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NHK大河ドラマ 平 清盛コミュの【史実バレあり】史実とドラマとの違い(ネタばれ禁止)その2

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平清盛の史実とドラマとの違いについて語りましょう。

ドラマと同時進行を「現在」と考えます。
「史実バレ」とは、ドラマの進行上の「未来」について語ることです。
感想トピでは「史実バレ禁止」ですから、このトピックに書き込んでください。

ドラマに関する「ネタバレ」は、禁止とします。


コメント(683)

週刊誌に青木弁慶の立ち往生姿が掲載されていました。
清盛の死後、話はどこまで続くのかな?
>>[644]

こんにちは。
ネタバレなんでアレですけど、そこまで映像にするのですね(*_*)
そこまでやってやっと諸行無常を表現すると言うことかもです。
>>[645]

すみません。やっぱりネタばれに当たりましたかあせあせ(飛び散る汗)
適当なトピが見つけられなくて。

清盛のラストシーンが気になります。
今回も駆け足でしたが、清盛のダークさが光って良かったと思います(笑)

欲がなければ綺麗事で天下は動かせぬとは歴史の真実を点いているのでは無いでしょうか。

しかしドラマではこんな父親を持ったから大事な嫡男が心労死したと無理矢理悪役に徹する清盛の行動にあれは欲なのだろうか?と呟く時忠は全編において一番聡明で普通の感覚を持つ人間かもですね。

平家の絆とは最後まで家族愛だ。が光ります。それゆえに家族より仕事をとった重盛がへなちょこに描かれてるのでしょうか(;´д`)

頼政は中々慎重なキャラですが、上司を焚き付けたのは彼ですね。

治承三年の政変では朝廷だけでなく諸国の人事も根こそぎ変えました。ほぼ西国は手中に治めていた平家は坂東北陸の領事権を平家の国司一本にして、源氏の地方地盤を叩いたのです。それまでは源氏嫡流と頼政を気にしてましたが、ここに来て平家派以外は全て排除したのですね。

坂東の有力荘園を有していた源氏やそれに属する豪族の領事権を奪うことはダイレクトに八条院の収入に響くわけです。八条院と言う後ろ楯が居てこその源氏にとってはもはやクーデターを起こす以外に存亡の道はない所まで追い込まれたのですね。

もしここで頼政が立たなければ、貴族以外は家畜な時代が続き本当の武士の世は来なかったでしょう。


ちなみに操られている感の高倉帝はそこまで非力ではありませんでした。

院政を敷いたのは平家の財力と後ろ楯を掌握するためで、まだ赤ちゃんな安徳帝は彼にとっても都合の良い跡取りです。政変で自分の足元を掬うライバル根こそぎ一新されて一番得をするのも高倉帝です。

やっと二十歳、徳子との間に中々子供を作らなかったのも自分も幼くては後見人に執事を取られるからだと計算の上なら脱帽ですが、後の後鳥羽帝を見てもそれくらいの聡明な人物でも不思議ではない気がします。他の美女に心奪われてはそれを隠す為だったり…事実、安徳帝が出来るまで中宮を脅かす身分の女性には見向きもしてません。

問題は安徳帝に誰をめとらせるかで平家との確執が出てくる筈でしたが。

そして頼朝挙兵へと続く様ですが、どうやら義仲は出てこなさそうです。










>>[647]
高倉帝はむしろ平家とは積極的に関わっていたそうですし賢帝としても名高い方ですから

重盛は家族より仕事…とはいいきれない気がします
なぜなら成親が謀反おこしてからもその妹である妻の経子を離縁せずに大切にしていますから

>>[648]

高倉帝でさえ平家の賜物ですから協力しない方が不思議ですよね。
史面だけでも高倉帝は後白河院の世渡り術と滋子の乗せて人心を掴む処世術を兼ね備えてる感がしますので、高倉政権が続けばひょっとしたら凄い国になってたかもです。

結構そこがクローズアップされてますが、経子と成親は異母兄妹で実際には婚姻にそんなに影響ないですね。経子は嫡流の娘なのでむしろ彼女のおかげでまだ重盛の平家の面目が保ててたのです。

家成の嫡流と平家とはあちこちで親戚ですし、甥の隆房も清盛の娘を正妻にしてましたが滅亡したからと離縁はしてません。それによって不利になる事も無いので相手側に不備があって離縁と言う感覚はまだ無いと思います。

この時代の離縁とは性格が合わないとかぶっちゃけ飽きたからが殆どでは無いでしょうか。3年通わなくなれば子供が居ようが自然消滅です。

「鹿ヶ谷」の前に祇王・仏御前が出てこなかったので、彼女達は「平清盛」では出てこないと思いましたが、この時期に出てくるとは…
今回はドラマらしい展開でしょうか(*^^*)この大河ドラマは玉葉とかがベースだと聞いたので兵の数はリアルでしたが、内容は平家物語でしたね?

富士川合戦の真相(平家編)

頼朝追倒軍の大将に重盛嫡子維盛を推したのはまだ清盛に維盛を棟梁にする気持ちがあったからです。坂東勢を軽く考えてたのは確かで源氏根絶やしの勝ち戦と疑う事無く、後継ぎお披露目感覚でした。兵力が少なかったのも飢饉よりは敵兵力を侮ってたからが強いでしょう。

絵にも描けない美しさと福原を華々しく出発した維盛は侍大将の忠清と合流する為に六波羅に入ります。ここで忠清と対立。まだ烏合の衆なうちに頼朝軍を叩きたい維盛と出発忌日に拘る忠清。

忠清の本音は坂東源氏の仲違いを期待してたのです。この時、鎌倉頼朝軍と甲斐武田軍、木曽義仲軍、佐竹源氏軍、新田源氏本陣軍等は別の勢力で敵同士でした。頼朝の同盟策に呼応したのは甲斐源氏だけだったりします。

期待して待ってみたら鎌倉と甲斐が結託して箱根の坂を越えてしまったのでただ一週間無駄にしただけを忌日と誤魔化した感じです(笑)

すぐに終わると軽く見ていたから兵糧も集めていなく富士川につく頃には空腹で逃げ出す兵が後を立たず。あまりの少なさに源氏軍が伏兵があるのだと怖がったほどでした。布陣2日後に維盛参陣、景気付けに遊女を呼んで宴が始まると益々不気味です。維盛は女では無く餅の一個でも配るべきだったのですね。士気の上げ方を間違った様です。

翌朝、源氏軍の合戦呼び掛けの鏑矢が飛んで来るとまた忠清と対立。例え一兵となっても撤退しないと息巻く維盛と勢力の違いが歴然の負け戦に無駄な損失はしたくない忠清とで揉めてました。推定で源氏20万(実際は甲斐合わせて5万位)、平家軍4000(実際は1000位)でどう転んでも勝ち目無し。

話し合いは着かずに夜になって業を煮やした武田軍が搦め手として平家軍の背後に着こうとコッソリ川を渡ろうとしたとき馬の鼻息に驚いた水鳥が一斉に飛び立ち奇襲発覚。

驚いたのは平家軍もで攻めこんできたと勘違いして総崩れの退却です。維盛はこの時も逃げては成らぬと激怒するも忠清に無理矢理馬に乗せられ敗走を余儀なくされました。ちなみに資盛は富士川には参戦してなく副将は忠度です。

忠清は維盛の乳母夫なので息子みたいに大事にしていたかもですが、戦を知らない主人と歴戦を生き抜いた侍大将の確執が平家を滅亡に導いた一端でもあります。倶利伽羅合戦はやらないと思うので書きますが、そこでも一気に攻めこむ気の維盛と大将を立てない侍大将の為に大敗をします。

負けたらそれまでなので全て維盛のせいにされてしまいますが、維盛は結構果敢な態度を取ってたのですね。保元の乱の若き重盛にそっくりです。

維盛の失策とは言いがたい敗戦でしたが、清盛は維盛を嫡子から外し宗盛を嫡子にします。この判断は平家内部に完全に亀裂を作る結果となりました。清盛の大誤算でした。
富士川合戦の真相(源氏編)

そもそも頼朝が挙兵したのは頼政のクーデター失敗による源氏狩りで一番に名前が挙がったからです。血筋が物を言う時代に大将になりうる河内源氏の子息は一番の脅威でありました。

令旨を貰っていち早く挙兵宣言したのは甲斐や美濃の源氏で、頼朝は北条の婿で良く挙兵はしない腹積りでしたので周りの豪族もどうしたものかと距離を置いてました。頼政が負けて頼朝に矛先が向いたので渋々の挙兵です。そんなわけで頼朝と一蓮托生な伊豆の豪族以外に味方に着いたのはわずか三浦だけ。あまのじゃくな態度では仕方ないと言えば仕方ないスタートです。

大庭景親は元は鎌倉党主大庭家の庶子でしたが清盛の坂東懐柔策で嫡子を追い出して景親を棟梁にしたことから平家の腹臣として幅を利かせてました。その生い立ちが同族梶原氏の不信を買ってたりします。故の頼朝見逃し。

義父伊東祐親と共に石橋山に布陣した頼朝を三浦が来ないうちにと夜襲で攻め落とします。この時の時政との言葉合戦は有名で、主の恩は山より高く海より深いのセリフは後世の常套句になりました。

北条や岡崎等は嫡子を失う大打撃で頼朝が生き残ったのは奇跡な位です。箱根神社の助力もあり何とか安房に逃げ延びますが、平家軍は味方した三浦に総攻撃を掛けて御隠居義明は一族を逃がす為に討死、衣笠城は落城しました。

良く伊豆の屋敷にたむろってましたがあれは大番役の帰りに義澄等が都の情報を頼朝に流してたフィクションですね。平治の乱後は三浦の棟梁は義澄であり、佐々木や上総も代替わりしてます。御隠居同士がたむろってた設定なのかな?

偉そうな態度で怒られてた上総広常の年齢設定は激しくおかしいです(笑)頼朝の弟は義経しか出てきませんが一番先に駆けつけたのは今若の全成で同母弟希義の暗殺を聞いたすぐ後の訪問だった為に頼朝が兄弟で一番可愛がった様です。

頼朝が鎌倉に入る頃には新田足利、比企や小山、宇都宮等の有力豪族が駆け付け20万騎と言われた軍勢になります。取り合えず武田軍と連携出来たので平家軍を迎え撃つべく富士川へ。

鎌倉と武田は横並びに布陣したのでさぞ大軍に見えたでしょう。
味方でさえ迷子になって陣地間違えた位です(笑)平家の大軍を予想していた為に平家陣営は不気味に映ったでしょうね。合戦の返事も無いし。

水鳥の羽音でビビった平家ですが、ビビるという言葉は元は甲冑がビビっとぶつかる勇ましい言葉でしたが平家が羽音をビビる音と勘違いした事から驚くと言う意味に変わってしまいました。

ちなみに義経が合流したのは帰りです。

>>[653]
なるほど〜。

膝ポンさせていただきました。
>>[654]さん ★

コメントありがとうございます(*^^*)

また大庭景親が援軍阻止されたと言ってましたが、実際は小田原に籠城して鎌倉軍を迎え撃つつもりが華麗にスルーされてます。無視されて大いに動揺した大庭平家軍は坂東平家軍の中心だった畠山や川越が降伏してたのもあり、鎌倉軍に着いて行く者が続出した様です。

後に敦盛や忠度を討ち取る熊谷や深谷なんかもこの時の参陣。今が潮時と梶原景時も頼朝に申し出て石橋山の功績で前陣に加えて貰います。結構皆ちゃっかりさん(笑)

細かい事を言うと頼朝陣地で千葉が三浦より上座なのは間違いですね。御家人では上総三浦千葉の3番目の位置です。多分、頼隆(源義家末子の子、森蘭丸の祖)を隠庇護して参陣の時に引き合わせたのを頼朝が喜んで自分の次に座らせた事から勘違いしてるのかもです。

全体的には良いまとめ方だったのではしょられるべき内容ではあります(笑)

清盛は忠清に死罪(ついでに惟盛は鬼界ヶ島に流罪)を申しつけたのであって、清盛が忠清に直接手を下そうとした訳ではないようですね。

結局、盛国のとりなしで忠清・惟盛共々助かりましたが。
>>[657]

草燃えるは観たことが無いので私も観てみようかと思います(*^^*)
>>[658]
このドラマには全成さん出てきますよ

あと政子の兄、宗時もね

皆さんこないだの歴史ヒストリーは観ましたか?
鎌倉時代をやってました。
鎌倉時代って頼朝が幕府を開いた程度しか知らなかったので、平家が滅亡した後の世が気になり観ました。

頼朝は平家を倒したヒーローのイメージが強いですが、鎌倉幕府って頼朝の息子の代で終わってたんですね。
乳父と北条家…身内同士で争い、頼朝の息子二人を暗殺して北条家が鎌倉幕府を乗っ取っていたなんて。

頼朝も身内である源氏一族を殺して排除してるしあせあせ(飛び散る汗)

頼朝は平清盛が作れなかった武士の世を作ったけど、それは平清盛が基盤を作ってくれていたから。
清盛がいなかったら藤原氏やほかの公家の力が強くて幕府を開くことは難しかったんじゃないかなぁ。

今、大河では頼朝側はまだ見ぬ明日へ向かってキラキラ輝いてるけど結局は清盛と同じ道を辿るんですね。
清盛も若い頃は同じようにキラキラしていた(>_<)
>>[653]

ビビるってそこから来てたんですね!
いや〜驚きです。
久しぶりに、おおっ!と思いました(笑)
>>[659]

そうなんですか(^o^)全成にはそれほど思い入れも無いですが(笑)

我が君実朝様が出てくるかどんな風に描かれているか気になります(*^^*)
>>[660]

こんにちは。
このトピにも鎌倉時代に言及してる箇所もあるので、お暇なら読んでみて下さい。

視点によっては善にも悪にもなるし、大きな影響の前には無力なものです。

歴史は河の様に繋がってるんですね。だから大河ドラマと言うんでしょうね(*^^*)

>>[661]

こんにちは。
他にはただ乗りも忠度から来てます(*^^*)

源平時代は語源や事柄のルーツでもありますが、後に続く武家のルーツでもあるので個人的には一番面白い時代だと思います。

>>[663]
実朝は今年の高倉帝に近い感じかと思われます

おそらく繊細ながら聡明な名君として
>>[666]

そうなんですか今年の高倉帝みたいな…実朝はめっちゃ病弱だったから繊細にはかかれそうですね(^^;
朝起きたら具合悪くていつもの風邪引きかと看病してたら実は二日酔いの悪さだったとかどんだけです(笑)

家臣に女と酒に溺れて将軍らしくないと言われた様ですが、エピソードみる限りどちらも当てはまってない気がします。

実朝がはまってたのは和歌と官位の取得なのでそれの揶揄なんでしょうかね?歴史はミステリー。


>>[665]

ただ乗りも!
面白いですね〜♪
>>[667]
女と酒に溺れては頼家の間違いでは?

ただ実朝はおっしゃるとおり病弱なので好色な源氏の血を引きながら性的不能の可能性があるそうです
>>[660]
実朝の暗殺の黒幕はライバルである三浦氏や後鳥羽上皇の可能性があります

ただ北条は幕府にとってマイナスにしかならないとなれば例え身内でも始末するくらいの割りきりはもっていたでしょう

義時と時政の場合は殺しあいにはならなかったものの殺す必要性があると考えたら義時は父親だとしても即座に殺したと思います

余談ですがローマでも共和制を乱すであろう陰謀を企てた二人の息子に死罪を命じた政治家もいました
>>[670]

頼家は狩りや宴、家臣の妻を寝とる暴君として書かれますがこれこそ吾妻鏡のフィクションです。公家方の日記には武芸に長けた立派な棟梁格として評判良いです。将軍すり替えのデマですね。

実朝は長沼宗政に女と酒ばかりでお前の武芸は蹴鞠か?と言われてます。彼は当然出仕停止になりますけど、女は別として毎晩晩酌して翌朝具合悪いからお酒に弱かったのを克服しようとしてたのかもしれません。

実朝は争いが起きる御家人の娘との婚姻を認めてません。妻は公家の娘のみを望みました。

ちなみに後鳥羽院と実朝は死ぬまで良好な関係でした。
>>[672]

実朝暗殺は北条で間違いないと思いますか?
>>[665]

故に、無賃乗車を「薩摩の守」と称していたのですな。
>>[673]

一括りには言えないと思います。
世代交代の意識の違いは大きいですね。

義時と泰時、義村と泰村は別のものと考えた方が流れも解りやすいと思います。

>>[674]

そうみたいですね。

語源は一ノ谷で須摩から明石に逃げる途中、船の賃金払わず逃げたかららしいですが史実的にはちょっと意味不明ですよね(笑)
いつもキャラの性格が極端ですよね?

今回の補足は頼朝の御恩と奉公、重衡の南都焼き討ちについて。

頼朝が坂東武士団の有権を獲得できたのは、地領安堵のマニフェストです。この公約は土地の権利を認めると解釈しますが個人所有権ではありません。

あくまでも荘園管理人の地位を約束したもので、変わらず年貢税金を納める事は義務です。地主と小作人の原型みたいなものですね。

そもそも西国と東国とは年貢の責務が違いました。東国の方が肥えた土壌と言うのもありますが、西国は寺社の荘園が多く寺領は年貢免除もあったのです。今の法人税みたいなもの。

そのしわ寄せが東国に来て東の民は平将門の時代から不平等に不満を抱えていました。当時の東国は東京湾の溝から埼玉の川越辺りまで湿地帯で東京辺りは人も疎らな沼地でした。いくら土壌が良くてもその土地は限られています。箱根の坂(足柄峠)から東の白河の関所(現福島県白河)、上は上野までを坂東と呼んで常陸(茨城)を抜かした伊豆相模(神奈川)武蔵(東京埼玉)上総下総安房(千葉)上野(群馬)下野(栃木)を坂東八州と称しました。

伊豆は硫黄が多く相模は狭い、武蔵は沼地で上野下野常陸の上方は寒さで不毛の地ゆえに流罪地、上総下総安房辺りは鹿島灘が入りくんではいましたが土壌面積が広い。管理人が誰になろうとも年貢さえ納めていれば朝廷は無関心でしたので千葉県辺りは特に在官領人の権利を巡って熾烈な小競り合いが絶えませんでした。

敵と戦って倒した後に領の管理権を恩賞として保証すると言うのが頼朝の御恩と奉公政策です。この時坂東は忠清が上総介となり平家領八州総監と成っていたので富士川の撃退により先ず地領の管理権を獲得します。地領を侵略する敵と戦うので保証されてる土地にちょっかい出すと敵と見なされ破れたら地領没取なので必然的に小競り合い禁止、いわゆる一所懸命です。

本当の他地恩賞は対佐竹源氏戦により常陸の佐竹領を恩賞として配った事から始まります。

頼朝が忌日を無視したのは、この時に佐竹の当主が大番役として不在だったからです。日取りを見ていては帰ってきて攻めこんで来るのが明白でしたので手薄を狙い打ちしたのですね。












南都焼き討ちの背景には以仁王のクーデターに加担した興福寺との和解決裂があります。

興福寺は平安京に遷都した後も藤原家の菩提寺として幅を利かせてました。勿論パトロンが摂関家だったので平家が官職を独占しはじめると共に失速していきます。加えて平家が増築した寺院には京都の仏師しか使わず、仏像作りで生計を立ててた南都の仏師僧達は困窮します。

当然、南都は反平家の意志が色濃く以仁王にも全面協力しています。
思った以上に容易く鎮圧出来ない状況で清盛は興福寺と和解しようと丸腰の使者を送りますが、興福寺は使者60人余りの首を全て切り落とし宣戦布告します。

清盛は激怒し重衡に南都攻略を命じました。

平家が攻めてくると南都は寺町全区域で臨戦体勢に入った事からある程度の市街地戦は想定内です。
戦に関係しない僧や稚児、庶民等は避難します。

この時代、戦地になった市街地を焼き討ちするのは戦法の1つでありルール違反ではありません。特に庶民の家はまだ竪穴式に毛が生えた位な簡素な物で、灯り取りや場所取りにより焼かれてしまいます。大事なのは戦後保証でまた家を与えれば済む話でした。

重衡も夜の灯り取りに民家に火を着けた所強風に煽られ寺町全焼となってしまった様です。
しかし、興福寺は焼き討ちするつもりだったみたいなのでちょっとやり過ぎちゃったかな〜位な感覚だったかもです。その後、きっちり首謀者の首を切り落としてますし。

現在では重要文化財を灰にしてプンプンって感じですが、当時は今ほど重要度は無かったかと思われます。正倉院も財宝と言うより、使わなくなった中古品な倉庫感覚です。それこそ興福寺も天平仏像が沢山安置されてましたが、それを焼こうと考えてたのからも判ります。(興福寺は後に山田寺から本尊を強奪して来ます。何でも良い様です。)

さすがに大仏は別格だったので、重衡の罪は大仏消滅のみクローズアップされる様です。

そんな南都の不満に目を着けたのが頼朝。

頼朝は鎌倉都市計画を南都の仏師を呼び寄せて増築していきます。仕事が無かった南都衆は喜んで下向し鶴岡八幡宮や建長寺等を格安で作って行きます。運慶快慶なんかもこの時の南都衆ですね。

南都が必要以上に平家を仏敵としたいのは、自分達が虐げられて来たと言う私怨の方が強いと言う煩悩まみれ(笑)











ドラマとしての感想は多々ありますがそれは感想版にお任せして、関わられた全ての方々1年お疲れ様でした。ただ一言いえば終わってなんだかホッとしてます。

年末は忙しくて最後の2話も駆け足で見てしまいましたが史実版も少し頑張って浮上しとこうと思います(笑)

高倉帝が御隠れあそばされてまだ執権を決められない幼帝の換わりに、幽閉していた後白河法皇が再び後見人として朝廷に戻って来た件、清盛と時子は建礼門院に後宮に入る事を薦めます。後白河院もえらく乗り気でしたが徳子が初めて親に逆らって拒否した為に話が流れます。

そりゃ最もだと思う話ですが、何故この策を清盛が薦めたかと言うと高倉帝が死ぬ前にその財産管理権と機内の総領事権(実質西日本の軍事指導権)を徳子名義で発布出来る様に画策したからです。

安徳天皇後見は生母徳子にあり事実上の執権を採れるのは彼女、加えて平家の全財産と武力権を持った皇后を後宮に入れると言うのですから後白河院は跳んで喜んだでしょう。今まで藤原頼長の所領しかなく八条院にも平家にも財産的に無力だったのですから。

しかし大人しい徳子に断固拒否され清盛は仕方なく他の娘に少し財産をつけて送りますが、後白河院が欲しいのは絶対的な治天の君の権利ですから生涯1度もこの娘の宮には足を運びませんでした。不憫。

そんな訳で平家の都落ちの際には安徳帝と徳子、天皇の象徴3種の神器を擁して行かなければならなかったのです。天皇の換わりになれるのは後白河院だけですから是非に連れていきたかったのでしょうけど、着いていかないのも当然ですね。

もしこの時後白河院が拉致られて途中で死んでたりしたら天皇家は断絶していたかもしれません。

平安京を護ると言う大義の上に都を棄てた天皇に統治権無しと安徳帝を廃位し後鳥羽帝を立てます。天皇継承の3種の神器無しの即位ですが、それを正当化する為に天皇の家宝を勝手に持ち出したとして平家は朝敵となりました。朝敵となると従っていた西日本の豪族も次々と離反し平家はあれよと言う間に追い詰められて行きます。

結局は起死回生を果たせず一門は海の都へと旅立つのです。

平家が6年もの間耐えれたのは皇族の安徳帝と生母建礼門院が居たからこそでしたので、天皇の血とはそれだけ尊いものでした。頼朝や義経もお二人には最善を尽くすように戦ったからの長期戦。

時子が安徳帝に極楽浄土では無くて海の底へ行くと言うのも神の子孫を道連れにする自分達への戒めでもありました。

こういった崇高な精神も時代が下がるうちに軍記物から下世話な話が組み込まれ、徳子様は散々な悪評をつけられます。義経に言い寄れたから源氏軍に凌辱されたなんて書いてる人も居ましたが少し考えればあり得ない事だと解りますね(笑)それでもそっち系を囃し立てるのは人間の性でしょうか。

徳子は都入りしますが誰も庇護者は無く大原の山中でその余生を送ります。訪ねる人も無く物音がすると怖がってみても鹿だったとか涙目。

そんな中に1度後白河院が訪ねて来るのですが徳子はその時自ら蕨を取って帰ってきます。後白河院を見て驚き涙ながらに自分の一生を生きながら六道を見たと語ります。この時畜生道だけが語られなかったからの下世話が着いてしまうのですが、語った相手が畜生道の張本人でしょう。畜生とは裏切りを意味します。

その後、徳子はひっそり生涯を閉じますが死因は栄養失調だろうと思われます。

ちなみにこの時代、餓死は自害の1つで盛国も餓死を選びました。忠清の息子景清も鎌倉の土牢で餓死します。高野山に出家後ふだらく渡海で成仏する維盛も生きたまま浄土に行く事は船の上で餓死を意味してます。後に入水が組み込まれた様ですが意図は解りません。成親も自害に見せ掛けたのかもしれません。

餓死は真言宗においての崇高な死に方ですから高野山を信仰していた平家には最も名誉な死とも言えます。


来年は幕末ドラマですね。予告を見る限り映像や設定は楽しそうでまた脚本で転ばないことをお祈りします。

そしてまた平安末期はひっそりと戻ってしまうのでしょうけど一人でも研究してみたいと思う方が居られましたらお友だちになりたいです。←

共に悠久の源平世界の旅人になりませぬか(笑)
ついでに源氏パートの補足も。

頼朝が政治面で絶対的に信頼したのは旗揚げ直後、鎌倉に陣を張った頼朝の元に乳母子が連れてきた下級貴族の中原兄弟でした。この二人の知識のお陰で頼朝は流人から脱出し和睦の仕方や守護地頭等の朝廷と知略で渡り合う事が出来たと言っても過言ではありません。特に弟広元は実朝の時代まで源氏を支え続けます。

後の大江広元、毛利元就や長州藩の祖ですね。全く出てきませんでしたがそれは源氏のお話だからでしょう。

ちなみに何故にこの中原兄弟が選ばれたかは源義家に兵法を教えたのが彼らの祖父だからです。しかし源氏失墜の引き金でもありましたから歴史はミステリー。

さらっと出てきた義経の涙の腰越状は何度赦免状を送っても許してくれない頼朝に、藁をもすがる思いで広元宛に書いたものです。それだけ発言力があったと思われます。


源義経、畏れながら申し上げます気持ちは鎌倉殿の代官の一人に選ばれまた天皇の使いとなり兄の為、源氏の為と父の汚名をすすぐ働きを致しました。

きっと喜んで下さると思っていましたが、図らずもあらぬ戯れ言により鎌倉殿の機嫌を損ねてしまいました。義経は兄の為に手柄こそは立てましたがそれ以外の野心を立てた事は少しもございません。あらぬ告げ口に対し私の言い分すらもお聞き下さらず鎌倉にも入れず何とか私の日頃の気持ちをお伝え出来無いものかとこの腰越で数日を過ごしております。

兄のお怒りが残念でならなく私は口惜しさに血の涙を流して泣いています。

あの日、はせ参じた私を涙を流して喜んで下さった兄の慈しみ深いお顔にもお会い出来ず兄弟としての意味も無いのと同じようです。何故、かような不幸せな巡り合わせとなったのでしょう。

今は亡き父の御霊が再びこの世に出てきて下さらないかぎりどなたにも私の胸の内の悲しみも理解してくれずまた憐れんでも頂けないでしょう。あの木瀬川の宿で申し上げました通り私が産まれた年に父は亡くなり母と私は逃げ惑いながら一日片時も安全な楽しい日は無かったのです。

京都の動乱が激しくなると身の危険もあったのでいっそ都を出て隠れながらもひっそりと元服も済ませ奥州まで逃げ延びました。その間に土民として百姓の真似事をしたり何とか生き延びて来たのです。それも全ては父の恥をすすぐ為との思いでございました。

そして同じ思いをされてる兄頼朝公の旗揚げというめでたい噂に私は飛び立つ思いで急いで駆けつけて参りました。兄もとても喜んで下さいまして宿敵平家討伐の総大将に任命して頂きました。私はまず源義仲を倒し平家を攻めました。そしてありとあらゆる困難に堪え平家を滅ぼし亡き父の御霊をお休めする事が叶えられたのです。

それが野心と言うならば軍人の最上の高官である五位の尉に任命された事は源家の名誉の他のなにものでもありません。

義経には鎌倉殿に対し野心など少しもございません。

この義経の気持ちをどのようにお伝えしたら判って頂けるのでしょうか。神仏の加護に縋るほか無いように思い度々神仏に誓って偽りを申しませんと文書を差し上げましたがお許しはありません。

せめて、あなたのお情けにより義経のこの心の内を鎌倉殿にお知らせ頂きたく思い筆をしたためました。 疑いが晴れて許されるならばご恩は一生忘れません。     

源義経 進上因幡前司殿(大江広元)

腰越の現代語訳ですが、頼朝が義経に望んでいた事を理解出来てないのが判ると思います。義経は純粋で良き武人ではありますがそれ故に驚異的な戦神だったのでしょう。

しかしドラマで最後にこの義経の死を無駄にしてくれるな。の演出は良い締め方ですね。


個人的に義経の逃避行には疑問符を持つ私ですが、それも一緒に研究してみたいと思う方も居られないでしょうか大募集☆


ここ数日プロフを見てくれる人が増えたけど一緒に研究してやっても良いぜって思ってくれてるのかな(^q^)

しかし独壇場ついでに簡単な歴史の流れを。

多分にこのドラマで平家や清盛に対する見方が多分良い方に変わった方もいらっしゃると思います。
江戸時代に根付いた源氏が善で平家が悪の勧善懲悪思考をもって源氏史観とか思ってる方は多いですね。

これは清和源氏を称し頼朝の思想を尊重した徳川家の意識操作であり、頼朝の幕府制作を支え続けた北条氏も評価されてました。換わりにその北条氏と祖先筋にあたる新田義貞を倒した足利尊氏と戦国乱世に導いた足利幕府が悪評価をされてました。

長州の過激攘夷派が足利将軍の木造首を晒したのも始めに水戸学から発展した尊皇論からです。

しかしこの風潮は明治維新には覆される事になります。何故なら今度は徳川幕府を倒した名目で完全悪としないといけないからです。

壇之浦を有する長州は大江広元が祖先とする事は棚に上げて、平家の悲劇と正当性を大々的に語りだします。落人伝承が多い土佐もノリノリです。一方、源頼朝を祖先とする薩摩は少し引きぎみ。もしかしたらここら辺の確執も西南戦争に繋がってたりしてね。

先ずは義経がいかにもルール違反をして勝ち進んでいった様に話を作り替え卑怯者のレッテルを貼ります。昨今では平家軍の矢がなくなって船頭にも当たるようになったと故意に打ったのは間違いだと検証され始めています。一ノ谷も義経では無かったとも。ちなみに潮の流れも関係無いそうです。

源氏軍にも尾ひれはひれを付けて関東=田舎者の洗脳を始めますが皇居に天皇を移して自分達も徳川の遺産で生活始めたりしたから結局は大都会でイケてる関東になってしまいました。

頼朝は嫉妬深い粘着質で源氏三代もただ利用された無能扱いです。そして鎌倉幕府を乗っ取った極悪北条や御家人達です。清盛と同じ位に北条を悪者と思ってる方は9割ではないでしょうか。

こうした意識操作で全国的に徳川家康や幕府を源氏観とも悪者にした事で自分達の正当性を雄弁します。

極めつけは帝国軍の基礎精神は正々堂々と戦い最後は潔く散る、一門みんな一蓮托生の平知盛戦術を教え込む事でした。女子供も誇り高く死ぬべしと二位の尼様は一躍人気者にされます。

こうして平家物語は仏教の教えとは完全に別物になりました。以前古い平家物語の和本を買った際に手紙も紛れ込んでいて、それには上官が下士官かによく読んで精神を勉強するようにといった内容が書かれてました。

尊い散り際となる教えは特攻隊や人間魚雷、集団自決など太平洋戦争終結まで持て囃されます。

また太平洋戦争時には婦女子の貞節を守るために建礼門院右京大夫集が流行りました。右京大夫とは平重盛次男の資盛の恋人として名を馳せた歌人であり、資盛が壇之浦で入水した後なお想い続けて周りが平家を忘れていく中に生涯を独身で通し死ぬまで毎年法要し続けた女性です。

今でも白い雪景色の庭を見たら思い出す貴方は本当に酷い人です。自分はこんなに老けてしまったのに私の脳裏に住む貴方は永遠に19歳のままなのですから。

歌集の最後の歌は当時戦争に夫や恋人を送り出した女性達に深く響いた事でしょう。

随分後に維盛が入水したらしいと聞いたのね。みんな義経を褒めてるけどチビで出っ歯よねぇ?重盛は私の仲を引き裂いたものそんなに好いでは無かったわ。

実際、右京大夫が建礼門院の女房だったのは半年程で資盛ともどこまで濃い仲かは解りません。ただ都落ち数日前に仲直り?して、屋島の平家軍に手紙が許された時に資盛に手紙を出しています。

その時の返事が今日が今日とも明日が来るとも思えない。せめて貴女だけは私を忘れず死んだら供養して欲しい。との手紙を大事にしたようです。

ちょっと私情が入ってるものの重盛以外は平家物語に採用されたりしてるのです。この流行操作から
平家の公逹を滅びの美学、右京大夫を亡き恋人を想い続けた淑女の美学として定着します。

今の私達世代が巨匠と認める60歳以上の文人が源平を題材とする時はこうした逆転史観を少なからず学んで来てると思われますので、小説等で常識となっているのでは無いでしょうか?

その世界観を私達も学んでると言う事になります。

歴史は勝った者が創る、歴史の真実とは絶対的な確証が無いものです。それ故に様々な思想が産まれ永遠に終わらないパンドラの箱です。
ちなみに感想も書いちゃおうかな。

平清盛が兵庫県知事に不評だった映像は三部の段階で完全にクリアにして衣装も鮮やかにしてるので初めの先入観とはそれだけ怖いものですね。

しかし白内障を患う世代に白い画面は3Dを眼鏡無しで見ている物と同じだと思ったら気持ちも少しは察してあげれるかもです。

松山ケンイチさんも最初は訛りを隠すのに棒読みが目立ちましたが最後はずば抜けた演技派を不動にしましたね。ご本人も最初は緊張しすぎたとおっしゃられてました。

視聴率に困って二部の後半から脚本が不完全になったのは残念です。玉葉を読んでれば大体理解できたはずのものが心理描写で余計に難解になったのではないかなぁ。伏線も3分の1は回収出来てない気がします。

どんなドラマにも批判は付き物で(天地人や江なんかもボロクソ言われてたよね)闇雲に称賛も結局は内容を理解していないのと一緒ですし何かを造り出す、人の価値観を変えると言う事は大変な事ですね。

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