ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

アンチ・ファンタシーコミュのピーター・ビーグル著作目録

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
 研究資料として、Peter S. Beagleの著作目録を掲載します。

ピーター・ビーグル著作目録

Fiction

A Fine and Private Place (1960)
The Last Unicorn (1968)
The Folk of the Air (1986)
The Innkeeperユs Song (1993)
The Unicorn Sonata (1996)
Tamsin (1999)
A Dance for Emilia (2000)
For All We Know (2005)
Gordon, The Self-Made Cat (upcoming)

Nonfiction

I See by my Outfit (1965)
The California Feeling (1969)
American Denim: A New Folk Art (1975)
The Lady and the Tiger (1976; with Pat Derby)
The Garden of Earthly Delights (1982)
In the Presence of Elephants (1995; with Pat Derby)

Collections

The Fantasy Worlds of Peter S. Beagle (1978)
Giant Bones (1997)
The Rhinoceros Who Quoted Nietzche and Other Odd Acquaintances (1997)

Screenplays

The Dove (1974)
The Greatest Thing That Almost Happened (1977)
The Lord of the Rings (1978)
The Last Unicorn (1982)
Sarek -- Episode of Star Trek: The Next Generation (1990)
The Story of Moses (1996)

 作品集The Fantasy Worlds of Peter S. BeagleとThe Rhinoceros Who Quoted Nietzche and Other Odd Acquaintancesniには、ビーグルが自ら書いた序文が収録されており、ビーグルの自分自身に対する言及が見られる、興味深い資料を提供しています。機会があれば、今後これらの内容を紹介してみたいと考えています。

コメント(4)

"The Fantasy Worlds of Peter S. Beagle"(1978)の収録内容を紹介します。序文と、ビーグルの書いた代表的な長編2編と短編2編が収録されています。

The Self=Made Werewolf (introduction)
Lila the Werewolf
The Last Unicorn
Come, Lady Death
A Fine and Private Place

 "The Self=Made Werewolf"はこの版のためにビーグルが書いた序文。ビーグルの音楽に対する嗜好や、虚構に対する意識等が窺われて興味深い。
 "Lila the Werewolf"は現代ニューヨークを舞台とする、狼人間の登場するファンタシー。いかなる非日常的出来事でも受け入れる才能と、常に傍観者としての関与しか出来ない主人公の造形が、どこか作者の自画像を思わせるところがある。
 "Come, Lady Death"は18世紀初めの英国を舞台とする、寓話的なファンタシー。完成度の高い工芸品のようなこの作品は、スタンフォード大学に在学中のビーグルがフランク・オコナーのライティング・クラスに提出したものだという。
 "A Fine and Private Place"はビーグルが19歳の頃に書き始めた、恐くないゴースト・ストーリー。独特の醒めた感覚が良く窺われる、彼の処女作長編である。
"The Rhinoceros Who Quoted Nietzche and Other Odd Acquaintances" (1997)の収録内容を紹介します。ビーグル自身の書いた序文と、Patricia A. McKillupの紹介に、ビーグルの書いた短編やエッセイなどが収録されています。


On Looking Back (preface)
Under the Zucchini (introduction by Patricia A. McKillup)

Stories
Professor Gottesman and the Indian Rhinoceros
Come Lady Death
Lila the Werewolf
Julie's Unicorn
The Naga

Early Stories
Pittsburg Stories
Telephone Call
My Daughter's Name is Sarah

Essays
Learning a Trade
My Last Heroes
D. H. Lawrence in Taos
The Poor People's Campaign

初期の習作時代の短編やエッセイなどを通して、完成度の極めて高いビーグルの代表作とはまた違った角度から、作家ビーグルの本質を研究する資料となりそうです。
 ピーター・ビーグルの初期の短編「狼女ライラ」(Lila the Werewolf)と、『最後のユニコーン』(The Last Unicorn)の記述手法上の興味深い類似について指摘した論考の一部を紹介します。

*************************************************
ファレルには管理人の男が地下の通路を用いてライラの後を追い続けていることが、しっかりと分っていた。彼は管理人達だけが持っているエレベーターの鍵を使って、建物の地階のもっとずっと下の階のあたりまで降りているのだった。彼等はこうして自転車置き場やじっとりとして振動し続ける洗濯室や、ボイラー室のさらに下方、電気メーターの列が壁を這い、ずっしりとした蒸気パイプが天井を覆っている通路のさらに下方、巨大な水道管が鯨のように身をくねらせ、ガス管の群れが並んで背を丸め、嘴で毛づくろいをしているあたりのさらに下方、ビルの根っこが地中にかすんでいくあたりにまで降りて行くのだ。そうして銀の弾丸を詰めたピストルを手に、板きれに鍵の束をぶら下げたまま、管理人は町の下にめぐらされた秘密の通路を駈けめぐっているのだ。


上の一節において顕著なように、空間と位置の感覚が極限にまで歪み、生物と無生物が互いの存在属性を交換し、記憶と想像と直覚が混然と錯綜するこの描写を支配する世界構造感覚は、本章でこの後に指摘されることになるレッド・ブルと彼の隠れ処である地下の通路と、そしてそこで繰り広げられる追跡劇の事象的存在性向の不定性と重なる部分が極めて大きいことが指摘できる筈なのである。
************************************************

意味消失による意味性賦与の試み──『最後のユニコーン』における矛盾撞着と曖昧性

http://www.linkclub.or.jp/~mac-kuro/anti/14_van.htm
A sequel to "The Last Unicorn"

 『最後のユニコーン』の“続編”を読みましたので報告します。
 『最後のユニコーン』(The Last Unicorn)のお話の続き(sequel)を待ち受ける気持ちは、読者達の心の中にかなり根強いものがあったようだ。ビーグルがあまりにも寡作なためもあって、読者の願望や妄想が膨れ上がってしまった部分もあるのだろう。『ユニコーン・ソナタ』(Unicorn Sonata, 1996)の刊行の際にも、このお話が『最後のユニコーン』の続編であることを期待する声が、インターネット等の書き込みに見受けられた。しかし1999年のTamsinの出版以降、ビーグル自身の著作活動の活発化に伴い、以前の未発表だった短編を収録した選集の刊行も相次いで、長い間謎に包まれていたこの興味深い作家の著作の全体像がようやく明らかになろうとしている。
 間違いなく『最後のユニコーン』の続編として書かれたことが明らかな短編“Two Hearts”(「二つの心臓」)は、2005年秋に雑誌The Magazine of Fantasy and Science Fictionに発表されたものである。今回この短編が作品集The Line Between(2006)に収録されたので、遅まきながらその内容を確認することができた。The Line Betweenには2000年発表の“A Dance for Emilia”以降の作品が収められているが、寓話的なお伽噺の雰囲気を持つ短編が中心になっている中で、 “Two Hearts”は短編ではあるものの、確かに38年前に書かれたThe Last Unicornの作品世界をそのまま背景にして、しかもシュメンドリックとモリーと、そして王となったリアの3人の重要なキャラクター達が再び登場する、文字通りの『最後のユニコーン』の続編といえるものだった。
 実は『最後のユニコーン』の続編を期待する気持ちはあまり無かったのである。あまりにも愛着の強いThe Last Unicornとビーグルの手になる他のいくつかの作品とが、あまり共通項を持っていないように思われたからだ。それぞれが完成度の高い、優れた感性を示す佳品であるとは言えるものの、その中でもThe Last Unicornは例外的成功であり、このような傑作をあの若さで書き上げてしまったことは、書き手にとってはある種の不運とさえも言えるかもしれないと、本気で考えていたのである。何故ならばこのような内容的深度を保持し、しかも充実度の高い表現技巧を備えた作品を書き上げることは、並々ならぬ精神的緊張を要求するし、それのみならずその成功は特有の時代精神や、何よりも作者自身の若い感性がなければ不可能なものだからだ。心のどこかで、年取ったビーグルが過去の自分の傑作の模倣を試みてしまうような無様を犯してしまうことを危惧する気持ちが働いていたことも、認めざるを得ない事実だろう。しかしこの“続編”は、懸念された悪い予想を裏切ってくれるものだった。それは面白いことに始めて『最後のユニコーン』を読んだ時に感じたものと同様の印象を残してくれたのである。つまり、既存のお話の展開のパターンの全てを見事に迂回してみせながら、なおかつ一字一句が期待の全てを満足させる独特の内実を秘めていた『最後のユニコーン』の独自感覚を、この続編は再び思い起こさせてくれたのである。期待していたより以上に『最後のユニコーン』の世界を確かに引き継ぎながら、危惧していたように緊張感を失った本編の焼き直しに堕してしまう失敗が犯されることは結局無かったのである。作者ビーグルはやはり年を取って変化していた。しかし若い頃のあのこだわりを失ってしまうことは、決して無かったのである。その作者の姿はちょうどこの続編に描かれたリアの姿に重なるものであった。この続編が敬愛する作者の力量に対する賞賛と、作品世界の開示してくれる内実の豊かさに対する信服の念の双方を再び感じさせてくれたことを感謝したいと思う。

ログインすると、みんなのコメントがもっと見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

アンチ・ファンタシー 更新情報

アンチ・ファンタシーのメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング