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但馬の神社コミュの伊久刀神社(イクトジンジャ)日高町赤崎

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■式内/伊久刀神社(イクトジンジャ)

■鎮座地:豊岡市日高町赤崎字家ノ上438  
■御祭神:瀬織津姫神(せおりつひめのかみ) /大直毘神 (おおなおびのかみ)
旧国道312号線の浅倉でヒラキのところを曲がり、伊佐に抜ける進美寺トンネルがある。そのトンネルのある山が進美寺山で、その麓の赤崎集落の上に鎮座している。

赤崎の村に入る道を突き当りまで進み、右に折れてすぐのところに、山上の進美寺へ続く坂道がある。その坂を登り、集落の途絶えたあたりに六地蔵があって、その横が参道入口の石段になっている。

相次ぐ台風被害で、樹齢何百年かの大杉が傾き、危ないので伐採されてしまった。背後の山の中も倒木が多く、神社自体も傷みがあり、平成19年に本殿覆い屋を新築。合わせて老朽化していた篭り堂も改築された。

境内下の広場は広く、お地蔵さん、お薬師さんがあり何かと利用されている。
石段下にある「なんじゃもんじゃの木」が満開の花盛りだった。

■由緒沿革
創立年月不詳。
延喜式には小社となる。
明治6年10月村社となる。境内422坪、本殿は杮葺入母屋造。
境内社:稲荷神社/三柱神社

写真左:本殿覆い屋
写真中:神社入口の石段
写真右:二つ目の石段

コメント(13)

■御祭神について

<瀬織津姫神>(せおりつひめのかみ)

イザナギノミコトが黄泉の国から戻って、「上つ瀬は瀬弱し」と言い放ち、中の瀬に下りたって禊祓いをして初めて誕生したのが、八十禍津日神=瀬織津姫。
瀬織津姫神は、穢れ祓いの神であり、水の神であり、桜の神であるといいます。

大祓詞(おおはらいのことば)の中で、瀬織津姫は、「高い山、低い山を水源として、勢いよく流れ下る谷川の川瀬に座す瀬織津姫の力によって、人々が犯した罪や穢れを大海原に持ち出してしまう。」とあります。

その後は、海の神である速開津姫(はやあきつひめ)や、風の神である気吹戸主尊(いぶきどぬしのみこと)、霊界の神である速須佐良姫(はやすさらひめ)に引き継がれて、罪や穢れは浄化されるのだそうです。

<大直毘神 >(おおなおびのかみ)
同じく、穢れを払い、禍(まが)を直す神とされる 大直毘神は、八十禍津日神(瀬織津姫神)・大禍津日神が誕生した後に神直毘神(かみなほびのかみ)、大直毘神(おほなほびのかみ)と伊豆能売の三柱が誕生したとしてる。
直毘神は凶事を吉事に直す神ということである。

写真左:石段下の六地蔵
写真中:満開のなんじゃもんじゃの木
写真右:最初の石段を上がったところの境内



上のコメントの右の写真に写っている建物は、薬師堂です。
お薬師さんは、とても優しいお顔をしています。

二番目の石段を上がると境内、本殿、境内社、篭り堂があり、いつも慣れ親しんだ我が家の産土(うぶすな)神の庭です。

写真左境内下の広場の薬師堂
写真中:薬師堂の中の薬師如来
写真右:二番目の石段を上がったところの通称「山の神さん」という石
覆い屋の中の本殿は昔のままで、台風や雪の攻撃に対抗すべく覆い屋を新築しました。(平成19年)
境内社は二社あり、稲荷神社と三柱神社です。
三柱神社の中には「白山棒」といわれる防災の棒があって、各戸を順番に回して日の用心や大風の注意を促し、また白山権現(山頂)へのお祈りなどを務めています。

写真左:本殿覆い屋と境内社
写真中:白山棒
写真右:境内社/稲荷神社
写真左:境内社/三柱神社(三宝さん)
写真中:参道の緑
写真右:石段のところのお地蔵さん
伊久刀神社は、山上にある天台宗の古刹・進美寺の守護として創建されたと思われがちだが(進美寺に一番近いので)、進美寺の住職さんのお話によるとそうではないらしい。

進美寺は天台宗の総本山比叡山延暦寺にならって周囲に三箇所の守護を置いているといわれ、それは頂上の白山権現/麓の宵田に山王権現(今の日枝神社)/日置の(今はありません)赤山明神だということだった。

伊久刀神社は、もっと以前からこの土地の産土として祀られていたのではないかと言われ、その立地条件から水源地の存在が関係あるのでは・・・と話されていた。

写真左:扁額
写真中:覆い屋内の本殿
写真右:本殿向拝
確かにこの村は上水道が引かれるまでは山からの谷川の水とわずかな井戸水が生活用水だったが、夏になるとよく水が枯れた。簡易水道のころ、山からの水を村中に分配して使っていた時、なかなか十分とは言えない量の水を大事にしていたし、谷川には水を溜めておく場所が各所に作られていて、隣保ごとに管理されていた。

その大事な命の源の水を司る神様をお祀りするのは、ごく自然のことに思える。

水源地へ行ってみようと思い、(今まで一度も行ったことが無い)神社の前の坂を挟んで向かいにあたる山の中へ入っていった。
竹藪のなかの山墓を越えて、草を分けて上ってゆく。
神社から直線距離でさほど遠くない場所に水源地はあった。
調度斜め下の位置に伊久刀神社の境内がある。
やはり、水源地のお守りなのではないだろうか。

写真左:水源地への道
写真中:水源地
写真右:水源地横の谷。この下に神社がある
写真左:水源地のすぐ隣に小さな祠があった。(詳細不明)

写真中・右:昔は神社より少し上まで人家があり、平地からは凄く高い場所なので字名を「空やま」と呼んでいたという。今は下に降りてしまったので廃屋になったまま現存している。
伊久刀神社に戻った。
境内には二つの境内社のほかにも、小さい祠がいくつかある。
それは村の家々の姓ごとの氏神様で、村にはだいたい6種類くらいの苗字しかない。境内にはそのうちの3つの苗字の氏神様が祀られており、その他は別の場所にある。

写真:各苗字ごとの氏神
写真左:本殿の木鼻
写真中:海老虹梁
写真右:向拝の彫刻
写真左:本殿覆い屋の屋根の懸魚
写真中:灯篭
写真右:山から流れてくる谷川は現在は護岸舗装されている。普段はこのくらいの水量だが、大雨の時は狂ったように怒涛となって流れる。
大晦日の二年参り撮った写真も追加します

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