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アンチ日蓮正宗(日蓮正宗系)コミュの日蓮&日蓮正宗の教義的・ドグマ的問題点の分析・検証・批判

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このトピックは、日蓮・日蓮正宗・富士門流の本尊・教義の問題点を分析・検証・批判・追及していくトピックとして造りました。
これに関連して、過去に日蓮正宗の本尊・教義的問題点を検証した人たちの論説の内容の検証・分析も、ここで行いたいと思います。

したがって、検証・分析に関連する質問はOKですが、教義的にわからない点を質問すると言うことは、このトピックではご遠慮下さい。


日蓮正宗の宗祖・日蓮が説いた教説・ドグマ、日蓮正宗法主が説いている教学・説法の中身に、様々な問題点が多方面から、いろいろと指摘されています。
すでにここの「アンチ日蓮正宗」コミュニティにおいても、大石寺に鎮座している「本門戒壇の大御本尊」なる板本尊の真偽問題、「二箇の相承書」「日興跡条条事」をはじめとする、いわゆる「相伝書」と日蓮正宗が“自称”している文書の真偽問題については、以前から具体的に指摘してきております。
しかし「日蓮」「日蓮正宗」の教義的、ドグマ的問題点は、それらにとどまらず、日蓮本仏論、末法、五重の相対…など、多方面にわたります。
そこで、そういった様々な教義的・ドグマ的問題点を徹底的に検証・分析・追及し、批判していくトピックをつくりました。

このトピックで論じることは、以下の点とさせて下さい。

■日蓮の遺文(御書)の中に説かれている教義的な問題点
■日蓮正宗、創価学会、富士大石寺顕正会、正信会が説く教義的な問題点
■日蓮正宗系と関連している富士門流八本山、それに付随する大小本山の教義的な問題点
■過去に日蓮正宗の本尊・教義的問題点を検証した人たちの論説の内容の検証・分析
■当コミュニティの以下のトピックに関する質問、意見、あるいは異説等々
□「日蓮正宗大石寺の『本門戒壇の大御本尊』なる板本尊は日蓮真筆ではない。後世の偽作だ」
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=66503912&comm_id=406970
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=45523540&comm_id=406970
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=66546796&comm_id=406970
□「日蓮正宗大石寺の『本門戒壇の大御本尊』なる板本尊は日蓮正宗大石寺9世法主日有の偽作だ」
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=66689819&comm_id=406970
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=42909387&comm_id=406970
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=66734533&comm_id=406970
□「『二箇相承書』は日蓮の真筆ではない。後世の偽作だ」
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=6472591&comm_id=406970
□「『日興跡条条事』は日興真筆ではない。後世の大石寺法主・9世日有の偽作だ」 」
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=37625405&comm_id=406970
□「日蓮正宗大石寺の『日蓮の遺骨』『日蓮の墓』は真っ赤なニセもの」
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=15368608&comm_id=406970
□「日蓮正宗大石寺の『日蓮の御肉牙』は真っ赤なニセもの」
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=15603021&comm_id=406970
□「日蓮正宗大石寺の『日蓮本仏論』は日蓮・日興の教義ではない。後世の大石寺法主・9世日有の偽作である」
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=54501374&comm_id=406970#page
□「日蓮正宗大石寺法主の『唯授一人の血脈相承』は日蓮の教義ではない。後世の大石寺法主・9世日有の偽作である」
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=61520053&comm_id=406970
□「『百六箇抄』(具騰本種正法実義本迹勝劣正伝)なる相伝書は日蓮真筆ではない。後世の石寺法主・9世日有の偽作だ」
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=61970478&comm_id=406970
□「『本因妙抄』なる相伝書は日蓮の真筆ではない。後世の偽作である」
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=43421082&comm_id=406970
□「『御本尊七箇相承』なる名前の文書は日蓮・日興とは無関係の文書だ。後世の大石寺法主・9世日有の偽作である」
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=37216818&comm_id=406970
□「『本尊三度相伝』は日蓮、日興とは無関係の後世の偽作文書である」
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=42463396&comm_id=406970
□「『産湯相承事』なる文書は日蓮・日興とは無関係の文書だ。後世の大石寺法主・9世日有の偽作である」
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=5101362&comm_id=406970
□「『御義口伝』は日蓮・日興とは全く無関係の後世の偽作である」
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=42735311&comment_count=4&comm_id=406970


みなさん、よろしくお願いします。

■日蓮&日蓮正宗の教義的・ドグマ的問題点の解明・追究にあたって


日蓮&日蓮正宗の教義的・ドグマ的問題点の解明・追究にあたって、申し述べておかなくてはならないことがあります。
それは、大石寺・富士門流研究家の一人である東佑介氏の所感についてです。
東佑介氏とは、さまざまな著書の中で日蓮正宗の本尊・教義批判をしている人ですが、「偽作」という結論については、私と意見が同じことが多いのですが、その他の具体的内容については、意見を異にすることが多い人です。
その東佑介氏が、複数の著書の中で、こういう所感を書いています。

「本稿は今後、新史料の公開、それにともなう史料解読によって時代遅れとなり、打ち破られる時が来るであろう。自説が打ち破られることは人によっては心地良いものではないと思う。むしろ、一般論的には決して心地良いものではないに違いない。
しかし、打ち破られることを恐れていては何もはじまらない。打ち破られるということは、少なくとも学問が深化したことの証左であると言える。学徒は先達の学説を打ち破らなければならないが、同時に自説が打ち破られることを学問上の喜びとすることを学徒としての責務としなければならない。そうでなければ、学問は深化しないからである」
「学問の世界では、研鑽し、その結晶である自説を世に問うては打ち破られるものである。この循環はいかに時代が移ろいゆこうとも学問が存在する限り繰り返されるものである。その循環が繰り返されていく過程で少しずつではあっても着実に真実という目標に向かって深化していくものである。こうした循環は出発点に戻るための探求ということが出来るのではなかろうか。まことに研鑽の道とは深大なものであり、果てしなく険しい道である。そうした終着点が見えないような険しき道であるならば、研鑽に対して躊躇もされよう。終着点が見えないからとて立ち止まっていては、学問は停滞こそすれ、決して深化するところはない。険しき道ではあっても<真理追究>との命題のもと研鑽に情熱を注げるとは何と素晴らしいことであろうか。少なくとも私はそう実感している」


私は、東佑介氏とは、見解を異にするケースが多いのですが、この東佑介氏の所感には感銘しました。真理を探究する研究者の姿勢とは、かくありたいものだと感じました。

そうすると、こういう問題が発生するのではないかと考えられる方もいらっしゃると思います。
例えば、こういう事例です。

「A氏が「甲」「乙」「丙」を証拠として大石寺の「本門戒壇の大御本尊」は後世の偽作だという著書を発表しました。
日蓮正宗の信者だったB氏は、このA氏の著書を読んで触発され、日蓮正宗を離檀して無宗教になりました。そして「この本で命を救われた」と感謝していました。
その後、無宗教のC氏が研究を重ねて、A氏が証拠として挙げた「甲」「乙」は偽作の証拠とは言えない。「丙」も「本門戒壇の大御本尊」偽作の証拠と言えるかどうか怪しい。むしろ、「丁」「戊」「己」が「本門戒壇の大御本尊」偽作の証拠だという見解の著書を発表しました。」

A氏、B氏、C氏の行ったことは、間違いなのか。という問題です。

結論から言うと、A氏の行なったことも、B氏の行ったことも、C氏の行ったことも、間違ってはおらず、正しいことを行ったということです。
こう言うと、えっ、と思われる方がいらっしゃるかもしれません。
いや、でもそうです。3人とも間違ったことはしていません。

なぜなら、「本門戒壇の大御本尊」が確実に後世の偽作であることを証明する証拠が一個でもあれば、それは100%偽作です。証拠が一個だけだからと言って、10%は偽作だが、あとの90%は真作ということはありません。
仮に「甲」「乙」「丙」は証拠でなかったとしても、「丁」「戊」「己」という証拠は昔から存在したわけで、今まで表に出ていなかったものがC氏の行った研究によって表に出たということです。
つまりこれはA氏が行った研究は、後にC氏の行った研究によって深化したわけで、「本門戒壇の大御本尊」偽作ということがますます明瞭になったということです。
したがってA氏の著書を読んで触発され、日蓮正宗を離檀したB氏の決断と行動も、間違ってはおらず、正しいと言うことです。
C氏の研究がA氏の研究や著書を否定しているわけでもなく、B氏が日蓮正宗を離檀したことを否定しているわけでもありませんし、B氏がA氏に感謝していることをC氏が否定しているわけでもありません。当然のことです。

これも別の例えを以て言うなら、A氏が建てた木造建築が古くなったので、C氏が新たに鉄骨・鉄筋の建物に建て替えた、というふうに例えることが出来ます。
A氏が建てた木造建築に住んでいたB氏は、これを喜ばないはずはないと思います。

つまり大事なことは、研究が間違っているかどうか、ということではなく、学問・研究を積み重ねて、どんどん深化させていくことだと思います。
この研究の深化こそが、日蓮正宗に完全対抗し、日蓮正宗を完全論破する対抗学を形成していくものと思います。

■(管理人からのお願い)

このトピックは、あくまでも日蓮・日蓮正宗の教義的・ドグマ的問題点を分析・検証・批判していくトピックです。
わからない語句や教学の意味等々を質問するトピックではありません。
そのような質問をなさりたい方は、ここではなく、

「アンチ日蓮正宗・教学基礎講座」
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=63259676&comm_id=406970
「関連質問&質疑応答」トピック
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=46300303&comm_id=406970

こちらで、お願いします。

尚、「教学基礎講座」は、中級レベルのもので、初歩的、初級の質問は「関連質問&質疑応答」トピックで、お願いします。








コメント(160)

■院号・阿闍梨号について

>偉さで言ったら院号>阿闍梨なんですか?
>現在の正宗でも阿闍梨がつく人がいつのでしょうか。
>教師で言えば大僧正〜権訓導 まであるようですが、阿闍梨はそれらに付くのでしょうか。


現在の日蓮正宗の宗制・宗規は、そのようになっています。
今の日蓮正宗では僧侶の階級(僧階)は次のようになっている。

●教師(一人前の僧侶として公認されている者のこと)

大僧正(法主及び法主経験者)
権大僧正(学頭・次期法主内定者)
僧正
権僧正
  (これより上が能化となる)
大僧都
権大僧都
僧都
権僧都
大講師
講師
少講師
訓導
権訓導

●非教師(所化)

一等学衆
二等学衆
三等学衆
沙弥


能化(のうけ)とは、生きているうちに日号の名前を公称することが許されている高僧のことで、例えば、早瀬日慈(今の早瀬日如法主の父親)、早瀬日如、鎌倉日桜、藤本日潤、吉田日勇、大村日統、尾林日至、菅野日龍、光久日康…といったようにです。
通常、大僧都から能化に昇進するときに、法主から院号が下賜されるわけです。
例えば
信乗院日淳(堀米日淳)、観妙院日慈(早瀬日慈)、常聡院日如(早瀬日如)、観岳院日桜(鎌倉日桜)、常布院日康(光久日康)、常観院日龍(菅野日龍)、常宣院日至(尾林日至)…
といったようにです。

阿闍梨号は、教師以上の僧侶に下賜されています。例えば
妙観阿闍梨精道房(細井日達)、越洋阿闍梨信雄房(阿部日顕)、妙恵阿闍梨義寛房(早瀬日如)、高松阿闍梨寛全房(鎌倉日桜)、妙静阿闍梨淳孝房(渡辺淳孝)、妙恭阿闍梨慈篤房(河辺慈篤)、安立阿闍梨求道房(高見求道)、妙昇阿闍梨秀顕房(石川秀顕)、安行阿闍梨法重房(須賀法重)、…といったようにです。
したがって、院号>阿闍梨という言い方ができると思います。
ただし、今ここで話題になっている本是院日叶→左京阿闍梨日教への改名の問題は、今の話しではなく室町時代の大石寺と日尊門流の話しです。
本是院日叶(1428〜?)は、出雲地方の日尊門流の寺院・朝山妙蓮寺日耀の門に入って本是院日叶と名乗り、当時の日尊門流・住本寺にも住している。
1472(文明4)年ころ、日叶は、日蓮正宗大石寺9世法主日有の門下に帰伏し、1472(文明4)年から、日有が死去する1482(文明4)年の間に、左京阿闍梨日教と改名しているわけです。

そうすると、阿闍梨号は教師以上に下賜される号なのに、能化以上に下賜される院号から、阿闍梨号に改名するというのは、おかしいじゃないか、という疑問が発生するわけです。

しかし、この疑問は的外れであり、室町時代の状況をよく鑑みなくてはなりません。
院号が能化以上に下賜される号で、阿闍梨号は教師以上に下賜される号であるというのは、今の大石寺一門の話であり、室町時代の大石寺一門がそうだったわけではありません。
大石寺で最初に院号の法名を使ったのは、大石寺17世法主の了玄院日精(1600〜1683)であり、それ以前の法主はだれも院号を名のっていません。
したがって、大石寺の僧侶が院号を名のるようになったのは17世紀以降のことであり、日有の代の大石寺一門には、院号を名のる風習はなかったと考えられるわけです。

ところが本是院日叶が最初に出家した日尊門流では、古くから院号を名のっています。
日尊門流で最初に院号を名のったのは、日尊門流の本山・京都要法寺の前身・上行院6代貫首(要法寺7代)是妙院日円(?〜1354)で、これ以降、京都要法寺のもうひとつの前身・住本寺貫首も、上行院と住本寺が合併して要法寺になってからの要法寺貫首も、全員が院号を名乗っています。この事からして、日尊門流には、14世紀から僧侶が院号を名のる風習があったと考えられます。

本是院日叶(1428〜?)は、院号を名乗る風習があった日尊門流から、当時は院号を名乗る風習がなかった大石寺門流に帰伏したわけですから、大石寺帰伏後に、本是院日叶から左京阿闍梨日教に改名しても、何の不思議もありません。




う〜ん、こんな事で言い争っても仕方ないけれど。
私、2chがメインだったもので、分からない項目は解説してくれる人がいました。
そのノリで言ったもので…

図書館で取り寄せろや勉強しろは、その通りですが…これも2ch的には「ググレ、カス」「半年ROMれ」
と感じたもので。
>残念ですが、私の所は田舎なので大きな図書館がありません。

>田舎であっても図書館はありますよね。そこから取寄せればいいのではないですか

まあ、実事求是氏がおっしゃることもわかるんですが、関東1都3県以外の地方在住の人に
「国会図書館から本を取り寄せて勉強しろ」
は、あまりに酷な話しじゃないですか。

このコミュニティには、関東1都3県在住の人だけではなく、地方に在住の方も多数いらっしゃることも、お忘れ無く。

国会図書館に行ったり、本を取り寄せることがむずかしい、そういう地方在住の方々のためにも、こういうトピックを活用していただきたいと思います。

私の疑問は阿闍梨号そのものにあったので、わき道質問であったわけで申し訳ないです。
>したがって、院号>阿闍梨という言い方ができると思います。
これはびっくりです。
日本では阿闍梨は密教での称号で、日蓮系の話では初めて聞きました。
他宗や密教を否定する正宗がなぜ阿闍梨号を使うのだろうか、おそらく権威付けだろうと
思っていました。
校長、教頭くらいの、偉い教師って感じですか。
真言宗の方に言わせると、日蓮は正式に阿闍梨号を受けていないと言っています。
なのに勝手に阿闍梨を名乗っていると。
それを言ったら日号も権威付けだろうし。
なんでカースト階級みたいな事をするんだろう。
釈迦の思想ではカーストは否定されるべきだと聞いたのですが。
自分自身への疑問ですので、流れがそれるようなら意見はいりません。
>現代語で解説できませんか
>難しい文の解説をしてほしかった

これは、おっしゃるとおりだと思います。

私も、何年も前から、「『アンチ日蓮正宗』参加者全員がわかるような配慮をした書き込みをしてください」
ということも、何度もお願いしています。

<アンチ日蓮正宗・コミュニティ主旨の補足ガイドライン>
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=46247997&comment_count=10&comm_id=406970

昔の古文を引用するのであれば、その古文の現代語訳を書き添えるとか。現代語訳の全文を載せることが不可能ならば、主旨だけでも書くとか。

あるいは立正大学教授のだれそれを引用したいのであれば、その人物の生没年や簡単な概略ぐらいは書いておくとか。あるいは、むずかしい読み方の人物名については、読み仮名ぐらいは書くとか。そういったことです。これくらいは、常識的に言って当然ではないかと思っています。

そういう配慮をお願いしておりますし、私が書き込むときは、極力そのように心がけているつもりで、ございます。

>他宗や密教を否定する正宗がなぜ阿闍梨号を使うのだろうか、おそらく権威付けだろうと
思っていました。校長、教頭くらいの、偉い教師って感じですか。
>なんでカースト階級みたいな事をするんだろう。
>釈迦の思想ではカーストは否定されるべきだと聞いたのですが。


僧侶社会というところは、どの宗派も、僧階・法臈(ほうろう・僧侶になってからの入門年数)等を基準とした、厳格な身分社会になっています。これは日蓮宗も日蓮正宗も、同様です。
この身分差の厳格さは、一般社会の先輩・後輩の関係の数倍・数十倍も厳格です。

なぜ、日蓮正宗の僧侶社会が、「僧階」という身分社会になっているのか、ということですが、日蓮正宗の見解に依れば「信心を督励するため」だそうです。

しかしこれは表向きの建前であり、実際は、千年以上もの昔からつづいている仏教界・僧侶社会の身分制度を引き継いでいるだけだと思います。

そもそも日蓮は、官寺である大乗戒壇の比叡山延暦寺で十数年修行した、いわば正式な僧侶であり、その日蓮が弟子に阿闍梨号・房号・日号を授与して、日蓮門下に、実質的な身分社会を導入したわけです。
その延長線上にあることは、容易に察しがつくと思います。




もう日付が変わりました。

その他の質問に対する回答は、仕事の都合により、6月4日(土)に、いたします。
■左京阿闍梨日教の事跡について1

>左京阿闍梨日教の何が問題になっているかさっぱり把握できません
>もともと、hideさんのほうより>100において、書かれた内容に準じたまでです
>日叶って大石寺から見てどういう人なのでしょう。
>島根の寺の僧侶だが京都にいて実力者で、その後日向(九州)→上州(群馬)→大石寺(静岡)…
>重要な人物なのでしょうか。
>このトピック「日蓮&日蓮正宗の教義的・ドグマ的問題点」とどう関わってくるのでしょうか


ここに述べている日叶とは、先ほどから述べている本是院日叶(1428〜?)のことで、すなわち左京阿闍梨日教の前名です。
本是院日叶(1428〜?)は、出雲地方の日尊門流の寺院・朝山妙蓮寺日耀の門に入って本是院日叶と名乗り、当時の日尊門流・住本寺にも住している。
1472(文明4)年ころ、日叶は、日蓮正宗大石寺9世法主日有の門下に帰伏し、1472(文明4)年から、日有が死去する1482(文明4)年の間に、左京阿闍梨日教と改名しています。

本是院日叶(左京阿闍梨日教)の簡単な略歴は、以下の通りです。

1428(正長1)年出雲生れ。はじめは、日尊門流の朝山妙蓮寺・日耀の門に入門して出家・得度。本是院日叶と名乗った。
のちに京都の日尊門流の本山・住本寺(要法寺の前身)に登る。
1469(文明1)年、日叶は、出雲の日耀等とともに、京都・日尊門流の本山・住本寺住職・日広の代官として、室町幕府に諫状を呈している。
1472(文明4)年ころ、日叶は日尊門流から日蓮正宗大石寺9世法主日有の門に会下したとされている。
このときから1482(文明14)年の日有死去までの間に、名前を本是院日叶から左京阿闍梨日教と改名した。
1480(文明12)年、日叶の名前で著書「百五十箇条」を著す。ここで日叶は、造仏不造、方便品不読を述べ、「日蓮本仏論」を展開している。
1481(文明13)年、日叶の名前で京都・鳥辺山に日蓮の碑を建立。
1482(文明14)年9月29日、日蓮正宗大石寺9世法主日有が81才で死去。12世日鎮が大石寺法主として登座。
1483(文明15)年、摂津国(大阪府)堺の調御寺住職・日乗から宗義相伝書を授与され、その後、日向国(宮崎県)に行く。
1484(文明16)年1月7日、日向国(宮崎県)穆作の地で著書・「穆作抄」を著す。
その後、左京阿闍梨日教は日向国から大石寺に戻ったと伝えられている。
1487(長享1)年11月16日、著書・「四信五品抄見聞」を著す。
1488(長享2)年1月11日、著書・「五段荒量」を著す。
1488(長享2)年6月10日、著書・「類聚翰集私」を著す。
1489(延徳1)年11月4日、著書・「六人立義破立抄私記」を著す。
その後、左京阿闍梨日教は、重須の北山本門寺に行き、顕応坊日教と名乗り、上行院・日印を「売子坊堕獄」と酷評した書物を著すなど、日尊門流批判を行っている。

左京阿闍梨日教は、いつ死去したかについては、不明。

本是院日叶(左京阿闍梨日教)は、大石寺9世日有の門下にあった時は、日有が偽作した「三大秘法」(戒壇本尊)「日蓮本仏論」「血脈相承」を「百五十箇条」「穆作抄」「五段荒量」「類聚翰集私」等々の著書で宣揚しています。
現在の、日蓮正宗の根本教義・根本本尊は、日有が偽作したものですから、本是院日叶(左京阿闍梨日教)は、今の日蓮正宗の偽作本尊・偽作教義の形成・宣揚・拡大に重要な役割を果たした僧侶ということができます。
「日蓮&日蓮正宗の教義的・ドグマ的問題点」の解明・追究にあたって、本是院日叶(左京阿闍梨日教)の事跡を解明していくことは、大きなポイントのひとつということになります。



過去においても、本是院日叶(左京阿闍梨日教)の事跡について研究し、自らの著書や論文で、本是院日叶(左京阿闍梨日教)の事跡について発表している学者・研究者は、何人もいます。
これは、日蓮宗系・日蓮正宗系を問わず、堀日亨、松岡幹夫氏、池田令道氏、犀角独歩氏…等々と、何人もおり、<115>で引用されている高橋粛道氏も、その一人です。

それら研究を具に検証していくと、中には高く評価すべき論文もあることはありますが、しかし高橋粛道氏をはじめ、過去の本是院日叶(左京阿闍梨日教)の事跡について研究は、非常に誤りが多くあらわれています。

しかし「日蓮&日蓮正宗の教義的・ドグマ的問題点」の解明・追究にあたって、本是院日叶(左京阿闍梨日教)の事跡を解明していくのであれば、誤った見解を出しても、しょうがありません。
正確なものでなければ、意味がありません。

過去の研究者が出した本是院日叶(左京阿闍梨日教)の事跡の研究に関する代表的な誤りとは、以下の点です。

□左京阿闍梨日教は、「日蓮本仏論」「血脈」という日尊門流の教学を大石寺門流に持ち込んだ
□左京阿闍梨日教が「三大秘法」「日蓮本仏論」「血脈」という教義を完成させた
□本是院日叶は日尊門流から大石寺門流に帰伏したので、名前を左京阿闍梨日教と改めた
□左京阿闍梨日教は大石寺の血脈を深化させて法主絶対思想を生み出した

その他、高橋粛道氏の論文には、高橋粛道氏独特の誤りが散見されます。




アウトラインがつかめて来ました。
犀角独歩さんの
>日教はまた、二箇相承をはじめて紹介したことでも、夙に有名だ。
http://blog.livedoor.jp/saikakudoppo/archives/51613580.html

ウィキペディアでは日教本(日叶本)としてありますね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E7%AE%87%E7%9B%B8%E6%89%BF

ヤフー知恵袋では
日蓮本佛について
>資料として遡れる最古のものは、京都要法寺系住本寺の本是院日叶(1428年〜?)の
>『百五十箇条』であり
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1048892195

と、正宗教義のキーパーソン的な人なのでしょうか。
その割には正宗内で重要視されていない印象です。
正宗(ほぼ)公式歴史観では 南北朝・室町・安土桃山時代
>本是院日叶(ほんぜいんにっきょう)(後の左京阿日教師)などのように、要法寺から
>大石寺に帰伏する者もいました。
http://www.geocities.jp/shoshu_newmon/nichiren_rekishi2.html
と、そっけないどころか「など」あつかいだし。
寛師二百五十遠忌大法要での御説法では
>本是院日叶とかいう方々が、日有上人の説法を聞かれて書きとめられだのが
>本是院日叶という方が大石寺ヘまいりまして、日有上人のいろいろ説法を聞かれ近所を
>歩いたのでございます。
日有が主で、本是院日叶は脇役ですね。
<115>で引用されている堀上人の言葉も、多分良い意味に見えません。

本是院日叶を前面に出すと正宗に不都合があるのでしょうか。
多分あるのかもしれません。
日蓮本佛論や二箇相承が最初からあったものでなくなるから。

類似としては合っていないかも知れませんが、国立戒壇みたいなものですか。
顕正会は今でもそうですが、正宗も一時期国立戒壇を主張していました。
明治の田中智学発祥のようですが「いや、日蓮の頃からある記述だ」と言っていました。
同様に突っ込まれた時のため、本是院日叶を小者、傍流扱いにしているのでしょうか。
犀角独歩氏
>日教はまた、二箇相承をはじめて紹介したことでも、夙に有名だ。
http://blog.livedoor.jp/saikakudoppo/archives/51613580.html

このブログは、相変わらず、「あーでもない・こーでもない」式の論調なのですが、これに関しては最後に結論らしき言葉が載っていました。

「日教が京より持ち込んだものと見るのが至当であると考える。日有が日教に影響を与えたのではない。日教が富士に影響を与えたのだ」

日蓮宗の誰だったかの論文のコピーみたいなことを書いていますが、この結論は誤りです。

ちょうど犀角独歩氏がこの記事を書く少し前に、GREE「アンチ日蓮正宗」で、本人に

「日教が法義を京・日尊門流から大石寺により持ち込んだ、などということが、僧侶社会の常識として、あり得るのですか」

と質問したところ、全く返答不能でした。

私の質問に返答不能になっていながら、ブログでは平然とこんなことを書いているんですから、唖然としてしまいます。


<115>で引用されている…

この<115>で引用されている高橋粛道氏の「左京日教師」という論文の中身も、間違いだらけです。

特に、本是院日叶(左京阿闍梨日教)が大石寺の日有門下に帰伏する前後ぐらいの論述に、間違いが多多、見受けられます。

ええ?本是院日叶が黒幕みたいな単純な話ではないんですか。
ウィキペディアを鵜呑みにするなとはよく言われますが、少なくとも
確定しているのは、百五十箇条に二箇相承が引用されているでしょうか。
(はじめて引用されたとのことではなく)
日叶以前に誰かが引用しているなら、それ以前にあったと言う事か日有が創作した
となります。
(すいません、hideさんの二箇相承について全部把握していません)

参考までに正宗関連以外で本是院日叶の資料はあるのでしょうか。
ネットでざっとあたっても解説サイトはないし。
堀上人が冨士教学要典で述べているけど、古い言葉で長文なので解読が難しいです。

>「日教が法義を京・日尊門流から大石寺により持ち込んだ、などということが、僧侶社会の常識>として、あり得るのですか」
個人的感想で的外れかも知れませんが、無いとはいえないかも。
日教(日叶)については何ともですが、先の田中智学の例もそうだし、聞いた話では
創価が活発化する前は檀家が御書を通読したり、それを元に折伏をすることはなかったと。
もっとも、正宗として御書全集ができたのは創価のおかげですから。

で、一般信徒が知人に薦める程度ではなく能動的な折伏を行うようになったのは創価以降だと。
考え方によっては創価(戸田、池田)の考えを大石寺に持ち込んだともいえるのでは?
本是院日叶関連でなく、また横道にそれて申し訳ないです。
>本是院日叶が黒幕みたいな単純な話ではないんですか。

黒幕というのは、どういう意味で言われているのですか。

>先の田中智学の例もそうだし

国立戒壇のことを言っておられるのでしょうか。

国立戒壇は、確かに最初に言い出したのは田中智学ですが、田中智学が日蓮正宗に国立戒壇を流入させたのではありません。(田中智学が能動的に、という意味です)

ここが大事なところですが、日蓮正宗の側が、「その国立戒壇に安置するのは大石寺の戒壇の大御本尊だ」と言う言い方で、パクったのです。

>創価が活発化する前は檀家が御書を通読したり、それを元に折伏をすることはなかったと。
>もっとも、正宗として御書全集ができたのは創価のおかげですから。
>で、一般信徒が知人に薦める程度ではなく能動的な折伏を行うようになったのは創価以降だと。

これは誤りです。

日蓮正宗信者が行う能動的な折伏は、創価学会出現以前から、けっこうありますよ。

尾張法難、金沢法難、伊那法難、八戸法難、猫沢法難、弾正会の法難、砂村問答、横浜問答…これらは信者の折伏です。


>黒幕というのは、どういう意味で言われているのですか。
大きな意味ではなく、二箇相承について発端になったのではと。

>国立戒壇のことを言っておられるのでしょうか。
そうです。
少なくとも田中智学の考えが正宗に影響を与えたのではと。
正宗側が取り入れたのでしょうが、正宗からの発想ではないのでは。

折伏については代々の檀家の方の考えを引用しました。
創価以前は折伏しろとうるさく言われなかったと。
能動的だと語弊がありました、強引な折伏ということで。
>二箇相承について発端になったのではと

発端と言うことは、どういうことですか。

二箇相承は、左京阿闍梨日教が偽作したのではないですよ。

>正宗側が取り入れたのでしょうが、正宗からの発想ではないのでは

日蓮正宗が取り入れたのと、他門から大石寺門流に帰参した僧が、帰参する前の門流の教学を大石寺門流に広める、というのは、似ているようで全く意味が違います。

>能動的だと語弊がありました、強引な折伏ということで。

あなた、布教という言葉を誤解しているようですが、信者の布教=強引な折伏ですよ。



いや、知りませんよ。
本是院日叶が二箇相承を引用したと言うのが頭にあったので。
初めてかどうかは怪しいとのことで、混乱しています。

>あなた、布教という言葉を誤解しているようですが、信者の布教=強引な折伏
>ですよ。
確かにそうですが、創価以後激しくなったと檀家の人から聞いたもので。
しょせん2chの書き込みと言われればそうですが。
正宗2世の方が「俺が子供の頃はこんなんじゃなかった」みたいな書き込みが
ありました。(うろ覚えですが、ニュアンス的に印象深かった)
このつづきは、明日(6/9)書き込みします。

プチプリン氏にお尋ねしますが

>創価以後激しくなったと檀家の人から聞いたもので。しょせん2chの書き込みと言われればそうですが

檀家というのは、2ch情報ですか??

2chというのは、書き込みしている当人がどういう人なのか、ほとんどわからないでしょう。

つまり檀家でない人が檀家を詐称する「なりすまし」など、平気でできるわけで。

mixiにも「なりすまし」はいますけど、プロフィールがある程度はわかるので、2chほどひどくはないでしょう。

つまり何を言いたいかというと、「正確」という観点から言うと、2chで「檀家」を名乗る者をあっさり「檀家の情報」としてここに紹介するのは、正確さに欠けているのではありませんか、ということです。

本に書いてある内容だったら、「檀家」というプロフィールは信用できるでしょう。

あるいは、直接その人に会って話を聞いたとか。

大石寺の根檀家だったら、限られた人ですから、これはわかります。

東京、神奈川、千葉、埼玉、群馬、茨城、静岡、山梨、香川、宮城、岩手、福岡、大阪あたりにも古くからの「檀家」はいますし、檀家となれぱ、有名な人もいます。

そんなにあっちこっちにいるもんじゃありませんから、話を聞けば、わかりますから。


はい2ch情報です。
さすがに個人情報のソースまでは…
一つ疑問ですが、正宗で言う檀家とはどのような人なのでしょうか。
どのような寺かは知りませんが、その寺を菩提寺として先祖の墓があり
(書き込み人では曾おじいさんぐらいにしか触れていませんでしたが)
その寺で法要を上げ卒塔婆を立て寺に30年間で家1軒分くらい供養するのは
檀家にはならないのでしょうか。

で件の発言についてですが、記憶で書いたので正確ではない部分があったようです。
まず数十年前正宗信徒から折伏を受けた時納得が行かなかったから
「なぜ、こんな批判されている創価と同じことをするのか?」と聞いたら
「本当はこんな事したくないんだけど…」と言われた体験が個人的にありました。
そして掲示板で話しを聞いて、なるほどという部分もありで。
文献でなくて申し訳ないですし、どこまで信用するかとなると難しいですね。
以下引用します。
----------------------------------------------------------------------
94 :京洛:2006/12/06(水) 22:35:58 ID:bTKvsnZK
>>93
俺んちは親父以外は穏健派だよ。
っていうか仕方なく所属してるって感じかな。

俺は法華講員の過半数以上は穏健派&興味なしだとおもうけどな。
過激派がとんでもなく強烈なだけだと思う。


95 :お母ちゃんLOVE ◆zUtlDfEf/A :2006/12/06(水) 23:21:20 ID:/MwHwwY7
>>94
わたしもそうおもう。

とりあえず大阪法華講青年部は衰退の一途です。
年率換算で大阪法華講青年部正宗貢献GDP成長率は20%マイナス以下でしょう。
まともな現役世代は見放してます。
女子部は少し成長率のマイナス幅は低めです。
法華講は実質デフレスパイラルしてますね・・・・

97 :七八 ◆7gpceMnULI :2006/12/06(水) 23:57:25 ID:szJwmOJB
>>94
そこなんだよね。僕にとっての謎は。
穏健で、常識をわきまえる信徒さんは、間違いなくいる。
反面、箸にも棒にも引っかからないような盲信者もいる。

>俺は法華講員の過半数以上は穏健派&興味なしだとおもうけどな。
>過激派がとんでもなく強烈なだけだと思う。
古くからの信徒は穏健派で、創価や顕正からの移籍組が過激派という意見も聞くけど、
じゃ、坊さんや、組織としての正宗は、現状をどうとらえているんだろう。
どんな「指導」をしてるんだろう。

98 :名無しさん@3周年:2006/12/07(木) 08:56:59 ID:CA3mYJuj
>>97
代々檀家に対しては普通の葬式仏教。
改宗者に対してはにわかカルト。

創価学会時代に膨張した支出をまかなうにはカルト活動による収入が必要。
しかし坊主にそんな能力はないから、改宗したカルト屋に活動させ、上納させる。
それで妙観講などの宗内カルト教団が泳がされる。

99 :名無しさん@3周年:2006/12/07(木) 09:15:41 ID:CA3mYJuj
日蓮正宗としては 葬式、法要は坊さんが来てくれなくては という人たちを
創価学会から獲得するだけの予定だった。しかしその数が予定より少なかった。
生長の家、霊友会、佼成会など大きな新興宗教は昔から坊主抜きの葬式をしている。
坊主が思うよりは既成の葬式、法要へのニーズは少ないんだ。
改宗者のかなりの部分は創価学会が強烈なカルトだった頃が懐かしいという人達
だったんだ。それで日蓮正宗自体が改宗者に対してはカルト化することになった。

107 :オヤジ ◆avupamp2lY :2006/12/08(金) 02:03:05 ID:PYNoDJb8
ついでに
平成二十一年の御命題達成、法華講支部が必ず御命題を達成(おそらく目標)
て悪い言い方するとノルマ?

108 :お母ちゃんLOVE ◆zUtlDfEf/A :2006/12/08(金) 13:13:51 ID:ir6kIxRB
>>107
おやじさん、こんにちは。

末寺・法華講支部にとっては御命題=ノルマですね。
でもほとんどの末寺・法華講支部はノルマ達成できていません。
達成率も平均30%以下程度ですよ。
ノルマの設定も各末寺・法華講支部で適当に行います。
その上で達成できてません。
このノルマに関し末端の信者にいたっては「あっそう、わたしは関係ない」くらいに思ってます。
基地外は真に受けて人生破滅街道驀進します。
幹部もがんばろう!!とかいいますが本心ではヤル気ナッシングです。
141 :きいたん:2006/12/11(月) 10:38:57 ID:GRpjA28R
ご無沙汰しています。
お母ちゃんLOVEさんにお聞きしたいのですが、正宗信徒なのに批判的ですが、何がきっかけだったのでしょうか?
ちなみに僕はスピリチュアルを知ってからです。でも、勤行は今でもやってます。ただし二座のみの勤行で御観念も独自に改良しました。

142 :お母ちゃんLOVE ◆zUtlDfEf/A :2006/12/12(火) 08:02:34 ID:paZerFl4
きいたんさん、おはようございます。

わたしが批判的になったきっかけですか・・・・・
う〜ん・・・難しいですね・・・・

わたしは小さい頃は判断力がないですから鵜呑みでした。
でも社会に出ていろんなこと経験していくうちに正宗の言うことが
間違いであると考えるようになったのです。

たとえば、社会のいいところはすべて正宗の活動の功徳によるもの。
逆に悪いところは邪宗の害毒という都合のいい教義。
これらのような考えが社会にでていろんな人と交流していくうちに
間違いだということを思い知らされたからです。

それから実際に宗教活動に血眼になっている青年・壮年と普通の温和な感覚
を持った一般人を比較してみたら一般人の方がはるかによい社会環境を構築
していたからです。
人格もはるかに一般の方のほうがよいです。
正宗の人間はひとの悪口をいいます。しかも悪いことだと自覚もありません。

とまあ数え上げればキリガありません。
いままでの罪滅ぼしの意味も込めて正宗の毒に侵されて基地外になるひとを
減らそうと思っています。
ですから正宗の実態を可能な限り暴露していこうと思ってます。

143 :きいたん:2006/12/12(火) 13:43:15 ID:h4MLzVNJ
そうですか…僕は大人になっても疑うことは悪いことと思い無理して信じようとしていました。でも、いつも信心しなくても幸せになれるなら辞めたいと心の隅では思っていました。だから、スピリチュアルを知ってからは冷静に信仰のことを考えれるようになりました。

144 :お母ちゃんLOVE ◆zUtlDfEf/A :2006/12/12(火) 21:15:38 ID:paZerFl4
きいたんさんが冷静に信仰について考えられるようになれたのは
すごくいいことですね。
スピリチュアルですか・・・・ちょっと調べてみます。

無理に信じ込むのはよくないですよ。
宗祖が無謬ではないことから本仏などではないですし。
無理に過ぎる教義が多すぎますから・・・
物理の現象の理解ひとつとっても私にすら宗祖は勝てません。
時空の認識について宗祖は私に及びません。
ただ殺されそうになっても死にそうになっても法華経を信じるという
我慢強さとマゾ根性はわたしは遠く宗祖にはおよびません。
正宗では本仏といってますが現代からみれば宗祖はたいしたことありません。
正宗のいう成仏などたいしたものではありません。

きいたんさんもいつかは完全に正宗の呪縛から開放されてさらによい人生
にしてもらいたいです。

145 :京洛:2006/12/13(水) 00:31:03 ID:TwBxAQ/m
正宗の呪縛か...本当に開放されたいね。

317 :名無しさん@3周年:2006/12/24(日) 17:52:00 ID:PRnKv8Hc
メリークリスマス♪
日蓮正宗にはクリスマスソング聴いたら頭痛する椰子がいるそうだ。
バカもここまでくりゃ笑い話にもならんなwww

324 :京洛:2006/12/24(日) 21:38:01 ID:eJl+M7Yf
>>317
俺の父はそんな感じだな。
家族に総スカンされるから、今年はいらんことは言わなかったし、
今日はおとなしくケーキ食べてたよ〜

俺がガキの頃は自治会のクリスマス会に連れて行ってもらったり、
クリスマス当日になると、寝てる間にプレゼントを置いてくれるなど
粋な計らいをしてくれたけどな〜

昔は、他の宗教の神様を拝むわけじゃないから、
クリスマス会や盆踊りに行くのは構わないというスタンスだったような気がするけど、
いつごろか、寺からクリスマスや盆踊りに絶対行ってはならない。という通達がきて、
少年部で”盆踊りに行った○○君は風邪をひいちゃいました”みたいな紙芝居見せられたりしたな。

最近では(最近と言っても10年以上前ぐらいから)、盆踊りにしても、クリスマスにしても、
地元の祭りにしても、単語を聞くだけで嫌みたい。
一時期、それらの行事ごとがあるたびに、青年部がわざわざ家まで来て、
”参加しないように”って言いに来てたな。

-------------------------------------------------------------------------
こういった方々を成りすましとは判断しかねます。
また、一つの見解として引用します。
-------------------------------------------------------------------------
678 :神も仏も名無しさん:2007/03/25(日) 00:00:54 ID:hWyTBfKP
妙観講は破門されていない顕正会のようなもの。日蓮正宗の中にある在家教団だから、
指導するのも在家。妙観講は評判が悪いから、妙観講員と自分でいうことは少ない。
法華講は寺院ごとに組織されている。だから中心はいちおう住職だが、住職は法務に忙しい。
大石寺とその末寺以外はまた全く別だ。日蓮正宗の中にある別の宗派といってもよい。
そして代々檀家と改宗者は別の種族、代々僧侶と創価出身僧侶も別の種族だ。
マイナーな宗派だが、構成は複雑だよ。

685 :神も仏も名無しさん:2007/03/25(日) 02:15:13 ID:UpKntL5g
妙観講は、もと法道院に所属する。主管と対立し大もめの果て理境坊に所属する。
(寺は住職、院・教会等は、主管と呼称)
当時の主管の長男が、御当代の法主です。


妙観講は宗内の過激派。法華講理境坊所属妙観講支部といい、法華講の一支部の建前。

687 :無為 ◆iB/Hvp.n/k :2007/03/25(日) 05:03:49 ID:mB5jRY/a
>>678 >>685
興味深いお話に、納得致すところ。

ひとつお伺いしたいのだが、現在のお山とそれぞれの講の関係は、
何時頃完成されたのであろうか。
創価結成以前か以降かで、意味が変わると思うのだが。

688 :理趣経 ◆viIIIIIIII :2007/03/25(日) 05:51:21 ID:sXghh0Ef
>>687
たしか、1962年、日達の時に法華講連合会が結成されて、組織化がはじまったはずだから、
創価教育学会発足より後ですね

689 :無為 ◆iB/Hvp.n/k :2007/03/25(日) 06:26:28 ID:mB5jRY/a
>>688
こちらにも来られましたか。

なるほど。
そうなると、創価の影響も考慮した方が良いと思えますな。
どこぞで「任務」なる言葉を正宗でも使っておるように聞いた覚えがあり、
創価が良く使う言葉が何故、とて思った次第。
結局は、根は一緒、ということであろうか。
--------------------------------------------------------------------------
ソースがといわれると困りますが、ある程度納得の行く説です。
正宗の10倍規模の団体が教義に影響を与えるのは不自然では無いと思います。
登山を頻繁に行うのは創価が発祥だと聞きましたし、国立戒壇を引っ込めたのは
正宗の教義ではなく公明党の都合だと認識しています。
>プチプリン氏

何を勘違いしておられるのか、いろんなことを混同しすぎですよ。

私が<134>で言っているのは

「日教が法義を京・日尊門流から大石寺により持ち込んだ、などということが、僧侶社会の常識として、あり得るのですか」

ということです。

僧侶社会のことを言っているんですよ。

なぜそういう所に、創価学会だの、公明党だのが関係あるんですか。

関係ないでしょう。

それから、左京阿闍梨日教は日尊門流から日有の門下に帰伏しながら、帰伏前の日尊門流の教義を大石寺に持ち込むことが、僧侶社会の常識として、あり得るのか、ということを言っているんですよ。

教義の影響があるとかないとかの話しじゃないんですよ。

私が言っている意味がわかりませんか??

>アマテラス氏
>僧侶社会の常識として、大石寺帰伏後に、以前の門下の教義を持ち込むことは、有り 得ません。
>法主として迎えられたならまだしも、普通の僧都位の階級では、帰伏後は、上位の階級の僧侶に奴隷のごとく使えるのが筋です。 一般社会の常識等通用しません。
>上位のものが「カラスは白い」と言えば、カラスは白いのです。 それが僧侶の世界です。身延系の日蓮宗もどこも一緒です。

まさにズバリ。このとおりです。
よく言っていただけました。ありがとうございます。

したがって私が<134>で指摘している
「日教が京より持ち込んだものと見るのが至当であると考える。日有が日教に影響を与えたのではない。日教が富士に影響を与えたのだ」
という犀角独歩氏の見解は誤りだと言っているのです。

日教が日尊門流の教学を富士大石寺に持ち込むなどということは、僧侶社会の常識として考えたら、あり得ないのです。

したがって、左京阿闍梨日教の教学というのは、帰伏前の日尊門流の教学を述べているのではなく、帰伏後の日有の教学を述べているということです。

>日教が法義を京・日尊門流から大石寺により持ち込んだ、などということが、僧侶社会の常識と
>して、あり得るのですか
いろいろ考えたのですが、よく分かりません。
こういう場合「ある」とする方に挙証責任があるのですが、はっきりと「ある」と言えませんね。
無いのを証明しろは、悪魔の証明だし。

ただ全く無いかと言われると納得が行かない部分もありで。
変な例と言われるかも知れませんが、大正の三派合同に伴う大師号請願の発起人は顕本法華宗の
本多日生で政治的な圧力もあり、日蓮正宗阿部日正が了承したと理解しています。
日蓮の名称を統一し各派合同しようという動きだったようです。
http://www.houonsha.co.jp/jiyu/11/386.html

大正4年11月
・日蓮宗の小泉日慈、正宗阿部日正、顕本の本多日生、法華宗田辺日諭等の管長は教団帰一の理想
実現に努む。
大正11年9月11日
・二十名の連名にて『日蓮一代略歴』を添えて文部大臣を経由して宮内大臣牧野伸顕に請願書を提
出する
これに対し地涌では他宗と融和を図り同席する謗法だと言っています。
おそらく正宗教義を厳密に解釈すれば、他門の教義を取り入れる事でもあり謗法でしょう。
そういったこともあり正宗内部でも僧侶からの反発が多かったようです。

日達上人述懐
大正十一年の秋の頃と思うが、日蓮大聖人に大師号が宣下になるという問題が起きた。
勿論、身延あたりの策動であったのだろう、文部省から日蓮門下各派へ、大師号を下賜するから
門下連合して頂戴に来るようにとの通達があった。
其の頃上人(※日開上人)は宗務院総務であったから急遽登院して宗会を招集せられ、その仕儀を
協議せられたのである。
私はそれを聞いて(中略)大師だとか、菩薩などの称号は要らない(中略)ということを書いて
建白書として宗務院宛上人に送った。(中略)
『お前の云う事はよくわかっておる、しかし今の宗門は非常に小さくて力が無いのである、今文部
省に抵抗してもどうにもならない、もう暫時待って宗門を大きくしてからでなければどうにもなら
ない、もう少し辛抱しなさい』と諭された。
(日開上人第二十五回遠忌記念 序・達全一―五―七二〇)
ある意味教義より宗門の生き残り優先で、他門の教義を取り入れたとも見えます。

法主絶対主義かは、大正十四年に第五十八世日柱上人の不信任が出されています。
http://www.houonsha.co.jp/jiyu/06/240.html
>管長日柱上人ハ私見妄断ヲ以テ宗規ヲ乱シ、宗門統治ノ資格ナキモノト認ム
という厳しい内容です。
(正確には法主の不信任では無く、管長としての不信任ですが)

昔から法主は偉いと言う教育はあったかも知れませんが、現在ほど厳しくなったのは日顕以降では
ないのかと思います。
現実的に池田大作が法主より権力を持ったため、法主絶対主義を強化したのだと思います。
また見当違いとまた言われるかもしれません。
しかし分かりません。私が首を突っ込んだのが間違いかも。
犀角独歩氏の説明が分かりやすかったもので。

本是院日叶とは日有が教義を完成させ、それの宣伝した感じになるのでしょうか。
>>131
>今の日蓮正宗の偽作本尊・偽作教義の形成・宣揚・拡大に重要な役割を果たした僧侶というこ
>とができます。
とは、宣伝係として重要だったという話しでしょうか。
>宣伝係として重要だったという話しでしょうか。

ちょっとニュアンスが違いますね。

詳しくは、6月19日(日)か20日(月)の、いずれかの日に回答します。

>プチプリン氏

いろいろ書き込みしていただいて、それはありがたいのですが、書き込んでいる内容に於いて、ピント外れ、的外れ、見当違いがあまりにも、ひどすぎるんですよね。

151と152の、あなたの書き込みを読んでも、

「日尊門流から日有の門下に帰伏しながら、帰伏前の日尊門流の教義を大石寺に持ち込むこと」

という言葉の意味が全くわかっていないとしか考えられません。

あなたの場合は、意味がある程度わかっていて、間違った見解を述べる、例えば犀角独歩氏、東佑介氏、美濃周人氏…とは、意味が違うわけです。

それと、もうひとつ、あなたがわかっていない所があって、それはこのトピックの主旨です。

このトピックは、日蓮や日蓮正宗、ないしは富士門流の本尊・教義問題の「分析」をすることが主旨なのであって、教義がわからない人が質問をするトピックではないのです。

これについては、新しいトピックを造るなり、対策を考えていますので、2〜3日、お待ち下さい。

>日有上人は、その辺のところを、感覚でつかんで、血脈相承・板本尊・二箇相承
> を捏造・宣揚した天才的な新興宗教の開祖です。


これは、至言だと思います。まさに言い得て妙ですね。

ピタリと言い当てていると思います。

室町時代に、ああいうことをしたのですから、まさに天才的です。

逆に言うと、室町時代だったから、できたのかもしれません。

少し時代が下って、江戸時代だったら、できなかったかもしれませんね。





無知で申し訳ありませんでした。
ご迷惑を掛けたようなので、以後このトピックには書き込みません。

ただ、一つ言い訳を言わせてもらえれば、今回の質問の初めのほうに
>知らないものが口を出すなといわれれば従いますが。
書いてているので、その時点で「教義がわからない人が質問をするトピックでは
ない」と言ってほしかったです。
>知らないものが口を出すなといわれれば従いますが。

「知らない者が口を出すな」とは言っておりません。

どんどん口を出して下さい。

新しいトピックを造りましたので、こちらのほうでどんどん口を出していただけたらと思います。

「アンチ日蓮正宗・教学基礎講座」
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=63259676&comm_id=406970


「日蓮&日蓮正宗の教義的・ドグマ的問題点」と「関連質問&質疑応答」トピックの中間に位置するトピックと考えていただけたらと思います。

「以後このトピックには書き込みません」とおっしゃっておられますが、プチプリン氏の場合は、そのほうがよろしいかと思います。

プチプリン氏の論点については、順次、新しいトピックにて、論じたいと思います。

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