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アンチ・ファンタシーコミュのアニメーション版「The Last Unicorn」の影の効果

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 アニメーション映画「最後のユニコーン」(1982)は、1968年に出版された原作の隠された主題であった「影と本体の関係性」を、映像表現として巧みに再編成することに成功している。原作の形而上的で難解な影の主題の根幹的解釈を行う前に、映像表現による影というモチーフの応用例を即物的に確認していくことにより、意外な緻密性を備えたこのアニメーション映画の完成度の高さを味わってみたい。
 タイトルがあらわれる前のオープニングのシーンでまず姿を現すのは、森の守り神であるユニコーン自身ではなく、彼女の影なのである。

コメント(70)

ハガード王の城に着き、お付きの魔法使いとしての仕官を願い出るシュメンドリックに対して、すげなく断るハガードは、すでに有能な魔法使いを置いていることを告げる。

He is called Mabruk. He is known in his trade as "the magicianユs magician". I can see no reason at all to replace him with some vagrant, nameless, clownish --
(その魔法使いの名はマブルクじゃ。その世界では、“魔法使いの中の魔法使い”として知られている者じゃ。お前のような宿無しの、名も無い、道化た者など、、、)

 シュメンドリックは、魔法使いを名乗りながら魔法使いとして認められるだけの能力を示すことの出来ない、特別な存在なのである。以前に彼自身が語っていたように、魔法の力を持たない魔法使いはつまり、“誰でもないもの”、“無”に等しい存在だったのである。
 しかしハガード王は、はなはだ不可解な判断に基づいて、お付きの魔法使いを無能なシュメンドリックに置き換えるのである。

A master magician has not made me happy. I will see what an incompetent magician can do. You may go, Mabruk.
(最高の魔法使いは、儂に幸福を与えてくれることはなかった。無能な魔法使いが儂に何を与えてくれるか、確かめてみることとしよう。お前は用済じゃ、マブルク。)

 ストイックな強欲の奴隷であるハガード王は、有能な魔法使いが成し得なかった奇跡を無能な廃残者にこそ託してみるという遊戯的選択を自覚的に採用する、はなはだアイロニカルな美学的性向の持ち主なのである。
 ユニコーンが変身したアマルシア姫の瞳の中を覗き込んだハガード王は、うろたえたように尋ねる。

What is the matter with your eyes? Why can I not see myself in your eyes?
(お前の眼は、どうしたというのだ。何故お前の眼には、儂の姿が映っていないのだ?)

ハガード王は、自分自身の姿を忠実に反映する鏡像を、他者の瞳の中にさえも期待する。ハガード王の厳密なシステム的反射性に対するこだわりは、彼の体現するバイナリー・ロジックに基づくコスモス内知性の究極の姿を浮き彫りにするものである。しかしユニコーンの眼はハガード王の予期に反して、全く異なった映像をその表面に浮かべているのである。
 海に映ったユニコーンの影と見えたものは、実は槍を構えて馬を駆る騎士の落とした影であった。海と失われたユニコーン達の秘密、人々の眼に映る偽りのユニコーン像など、影の主題を反転的に暗示する、このアニメーション映画における優れた映像表現の一つである。
 一瞬ユニコーンの影と見えたものの傍らを泳いでいるものも、実は鯨の一種のナー(nar whale:一角鯨)である。ユニコーン伝説は、サイと並んでこのナーから生まれたとも言われている。螺旋形によじれたその角は、実際にユニコーンの角として解毒剤の効果を持つと信じられ、高値で取り引きされた。ユニコーンの“実体”である姿が、ユニコーンを主人公とする物語の中で映し出されている。作品世界を仮構外部から瞥見する視点が導入されているのである。
 アマルシア姫の存在により目覚めたリア王子は、ロマンスの騎士さながらに怪獣退治を始める。悪魔の手先あるいは悪魔そのものとして理解される、火を吹く怪物のドラゴンは、中世ロマンスの世界では仮構世界における行動目的を決定する求心的要素であった。しかしこのお話においては、ドラゴンは単なる脇役に過ぎず、しかも東洋の水を司る神獣の龍の姿を与えられている。
 リア王子は、ドラゴンの首を狩り、お姫さまに捧げるという中世ロマンスの典型的な英雄的行為を行う。しかしユニコーンであるアマルシア姫にとっては、この振る舞いは単なる殺戮と蛮行でしかない。このお話の意味を担う普遍原理は、全く異なった図式のもとにあらわされることとなる。
 ハガード王の城の中のタペストリーに描かれた、ユニコーン像である。中世ロマンスにおいて語り伝えられたような、猛々しい牡のイメージである。このお話の主人公であるユニコーンとは、対照的な存在なのである。
 無能な魔法使いであることを理由に、ハガード王のお付きの魔法使いとして召し抱えられたシュメンドリックは、偽りの魔法(magic)である奇術(magic)でハガード王をもてなす。ハガード王の関心はシュメンドリックの奇術の腕前に対してではなく、彼の無能さと当惑と焦燥を観察することにある。
 ロマンスの世界では求心的位置を占める筈の英雄(hero)が、台所でじゃがいもの皮を剥きながら、料理番に恋の相談を持ちかけている。そして求愛(courtship)を成立させる条件として、魔物の類いを殺してその死骸をお姫さまに捧げることが、全く効果を及ぼさないことを説き聞かせられてしまうのである。
 ユニコーンはハガード王の城でアマルシア姫として暮らしているうちに、ユニコーンとしての記憶と、永遠の存在としての本性さえも失っていく。真実が影の世界に侵されてしまうのである。

Molly, who am I? Why am I here? What is it that I am seeking in this strange place, day after day? I -- I knew a moment ago, but I -- I have forgotten.
(モリー、私は何なの?何故私はここにいるの?私がこの奇妙なところで毎日探し続けているものは、一体何なの?ちょっと前は分かっていたはずなのに、でも、もう忘れてしまった。)
 ユニコーンとしての記憶と本性を失いつつあるアマルシア姫の背後に、人間達の偽りのイメージで語られたユニコーンのタペストリーが見える。荒々しい、男性的なユニコーンである。
 アマルシア姫が姿を映した鏡には、背後のタペストリーの中のユニコーンが映っている。アマルシア姫は歌う。

Everything is strange.
(何もかもが、見知らぬもの。)
 これまで自分が、仲間のユニコーン達の消息を探し求めていたことをかろうじて思い出したアマルシア姫は、空を駆けるユニコーンの姿に向かって手を差し伸べる。この姿は雲の形の変化なのか、アマルシア姫の心の中の映像なのか、明らかではない。映像表現は言語のように記号的に概念を語ることをしないので、安易に画像に抽象的解釈を与えることを許さないのである。即物的な表現は、しばしば極めて知的で高踏的なものとなる。アマルシア姫の目の中に映るものは、何であるのだろう?
 アマルシア姫が城に到着して以来、いつの間にか姿を現すようになった不思議な猫が、突然言葉を話し始める。しかも誰からも教わることなく、彼はアマルシア姫の正体がユニコーンであることを知っている。

The Bull be going out. He goes out every sundown to hunt for the strange white beast that escaped him. -- So that be a unicorn! She is very beautiful. -- No cat out of its first fur can ever be deceived by appearances. Unlike human beings, who seems to enjoy it.
(牡牛が出かけるところなんだよ。あいつは日が暮れる毎に城の外に出て、逃げ出した不思議な白い生き物を捕まえに行くのさ。…やっぱり、アマルシア姫はユニコーンなんだね。とても美しい。…どんな猫も、一度毛が抜け替わるほど大人になれば、外見なんかにごまかされることはないんだ。そんなものに惑わされる人間達とは違う。)

 “猫”とは人の見知らぬ不思議な属性を備えた外界からの闖入者なのである。
When the wine drinks itself, when the skull speaks, when the clock strikes the right time. Only then will you find the tunnel that leads to the Red Bull's lair, har har.
(ワインが自分自身を飲み干し、頭蓋骨が語り、壊れた時計が正しい時を打てば、その時、レッド・ブルの住処へと続く洞穴への通路が開かれるだろう。)

 猫は、ユニコーン達の探求の冒険を目的へと進める手懸りさえも語ってくれる。
Why must you always speak in riddles?
(どうしてあんたは謎でしか助言を語ってくれないの?)

猫に尋ねるモリーへの返答は、次のようなものであった。

Because I be what I be. I would tell you what you want to know if I could, mum, but I be a cat, and no cat anywhere ever gave anyone a straight answer, har har.
(何故って、それは、僕が猫だからさ。その気になれば、あんたの知りたいことを、あんたの分かるように言ってやることもできる。でも僕は、猫なんだ。そして猫というものは、どんな場合にも、誰にだって、はっきりとものを言ったことはないのさ。)

 この猫は冒頭に現れたあの蝶と同様に、この世に存在するもの達を、影の領域からあるいは見守り、あるいは支えている、世界の裏の存在原理を体現するものなのである。彼等が時として、不可解な天の邪鬼のような振る舞いをする理由はそこにある。
 リア王子の騎士としての求愛には一切耳を傾けなかったアマルシア姫が、始めて彼に自身の不安と心の動揺を語る。

Well, I'm always dreaming, even when I'm awake. It is never finished. I -- I will not trouble you, my lord prince.
(私はいつも、目覚めている時でさえ、夢の中にいるのです。この夢は終わることはありません。…ごめんなさい、王子様。ご面倒をおかけしたくはありません。)

 不器用な求愛を繰り返しながらも、いつしか英雄として成長を遂げていたリアは、始めてアマルシア姫に語りかける正しい言葉を見つける。

Trouble me! Please, trouble me! I would court you with more grace if I knew how. I wish you wanted something.
(面倒を、おかけ下さい。そうして頂きたいのです。やり方さえ分かれば、もっと相応しい振る舞いであなたにお仕えしたいのです。この私に、何かをさせて頂きたいのです。)
 思いを通わせ合うようになったリア王子とアマルシア姫の、心の中を描くような映像である。二人が降り立った泉の向こうの端に、ユニコーンの影が映っている。
 しかしその影を落としている本体には角がない。それから再び泉に自分の姿を映すと、その頭にはユニコーンの角がついているのが分かる。
 アマルシア姫とリアが歌う。

LADY AMALTHEA: Now that I'm a woman,
(私は今、人間になったから、)
LIR: That's all I've got to say.
(それが僕の、言いたいこと。)
LADY AMALTHEA: Now I know the way.
(私は今、行くべき道を知った。)
LIR:That's all I've got to say.
(それが僕の、言いたいこと。)
LADY AMALTHEA: Now I know the way.
(私は今、行くべき道を知った。)
LIR+AMALTHEA: That's all I've got to say.
(それが僕の/私の言いたいこと。)

アマルシア姫が泉のほとりのユニコーンに目を向ける。ユニコーン自身にも水面に映った鏡像にも角はついていない。泉を離れ、駆け出して森に入っていったユニコーンには、角がついている。
 すっかり人間となってしまったアマルシア姫は、探求の冒険の目的どころか、ユニコーンとしての自分自身の本性さえ忘れてしまっている。
 ハガード王の方がじれて、自らアマルシア姫に語りかけるのである。

I know you! I almost knew you as soon as I saw you coming on the road, with your cook and your clown; since then, there is no movement of yours that has not betrayed you! A pace, a glance, a turn of the head, the flash of your throat as you breathe, even your way of standing perfectly still, they were all my spies!
 (儂にはそなたの正体が分かっていた。そなたが料理番の女とあの道化と共に道をやって来るのを目にしたその瞬間から、儂には分かっていたのだ。それ以来、そなたの身のこなしの一つ一つがそなたの正体を語っていた。足取りにせよ、眼差しにせよ、首の傾げ方にせよ、息をつく時の喉元の輝きにせよ、完璧に身動きすることなく立っていることのできるそなたの姿までも、全てがそなたの正体を儂に教えていた。)

 全てがハガード王の予期に反して、影のように逆転した展開を示し、ハガード王までもが吾知らずその流れに呑み込まれてしまっている。
 ハガード王は秘匿するべき秘密を、自ら暴露してしまう。この逆転現象は、物語全編を支配する原理となる。アマルシア姫に海を眺めるように促したハガード王は語る。

 There they are. There they are!
 They are mine! They belong to me! The Red Bull gathered them for me one by one, and I bade him drive each one into the sea! Now, they live there. And every tide carries them within an easy step of the land, but they dare not come out of the water! They are afraid of the Red Bull. ...I like to watch them.
(そら、そこにいる。みんな、儂のものだ。この儂のものだ。レッド・ブルが一頭ずつ、儂のために連れてきた。そして儂は、そのどれも海の中に追い込むように命じた。今は、彼等は海の中にいる。潮の満ちる毎に、彼等は陸のすぐ間近までやってくる。けれども海から出ようとすることはない。彼等はレッド・ブルを怖れているのだ。彼等を眺めているのは、心地よいものだ。)
 ハガード王の回想の中のユニコーン達の姿である。

They fill me with joy. ...The first time I felt it I thought I was going to die.
(彼等は儂の心を喜びで満たしてくれる。…この嬉しさを始めて知った時、儂は死んでしまうかと思った。)

いかなる快楽にも決して満足を覚えることのない、不毛の王国を統べる王は、ユニコーンの与える感動を他の誰にも増して鋭敏に感知する、最も繊細な感覚の持ち主でもあった。
I said to the Red Bull, "I must have them. I must have all of them, all there are, for nothing makes me happy, but their shining, and their grace." So the Red Bull caught them.
(儂は牡牛に命じた。「彼等を儂のものにせねばならぬ。彼等の全てを、1頭残らず捕まえねばならぬ。あの輝きと麗しさ以外に、儂を喜びで満たしてくれるものはないからだ。」そしてレッド・ブルは彼等を捕らえてきた。)
 いかなる手段を用いたところで、決して欺くことができなかったであろうハガード王も、実際に人間になってしまおうとしているアマルシア姫を前に、確信を揺るがせてしまう。

It must be so; I cannot be mistaken. Yet -- your eyes. Your eyes have become empty, as Lir's -- as any eyes that -- never saw unicorns.
(儂の目に狂いがあろうはずはない。だが、そなたの目はどうした。リアや他の物達、ユニコーンの姿を見たことがない物達と同様に、虚ろな目ではないか。)

アマルシア姫の目を覗き込むハガード王の姿を、あるがままに忠実に映し出す目は、また同時に“虚ろな目”でもある。
 アマルシア姫達が城の大広間を訪れると、猫の予言にあった通りの骸骨が自分から口を効き、彼等の用件を先取りして語ってくれる。

Come on. Ask me how to find the Red Bull. Even Prince Lir doesn't know the secret way, but I do.
(それそら、どうしたらレッド・ブルのところに行けるのか、さっさと聞けよ。リア王子だって秘密の通路のことは知らない。でも俺は知ってるぞ。)

完結したストーリーという虚像の中の世界では、現実世界において予期される事実とは正反対に顛倒した形で事が進行する。
 しかし骸骨は、意地悪くシュメンドリックの問いをはぐらかす。
Oh, it's so nice to have someone to play with! Try me tomorrow; maybe I'll tell you tomorrow!
(誰かからかってやれる奴がいるのは、楽しいからな。明日また来てみろ。明日なら答えてやれるかもしれないぞ。)

「でも、私達にはもう時間がないんだよ。もう、間に合わないかもしれない。」というモリーに対する骸骨の答えはこうである。
I have time. I've got time enough for all of us.
(俺には、時間はあるね。俺にはお前達の分も合わせて、充分に時間はある。)

生きる必要から解放された死者は、時間の束縛から自由になったのである。
 お約束通りの物語の進行の手順を経て、そして予期を裏切る意外な展開も含めて、やはり骸骨は秘密を語ってくれることになる。
 The way is through the clock. -- That clock will never strike the right time. You just walk through it and the Red Bull is on the other side. -- To meet the Red Bull, you have to walk through time. A clock isn't time, it's just numbers and springs. Pay it no mind, just walk right on through.
(時計の中をくぐり抜けていくんだ。あの時計は、正しい時を打つことは決してない。ただくぐり抜けていけば、レッド・ブルが向こう側にいる。レッド・ブルに会うためには、時間をくぐり抜けるんだ。時計は時間なんかじゃない。時計はただの文字盤とばねでしかない。そんなものには目もくれずに、突き抜けていけばいい。)

人間達が偏った概念把握で実質だと思い込んでいるものは、むしろ影のような虚妄なのである。
 例によって、3人の中で一番遅れてようやく時計をくぐり抜けることができたのは、シュメンドリックである。いつの間にかリア王子も時計をくぐり抜けて来ていたのに気付き、シュメンドリックは尋ねる。
How did you know how to get in?
(どうしたらここにこられるか、どうやって見つけたのですか。)

リアの返答はあまりにも単純なものである。
What was there to know? I saw where she had gone and I followed.
(何を見つけるだって?僕はただ、アマルシア姫が行ってしまったのを見て、付いて来ただけだ。)
 すっかり人間になりきってしまったアマルシア姫は、冒険を投げ出してしまうようにリア王子に嘆願する。しかしリアの返答は意外なものであった。

Lady, I am a hero, and heroes know that things must happen when it is time for them to happen. A quest may not simply be abandoned. Unicorns may go unrescued for a long time, but not forever. The happy ending cannot come in the middle of the story.
(姫、私は英雄です。そして英雄というものは、物事が起こるべき時には起こらなければならないということを知っています。探求の旅は、ただ投げ出されてしまうことは許されません。ユニコーン達が長い間捕らえられていることはあり得るでしょう。けれども永遠に救い出されないでいることはあり得ません。ハピー・エンドというものはお話の途中でもたらされることはないのです。)

リアは、お伽話の中の英雄としての自分の役割を正しく把握している。リアは、自分達がお話の中の登場人物であることを理解しているからである。
リアの言葉を聞きつけて、モリーは言う。
But what if there isn't a happy ending at all?
(でも、ハピー・エンドなんて用意されてなかったら?)

シュメンドリックは答える。
There are no happy endings, because nothing ends.
(ハピー・エンドなんてありはしないのさ。エンドなんてどこにもないんだから。)

確かに現実世界には、お話の中のように物事が見事に収束する“お終い”はない。
 洞窟の中で再びレッド・ブルが姿を現す。牡牛は、今度はアマルシア姫がユニコーンであることを知っていて、迷わず彼女に襲いかかって来るのである。
 アマルシア姫を守ろうと、剣をとってレッド・ブルに立ち向かうリアだが、全く歯が立たない。このお話における英雄の役割は、通例の伝説やロマンスとは異なり、怪物を退治することとは別のところにある。
 リアはユニコーンの後を追うレッド・ブルの前に立ちふさがり、あっけなく殺されてしまう。この物語での英雄の役割は、ユニコーンを守ろうとして、無益な死を遂げることにある。
 リアの死をきっかけに、ユニコーンに変化が生じる。リアの亡骸の上に落ちた影によって、ユニコーンがレッド・ブルを押し返していく様が示されている。
 レッド・ブルがユニコーンに駆逐され、海中に姿を没するのと呼応して、泡立つ波がユニコーンの形となり、無数のユニコーン達が実際に姿を現し始める。
 レッド・ブルとユニコーンも、ユニコーンと海あるいは波として感知されるものも、それぞれが各々の場合において、本体と影の関係性を担っていると考えられるべきものなのだろう。
 再び世界にユニコーンが満ち溢れる。かつてない至福がもたらされ、全てのものが、昼と夜が交代するように、対照的な様相を新たにするのである。ユニコーンが自由になった世界で、ハガード王は最期を迎え、彼の城は崩壊する。
 もう一度ユニコーンに会って思いを伝えたい、と語るリアに、シュメンドリックは言う。

She will remember your heart when men are fairy tales in books written by rabbits. Of all unicorns, she is the only one who knows what regret is -- and love.
(彼女はあなたの思いをずっと覚えていることでしょう。人間がうさぎ達によって書かれた本のお伽話になってしまった時でさえも。あらゆるユニコーンのうちで、彼女だけが悔恨と、そして愛の気持ちを知ってしまったのです。)

ユニコーンの生きる永遠の時の中では、人間達の現実とうさぎ達のお伽話が、光と影のようにその位相を交換することもあり得る。
 シュメンドリックがモリーに語りかける。
Come, then. Come with me.(じゃあ、僕とおいで。)

モリーは答える。
I will.(ついていくわ。)

 シュメンドリックは、自分自身に欠けている対照的な要素をモリーの中に見出し、その存在を受け入れようとしている。原作ではむしろ、シュメンドリックとモリーの対称性の属性が離反し合う様が繰り返し語られていたのに対し、このアニメ版では、反転的に彼等の受容と合一の部分が強調して描かれていることになる。
 アニメ版「最後のユニコーン」では、作者ビーグル自身がシナリオを担当しており、台詞も大部分が原作にあった通りのものが用いられています。原作のストーリーを一部省略したところや、あるいは独自の映像表現として原作とは全く別個の工夫を凝らした場面もいくつかあります。しかし原作が保持していた主題性に対するこだわりには全く妥協がないばかりか、原作の筋の運びに再検証を施し、本来の主題をより効果的に描くために微調整を行ったと思われる箇所さえあるのです。この映画の細部についての疑問や質問、あるいはご指摘等がありましたら、ぜひお知らせ下さい。

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