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新しき村コミュの新しき村に就いて(三)から

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新しき村に就て(三)〜武者小路 実篤

僕達は何を望んでいるか。
 一番の望みは生き甲斐を得ることだ。この地上に何か、生きた人間に喜びと希望を与えてゆきたいことだ。
 それ以上自分達が生き甲斐を感じたいことだ。生れた喜びと言ってもいいが。そして死ぬ時も、安心して希望を持って死ねることだ。
 人間はこういう風に生きればいいのだということを理屈でなしに実感で知りたいのだ。
 その為には僕は多くの兄弟姉妹と協力して、地上に美しい世界をつくってゆきたいのだ。そこではお互が愛しあい、尊敬しあい、信じあい、助けあう世界だ。
 他人に迷惑をかけず、他人に迷惑をかけられる心配なく、互に助けあって、美しい世界をつくることだ。余力を捧げるに足る世界をもつことだ。
 我等の力は少ないのである。だがその少ない力も集れば強大になる。我等は無理はしたくない、背のびして歩きたいとは思わない。我等は他人に重荷を無理に背負されたいとは思わない。しかし自分相応の荷はかつぎたい。もしそれが兄弟姉妹の喜びになるなら、心から感謝してもらえるなら、我等は他人の生命にも役に立ちたいのだ。ただ自分の進むのに足手まといになるものははらいのけたいが、迷惑せずにすむ程度では他人の為にも働きたいし、殊に皆の為に働きたい。
 皆と心をあわせて働くのは喜びである。誰もが物質的には得をしないが、誰もが精神的には喜べる世界、そういう世界こそ、心の美しいものが喜んで集る所である。
 目医者には目の悪い人が集る。金もうけの出来る所には金のほしいものが集る。心の美しいものだけが喜べる所をつくれば心の美しいものが集るわけだ。そして我等を心から喜ばしてくれるものは心の美しいものである。
 我等は心の美しいものが集り、その美しい心が地上に生きることを望んでいるものだ。
 少くも、その土地にゆく時、その土地にいる時は、利害を忘れ、物質的欲望からはなれ、金のことを忘れ、ただ兄弟姉妹と喜ぶ為にのみ働く世界、それが我等の世界なのである。
 誰も物質的には得をしない。皆が損をしている。物質的に我等は得のしようがないのである。それだけ純粋な気持で喜べる。この気持がわからない人は、我等の仲間にはなれない。この世では、得をしないでもしたい仕事はいくらでもある。僕達が新しき村の仕事を始めたのは、生き甲斐を得るためで、金をもうける為ではない。
 僕達は金を軽蔑はしない。今の世では金は必要である。しかし他人を損させて自分だけがもうけるのは気がひける。又金を唯一の目的として働くのもいやである。
 我等は自分の生命をよりよく生かす為に金も必要なので、自分の生命を賤しくする為には金は不必要である。
 我等が働くのも、協力するのも、勉強するのも、文芸の仕事をするのも、我等の本来の生命を生かしたいためで、金もうけの為ではない。我等はお互の生命を尊重して、お互の生命が健全に生きることをのぞんでいるのだ。           
自分達の望みは簡単に言うと友達になれるものとは、なるべく多く友になり、そしてその友達と力をあわせて美しい世界をつくりたいということである。お互に他人を利用することはしないで、お互に他人に迷惑はかけないで、自分の余力を出しあって、その力で美しい世界をつくろうというのである。
 僕達は個人としては力の強いものではない。他人を助ける力はない。だから他人から時間も、金も、労力も強要されるのはいやである。自分から好んで働きたいだけ、働き、つくしたいだけは喜んで尽すが、他人から強要されて、僅かな時間や金を心にもなく出すのはいやである。そのかわり自分の方で喜んで奉仕したいことには奉仕する。強要される時は御断りするが、自発的に喜んで働けるだけ働くその力が多く集ることで、自分達の望んでいる世界を築き上げたいと思っている。
 その世界は、一定の義務労働をすることで生活が出来る世界である。つまり健康な合理的な公平な労働を皆がしようと思うと出来、その労働をすれば生涯の心配がなくなり、安心して病気の時は養生出来、子供は安心して育てることが出来る世界である。
 そしてその余暇で自分のしたいことが出来る世界で、僕達の言葉で言えば、誰もが天寿を全うし、個性を生かすことが出来る世界である。
 そういう村をつくりたいというのである。同時に人間はそういう風に生きるのが、本当であることを人々に知らせたいと思うのである。そしてそういう人が多く集って、その多くの人の自発的な協力で、そういう村を出来るだけ早く、大きくつくりたいというのである。そしてその村を見る人は、誰でもこの村に住んでみたいと思うような村にしたいと思い、住みたい人はなるべく多く住めるようにしたいと思っているのである。

(「新しき村に就て(三)」四・五より 1941.6)

コメント(3)

新しき村に就て(三)1941.6

 一

「新しき村」とはなんですかとこの頃時々聞かれる。二十歳以下の人は新しき村と言う言葉が何を意味するか知らないらしい。それは無理のないことである。
新しぎ村はまだ事実存在しないのである。我等の心の内にだけ存在するのである。まだ新しき村とはこういう処であると、示すことは出来ないのである。
我等は新しき村をつくろうとしてから二十何年たつ。そしてある所までこぎつけて来たが、しかしまだ実現出来ないうちに、いろいろの事情があって、今度東京から日帰り出来る所に再度の新しき村をつくろうとしている。
前の新しき村も存在はしているが、しかし之は今暫く、一人の兄弟に任せ、僕達は先ず東京の近所、埼玉県の新しき村をつくろうとしている。しかしこの方は、まだそっと仕事にかかっただけで、お目にかける程にもなっていない。
だから新しき村はまだ地上には存在しないのである。しかし我等の心には存在しているのだ。
我々はお互同志、兄弟姉妹と言っているが、会員の数は多くない。今なお熱心に村の為を思っているものは五六十人位いと思う。最近少しずつふえてはいるが、人数は決して多くはない。しかしその多くない兄弟の力で、新しぎ村を地上と人心の内に建設したいと思っている。
それなら我等は何をしようとしているのか。


我等の望みは平凡である。あたりまいのことである。誰にも出来ることである。我等は特殊の人だけを目的にしていない。我等は誰もが出来ることを望んでいる。
 つまり我等の望みは、先ず自己の本来の生命を生かすと同時に、他人の本来の生命を生かすことに役立ちたいと言うのだ。
 我等は先ず自己を正しく生かしたいと思う。正しくと言うとむずかしくとる人があるかも知れないが、自分をよりよく生かそう。他人に迷惑をかけずに自分をよりよく生かそうと言うのだ。横しまに自分を生かすことを謹み、他人の自己を生かす邪魔をせずに、自分を生かそうと言うのだ。そして出来たら他人とも協力して、自他共に生きようと言うのである。我等は自我心を殺して他人の為に働くと言うのは、自分に託された一つの生命に不忠実であると思っている。だから先ず自分に託された一つの生命に忠実になり、それを出来るだけよく生かそうとするのは大事なことと思う。だから自分の身体をよくしたり、自分の精神を鍛えたりするのは、我等の第一の務めである。そして各自がそれを務めることが出来るように協力出来たら、協力したい。自分さえ生きれば、他の人はどうなってもいいと言う考え方には賛成出来ない。自分も生き、他人も生き全体も生ぎる。それが僕達の願いである。自分だけが得すれば、他人は損さしてもいい、それでは面白くない。他人には損させずに、得が出来た時のみ得をする。出来たら他人も得さしたい。それが僕達の心がける処である。誰も損させずに、自分を忠実に生かす。それが我等の願いである。
 だから我等は他人を奴隷にすることを恥じる。又自分を他人の奴隷にしたくない。お互によき友人でありたい。兄弟姉妹のように助けあいたい。しかし助けあうために自分は忠実になることを忘れないようにしたい。嘘ついたり、心にもないお世辞をつかって他人と仲よしになることは我等の望まない所である。
 我等はお互に助けあうが、自分がいやなことはしない。自発的にやりたいことをやる。他人に又無理を言わない。他人の意志を尊敬する。そのかわり、自分の意志も尊敬してもらいたい。そしてその上で仲よくなればこの上ない仕合せだと言うのである。
 このことはわかり切ったことだが、そう言う人間の関係は中々ないのである。我等の仲間の関係は、その点は自慢出来る程、よくいっていると思う。


僕達が新しき村をつくったのも、この考を徹底して実行したいと思ったからである。皆が働く世界、誰もが他人の重荷にならず、食客にならず、互に助けあって生きてゆくために、義務労働を進んで果そう。生活に必要なものは協力して働いてつくり出そう。お互に一家の人のように助けあって働いて生活をしよう。それが新しき村を生み出した一番の原因である。
その世界では一番不幸な人も、生活の心配はなく、失業の心配はない。正しく働こうと言う心がけさえもてぱ、そしてそれを、健康の時実行しさえすれば病気の時も、生活の心配はなく、安心して医者にかかれる世界、そう言う村をつくりたいと思って、新しき村をつくったのである。しかしその新しぎ村では文明の利器をつかい、なるべく生活に必要な労働の時間をへらして、各自文化的な生活が出来るようにしたいと思ったのだ。
安心して生活が出来、その上文学がやりたければ文学を、画がかきたければ画を、学問がしたかったら学問を出来るようにしたいと思った。
しかし金も知識もなかったので、それに実際家もいないので、理想通りの村はまだ出来ないのである。
 前の村は宮崎県につくったので、東京に住む我等は中々ゆけないで、いろいろ厄介なこともあり、又我等の力もいくらか増して来たので、今度、東京近所に新しき村をつくることになり、之を東の村と名づけるようになった。
そして東京支部の村外会員が、それをいろいろの意味で助けて、ものにすることになったのである。
都会と農村の兄弟姉妹が力をあわせて、新しぎ村をつくりたいと言うのである。
どんなものが出来上るか、我等にもまだわからないのである。生れた子供がどんな人間になるか、わからないようなものである。其処がたのしみでもあるのだ。

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