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新しき村コミュの新しき村に就いての対話 1918年

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第一の対話

A 先生。
先生 Aか。暫くだね。
A 先生は相変らず御元気で結構ですね。
先生 ああ、まあ元気にしているよ。
A 此頃は何か書いていらっしゃいますか。
先生 別に何も書いていない。此頃はいろいろのことが解らなくなっ
ている。以前はあることに疑問を挟めばそれでよかった。解決は他
人に任せて安心していられた。或はとても解決の得られないことを、
疑問なら疑問なりに饒舌れぱ、それで他人に反省をうながすことが
出来るので、それで安心していた。それで満足しないまでも、それ
で自分の義務を幾分か果したことになった。しかし此頃は、それに
自分である所まで答を与えたくなった。それで自分はぼんやりいろ
いろのことを考えている。が、それがもっと形の出来る迄、何にも
書きたくない。それで黙っている。
A どんなことをぼんやり考えていらっしゃるのですか。
先生 いろいろの事だ。しかし一言で云えぱ、この世がどうなれぱ一
番合理的であるか、そして世の中がそうなるにはどうしたらいいか
と云うことを考えている。しかし自分は実際家ではない。ただ考え
ているだけだ。先ず僕は一つの家を建てる設計家だ。大工ではない。
自分はある理想的な家の計画だけを、生きている間にはっきり作っ
て置きたく思っている。
A お出来になる積りですか。
先生 少し夢のような話だが、出来ないものとは思えない。
A その夢のような話を聞かして戴くわけにはゆきませんか。
先生 聞いて呉れればしてもいい。然し余りに虫のいい空想と思うだ
ろう。ともかく其処の石に腰かけよう。そして俺が沈黙している内
に本当に進歩したか、退歩したか聞いて貰おう。僕はこう云うこと
を考えている。と云って僕の云うことは甚だ平凡なことだからその
心算でいてほしい。僕はこの世の中に食う為に働く人が一人でもい
れぱ、それはこの世の中のまだ完全でない証拠と思っている。額に
汗して汝の糧をつくるべしと云う時代は既に過ぎ去っているべき筈
なのだと思っている。
A 先生は相変らず楽天家ですね。
先生 僕は現世について云っているのでない。現世は汝の糧の為には
汝の一生を売るべしと云い兼ねない。現在そう云う境遇の入は幾ら
でもいる。しかしそれは社会の制度がまだ成長し切っていないから
だ。自分は労働を呪いはしない。しかし食うためにいやいやしなけ
れぱならない労働は呪いたい。労働は人間が人間らしく生きるのに
必要なものとしてなら讃美する。その労働は男は男らしく、女は女
らしくする労働で、人間を人間らしくする労働でなければならない。
労働という名は新しい時代に於ては、中世における武士と云う名と
同じく誇りある名でなけれぱならない。人々は強いられずに、名誉
の為に、人類の為に労働をすると云う時代が来なけれぱならない。
労働は享楽ではない、しかし人間としての誇りある務めだ。労働の
価値は高まる。そして人々は喜びと人間の誇りをもって労働する。
そう云う時代が来ることを自分は望んでいる。
A 先生は相変らず空想家ですね。
先生 相変らず空想家だ。しかしそう云う時代が来ることは君も認め
るだろう。僕は社会主義を恐れるものは、今の労働者から労働を奪
い、その代りに食を与えるにあると思う。我々は農夫と労働者のお
かげで生きている。そして我々の分まで労苦している。そしてその
為に我々は労働の方には無資格になっている。我々の労働者に対す
る恐怖は、我々が彼等のように労働することが出来ないと云う点に
ある。彼等の貧しきを利用して彼等に不当のことをしている点にあ
る。国家の為に社会主義や共産主義が害があるかどうかは別にする。
又人類の進歩に向ってそれ等のものが害があるかないかは別にする。
しかし兎も角我々が労働者になれないと云うことは我々の弱味であ
る。僕はその点、労働者には頭が上らない。彼等は僕達の出来ない
ことをしている。子供の時からの教育が違う。人類に必要欠くべか
らざる労働に対して、自分達は何等の負担を持たないでいいように
教育されている。それは人類に対してもすまないことであり、又気
のひけることである。自分は分業と云うことは認める。一個人がど
の労働も出来なけれぱならないと云うことはない。しかし何か人類
が生きる為に必要な労働の分け前を幾分か分担してないことは弱味
だ。それは今の社会の弱味で、この弱味をなくして真の意味の万民
平等に人々を教育するのが、今後の為政者の、又教育家の務である。
労働は少なくも一家族の問題ではない、一町村の問題だ。社会の問
題だ。食うと云うことに於ては各人共通だ。だから食う為には各人
共に働くのが至当でもあり、好都合でもある。そして各人協力して
労力の負担を少なくし結果を多くする為に頭も身体も資本もつかう
べきである。こんなことは自分が云う迄もないことだが、合理的の
社会をつくる第一条件として必要だから述べる。しかしこう云う制
度が実行される為には、各人が賢くなり、そして共同の精神が発達
する必要がある。教育の方針から段々そう云う風にかえてゆかなけ
れぱならない。そして制裁が行きわたると同時に出来るだけ思いや
りがゆきわたらなければならない。そして動きのとれない法律でで
はなく、不文律で皆勇んでするのでなければならない。そして健康
を尊重し、出来るだけ各自の才能を生かし、出来るだけ喜びを以っ
て労働するように骨折らなけれぱならない。
A 先生からそう云うお話は一度伺ったように思います。
先生 もう何度も云うたかも知れない。しかしそう云う社会が出来る
迄は社会上の不穏な空気は失われない。そして若しこう云う議論に
反対する人があれば、それは平等と云うことを本当には知らない人
だ。僕の考えが社会主義に似ているかいないかそれは知らない。僕
はこの主義のことはまるで知らない。しかし兎も角自分の云ったこ
とは当り前すぎる程、当り前のことで、もし人間の幸福、進歩、健
全を望むなら、以上自分の云ったことは承知しなければならない。
こまかいいろいろの面倒はあるが、一日でも早くこの事を実行する
ことは戦争をすることよりも有益なことである。
A しかし先生、自分達の労働することを考えると考えものですよ。
先生 君はまだいいさ、身体がいいから。しかし僕なんか、下手に労
働を強いられたら寿命が縮まるし、自分の本職をする根気がなくな
るだろう。しかし、それだけにある強迫観念を受けて、なお今の労
働の分配の不公平を思う。そして労働するのに不適当な人間をつく
る今の教育の過失を知る。今、労働と云う言葉から受ける感じと、
今後の世界で労働と云う言葉のもつ内容とは、随分違うにちがいな
い。我々は健全に人間らしい生活をする為に労働が必要であると今
云う人があっても、自分はそれを認めるわけにはゆかない。自分は
労働者を尊敬したい気さえしている、そして労働者は過度に労働を
しているにかかわらず、わりに愉快に暮していると云うことを認め
るにしろ、今の労働者の労働を正しい、そして健全なものとは思え
ない。
A 先生、そんなことは判り切っています。
先生 それは判り切っている。しかし自分の云おうと思うことをはっ
きりする為には、もう少しこの点をはっきりさしておきたい。自分
の云いたいことは労働問題のことではない。人間が労働しない時間
にはどう生きなければならないかと云う問題だ。自分は人間として
の本性の要求に従って、我々が最も人間らしい生活をするには、ど
うしたらいいかを考えたい。僕はすべての人が労働しなければなら
ないと云うのは、すべての人が労働する以上の生活をしなければな
らないと思うからだ。人はパンのみで生きることは出来ないと云う
ことを知る自分は、パンのみでやっと生きる人がこの世にいること
を認めて済ましているわけにはゆかない。労働にもいろいろある。
我々が生きる為に必要欠くべからざる労働と、そう必要のない労働
とある。この必要欠くべからざる労働を一部の人に分担させて他の
人々が呑気にしているのは、今の世ではやむを得ないことにしろ、
正しいことではない。自分は便宜上、日本と云う言葉を借りて饒舌
るとする。日本人はすべて日本人であって、同胞である。我々は今
日の日本に必要な労働を日本人全体で引受けるとする。そして体格
や、土地の関係や、その人の趣味によって労働の範囲をきめ、そし
てなるべく器械を応用し、なるべく労働を健康にそして楽にするよ
うに骨折り、利慾や生活難の伴わない労働をするようにしたら、今
のある人々が苦しめられている労働とはまるで違う程、労働は苦し
くなくなっていい筈と思っている。このことは、判り切ったことで
ある。そして既に誰もが心の底では感じていることである。自分は
こんなことを今更云うのも恥かしい気がする。それで今仮りにこの
問題を卒業したことにする。今や人々は人間の義務として一定の労
働を進んですることになる。それは少なくも兵士になることの如く、
名誉なことになる。工場は共有のものとなり、人々は其処で食う心
配なく働く。男は男らしく。女は女らしく。そして最もよく働くも
のには最も早き自由が来る。 一生の間に一人の人の働く義務量は定
められて、其他は自由気儘に自分のしたいことが出来る。其処に初
めて自由があり、競争があってもいい。しかしともかく国民全体が
健康を損ねないだけの衣食住は得られる。
A 労働の出来ない人はどうするのですか。
先生 それは身体の弱い人が徴兵にとられないように、どんな労働を
すら出来ない身体の人は労働しないでもいい。又図抜けて一方に才
能をもつ人も、労働しないでも、なおその人の才能を研くことが、
社会にとって有益な場合は労働をしないでもいい許可を貰うことも
出来る。医者と薬は病人にとってはただである。少なくも人間が人
間らしく健全に生きる為に必要なものはすべてただでなけれぱなら
ない。それ等のものをただで要求する権利を有するだけの義務は、
各人が働くことによって払っているわけだ。そして不幸なる隣人の
ためにも、皆が働いたわけなのだ。だからただで不思議はない。そ
う云う世界に於て第一に必要なのは教育だ。十七八迄は教育される。
そしてそのうちに頭のいい人と悪い人の区別はつけられる。あまり
頭のよくない人は他の仕事を選ばなければならない。又その間にあ
る才能の芽を出した人は、その才能が人間にとって必要なものなら
ば、その人の意志でその才能を発揮する道につくことが出来る。人
によって学問の好きな人と嫌いな人がある。学問は好きな人だけす
れば沢山だ。そして学問をするのは勿論ただである。しかしある専
門の高級な学問をすることを許される人は少数の人だけで、その他
の人は他にしなければならない事をした余暇に勉強するのはいいが、
勉強ばかりする人間になれる為にはある資格が必要だ。文芸もその
方に図抜けた才をもつことを示す迄は社会の人間としてするだけの
ことをした余暇でやる。なるべく必要な労働は少なくし、有志や自
由意志の労働を多くするように努め、義務年限を短くして自由の時
を多くするように計るのは云う迄もない。全国の人間は同じ教育を
受け、その進歩の工合によって、人才を適所につかい、各人をして
天与の宝を何処までも発揮させるようにする。そうすれば人力の浪
費が段々少なくなり、皆が天職を果す機会が与えられる。自分はそ
う云う時代に向っての用意を余り怠ると、革命と云うものが必然に
起ると思う。革命を恐れるものは、人間をして益々人間らしく生き
られるようにするより仕方がない。そして各人が人力を尽して天命
を待つことが出来るようにすることが政治家の理想でなけれぱなら
ない。
A 先生はそう云う時が本当に、来ると思っておいでですか。
先生 本当に来ると思っている。少なくもそう云う時代が来なけれぱ
ならないと思っている。そう云う時代が来たらそれで人生の問題が
解決されると云うのではない。しかしそう云う時代が来ない間は、
人間は良心に責められない生活は出来ないのは確かだ。富めるもの
も貧しきものも今の時代では人類に対する正しい義務を果すことが
出来ずにいる。どうしたら果せるかを知らずにいる。各個人が正し
き位置にいないので、自己の位置の不正を知らない。よし気がつい
てもどうすることも出来ない。だから気がつかないふりをするより
仕方がない。不公平と不正は当然のもののような顔をしている。人
は金の奴隷になるより仕方がない。そして金のあるものは金がある
為に不正なことをし、金のないものは金がない為に不正なことをす
る。今の世で正しき生活をしようと少しでも考えたものは、その不
可能なことを本当に感じるであろう。釈迦や耶蘇の生活を一番正し
いものとは自分達には思えなくなっている。僕達はもう少し現在を
信用することが出来る。エゴイストを肯定することが出来る。所謂
第三帝国の住民になり得る資格を持っていることを自覚しかけてい
る。これは物慾に目が眩んで、少しでも快楽を盗み食いしたいと云
う根性から許りで云うのではない。もっと根本的に人間を作ったも
のを讃美したい心から出ている。人類すべてが、他人を人間らしく
生活させることによって、自己が人間らしき生活が出来、自己を人
間らしく生活させることによって、他人を人間らしく生活させるこ
とが出来ると云う確信は、今度の戦争によっても猶はっきりしたろ
うと思う。自分はこう云うことを云い切るのは恐ろしくはあるが、
自分の本音を吐くと、どうも今の所そう云うより仕方がない。そし
てこのことを人間を作ったものに感謝する。人間は間違った道を歩
くことによって平和は得られない。正しき道に帰るまでは血腥い事
件は続いて起こる。人間は今のままで平和を楽しむことは出来ない。
それは坂に玉を転がして止るのを待っているようなものだ。又少数
の人間が自己の幸福を多数の人間の不幸の上に築いていて、天下泰
平を楽しむことは出来ない。すべてが人為的には平等にならなけれ
ばならない。それはすべての人が今の労働者になることを意味して
いない。又すべての人が今の紳士になることも意味していない。す
べての人が入間であることを意味する。健全な、独立した、人類に
対する義務は果すが、同等に自已を何処までも生かす人間であるこ
とを意味する。カイザルのものはカイザルに返せ、しかし神のもの
は神に返せと云う言葉がある。人類のものは人類に返せ、国家のも
のは国家に返せ、しかし個人のものは個人に返せ。そしてそれがお
互に調和することが出来る時代こそ、我等の憧れている時代で、そ
れにすべての人が一定の労働の義務を果すことによって、すべての
人が衣食住の心配から超越することが出来る時代でなければならな
い。健全なる生活に必要なる衣食住、それを国民に与えることが出
来ない国家は、泰平を喜ぶことが出来ない。そしてそう云う時代が
来ても、その上の自由を楽しむことはその人の働きによって自由な
のだ。かくてこそ、すべての人を同胞と安心して云うことが出来る
のだ。
A 先生は相変らず空想家ですね。
先生 いや、空想家ではない。僕の云うことは現在実現出来ないこと
にしろ、そう遠くない未来において実現出来る。自分はそれを信じ
ている。それは自分の信仰だ。しかしそう云う社会は暴力によって
得られるか、暴力なしにも得られるかと云うことは、その時の個人
の進歩の程度による。今の人間はまだそう云う社会に適応しない多
くの悪をもっている。悪と云うよりは不明と云う方が木当かも知れ
ない。そういう社会が来ることを、土竜が日光を恐れるように恐れ
ている。そういう社会が来て、初めて人間は幸福を得られるものだ
と云うことを知らないのだ。今の人は幸福と、快楽の区別を知らな
い。快楽を得ることを幸福だと思っている。又安楽と、幸福とをご
っちゃにしている。しかし本当の幸福は心の平和を得なければ得ら
れない。吾人の内にある個人的本能と、社会的本能との全き調和か
ら幸福は生まれるものだ。そしてその全き調和を得る為には、そ云
う平等な、公平な、一個人が人類に対して納むべき労働(税)のい
かなるものであるかをちゃんと心得、そしてそれを実行することが
出来る社会に住まなければならない。このことは明瞭な事実だ。そ
う云う社会では奴僕と云うものや女中と云うものはなくなるであろ
う。その代り、同胞が助けあってもっと簡易に衣食住を得られるこ
とになる。各自に飯を炊く必要はない、それは不経済である。ある
処で飯を炊く、それを自動車に乗せて運搬して廻る。家の掃除など
も、立派な器械でやってのける。簡単にすむにちがいない。その上
各自が暇を利用して、より自分に気持のいいようにするのはいい。
規定以上に自分のしたいことをし、それで報酬をとり、それで買い
たいものを買うのはいい。勿論そう云う時代では、金の力は不当の
暴力を振うことは出来ない。しかしもっと正当な力を振うことは出
来る。決して金持も今より不幸にはならない。病気になってもよき
医者にかかることが出来る。よき医者はそう云う時代がくれぱ今よ
りも沢山出来るにちがいない。金の為に医者になりたくもなれない
と云う人はないから、そして医者に対する標準が今より高くなるに
ちがいないから。金持が貧乏人と同等になることは、金持が貧乏人
になると云うことではない。金持も貧乏人も同じく人間として人間
らしく生きると云うことにすぎない。今の金持は人間らしい生活を
していると云えない場合が多い。少なくも正しい金持なら、そう云
う時代が来たら、喜悦を感じるにちがいない。そう云う時代が来て
も、すべての人の才能が平等と云うわけにはゆかない。各個人が皆
から受ける尊敬が平等だと云うわけにはゆかない。社会にとって一
人前以上働くものは、 一人前以下の人より尊敬されるのは当然だ。
特別の才能のあるものが、才能のなきものより尊敬されるのも当然
だ。又操行の正しきものが、正しくないものより尊敬されるのも至
当だ。又人に愛される素質をもつ人が、嫌われる素質をもつ人より
愛されるのも当然だ。寧ろそういう時代が来てこそ、人は本当に尊
敬すべきものを尊敬するのだ。従って努力の仕甲斐もなお現れるわ
けなのだ。自分はすぺての人がそう云う社会が来るといいと思うべ
きであると思う。
A そう理想的にゆけばですね。
先生 しかし、もし万人がそう云う世界を真に憧れたら、そう云う世
界は実現されるべき筈だ。それは今迄の習慣には悖っていることが
多い。そしてある労働は熟練を要する。しかしそれも社会がそう云
う人間を要求すればそう云う人間は生れてくる。又そう云う人間を
作ろうとすれば出来る。人々が人類に対する個人の義務を本当に知
ったなら、そしてその義務をより立派に果すものには名誉と特権と
が与えられるならば、かなり苦しい労働も人は自ら進んでするもの
にちがいない。自分の仕事は自由に選択させる。しかしそれである
労働を志願するものが多すぎた時、そして他のある労働の志願者の
少ない時、生理的資格や、才能の資格を見て一部の人間に志願しな
い労働をして貰わなければならない時があるだろう。しかし志願者
の少ない労働を自ら進んで引受けるものはそれだけの報いがあって
いい筈である。自分は血腥い革命なしに平和の裡に、人間の理性の
力によって、一歩ずつそう云う世界に近づき得るものと思っている。
自分はそう云う世界に対する憧れを十五六年前から持っている。そ
して自分の憧れている世界が、来なければならないことを益々感じ
ている。自分はそれについての自分の考えがあまり進歩しないこと
を知っている。理想があまりはっきりしているから、進歩する余地
もない程だ。人々は助けあってすべての人が人間らしく生きられる
ようにしなければならない。衣食住の心配からすべての人が解放さ
れてもいいだけに文明は進歩している。それなのに衣食住の為にの
みあくせくしている人間が多いのはよくないことだ。病人は休息しなけ
れぱならない。そして人智によって獲得された方法によって、出来
るだけ早く健康を回復すべきである。しかし今の時代ではそれは許
されていない。金の無い為に天命を全うしない人間は幾らもある。
之等のことはありふれた事実だ、この事実は人力で無くなせるだけ
は無くなそうとしなけれぱならない。自分はその最もよき方法とし
ては、各自が人類に向って捧げなければならない労働を捧げること
によって、衣食住、健康に生きる為に必要な衣食住をただで得られ
るようにするより他はないと思う。それ以上の衣食住を得たければ、
それは義務以外の働きで得た金を利用するのはいい。又義務以上の
力を出して、より気持よく生きるように工夫するのはいい、しかし
健康に必要な衣食住はただで得られる国が自分達にとって必要だ。
そう云う国が出来て初めて自分達は人間らしく楽しく生きられるの
だ。学校も、教科書も、病院もただでなければならない。芝居も特
別なもの以外はただでなければならない。役者も一年の内一月だけ
はただで芝居をする義務がある、画家も背景をただでかく、作者も
ただで脚本を提出する。私的なことには金が要る。しかし万人共通
なものはただでいい。人間の下には薬と器械と動物とがいる。人間
は平等で、特別の才能を発揮しないものは一定の時間労働をする。
自己の為にも、不幸な隣人の為にも。その労働には難易によって区
別があり、難かしいほど義務年限が少なくなる。労働の割当は一流
の政治家と経済学者によって公平に行われる。個人の意志は十分に
尊重する。自分は日本人として、日本がそう云う国の模範を最初に
示すことが出来たらどんなに嬉しいだろうと思っている。

コメント(15)

A ・・・・・・・・・
先生 僕はそれが国家的に行われる以上に人類的に行われる時が来る
ことを夢みている。そしてすべての人は自国語のほかに世界語を自
由に話せるようになり、人々は何処へ行っても働きさえすれば、或
は一定の労働義務を果した証を持っていれば、金がなくとも生きら
れるようになる。金がなくとも世界中行きたい処に行き、見たいも
のは見、学びたいものは学べるようになる。そういうことは人間が
今より一歩進めば不可能なことではない。そして人は何処の国に行
っても、同じ義務と同じ権利を有する。先ず人間として生きる。そ
してそれ以上に個人として生きる。先ずこの世に生存する為に働く、
そしてそれ以上は自由に、自己に与えられている天与の素質を生か
す。自分のしたいことをする。厭なことはしないでいい。金の力も
自已の分からはみ出さない。すべての人は自分の才を自由に発達さ
せることが出来る。いきおい善い人が沢山出来、文明が進歩する。
自分の云おうと思うことはもう君には判ったことと思う。自分は他
日もっとよく考えて、かかる国の国民の教育法や、法律や、道徳や、
宗教に就てかいて見たい。ただ自分の望みはすべての人が最も人間
らしく生きられるようにすることだ。そして自分の仕事はそういう
世界の可能性と、そう云う世界に対する憧れを皆の内に植えつける
ことだ。他の事は他の人に任せるより仕方がない。人智、及び人間
によって発明されたいろいろの器械や、いろいろの薬を応用して人
力をなるべく省き、労働の義務年限をなるべく縮少し、そして各人
をして自由にしたいことをさせ、人類の為にある仕事をしたものに
は、その功を表彰する。自分の云うことはある人には空想に思える
であろう。しかし本当に頭のいい人が出たら、この事の可能なるこ
とを知るにちがいない。自分は人類に対する義務を果すと同時に出
来るだけ個人の自由を楽しむことが出来る時代を夢みている。自分
は良心に責められずに、すなわちするだけのことをして、人類にと
って何か有益なことをしてゆきたいと思っている。今の自分は余り
に他人の労力を貪って勝手なことをしすぎている。そして他人の不
幸を傍観することを強いられている。自分はこの世の不合理を利用
して得をしすぎている。それでその罰を精神的にも生理的にも受け
ている。自分は疚しい気がしない日は一日もないと云っていい。自
分の精神をからっとさせる為にも、この世の中が今より合理的にな
らなければならない。四海は同胞だ、この精神がこの世を隅から隅
まで照すことを理想とすることは人間として生れたものにとって義
務である。この理想は実現出来ないと云うのは人間をつくったもの
を侮辱することだ。自分は真の経済学者が出てその可能を示し、真
の政治家が出てそう云う国に今の社会を導く道を示すことを望んで
いる。私有と公有の関係、労働の義務と入口の関係、土地と労働の
関係、その他実際の問題は自分は他人にゆずる。ただ隣人に人間と
して不健全な生活をさせて安心してはいられないのが、吾人の義務
である。そしてその義務を果して安心するには、もう多くの人に云
い古されたことではあろうが、吾人が平等に労働の分配に与って、
人間が人間として生きるに必要欠くべからざるものは、ただにする
にあることを明言する。それは不可能のこととは思えない。
A ・・・・・・・・・・
先生 自分は同じことをくり返しくり返し饒舌ったかも知れない。自
分は農夫の労働を見ていると、文明の進歩と云うものとまるで無関
係なのに驚く。自分はいろいろの点で日本では人間の労働の無駄遣
いをしすぎているように思う。その結果、人間は労働する為の器械
になり過ぎている。もう少し賢く労働すれぱ、人間は労働の主にな
れる筈だ。人間が人間として健全に生きる為に必要なる労働は何と
何であるかを先ず知り、その労働は如何にすれば、より健康により
効果あるかをよく考え、そしてそれに毎年要する労働者の人数、及
び時間を調べ、それをすべての人の頭にどう割り当てれぱいいかを
考える。それは人間に考え切れない問題ではない。ギリシャ時代に
は奴隷が必要だったかも知れない。蒸気も電気も応用することを知
らなかった時代だから。レオナルド・ダ・ヴィンチ時代には発動機
がなかった、だから飛行しようと思っても無理かも知れない。今の
時代は昔は不可能だったことも容易に可能にする。今農業に就ての
自分の考えを大ざっぱに云えば、農民大隊をつくり、それに日本の
土地を調査して、土地を最もよく利用する方法を考え、そして文明
のあらゆる利器を備え、土地々々によってその利器を応用し、道路
を修繕し汽車や自動車を応用し.その他馬や牛を使い、気候によっ
て、耕作、種蒔等の順序をきめ、その土地々々に入用の人数を派遣
し最もよき計画通りのことを実現させる。水のない処には大仕掛の
井戸を掘ることも出来、其処から絶えず清水をくみ出すことも出来
る。日照の甚すぎる時も、その道の人々に文明の利器を添えて派遣
すればある所までは免れることが出来る。かくすれば、人生五十年
で今の農民の働けるだけの労働を三年乃至五年位で出来ることにな
る。従ってその他の時間はその人の自由になる。有志で、名誉職と
してなお農民として働くことも出来る。その他自分の好きなことを
こつこつすることも出来る。余暇を利用することは幾らでもある。
自分の好きな労働をすることも出来る。人一倍働けば名誉も得、恩
典も得られる。かかる社会に於て初めて人間に与えられている名誉
心、誇り、恥を知る心なぞが美しく生きる。そして愛も歪にされず
に生きることが出来る。人々は自分の労働が自己の義務を立派に果
していることを自覚をもって感じることが出来る。自力と他力の全
き調和が得られる。個人的本能と社会的本能が調和する。自愛と他
愛が一致する。誇りと愛が手を携える。かかる社会を空想すること
が出来るのは自分の喜びだ。そしてそう云う社会が来る時を信じる
ことが出来ることは自分の喜びだ。人間の内にあるもので、今の世
の中に不調和なもの、しかしそれは人間に与えられた最も美しきも
のである、愛が花咲き、平和が得られる時が来る可能を信じる。正
義は人々を支配する。公平と平等と自由を大きな顔して讃美するこ
とが出来る。人々は喜びと誇りをもって兄弟と云う言葉をつかうこ
とが出来る。人間の為に人一倍働くものは尊敬を受け、働き甲斐と
喜びを感じるであろう。人間の為になる発見や発明をしたもの、又
人間の心に喜びを与えるもの、人間の心に愛と正義を喚び覚ますも
の、そう云う人も感謝され、己も感謝の念に打たれて涙ぐむであろ
う。僕の今日云った事はまだ公言するに早過ぎるかも知れない、自
分はもっと皆と共に人間が人間として最も美しく生きられる社会に
就て考えたく思う。君達も考えてほしい。・・・・
第二の対話 1918年

A 先日は有難うございました。お話を伺ってすっかり興奮して、帰
ってもいろいろあのことが考えられて、よく寝られませんでした。
しかしいろいろ考えている内に、矢張り先生の空想は中々実現出来
ないものだと云うことがわかってがっかりしました。又実現された
としても、いろいろ厄介なことが起ると思いました。中々理想通り
はゆかないものと思いました。しかし私はそう思えるので、先生の
お話をきけば又先生の理想の実現を信じることが出来るようになる
かとも思いました。今日はよかったらもっと実際的のお話を伺いた
いと思います。
先生 それはなんでも聞いてくれ給え。僕はなんでも答えられるとは
云えないけれども、そう云う社会が実現されるものだと云う信仰は
どんな疑問にあってもなくならないから。それにもましてそう云う
社会を実現したいと云う熱望は、疑問に逢えぱ逢う程、反って強く
なるから。しかし一体こう云う社会の話を大きな声でするのは一方
気がひける。今の世に苦しんで闘っている人にこんな話をするのは、
餓えている者に御馳走の話をしているようなものだ。反ってすまな
い気もする。しかしそれだからなおしなけれぱならないと一方思う。
もしすぺての人が今の世に幸福に満足に生きて居られるならば、云
う迄もなくこんな空想はするわけはない。だからなんでも聞いてく
れ給え。僕の考えていることは云うから。
A 先生のお考えの空想国を実現する手段はどうしても暴力に訴えな
ければならない気がするのです。社会主義や共産主義よりも先生の
考えは呑気で余裕のある考えの気がするのです。それだけに皆も先
生の話を聞いて不安を起す必要もなく、反感を起す必要もないかわ
りに、皆呑気に笑い話にして、呑気なことを考えている奴だと云う
位の反響きり起さないでしょう。そして何にも影響せずに、先生だ
けが義理をすませた形になるだけでおさまりそうに思います。
先生 君の云うことは半分以上本当だ。しかし僕は人間をもう少し信
用している。同時に今の制度は存外根拠の浅い所に立っていること
を知っている。皆が本当にそう云う国があったらいいと思い込めぱ、
それだけで人類の運命は変り出すものだ。僕の云うことが結果なく
消えてゆけばそれは僕の説が呑気だからではない、僕の信仰が足り
ないからだ。僕の真心が他人を動かすだけの力がないからだ。僕に
は君を一晩眠らさなかっただけの力きりないかも知れない。しかし
そう云う国に就て少しでも君が考えてくれたら、それは君の一生の
間、君の頭から全然消えてゆく問題だとは思わない。君は北風と日
光とどっちが旅人の外套をぬがせたかと云う話を知っているであろ
う。僕は北風のはげしさよりも、日光の暖さの方が力が弱いとは思
わない。
A それは僕でも認めます。
先生 まあ待ってくれ給え。それと話がちがうと君は思うだろう。僕
も自分の説を日光に比較する勇気はまだない。しかし僕は何も労働
者に味方することは、中流以上の階級を敵にすることを意味しなけ
れぱならないとは思わない。同じく弱い人間だ。お互に助け合えな
いものとは思えない。社会の力をもってすれば、富者も労働者の草
履をとる位なことは甘んじてやるにちがいない。富者はある程度ま
で今の境遇を享楽したがるかも知れない。しかしそのことが不正で
あると云うことが、輿論できめられたら富者はそれでも輿論に反抗
するだけの力はない。人々は富者の力を買いかぶる必要はない。金
が吾人の生命を支配している、その不当の位置から金を追い出して、
人間の業務がその位置を占めさえすれば、それでこの世は平和にひ
っくり返る。こう云うと又君に空想家と云われるだろう。僕は実際
家とは縁が遠い人間らしいが、もっと実際的のことを話せるだけ話
して見よう。しかし自分は他に自分よりもっと適当な人のあるにき
まっていることを饒舌るのは気がひける。自分はいろいろの人が各
各自己の特色を発揮して互に助け合い、互に互を必要とし、尊敬し
あい、そして仕事をしてゆく喜びの、どの位深いよろこびであるか
を此頃感じている。自分一人が出しゃばる必要はない、又遠慮する
必要もない、足りない所を恥じるよりも、補ってもらう喜びを感じ
たい。お互に長所を尊敬しあい、それを高き目的の為に生かしあう、
そうすれば足りない点を攻撃するよりは、その点をどうかして助け
てやり、そしてその長所を何処までも役立たせるようにすることの
人類の思召に叶うことを人は知るであろう。自分は一個人の無力と
有力を本当に感じれぱ、人は個人的動物であると同時に、社会的動
物であり、自力的であると同時に、協力的でなければならないこと
を感じる。自力的なものは個入にまかせる。そしてその問題は他日
に譲らしてもらうことにする。自分はここでは協力的な方面許りを
語りたい。
話はそれたが、精神的の問題は互に助けあう必要はある
けれども、より自立的と見ることが出来る。自分がここで云いたい
のは衣食住の問題、及び肉体上の協力を必要とするいろいろのこと
についてである。世襲財産は自分は不合理なものと許りは思わない、
親の本当の功労が子に報いることは不合理とは云えない。しかし今
の世では本当の功労のあるものが富むとはきまっていないことは云
う迄もない。しかし自分はそれに就て云おうとは思わない。僕は実
際問題について自分の考えている空想を参考にまで語れば君は満足
してくれるのだから。自分はもう遠廻りはせずに、大胆に自分の不
得意な問題にとび込もう。僕は新しい世界をつくるのに暴力は用い
たくない。僕は人間の理性とか、愛とか、理知とか、そう云うもの
によつて、尤もだと思い込むことによって一歩ずつ進みたく思って
いる。一時に世界を引くり返そうとは思わない。自分は少数の人が
協力して、新しい生活をつくることから始めたい。その最初の一人
に自分がなれるかどうかはわからない。しかし自分は少数の人から
始まるのが本当と思う。そしてそれは内面的の生活をかえることか
ら始まる。この人達は堅忍で、意志が強くなければならない。成功
をあせるのはよくない。十年か、二十年計画で静かに仕事を始める。
各自が自分の長所に従って動く。実力を研き、共同して金をためる。
その人達は少数だから、この世のあらゆる仕事を一手にひきうけら
れるようにする必要はない。しかし何か独立した仕事が出来るよう
に骨折る。身体をよくするのも、頭をよくするのもいい。学者にな
るのも、労働者になるのも、医者になるのも、何になるのもいい、
この世の人間にとって必要な仕事を一つしっかりと自分のものにす
るように骨折る。頭をつかうことでも、つかわないことでもいい。
何にも特色がなくとも正直に働く人は、それは新しい世界の基礎に
なる。皆は平等で、皆は友達でなけれぱならない。自分の弱点を知
ってハンブルになると同時に、自分の人間としての長所を知って誇
りをもたなければならない。団体は多い程いいが、量よりも質が大
事だ。皆月に一円乃至五円の税を納める。それが出来ない人は十銭
でも、二十銭でもいい。境遇によってはただでもいい。金を多く出
した人が権利が多いのではない。同等だ。そして一つの中心をつく
つて、其処に皆あつまったり、通信を出したり、報告をしたりする。
小さい印刷所を設けてもいい。そして協力を讃美しよう。そして個
性を。金があつまったら、土地を買う。家を建てる。そして農業に
心得のあるものは開墾をする。人手がいる程土地がふえたら、金に
困る人から助けにゆく。そして余裕があったら必要な器械を買う。
皆が協力して其処に必要なもの、及びその土地を高価に、気持よく
利用する為に必要なものは会から会員に報告する。そして寄附出来
るものはよろこんで寄附する。後援者も出来たらつくる。そして会
の精神をたえず説いて協力するものの人数をふやし、実力をます。
その団体の精神の為に一身を捧げられるものは会員で、他の人は後
援者としてもいい。会員は何かの意味で一定の労働をしなければな
らない。そしてそれをなしとげた時、会員の資格を得る。会員は自
己の一定の仕事をなしあげた上は働かずに食う資格を得る。
しかし
それは初めの内は無理であろう。土地をもっと所有し、或は他の生
産的仕事をすることが出来るようになるまで。しかし義務労働は六
時間を超えないようにする。会員は決して楽ではない、しかし不必
要に苦しむことは絶対にさけるようにする。喜捨も受けていい、し
かし強制的なことや、嘆願的なことは勿論絶対的にさける。共同的
の精神と自由の精神を生かさなければならない。会員は無理にふや
す必要はない。来るものはこばまない。しかし去るものもこぱまな
い。会則は出来るだけ簡単にする。しかし寄生虫は逐い出すだけの
決断が少なくも初めは必要だ。無理はのぞまない、しかし必要なこ
とは要求する。会員外の労力もこばまないにしろ、地主が小作人に
たいする態度はさけねばならない。懐手をしていては新しい仕事は
出来ない。芸なしは後援会の会員になることは出来る、又事務員と
して働くことも出来る。しかし手足まといになったり、寄生虫にな
って、基礎をくさらす恐れは絶対にさけねばならない。田畑と住居
は第一に必要だ。しかし農業以外の仕事も出来たらする。そして金
があれば会堂をつくる、それは図書館であり、美術館であり、劇場
であり、集会所であり、音楽堂であり、学校でもある。病院も出来
たらつくる。それ等は会員外にも公開することもある。しかし金は
とる。会員はただだ。会員は土地その他で人数に制限がある。しか
し出来るだけ多くの会員が入れるようにする。それ等は実際にてら
してきめる。会員は意思が疏通しなけれぱならない。腹の中に不平
をかくしてはいけない。正直に思ったことを云い、そして一番適当
と思ったことをきめる。利害は一致を目的にしなければならない。
しかし個人は多数決によって、圧倒される必要はない。自分の納得
の出来ないことは手を出さないでいい。多数決に少数が服従する必
要はない、尤と思ったことだけする。尤と思ったものだけがする。
A 国家とはどう云う関係をとるのですか。
先生 カイザルのことはカイザルに返せ、と云う言葉がある。自分達
も国家のものは国家に返していい。国家にとってもそう云う社会が
出来ることは損でないことをはっきりさせていい。税も出そう、徴
兵も敢てこぱまない。云いたいことは云う。意見も発表する。非難
すべきものは非難する。力があれぱ力も応用する。しかし暴力に抵
抗するに暴力をもってしたくない。現社会とも調和出来る限り調和
する、そして負けるにきまっている戦いをするよりはこつこつ実力
を養うにしくはない。我々は人間を信用する、聖賢の教えを畏む、
正義を尊敬する、愛に背きたくない。真理をつかんだら妥協はした
くないが、気をながくして現世的に永遠の勝利を得ることを目的に
する。自分は金の力さえこばまない。しかし金で自己の自由は得ら
れても、他人の身体や時間の自由を束縛するのは新しき社会では絶
対にさけなければならない。義務労働を果したものは自分の好きな
労働の助けをしたり、何か新しい仕事の計画に全時間を向けること
が出来る。子供はその社会に調和した教育法を受けることにすれば
なるべくただで育てるようにしたい。しかし夫婦ものや、結婚した
いものには独身者よりも条件がふえることになる。ある個人の安楽
を他人の労働の上に荷わせるのは新しい社会ではさけなければなら
ない。しかしある人が、ある他人の為に自ら進んで自由意志で、他
の事情がまるでなしに、ただ愛か、或は同情か、尊敬か、から他人
の分の労働まで引受けることは許される。又特別な人は社会全体の
決議で、或は或一部の人の決議で、自己の労働の分をよろこんで引
受けてもらうことによって、 一定の労働の義務を助かることもある。
勿論、その時、その人にはそれだけのことをその社会の為にもされ
る資格があると云う決議をされた時に限る。そしてその決議を認め
ることが出来ない人は、その義務の分担をこばむことも出来る。そ
の社会では個人は個人の為には犠牲になる必要はない。皆独立して
いる。しかし一般にたいする個人としての義務ははたす、互に助け
あうことはする、相談しあうことも勿論する。しかし命令はするも
のもなく、又聞く必要もない。土地は全部公有であるが、一定の範
囲で私有も許されることがある。又何か公けの為になることをくわ
だてたものは、一般の許しを得て、入用の土地を自分の勝手にする
ことも出来る。なるべく自由がきくようにする。その社会の基礎が
固まり、資本が出来れぱ、それはたえず最も賢く利用する。それを
利用する方法を会議できめる。集まった人だけできめる。集まれな
い人は委任者を出す。そして議論がまとまらない時、七割が可決し
た場合は金の七割だけその仕事につかうことが出来る。一人の反対
でも、無結果には終らないことにする。それは次の事業にまでのば
す。そのかわり皆に通知しても会に集まる人が一人きりの時には、
その一人がきめていい。そうしなければ決定がニブクなる。 一日か
二日前に、或はその日でもいい、すぐ全部に集会が出来るようにす
る。それは夕方の食事のあとの時間できめてもいい。つまらぬ議論
は許されない。そして急ぐ必要のないことはゆっくり相談してもい
い。しかしそんなことは実際にあたってきめればいい。自分は自分
の空想が可能のものであること、及び、そう云う社会があったらい
いなと思えるように、本当のことを云えぱいいのだ。僕自身には不
可能のこととは思えない。五六十人の同志と二三万の金があれば一
歩ふみ入ることが出来ると思う。人数も金も多い程いいが、それよ
り本気な人間が集まるのが大事だ。僕は基礎さえしっかりし、そし
てその可能さがはっきりすれば、そして金に困っている人をとり入
れてもびくともしないように基礎が出来さえすれば、人間の方は集
めることは容易だと思う。ただ新しき社会の精神をのみこみ、その
仕事にたいする自覚をはっきりしているもののみでないと仕事は面
白くゆかない。
土地は金と人数の工合だが、かなり田舎でかまわな
い。谷間よりは平原の方が、共同的な仕事はしやすいと思う。仕事
の上から土地を皆できめる。そして其処に一人について一段以上の
田と少しの畑に相当する土地を買い、初めは簡単な家を建てる。皆
の内に大工がいればそれが建てる。皆が手つだってもいい。初めは
出来るだけ簡単な家を会員以外に建てさしてもいい。多勢いる内に
は随分いろいろの人がいるにちがいない。またいいつてがあるにち
がいない。又十年もさきの話ならばその内の幾人かが専門をきめて
研究してもいい。我々は土地を獲得するまでに、新しき社会の住民
になる資格をつくるように骨折ってもいい。そして準備すべきもの
を準備する。或人はよき土地を捜し歩く、ある人は農業の方面の研
究をし、協力してやるにはどう云う方法をとるのが一番いいかを研
究して見る。又いろいろのものを買い入れるにはどうしたらいいか、
最も簡単な衣食住を皆に供給するにはどう云う方法をとったらいい
か、今から何を買い入れたらいいか、土地を一日も早く買うとすれ
ば、十年の間にどうその土地を利用したらいいかとか、その他いろ
いろのことを考え、名案のある人はそれを皆に報告し、又相談する。
熱心な人が百人よれぱ、かなりいい智慧が出なければならない。僕
はもう一足とびをしてその社会が立派に出来上った時を空想して見
たい。その社会はまだ大規模ではない。まだ住民は百から千の間に
いる。共同の田があり、畑があり、住宅がある。また処々に個人の
家がある。共同生活よりも一家族はなれた生活をよろこぶものは同
情者を得て自己の家をたてることが出来る、事情さえゆるせば。そ
して共同の土地の他に土地を生かすことを知っているものは特別に
自已の土地を借りることも出来る。初めは僅かの土地を、そしてそ
の利用法のよかったものには更に多くの土地を。人々は共同の労働
の一部を分担する。それは前にも云ったように、きまった労働のう
ち自分に一番適当と思うものを申し出る。第一希望、第二希望、第
三希望、第四、第五、……一番閉口なのまで書いて出す。共同の労
働の種類はきまっている。そして労働の種類によって休息する時間
や、休みの日をきめておく。共同の労働は必要なものに限る。男と
女で労働の種類の区別がある。そしてその負担は皆の知識をしぼっ
て出来るだけ軽くする。そして有志の人があれば、その人は名誉労
働者になることが出来る。応募者の少ない仕事を進んでするものは
皆に感謝ざれるべきである。それ等はこの前の時に云った通りだ。
我々は今その社会に入ったとする。労働者は同時に紳士で、紳士は
同時に労働者だ。平民は同時に貴族で貴族は同時に平民だ。人々は
勝手なことは出来ないこともあるが、衣食住の心配はない。皆独立
で一つの精神がつらぬいている。協力の喜びと独立の喜びを同時に
味わう。労働と健康は出来るだけ仲よくし、器械は人間につかえて
人間を使用しようとはしない。むだな労働は出来るだけはぶかれて
人々は自己のしたいことをする時間を有する。皆義務を果した安心
をもつと同時に自己の天職に安心して進むことが出来る。そしてあ
らゆる人は自已の才能を何処迄も発揮する余裕をもち、この世を楽
しく美しくする為に働くことが出来る希望と努力をもつ。朝は交代
で大じかけに飯をたく。当番は一月に一度働けば他は飯をたく為に
働く必要はない。しかし特別に飯の註文のある人は自分でたいても
いい。又時々食い道楽同士あつまって自分でつくるのもいいだろう。
しかしその人も公けの飯をたく義務はまぬかれないことを承知の上
でなければならない。面倒な時は公けの飯を食い、何か好みの時は
自分でつくってもいい。食堂で食ってもいい人は食堂にくる。家で
食いたい人は当番の人に配達してもらうことも出来る。人数はきま
っている、そして家ははなれていない。月に一度のわりに郵便・新
聞、飯、その他のものを馬車あるいは荷車で運ぶことは簡単だ。僕
でさえ出来る。自分でとりにゆく人は行ってもいい。人々は他人の
労力にたいして思いやりは持っている。しかし窮屈なことはさけら
れるだけさけるように社会が出来ている。
A さすがは先生のお考えだけありますね。気儘と云うことは悪には
なっていないのですね。
先生 それはそうだ。規則ずくめは閉口だ。人々は逃げ道をたくさん
持っていなけれぱならない。食物でも自分達だけでつくるので足り
るようには骨折るが、足りなければ他の村落の助けを借りないと云
うのではない。むしろ出来たら、他の人達とも出来るだけ仲よくし
たく思っている。そして同志の人があれば一人もこばまないように
することを心がける。着物のことはまだ一度も云わなかったが、土
地によって蚕もかう、綿もつくる、そして機械工場も出来たらなる
べく完全なものをつくる。しまいには鉱山も、製鉄所も、殊に発電
所もつくらなければならないはずだが、それはもっとずっと規模が
大きくなった時の話だ。しかしどんな労働も新しい社会の精神を応
用して出来ないものはないことを示すことは忘れない。そして出来
るだけその部落の特色を発揮する。他の社会よりよき品を安価につ
くり出すことに苦心もする。その社会からはいろいろの天才が出る
はずの方法がぬけ目なく講じられねばならない。人々は其処で出来
たものと云うと安心して信用が出来る。又其処で出来るものは虚飾
はないけれども芸術的で、同時に丈夫でもちがよくなければならな
い、見えない所にごまかしのあることを何よりも恥じなければなら
ない。そして一時的のことを考えずに、遠き慮りがなけれぱなら
ない。
其処を訪ねた旅行者は次のようなことを云うであろう。第一
その村に入ると見るもの聞くものがかわっている。日本の田舎では
ないようだ。そうかと云って西洋の田舎では勿論ない。家の格好も
着物も一風変っている。その村のある人の考案になったものだそう
だ。田畑のつくり方がまるでちがう。其処では数百の人が共同して
働いている。その人達は皆一かどの意見をもっている。田畑のつく
り方も、共同して働くのに適当で、内地では見られない、進んだ耕
作がされている。そして最も珍しいのは村の人が買い物をする時は
帳面一つ持っていれぱいい。それに買いたいものを書いて出すと、
その品物はただでどんどん渡す、それを皆がやっている。金持らし
くない人許りだが、皆平気で金を払うことの出来そうもない品物を
も金なしで買ってくる。月末になっても金は払わないでいいのだそ
うだ。よくきくとそれは必要品に限る、或は共同の市場のものに限
るのだそうで、月末に帳面の整理をつけて、いろいろの人の買った
品物が一定の予算よりふみ出さない時には、買えば買いどくの形に
なる。もし一定の予算をふみ出した時は、その内の浪費者と見なさ
れたものは、次の月に必要品の内でも本当の必要品以外のものはた
だで自分のものにすることが許されなくなり、浪費の帳消しをする
ことを強いられることもあるそうだ。共同の市場以外に個人の店も
ある、それは共同的の労働をしたのこりの時間で、材料は自分で金
を出してつくったもので、それは金で売買される。他の村にも売る
こともあり、他の村から買うこともある、それには金をつかうのは
云う迄もない。共同でつくったものも村の人の需要以上に出来たも
のは他の村に売る、その金は三分して、一部分は個人に頭わりにわ
けられ、一部分は村の貯金に加えられ、他は村の仕事の拡張と、村
の人の幸福、喜び、健康のためにつかわれる。この村の財源には全
国にある後援者からくる金も多いそうで、それは皆村の仕事の拡張
と、同志の人をふやす資本につかわれるそうだ。村で出来る品物に
は皆村の名が焼きつけられ、或は署名されている。その品物の善良
をそれが保証するもののように村の人は思って、一々品物を丁寧に
吟味してつくる。この村の人程、金に支配されない人々はあるまい、
金を支配しつくすことを誇りにし、金もうけのことを考えないでよ
き品をつくることを心がけている。尤も経済上の心得もゆきわたっ
ていて、健康に生きるのに必要なものは完全にそなえようとしてい
る。労働もここでは遊戯のように見えることがあり、それをほこり
にしている。村の人は食いものは当番があってつくっている。食い
ものの種類は多くはないが、皆料理の出来ているものをほしいだけ
とって来て、何処で食ってもいい。大きな食堂もあるが、天気のい
い時は三々五々野天で話しながら食っている。話は組々でちがうが、
自分達の仕事のことを話していることが多い。仕事はいろいろある、
皆、自分の仕事をより立派にしようと云うことを心がけている。こ
の村には思想家と芸術家が多い。画をかいているもの、文学の話を
するものも多い。又村の拡張や、その村の住人になりたく思う人々
の意思を出来るだけ多く生かすことについて議論しているものもあ
る。村の人は皆友達で、何かことがあるとよくあつまる。村には又
春夏秋冬、花がたえない。花の名所と云って恥かしくない処も沢山
ある。多勢が一緒に働く時は随分見ものだ。千本の木を埴えるので
もまたたく暇だ。道路は完全していて、家畜に富み、その利用法は
賢い。村は又衛生思想が発達し、病気の感染にたいする予防にあか
るい。学校でもそう云うことを時々教える。そして大人も男も女も
聞いている。村には又病院がある。建物は簡単であるが、清潔であ
る。看護はその道にくわしい人が居なければよそから雇うこともあ
る。親しい人が看護する他、有志の人が看護している。病院は景色
のいい空気のいい日あたりのいい処にたてられている。病院に入る
程ひどくない人は自分の室で友達の手によって養生する。病人はい
くらねても一文もいらない。金を出せる人は出しても、出さない人
と待遇はちがわない。医者も専門家のいない場合は他から招待する
こともある。しかし村にはかなりの医者はいる。そして研究する便
利を与えられている。芝居や、音楽会も時々ある。その方に天才の
ある人は労働をしないでもいいことになっている。しかし好んで働
いているものが多い。その村には週報のようなものがある。又印刷
所があって、本などもつくられることがある。それは他の村へも売
り出されている。
こう云えば随分窮屈な処のようにも思えるかも知
れない。共同とか、協力とか、労働の義務とか。しかし同時に皆呑
気もので、気ずいもので、独りになりたい時は勝手に一人になって
いる。面会謝絶などと云うふだを出して午睡している奴なぞもいる。
お互に随分融通をきかせ、休みたい時には他の人にかわってもらう
ことなぞも出来る。そして村の人達は生きるのには窮屈が一番いけ
ないと思っているらしい。そのくせ他人の気分や時間や労力を尊敬
している。彼等の空想は全世界が自分の村のようになったら人類が
今よりこの世に住みよくなり、より進歩し、より幸福になり、より
自由になり、そして人間は人間に与えられているものをより自然に
生かし切れるようになる。彼等はその手本を自分達が示しているつ
もりでいる。又それを示すことを天職と心得、其処に自覚せる誇り
をもっている。其処に彼等の本気さと活気と、何処までも進まない
では満足できない原因がある。それでいて他の村の人との交際も決
して悪くはない。彼等はあざむかれることはあっても、あざむくこ
とをいさぎよしとしない。そして彼等の平等観は誰をも軽んじない。
彼等のうちにも軽薄な人間が皆無とは云えないかも知れない、しか
し彼等の住んでいる空気は、それ等の人を軽薄なままにはさしてお
かない。皆よろこんで、自己の仕事を自覚し、誇りをもって、同時
に自分達のカの不足を自覚する所からハンブルでもあるが、彼等の
仕事をしている。彼等は自分達の人生観、自分達の生活、及び自分
達の仕事で、他の村の人々をも感化したく思っている。彼等はあせ
りはしない、それを強いもしない、それよりも自分達の実質を成長
させることによって自ずと他の村の人々に影響するのでなければ、
本当の影響ではないと思っている。彼等は又虚偽を何よりも嫌う。
楽しそうに見せかけて他人を誘うことは恥じる。彼等はただ自分達
の生活を人間の誇りにしたく思っている、そして人間をつくったも
のに感謝すべきものを感謝したがっている。
A 先生! その村の男女の関係はどうなのです。
先生 それはむずかしい問題の一つだ。僕ももっと考えて見たく思っ
ている。しかし淫売婦のないことはたしかだ。一夫一婦の認められ
ていることもたしかだ。強姦が認められてないこともたしかだ。そ
の制裁法は皆で考えればいいとしておきたい。恥を知るものは恥を
知らないものより尊敬される。一人の女を多くの男が恋した時は、
女の意志に従うより仕方がない。失恋するものは毎日女の顔やその
夫を見なけれぱならないのは苦痛かも知れないが、人数のきまって
いる村だから顔をあわせないわけにはゆくまい。ともかくこう云う
問題は恥を知ること、及び内気で円滑にゆくのだ。問題としてとり
あつかうには微妙すぎる。しかし恥知らずの鉄面皮な、うかれ男や
女が多くっては少し困る。そう云う人間は陰でこっそり、第三者に
迷惑を与えず、お互にも迷惑をうけない程度でやるなら見のがして
もいい、そう云うことは真面目な青年をなお真面目にする。陰鬱に
させるがそれはその人の内にある天才を呼びさます力をもっている。
しかしその村には酒はあるまい。そして厳粛な空気で、童男、童女
の清い心をなるべく汚さないようにしたい。日光が人々にも恥を知
らすようにしたい。しかしそれは実際にぶつからないとわかりにく
い問題だ。ただ金がそう云うことに暴力をふるうことが出来ないこ
とだけはたしかだ。それだけでも喜んでいい。
A それから先生、殺生はどうなのですか。
先生 それもやかましくは云いたくない。殺生はいいものとは云えな
いが、害虫を駆除することはさけられない。
A 私の云うのは肉食です。
先生 それも禁じない。菜食する人が多くなるだろうと思う。しかし
鶏や豚なども飼う気でいる。皆の決議で殺してまで食う必要がない
と云えぱ、それもいい。しかし殺す人があればそれも厳禁する必要
はない。ただ殺し方の惨酷なのは腹が立つ。豚を殺すのでも、熟睡
している時、麻酔剤をかけて殺したらどんなものかと考えている。
豚は人間ではないから。豚が死んでもかなしむものでばなく、豚自
身は知らずに死んでゆくのだから。しかしそんなことを云ってはい
けないものと云うことがわかれぱ、莱食主義の仲間がふえるかも知
れない。しかしそう云う問題も、自分はまだぴったり考えるまでに
は進んでいない。しかし豚や鶏でも愛が出来たら殺せないだろう。
他の村から買える間は買うことになるかも知れないが、それもあま
りほめたことではない。しかしそれは皆にまかせる。自分はムキに
なって肉食に反対する程まだ愛をぴったり感じない。
A 先生は、自分ではそう云う村をたてる為に働く気はないですか。
先生 ないことはない。もし気のあった同志の人があって、本気にや
る気になれば、そしてそれが一時的の興奮でなく、本当に何年かか
っても、希望の見えない年月をがんばり通しても、やろうと云う仲
間があれば、僕もその仲間の一人として働く、しかし自分には他に
もまだしたいことがいろいろあるから、それをなげすてない程度で
やりたい、又それで出来ると思っている。自分は同志が五六十人集
まったら、皆で相談して、いろいろその村に必要な知識を分類して
研究する。皆、目分に一番適当なものを選ぶのは云う迄もない。貯
金と、勉強、勉強はそう朝から晩までやる必要はない。ただ心がけ
ておいて機会を見のがさないようにして、本を調べたり、その道の
人に聞いたり、又自分で考えたり、計画したり、一寸した実地応用
をやって見たりするのでいい。会社につとめている人でも楽に出来
ると思う。そして時々あって、いろいろ計画をする。又暇を応用し
てよき土地を皆でさがして見てもいい。あまり金のかからない程度
で、土地は不便な処でいい。初めはいろいろの点で仕事をするのに
都合のいい処で、まだごく安価な土地がいい。そして第一にだんだ
ん周囲を買ってゆけそうな処がいい。それ等については皆で相談す
る。景色もいいにこしたことはない。同志の人が段々ふえるように
骨折る。同志の人は東京の人には限らない。地方の人は自分のそば
を研究して、土地の値や、有様を報告する。土地はきまったとする。
そしていくらかその土地を買えたとする。少なくも最初に三万坪以
上は買いたいものだ。五年もたつ内には買えるだろう。もっと買え
るかも知れない。そしたら其処に最初は出来るだけ簡単な家をたて、
仲間の内で有志の人が何人か其処へ出かける。有志の人が多すぎた
らくじできめる。経済の許す限り多勢あつまるのもいいだろう。其
処で最初の仕事が始められる。目鼻がつきかける迄には三年はかか
るだろう。急ぐよりもしっかりした基礎をおくことが必要だ。いろ
いろの計画、及びその費用との折合、及び人数との関係、それらを
違算のないようにきめ、不文律をきめ、永遠の計画をたて、そして
どんな邪魔や障害にぶつかっても参り切りにはならない覚悟が出来、
だんだん同志の人がふえて基礎がぐらつかず、共倒れにならない計
画をすっかりたてなければならない。土地の利用にも実際にあたっ
て研究しなければならない。かくてその計画がすっかり立ち、収入
の方もはっきりわかれば、許された範囲で仲間がだんだんその土地
に入りこみ、土地もふやし、仕事も拡張する。その間にその土地に
居ない仲間は何かと便利をはかり、後援者をふやし、その結果を報
告する小雑誌を発行し、そしていろいろの人の意見もきき、自分達
の意見を発表し、それは何処までも実際的に責任のある意見でなけ
ればならない。そしてよき考えはなるべく採用するようにし、働い
ている仲間を訪ねたり、交代したりして働く。かくて十年すぎてま
すます効果があらわれ出せば、仲間は益々勇気が出るにちがいない。
協同して仕事をする喜び、空想が実現される喜び、その時は人々が
事実によって可能を証明され、全世界がこうなれば大したものだと
思われるように仕上げるよろこび。それはたしかに無意味な仕事で
もなく不可能な仕事でもないと思う。僕は本気になれば二三百人位
は同志を得ることはむずかしくないと思う。君はそうは思わないか。
A それならば先生はなぜ本気にならないのです。
先生 今に本気になるよ。
A 先生の話を伺っていると、なんだかそう云う社会をつくることが
出来そうな気になり私もその仲間に入りたいような気もします。
先生 ありがとう。是非助けてくれ給え。しかし君はすぐ熱がさめそ
うだね。(微笑みながら)熱のあがるのが早く、さめるのに早い人
はたよりにならないからね。実際にぶつかると結果は中々上らない
ものだ。同志の人も一時はへり出すこともあるだろう。そう云う時
を何度もこしてやっと目鼻が出来かけるのだ。結果をあまりあせる
ものは絶望する時が必ずくる。馬鹿気たような気のする時が、だま
されたような気のする時が。それをふみこたえなければものになら
ない。どんなにはっきり計算をたてても天変地異がないともかぎら
ない。折角つくったものに虫がついたり、枯れたりするだろう。元
よりその時は勇気をつけあうだろう。しかし話だと十年と云っても
別におどろかないが、十年はかなり長い月日だ。それをふみこたえ
進み切り、馬鹿気た気を起さずに結果の見えないことに金をおさめ、
失敗して気やすめのようなことを云うのでなお疑いをますようでは
困る。
A 大丈夫ですよ。先生。
先生 その大丈夫な所を見せてほしい。
A しかし先生のおっしゃるのが本当とすれば、今迄にもそんな簡単
なことならいろいろの人が思いついたはずではないでしょうか。今
迄に随分いろいろの人が出て、その内には、そう云ってはすみませ
んが、先生より賢い人も居たでしょう。それなのになぜ、そんな簡
単明瞭なことを思いつかなかったのでしょう。それには何か、そう
簡単にはゆかない理由があるのではないでしょうか。そしてそれが
先生に気がつかないようなことが。
先生 自分もそう云う疑問にうたれる。しかしいくら考えても自分は
自分の考えをまちがっているとは思わない。自分を信じ切ってくれ、
その上そう云う世界を本当につくり出したいと云う気のつよい、そ
して熱心が時とともにますますふえる人が五六十人、否二三十人で
もいれば僕は必ず実現出来るものと信じている。皆がその不可能と、
その空想の幼稚さを笑えば笑う程、自分はその可能をますます信じ
るだろう。そしてやって見せると云う気に燃えるだろう。自分は単
なる空想家ではない。しかしそれならなぜ今迄にこう云う社会をつ
くる人がなかったか、よしあってもなぜそれが世界的にまで生長す
ることが出来なかったか。それは時機の問題である。時の許しをま
だ得られなかったからである。人類が其処までまだ進歩して来てい
なかったからである。しかし今は時の許しを得ている。人類も其処
まで進歩している。嘗つてはどんな天才が出ても不可能に見えたこ
とが、今はどんな人間でも熱心さえあれば、不可能ではなくなって
来た。皆が目がさめて来た。世界は、人類は一つの目標目がけても
う一歩と云う所に来ている。まだ目の覚めない人もあろう。しかし
我々は人間にたいしての信用を獲得した。全世界は何を求めている
かを理解した。利已心は生かし切ればいいことを知った。そうすれ
ばそれは愛と一致することを知った。自分達は文明を恐れる必要は
ない。それを支配すればよい。金を憎む必要はない。それは元来の
性質にもどせばいい。我々はこの世の制度にさからう必要はない。
それは内が生長すれば自ずとかわるものだ。我々は気ながで、そし
て目的を幸福や満足の為に忘れずに、又不幸や障害のために勇気を
倍加することを知れば、そして仲間が死んでいっても、その人の意
志は消えず、そして新しい仲間がだんだんふえてゆけば、そして皆
が自分の仕事を進めてゆけば、全世界の人間が食物の奴隷になる必
要がないことを示せば、そして何百の人が金に一生を売らずに自已
の才能を発揮しつくせば、そしてお互に助けあえば、其処に何か生
れなければならない。自己の天職を発揮する為にはどんな苦痛も辞
さないと云う人にとって、そんな世界があれぱどんなによろこびだ
ろう。其処には都会へゆくよりも、もっといろいろのことを学ぶこ
とが出来、いろいろのものを生かすことが出来るとしたら。それは
よし不可能なことでもやって見たいと云う気が起る。まして可能な
ことがわかっているのだから。五六年働けばあとに自由があると云
うことがわかれぱ、そして自己の天職を発揮しつくせると云うこと
がわかれぱ、力を惜しまない若者は日本にも何千人ではきくまい。
それ等が力をあわせて、何事も出来ないと云うことがあり得ようか。
そしてその人々は平和を好む人で、誰にたいしても憎みは抱かず、
人類の運命、幸福の為にこつこつ働くとしたら、そう云う人間をも
つことは国のほこりでなければならない、人類の誇りと云ってもい
いだろう。そう云う世界は皆の本気さと、協力で出来上る。他人を
たよるものは馬鹿だが、しかし独立したもの同士の協力の喜びはま
た大したものだ。話しはうますぎる、しかし本気さ、真心、五六年
から十年の辛抱、それは楽なことではない。その辛抱にうますぎる
実がなるのは当然だ。希望のある所には辛抱もたのしいものだ。我
我は一つの目的の為に集注された力を信じていい。
A それなら先生は本気で、その仕事をやる気でいらっしゃるのです
か。
先生 本気でやる気でいる。少なくもいつかやる。自分は他にしたい
仕事もあるが、しかし他の仕事をしつつ、たえずそう云う世界をつ
くることを心がける。そしてよき仲間、熱心な仲間をつくるように
心がける。
A 仲間になる資格はどう云うのです。
先生 簡単に云えばたえざる熱心さえあればいい。そして会費を納め
られるものは毎月一円以上、それ以下でもいいが、会費をおさめる。
そして会の為に自分の働くことをきめ、その方に心がけ、なるべく
会の中心と交渉をたたないようにする。会の中心には二三の有志の
人が集まる。
A それは先生の処ですか。
先生 いや、東京がいいだろう。どんな下宿でもかまわない。其処と
皆交渉をつけていればいい。しかし途中でぬける人も会費はかえさ
ないことにする。規則と云えばそんなものでいいだろう。熱心のな
い人にはとても辛抱が出来きれないだろうし、熱心な人には規則は
いらない。又後援者も出来たらつくりたいと思う。我々は僧侶とは
ちがうが、一種の僧侶をもって任じていい。新しい生活の僧侶であ
る。人間が人間らしく生きられる本当の道を発見しようとする僧侶
だ。しかしむずかしい戒律も、お経をよむ必要もないのはあたりま
えだ。そのかわり、協力して生活し、自己を生かし切るようにつと
め、人類の思召に最も叶う生活をしたいと云うのだ。自分の精力を
浪費したくないと云うのだ。そして皆に人類の意志通り生きる道と、
その喜びを知らしたいと云うのだ。仕事が大きすぎる。しかしその
目標だけは失わずに一生を通してお互に助けあって働きたいものだ。
人類の意志に叶うには内の要求に従って自由に生きられるだけ生き
れぱいいのだ。そして自己をーその内にも自然も人類もいるー
生かせられるだけ生かせばいいのだ。
A 先生。それではまたよく一人で考えて見ます。わからない所があ
ったら又話しで下さい。
先生 話せるだけは話そう。僕は話がさきっ走りする質だ。今度はも
う少し自分の云いたいことがはっきりするかも知れない。
A それでは失礼します。
先生 さよなら。
                    (一九一八、四、一九)

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