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ダイオキシン中毒(カネミ油症)コミュの[GEN 617] 枯葉剤機密カルテル【第31回】

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     世界の環境ホットニュース[GEN] 617号 05年11月04日
     発行:別処珠樹【転載歓迎】意見・投稿 → ende23@msn.com     
           枯葉剤機密カルテル(第31回)         
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 枯葉剤機密カルテル                    原田 和明

第31回 ダーク油事件とヒナ水腫事件

米国では1957年にダーク油事件そっくりの事件(ヒナ水腫事件)がおきていまし
た。ジョージア、アラバマ、ノースカロライナ及びミシシッピー州で 500万羽も
の鶏が死に、日本でのダーク油事件発生の前年に、その原因物質が配合飼料に混
入していたダイオキシンであったことが判明していたのです。この情報を掴んで
いた農林省はダーク油事件の原因物質を早くから絞り込めていました。しかし、
ここでも水俣病事件同様、原因を把握しながら「敢えて原因不明」とされた経緯
があります。

農林省 家畜衛生 試験場長・藤田潯吉 署名の1968年6月14日付報告書には「鶏の
中毒は 配合飼料 製造に使用したカネミ倉庫製 ダーク油に原因すると思われる。
S.C.Schmittel らの報告によると、本中毒(ダーク油事件)と極めて類似した鶏
の油脂中毒が米国で1957年に発生している。この際の毒成分の本態はほぼ明らか
にされている。」とあり、既にこの時点で農林省が、ダーク油事件と米国のヒナ
水腫事件の原因物質に強い関連があるとの認識を持っていたことがわかります。

さらにカネミ社長の姉・加藤八千代(同社 非常勤取締役)は1969年2月に上京し
た折、家畜衛生試験場の米村寿男から作成日・報告日とも不明の「西日本地方に
発生した 鶏のダークオイル中毒に 関する研究(第一報)」を入手しています。
その中には「本中毒は1957年アメリカにおいて発生したニワトリヒナの水腫病と
極めて類似した所見を呈し、アメリカの中毒例の原因物質がダイオキシンである
ことが1967年に至り明らかとされているので、ダーク油中毒の原因物質もこれと
近縁の 物質であると 想像される。」とあります。(加藤八千代「隠された事実
からのメッセージ」幸書房1985)報告日不明なので断定できませんが、試験場長
署名の報告書結論の根拠となった原本ではないかと推察されます。

ところが、1968年7月15日に 農林省で開かれた緊急中央技術委員会の席上、ダー
ク油事件の原因究明を担当した 家畜衛生 試験場・小華和忠は「再現試験により
毒性物質はジオキシ・コルチコステロン・アセテート」と報告。さらに「1957年
アメリカにおいて・・・その毒性は現在に至るも解明されていないので・・・」
とも発言しています。

なぜ、6月には掴んでいた米国ヒナ水腫事件の原因が7月になると「解明されてい
ない」ことになったのでしょうか? ダーク油事件の原因物質も、油脂の変質で
は大量の鶏を殺傷する能力がないことを知りながら、ダイオキシンではなくアセ
テートとされています。

家畜衛生 試験場の担当者が示した 不可解な態度の背景について、加藤八千代は
前年に四国で起きた「臭い米事件」をあげています。異臭米から高濃度のDDT、
BHCなどの有機塩素系農薬が検出されたことから農林省が推し進めてきた農薬
散布中心の「農業近代化政策」への厳しい批判が噴出していたのです。そこへ、
ダーク油事件が起こり、汚染油の中からPCBやダイオキシンとともに、DDT、
BHCなども検出されたため、農林省は世間の批判をかわすために原因不明にし
たと推理しています。そして、もし、問題のダーク油からDDT、BHCが検出
されなかったら、農林省も「農薬とは無関係の有機塩素化合物の混入が原因」と
発表できたであろうと述べています。

しかしダーク油からDDT、BHCも検出されたとはいえ、この事件では桁違い
に高濃度のPCBと 当時 特定できていませんでしたが、複数の有機塩素化合物
(後にPCB二分子が結合したPCQ及びダイオキシンと判明)が検出されてい
るのですから、DDT、BHCに関係なく農林省は「農薬とは無関係の有機塩素
化合物の混入が確認された。」くらいは発表しても差し支えなかったと思われま
す。

農林省が「原因不明」として隠したのはダイオキシンでしたが、隠したかったの
は「ダーク油事件の原因物質」ではなく、「ヒナ水腫事件そのもの」だったので
はないかと思われます。米国で牛皮の殺菌剤に使用していたPCP(日本では水
田除草剤)にダイオキシンが含まれていて、そのPCPが牛脂に溶け込み、その
牛脂が飼料原料に売られていたことがヒナ水腫事件の原因だったのです。(磯野
直秀「化学物質と人間」中公新書1975)

私は本シリーズで、1960年代に大規模な水産被害を出しながら日本で水田除草剤
として大量に消費されたPCPは枯葉剤国産化に伴う副産物であるとの仮説を提
起しました。野党の反対の中、PCPを肥料に混合することを合法化して水産被
害を抑えたところに、今度は鶏の被害が発生したのです。類似の事件(ヒナ水腫
事件)の原因が配合飼料に混入したPCPであることを知った農林省は何を思っ
たでしょうか? ダーク油事件と米国のヒナ水腫事件の類似性を公表したらどう
なっていたでしょう? PCP使用反対運動が再燃したのではないでしょうか。
折りしも、枯葉剤生産におけるもうひとつの主要な副産物・塩素酸ソーダは林野
庁が山林除草剤として散布を強行しつつも、事故続きで全林野労組を中心に反対
運動が次第に盛り上がっていたのです。副産物の処分が滞ると枯葉剤国産化にも
支障が でるのですから、反対運動に つながりかねない情報はできるだけ隠して
おきたかったのではないでしょうか。

一般のPCBにダイオキシンが含まれていることがわかったのは1970年のことで、
カネミ油症の事故油からダイオキシンが検出されたのは1973年でしたから、1968
年の夏に農林省がPCBやダイオキシンに関心があったとは思えません。

一方、九州大学の医師たちは、同じ症状を訴える人々が 何家族も現れた 初めて
出会う奇病に少なからぬ関心をもったようです。朝日新聞がスクープする前月の
9月7日に「油症」は日本皮膚科学会大分地方会で報告されていますから、演題申
込み期限の2〜3月前には把握していたと推定されます。しかし、医師たちは患者
には何も伝えませんでした。ある患者は9月9日に一人の看護婦から「あんたたち、
まあだカネミの油ば飲んじょっとね。はようやめんといかんとよ。」と忠告され
ています。このことは油症に関する知見が既に9月までに 医学部関係者には一般
化されており、看護婦が忠告できるほどに医局ではカネミのライスオイルが原因
であると信じられていたことを示しています。事件発覚後、患者にも知らせず、
保健所にも通報しなかった理由を聞かれて、ある医師は「学会で発表してあっと
言わせたかった。」と答えています。(藤原邦達「PCB汚染の軌跡」医歯薬出
版1977)

しかし、ホルムズバーグ刑務所で人体実験までして、枯葉作戦が枯葉剤とナパー
ム弾の組み合わせでダイオキシンを大量に発生させるという内容に変化していた
この時期に、PCBがダイオキシン発生源として「有望な化学兵器のひとつ」で
あることを確認できたであろうダーク油事件・カネミ油症事件に米国政府・米軍
それに枯葉剤を供給していた化学会社が無関心でいたとは考えられません。

カネミ油症事件はそれぞれの思惑が交差しながら放置され、「PCB人体実験」
とも言われる様相を呈していったのです。

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