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アンチ日蓮正宗(日蓮正宗系)コミュのアンチ日蓮正宗・教学基礎講座

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「なんでこんなトピックを造ったのか」という質問が来そうですが、今のところ、このコミュニティには、日蓮・日蓮正宗・富士門流の本尊・教義の問題点を分析・検証・批判・追及していくトピックとして
「日蓮&日蓮正宗の教義的・ドグマ的問題点の分析・検証・批判」
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=9227810&comm_id=406970

そして、教学の初歩的な質疑応答をするトピックとして
「関連質問&質疑応答」トピック
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=46300303&comm_id=406970

この二つがありますが、この二つの中間に位置するトピックとして、造りました。

トピックの名前をどうしようかと、いろいろ考えたのですが、ピタリと当てはまる言葉が見当たりません。それで、仮にこういう名前にしました。
教学的な内容を論じ、質疑応答する講座というふうに考えていただけたらと思います。

(管理人からのお願い)

単なる質疑応答を超えて、高度な教学研究と言うことになると、本を買うとか、図書館に行くとか、事跡調査するとか、実地調査するとか、特定の人に取材するとか、そういうふうになってきます。
たとえば、書籍購入ということになると、お金を使うことになります。
(誤解をしないでいただきたいのですが、本を買うことを強要しているのではありません)
しかし、教学研究の動機・目的があやふやだと、あとになってから「こんなはずじゃなかった」となりかねないことも出てこないとは限りません。
ここは「アンチ日蓮正宗」なのであって、宗教団体ではありません。
「アンチ日蓮正宗」において、日蓮や日蓮正宗の教学の研究をするわけですから、目的・動機というものをしっかりさせておいたほうがいいのではないかと思うのです。

したがって、このトピックで質問なさる方は、あなたが教学研究をしておられる目的・動機を表明されてから、本題に入っていただくよう、お願い致します。
尚、教学研究をしておられる目的・動機については、以下の項目からお選び下さい。

□1 日蓮正宗系団体の信者等々から、執拗な勧誘等の宗教被害に遭遇して、日蓮正宗系に対抗するため、反骨的に教学研究をしてきている
□2 元日蓮正宗系の信者で、信者だったときに身につけた教学そのまんまでやっている
□3 元日蓮正宗系の信者で、日蓮正宗系に対抗するため、日蓮正宗系の教学の誤りを検証しようと自ら研究している
□4 ジャーナリスト・評論家・文筆家等の肩書きを悪用して、情報や教学研究を日蓮正宗や創価学会に売っている
□5 日蓮宗や顕本法華宗、富士門流寺院等の僧侶・信者で、自らの教学研究の一環として、日蓮正宗系の教学の研究をしている

あるいは、その他。
その他の方は、具体的に目的・動機を教えていただけたら、幸いでございます。









コメント(55)

そして冒頭の喩えですが…喩えに突っ込むのもずれているとは思いますが…
>偽造されたスーパーKの様な銀行員でも見分けのつかない偽ドル札
プロの人でも見分けがつきにくいなら、素人ならなおさらでは。
>日蓮宗は素人でも見分けのつく粗雑な偽ドル札です。
私は何が違うのかよく分かりません。
日蓮宗は釈迦を本仏としてるくらいで、他に迷惑を掛けていないなら問題ないのでは。

そもそも、じゃあその喩えの本物のお札とは何を指しているのだろうかと疑問が浮かびます。
本物のお札ってあるんだろうか、みんな独自発行の札と称する物じゃないのかな。
話しがかなり脇道に逸れていますので、元に戻したいと思います。

「本因妙抄」 「百六箇抄」「御義口伝」等の内容の検証は、ここではなく「問題点の分析・検証」トピックにて、お願いします。

「日蓮&日蓮正宗の教義的・ドグマ的問題点の分析・検証・批判」
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=9227810&comm_id=406970
■御書について1

>満月城岡山 3rdを利用しています。
http://sgi.daa.jp/

これははじめて見ました。
全ての内容を見たわけではありませんが、宗創和合時代の1952年に、堀日亨の編纂で創価学会が発刊した「御書全集」を、そのまま丸写しにしたネット版だと思われます。

誤字・脱字等がなければ、これでもいいんじゃないかな、という感じはします。

ただ、こういう御書全集完全丸写しのサイトを造って、著作権法の問題は生じないのかな、という疑問はありますが、これは当方に関係ありませんから、話しを次に進めます。

>法華経は正信会系のサイトです。数十年前全品音読した事はあります。
http://www.mitene.or.jp/~hokkekou/hokekyou/hk.html

これについても、同じ見解です。
ただし、この正信会系nb主宰のサイトは、「富士宗学要集」の完全丸写しサイトも、やっていますが、こちらのほうは、誤字・脱字・脱本・脱文等々が、かなりあります。


ちなみに私は、コミュニティ説明文にも記載していますが、さまざまな経緯から、32年前から、この様な研究をはじめていますが、当時はサイトもネットもない時代でしたので、「御書全集」「富士宗学要集」を自分で購入しました。
御書全集は、最初、書店で1980年代に、創価学会版の御書全集を買い、1995年頃、大石寺版の平成新編御書全集を買いました。
法華経については、聖教文庫版の文庫本がありましたので、それを買いました。

ただ、御書全集にしても、富士宗学要集にしても、古文・漢文を読むわけですから、おいそれと読了することはできませんで、「御書全集」「富士宗学要集」を読了するのに十年以上かかりました。
読んでいて、頭が痛くなってきて、何度もやめようと思いました。

しかし、今になって考えると、この経験が、今に生きていますから不思議なものです。
今では、脳内の書棚に、史料がインプットされていまして、ちょっと史料や文献を見るだけで、脳内の書棚から引き出せるようになりました。






>>17
私に言っているのであれば、無意味なことでは。
「日蓮&日蓮正宗の教義的・ドグマ的問題点の分析・検証・批判」
については
>ご迷惑を掛けたようなので、以後このトピックには書き込みません。
の発言で以下のように言われましたので、当該トピックでの展開は不可能です。
>「以後このトピックには書き込みません」とおっしゃっておられますが、プチプリン氏の場合
>は、そのほうがよろしいかと思います。
アマテラス13 さんに言っているのであれば、私の勘違いになります。
妙な所に噛み付いているようで申し訳ないので、御書について少し。
平成20年2月御書講義顕正会御書講義DVDを見て、音声を聞きながらネット御書を見ると同一ではないと言うのがありました。
四条金吾殿御返事(世雄御書)ですが冒頭から追ってゆけなくなりました。
カットされているから、文が突然飛びます。

・顕正会御書講義
此の国に仏法わたりし由来をたづぬれば第三十代欽明天皇と申せし王をはしき
・ネット御書
此の国に仏法わたりし由来をたづぬれば天神七代地神五代すぎて人王の代となりて第一神武天皇乃至第三十代欽明天皇と申せし王をはしき

「天神七代地神五代すぎて人王の代となりて第一神武天皇乃至第三十代欽明天皇」
の部分が浅井使用の御書に無いのか、何らかの理由でカットしたのかどちらかかと。
他カット部分は長文で
中ほど「漢土には後漢の第二の明帝永平七年に〜三十日が間に十寺立ちぬ」
「故は仏法日本に立ちし事は〜此れをもつて御推察あるべし」
最後の部分「あらかるべからず吾が家にあらずんば 〜かならずあるべし、穴賢穴賢」
これらをカットして講義しています。

ダイジェストとしてカットなら、なぜこの部分?とも思います。
顕正会に都合の悪い部分なのだろうか。

ちなみに東京の知人に確認した所、ネット御書(御書全集)と平成新編御書の違いは
「云く」→「云はく」、「並に」→「並びに」、「洲(くに)」→「国」
文末と思しきところが「、」→「。」
御書全集:  此に守屋と中臣臣勝海大連等の両臣と
平成新編御書:此に守屋と中臣臣勝海大連等の両臣は
くらいです(ワード文書でもらって、赤で書いてあったけど、見方を忘れたので今は推測です)

まあ、顕正会は正宗や創価と違うんだなと。ついでの疑問で
「顕正会の折伏理論書の最初に出てくるのが十二因縁御書というものですが御書全集にはありま
せん。
その御書はどこかの寺にあるようですが創価では採用していないようです。
浅井はどっから持ってきたのだろうか」
に対し
「十二因縁御書は御書全集には、掲載在りません。
これは、平成版には掲載されています」
との返事。
創価は採用しないけど、顕正会は採用するんだ。

「折伏理論書初版は種種御振舞御書という名称が改訂版では下種本仏成道御書
に変わっているらしいです。(内容は同じらしいのですが)」
に対し
「種種御振舞御書という名称が改訂版では下種本仏成道御書
正宗、創価とも種種御振舞の名称が一般的です。
種種御振舞と下種本仏成道、に関しては、公演日に注意してください。
勝手に、名称変更しています。これは、確認が取れています」
との返事でした。
(公演日とは知人より入手した御書講義講義日の音声ファイル)

顕正会なりの都合でやっているのかな、あるいは初版が平成元年6月28日改訂版が平成11年11月30日
になっています。
平成元年から11年までに変更があったと思われ、おそらく正本堂からみかなと。
元顕正会員のブログでは会員に御書の勉強をさせないためわざとやっているのではと感想を述べて
いましたが。
>19

こういう書き込みを読んでいると、逆にプチプリン氏に対する不信感が芽生えますね。

17の書き込みが、あなたに言っているものではないことぐらい、明らかでしょう。

こんなことが、わからないはずは、ありますまい。

よってこの書き込みは、故意の当てつけと解釈させていただきます。


■世雄御書について1

>「天神七代地神五代すぎて人王の代となりて第一神武天皇乃至第三十代欽明天皇」
>の部分が浅井使用の御書に無いのか、何らかの理由でカットしたのかどちらかかと。
>他カット部分は長文で中ほど「漢土には後漢の第二の明帝永平七年に〜三十日が間に十寺
>ちぬ」「故は仏法日本に立ちし事は〜此れをもつて御推察あるべし」
>最後の部分「あらかるべからず吾が家にあらずんば 〜かならずあるべし、穴賢穴賢」
>これらをカットして講義しています。
>
>ダイジェストとしてカットなら、なぜこの部分?とも思います。
>顕正会に都合の悪い部分なのだろうか。
>


都合が悪いのではなくて、逆でしょう。

こういうことは、多くの人が知っていることですが、四条金吾殿御返事(世雄御書)には、創価学会、顕正会、日蓮正宗法華講のカルト信者が、こぞってありがたがっている有名な文がある遺文(御書)です。
その有名な文とは

「夫れ仏法と申すは勝負をさきとし、王法と申すは賞罰を本とせり。故に仏をば世雄と号し、王をば自在となづけたり」

「又吾が一門の人々の中にも、信心もうすく日蓮が申す事を背き給はば蘇我が如くなるべし」

「又我が一門の中にも申しとをらせ給はざらん人々は、かへりて失あるべし。日蓮をうらみさせ給ふな。少輔房、能登房等を御覧あるべし」

「仏法と申すは道理なり。道理と申すは主に勝つ物なり」

これらの文です。

こういう文の講義に力を注ぎたいのでしょう。私はそのdvdとやらは持ち合わせていませんが、カットして講義しているとなれば、それくらいは察しがつきます。

「夫れ仏法と申すは勝負をさきとし、王法と申すは賞罰を本とせり。」
「又吾が一門の人々の中にも、信心もうすく日蓮が申す事を背き給はば蘇我が如くなるべし」
「又我が一門の中にも申しとをらせ給はざらん人々は、かへりて失あるべし。日蓮をうらみさせ給ふな」

これらの文が、浅井昭衛ら顕正会かが大好きだ、ということを、顕正会論破専門を自称するプチプリン氏がご存じないというのは、まことにおかしな話しに見えるのですがね。




■御書について2(御書の文の相違)

>ネット御書(御書全集)と平成新編御書の違いは「云く」→「云はく」、「並に」→「並びに」、「洲(くに)」→「国」
>文末と思しきところが「、」→「。」
>御書全集:  此に守屋と中臣臣勝海大連等の両臣と
>平成新編御書:此に守屋と中臣臣勝海大連等の両臣はくらいです(ワード文書でもらって、赤で書いてあったけど、見方を忘れたので今は推測です)


これは、句読点や微妙なふりがな、送り仮名の相違を言っておられるのだと思いますが、こういうのは編纂者によって相違があることぐらい、常識ですよ。

これは御書全集と平成新編御書全集だけの相違にとどまりません。
日蓮宗が編纂した「昭和定本日蓮聖人遺文」にもあります。

そもそも御書全集とか遺文全集というものは、日蓮真筆、古写本や録内御書、録外御書、本満寺録外、三宝寺録外、他受用御書といった昔の遺文全集みたいなものから編纂しています。
原文が古文で書いてある物もありますが、原文が漢文体で、これを読み下し文に訳して掲載している遺文(御書)もあります。
例えば、「立正安国論」「観心本尊抄」は日蓮真筆が残っていますが、原文は漢文になっています。「観心本尊抄」の場合、どのように古文に読み下すかについて、日蓮宗と日蓮正宗で対立している箇所があることは有名です。
これと似たような対立箇所は、「開目抄」にもあります。

日蓮の遺文(御書)というのは、そういう解釈の違い、読み下しの違い、対立点を踏まえて読むわけです。
それを、日蓮正宗の読み方だけを頭に入れて、これを金科玉条にして、他人に押しつけようとする人をカルト信者と言うわけです。


ネット御書の場合は、私もすでに
「誤字・脱字等がなければ、これでもいいんじゃないか」
と言っています。
あなたの質問を読んだ限りでは、単なる誤字・脱字の域のものであるような気もします。

ネット御書の場合は、誤字・脱字・脱文等々があっても、誰も責任をとらないでしょう。
間違いがあったとしても「掲載者が勝手にやっているんだ」でお終いでしょう。
あなたにとっては、タダで都合がいいのかも知れませんが、そういう欠陥がありますね。






■御書について3(十二因縁御書)

>まあ、顕正会は正宗や創価と違うんだなと。ついでの疑問で
>「顕正会の折伏理論書の最初に出てくるのが十二因縁御書というものですが御書全集にはありません。その御書はどこかの寺にあるようですが創価では採用していないようです。浅井はどっから持ってきたのだろうか」
>に対し「十二因縁御書は御書全集には、掲載在りません。これは、平成版には掲載されています」>との返事。創価は採用しないけど、顕正会は採用するんだ。


そもそも創価学会が使っている御書全集というものを、誤解していらっしゃるようですが、創価学会使用の御書全集は、創価学会が編纂したのではなく、1952年に日蓮正宗大石寺59世法主堀日亨が編纂したものを創価学会が発行したものです。
御書全集に収録する、しないの選択をして編纂したのは堀日亨で、創価学会は今でもそれをそのまま用いているだけです。

十二因縁御書についてですが、なぜ堀日亨が「御書全集」に収録しなかったか、ですが、おそらく偽書の疑いを持っていたからだと考えられます。
御書全集に収録するかしないかの判断は、真筆か偽書かの判断が大半です。
立正大学日蓮教学研究所編纂「昭和定本日蓮聖人遺文」でも、「十二因縁御書」は真偽が疑わしい遺文(御書)のジャンルに入っています。

しかし阿部日顕編纂の「平成新編御書全集」には、入っているわけですから、阿部日顕は十二因縁御書を真筆だとする見解なんでしょう。

真筆か偽筆かの見解については、同じ宗派の中でも見解が違っているケースが多多あります。








■御書について4(御書の題号)

>「折伏理論書初版は種種御振舞御書という名称が改訂版では下種本仏成道御書
>に変わっているらしいです。(内容は同じらしいのですが)」に対し
>「種種御振舞御書という名称が改訂版では下種本仏成道御書
>正宗、創価とも種種御振舞の名称が一般的です。
>種種御振舞と下種本仏成道、に関しては、公演日に注意してください。
>勝手に、名称変更しています。これは、確認が取れています」
>との返事でした。
>(公演日とは知人より入手した御書講義講義日の音声ファイル)


遺文(御書)の題号については、最近は日蓮正宗法華講でも、顕正会でも、創価学会でも、御書全集・平成新編御書全集・遺文(御書)全集にも載っていない、勝手な名前を付ける風潮が流行しているようです。

例えば、法華講や創価学会は、「聖人御難事」について、「出世の本懐抄」なる名前で呼んでいる者がいますし、こういうのは他にもあります。






>>21
>よってこの書き込みは、故意の当てつけと解釈させていただきます。
ちょっとそれは無いんじゃない?
読解不足でしょうが>>17はどちらとも取れる内容です。

アマテラス13さんの
>「本因妙抄」 「百六箇抄」「御義口伝」等を読んでみてください。
に対し、読めだけでは分からないからヒントを下さい、ちなみに御義口伝については
こんな感想です。
そして内容については、私が問いかけています。
こういったやり取りに、このトピックではしないよう言われたわけで。
一方的ですが、アンカーが打ってあればよかったのかも。

お互い様ですが、hideさんもとげのある言い方ですね。

>>20については説明不足でした。
大本の疑問が、顕正会浅井会長はどの御書を使っているのだろうからです。
創価が使っている御書全集ではないのはほぼ確定だと思います。
破門後の平成新編御書全集だと、あつかましい感じがします。
聞いた話では堀日亨編集でも、正宗版と創価版では違いがあると耳にしたことがあります。

となると「、」の打ち方や送り仮名で判別できるのじゃ、と思った次第です。
その御書を突き止めてどうする、という疑問もありますけど。

御書タイトルは、元の御書名をごまかしたい、独自性を出したい、会員に勉強させないよう
優位を保ちたいなど、何らかの意図があると思うのですが。
一時期、顕正会で御書全集を発行するとカウントダウン(もうすぐ発行とか)PRしていたのに
急に引っ込めたのはなぜだろう。
発行すれば必ず会員は買い利益が出るはずなのに(おそらく億単位の売り上げ)
>ちょっとそれは無いんじゃない?

それでは訂正させていただきます。

<17>は、アマテラス氏だけに言ったものではなく、プチプリン氏以外の参加者全員の方々に言ったものです。


■御書について5(顕正会・創価学会の使用御書)

>大本の疑問が、顕正会浅井会長はどの御書を使っているのだろうからです。
>創価が使っている御書全集ではないのはほぼ確定だと思います。
>破門後の平成新編御書全集だと、あつかましい感じがします。


阿部日顕が編纂した「平成新編御書全集」を使っているんでしょう。
先の「十二因縁御書」で、それが明らかじゃないですか。

これは創価学会にも言えています。
創価学会の一般会員は、堀日亨編纂の御書全集を使っているんでしょうが、創価学会経学部は、明らかに「平成新編御書全集」を使っています。

たとえば、創価学会教学部は「百六箇抄」の題号について

「具騰本種正法実義本迹勝劣正伝とも言います」

と言っています。「百六箇抄」を「具騰本種正法実義本迹勝劣正伝」と言ったのは、阿部日顕が「平成新編御書全集」で命名した言った名前です。堀日亨編纂の御書全集には、「百六箇抄」とあるだけです。

したがって、創価学会教学部は、阿部日顕編纂の平成新編御書全集を使っていることが明らかです。

私が、創価学会・顕正会を指して「今でも日蓮正宗と教学は全く同じ」「目くそ鼻くそ」と呼んでいるのは、こういう意味合いもあります。


>聞いた話では堀日亨編集でも、正宗版と創価版では違いがあると耳にしたことがあります。

創価学会が一般会員に買わせているのが、堀日亨編纂・創価学会発行の大石寺版・御書全集です。初版が1952年です。

その後、何度も創価学会は改訂版を発行していますし、編年体の堀日亨編纂・創価学会発行の大石寺版・御書全集も発行していますが、大石寺版・御書全集であることに、かわりはありません。
創価学会が発行した大石寺版・御書全集の改訂版でも、それは大石寺版・御書全集であって、創価学会版ではありません。





■御書について6(なぜ顕正会版御書全集を出さないのか1)

>一時期、顕正会で御書全集を発行するとカウントダウン(もうすぐ発行とか)PRしていたのに
>急に引っ込めたのはなぜだろう。
>発行すれば必ず会員は買い利益が出るはずなのに(おそらく億単位の売り上げ)


そんなことをしたら、日蓮正宗から著作権法違反で訴えられるか、ないしは訴えられないにしても、「日蓮正宗が発行した大石寺版・御書全集の模倣だ」という非難が浴びせられることが明らかだからですよ。

こういうことが、おわかりになっていらっしゃらないようなので、ちょっと解説する必要があるようです。

日蓮の遺文(御書)の編纂というのは、日蓮宗系において中世から編纂が行われてきています。
15世紀に編纂されたとされる録内御書、それ以降に編纂された録外御書、江戸時代に編纂された他受用御書、本国寺録内、本満寺録外などが有名です。
これらの遺文(御書)全集は、いずれも日蓮宗系のもので、日蓮正宗・大石寺でも、長らくこれらの遺文(御書)全集を使い、牧口常三郎会長時代の戦前の創価学会ですら、日蓮宗系の「霊良閣版日蓮聖人御遺文」を使っていました。

これに対して、戦後、戸田城聖が大石寺版の御書全集発行を熱望したこともあり、当時、伊豆の畑毛に隠居していた日蓮正宗大石寺59世法主堀日亨が中心になって編纂した「大石寺版・御書全集」が1952年に発行されたわけです。
これが、日蓮正宗・大石寺が編纂した最初の御書全集です。

この場合、日蓮正宗・大石寺は、日蓮宗・身延山久遠寺・立正大学といったところから著作権法違反で訴えられたり、日蓮宗の模倣だと非難されることはありません。

これはなぜかというと、日蓮宗と日蓮正宗では、真書・偽書の見解、あるいは「開目抄」「観心本尊抄」等の読み下しの見解等々において、大きな意見の食い違いがあります。

ですから「日蓮宗の遺文全集ではダメだから、大石寺版の御書全集を出したのだ」という大義名分が成り立つわけで、これだったら模倣ではありません。

しかも編纂者の堀日亨は、法主に登座する前、身延山久遠寺、池上本門寺、中山法華経寺等々の日本全国の日蓮宗系、北山本門寺、西山本門寺、保田妙本寺、小泉久遠寺、京都要法寺、讃岐本門寺、日向定善寺等々の富士門流等の寺院を行脚して日蓮真筆、古写本、さまざまな古文書を書写・研鑽・研究した人で、その集大成が「御書全集」であり「富士宗学全集」「富士宗学要集」であるわけです。
ですから、1952年に、はじめて大石寺版・御書全集が発刊された時、日蓮宗側から「模倣だ」という非難・異議は全く出ませんでした。


ところが顕正会の場合は、そうはいきません。





■御書について7(なぜ顕正会版御書全集を出さないのか2)


今の状態で、顕正会が顕正会版・御書全集を発刊したとしても、日蓮正宗から著作権法違反で訴えられるか、ないしは訴えられないにしても、「日蓮正宗が発行した大石寺版・御書全集の模倣だ」という非難が浴びせられることが確実です。

そんな事態になったら、浅井昭衛や顕正会の面目丸つぶれになり、顕正会内で会長の権威も失墜するする可能性が大であるということです。

なぜこうなるのかというと、日蓮正宗・大石寺と顕正会の間に、真書・偽書の見解の相違、「開目抄」「観心本尊抄」等をはじめとする読み下しの見解等々の相違は全くありません。

よって、顕正会が御書全集を発刊するとしても、日蓮正宗が発行した大石寺版・平成新編御書全集と全く同じものになります。
これじゃあ、完全な模倣であり、著作権法違反です。

句読点や語句の修正ぐらいでは、新しい御書発刊の大義名分にはなりませんし、これくらいでは著作権法違反は免れません。

団体名義で出版された本については、出版から50年、個人名義で出版された本については、著者の死去から50年まで、著作権が法律によって認められています。

「発行すれば必ず会員は買い利益が出るはずなのに(おそらく億単位の売り上げ)」
という魂胆で、顕正会が日蓮正宗が発行した大石寺版・御書全集の模倣である顕正会版・御書全集を発刊したら、日蓮正宗から損害賠償責任を問われるのみならず、顕正会の責任者は、著作権法違反の疑いで、刑事責任を追及される恐れすらあります。

だから、発刊しない、というより発刊できないんじゃないですか。






ありがとうございます。
質問する気力がなくなったので、しばらく休みます。
初めて質問させていただきます。<(_ _)>ペコ

日蓮が後世に残した御書は400を超える文献が有ると言うことを聞きますが、そのうち日蓮の真筆であると認められるものは100を少し超える位だという事も色々な物に書かれてると聞きました。

日蓮の教えは立正安国論に始まり立正安国論に終わると聞きます。
今回は日蓮宗系と日蓮正宗系(創価、顕正会等)においての立正安国論の考え方、位置づけ等を初心者にも判る様に解説いただけないでしょうか。

長男(顕正会)が立正安国論について教えられていることは詳しくは判りませんが、日蓮が予言した事(天変地異、外敵が攻めてくる、伝染病が蔓延する等々)が尽く言い当てていることを特に強調して話をします。

だから顕正会の教えは正しいのだと…
>日蓮が後世に残した御書は400を超える文献が有ると言うことを聞きますが、
>そのうち日蓮の真筆であると認められるものは100を少し超える位だという事も
>色々な物に書かれてると聞きました。

これは一体、誰の見解ですか。

「色々な物に書かれてる」と書いておられますが、この「色々な物」というのは、具体的に何ですか。

ここは教学講座ですから、抽象的な書き方をするのではなく、具体的に明示して下さい。

>日蓮宗系と日蓮正宗系(創価、顕正会等)においての立正安国論の考え方、位置づけ等
>を初心者にも判る様に解説いただけないでしょうか。


日蓮宗系と日蓮正宗系で、「立正安国論」についての考え方、位置付けにそんな大きな違いはないのではないでしょうか。

違いがあるとすれば、日蓮宗系・日蓮正宗系と一般世間・学者との間で、立正安国論に書いてある予言に対する認識について、違いがあるのではないでしょうか。

日蓮宗系・日蓮正宗系と一般世間・学者との間における見解の相違については、8月3日以降に、書きます。
しばらくお待ち下さい。

あまり教学について理解していないのですが、

>これは一体、誰の見解ですか。

日蓮の思想と鎌倉仏教 戸頃重基

http://home.att.ne.jp/blue/houmon/bunken/togoro00.htm

を参考にして自分なりに理解したつもりでいたのですが、間違い筋違いであると言われれば言い返すことはできません。

>違いがあるとすれば、日蓮宗系・日蓮正宗系と一般世間・学者との間で、立正安国論に書いてある予言に対する認識について、違いがあるのではないでしょうか。


教学に対して深い知識はありませんので、判り易い解説をしていただければうれしく思います。
お久しぶりです。
横から口出しで顰蹙を買いそうですが。

おそらくma^ko papaさんが知りたいのは、研究目的ではなく顕正会員の息子さん
が語る立正安国論に対する、他の視点から見た解釈では無いかと思います。
息子さんとの会話での取っ掛かりを必要としているのではと思います。

今の所深い部分までは必要としていなく、立正安国論の考え方、位置づけ等
アウトラインがから入ったほうが良いのでは無いかと思います。
勝手な推測かもしれませんが、教学の初歩的な質疑に近いのでは。
できうれば「こんな事も知らないのか」「これは常識だろ」といった回答は避けてほしいです。
知らないから聞いているのですから。

参考までに創価版御書では御書項目数が435あります。
正宗もほぼ同じくらいだと思われるし、御書全集として収録している以上教団としてはすべて
真筆としているはずです。

的外れなら申し訳ないです。
日蓮に限らず本人が書いた真筆の物であってもある程度真意は伝わって後世に伝わって行くでしょうが、それを解釈する人によって真意、想い等が伝わらないということもあると思うんですが…

そうでなければ、日蓮個人が伝えたいと思う事が、こんなに多数の解釈が出てきて、宗派が多数乱立するという事はどうなんでしょうか…?

このような思いで、日蓮宗系と日蓮正宗系(創価、顕正会等)においての立正安国論の考え方、位置づけ等について質問させていただいたのですが…

正宗系でも解釈の仕方で分裂しているという事は、立正安国論についても何か解釈の違いが有るのかということをお聞きしたかったのですが…






■立正安国論の見解の相違について1

「日蓮宗系と日蓮正宗系で、「立正安国論」についての考え方、位置付けにそんな大きな違いはないのではないでしょうか。」
「違いがあるとすれば、日蓮宗系・日蓮正宗系と一般世間・学者との間で、立正安国論に書いてある予言に対する認識について、違いがあるのではないでしょうか。」

マコパパ氏の質問に対して、このように回答しました。
この見解について、もう少し詳しく述べようと思います。

日蓮宗系も日蓮正宗系も、概ね、立正安国論については、日蓮が自界叛逆難(じかいほんぎゃくなん・内乱)・他国侵逼難(たこくしんぴつなん・外国からの侵略)を「予言」した宗教的な予言書としていることは、共通しています。
すでにご承知のように、日蓮の立正安国論の大意は
「この国が平穏でないのは、邪法(誤った仏教)を皆が信じているからだ。これまでも大地震・疫病・飢饉など仏典に説かれている三災七難のうち、自界叛逆難・他国侵逼難以外はすべて起こっている。このままでは、自界叛逆難・他国侵逼難が起こって国が滅びるぞ。念仏などはただちに止めて法華経に帰依せよ」
という内容の、北条時頼への建白書です。

日蓮を宗祖とする宗派は、この立正安国論について、日蓮が自界叛逆難・他国侵逼難を予言した書であるとの認識は共通していますし、日蓮正宗系は、日蓮を末法の本仏とする「日蓮本仏論」ですので、
「日蓮大聖人は、三世を通観される御本仏であらせられるから、自界叛逆難・他国侵逼難の二難を予言して的中した」
と言っています。顕正会などは、さらに尾ひれを付けて、立正安国論の予言があたかも終末思想のはじまりの予言書であるかのようなことを言っています。

私が「日蓮宗系と日蓮正宗系で、「立正安国論」についての考え方、位置付けにそんな大きな違いはない」と言っているのは、日蓮を宗祖とする宗派は、この立正安国論について、日蓮が自界叛逆難・他国侵逼難を予言した宗教的な予言書と位置付けていることについて、大差はないという意味です。

「違いがあるとすれば、日蓮宗系・日蓮正宗系と一般世間・学者との間で、立正安国論に書いてある予言に対する認識について、違いがある」という意味は、一般世間・学者は、日蓮を宗祖とする宗派が言う「宗教的な予言書」という位置づけについて、大きな疑問を投げかけていると言うことです。
私も、立正安国論を宗教的な予言書というには、大きな疑問を持っており、これについては学者の見解を支持する立場です。




■立正安国論の見解の相違について2(当時の時代背景)


一般世間・学者は、日蓮を宗祖とする宗派が言う「宗教的な予言書」という位置づけについて、大きな疑問を投げかけている、ということは、どういうことか。

これを考察する前に、当時の時代背景をよく勘案しなくてはなりません。

□1 日蓮が生きていた鎌倉時代はもちろんのこと、藩校や寺子屋が立ち並んだ江戸時代以前においては、庶民のほとんどは文字の読み書きができなかったこと。

国民の識字率が今のように99%になったのは学校制度が普及した現代の話しで、ちなみに慶応元年生まれの私の曾祖母は、文字が読めない人でした。

□2 鎌倉時代、文字の読み書きが出来たのは、京都の公家、鎌倉の武家、御家人、僧侶といった、教育を受けることができた知識階級のみだったこと。

□3 鎌倉時代の僧侶というのは、今のようにそれぞれの宗派で度牒・得度すれば僧侶になれたのではなく、朝廷公認の戒壇(東大寺をはじめとする日本三大戒壇・比叡山延暦寺・東寺)で度牒・受戒した者のみが僧侶として認められたこと。

□4 当時の僧侶は、「八宗兼学」と言って、一人前の僧侶になる以前、つまり今で言う所化僧のときは、東大寺、比叡山延暦寺、法隆寺、唐招提寺、園城寺、東寺といった京都・奈良の戒壇・大寺院に登って修学・修行していたこと。こういったことから、僧侶というのは、宗派を超えて交流があったこと。
日蓮も所化時代には、比叡山延暦寺をはじめ、薬師寺、泉涌寺、仁和寺、園城寺、高野山、天王寺に遊学・修行していたことは有名です。

□5 平安時代から鎌倉時代にかけて、日本から中国(宋)にどんどん渡って中国の仏教寺院で遊学・修行し、日本に帰国して大寺院を創建する僧侶がけっこういたこと。
栄西・俊芿、道元、浄業、弁円といった僧侶が日本から中国(宋)に行って修行し、日本に帰国して寺院を建てています。栄西、道元は寺院を建立するどころか、日本で一宗一派を建てています。
又、中国(宋)の僧侶である蘭渓道隆が日本に渡来して、日本に寺院を建てていますし、1216年、源実朝が渡宋を計画して船を造らせた陳和卿も、中国(宋)からの渡来人です。
つまりこういう人たちによって、中国大陸の政治情勢・軍事情勢が日本にもたらされていたということ。

もちろん、鎌倉時代は、テレビ、ラジオ、新聞、雑誌、インターネットがない時代ですし、一般庶民もほとんどが文字の読み書きができなかったわけですから、一般庶民は政治・軍事・経済・社会情勢についての知識は皆無だったでしょうけども、しかし当時の日本の公家・武家・僧侶といった知識階級に限って言うと、中国大陸の政治情勢について、知悉していた人がけっこういたということです。


こういった時代背景を押さえておくことが、肝要かと思います。



■立正安国論の見解の相違について3(自界叛逆難予言の検証)


そういう時代背景を踏まえて、日蓮の立正安国論における自界叛逆難(内乱)・他国侵逼難(外国からの侵略)の予言が、末法の本仏・上行菩薩でしか為し得ない、特別な「宗教的予言」だったかどうかを検証する必要があろうと思います。
ではまず、自界叛逆難予言の検証から。

これについては、鎌倉時代の政治情勢を知悉した、当時の知識階級の人であれば、内乱の予言ぐらいはできたのではないかと思われる、ということです。

これはどういうことかというと、1199年の源頼朝の死後、内紛・内乱の連続の歴史だったわけです。
主立ったものだけでも、時系列的に並べると、こんなにあります。

1200年、梶原景時の乱、梶原景時・景季一族の滅亡
1201年、城長茂、京都で反幕府の謀叛を起こし、吉野で討伐される。
1203年、源頼家、頼朝の弟・阿野全成を常陸に流罪して誅殺する。
比企能員の乱、比企能員一族が北条・三浦・和田の幕府軍に討伐されて滅亡。
源頼家が将軍職を廃されて伊豆・修善寺に幽閉される。
1204年、源頼家、伊豆・修善寺にて暗殺される
1205年、執権・北条時政の軍、畠山重忠を討伐する
北条時政・妻の牧氏が将軍・源実朝廃立を謀って失敗し、伊豆に引退。北条義時が執権になる。
北条時政・妻の牧氏が将軍に立てようと謀った甲斐源氏の嫡流・平賀朝雅が京都で誅殺される。
1213年、和田義盛の乱、和田の合戦で幕府の重臣・和田義盛一族が滅亡
1219年、将軍・源実朝が公暁に暗殺される。その公暁も幕府に誅殺される。
1220年、源頼家の子、禅暁が京都で誅殺される
1221年、承久の乱 後鳥羽、順徳、土御門の三上皇が流罪になる
1224年、伊賀氏の乱 北条義時の後妻・伊賀氏が将軍を廃して一条実雅を将軍に立てようとして失敗し、流罪になる。
1246年、名越光時の乱、名越光時が前将軍・九条頼経と執権北条時頼を除こうと謀って失敗し、伊豆に流罪となる。
1247年、三浦泰村の乱、宝治の合戦で執権・北条時頼軍が三浦泰村一族を滅亡させる。

日蓮の立宗宣言が1253年ですから、源頼朝の死後から日蓮の立宗宣言までの54年間の間に、こんなに内乱・内紛が起こっているわけです。
であるならば、こういう歴史を知悉している知識階級の人であれば
「またそのうち内乱が起きるぞ」
ぐらいの予測は、わりと簡単にできたと考えられるわけです。





■立正安国論の見解の相違について4(他国侵逼難予言の検証1)


それでは日蓮の他国侵逼難(外国からの侵略)の予言はどうでしょうか。

日蓮が予言したとされる他国侵逼難とは、モンゴル・チンギスハーンがはじめた領土拡張・侵略戦争のことですが、これは何も日蓮が立正安国論を執筆してからのちに、チンギスハーンが領土拡張戦争をはじめたのではなく、日蓮が生まれる年(1222年)よりはるか前から、テムジン(のちのチンギスハーン)の領土拡張戦争ははじまっていたのです。
これを時系列に書き出してみます。

1203年、テムジンがケレイト部を征服
1205年、テムジンが西夏に侵入
1206年、テムジンが即位して、チンギスハーンと称する
1207年、チンギスハーン、中国西北部の西夏に侵入
1209年、モンゴルがウイグルを服属させる
1211年、モンゴルが、中国・満州地方の王朝「金」へ侵入
1213年、モンゴルが金を打ち破る
1214年、モンゴルが再び金に侵入
1215年、モンゴルが金の首都・燕京(今の北京)を占領
1218年、モンゴルがトルキスタン地方の王朝・西遼を滅亡させる。
1219年、モンゴル・チンギスハーンが西征
1220年、モンゴルが中央アジア西部のホラズムを滅亡させる
1221年、モンゴルが、今のネパール地方のパタン王国に侵入
1223年、モンゴルが東ヨーロッパにまで進出してロシア諸侯を撃破する
1224年、モンゴルが中央アジアに、オゴタイ汗国を成立させる
1227年、モンゴルが中国西北部の西夏を滅亡させる。チャガタイ汗国を成立させる
1230年、モンゴルが金に再び侵入
1231年、モンゴルが朝鮮半島の王朝・高麗に侵入(第1次高麗侵入)
1234年、モンゴルが中国・満州地方の王朝「金」を滅亡させる
1235年、モンゴルがカラコルムを首都に定める
1236年、モンゴルが再び西征
1237年、モンゴルがモスクワを占領
1240年、モンゴルがキエフを占領
1241年、ワールシュタットの戦い、モンゴルがドイツ・ポーランド連合軍を撃破
1243年、モンゴルが東ヨーロッパにキプチャク汗国を成立させる
1247年、モンゴルが再び高麗に侵入(第2次高麗侵入)
1252年、モンゴルが中国南部・雲南に遠征
1252年、モンゴルが再び中央アジアに遠征
1257年、モンゴルがベトナムに侵入
1258年、モンゴルが中東の王朝・アッパス朝を滅亡させ、イル汗国を成立させる
1259年、高麗の崔氏政権は打倒され、高麗がモンゴルの属国になる。

日蓮の立正安国論上奏は1260年ですから、この年までに中国華南地方に逃げていた南宋を除き、モンゴルから満州・朝鮮半島・華北・華中・ウイグル・チベット・ネパール・雲南・中央アジア・中東・東ヨーロッパに至るまで、すでにモンゴル帝国の支配下になっていたわけです。




■立正安国論の見解の相違について5(他国侵逼難予言の検証2)


日蓮が立正安国論を上奏した1260年には、中国華南地方に逃げていた南宋を除き、モンゴルから満州・朝鮮半島・華北・華中・ウイグル・チベット・ネパール・雲南・中央アジア・中東・東ヨーロッパに至るまで、すでにモンゴル帝国の支配下になっていたこと。
しかも前年の1259年には、朝鮮半島の高麗がモンゴルの属国に下っているわけです。
よって当時の情勢からしたら、南宋の滅亡は時間の問題で、日本にもモンゴルから降伏を勧告する国書がいつ来てもおかしくない情勢だったわけです。

前にも書きましたが、こういう国際情勢は、中国大陸からの渡来人や、日本から中国大陸にわたって帰国した僧侶、あるいは中国大陸と交易していた商人によって、情報が知識階級にもたらされていました。
つまり日蓮は、こういう中国大陸・朝鮮半島の情勢を知っていたであろうし、鎌倉幕府の北条時頼とて、知っていたであろうことは、まず間違いないと思われます。

つまり北条時頼もこういう情勢を知っていたからこそ、日蓮の立正安国論を黙殺し、何の沙汰もしなかった。
あの当時、権力者のところに、「これこそが゜正しい」という触れ込みの建白書を届けたら、どういうことになるか。つまり立正安国論を目にした時点で、北条時頼は「世迷い事を言いふらす坊主め」と日蓮を処罰することが出来た。江戸時代においてすら林子平の「海国兵談」や渡辺崋山の「慎機論」が、「お上の御政道を批判している」と処罰された。
しかし北条時頼は黙殺した。少なくとも日蓮の学識が並々ならぬものであったと北条時頼は見ていたであろうし、そのような学僧を政治的に弾圧すると、当時の政治情勢からして、本当に蒙古が襲来した時に、幕府の権威に関わってくる。よって黙殺したということでしょう。

よって立正安国論に書いてある
「このままでは、自界叛逆難・他国侵逼難が起こって国が滅びるぞ。念仏などはただちに止めて法華経に帰依せよ」
ということは、何も末法の本仏や終末思想の予言者でなくても、当時の知識階級であれば、これくらいの「蒙古襲来」の予測は可能だったと考えられるわけです。
もちろん、日蓮は法華経を弘通する僧侶であったわけですから、そこのところを法華経に結びつけて書いているわけですが、だからと言って、日蓮の他国侵逼難の予言が、日蓮正宗系が言うような宗教的な予言とは言えないと考えます。




■立正安国論の見解の相違について6(日蓮の予言の半分ははずれた)


日蓮の他国侵逼難予言を検証するにあたって、もうひとつ大きなポイントがあります。

日蓮は、「法華経が唯一正しい教えであるから、他の経典・教えは捨てよ。さもなくば外国が攻めてきて、日本国は滅亡するぞ」と「予言」したわけですが、日蓮が言った「外国が攻めてくるぞ」は当たったのですが、「日本国は滅亡するぞ」ははずれたということです。

日蓮が再三折伏したにもかかわらず、幕府は法華経に帰依しなかった。ならば日蓮の予言によれば、元によって日本は滅亡されてしまうか、壊滅的な打撃を受けなくてはならないのに、現実には、二度とも元の大軍は暴風雨にあって敗退した。幕府が法華経に帰依しなかったのに、「神風」が吹いたと言うことは矛盾である。
日蓮の予言が正しいなら、法華経に帰依しない日本に「神風」は吹いてはならないはずだ。

二度目の蒙古襲来は1281(弘安4)年夏のことだったが、いわゆる「神風」が吹いて蒙古軍が北九州の海で全滅したとき、それを日蓮に伝えてきた弟子の手紙に対して、日蓮はこんなことを書いています。

「是偏に日蓮を失はんとして無かろう事を造り出ださん事兼ねて知れり」
(富城入道殿御返事『御書全集』p1571)
----そんなはずはない。この日蓮を陥れるためのデマであることは見抜いている---

しかしこれが事実であることを知った日蓮は、さすがに気を落としたのか、その年の冬になって重い病気にかかった。

もし顕正会をはじめとする日蓮正宗系が言うように、日蓮が末法の本仏で、三世を通観した上での予言だったら、予言の半分がはずれるはずがありませんし、「神風」が吹いて蒙古軍が北九州の海で全滅したことを伝えてきた弟子の手紙に対して日蓮が
「是偏に日蓮を失はんとして無かろう事を造り出ださん事兼ねて知れり」
などと言うはずがありません。

つまり日蓮の立正安国論の「予言」は、三世を通観した末法の本仏の「予言」などではなく、知識階級が普通に口にする「予言」か「警鐘」の類の者だったということです。







噛み砕いた丁寧な解説、ありがとうございます。

御書に書かれている物や、現代語訳の物ではなかなかここまで分かり易く理解することは難しかったと思います。

時代背景、それぞれの要所になるポイントを解説していただき、自分なりに立正安国論を消化できそうに思います。


誠に勝手な質問だったかもしれませんでしたが、ありがとうございました。

                              <(_ _)>ペコ

こんばんわ、お久しぶりです。<(_ _)>ペコ 
今回は、“兄弟抄”についての解釈&解説をお願いしたいと思い書き込みさせていただきました。
>マコパパさん

具体的に、どういうことでしょうか。

兄弟抄の背景とかですか?遺文(御書)の文の解説ということですか??

おはようございます。

顕正会はよく“兄弟抄”の事について、親兄弟が反対する事を良しとする様な事(実際長男も言った記憶があります)を言いっている聞きますが、日蓮宗の僧侶の方は、親兄弟が反対しても最後は認めてくれる事になると言ってられたように覚えていますが、実際、御書でこの“兄弟抄”についての解釈はどのように成っているのかを解説して頂ければと思っています。

説明足らずですみませんでした。
兄弟抄について1(大意と当時の状況)


兄弟抄のおおよその大意と、当時の池上親子・兄弟の状況を述べたほうが、わかりやすいのではないかと思います。

兄弟抄という遺文(御書)は、日蓮が建治2年(1276)4月に池上宗仲・池上宗長の兄弟に授与した遺文(御書)。日蓮真筆は、今も日蓮宗大本山・池上本門寺に格蔵されています。
池上宗仲とは、鎌倉時代の武士で、日蓮の有力檀越。官位は日蓮の書状によると右衛門大夫。
父は鎌倉幕府の作事奉行だった池上左衛門大夫。
父の左衛門大夫は真言律宗の忍性(極楽寺良観)の熱心な信者だったため、日蓮の信徒となった池上宗仲は、建治2年(1276年)・同3年(1277年)の二度にわたり父から勘当された。
兄弟抄という遺文(御書)は、池上宗仲のこういった苦境の最中、日蓮が池上兄弟を励まさんとして執筆したものとされています。
こういった日蓮の慰留・励まし等々もあって池上兄弟は日蓮宗への信仰を守り、最終的に池上宗仲は、弘安元年(1278年)に勘当が解かれ、そののち父・左衛門大夫も日蓮に帰依・入信しているというわけです。

池上兄弟の生没年は不明で、父・池上左衛門大夫の生没年も不明です。
池上左衛門大夫がいつ日蓮に帰依したのかは、はっきりしませんが、日蓮遷化記録によると、日蓮葬送の儀が行われた弘安5年(1282)10月には、池上宗仲が父の跡を継いで地頭になっていることから、弘安元年(1278年)以降、弘安5年(1282)10月の日蓮死去以前のことと考えられます。

よって兄弟抄が、池上宗仲の苦境の最中に、日蓮が執筆した遺文(御書)であること。
日蓮が池上宗仲を激励した文の中に

「此の法門を申すには必ず魔、出来(しゅったい)すべし。魔、競はずば正法と知るべからず。第五の巻に云く『行解既に勤めぬれば三障四魔(さんしょうしま)紛然として競ひ起こる、乃至随ふべからず畏るべからず。之に随へば将に人をして悪道に向かはしむ。之を畏れば正法を修することを妨ぐ』等云々。此の釈は日蓮が身に当たるのみならず、門家の明鏡なり。謹んで習ひ伝へて未来の資糧とせよ」(御書全集p968)
----この仏法を修行していけば、必ず魔が出てくる。魔が出てこないならば、正法ではない。天台大師の摩訶止観には「この仏法を修行していけば、必ず三障四魔が出てくる。これに随ってはならない。畏れてはならない。三障四魔に随ったら、地獄・餓鬼・畜生の三悪道に堕ち、正法修行の妨げになる」等云々。この天台大師の釈は、日蓮自身の当てはまるのみならず、日蓮門家の明鏡であり、未来の資糧とせよ---

という文があります。
つまり、池上宗仲が父に勘当されたりして苦境に陥っているのは、三障四魔、魔の仕業だから、これに負けてはならない、というような主旨で日蓮が書いているわけです。

日蓮正宗、創価学会、顕正会あたりでは、この日蓮の文を超拡大解釈・こじつけ解釈して、日蓮正宗、創価学会、顕正会の信仰を批判する人を「魔」「三障四魔」などと決めつけてくるわけです。
私なんか、その「魔」「三障四魔」の化身?になっちゃうわけです。(笑)

全くのお笑いぐさな日蓮正宗系の教学です。(笑)




こんばんは。いつもありがとうございます。

顕正会が主張している事は、裏付け(文献)があっての事ではなかったのですね。
只自分達に都合の良いよに解釈しているだけなんですね。
>顕正会が主張している事は、裏付け(文献)があっての事ではなかったのですね。
>只自分達に都合の良いよに解釈しているだけなんですね。

おっしゃる意味が、いまひとつよくわからないのですが。

「顕正会が主張している事」というのは、具体的に、どういう内容のことを指して、言っておられるのでしょうか。

おはようございます。

顕正会が主張している事なのか、長男がそのように理解したのかは分かりませんが、まえに顕正会(を広める)という正しい事をしているので、親や家族からの邪魔、妨害があればあるほどより正しいことをしているのだといっていたように記憶をしています。
>“最終的に池上宗仲は、弘安元年(1278年)に勘当が解かれ、そののち父・左衛門大夫も日蓮に帰依・入信しているというわけです。”
と言うような事まで言って無かったと思います。
■兄弟抄について2(兄弟抄の内容の解釈)

>まえに顕正会(を広める)という正しい事をしているので、親や家族からの邪魔、妨害があれば
>あるほどより正しいことをしているのだといっていた


こういうのは、顕正会のみならず、日蓮正宗、創価学会も含めた日蓮正宗系は、みな同じことを言っていますね。
つまり、池上兄弟は、日蓮の信者だったが、実の父親から反対されて勘当されたことを以て、世間から反対されている日蓮正宗、創価学会、顕正会は正しいのだ、などという、彼らのこじつけ解釈ですね。
なんでもかんでも、自分たちの都合のいいように、こじつけようとする日蓮正宗系の欺瞞体質の典型的な例と言えましょう。

日蓮正宗、創価学会、顕正会は、強引・執拗な折伏・入信勧誘、閉鎖的・独善的な体質、世間の常軌を逸脱した非常識極まりない金集め、人権侵害極まりない脅迫的堕地獄論・罰論をふりかざしているが故に批判されているのであって、正しいことをしているが故に批判されているのではありません。
日蓮正宗、創価学会、顕正会は、世間から批判されるべき理由・事由があって批判されているのです。

鎌倉時代の池上兄弟のケースは、もともと父・池上左衛門大夫が真言律宗を信仰しており、池上兄弟が、真言律宗の鎌倉・極楽寺の忍性(極楽寺良観)と極端な対立関係にあった日蓮に帰依したわけですから、父親が反対するのは当然でしょう。

>“最終的に池上宗仲は、弘安元年(1278年)に勘当が解かれ、そののち父・左衛門大夫も日蓮に帰依・入信しているというわけです。”
>と言うような事まで言って無かったと思います。

池上兄弟の父・左衛門大夫が日蓮に帰依したという説は、日蓮正宗、創価学会、顕正会の出版物に載っているのではなく、日蓮宗大本山・池上本門寺発刊「霊寶殿」p4の記述や、インターネット・フリー百科事典・Wikipedia「池上宗仲」の記述に依ったものです。
「池上宗仲」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%A0%E4%B8%8A%E5%AE%97%E4%BB%B2




おはようございます。

>“最終的に池上宗仲は、弘安元年(1278年)に勘当が解かれ、そののち父・左衛門大夫も日蓮に帰依・入信しているというわけです。”
という事を長男(顕正会)が言ったという事は記憶には無く、日蓮宗の住職の方から、親兄弟が反対しても最後は認めてくれる事になるという説明をしていただいた記憶があります。

hideサンが言うように顕正会を含め日蓮正宗系の団体は自分達に都合の良い解釈をしているのだとつくづく思いました。

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