナンダはそれらを訪問し、それぞれの場所に数カ月ずつ滞在しました。彼の行くところには常に、祝祭の雰囲気が醸し出されました。
 あるときトゥリヤーナンダは、ブラフマーナンダのことを語るのに聖典の次の言葉を引用しました。
「そのハートに主が永遠にましますことを知った人々は、善と美とを賦与され、その生涯は永久の、歓喜の祭典である。」
 さらに彼は付け加えてこう言いました。
「マハラジは常に強烈な霊的雰囲気を帯びているので、彼の軌道のうちに入ってくる人はすべて、まるで霊性の流れに乗せられたかのように、おのずから神のほうに運ばれ、神聖な喜びに満たされるのだ。」

 あるとき、ブラフマーナンダが滞在中のある僧院に、ある大学教授が一週間滞在したことがありました。彼はそのとき、若い僧に向かって言いました。
「あなた方お若いのがどういう人たちであるのか、私は知らない。しかしもしあなた方が、マハラジのこの純化された雰囲気の中で毎日生きつづけることができているのなら、あなた方は偉大な人たちであるに違いない。私自身は、長く辛抱ができないのだ。私はちょっとばかり世俗的な空気を吸うことが必要だ。」
 しかし一度ブラフマーナンダの霊的雰囲気の流れに乗せられ、神の喜びの味を知ってしまった彼は、その言葉とは裏腹に、長く世俗的な空気を吸うことはできず、後に出家して僧団の一員となったのでした。



 ブラフマーナンダは、僧たちに向かって常にこのように言っていました。

「実践せよ! 実践せよ!
 霊性の修行を実践することによって、ハートは清められ、新しい世界が開けるのだ。神のみが実在で他のすべては非実在である、ということがわかるだろう。
 しかし、ジャパムと瞑想によって少しばかり目が開いたときに、目標に達した、などと夢想してはいけない。光だ! もっと大きな光だ! 前進だ! 前進だ! 神に達せよ! 彼のお姿を見よ! 彼に語りかけよ!」


 ブラフマーナンダの徳と力によって、ラーマクリシュナ僧団は大きく発展しましたが、外面的な発展以上に、ブラフマーナンダは常に、一人一人が確実に神に近づき、神に向かって飽きることのない熱意を持ち、たゆまぬ努力をし続けることを鼓舞し、手助けしていたのでした。



つづく


 (13)パラマハンサ


 ブラフマーナンダはあるとき、ある弟子にこう言いました。

「私はしばしば、誰を教えることもできなくなるときがある。どちらを向いても、さまざまなお面をつけた神しか見えないのだ。
 師という私は誰なのだ。誰が教えを受けるのだ。どうして、神が神を教えることなどができよう。
 しかし心が再びもっと低いレベルに降りてくると、私は人の中に迷妄を見出し、それを除こうと努力するのだ。」

 ブラフマーナンダは、師の恩寵と自己の努力によってその修行を完成させた後は、人生のほとんどを高い霊的意識状態の中で過ごし、ただ弟子たちを教え助けるためだけのために、しばしば通常意識に降りてくるのでした。
 彼の「神の自覚」は平常のことになっていたので、彼は周囲に外界を意識しながらでも、同時に神聖なるヴィジョンを経験するのでした。彼はまれにしかこれらのヴィジョンについては語らず、また語る相手は自分の弟子か兄弟弟子に限られていました。

 
 あるとき、一人の少女が、ブラフマーナンダに会いたいと言って僧院にやってきました。両親に無理やり結婚させられて、夫のところから逃げてきたのでした。彼女はブラフマーナンダの足元にひれ伏して、こう言いました。

「おお、父よ。私は世俗の生活を送りたいとは思いません。ここ僧院であなた様のお導きのもとに日々を暮らすことだけが念願でございます。私のたった一つの願いは、神を拝してあの方を悟ることなのでございます。あのお方だけに、私は自分を、身も心も、魂もささげるつもりでございます。」

 この少女の明らかな熱意とその飾り気のなさとに深く感動して、ブラフマーナンダは言いました。

「わが子よ、ここは僧院なのだよ! どうしてあなたを置くことができよう。ご両親のもとにお帰り。心配しておられるに違いない。彼らのおそばにいて、聖典を学び、シュリ・ラーマクリシュナやスワミ・ヴィヴェーカーナンダの教えを読むがよい。あのお方はあなたの心の渇迎を知り、あなたの祈りにお答え下さるだろう。もう少し経ってから、シスター・ニヴェディター(ヴィヴェーカーナンダの西洋人の女性の弟子)の女学校か、またはガウリ・マーのアシュラムに入ってもよい。
 あなたは本当のことを理解している。神を愛するようになるのでなければ、この人生は本当に虚しいものなのだよ!」

 しかし少女は両親のもとへ帰ろうとはしませんでした。そこでブラフマーナンダは彼女を祝福して、アシュラムへと送りました。

 この少女が去った後、ブラフマーナンダはゆっくりと歩いて書斎に行き、そこでプレマーナンダが手紙を書いているのを見ました。ブラフマーナンダはプレマーナンダのそばに座ると、忘我のムードに入りました。周りにいた人々は、ブラフマーナンダの輝かしい表情を見て、彼が感じている神的至福の片鱗を垣間見ることができました。その表情と雰囲気は、言いあらわしようがないものでした。
 プレマーナンダはこれをしばらく見つめていましたが、やがてそばにいた若い弟子たちに言いました。
「マハラジを見よ! いま彼が入っていらっしゃるあのムードが、パラマハンサの状態と呼ばれるものなのだよ!」

 やがて通常意識に戻ると、ブラフマーナンダはプレマーナンダにこう言いました。

「シュリ・ラーマクリシュナのお遊びを誰が理解することができよう。スワミ・ヴィヴェーカーナンダは若い女性のために尼僧院が設立されることを望んでいたが、今私には彼の念願が間もなく実現されるであろうということがよくわかるのだ。我々の師がお教えになった放棄の理想が、若い女性の間にも次第に浸透してきている。今日来たあの少女は、その美しさ、純粋さ、熱意、またその飾り気のなさにおいて、女神のようだった!」

 (14)さまざまな見神


 常に宇宙の絶対真理ブラフマンを意識していたブラフマーナンダは、インドの様々な聖地の寺院などに行っては、それぞれの姿でまつられている神を実際に見ることができました。

 南インドのマドゥライにある有名な寺院の母なる神の前に立った時、ブラフマーナンダは「マーよ、マーよ!」と叫んで、外界の意識を失いました。

 シヴァをまつるラーメーシュワルの聖堂でも、ブラフマーナンダは外界の意識を失ってサマーディに没入し、通常意識に戻った後もしばらくは忘我の喜びの状態にありました。

 コモリン岬の聖堂では、少女の姿の母なる神の像に、ブラフマーナンダは忘我の状態で話しかけるのでした。

 南インドのティルパティにあるヴィシュヌ神の聖堂では、ブラフマーナンダは奇妙な経験をしました。そこでブラフマーナンダは、ヴィシュヌ神ではなく「母なる神」のヴィジョンを見たのです。そこで調べてみると、そこではかつて「母なる神」が祭られていて、後にヴィシュヌの聖堂に変わったということがわかりました。

 プリのジャガナート寺院には、クリシュナと兄のバララーマ、妹のスバドラーの像がありますが、ある日ブラフマーナンダは、この三体の像が消え、祭壇に生きたクリシュナがいるのを見ました。

 訪れた様々な聖地の中で、ブラフマーナンダはヴリンダーヴァンとベナレスを最も愛しました。ブラフマーナンダはよくこのように言っていました。

「この二つの都市には、霊性の流れが常に流れている。そしてこの流れは、朝と夜の特定の時刻に特に強くなる。
 もし人がヴリンダーヴァンで夜の12時に瞑想やジャパを行なうなら、彼はこの霊性の流れに特に助けられる。
 またもし人がベナレスで朝の四時に瞑想するなら、彼はやすやすと高い意識に没入することができるだろう。」


つづく

(15)ある教授の話


 ラーマクリシュナの代表的な在家信者の一人であったバララーム・ボースは、自分の屋敷にブラフマーナンダのための一室を用意していました。深い信仰心を持っていたバララームは、ラーマクリシュナの最愛の息子であるブラフマーナンダのために、さまざまな設備の整った豪華な部屋を用意し、また立派なシルクの衣もプレゼントしました。
 このバララームの屋敷の部屋にブラフマーナンダが滞在しているときに、ある大学教授がたずねてきました。彼は「ラーマクリシュナの福音」を読んで、ブラフマーナンダが非常に偉大な魂であることを知り、会いたいと思って訪ねてきたのでした。
 しかし教授が部屋に入ると、ぜいたく品に囲まれ、立派なシルクをまとうブラフマーナンダを見て、ショックを受けました。彼はブラフマーナンダが、大変質素で厳粛な生活を送っている聖者だと思っていたからです。
 教授はショックのあまり、挨拶もせずにすぐに部屋を出てしまいました。しかし帰りはせず、外のベンチに座って、今自分が見たことについて考えていました。するとそこへブラフマナーナンダの侍者が通りかかり、何も知らずに、
「マハラジにお目にかかりたいのですか?」
と尋ねました。
 教授は一瞬考えた後、
「そう、お目にかかりたいのです。」
と答え、侍者に案内されて再びブラフマーナンダの部屋へと入っていきました。

 一時間後、部屋から出てきたその教授は、案内をしてくれた侍者にこう言いました。
「私は、危うく生涯最大の誤りを犯すところだった。霊性なるものに対する自分の観念から、外見によってマハラジを判定しようとしたのだ。……今は、私の人生の最も深い悩みが解決された。」

 こうしてこの教授はブラフマーナンダの弟子になったのでした。
 (16)ヴィジャヤーナンダの実験(1)


 ブラフマーナンダがベルル僧院に滞在している間は、毎朝四時半に、大勢の出家修行者たちが彼の部屋に行き、そこで瞑想しました。全員が座れるだけの場所がなかったので、ある者たちはベランダに座っていました。この瞑想の時間は約三時間続き、それから四十五分間、賛歌が歌われました。
 そこに、若い新参者の弟子であるヴィジャヤーナンダもいました。彼はまだ瞑想に熟達していませんでしたが、なぜか毎朝ブラフマーナンダの部屋にきてみなと一緒に瞑想すると、今まで経験したことがないような至福と平安を感じるのでした。
 あるときヴィジャヤーナンダの中に、このまれな平安さの理由を知りたいという好奇心と、外部からの影響に屈したくないといううぬぼれの心が生じました。そこで彼は、皆が寂静に浸っているその瞑想の最中に、わざと心の中で、寂静をかき乱すような思いを起こしてみたのでした。
 しかしそれを長く続けることは不可能でした。目に見えないある奇妙な圧力によって、ヴィジャヤーナンダは心を静かにせざるを得なかったのです。それでもその実験を続けようとすると、両足にむずむすする感じが起こり、やがてそれが大変強くなって、彼は席を立たざるを得なくなるのでした。

 ヴィジャヤーナンダはこの無益な実験を三日間続けました。三日後、ブラフマーナンダはヴィジャヤーナンダを自分の部屋に呼び、言いました。

「これ、私の息子よ、もし君が私について何か実験をしたいと思うなら、私がひとりのときにしなさい。このように朝早く、みなが瞑想をしているときには、それをしないようお願いする。君が反対の思いの流れをおこしていると知ったら、みなが怒って君を叱るだろうからね。」
 
 ブラフマーナンダの言葉を聞いてヴィジャヤーナンダは深く恥じ入りました。そして、ブラフマーナンダは弟子の心の中で起こったことをすべてご存じであり、またみなの心を静め、得も言われぬ至福でみなのハートを満たしていたのは、ブラフマーナンダの慈悲心の不断の流れだったのだ、ということを理解したのでした。
 毎日、午後になると、さまざまな人びとがブラフマーナンダを訪ねてきました。社会のあらゆる階層の人びとが来ました。農夫、科学者、医師、弁護士、著述家、小説家、芸術家、若い大学生、雇い人、召使い。あらゆる種類の人びとが差別なしにブラフマーナンダのまわりに集まり、ブラフマーナンダとこの人びととの間の会話は、喜びのムードの中で行なわれました。
 主題は話す人びとの生活、仕事、および職業によってさまざまでした。ブラフマーナンダは、学者のような哲学的議論を繰り返すわけではなく、相手に最も合ったアドヴァイスを与えるのでした。
 たとえばある婦人に対してはこう言いました。
「○○のお母さん、先週のあなたの料理は何とおいしかったこと! だがもしこの香料を加え、そしてそれから家の祭神にお供えしたら、自分がどんなに幸福を感じるか、分かるでしょう。あなたはいつも、家族のために料理をしてきた。これからは神のためにそれをなさい。すると息子たちも、おさがりをいただいてもっとよい気持になるでしょう」

 ヴィジャヤーナンダは毎日この非凡な会合を眺めていて、みなが深い喜びを感じているのに気づきました。会合がおわって一同が階段を降りて行くとき、彼らは言うのでした、「マハラジはほかの誰よりも私を愛しておられる!」と。
 ヴィジャヤーナンダは心中、こう思いました。
「この人たちは気ちがいだ。マハラジも人間だもの、誰かより誰かをもっと愛しておられるにちがない。全部が彼の最愛の人だなどということがあるものか」
 その上に、霊性への自己中心の誤った解釈から、ヴィジャヤーナンダはこう思いました。
「これは何という集まりだ。祈りや離欲や、瞑想の仕方についての、何の助言もなかったではないか。マハラジは誰にも、苦行のことや、どのような修行をせよ、というようなことはおっしゃらなかった。それでもここではみなが、彼は霊性の海だ、と言う。さっぱり分からない」
 しかしそのような批判的な目で見ながらも、ヴィジャヤーナンダのブラフマーナンダへの愛は深まるばかりなのでした。ヴィジャヤーナンダは、師の愛がどんなに自分を高め、過去のことすべてを忘れさせるか、を感じました。

 ある日の午後二時ごろ、ブラフマーナンダはヴィジャヤーナンダを自分の部屋に呼ぶと、ほほえみつつ、幾分か冗談めかして、こう言いました。

「私の息子よ、君が私を観察しているときには、私も君を観察している。
 あることを知っているか。人びとは、霊性とは何か、ということを知らない。この世界で、彼らの大部分は、純粋の愛とは何か、ということを知らない。どのように愛するか、ということを知らない。にもかかわらず、みなが、他の人びとに愛されることを期待する。
 彼らは、私が彼らの難問を解決することを期待して、私に会いにくる。私は彼らに、いっさいを神にお話しせよ、彼が苦痛を除いて下さる、と話してやる。
 みなが苦しんでいる。しかしみなが、何か良いものを持っている。彼らは多分それを知らないのだろう。私は、彼らが持っているこの良い面を開発するよう、彼らをはげます。すると彼らは自分を信じるようになる。彼らは私の愛を感じ、彼らのハートは溶け、それで私を愛しつづけるようになり、彼ら自身への信念と私への愛を育てることによって霊的生活への準備ができる。
 やがて、神のお慈悲によって浄化と永続的な幸福への願望が彼らの内部にわくと、私は言うのだ、『これをせよ』と。そのとき、きれいでよく耕された土地に、霊性の種子が芽生えるだろう。だがもし最初から霊的助言を与えはじめたなら、大方、彼らは言うだろう、『何ひとつ新しいものはない。スワミの言うことは全部、知っている。書物に書いてあるもの』と。
 その上に、君にある秘密を話そう。この世界は、善いものと悪いものとでできている。程度だけのちがいだ。利己的な思いにおおわれて、人びとは真の愛の存在を知らない。この利己主義があまりに増長すると、『純粋の愛』の偉大な探求者たちが、来て苦しむ人類をお救い下さい、と神に祈る。彼らの祈りをきいて、『純粋の愛』すなわち神が、化身する。これが『神の化身』の秘密なのである。
 人びとは何もかも持っているのだが、無智とうぬぼれとエゴイズムにまぎれて、神の現前を感じることの必要を忘れている。純粋の愛が、すべての病の療法である。真剣で浄らかな愛によって、あなたは他者を助けることができるのだ。この神の愛がなければ、すべての霊性の修行は無益である。エゴイズムのない愛だけが、人のすべての不純性を浄める。分かるか、私の息子。それを実践するよう、努めなさい」

 そのときヴィジャヤーナンダは、この教えの真の意味を理解することはまだできませんでしたが、力にみち、真の洗礼を受けたように感じました。

(17)ヴィジャヤーナンダの実験(2)


 かつてヴィヴェーカーナンダは、シュリ・ラーマクリシュナは今でも、真摯な信者たちの前には人の姿でお現われになる、と言っていました。そしてヴィヴェーカーナンダの兄弟弟子たちも、同様に主張していました。
 しかしブラフマーナンダの若い弟子のヴィジャヤーナンダは、これを信じることができず、
「あの僧たちは愛深く、利己的ではなく、たいそう善い人たちであるけれど、自分の想像力の犠牲者なのだ」
と思っていました。

 ある朝、ヴィジャヤーナンダは、ブラフマーナンダの部屋に行く代わりに聖堂に行き、強く心に思いました。
「シュリ・ラーマクリシュナの出現について、すべてのスワミたちが言うことがもしほんとうなら、どうぞ彼が私にシュリ・クリシュナの足輪の鈴の音をきかせて下さいますように」
と。
 すると驚いたことに、ヴィジャヤーナンダは直ちに鈴の音を聞いたのでした。彼は自分の信仰心のなさが恥ずかしくなり、立ち上がって聖堂を出ました。
 しかし一瞬の後に彼はまた推理をはじめ、あの音は自分の強い自己暗示の結果であった、と結論しました。そしてさらに二日間を、疑いとまよいの中に過ごしました。

 三日目にヴィジャヤーナンダは、再び実験をしようと思って聖堂に行きました。そして心の中でこう思いました。
「もしこの早朝に、漁師の女が来て大声で魚の名を叫んだら、私はあなたがほんとうにおいでになることを信じましょう」
 彼が心の中でこのようにお願いしおわるや否や、彼は漁師の女が叫ぶのを聞きました。食事係のスワミは、
「瞑想の時間であるこの早朝に、静けさを破るとは!」
と怒って、この哀れな婦人を叱るべく階段を降りて行きました。

 ヴィジャヤーナンダはたいそう恥ずかしく思い、叫びつつ、急いで階段を降りようとしました。そのときそこに、いつの間にかブラフマーナンダが立っていました。そしてヴィジャヤーナンダに向って厳しい口調でこう言いました。
「こんなテストはもうたくさんだぞ。分かったか、二度としてはならない!」
 ヴィジャヤーナンダは、
「二度といたしません」
と、泣きながら答えました。
 こうしてヴィジャヤーナンダの「神の客観的な探求」という無益な実験の日々は終わったのでした。
 

(18)ラーマクリシュナのサマーディについて語る



 あるとき、ある信者の
「師(ラーマクリシュナ)のサマーディについて何かお聞かせください」
という質問に対して、ブラフマーナンダは次のように答えました。


「師は常に、さまざまな種類のサマーディを経験していらっしゃった。
 ある状態の時には彼の身体は丸太のように固く、不動となった。このような状態から平常の意識を取り戻すのは、彼にとってはたやすいことだった。
 しかし他の場合、サマーディがもっと深い時には、通常の意識にお戻りになるのにもっとずっと時間がかかった。そのようなときは彼はまず、深い水中から上がってきた溺れかけた人のように、深い息をお吸いになるのだった。そしてしばらくはよろめき、酔っぱらいのようにおふるまいになった。お話になることも不明瞭で筋道が通らなかった。しかし次第に普通の状態にお戻りになるのだった。
 
 人に教えたり講義をしたりするときには、いつもシュリ・ラーマクリシュナの教えを引用したまえ。彼のお言葉は聖典を明るく照らし、その真の意味を理解させるのを助ける。

 不誠実は、シュリ・ラーマクリシュナが我慢することがお出来にならない、たった一つのものだった。あのお方は、誠心こめて神を愛する人々をお愛しになった。よくこうおっしゃった。
『ひとがもし真剣な心で神に祈るなら、彼は速やかにすべての不純性から解放される』
と。

 師は毎夜大方の時を、サマーディに入ったり、主の御名を唱えたり、賛歌を歌ったりしてお過ごしになった。夜、一時間以上お眠りになることはまれだった。しばしば、私は彼が一回に一時間以上、サマーディに完全に没入していらっしゃるのを見たものだ。ときには、われわれに向かって話をしようとなさるのだが、お言葉が出てこないのだった。後でおっしゃるには、
『ね、サマーディに入っている間にも、私はお前たちに話をしたいと思うのだよ。ところがそうしようとすると必ず、まるで私の話す力の扉に鍵がかけられたかのようになってしまうのだ』
 彼は普通の境地に降りてくる途中でしばしば、まだ見えている神に向かって話しかけるかのように、何かをつぶやいていらっしゃったものだ。

 彼はよく、『神を見出すためには神に恋こがれなければならない』とおっしゃった。そして次の話をなさった。
『ある求道者が師のもとに行き、神に達する道を教えてください、と頼んだ。師は、弟子の手を取って河に連れて行った。そしてものも言わずに弟子の頭を押さえて水の中に入れ、ちょっとしてから手を離した。
 弟子は息を詰まらせ、喘ぎながら上がってきた。彼は呆れて師を見つめた。師は微笑みつつ彼を見て、
「さて、どんな感じであったか」
と尋ねた。弟子は、
「息がしたくてしたくて、たまりませんでした」
と答えた。
「それだ」
と師は言った。
「今息をしたいと欲したのと同じ熱意で神を慕うことができるなら、必ず神に達するぞ」』

(19)イニシエーション


 最初の頃、ブラフマーナンダは、弟子をとることに対して非常に厳格で慎重でした。弟子入りを志願する者がいたとしても、彼は何年もその者をテストした後に、初めて弟子入りを許したのでした。

 ホーリーマザー(ラーマクリシュナの妻であるサーラダー・デーヴィー)はあるとき、ブラフマーナンダが十分な数の弟子をとらないことに関して、ブラフマーナンダに不満を述べました。

 その直後、偶然、ブラフマーナンダは、ラーマーヌジャ(12世紀の南インドの聖者)の生涯の物語を描いた劇を見ました。その中で、ラーマーヌジャの深い慈悲の心をあらわす次のような場面がありました。

 ラーマーヌジャのグルが、彼を弟子として受け入れて神聖なマントラを授け、これを誰にも明かしてはならぬ、と警告します。
「もし明かしたら、どういうことになるのでしょうか?」
とラーマーヌジャがたずねると、師は答えました。
「このマントラを聞く者はことごとく無智の束縛から解放されるであろう。しかしお前自身は地獄に落ちる。」
 これを聞くと、ラーマーヌジャはただちに大勢の人々を集めて、皆に聞こえるようにそのマントラを唱えました。彼の師が怒ったふりをしてラーマーヌジャを叱ると、ラーマーヌジャは言いました。
「もし私の破滅がそれほど大勢の人々を解放することができるなら、私の最高の願いは地獄に落ちることです。」
 これを聞いた師は非常に喜び、叫びました。
「お前は実に偉大だ! 祝福を与えよう!」

 ホーリーマザーからもっと多くの弟子をとるように注意されたことと、その直後にこのラーマーヌジャの物語を見たことは、ブラフマーナンダの心に深い印象を与え、この後、ブラフマーナンダは多くの者を弟子として受け入れるようになったのでした。
 
 ブラフマーナンダは多くの人々にイニシエーションを与え、弟子として受け入れました。そしてなんと、まだブラフマーナンダに一度も会ったことがないのに、夢の中で彼にイニシエーションを受けたという人も、何人もあらわれました。
 ある信仰深い少女は、自分のこの体験をブラフマーナンダに話すと、夢の中でブラフマーナンダから授けられたマントラを繰り返そうとしました。するとブラフマーナンダがそれを押し止め、「お待ちなさい。それは私が言いましょう」と言うと、まさに少女が夢の中で聞いたものと同じマントラを唱えたのでした。このような例は、他にもありました。

 またあるときは、ある高貴な二人の婦人の夢の中にラーマクリシュナがあらわれ、ブラフマーナンダを訪れなさいと告げました。なんと彼女たちはそれまで、ラーマクリシュナのことを全く知らなかったのです。
 彼女たちは夢のお告げ通りにブラフマーナンダのもとへ行き、彼の弟子になりました。
 この出来事に言及して、ブラフマーナンダはこう言いました。
「ね! われわれは、主とあのお方の教えを説かねばならぬ、などと思う。だが実は、シュリ・ラーマクリシュナご自身が説法をしていらっしゃるのだよ。証し人でありたまえ!」


(20)信と修行と努力の勧め


(信者)「マハラジ、ホーリーマザー(ラーマクリシュナの妻)にお目にかかったり聖者たちにつかえたりした信仰者たちの多くが、自分たちは霊的修行の努力を続ける必要はないのだ、と考えております。

(ブラフマーナンダ)「ただホーリーマザーにお目にかかった、聖者たちに仕えた、というだけでは十分ではない。『放棄』と『識別』を実践し、瞑想的な生活をすることが絶対に必要だ。
 人生の唯一の目的は、神への信仰と霊性の自覚を得ることだ。それがなかったら、人生は虚しく無意味だ。食べて飲んで、眠って、そして子孫を作ることが、人間に生まれてきたことの唯一の目的ではない。これは獣のすることだ。
 神は、人間の身体に大きくあらわれていらっしゃる。この真理を理解するようにしたまえ。
 ああ! 君たちのような若者が生涯を神にささげ、霊的修行を実践する機会が得られるようにと願って、スワミジ(ヴィヴェーカーナンダ)はこの僧院を作るために心血を注いだのだよ。実は、君たちの生活をもっと楽なものにしてやりたいという熱意で彼は働き過ぎ、自分自らの生命を縮めたのだ。なんという強烈な愛を、彼は人間に対して持っていたのだろう!
 シュリ・ラーマクリシュナは、スワミジによって広く世界に知られるようにおなりになったのだ。両者の言葉と教えは別々のものではない、ということを知っておきたまえ。シュリ・ラーマクリシュナは、一般の心が把握するにはあまりに偉大だった。彼の生涯とその教えとをすべての人が理解できるようにしたのは、スワミ・ヴィヴェーカーナンダだったのだ。
 両者の教えを読みかつ研究し、それと同時にジャパムと瞑想の実践に献身したまえ。君たちはまだ若い。これは生涯の最良の時期だ。今心を形成せよ。いったん心が形成されれば、もう恐れるものは一つもない。心を自分で制御することができるようになれば、多くのことを成し遂げるだろう。心が迷いだそうとしたら必ず鞭打て。主の蓮華の御足にしっかりとすがりついていたまえ。常に彼を思え。もう、世俗の思いに時を費やすようなことはするな。努力するのだぞ! 外に出て行こうとする心を制御してそれを神に定着させるよう、激しい努力をするのだ。このことができたときには、君たちにもわかるだろう、霊的生活とはなんと嬉しいものであるか。なんと愉快なものであるか!
 無智はぜひ今生で克服しなければならない。これは、君たちが全心を傾けて霊性の仕事に自分を捧げきらない限り、容易なわざではないのだ。
 信が、たった一つの必要なものだ。強烈な信である! 疑いに心をとらえさせないようにしたまえ。」

(信者)「でも、もし疑いが生じましたら?」

(ブラフマーナンダ)「神を悟るまでは、疑いは出て来るものだよ。それだから、神にすがりついて、祈らなければいけないのだ。
 『神はいらっしゃるのだ。ただ、心が純粋でないために、私は彼を見ることができないのだ。私のハートと心が清らかになったら、そのときには、神の御慈悲によって必ず彼を見ることができる』と、自分自身に言って聞かせたまえ。
 神は、有限なる心によっては知ることはできない。彼は心を超えた所に、はるかに遠く知性を超えたところにいらっしゃる。この目に見える宇宙は心が作ったものだ。心がそれを呼び出したのだ。心がそれの作者である。そして心は、自分の領域を超えて行くことはできないのである。
 このわれわれの心の背後に、種子の形で存在する、精妙な、霊的な心がある。瞑想や祈りやジャパムの実践によって、この心は開発される。そしてこの開発と同時に新しい視野が開けて、求道者は様々な霊的真理を悟るのだ。
 しかしながら、これが最終的な経験なのではない。この精妙な心は、求道者を神に一層近づけはするが、それは神、つまり至高の真我に達することはできない。ただ、境地に到達すると、世間は求道者に対してもはや何の魅力も示さなくなる。彼は神の領域に没入するようになる。この没入が、サマーディに通じるのだ。描写することのできない、一つの経験である。それは『〜である』と『〜でない』を超越している。そこには、幸福もなければ不幸もない。光もなければ闇もないのだ。すべては無限の存在――表現は不可能である。」

(21)非凡な智慧と力


 ラーマクリシュナの傑出した在家信者の一人であり、有名なベンガルの劇作家だったギリシュ・チャンドラ・ゴーシュが、ブラフマーナンダの非凡な智慧と力について、次のように話しています。

「私自身に比べれば、ラカールはほんの子供である。シュリ・ラーマクリシュナが彼をご自分の例の息子と見ていらっしゃったことは私も知っているが、私が彼にこんなに深い尊敬の念を感じる理由は、それだけではないのだ。
 あるとき、私は重い病に罹って、シュリ・ラーマクリシュナへの信仰を失っていることに気づいた。心が無感動になっていた。大勢の兄弟弟子たちが見舞いに来てくれ、私はみんなに自分の不幸な心境のことを話したのだが、誰も何も言わなかった。
 そこへある日、ラカールが来た。彼が気分はどうかと尋ねるので、私は自分が苦しんでいる心の無感動と信仰の欠如とを説明した。ラカールは注意深く耳を傾けていたが、やがて大声で笑った。
『なぜそんなことをお悩みになるのですか』
と彼は尋ねた。
『海の波は高く上がり、低く退いてまた高く上がるでしょう。心もそのようなものです。しかしどうぞ心配なさらないでください。あなたの今の心境は、あなたがまさにもっと高い境地に昇ろうとしていらっしゃる、という事実によるものです。心の波が、その力を結集しつつあるのです。』
 彼が帰った後、私の心の無感動状態は完全に去っていた。私は信仰を取り戻し、心は前よりも高い境地に上った。」

 
 ある時、18歳の若い信者が、ブラフマーナンダにイニシエーションを受け、出家して僧院に入りたいと懇願しました。しかしブラフマーナンダは彼を見て、まず大学を卒業せよ、と指示しました。
 しかしその若者は大学在学中に、イギリス政府を倒そうという革命運動に巻き込まれました。しかし霊的生活への興味も失ったわけではなかったので、彼はクリスマス休暇にベルル僧院を数日間訪れ、ヴィヴェーカーナンダの弟子であるスワミ・シュッダーナンダについて、ヴェーダーンタ哲学を学びました。
 このときシュッダーナンダはこの若者に、出家して僧になりなさいと、繰り返して進言しました。以前は自ら僧になりたいと懇願していた彼でしたが、いまや政治闘争で頭がいっぱいだった彼は、シュッダーナンダに反論しました。彼は僧の生活は怠惰だと感じていました。イギリス政府を倒すために、僧院にこもるのではなく、政治闘争に身を捧げなければいけないと思っていたのです。この二人の論争を、一人の老紳士が、そばでいつも何も言わずに聞いていました。
 ある朝この若者がブラフマーナンダの部屋に朝の挨拶をしに行くと、そこにその老紳士もいました。すると老紳士がブラフマーナンダに、
「このお若いのは、いつ僧になられるのでしょうか?」
と尋ねました。ブラフマーナンダは、忘れることのできないやさしい目で若者を見て、静かな口調で言いました。
「主の思し召すときに。」
 ――この瞬間、この若者の政治闘争は終わりを告げました。彼の心はすっかりもとの純粋に神を追求する状態に戻り、そのまま僧院にとどまり、出家して僧になったのでした。

 このような例は決して珍しい話ではなく、当時多くの政治闘争に関心を持つ若者たちが、ブラフマーナンダに会って、放棄、奉仕、そして神の自覚という霊的理想をインスパイアされました。インドの目覚めは決して政治運動によってはもたらされない、民族の霊的生活の強化によってのみそれはもたらされ、しかもこの目覚めはインドのみならず全人類を益するものなのだ――ということを彼らは理解し始めたのでした。

(22)デヴェン・バーブの救済


 デヴェン・バーブはラーマクリシュナの信者で、ラーマクリシュナの弟子たちと、特にアカンダーナンダと親しい間柄でした。

 しかしラーマクリシュナの死後、彼はカシムバザールのマハラジャの領地支配人となり、何年間も、ラーマクリシュナの弟子たちに会いに来ませんでした。

 ある日、アカンダーナンダが偶然デヴェン・バーブに会い、ベルル僧院に連れてきました。久々にデヴェン・バーブを見たブラフマーナンダは、アカンダーナンダにこう言いました。

「まあ、ガンガーダル(アカンダーナンダ)、君のデヴェンはどうしたというのだ。たいそう変わったではないか。動きも態度も、何もかも。世俗的な表情をしているし、洒落者のようにめかしている。師のことや僕たち皆のことは、忘れてしまったのだろうか。」

 こう言われ、アカンダーナンダは言うべき言葉がありませんでしたが、デヴェン・バーブ自身が言っていた次の言葉をブラフマーナンダに伝えました。
「私は自分がどうなったのかよくわからないのだ。私は幸せではない。」

 数日後、デヴェン・バーブは、再びベルル僧院を訪ね、ブラフマーナンダに会いに来ました。ブラフマーナンダを待っている間、デヴェン・バーブは落ち着かず、不安でいっぱいで、静かに座っていることもできませんでした。
 そこへブラフマーナンダがやってきて、デヴェン・バーブを見ると、黙って彼のそばに行き、自分の手をデヴェン・バーブの胸に当てて数回さすると、こう言いました。

「これで大丈夫。師のことを思いたまえ!」

 この瞬間、デヴェン・バーブの心はすっかり変わってしまいました。彼は言いました。
「マハラジ、私の世俗性はすっかり拭い去られました。どこまで落ち込んでいたものなのでしょう! しかしあなたの御慈悲と祝福とが、私を引き上げてくださいました。もう何の悲しみも心配も感じません。」

 このときのことを、デヴェン・バーブは、後にある兄弟弟子にこう語りました。
「彼がその手で私の胸を触ると、私は突然の衝撃を感じた。たちまち、昔の自分を思い出した。神への愛と、悟りへのあこがれで胸がいっぱいになった。そして師の思い出が再び心に生き生きとよみがえった。その結果、私の人生航路はすっかり変わってしまったのです。」


(23)ある新参の少年信者たちへの教え


 ある日、ブラフマーナンダが、椅子に腰かけて瞑想に沈潜しているときに、ある新参者の少年の信者たちがやってきました。ブラフマーナンダは深い意識から起き上がってきて、彼らに次のように話をしました。


「神の恩寵と祝福は、十分にあるのだ。しかし、自分の帆をあげてその恩寵の微風を受け止める人々は何人いるだろうか。何人が、頭を下げて神の祝福を受けるだろうか。
 人々の心は、つまらない事柄で多忙だ。誰が真の宝を欲しているか。彼らはえらそうな口をきく。だが一向に努力をしない。あらゆるものを、努力をせずに得たがっている。
 人々は、世俗の仕事ならあらゆることを何とかかんとかやっていく。ところが神を思いつづけるという件になると、『でもそんな時間がどこにありますか』などというのだ。

 シュリ・ラーマクリシュナはよくおっしゃった。『グルは幾千人もいるが、弟子は稀だ』と。忠告をする人はたくさんいる。しかしそれに耳を傾ける人が何人いるか。人がもしグルの言葉を信じてそれに従うなら、彼の疑念と悩みとは全部消えるのだ。彼のグルの言葉を信じるなら、彼に必要なものは神がすべてお与えになるだろう。彼の手を取って、正しい道をお導きくださるだろう。
 神の恩寵をいただいたら、そこに何の悩みがあろう。主の無限の叡智の宝庫から不断の供給が来るのだから。
 内に神のへのあこがれの目覚めた者、彼は立って努力するがよい。座っていても、寝ていても、ものを食べているときでも、主の聖なる御足に向かって祈願するがよい、
『おお主よ、御慈悲をお与えください! 私に、あなたの恩寵を理解させてくださいませ!』と。

 彼は慈悲深い。真剣に恩寵を求める者にはそれをお示しくださる。祈りによって、離欲や、神へのあこがれや、正しい理解などをお与え下さるのだ。だがおそらく、幾千人の中の一人だけが、神を求めるだろう。

 師はよく、金持ちの家の女中のたとえをなさった。彼女は主の家の持ち物を自分のもののように話し、主人の子供たちを自分の子供であるかのように育てる。しかし心の奥底では、ここには一つとして自分の持ち物はない、ということをよく知っている。
 これと同じように、われわれはこの世に住み自分の務めを果たさなければならないのだが、心の奥底では何一つとして自分のものはない、誰一人として我が者と呼べる人はいない、ということを悟らなければいけない。我々の唯一の真のすみかは主の蓮華の御足のもとにあるのであって、そこが、われわれが行かなければならないところなのだから。あらゆる形のプライドとエゴを避けて、彼の御足のもとに避難しなければならない。

 だがどれほどの人が、真理の中に、そして主の中に隠れ家を得たいと思うだろうか。誰もかれもが、自分は間違っていないと思っている。エゴイズムに欺かれて、自分を非常に重要な者だと考えている。神の存在を信じようとさえもしない。自分の知性によって理解できるのはどれほどわずかなものであるかということなど、決して真面目に考えてはみない。マハーマーヤーのみが、どれほどの様々な方法で人を欺いているかということを自ら御存じなのである。

 われわれ(ラーマクリシュナの直弟子たち)は、ただこれだけを知っているのだ――決して神を限定してはならない、ということである。神のムードとお姿は無限である。彼は心や知性の理解の届かないところにいらっしゃるのだ。それでも、もし人が熱心に祈願をするなら、純粋な心には、到達することを許して下さる。

 神の恩寵がなければ、何一つ成し遂げることはできない。神のもとに身をよせよ。そうすれば彼が、無限の叡智の門を開いて下さるだろう。主のもとに避難しつつ、この世の務めをするがよい。

 まず彼を知れ。神を悟った後でなら、世間に暮らしても、足は間違った道を踏まないだろう。世間のマーヤーも、君たちを縛ることはできないだろう。そうすれば、ジュニャーナの道にせよバクティの道にせよ、あるいはカルマの道にせよ、いかなる道を歩んでも、君たちも他の人々も、非常な利益を受けることになる。そして君たちの人間としての誕生は祝福されるだろう。」

(24)修行ができないという信者へのアドヴァイス



ある信者「マハラジ、私は自分の心を調御することができません。さまざまな心を散らす思いが浮かんでまいります。どうしたらよいのでしょうか。私に霊性の修行ができるのでございましょうか。どうしたら、礼拝や瞑想ができるのでしょうか。」


ブラフマーナンダ「主にお祈りしたまえ。
 規則正しく実践せよ。
 徐々に、心が礼拝や瞑想をする気になってくるであろう。
 最初は、心は調御されることを拒絶する。しかし強制し、激励し、懇願して、それを瞑想に集中させるようにせよ。
 信仰と規則正しさとは、非常に重要である。それらなしにはなんびとも、何事も、成功はできない。

 身辺の事情がどうであろうとも、決めた日課は必ず守る、というようにして、修行を実践しなければいけない。
 心がひとたび神を思うことの甘美な味わいを知ったなら、そこには何一つ恐れるものはない。その味わいを知ることができるように、高徳の人々と交わるようにせよ。
 
 人の心は常に不安定である。さまざまな理由で散漫になっている。高徳の人と交わっていると、統御されるようになる。徳の高い人々の仲間に入って暮らし、彼らの助言に従うようにせよ。そうすれば、多くの悲しみや悩みから救われるであろう。
 心が神に没入するのでなければ、この世の誘惑から自分を守ることはできない。彼の御慈悲によって、心は真理のほうに向くことができるのだ。人は彼のお力によって強いのでなければ、マーヤーの網の目から自分を救うことはできない。彼のお力によって強くなるのだよ!

 人生は河のように流れている。過ぎた日は戻ってはこない。与えられた時を実り豊かに使う者の幸いなるかな。
 あまたの過去世におけるあまたの善行の功徳によって、君たちは人間として生まれたのだ。主を礼拝し、彼を瞑想することによって、この人間としての誕生を恵まれたものとせよ。
 シャンカラは言った、
『人間としての誕生、解脱への願望、および高徳な人々との接触――これら三つの最も稀なる便宜は、神の恩寵によってはじめて得られるのだ!』と。
 師の御慈悲によって、君たちはこの三つを全部持っている。主に到達できるように努力し、この人間誕生を恵まれたものとせよ!
 人生はかりそめのものだ。いつ終わるか、誰も知らない。一生懸命に努力して、不滅の生命を与えてくれるあの宝を探したまえ。
 君たちは若いのだから、神を見出すために奮闘努力することができる。人は神を悟るために非常な努力をしなければならないのだ。」


(25)世間の務めの中で


ある信者「マハラジ、私どもは世間の務めをどのように行なうべきでありましょうか?」

ブラフマーナンダ「自分の務めは良心的に、しかも執着をせずに行ないたまえ。
 常に、自分は神の御手の中の道具であるということ、神ご自身が唯一の行為者でいらっしゃるのだということを忘れないようにせよ。
 心を神に固定し続けよ。
 働きながらも神をはっきりと思いつづける、というのは必ずしもたやすいことではない。エゴがはいこむのだ。
 しかし、失敗したからとて決して落胆してはならない。最初は繰り返し失敗することは避けられないのだ。ひたすら信仰を持ち続け、努力を倍加せよ。理想に応じた生活をするよう、懸命の努力をし給え。
 君たちの座右の銘は、『私は必ず今生で神を悟らなければならない!』というものであれ。
 結局、この肉体やこの心がもし神を悟ることを助けないのであれば、いったい何の役に立つというのだ。
 なせ! 然らずんば死ね! たとえその企ての途中で死んだとて、何の事があろう!」


(26)蜂の巣


 あるときブラフマーナンダは、弟子のプラバーヴァーナンダに、ある用事を言いつけました。しかしプラバーヴァーナンダは師の言いつけの意味を理解していなかったために、師の指示を完全に成し遂げることができませんでした。するとブラフマーナンダはプラバーヴァーナンダに対して、その日の午後いっぱい、小言を言い続けました。
 夕食になり、ブラフマーナンダの兄弟弟子のトゥリヤーナンダがやってきました。食事中、プラバーヴァーナンダは二人を扇いでいましたが、その間中もずっと、ブラフマーナンダは小言を言い続けました。

 トゥリヤーナンダがプラバーヴァーナンダに言いました。

「なぜマハラージが君に対してこんなに厳しいのか、わかるか。」

「いいえ、実はわからないのです。」

 プラバーヴァーナンダがそう答えると、トゥリヤーナンダは言いました。

「三段階の弟子があるのだ。
 第三級の弟子は、ただグルの命令を行うだけだ。
 第二級の弟子は、言葉で命ぜられる必要がない。グルの心中に思いがわくと同時にそれを行う。
 しかし第一級の弟子は、グルが思う暇もないうちに行うのだ。
 マハラージは君たちにみなに、第一級の弟子になってもらいたいと思っていらっしゃるのだよ。」


 またあるときプラバーヴァーナンダは、たった一人の苦行生活に入ることにあこがれ、ブラフマーナンダに許可を申し出ました。するとブラフマーナンダは、

「よしよし、では、ナルマダ河に行って苦行をせよ。そして、君に何ができるか見せてくれ!」

と言いました。実はこれは、ブラフマーナンダは本気でそう言ったわけではなかったのですが、プラバーヴァーナンダは師の許可を得たと思い込み、出発の準備を始めました。
 しばらくして、毛布や衣類などの準備を整えたプラバーヴァーナンダは、いとまを告げて祝福を得るために、ブラフマーナンダのもとにやってきました。するとブラフマーナンダはびっくりした様子で、「君はどこに行くんだ?」と尋ねました。プラバーヴァーナンダは、「ナルマダ河に行って苦行をすることを、あなたもお許しくださいました。これから参るところでございます。」と答えました。
 するとブラフマーナンダは、一人息子を失おうとする父親のように心配そうになり、兄弟弟子のシヴァーナンダを呼ぶと、彼に事情を説明し、興奮しながらこう言いました。

「まあ、兄弟よ、この子が苦行をしたいと言うのだよ! この子たちがあんな事柄について何を知っていよう。彼らがなぜ苦行をしなければならないのか。私たちがすべて、彼らの代わりにやったではないか。」

 そしてブラフマーナンダは高い霊的状態に入り、高度に霊的な教えを語り始めました。他の出家修行者たちも続々と部屋に集まって来て、ブラフマーナンダは神秘的なムードのまま、3時間も話し続けました。
「一人の在家信者の方がお目にかかりたいとおっしゃっています」と告げられてやっと話を止め、言いました。
「もう続けられない。心が低いレベルに降りてきてしまった。」

 その後、シヴァーナンダはプラバーヴァーナンダに言いました。

「今日私は、今まで知らなかった数々のことを学んだ。君がマハラージの蜂の巣をつついたばかりに。」

(27)兄弟弟子


 あるとき、ある修行者がある失敗をしたとき、ブラフマーナンダは彼をかばって、自分が罪をかぶりました。ヴィヴェーカーナンダはそうとは知らずにブラフマーナンダをたいそう厳しい言葉で激しく叱責しました。ブラフマーナンダは何もいいわけをせずに、自分の部屋に帰ると、一人でひどく泣きました。
 ブラフマーナンダが自室で泣いていると知ったヴィヴェーカーナンダはたいそう狼狽して、彼の部屋に飛び込むと、ブラフマーナンダを抱きしめて、一緒に泣き出しました。そして言いました。

「ラージャ、ラージャ、どうか兄弟、許しておくれ。君をしかるなんて、何という悪いことをしたものだろう!」

 ヴィヴェーカーナンダが激しく泣いているのを見て、今度はブラフマーナンダが驚いて、こう言いました。

「まあ、君が僕をしかった、それが何だ! 君は僕を愛すればこそしかったのではないか。」

 ヴィヴェーカーナンダは再びブラフマーナンダを抱きしめ、繰り返し、こう言いました。

「兄弟よ、どうか許しておくれ。僕たちの師(ラーマクリシュナ)は、君をあんなにも愛していらっしゃった。ただの一度も、君に荒い言葉などおかけになったことはなかった。それなのに僕はこんなにつまらないことで君をしかるなんて。」

 このように長い間話し合った後、二人は平静に戻りました。

 この出来事を見ていた若い修行者たちは、ラーマクリシュナの高弟たちが発する、このような純粋で言いようのない魅力に、惹きつけられるのを止めることができませんでした。
 (28)厳しさと愛情とユーモアと


 ブラフマーナンダの弟子や信者や兄弟弟子に対する接し方は、必要に応じて、ときには厳しく、そしてときには愛情深く、またときには持ち前のユーモアに富んだものでした。


 あるとき、三人の若い修行者が同時に、ラーマクリシュナ教団への出家を許されることになっていました。そしてその中の一人の少年は、着実に霊的な修行を実践し続けてきたので、周りのみなから大変高く称賛されている少年でした。
 
 しかし正式の出家の儀式がまさに始まろうとしたそのとき、ブラフマーナンダは突然、この少年の方を向いて、
「君はなぜここにいるのか。私は君には教団への出家を許さない。あちらに行きなさい。」
と言ったのでした。
 そこにいた者たちはみなショックを受け、ブラフマーナンダは残酷だと思いました。しかし後にこの少年自身が、自分は周りから称賛されて、うぬぼれていたと告白しました。ブラフマーナンダはこのような思い切った行動によって、致命的な霊的高慢にまで成長するかも知れなかったその種子を殺したのでした。少年は十日間、ひどく悩んだ後、改めて出家を正式に許されたのでした。



 またあるとき、ある在家の若者が、休暇を聖者たちのもとですごそうと、ベルル僧院へやってきていました。そして彼は、僧院の中でも人気の高かったスワミ・プレマーナンダの熱心な信者でした。
 その若者が、休暇が終わって家に帰るとき、ブラフマーナンダのもとへも別れを告げにやってきました。そのときブラフマーナンダは、持ち前のユーモアで、ちょっとしたいたずらを考えました。
 ブラフマーナンダは若者に対して、こう言いました。

「君の帰依するプレマーナンダに対して、別れを告げてきなさい。さて、彼の前に身を沈めたら、『プラナーム・マントラ』という、挨拶のマントラを唱えなければいけないよ。たぶん君はこのマントラを知らないだろう。だから私が教えてあげるよ!」

 こう言うとブラフマーナンダは、その場で即興で作ったマントラを唱え始めました。それは次のような意味のベンガル語でした。
「私の心は家に帰るのが嫌でたまりません。
 私の心からの願いは、その聖なる足下に永久に横たわることです。」

 それからブラフマーナンダは、このマントラを唱えながらどのような動作をすればよいかを、若者に教えました。それは、まずプレマーナンダの前で手を合わせてこのマントラを唱えはじめ、「その聖なる足下に永久に横たわる」のところにきたら、その合掌の手をプレマーナンダの足の方に差し出し、深く頭を下げる、というものでした。

 若者は、ブラフマーナンダの部屋を出て、プレマーナンダの部屋へと向かいました。ブラフマーナンダは一人の弟子に、後をつけて行って様子を見てこいと命じました。
 若者はプレマーナンダの部屋に入ると、ブラフマーナンダに教えられた通りに手を合わせて、あの詞章を、とても小さな声で、もぐもぐと唱え始めました。プレマーナンダは不思議に思い、
「それは何だ? 君は何を言っているんだ? ハッキリと言いたまえ、私の息子よ!」
と言いました。しかし若者は黙ったままでした。それを見ていたブラフマーナンダの弟子は、思わず吹き出してしまいました。それに気づいたプレマーナンダは言いました。
「あ! 君は、彼が何をぶつぶつ言っているのかを知っているのだね。どうか話してくれたまえ!」
 彼が「プラナーム・マントラ」の件の一部始終を語ると、その場に大爆笑のどよめきが起こったのでした。


 もう一つ、有名な、愛情深いユーモアの話があります。
 兄弟弟子のアカンダーナンダが、ブラフマーナンダのもとにかなり長く滞在した後、自分の僧院に帰ることになりました。兄弟弟子を深く愛するブラフマーナンダは、アカンダーナンダにもう少し長く滞在してくれるようにと頼みましたが、アカンダーナンダは聞き入れませんでした。
 そこでブラフマーナンダは、何マイルか離れた駅までアカンダーナンダを送るために、かごを雇いました。汽車は早朝に出発するので、かごは夜更けに出発しなければなりませんでした。
 出発前に、ブラフマーナンダはかごかきに何事かをささやきました。真っ暗だったので、アカンダーナンダはかごのカーテンを閉めて、落ち着きました。
 何時間か経った後、ようやく、目的地に着いたのでかごから降りてくれと、かごかきが言いました。アカンダーナンダがかごから降りると、なんとそこにはブラフマーナンダがいて、まるで久々に再会したかのように挨拶しました。アカンダーナンダは、ブラフマーナンダのいたずらによって、一晩中、敷地内を走り回されていただけだったと知って、大笑いしました。そして二人は抱きしめ合い、二人の子供のように笑いました。
(29)他界


 既述のように、ブラフマーナンダが最初にラーマクリシュナのもとに来る直前に、ラーマクリシュナは、ブラフマーナンダが神秘的な蓮華の上で、クリシュナと一緒に踊っているヴィジョンを見ました。このヴィジョンのことは、二、三人のごく親密な内弟子しか知りませんでした。そしてラーマクリシュナは、ラカール(ブラフマーナンダ)がもしクリシュナの永遠の友であるという自分の真の性質を知ったならば、彼は肉体を去るであろう、と説明して、ブラフマーナンダには決してそれらを知らせないように彼らを戒めていました。それ故に、この秘密は非常に注意深く守られていました。

 一九二二年の三月、ブラフマーナンダは、ラーマクリシュナの熱心な信者だった故バララーム・ボースの家にしばらく滞在していました。そのとき、ラームラール・ダーダーが、ブラフマーナンダを訪ねてこの家にやってきました。ラームラール・ダーダーは、ラーマクリシュナが生きている頃は彼の侍者として献身的に師に仕えていました。ブラフマーナンダも子供の頃からラーマクリシュナに仕えていたので、二人が会うと、自ずから話は昔の、ラーマクリシュナがまだ生きていた頃のことに及ぶのでした。そして互いにからかっては、おもしろがって一緒に笑うのでした。
 ブラフマーナンダはラームラール・ダーダーに、ラーマクリシュナのために昔よく歌ったあの歌を歌ってくれ、と頼みました。そこにいた大勢のブラフマーナンダの弟子や信者たちも、同席して聞くことになりました。
 ラームラール・ダーダーは、クリシュナとヴリンダーヴァンの牛飼いの少年少女たちの歌を歌い始めました。最初は、ラームラール・ダーダーがゴーピー(牛飼いの乙女)たちの身振りを真似るので、誰もが大笑いして、陽気でした。
 しかしラームラール・ダーダーが、
「帰ってきて、おお、クリシュナ。ヴリンダーヴァンに帰ってきて。そして牛飼いたちのハートに君臨してください。あなたも牛飼いだということを、忘れてはいけません。」
という一節を歌った瞬間、一緒におもしろがっていたブラフマーナンダが突然、まじめな顔になり、まるでこの世界を超えた領域に運ばれてしまったように見えました。みなの笑いも戯れも止まり、空気は寂として静まりました。
 ブラフマーナンダが自分の本性を垣間見て、自分がクリシュナの永遠の友であることを知ったのは、このときだったといわれています。

 その数日後、ブラフマーナンダは夜中に突然目を覚まして、師ラーマクリシュナのヴィジョンを見ました。ラーマクリシュナは何も言わずにしばらくブラフマーナンダの前に立ち、その後、消えました。
 そこへやってきた弟子に対して、ブラフマーナンダはこう言いました。

「私はもう、この世の事物について考えることはできない。私の心はあのお方の中で、あのお方だけの中で、完全な休息を取ることを欲しているのだ。」

 それからまもなくして、ブラフマーナンダは軽いコレラにかかりましたが、一週間も経たぬうちに回復しました。しかし病後の衰弱に糖尿病が加わり、体調が悪化しました。大勢の医師が診察のために呼ばれましたが、そのうちの一人が額にシヴァの印をつけているのを見て、ブラフマーナンダは言いました。

「ドクター、あなたが額にその印をつけている主シヴァ、彼のみが実在で、他はすべて非実在です。」


 
 一人の信者が、「マハラージ、ひどくお苦しうございますか」と尋ねると、ブラフマーナンダは答えました。

「この状態にあっては、私はすべての肉体的苦痛に忍耐強く、不足を言わずに耐えなければならないのだ、ということを、どうぞわかってください。」

 しかしそう言いながら、ブラフマーナンダの顔は神々しく光り輝き、苦痛は溶け去ったように見え、ブラフマーナンダは外的意識を失って瞑想に没入しました。

 その夜の九時頃、弟子のニルヴァーナーナンダの上に手を置き、
「嘆くな。君はよく仕えてくれた。君は神に合一し、ブラフマンの悟りに到達するよ。それができるように、私が祝福してあげる。」
と言いました。

 それから、来ていた弟子や信者たちを枕元に呼び、一人一人に祝福を与え、愛深い言葉をかけました。

 そしてブラフマーナンダは、みなに向かってやさしく言いました。

「ああ、私の子供たちよ。決して神を忘れるではないぞ。そうすれば最高の善を悟るであろう。悲しんではいけない。私は常に君たちのそばにいる。」

 そう言うと、ブラフマーナンダは再び超越的意識に没入しました。そしてしばらく経ってから、美しい声でこう言いました。

「私は浮かんでいる。信愛(バクティ)と叡智(ジュニャーナ)の葉に乗って、ブラフマンの大海に浮かんでいる。」

 そして突然、叫びました。

「ああ! シュリー・ラーマクリシュナの御足だ!――わかっている! ヴィヴェーカ、兄弟ヴィヴェーカーナンダ! プレマーナンダ! ヨーガーナンダ!・・・・・・」

 ブラフマーナンダは、すでに他界していた師や兄弟弟子たちのヴィジョンを見ていたのでした。ブラフマーナンダは、常に超越世界に生きていたような人でしたが、生前はその事実をほとんど人に漏らすことはありませんでした。しかし今はもう、その事実を隠そうとせず、自分が見ている様々なヴィジョンを語り続けました。

「ああ・・・・・・至福に満ちたブラフマンの海! オーム、至高のブラフマンに帰依し奉る! オーム、至高の真我に帰依し奉る!」

 神聖な経験を語り続けるブラフマーナンダのために、弟子がレモン水を持ってきました。ブラフマーナンダは、
「心がブラフマンから下がりたがらないのだよ。ブラフマンをブラフマンの中に注ぎ込んでおくれ。」
と言いながら、子供のように口を開けて、水を流し込んでもらいました。

 それからブラフマーナンダは兄弟弟子のサーラダーナンダに向かって言いました。

「兄弟よ。シュリー・ラーマクリシュナは真実だ。あのお方の神の化身は真実だ。」

 この後、ブラフマーナンダはしばらく沈黙しました。彼は非常に深い瞑想に没入し、その顔はこの上もなく甘美な表情をしていました。そこに居合わせた人々の心は非常に高められ、彼らは悲しみではなく、ただ喜びと静けさだけを感じました。この世の感覚と死の感覚は全く失われてしまいました。

 すると突然、沈黙の中から、ブラフマーナンダが語り始めました。

「ああ、あのたとえようもない光! ラーマクリシュナ、私のラーマクリシュナのクリシュナ・・・・・・私は牛飼いだ。足に足輪をつけてくれ。私のクリシュナと一緒に踊りたいのだ。彼の手を取りたいのだ!――ゴーパーラ・クリシュナ・・・・・・ああ、クリシュナ、私のクリシュナ、来ましたね! クリシュナ・・・・・・クリシュナ・・・・・・君たちに彼が見えないのか。君たち、見る目を持たないのか。おお、なんと美しい! 私のクリシュナ・・・・・・蓮華の上に・・・・・・永遠の・・・・・・甘美なる者よ!
 私の遊戯(リーラー)はもう終わったのだ。見よ! ゴーパーラ・クリシュナが私をなでている。一緒に行こうと私を呼んでいる! 私は行く・・・・・・」

 その部屋全体の空気が、彼の言葉からあふれる優しさと神々しい慈悲心に満ちあふれ、感動しているようでした。

 

 その三日後の夜、ブラフマーナンダを診断した医師は、もうとっくに昏睡状態に陥るはずなのに、ブラフマーナンダが普通に意識を保っているのを見て驚嘆しました。
 そしてしばらくすると、ブラフマーナンダの胸が突然、大きくふくらみました。まるで、身体の中を大きなエネルギーの波が上まで昇ってきたかのようでした。半ば閉じられていた目は見開かれ、ブラフマーナンダは遠くを見つめました。その目はたとえようもない美しさに光り輝いていました。
 このようにして、一九二二年四月十日の夜、ブラフマーナンダは肉体を去ったのでした。

 ブラフマーナンダの他界の後、ブラフマーナンダの弟子たちは、ブラフマーナンダが自分の中にいることを強烈に感じました。肉体という障害が除かれ、ブラフマーナンダが生きていた頃よりも、いっそう近く感じたのです。そのため、ブラフマーナンダの弟子たちは、なお師が生きて自分を守り導いてくださっているということを疑うことはありませんでした。

 ブラフマーナンダの兄弟弟子で、まだ存命中だったシヴァーナンダは、ブラフマーナンダの弟子に対してこう言いました。

「君は決して、自分が神の子を見たのだということを忘れてはいけない。君は神を見たのだ。」

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