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格差社会を考えるコミュの進学も格差

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進学も格差…子どもへの期待や費用、所得で開き

 家庭の所得によって、子どもの進学への期待や習い事にかける費用に格差が出ていることが、「こども未来財団」(東京都港区)の調査で明らかになった。

 調査は昨年10月、20〜44歳の既婚男女約2400人に行い、回答者の家庭所得を年収「200万円未満」から「1000万円以上」まで6分類した。

 1000万円以上の家庭では89%が子どもに大学・大学院進学を希望しているのに対し、200万〜400万円未満は44%、400万〜600万円未満は60%。200万円未満の家庭では30%が「特に希望はない」と答えた。

 第1子に習い事をさせる割合や平均月謝額も所得に“比例”。1000万円以上の家庭の79%が習い事をさせ、約2万7000円の月謝を払っているのに対し、400万〜600万円未満と200万〜400万円未満の家庭では、それぞれ52%、約1万2000円と38%、約9600円だった。調査にかかわったお茶の水女子大の坂本佳鶴恵教授(社会学)は「子どもの教育費は『かかる』というよりも『かける』ということが明確に表れた。所得差が教育格差につながりかねない。子育て世帯への教育費の支援が今後の課題になる」と話している。
(読売新聞) - 3月14日14時38分更新

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060314-00000404-yom-soci

コメント(78)

余計なことですが、私自身は親とは異なる職に就き、日教組にも全教にも加入したこともなければ関わったこともありません。念のため。
歴史認識問題などにおいては間違いなく政治的左派でしょう、教組は。

労働運動としては肯定できる部分はあります。しかし組合の活動がどこまで労働運動として成果を挙げているかは、疑問ではありますね。華々しい活動は歴史教科書問題や日の丸問題でくらいでしかお目にかかれないので…もっと労働運動に特化・集中すれば良いのではと思いますが…

ゆとり教育については、支持した人々を左右いずれのカテゴリにも分類する事は出来ませんね。あまり関係ないでしょう。
訂正

「(ゆとり教育)路線を「定期試験の廃止」という形で最もラディカルな形で実践にうつしたのは、自治体レベルでみれば、日教組や全教の比重が全国でも極端に小さく、自民党支持の保守系教職員組合である全日教連……が圧倒的に強い栃木県です」と書きましたが、栃木県全県レベルで定期試験が廃止されたわけではありません。一部の中学校においてです。誤解を招く表現でした。おわびして訂正いたします。
ふうてんさんは、負け組への公教育を充実させれば、私的教育に熱心な勝ち組との格差が縮まるというのを、どのように証明するのでしょうね?
結局は現場の教員の質で決まるものなのに。
そして新自由主義の下では優秀な教員は常に勝ち組の子供へ流れ続ける。

それを改善するには、負け組に税制や教育費の負担を軽くし、勝ち組への負担を重くする以外には無いでしょう。

負け組への税金優遇は、親の酒代に消えるから意味が無いなんて、余りにも小さい反対意見しか出せないのですから、今回も期待していませんが。
waverさんへ
(長吉さんへの返答はしばしお待ちを。waverさんの方が楽だったので先に書きました。)

まず、
>ふうてんさんは、負け組への公教育を充実させれば、私的教育に熱心な勝ち組との格差が縮まるというのを、どのように証明するのでしょうね?

この場合の格差が、機会の格差のお話か結果の平等のお話かわかりません。
私は、公教育が最高水準ではないにしても、満足水準に達する程度に拡充されれば、機会の平等が多くの国民の満足レベルで達成されると考えています。

結論としては、機会の平等のための公教育の底上げであって、結果の平等を実現するための公教育への要望ではありません。
ここでいう機会の平等とは、
親がどのような職業や教育意識でいようが、子供(中学1年生ぐらい)が
「僕は昆虫学者になりたい」
と思ったときに、相応の努力をすれば公教育だけでそこへ到達可能であることを意識しています。

>結局は現場の教員の質で決まるものなのに。

これについてはまったく同意でだからこそ、行き過ぎた教員の労働運動を毛嫌いしています。
まず第一に
・教育者に足ると思われない人間を解雇して、子供に悪影響を及ぼさないようにする。
・小さい塾などで今の教員よりも安い給料で働いている人々がいて、その人の教育の方が望ましいなら、教員を解雇して入れ替える。
ということをしていかないと、公教育で機会の平等を維持できなくなります。
私は現場の教員の質で決まるのは、質が悪いところへの改善を拒んできたら連中のせいだと思っています。

>そして新自由主義の下では優秀な教員は常に勝ち組の子供へ流れ続ける。

はぁ?
別に私立高校なんて昔からあるし、ゆとり教育なんてのが叫ばれたように、良い受験勉強を教えてくれる塾なんて沢山ありましたよ。
ようは新自由主義とはまったく別の話でしょ?今に始まった話でもない。何でも新自由主義に結びつければいいとはしらなかったぁ。

さらに言うと、左翼の方が多い教育界で、
あっちの方が年収高いから公教育やめて私立へいこう
なんていう自由主義的な発想が蔓延しているとはねぇ。
実は日教組も全教もいい給料があれば転職していく新自由主義者だったのですか?
で、そんなわきゃない。
ということで、君の話はおかしい。

>それを改善するには、負け組に税制や教育費の負担を軽くし、勝ち組への負担を重くする以外には無いでしょう。

いやだからさ、僕は公教育自身が良くなっていれば、機会の平等は保たれると思うわけです。
それ以外にないというほど、君が他の可能性を論理的に否決したなんて思えません。

>負け組への税金優遇は、親の酒代に消えるから意味が無いなんて、余りにも小さい反対意見しか出せないのですから、今回も期待していませんが。

別に酒代に消えるというのは例なんだけどね。
僕の問題意識は親を通じての教育の是正は、子供が親を選べない以上、実は出生による機会の不平等を促進させると思っている。
ようは、
中学生:「東大に行って、昆虫学者になりたい」
親:「お前はフリーターでいいんだよ。とっとと働いて家に金入れろ」
という状況があったときに君の言う税制なんてこの子の未来には全然貢献しないんです。

でも、子供が公教育だけで東大を目指せれば、国公立では学費免除もありうるし、育英会で借りることもできます。
バイトをすれば親の仕送りなしで通えます。

そういうように、親の教育熱心さなどで子供の未来が左右されずに、中学生ぐらいでも自分の意思で道を決められるようにするのは、追加のコストなしでもまっとうな教育を受けられるようにすべきだと僕は思います。

ここでいうまっとうな教育は、別に受験勉強だけでは無論ないです。また、優秀な私立の方が合格率が高いのは別に問題視していません。
機会の平等は結果の平等を意味しない以上、追加のコストでその機会を有利に運べるのはやむ終えません。
(一応waver氏に先に指摘しておくと、追加のコストや親の出生が効くのは、日本よりも中国やロシアだから、新自由主義がどうのという反論はおそらく意味がないですよ。)

waverさんへの返答は一応これで打ち止めです。
waverさんは
良い教育とは何か? 良い公教育とは何か? 機会の平等を実現する公教育とは何か? 
という基本的なスタンスを明らかにしないで攻撃だけ続けていらっしゃいます。
そういう方とはこれ以上お話しても、あまり進展が無いと思うからです。

一度、個別の議論ではなくて、長文でしっかりとした考えをまとめられて、このコミュニティーの方々からコメントもらえるような文章を書かれてはどうでしょうか?
私あてに、短い批判を繰り返しても議論は熟成しませんよ。
は?
ふうてんさんの理論では、質の悪い=日教全教じゃなかったの?
国公立に蔓延してるのがそいつらなんでしょ?

親がフリーターでいいから金を入れてくれというのは、親に金が無いからでしょう?
公教育を充実させも、税金で親に金が無ければ余計にそうなるでしょう?
それともふうてんさんは、公教育を充実させる資金のための打ち出の小槌でも持っているのでしょうか?

そして何より、公的教育を充実させようが、新自由主義社会では私的教育は更にそれ以上に充実していく。
それを阻止するための制度があってこそ、良い教育を効果的にする動機付けの基本でしょう。

その反証を避けて議論の成立はありませんよ。
>ゆとり教育については、支持した人々を左右いずれのカテゴリにも分類する事は出来ませんね。あまり関係ないでしょう。

誤解の無いように確認させていただきますと、経済格差が教育格差を生み出している、という趣旨のトピックで、それをめぐる発言が続いていたところに突如「日教組」や「全教」など「左派」が「公教育をつかいものにならなくしてきた」のが問題だなどとわめきたてはじめたのはふうてんの猫氏です。
これに対して「Syuu-Chan」氏が事実認識の点で誤りを指摘したのはいいのですが、 「原因は率直に言って、国民がそれを望んでいたから、それに尽きます」といったような、ある種「一億総懺悔」的な原因考察を加えるや、「ふうてんの猫」氏は一定の譲歩はしたものの今度は「官僚」と「左派」の「共犯」「一致」という話にもっていった。
これが私が書き込みを始めるまでの議論の大まかな流れとみてよろしいですね。

すでに書き込んだ内容と重なる部分もありますが、あらためて、「ゆとり教育については、支持した人々を左右いずれのカテゴリにも分類する事は出来ません」というクリメント氏の議論とSyuu-Chan氏の「国民が望んだ」からという見方に対して異議を唱えておきます。端的に言えば、そのようなものの見方では、あらゆる政策決定ということについて、アクターの分析や結果責任を問えないことになります。いちおう自由民主制をとっている限りにおいては、政策決定の直接的な主体は国民の意思を体現しているという形式をとっているからです。あらゆる政策は国民に発し、その結果責任は国民全員が負うべきだ、ということになります。しかしそのような形式論理がある種のフィクションであることは常識的な考え方でしょう。自由民主制をとっている社会であろうと、政策エリートとそうではないマスは常に存在し、エリートを支える支配的集団は必ず存在します。そしてそのような支配的勢力は社会におけるヘゲモニー装置を掌握しているわけだからこそ、支配的な位置にいられるわけで、個別の政策決定にあたっても「国民の多数の支持」を調達しているという擬制を作り出すことができるわけです。Syuu-Chan・クリメント両氏の立論はこうした現代資本制下での政治過程なり政治体制の本質を等閑視したものと言わねばなりません。

つまり、ここで教育格差との関係で問題となっている「ゆとり教育」という教育政策についても、それは「国民が望んだ」などという抽象的な物言いではなく、具体的にどのような政治主体が、どのような意図ないしは利害によってそれを形成したのか、という観点からの考察が必要となると思われます。

そこで私が先の書き込みで主張したのは、それは主要には文部官僚と財界である、ということでした。この主張は単なる想像や憶測ではなく、歴史的事実によって検証しうる命題です。38で述べたように、スローガンとしての「ゆとり」はともかく、それが教育内容の大幅削減という形で全面的に具体化するのは99年の学習指導要領大改訂においてです。これまた繰り返しになりますが、ここに至る段階で、旧文部省による「ゆとり教育」推進の大々的キャンペーンの先頭に立っていたのが寺脇研課長であり、彼は文芸春秋など保守的なメディアも含め「ゆとり教育」のイデオローグ的扱いをされていたことはみなさんよくご記憶のことと思います。実際、寺脇課長自身が政策立案の中心人物であったのか、スポークスマンとしての役割が主だったのかはわかりませんが、ともかく「ゆとり教育」を具体化する最重要な政策が直接的には旧文部省自身によって推進されたことは、まあ当然といえば当然ですが、明らかであると思われます。
しかしさらにここに至る歴史的経緯を見ていけば、さまざまな事実が浮かび上がります。まず95年には財界四団体(当時)のひとつ経済同友会が「学校スリム化」の提言を行います(http://www.bekkoame.ne.jp/ha/seidoken/goukou.pdf)。さらに98年には、中教審の会長に根本二郎日経連会長が就任します。財界人が中教審会長になるというのは初めての、異例の事態でした。そしてこの根本会長の下で出された中教審答申に沿って、文部大臣のもうひとつの諮問機関である教育課程審議会が同年、教育内容の大幅な削減を柱とする答申を提出します。99年に策定された旧文部省の手になる新学習指導要領はこの答申にほぼそった形のものだったわけです。ちなみに当時の教育課程審議会会長は、保守派のイデオローグとして有名な三浦朱門です。このコミュニティの姉妹コミュニティ「教育格差を考える」ではすぐに言及されている、この問題に関しては今や基本文献であろう斎藤貴男『機会不平等』(文藝春秋、2000年)では、著者斎藤による取材に対して、この改定について三浦が「学力低下は予測しうる不安と言うか、覚悟しながら教課審をやっとりました。いや、逆に平均学力が下がらないようでは、これからの日本はどうにもならんということです。つまり、できん者はできんままで結構……落ちこぼれの底辺を上げることにばかり注いできた労力を、できる者を限りなく伸ばすことに振り向ける……非才、無才には、せめて実直な精神だけを養っておいてもらえばいいんです」と証言したことが紹介されており、これも今ではあまりにも有名な発言となっていますね。

せっかく言及したのでさらにこの斎藤前掲書を参照してみれば、経済同友会と前出の寺脇課長とは緊密な連絡をとって「教育改革」提言を行ってきたこと、95年(まさに日教組が旧文部省と「歴史的和解」を行って大転換を始めた年)には、財界四団体と旧文部省・日教組が連絡をとりつつ「勉強会」を開始したことなどが、関係者の証言から明らかにされています。

こうした事実や証言を丹念にみたとき、浮かび上がるものは明らかでしょう。再度確認しておけば、90年代後半における「ゆとり教育」の全面化は、財界および保守派の「エリート教育」重視の動きと表裏一体のものとして立案され、旧文部省が具体化し、労使協調路線へと方針転換した日教組が応援団となる、という構図の下で実現していったものだったわけです。まあそういう意味では、ふうてんの猫さんのおっしゃるように「文部省と日教組の共犯関係」というのは一定の事実にせよ、それは日教組の「左派」的性格から出てきたものではありえません。

なお、クリメントさんは「歴史認識問題などにおいては間違いなく政治的左派でしょう、教組は」とおっしゃっておられますが、なんのことか全く理解できません。「自虐」だか「自祖虐」だか知りませんが、要するに第二次世界大戦での日本の行動が「侵略」であったと認識するのが「左派」だということですか?じゃあ、細川護煕も野中広務も「左派」なんですね。ドイツのCDUも左派ですね。うわ、すごい!ドイツはほとんど全議席を「左派」が占めてますね!とんでもない国ですね。まともなのはネオナチだけですか。いや〜、日本はドイツならネオナチにあたる人たちがいっぱいいてよかったですね。

まだ言いたいことはありますが、とりあえずここでいったんきります。
続けます。

私は「ゆとり教育」が全面展開するのが90年代後半であるという基本的視点から議論をしてまいりました。が、80年代後半における学習指導要領の改訂もまた、今日に至る弊害をもたらした「ゆとり教育」の節目であると批判されることもしばしばです。実はこの時点での学習指導要領改訂では、理系科目の学習内容削減が注目されたのですが、逆に習得漢字数など学習内容が高められた部分もあり、意見が分かれているところです。
しかしこの時点での改訂を「ゆとり教育」への重要なワンステップであると捉えたとすると、ここでもやはり興味深い事実が浮上します。実はこれに先立つ82年に、財界四団体のの協賛で設立された日本経済調査協議会が教育問題専門委員会を設置します。この構成メンバーが2年後の84年に設置される臨教審のメンバーにほぼ横滑りするわけですが、この専門委員会の最終報告書はエリート教育を重視せよとの主張に貫かれ、従来の公教育を「凡才の平均的な水準を高めることを目的としている」としてそれに対する批判を加えています。こうした報告書を作成する委員会のメンバーが臨教審の主要部分を構成し、その路線の下で80年代末の学習指導要領改訂が行われたということも非常に示唆的なことと思われます。

そしてこれも周知のことですが、当時の日教組はこの臨教審路線に厳しい対決姿勢をとりますが、80年代における第二次「労戦統一」問題のなかで内部対立が激化、弱体化の進行しつつあった日教組は結局のところ臨教審路線に対する有効な反対運動を展開することができず、89年に分裂を迎えます。その意味で、日教組は今日の深刻な教育格差が形成される要因となった政策展開に抵抗するにあたって「力が無かった」との批判や総括は、運動当事者の立場からして必要なことでしょうが、再々にわたって申し上げるように、左派的な日教組や全教が教育格差を生み出した、などという主張は何らの歴史的事実によっても裏付けることはできません。

なお、前にも書いたように私は日教組・全教の関係者でもなければ、教育史・教育学の専門家でもありません。ネットや新聞やそのへんにある本をちょっと開けばこれくらいのことはすぐわかるわけです。そういったことをいっさいせずに「教育が悪い=教組のせいだ」というのは、まあ紋切り型の発想で何も思考しなくとも口にでき、しかも俗耳に受けやすいたいへん簡便な命題ではありましょうが、友人との酒飲み話ならともかく、ある程度閉じられたネットワークとは言え、こうした場でかかる粗雑な発言をなさるのはいかがなものかと思う次第です。

まあ、こういうことを私が言うのは日教組主導の悪しき戦後教育で左翼的思想に「洗脳」されたせいなのでしょうね。どなたか論理としても事実としても納得できる発言で私のマインドコントロールを解いていただき、正しく国を愛し、日本のためなら死んでもいいという立派な国民・真人間にしていただければ幸いです。
「責任」という言葉の理解のしかたがどうも大きくことなるようで。

ある政策なり政策群がどのような主体の利害に基づき誰の主要な影響力によって決定されたのか、これを正しく把握しなければ、革命だの蜂起だのといったところで誰もついてくるはずはないでしょう。それは「責任の押しつけ」をして自分のなすべきことを回避するということとは全く次元の違う問題です。逆に「国民に責任がある」という言い方にどのような意味があるのですか?「お前らもっと利口になれ」と説教する必要があるということですか?どうやって?

それならばそれで、やはりそういう今日の国民意識・大衆意識の状況を作り出しているビジネス・メディアの役割などをきちんと分析・把握したうえで、いかにすればオルタナティブなメディアをつくり、有効に発信するか、という思考を重ねていくしかないでしょう。大変失礼ながら、Syuu-Chanさんのおっしゃっていることをつきつめれば「愚民論」か「ニヒリズム」に陥るしかないと思います。

で、ご自分にも責任があるとの姿勢は敬服いたしますが、「国民をどうにもできなかった」というのもある意味倒錯した前衛主義でしょう。よほどメディアへの露出度が高いとかで強い影響力をもつ人でもなければ、個人的にできることは限られています。でもShuu-Chanさんが「左翼」であって「社会変革」を志向するというのであれば、「国民に責任が…」というところにとどまっていてもしょうがないのであって、問題を生み出している構造がどのようなものであるのか、どのような利害関係の下でそうした構造が形成されているのかを正しく分析し、自分の声の届く範囲からでも伝達していく、ということを地道に考えていくほかないのではありませんか?さらに言えば「国民がどうにもならない」との考えに立ちつつ、「社会を変えるために蜂起する」と、それがたとえ成功したとしてもポル・ポトのカンボジアのような支配しかできないことになります。

トピ違いになってきましたか。Syuu-Chanさんもまた反論はあるでしょうし、「言い逃げ」のようで恐縮ですが、この論点については私の発言はこれで終わりたいと思います。

どうでもいいことですが、私はROMに徹するつもりだったのですが、ふうてんの猫氏の発言があまりといえばあまりなものだったのでついがらにもなく書き込みなどしてしまいました。そちらの方については行きがかり上しょうがないのでまだ反論が来れば続けるつもりです。
>>長吉さま
率直に申しまして、大変勉強になりました。深謝いたします。また後ほど、精読させて頂き、色々歴史的事実を確認したいと思います。なお、

>じゃあ、細川護煕も野中広務も「左派」なんですね。

その通りです。

>ドイツのCDUも左派ですね。うわ、すごい!ドイツはほとんど全議席を「左派」が占めてますね!

その通りだと考えますが

>とんでもない国ですね。

とは思いません。あの国の左派はよくやっています。
ちなみに私は経済政策面においてはおそらく「左派」です。
かの国の「緑の党」は結構好きですよ。私は民主社会主義コミュにも入っています。

>まともなのはネオナチだけですか。いや〜、日本はドイツならネオナチにあたる人たちがいっぱいいてよかったですね。

ちょっと論理が飛躍してませんかね^^;
>>Syuu-Chan@経産省爆砕さま
もしかしてPSE法反対のデモに行かれますか?私も今日、参ります。お会い出来るかもしれませんね♪^^

これも結構「格差社会」に絡む問題かもしれませんが…ちょっと外れかねないのでこの辺で…

いずれにしても今回のトピは、教育に関連している経緯の確認という意味で、大変勉強になります。寺脇研氏についてはある程度存じておりましたが、三浦朱門氏の発言については全く存じませんでした。「ゆとり教育は左右思想のいずれからか導き出されたものではない」の思いを私は強く致しました。
まことにトピ外れで恐縮ですが、一応私の立場を申し上げておきますね。
m(_ _)m

政治的主張…保守的(歴史認識・国防問題において)
経済政策 …社会民主主義に共感
宗教   …ギリシャ正教(教会は政治問題に一切ノータッチです)

このような訳で、「保守系コミュ」と、「経済左派系コミュ」に私は入っております。
長吉さん

詳細なご解説をありがとうございます。

>ちなみに、日教組は95年に文部省と「和解」し、対文部省協調路線に転換するとともに民主党支持に実質的に移行していますから、もはやこの時点では「左派組合」と呼ぶことも難しいでしょう。日教組がこの90年代後半の「ゆとり教育」全面展開にとりたてて反対もしないのは当然のことでもあり、それは「左派」であるがゆえの方針ではありません。

>このように、歴史的事実をきちんと抑えれば「ふうてんの猫」氏の「左派教職員組合がゆとり教育を推進し公教育を破壊した主要な主体である」といった議論はいっさい根拠のない妄想・空中楼閣であることが一目瞭然です。

ゆとり教育としてのカリキュラム改正について、教職員組合が反対してきたことは知っています。
既にスレッドでは問題視したのは、週休二日制度という点をあげさせて頂いています。
ようは、時短・休暇増加という80年代の運動と、週休二日制度というもののリンクを問題視しています。

というのは、カリキュラム自身の改定は決して望ましいものではありませんが、それによってセンター試験や高校入試の試験範囲も変わっているのでその点では、社会の階層によらずフェアーな変更です。
しかし、土曜日を休みにすれば、ゆとりのある家庭や教育熱心な家庭が塾などに行かせるのは、実施以前から指摘されていた通りで、なぜ、そういうものに迎合したのかという問題意識であり、それが労働組合としての日教組・全教いゆえだと認識していました。

そして、文部省と日教組や全教との共犯関係があったのだとすると、どうも、今の教育格差批判は、おかしいよなぁと思うということです。

私はエリート教育は今後の国際競争力の維持には必要で、それは日本国民で広く供給される利益になると思っています。
しかし、そのエリート教育へのアクセスが個々の能力や精神的な意欲などでなく、親の年収や熱心さなどによる影響が大きくなることに問題意識を置いています。
その点では、ゆとり教育の全てを批判しているわけではなく、骨抜き化されたことや、実際の運用に問題があるように思っています。

また教員の苦労という点では、
このスレッドでも既に書いたとおり、子供の就職先を探すために奔走してくださっている教員や、子供の補習をしてくださる教員には頭が下がる思いでいます。
しかし、そういう人々に手当てを払うことなく、横並びでみなし残業として、評価も横並びという態度でいる教職員の人事制度に大変憤りを感じています。

その改革のためには実勤務の体系的調査が進まないのは、教員の労働強化につながる という日教組の主張があったと理解していましたが、認識は間違っているでしょうか?

私は、自分のblogでも書きましたが、
教職員への無責任な批判はするべきではないと思っています。
ようは、部活動や課外活動、そして現場での改革などを頑張っている教職員を世論が支えていく一方で、教育労働者の労働貴族を許さないという世論も形成していく必要があると思っています。
朝日新聞の記事のような教員がいる一方で、教職員みたいな楽な仕事はないよという連中や、破廉恥な事件や、子供への問題行動などを起こす教員やそれを守ろうとする勢力と戦っていく必要があると思っています。

ようは、公教育の中でも、頑張っている教員が報われる仕組み を作るべきだと思っています。

>るのでしょうね。教員組合も弱くなった今、「水に落ちた犬はたたけ」とばかりに教師批判・教組批判をするのはとても簡単で楽しいことなのでしょうが、繰り返しになりますが基本的な実態を把握してから批判するというのが議論や批判における最低限の常識だと思いますがね。

これは一定の理解をいたしますが、たとえば、官僚批判をする際に、その人は官僚の労働実態について知っていなければならないし、自民党の議員の批判をするなら、選挙にかかる費用や生活のリズムなどについても知っていないといけない
ということも含むのでしょうか?

私は、教職員でも公教育に携わる人々は納税者や有権者の理解を得られるように 自己説明するアカウンタビリティーがあると思っています。
また、公教育が公務員によって行われている以上、批判の対象として批判に耐えうる情報発信や改革がなされるのは当然かと思います。

また、日教組の他者への攻撃的な主張を見ると、必ずしも相手の立場や実情や歴史的事実を理解した上での批判とは思えないと思うので、とりあえず批判してみて、なにか言われたら訂正するとうのも日教組に関しては許されると思います。
(だって、彼らの戦争の主張って後から訂正されているものもありますよね。南京での死傷者数とか)

長吉さんのおかげで大変勉強になりましたし、日教組に対してのステレオタイプな批判をした自分の謝りもわかりました。

ただ、やはり文部省との共犯関係については腹がたちますし、頑張っている教員と頑張っていない教員の待遇を同じにするような状況の打破という点ではまだまだ、彼らは批判されるべきではないかと思っているのも事実です。

基本的にこちらが勉強させていただいておりますが、ご指摘いただければ幸いです。
ふうてんさんへ>
>親の教育熱心さなどで子供の未来が左右されずに、中学生ぐらいでも自分の意思で道を決められるようにするのは、追加のコストなしでもまっとうな教育を受けられるようにすべきだと僕は思います。

私が思うにそれだけでは良い対策ではないと思います。子供の視点から見てください。常に受身で勉強してきた子供の何パーセントが自分の意思をもっているでしょうか?かりにもっていても、すべての子供が自分の道を進みたいと突き進むでしょうか?そこまで考えて行動にとれる子供を教育するように今の日本はしていないと思います。子供は立派な子供です。大人のように将来をみることができません。だから私は前も言いましたが、まず大人が教育に対する考えを変えるべきだと思うのです。 どう変えるのかという話しをしていなかったので、ここで話したいと思います。 いつ頃からそうなのか分かりませんが、現在の日本の教育は生徒が受身的で成り立っていると思います。まず子供が自分で考えて行動ができる権利を持っていることをあまり認識していないと感じます。家庭でもそういった押し付けやすい子供の役割みたいなのがまだ残っていると思います。そうやって大人になっていった親や教師が何を子供に伝えれるかと言うと、自分たちが子供の頃に受けたように 彼らの狭い観念が伝わっていくのです。子供が「海外でボランティア活動に参加したいから大学を1年休学したい」と言うと 親は「人生に汚点を作る事はやめなさい」と言ってみたり、就職や進学の時期に自分が何がしたいかわからない子供を見ても一緒になって「難しいよねー」とか「わからないよねー」と当たり前のように言ってしまうのです。そういう何をしたらいいか分からない子供に育てたのが大人であり親子の世代で受け渡ししてきたサイクルでできたと思います。 ですから私たちの持っている教育観念がすべてだと信じきってお話しする前に、まず自分の観念がそういったサイクルの中で作られてきたと言う事に大人は認識するべきです。社会全体がそれに認識すれば教育政策も変ってくると思います。 次にこれらがなぜ格差社会の問題と関わってくるかと言うと、機会や選択の幅が狭まったときこそ、悪循環の人生に陥らないために自分の意思が必要になってくるからです。 例えば両親共にパートで生計をたてていて子供に早く働いて欲しいと願っていても、目標や自主自立性のある子供ならしっかりと自分の道を歩けると思います。もちろん、そこで税制や教育費の軽減も大きく関わってきます。しかし、受身で育った子供だと、+家庭環境の要因で悪循環におちいる可能性が高くなると思います。

>京大・東大が全てではないというのは同意ですが、多様性をほめたところで、子供たちにではどう生きるのか?を示せないといけなくて、そんなことができる教師がほとんどいないというのが大きな問題だと思います。

すべての可能性を尊重するべきです。この点においては総合的な学習の時間が小学1年からカリキュラムに入れられてとても役に立つと思います。そんなことができる教師を増やすためにも、まず今の教育観念を受け渡すサイクルをとめるべきです。

私も日本の教育は学力、思考力、人間性、芸術的センス、体力のすべての育成すべてにおいて 世界の中でもトップにいくと思います。しかし例外があります。自主自立性の育成においてはこれまでの子供は受身的な思考的傾向に邪魔されていると思います。それからいまだに日本の教育で考えるのが、あんなに沢山のことを詰め込む必要があるのかどうかいつも考えてしまいます。
>ふうてんの猫さん

まず以前の書き込み6について書き忘れたことから

>日教組や社民・共産は残業代での支払いなどを、教育の管理に繋がると反対してきました。

まったくのデタラメです。戦後、旧文部省は教員の職務の特殊性を強調して、時間外勤務手当(割増賃金)を支払わないまま、恒常的・慢性的な超過勤務を教員に強いてきました。60年代に入って、教職員組合はこうしたサービス残業について超勤手当請求の裁判を起こして次々と勝訴していき、最終的には最高裁でもそうした実態が違法であるとの判決が確定しました。そこで政府は教員の時間外労働については労基法の例外的運用(労基法適用除外)を認めることを求め、その代替措置として教員に一律4%の教職調整手当を支払う、「公立の義務教育諸学校等の教育職員の給与等に関する特別措置法(給特法)」を制定するとともに原則として超過勤務を禁止するという政策をとることにより妥協を図ったわけです。

しかし実態としては教員が多大な超過勤務を強いられるという状況はその後も変わらず、むしろ近年そうした傾向は強まりつつありました。そこで教職員組合は逆に超過勤務手当て(要は残業代)の支払いを求めて裁判闘争などを起こしているというのが実際のところです。ふうてんの猫さんの記述は全く無根拠なものです。


>私はエリート教育は今後の国際競争力の維持には必要で、それは日本国民で広く供給される利益になると思っています。
>しかし、そのエリート教育へのアクセスが個々の能力や精神的な意欲などでなく、親の年収や熱心さなどによる影響が大きくなることに問題意識を置いています。

ふうてんの猫さんのそのような考え方についてとやかく議論するつもりはありませんが、ここで私が問題にしているのは、早くみつもれば80年代以降進められてきた「ゆとり」路線と表裏一体となった財界の「エリート教育」論です。そこでは、残念ながら、あなたの主張するような、「国民に広く供給され」「親の年収」などによって左右されない、本人の能力や意欲のみに基づいて選抜される「エリート教育」が主張されてはおりません。私が47で述べた日本経済調査協議会の教育問題専門委員会の報告書によれば「育ちのよさ」がエリート教育を受ける条件として強調されています。財界が推進するエリート教育とは、階層の固定化・再生産をそもそも志向するものだったわけで、それが政府の審議会を通じて政策的に具体化されていったのが現在の状況です。

ふうてんの猫さんがなぜ文科省や教組・左翼は批判するのに、そうした格差拡大を推し進める教育改革の中心主体であると根拠を私が示している財界批判へは決して向かおうとしないかたいへん不思議です。

>そして、文部省と日教組や全教との共犯関係があったのだとすると、どうも、今の教育格差批判は、おかしいよなぁと思うということです。

よくお読みください。私は90年代の「教育改革」については、日教組は政府・財界とある種の「共犯関係」にあったと書いておりますが「全教」についてはふれておりません。全教はあくまで「カヤの外」におかれており「共犯関係」など成立するはずもありません。まあ日教組に関しては確かに現在「学力格差批判」を展開していますが、その前に自己批判しろよ、と言いたいところではありますね。しかしそれは何度もいうように、日教組が「左派」的イデオロギーを具体化した方針をとったから、ではなく、財界・政府に妥協して少数の「エリート教育」プラス多数の「ゆとり教育」という路線を、客観的には支えたから、という意味でです。というわけで、むしろ問題にするならば、日教組の「右傾化」をこそ、ということになりませんかね。

>カリキュラム自身の改定は決して望ましいものではありませんが、それによってセンター試験や高校入試の試験範囲も変わっているのでその点では、社会の階層によらずフェアーな変更です。

有名私立中高の入試では学習指導要領など関係なく入試は出題される以上、公立学校に対して拘束力の強いカリキュラム改正が階層中立的などということは言えますまい。

>既にスレッドでは問題視したのは、週休二日制度という点をあげさせて頂いています。 >ようは、時短・休暇増加という80年代の運動と、週休二日制度というもののリンクを問題視しています。
>土曜日を休みにすれば、ゆとりのある家庭や教育熱心な家庭が塾などに行かせるのは、実施以前から指摘されていた通りで、なぜ、そういうものに迎合したのかという問題意識であり、それが労働組合としての日教組・全教いゆえだと認識していました。

「週休二日」というのは、要は「学校五日制」のことでしょうが、これは文部省が「ゆとり」云々を言い出す前、正確にいつが出発点であるかはわかりませんが、おそくとも70年代以来の日教組(89年以降は全教も)の一貫した主張です。つまり、学校五日制というのは「ゆとり教育」とは異なるコンテクストから出てきているわけです。その背景には教員の労働時間短縮という要求ももちろんあったでしょうが、この方針を立てるにあたって日教組は対児童調査なども含め、各種調査を行っており、単に「労働者」という立場からの時短要求には還元できないと思われます。ひとつの大きなファクターはおそらく国際的動向でしょう。先進国はほぼ全て(学力国際比較で世界一となって近年話題を呼んでいるフィンランドも当然含めて)五日制に移行しています。

確かにふうてんの猫さんのおっしゃる通り、日本の場合、私学には五日制をとらせることができない、経済的に余裕がある家庭は土曜日に塾通いさせる、という傾向が生じる可能性はあると思います。しかし、日教組が五日制を主張し始めたのは、私学への進学熱や塾の問題などが顕在化する前の話であるということにも留意する必要があると思います。国際動向や教育効果なども含めた調査検討の結果出てきた五日制実現をという方針を、私学や私塾の乱立を理由に撤回するというのもおかしな話では無いでしょうか。これは教職員組合の力量を超えた問題で、私教育に対して適正な規制を加えることができなかった政府にまず批判が向けられるべきではないですか?

そして蛇足かもしれませんが、公立学校の教員に週休二日を認めないというのもやはり無理な話でしょう。戦後日本は一貫して世界に冠たる長時間労働であって、80年代からそれが過労死などの形で問題として顕在化し、労働時間短縮が国際公約にもなった以上、政府自らが率先して公務員の法定労働時間40時間化を進めることは当然せねばならないことであり、教員のみを特例あつかいすることはこれまた困難でしょうから。

>また教員の苦労という点では、
>このスレッドでも既に書いたとおり、子供の就職先を探すために奔走してくださっている教員や、子供の補習をしてくださる教員には頭が下がる思いでいます。

>しかし、そういう人々に手当てを払うことなく、横並びでみなし残業として、評価も横並びという態度でいる教職員の人事制度に大変憤りを感じています。

さきほど申し上げた通り、教職組は、教員の過重労働がいよいよ顕著になりつつある現在、残業代不払いの現制度に対する抵抗闘争を展開しております。

>その改革のためには実勤務の体系的調査が進まないのは、教員の労働強化につながる >という日教組の主張があったと理解していましたが、認識は間違っているでしょうか?

はい。全く間違っています。
おそらく『読売新聞』2006年1月28日付記事に基いた理解でしょうが、その記事自体誤りです。全教は一貫して勤務実態調査の実施を要求しており、日教組も単組レベルで勤務実態調査を教委に対して要求、単組によっては自治体当局と共同で実態調査を行っています。国会でも共産党議員から教員勤務実態調査を行うべきであるとの追及がなされたのに対して、文科省は「技術的困難さ」と「都道府県教委の仕事である」ことを理由としてそれを拒絶してきました。教職員組合の反対でできないというならそのように答弁すればよいわけですから、『読売』の記事も含め、誤っています。だいたい、前の実態調査が行われたのが67年のことであり、日教組は今よりずっと強大な影響力を誇っていました。それが前に書いたように80年代から急速に教組は影響力を弱めるわけです。日教組がきわめて強かった60年代後半にはそれが反対する調査が行われ、組合が弱体化して以降、その反対で文部省は実態調査もできないなどということは普通に考えればありえない話です。

実際には国立教育政策研究所による勤務実態調査は(67年調査ほど包括的なものではないですが。予算の関係上)2001年に行われており、別に日教組も全教もそれに抵抗したりはしていません。


>教職員への無責任な批判はするべきではないと思っています。
>ようは、部活動や課外活動、そして現場での改革などを頑張っている教職員を世論が支えていく一方で、教育労働者の労働貴族を許さないという世論も形成していく必要があると思っています。
>朝日新聞の記事のような教員がいる一方で、教職員みたいな楽な仕事はないよという連中や、破廉恥な事件や、子供への問題行動などを起こす教員やそれを守ろうとする勢力と戦っていく必要があると思っています。

「教職員みたいな楽な仕事は……教員やそれを守ろうとする勢力」というのが日教組であり全教だとおっしゃりたいのですか?誤解なら申し訳ありませんが、もしそうなら日教組なり全教なりが問題行動を起こした教員を守るという方針・決議をあげた、ないしはそういった行動を行った、という事実を示していただけませんか?私はそうした事実を寡聞にして知りません。私は自分の主張を全て団体名や個人名などをふくめた具体的な事実・実例を挙げて行っています。ふうてんの猫さんのお話からはそういった話が全く出てきません。

で、「朝日新聞の記事のような教員」というのは私の書き込み35についてでしょうが、確かにここに登場する教員は組合員なのか非組合員なのかわかりませんね。ただ、あなたはなぜその前の書き込み『東京新聞』の記事で紹介されている教育研究集会については全くふれないのですか?あなたはとにかく、組合員は働かず、教育や児童生徒のことより自分の利害ばかり考える、という観念をもっておられるようですが、この記事はそれへの反証です。

この教研集会は実に50年以上の歴史をもって毎年行われており、全国から組合員が集まって各教科、課外活動、PTAなど20以上にわたる分科会を設け、それぞれの科目の教育方法・実践に関する現場からの報告やそれに基づく討議が行われています。このような研究会を文部省が組織しているという話もまた、私の不勉強のせいでしょうが聞いたことがありません。組合は教育のことを蔑ろにし、働かないものを守っている、という命題がどのような事実から出てきているのかぜひ知りたいものです。

>私は、教職員でも公教育に携わる人々は納税者や有権者の理解を得られるように 自己説明するアカウンタビリティーがあると思っています。
また、公教育が公務員によって行われている以上、批判の対象として批判に耐えうる情報発信や改革がなされるのは当然かと思います。

上述の教研集会は公開で行われ、報道ももちろん自由、報告書も公開されております。『東京』の記事でわかるように、現在指導上直面している問題点や現場の悩みなども率直に語られ、公開されています。そうした記事を見ることも無く、情報発信せよ、というのはまずきちんと情報把握することをなさってから主張するべきだと思います。何度もいうように私はこれらの問題の専門家でもなく、素人が簡単にアクセスできる情報をもとにお話しております。

>また、日教組の他者への攻撃的な主張を見ると、必ずしも相手の立場や実情や歴史的事実を理解した上での批判とは思えないと思うので、とりあえず批判してみて、なにか言われたら訂正するとうのも日教組に関しては許されると思います。

……(゚◇゚;) 本気で言ってるのですか…?唖然とするしかありません。「何の根拠が無くても、想像でも空想でも捏造された証拠にもとづいていても『お前らはこういうことをしたに違いない』と決めつけ誹謗しても許される」ということですね。

某代議士(民主党党員資格停止中)と同じですね。は〜、そうですか。ちょっと、まともに議論や批判のやりとりというのがバカらしくなってきますね。もう私はここまで言われると何も言えません。言葉がありません。他の参加者の方々のご判断に委ねたいと思います(仕事の合間をぬって必死で書いたのも虚しくなってきますね)。
>クリメントさん

>>ドイツのCDUも左派ですね。うわ、すごい!ドイツはほとんど全議席を「左派」が占めてますね!

>その通りだと考えますが

たいへんユニークな見解ですね( ̄ー ̄)
個性的な見解をお持ちになることはたいへんすばらしいことです。それに「左右」を分かつメルクマールなど人によって様々でしょう。
しかしそれにしてもあまりにユニークです。ヨーロッパ政治・ドイツ政治の専門家はもちろん、ドイツ人に聞いても「CDUは左派だ」という見方に賛同される方は皆無だと思います。CDU関係者に聞いてみたら怒りを買うかもしれませんよ。

まあ、チャレンジなさっても止めはしませんがね。
>たいへんユニークな見解ですね

説明不足でこれは私に落ち度がありますが、「戦争に対する評価」ゆえに「左派」と申したのではありません。

大体欧州では「左派」も海外派兵に批判的とは限りません。
私も「いつでも自衛隊出せ」とは思いませんが。
それにフランスに対してドイツは謝りましたっけ?
寡聞にして存じません。
ユダヤ人に対しては謝罪していますが。

>( ̄ー ̄)

まあ笑われるのは解ります。
ですがすくなくとも経済左派だとは思いますよ?
最近はメルケル首相になってかなりアヤシクなっていますが。

>CDU関係者に聞いてみたら怒りを買うかもしれませんよ。

怒るような感情的な人間だったら話す価値は無いので構いません。
そもそも「左右」などは相対的指標でしかないのですから。
ご存知だとは思いますが。
他人の何十倍ものミスを棚にあげて、他人のミスの批判をしようとし続ける人って、良く考えたら凄いですね。

そんな人に政治の主導権を渡したら、普通の国では反政府運動が起きるくらいでは済まないはずですが、国民が大人しい日本では分りませんね。
いまさら&話の流れをぶった切りますが、こんなデータがあったのでリンク貼っておきます

http://www5.cao.go.jp/j-j/wp-pl/wp-pl01/html/13305600.html

こうした進学期待差が生じる原因が所得によるものか、親の学歴によって学歴に期待する効果が異なるためかはわかりませんけれど。
長吉さんへ

たいへん勉強になります。
個別の議論への返答が必要だとおっしゃられれば、コメントするようにいたしますが、文芸春秋や日経新聞、読売新聞あたりで書かれた記事を読んだ結果として考えた場合に、元記事が間違っているからと私を責められても困るというのは率直な感想です。

>唖然とするしかありません。「何の根拠が無くても、想像でも空想でも捏造された証拠にもとづいていても『お前らはこういうことをしたに違いない』と決めつけ誹謗しても許される」ということですね。

日教組は朝日の記事を垂れ流して戦争批判などをしてきたため、どこかのメディアで掲載された記事をベースに批判することに文句をいいっこないだろうというつもりで書いています。

無論、我々保守的な考えを持つものは朝日や東京新聞などの記事を信じていないため、メディアに掲載される記事が正しいなどとは、読売に対しても朝日に対しても思ってなどおりませんが、それを引用したりする際に裏までとることを求めるのは知識人の横暴だと思います。

新聞で読んだ程度の内容で話をするなということであれば、官僚や大学教員などの専制を生むことになり、実際にそういう政治的な状況というのは起こりえます。

記事のあやまりについてはみとめますが、あの記事は事実誤認なのにそれを引用しているおまえに論じる資格はない
ということが広く一般的でないなら、そろそろやめにしたいなぁと思います。

というのは、私の知識では長吉さんのお話とメディアのお話でどちらを信じるか判断がつきかねるからです。
これ以上詳しい話は他のコミュニティの方があっているように思います。

ただ、この箇所にはしっかりと返信をしろ
とのご指摘をいただければ、誤認に関する謝罪も含めてお受けするのはやぶさかではありません。

余談ですが、
>waverさん

>他人の何十倍ものミスを棚にあげて、他人のミスの批判をしようとし続ける人って、良く考えたら凄いですね。

たぶん、だから社民党は消えかけていて、共産党は根強い支持があるのだと思います。
僕個人として、共産党は嫌いであっても、かつての共産国の擁護以外には脇のあまいところが非常に少ないし、やっぱりしっかりしていると思います。
批判をするなら自らがしっかりしなければならない、ということを体現化していますよね。
(PSE法関連でもGood Job!!でしたし)
>PSE法関連でもGood Job!!でしたし

私も参加した新宿のデモでは、
民主党の川内博史先生(PSE関連の議員懇談会の事務局長)がメッセージを寄せてくださり、
日本共産党の塩川哲也先生が街宣車で演説してくださいました(共通の知人がいることが分かって和やかにお話もできました^^)。

サヨク・左翼は基本的に嫌いですが(笑)
今回は素直に感謝したいと思います。
スペシャルサンクス民主党&日本共産党!
(私が言うから爆笑モノ)
>ふうてんの猫さん

>日教組は朝日の記事を垂れ流して戦争批判などをしてきたため、どこかのメディアで掲載された記事をベースに批判することに文句をいいっこないだろうというつもりで書いています。

日教組が第二次世界大戦における日本の行動に対する批判的な見解を打ち出すのは別に『朝日』の記事を垂れ流しているわけではなく、彼ら独自の研究活動によるものではないですかね。日教組にはふうてんの猫さんがたいそうお嫌いになっているような「偏向した」社会科教員が、少なくともかつてはいっぱいいたわけですし、歴史教育者協議会のような「アカども」との友好関係もあるでしょうから。『朝日』の記事に基づいて教組が戦争に関する声明や決議を発したという事例があれば紹介していただけませんか。

>無論、我々保守的な考えを持つものは朝日や東京新聞などの記事を信じていないため、メディアに掲載される記事が正しいなどとは、読売に対しても朝日に対しても思ってなどおりませんが、それを引用したりする際に裏までとることを求めるのは知識人の横暴だと思います。

>新聞で読んだ程度の内容で話をするなということであれば、官僚や大学教員などの専制を生むことになり、実際にそういう政治的な状況というのは起こりえます。

何度も何度も申し上げますがね、私は教育史や教育学の専門家でもなんでもないんですよ。私がここに書き込むにあたって事実確認のために行ったことといえば、あなたもやったようにgoogle様に適当にキーワードを放り込んで検索をかけてみた、土曜日に散歩がてら近所の公共図書館に寄っていくつか参考資料にあたってみた、たまたま持っていた斎藤貴男の本を読み返してみた、そんだけです(斎藤本は今文庫化されていて小さな本屋にもありますよ)。URLをいちいちあげると煩雑になりすぎるのであげませんでしたけど、ふうてんの猫さんも「日教組」と「ゆとり教育」だけググって自分の主張に合うものが一つ二つ見つかったらそれだけひっぱってくるのじゃなくて、批判対象にしている組織のサイトや国会の議事録、新聞も一紙だけではなく横断検索をかけてみるくらいしてみたらどうですか?そんなことくらい「官僚」や「知識人」じゃなくてもできるでしょう。

ちなみに『読売』の記事に関して言えば、そこに出てくるいくつかの単語をキーワードにして検索をかけてみると、同じような教組批判をしているHPやブログがいっぱい出てくるけれども、どうもソースがみんなくだんの記事らしいということ、既述のように80年代以降左派教組の影響力は顕著に弱体化しているという、まあ教育問題や社会問題に興味があれば普通は誰でも知っていそうな事実に照らしてどうも不自然だと思って、キーワードを変えつつ検索していろんなサイトにあたってみた結果、もっと詳細かつ具体的な情報のもられたサイトにヒットしたというだけのことです。タネを明かせば他愛もない話でしょ。私は知識の宝庫でもないし、「日教組の悪しき戦後教育」のせいでしょうかね、すっかり怠け者に育ってしまったのでそんくらいしかできんわけです。そんくらいでもこれだけの事実は見えてくるということです。ネット社会は便利ですね。私のような「悪しき戦後教育」の申し子の怠け者でも知ったかぶりできちゃうんですから。

あ〜あ、それにしても、せっかくスゴイ物知りのふりができていたのにふうてんの猫さんの追及でネタばれしちゃいましたよ ヤレヤレ ┐(´ー`)┌ マイッタネ

>ただ、この箇所にはしっかりと返信をしろ
>とのご指摘をいただければ、誤認に関する謝罪も含めてお受けするのはやぶさかではありません。

ではお言葉に甘えて…

>公教育を使い物にならないようにしてきた、日教組(社民系)や全教(共産系)の所業

>子供のためにすることを若い教師が増やそうとすると 「仕事が増える」と反対する教職員組合

>働かない人を守るのが労働組合だといってはばからない連中や、子供よりも教育労働者を優先する労働運動

>教職員みたいな楽な仕事はないよという連中や、破廉恥な事件や、子供への問題行動などを起こす教員やそれを守ろうとする勢力

これらの記述について明確に具体的にそれは何を指しているのか、どのような根拠に基づいてそのように規定するのかを述べてください。上述したような私のやったことをやれば十分可能じゃないですかね。

できないならばこうした発言について撤回するとの明言をお願いします。
どうぞいくらでも低く評価なさってください。けっこうですよ。私は自分の評価が高いなどと思ったことはありませんので。あなたのように偉い方とは人間の出来がちがいますから。どこが「ガキ」みたいなのかよくわかりませんが、別にガキでもけっこうですよ。私はふうてんの猫さんにお答えして、かつ、質問してるだけです。
>63:ぴーちゃん

そうですか??
ずっとROMしてきた一外野から見て、長吉さんの書かれていること筋が
通っていると思いますし、「ガキみたいなこと」には思えませんけど。
ぴーちゃんさま 助平(スケヒラ)さまのご発言を受けまして
>>あ、あの、長吉さま

長吉さまの文章には勉強になることが非常に多いです。
「ネタ」があったとしても拾ってくる才能はお有りなのですから、これからも色々勉強させて頂ければ幸甚です。

ですが長吉さまの文章には、惜しむらくは余分な捨て台詞がところどころに挿入されていて、ただでさえ「サヨク蕁麻疹」の方には、癪にさわるところもあるのでしょう。いや左派の方でも「ちょっと言い方がキツ過ぎるのでは?」とお思いになる方もいらっしゃるかもしれません。

それを「サヨク蕁麻疹の出る低レベルなヤツなど放っておけ」などと言った類の事を言うのは簡単ですが、それでは折角の勉強の機会、成果の共有という目的に対する効果が半減してしまいます。

現実問題として、人間はそれほど自分の現在の見方に否定的な見解をいつも冷静に分析出来るほどには、強く出来ておりません。

私には特に「現状の教育を推進してきた財界」という視点は、あまり意識していないものでしたので貴重な視座となったと思っております。ですから長吉さまには感謝もしております。

このコミュは、おそらく政治的立場を超えて「考えよう」という方が集まっています。格差社会についての研究成果の共有という事をお考えになって、もう少し角のとれたご発言をして頂ければ嬉しいです。
長吉様

>日教組が第二次世界大戦における日本の行動に対する批判的な見解を打ち出すのは別に『朝日』の記事を垂れ流しているわけではなく、彼ら独自の研究活動によるものではないですかね。日教組にはふうてんの猫さんがたいそうお嫌いになっているような「偏向した」社会科教員が、少なくともかつてはいっぱいいたわけですし、歴史教育者協議会のような「アカども」との友好関係もあるでしょうから。『朝日』の記事に基づいて教組が戦争に関する声明や決議を発したという事例があれば紹介していただけませんか。

まず、朝日の記事のいくつかを教育現場で使っていたという事実が挙げられます。
日教組は教員組合であり、歴史学会ではないのです、声明や決議をする立場にあるとは思いませんが、日教組に属する教員が行った歴史教育については、日教組は一定の責任を負うべきです。
それは法律的な責任ではなくて、倫理的な責任です。
それは、彼らの歴史観が、軍属が行った犯罪はたとえその軍属を軍法会議でさばいていようが、日本政府の責任である
と考えている以上、同様に日教組が批判すらしない現場の教員の行動は日教組的だとされてもしかたないと私は理解しています。

また、東南アジアでは、日本の教員の方がきて、
「日本兵が何か悪さをしたはずだ教えろ」 といわれたので、
「『別に何もしてないし、立派な方々でしたよ。』というと、村中全員に聞いてまわって不服そうに帰って行った」というような調査のことでしょうか?

いずれにしても、私が教育現場で使われた資料は後日捏造だとされて、ほとんど引き合いに出されなくなったものです。
その資料に対して朝日だけじゃなくて、日教組も独自の調査をしたなんて思っていません。

たぶん日教組や教員は私同様に、便利に使えそうな記事があったから生徒に配ってまわっただけだと思っています。

>ふうてんの猫さんも「日教組」と「ゆとり教育」だけググって自分の主張に合うものが一つ二つ見つかったらそれだけひっぱってくるのじゃなくて、批判対象にしている組織のサイトや国会の議事録、新聞も一紙だけではなく横断検索をかけてみるくらいしてみたらどうですか?そんなことくらい「官僚」や「知識人」じゃなくてもできるでしょう。

おっしゃることは同意で、一応自分も高等教育を受けた立場であれば、求められればそういうことはいたします。
しかし、だからといって、mixiの政治的なコミュニティーで、新聞や雑誌の記述を一次ソースにして書いたら調査が足りないと批判するのは、やはり同意いたしかねます。

そういう綿密な調査ができる長吉さんに対して私も含め多くの方が敬意を表するのは当然ですし、実際に勉強させていただいています。
しかし「お前も同様にしろ」といわれると、それは違うのではないかと思うのです。
「間違っているから訂正しろ」 というのとは主張の趣旨がずいぶんと変わると思うのです。

私としては本論とずれてきているので収束の方向にしたいため、五日制などコメントをお返ししたい箇所もありますが、ご指摘いただいた部分への返信をいたします。

>子供のためにすることを若い教師が増やそうとすると 「仕事が増える」と反対する教職員組合

これについては、知人の教員から聞いている話です。
たとえば、時間外での活動、課外活動や新しい授業の進め方などです。
情報源が少ないということや一次ソースを示せないので、撤回しろといわれれば撤回しますが、個人の経験の範囲で語るのはそれほど責められる話ではないと思っています。

>働かない人を守るのが労働組合だといってはばからない連中や、子供よりも教育労働者を優先する労働運動

これについては、前者については撤回いたします。
後者については、日教組が授業のある平日に大会や活動を行って、公務扱いにさせて、授業は自習などにしていたことをあげさせていただきます。
また、5日制への同意もこの範疇にいれて考えていました。

>教職員みたいな楽な仕事はないよという連中や、破廉恥な事件や、子供への問題行動などを起こす教員やそれを守ろうとする勢力

たとえば、広島や三重県での教師全員同じ評価という運営をあげさせていただきます。

全員が同じ評価ということは、子供にとって悪い影響があるような教員すら同じ評価だと類推されます。

また、最近では教員の評価なども情報が開示されてきて、謹慎処分になった教員すら一律で高評価がついている例などが糾弾されています。

無論、日教組が直接求めたという証拠をあげることはできませんが、広島や三重県は日教組が強い場所ですし、関連性は指摘されています。

また、国語の授業でなぜかプロレタリア映画などを見せられる受験生だった私としては、子供の権利を軽視する日教組という権利があると思います。
「(大人は聞いてくれない)教育指導要領には当然なく、受験とも現実社会とも関係のない話を、教師というたちばを使って子供に一方的に聞かせる」という日教組のやりかたに恨みつらみがある人が、反日教組な人には多くいます。
私もおかげで成人式では君が代斉唱で着席したままでいる自分を誇らしく思うような大人になりました。

そういうゲリラ的な教育のやり方って子供の人権や保護者の選択の権利をえらく軽視していると思うんです。
教員が自分の信条で、アメリカや中国的な愛国教育を始めたり、キリスト教の博愛主義にもとづく平和主義を教えたり、音楽の授業で宗教音楽ばっかりやったり、信条にもとづいてダーウィン的進化論を教えなかったり
と、自分の信条を勝手にするのは、どのような思想でも許されるべきではありません。それは著しく子供の権利を損ないます。
しかし、キリスト教系の学校で進化論というものがあるが、キリスト教ではそれを否定しているとか、音楽の授業で教会音楽を中心にやったって問題はないように思います。
同様にマルクス系や反日系と明記した学校を設立してその理念に沿った教育を受けたい師弟を集めるべきことを、そういうことをせずにゲリラ的にやって、教員の信条 などと言い出すから、子供の権利よりも教員の権利を優先する と私は思うのですし、そういう行動が一時が万事という懸念を与えるのです。


>公教育を使い物にならないようにしてきた、日教組(社民系)や全教(共産系)の所業

以上のような例を踏まえて、こういう書き方になっています。


★ただし、日教組は全教と分かれてからはかなりまともになっているというのはその通りで、そういう意味では、過去の事例も含めてあたかも日教組が今も昔同様の悪行をしているかのような書き方をしたのは、私は公平性を欠いていたと言えると思います。
(まぁ、日教組は悪いことをしたら、謝罪と賠償は永遠にするものだと思っている節もあるので怒らないとは思いますがw)

以上です。

過去と異なり、今の日教組は歴史認識以外はまともだと思う。
という立場を表明するので、終わりにしませんか?
結局子供に習い事をさせたり私立に向かわせたりする根拠として公教育がいまひとつ・・・というのがあるのだとしたら、政府のやってることもなんだかなあ、だし今の教師の質も信用できないってことでいいんじゃないですか?

で、今の教師を形作っているのは間違いなく政府の政策のありようと日教組他のありようもあるんだから(全部じゃないけど、全くないとは到底思えない)
IZUMIさんへ

お返事が遅くなってしまって申し訳ありません。

> いつ頃からそうなのか分かりませんが、現在の日本の教育は生徒が受身的で成り立っていると思います。まず子供が自分で考えて行動ができる権利を持っていることをあまり認識していないと感じます。家庭でもそういった押し付けやすい子供の役割みたいなのがまだ残っていると思います。そうやって大人になっていった親や教師が何を子供に伝えれるかと言うと、自分たちが子供の頃に受けたように 彼らの狭い観念が伝わっていくのです。子供が「海外でボランティア活動に参加したいから大学を1年休学したい」と言うと 親は「人生に汚点を作る事はやめなさい」と言ってみたり、就職や進学の時期に自分が何がしたいかわからない子供を見ても一緒になって「難しいよねー」とか「わからないよねー」と当たり前のように言ってしまうのです。そういう何をしたらいいか分からない子供に育てたのが大人であり親子の世代で受け渡ししてきたサイクルでできたと思います。

私としては、おっしゃる理念については賛同するけど、どうも、そういう理念が中途半端に実行されているために良くない結果になっているように思っています。

最近読んだ本でも、小さい子のに自我を大きく評価されると、自分の等身大を見失って、自分がうまくいかないのは他人のせいだというような態度になってしまうということを書いていました。

また、小学校ぐらいで自主性とか言ってしまうと、好きなことだけしか勉強しないでいいというようになってしまいます。

それは自分の道を自分で決められる子供ではなくて、自分の欲求を垂れ流すだけの子供になってしまいます。

日本の習い事では 守 破 離 という言い方をします。
守では師匠の教えをひたすら鍛錬し、破では師匠の教えを超えて新境地を切り開き、離では師匠の教えから離れていく
と理解しています。

実は中学校ぐらいまでは守の段階ではないかと思います。
自分で考えろ
ということも含めて、破 をするための鍛錬をしているのだと思います。

私も子供の権利というものは認めますが、権利には義務がついてまわります。おっしゃるように、子供が大きな子供でしかないのであれば、決定の責任までを負うことはできません。
だとすれば、守 として社会をより深く知っている保護者や親族や教師のアドバイスにしたがっていくのも大事ではないかと思います。
そのために、学校に自衛隊や僧侶の経験者や会社をやっていてつぶしてしまって教師なんて人が一人ぐらい混じっているといいんじゃないかと思います。

ただ、日本の問題は、自分で決めていけというと、何か特別なことを決めないといけないかのような錯覚に陥ってしまうことです。香山リカさんの「就職がこわい」や玄田さんの「ニート」で指摘されているように、自分の人生を自分で決めろというプレッシャーに耐えられなく社会にでていけなくなる大学生もいます。

また自分で決めるというときに、親も教師もフリーターでいいといってしまうことがあるようですが、本人も親も教師も、フリーターになるリスクを背負う覚悟というものをあまり意識していないようにも思います。

私は早熟で自分で決めて頑張れる子にはその決定を尊重すること、また決められない子には、頑張ればどうにかなる道を示すことが大事だと思います。

自己決定とはその決定に対する責任も伴うので、決めたことが実現できるかは別です。

ふうてんの猫はアイドル歌手になる!!
と自己決定しても、それが社会で実現できるかは別問題です。
そういう意味で、実は日本の教育における自己決定とは自己の過大な評価や自己肥大化的な側面か、逆に自己の過剰な萎縮で、等身大の自分と社会をすり合わせるということがとても苦手なんじゃなかろうかと思い、それが、ニートやフリーターや学力低下という若年層の格差の拡大の主要な原因の一つのように思います。

理念としての自己決定と、その能力をつけさせることの難しさということを感じます。
能力が無いのに自己決定していいのよ というのは実は本人のためにならないように思います。
(それだったら家長が お前は俺の決めたところで丁稚方向してこい の方がまだマシなケースすらあるかと・・・)
>クリメントさん
>ふうてんの猫さん

>ですが長吉さまの文章には、惜しむらくは余分な捨て台詞がところどころに挿入されていて、ただでさえ「サヨク蕁麻疹」の方には、癪にさわるところもあるのでしょう。いや左派の方でも「ちょっと言い方がキツ過ぎるのでは?」とお思いになる方もいらっしゃるかもしれません。
 ……
>このコミュは、おそらく政治的立場を超えて「考えよう」という方が集まっています。格差社会についての研究成果の共有という事をお考えになって、もう少し角のとれたご発言をして頂ければ嬉しいです。

クリメントさんのご指摘を受けまして、あらためて自分の一連の書き込みを読み直してみると、おっしゃることよくわかります。要は「言わんでいいこと」、不必要に揶揄したり挑発したりするかのような表現が多々見られますね。確かに、日本共産党さんになら「極左的妄動」「挑発行動」と批判されそうなところです(笑)。私もおそらく面と向かっての議論であればこういう言い方はしないでしょうから、私も知らず知らずのうちにネットでのコミュニケーションの悪しき部分に染まっていたのかもしれません。

こういう姿勢は、おっしゃる通り、立場が異なろうとも生産的に議論を交わすという点では好ましからざるものであって、ふうてんの猫さんやクリメントさんに、意見への反論という以上に不快感を与えたのでしょうから、反省し、おわびしたいと思います。申し訳ございません。

また、さしたる内容でもない書き込みに対する過分なご評価、恐縮です。

さて、そのうえで、ふうてんの猫さん68の書き込みを読んでですが、おそらく自分が子ども時代の教師体験といったところから、なかなか難しい感覚的な相違が生まれてくるような気もいたしました。私の場合、70年代〜80年代半ばにかけて義務教育を受けた世代で、日教組もなかなか強い地域でしたし、実際、その後単組役員となった教員の担任するクラスにもいたこともあります。実際誰が組合員で誰がそうでないかはよくわからないのですが、確実に組合員であるとわかるその担任は私にも他の生徒にもたいへん評判が高い、たいへん良い先生でした。で、逆に高校に入ってからは、明らかに組合員ではないとわかる、保守的な教員の授業も受けましたが、こちらも良い先生であったという思い出があります。つまりは、私の原体験として、日教組の組合員であるかどうかということと良い教員であるかどうかということは結びつかないわけです。そのへんの結びつきを経験的に感じている人には、教職員組合には好ましくない印象がその後も常につきまとってくるのかもしれません(ただし、私の場合、前述したように親からはさんざん組合への非難を聞かされてはおりましたが)。

まあ、ですからお気持ちは想像できなくも無いですが、やはり個人的な体験をも相対化しつつ、反証可能性のある事実や論理に基づいて議論するということは大切なのではないかと思う次第です。何もこれはふうてんの猫さんを批判するという意味だけではなく、自戒をも込めて申し上げております。

そのうえで

>ただし、日教組は全教と分かれてからはかなりまともになっているというのはその通りで、そういう意味では、過去の事例も含めてあたかも日教組が今も昔同様の悪行をしているかのような書き方をしたのは、私は公平性を欠いていたと言えると思います。
……
>過去と異なり、今の日教組は歴史認識以外はまともだと思う。
という立場を表明するので、終わりにしませんか?

とのご発言についてですが、そろそろ終息させたいというのは私もやまやまではありますが、この発言については、ふうてんの猫さんご自身のこれまでの書き込み内容と矛盾するのでやはりそこは指摘させていただきます。

そもそもふうてんの猫さんは主に公教育における「ゆとり教育」を格差拡大をめぐっての重要問題と捉え、その責任が日教組と全教にあるとの主張をなさいました。それに対して、私は38・45・47の書き込みにおいて、「ゆとり教育」を「エリート教育」と絡め、格差拡大を志向しつつ「教育改革」を進めた中心的主体はむしろ財界であることを明らかにしてきました。そしてそのなかで90年代における日教組の動向にもふれたわけです。再録いたしますと

45:「90年代後半における「ゆとり教育」の全面化は、財界および保守派の「エリート教育」重視の動きと表裏一体のものとして立案され、旧文部省が具体化し、労使協調路線へと方針転換した日教組が応援団となる、という構図の下で実現していったものだったわけです。まあそういう意味では、ふうてんの猫さんのおっしゃるように「文部省と日教組の共犯関係」というのは一定の事実にせよ、それは日教組の「左派」的性格から出てきたものではありえません」

と書いたわけです。
これに対する応答のなかでふうてんの猫さんは、日教組について「文部省との共犯関係については腹がたちます」と発言されています。
さらに私は55の書き込みで、90年代における教育政策の決定過程にあたっては日教組はともかく全教は「カヤの外」におかれていた旨、発言いたしました。これについてはとくに反論もなく、お認めいただいたものと考えてよいと思われます。

したがって、ふうてんの猫さん68の「日教組は全教と分かれてからはかなりまともになっている」「過去と異なり、今の日教組は歴史認識以外はまともだと思う」というのはご自身のこれまでの発言内容と矛盾すると思います。歴史認識云々や労使協調路線自体の当否はこの際おいておくとしても、公教育における「ゆとり教育」と格差拡大との関連性を問題視するのであれば、むしろ全教とわかれてからの日教組こそ批判なさるべきではないですか?実際53ではそういった発言をしておられるわけですし。

ともかく、80年代から90年代にかけての政府による教育政策こそが「エリート教育」と「ゆとり教育」をコインの表裏とし、教育格差の拡大そのものを志向するものであったこと、それを推進するにあたって政治的影響力を発揮した中心的主体は財界であったことが、少なくとも文献資料などから明らかにしうる。これを私のこれまでの書き込みの一応のまとめとさせていただきます。

基本的に議論を終息させることに積極的に異議は唱えませんが、これに対するまた反論もありましたら別にぼちぼち続けるにやぶさかではありません。

したがって、ふうてんの猫さん68の「日教組は全教と分かれてからはかなりまともになっている」「過去と異なり、今の日教組は歴史認識以外はまともだと思う」というのはご自身のこれまでの発言内容と矛盾すると思います。歴史認識云々や労使協調路線自体の当否はこの際おいておくとしても、公教育における「ゆとり教育」と格差拡大との関連性を問題視するのであれば、むしろ全教とわかれてからの日教組こそ批判なさるべきではないですか?実際53ではそういった発言をしておられるわけですし。

これに関しては、
私は週休二日制や時短のために、積極的にゆとり教育を進めた主犯としての日教組という書き方をしました。
しかし、長吉さんのおっしゃるように日教組が労使協調路線で、強い主張をせずに文部省に従うようになったとすれば、それは主犯ではないと思うのです。

左派の方は、そういうときこそ戦うべきだ
とおっしゃるでしょうし、それについての見解は留保しますが、自分たちの労働条件改革なんてためじゃなく、単に流されただけだとすればそれはある意味現代社会では比較的「まとも」だと思うのです。

ようは、ゆとり教育へのモチベーションがあると思っていたが、たんに流されただけだったなら、そこまで強く攻めることもあるまい というのが私の宗旨替えした理由です。

ただ東京の日教組系の主張などを見ると
http://www4.ocn.ne.jp/~ttutokyo/sokuhou/005sokuhou63kinmujikan.htm
土曜日に働けるようにすることが 5日制の破壊 という主張もしているし、日教組の上層は比較的「大人」になったけど、まだまだ現場ではそうではないのかとも思います。
しかし、一応組織としては文部省と和解して追従路線なのは認めるところなので、矛を収めたいと思います。
と、書いたのですが、
やはり
公教育こそが機会の平等を保障するもっとも基本的な政策だし、
長吉さんもおっしゃるように、教師との出会いにずいぶんと違いがあるとすると、それを子供の運に任せてしまうようなやり方はある意味運も実力のうちという競争主義的な発想であり、あの先生にあたって運が悪いとみなが思うような教師を矯正したり、排除したりする仕組みも、社会の公正さのためには必要だろうと思うのです。

それを拒むのは日教組だ!!というのが私の書き方ですが、そこまで決め付けでないにしても、今の現状がどのようなメカニズムで起こっていて、どうすればそれを改善できるのかということについて皆さんも含めて意見が聞ければと思います。

私も思うことはあり、いくつかは現場の日教組への批判にもなりますが、冷静に論じられるように努めるつもりですので、よろしくお願いします。

ということで、本論は今夜か明日にでもアップします。
ふうてんの猫さんへ
>最近読んだ本でも、小さい子のに自我を大きく評価されると、自分の等身大を見失って、自分がうまくいかないのは他人のせいだというような態度になってしまうということを書いていました。

あなたの↑で話している事は self-esteem(自尊心)です。私が言っているのはautonomy(自主自立性)の話しで 両方とも子供の発達において大切な領域ですが 残念ながら全く別の話しになってしまいます。ついでに情報補足しますと、今まではself-esteemが低いと将来のリスクとなると言われてきましたが、最近の研究では、self-esteemが高すぎても アグレッシブで反抗的な人格になりやすいとまでわかっています。ですから「適度に自尊心をpromoteしてあげることが大切」というのが今の最先端の理解です。

>また、小学校ぐらいで自主性とか言ってしまうと、好きなことだけしか勉強しないでいいというようになってしまいます。

きっとこれも あなたのself-esteemとautonomyの区別できない理解でおっしゃっているだけかと思います。それに なんだか、子供のことをバカにしているような発言に聞こえます。。。。

しかし私もふうてんさんに賛成する意見があります。
>日本の習い事では 守 破 離 という言い方をします。
守では師匠の教えをひたすら鍛錬し、破では師匠の教えを超えて新境地を切り開き、離では師匠の教えから離れていく と理解しています。中学校ぐらいまでは守の段階ではないかと思います。 自分で考えろ ということも含めて、破 をするための鍛錬をしているのだと思います。

私もautonomyの育成は中等教育くらいから特に強調するべきだと思っています。
何度も言いますが、私は何も具体的な教育政策などあげていません。「小学校ぐらいで自主性とか言って」と書かれましたが 私は書いた覚えがないです。。。。。。しかしこの機会に私の意見を言わせてもらうと、 小等教育でも幼児教育でも自主性を育てる事は大切です。 今はこの課題についていろいろな研究の最中ですが、保育園でも自主性を育てるアプローチがいくつかすでに発案されています。outcomeも好評でいろいろな視点から見ても やはり効果的と言われています。もし興味がおありでしたら英語のジャーナルですが記事をupします。その1つのアプローチを実施している保育園の園児を私は去年observation studyさせてもらいました。子供を子供として見ることはいいのですが、劣っているとか能力がないとかそういうふうにカテゴライズするのは間違っています。 何度も言いますが、私が言っているのは まず大人が当たり前に子供に自分の考えを言うのでなく、ふと立ち止まってなぜ自分がそう信じるようになったか先に認識するべきだと言っているのです。個人レベルで見る教育概念も社会レベルでみる教育概念も一度再認識すべきだと言っているのです。

>私は早熟で自分で決めて頑張れる子にはその決定を尊重すること、また決められない子には、頑張ればどうにかなる道を示すことが大事だと思います。 自己決定とはその決定に対する責任も伴うので、決めたことが実現できるかは別です。

全く賛成です。しかしふうてんさんは自己決定だけにとらわれ過ぎていますが、他にもいろんな大切なautonomyの例があります。例えば自分の意見を持つこと。「将来何をやったらいいかわからない。けど僕が今好きな事はこれとこれだ。」というのも立派な自分の意見です。「将来の夢や目標がない。だから今からいろんな物事を見ていきたい。」というのも、立派な意見です。自立した自分の意見を持つことこそ、autonomyの根本であって、そこから自己決定の能力がついていくのでは? 

>理念としての自己決定と、その能力をつけさせることの難しさということを感じます。 能力が無いのに自己決定していいのよ というのは実は本人のためにならないように思います。 (それだったら家長が お前は俺の決めたところで丁稚方向してこい の方がまだマシなケースすらあるかと・・・)

あなたの言う能力の有る無しの定義は何ですか? きっとそこが原因でそう思うのでは? ふうてんさんの意見ははっきりしていてとても素晴らしいと思います。 しかしそれが裏目に出る時があると思います。 知識が浅い時点で白黒はっき自分の意見をもってしまうのはあまり良くないかと。ですから だからこそ子供の発達についてもっと勉強されてはどうですか?

最後に、今までこのトピックの内容を読んできましたが、みなさんとはなんだか思う場所に大きな違いを感じました。ですのでこれを最後にさせてもらいます。しかし 最後に言わせてもらいたいのは、教育の格差についての話しだったので「改善するには?」とか「改善する必要がない」とかそういうお話しを繰り広げるのかと思っていましたが、話がとても違う方向にいっているような気がしました。それはいいのですが、あと、みなさん政治や教育に対する知識はおありですが、子供に関する知識があまりないように思います。教育の専門家がいつも政府に断言する事ですが、「子供の発達に関する知識無しでは教育を語る資格がない」と私も思います。 でもこれはただのコミュニティーなのでいろいろな意見を言い合う場としてみなさんが意見を言い合うように 私も私の意見を言ってしめくくらせてもらいます。
>>IZUMIさま
>「子供の発達に関する知識無しでは教育を語る資格がない」と私も思います。

「子どもの発達に関する知識」とは具体的にはどのようなものですが?
>ん政治や教育に対する知識はおありですが、子供に関する知識があまりないように思います。教育の専門家がいつも政府に断言する事ですが、「子供の発達に関する知識無しでは教育を語る資格がない」と私も思います。 

封印される不平等では、教育の格差の話が多くのページを割いてなされているのですが、教育は教育関係者のみで語るべきだ という論調に対して強い批判の態度をとっていました。

私もその態度に同意です。
所詮、社会を知らない教員や大学教授の話で政治や子供の教育を任せられないというのは多くの保護者が思っていることです。
ですから、様々なキャリアを持つ人を教員にしようという政策が支持されているわけです。
たとえば、ニートやフリーターは中学や高校での心身の教育や、社会の認識の仕方を教えることが重要だと思いますが、学校という組織しか知らない教員たちは、教え子が卒業して次の月に突き当たる壁や辛さを自分の体温で理解することができないのだと私は思っているのです。
これは無論大学の話もそうで、理論と実践には大きな乖離がある。すなわち立派な理論家が実務家として全然機能しないのは、教育学だけでなく、経営学や経済学や心理学も一緒です。
経営学の大家はマネージャーは教室では育てられない、とハーバードビジネスレビューに書いていましたが、教育学でそういう謙虚な大家がいるのかは知りませんが、世間はたぶん、優秀な教育者や正しい教育法は教室やサロンでは生まれない
と思っているんだと思います。
ニートや引きこもりの問題に親身に取り組んできた人たちにこそ人々は敬意を払っていて、その結果として、政府も活動実績のあるNPOやNGOと組むことにしたのだと思います(安く済みますしね)

ということで、そもそも教育学に携わる人が、教育を語る資格を決めるのはおかしいと思うし、政治の場で教育に関する知識が必要なら、教育の専門家が議員になるか政策秘書になるべきだと思いますし、なってくれて教育が良くなるなら大歓迎だと思います。
ただ、それで当選しないのだとしたら、政治の場で教育の専門知識を必要だと有権者(保護者)が思わないだけだろうと思います。
>>IZUMIさま  >>ふうてんの猫さま

私の考えとしては、こうです。

少なくとも当トピで、私は「ベストな教育」については申しておりません。

「ゆとり教育推進以前と、推進以後と、どちらが教育としてベターか」という事に関連した話と、格差社会との関係についてお話しております。

ヘタをしますと「社会学・統計学もロクに知らずに発言する事は控えて欲しい」という話にもなりかねないですね、私の言動は^^;

「ベストな教育」ではなく、「いずれが結果としてベターか」という話は、それほど素人にも困難な問題設定だとは思いません。こうしたテーブル設定は、理論智と実践智の橋渡しとして、貴重な機会だと思うのですが如何でしょうか。

現にこうして、財界とゆとり教育という視点で、私なども長吉さんから大いに学ぶ事が出来たのですから…。

同様に、教育専門家の視点からもご発言を頂き、勉強させて頂ければ幸甚です。
私も公教育はベストな教育ではなく、ベターな教育だと思っています。

ベストな教育という言い方なら、限られた公共の予算の中でできる望みうる教育でしょうか。

ただ、ゆとり教育に関しては外部環境が変わってしまったのに一度走り出したら止まらない・・
で突っ走ってしまったことが問題ではないかと思います。

というのは、厳しい受験戦争もかつてはあり、また、ある程度成績も悪くても就職口もあるという時代もありましたが、どうも時代は甘えているとあっという間に取り残されてしまうようになってしまいました。

ある意味、ゆとりって贅沢品になったように思います。
会社員にとっても、経営者にとっても。
だから、きっと教育の中だけゆとり ってわけにはいかないんだろうなぁと思います。

蛇足 or 猫足:

一応、統計学や多変量解析や回帰計算なるものは大学レベルか大学院初等レベルでは知っていると思うのですが、あんまり有用性を信じていないんですよね。

というのは、統計的優位に違うということと、因果関係があることは別だし、だいたいある変数が優位だとしても、説明している割合が100%なんてことはほとんどなくて、
○○が影響しているということが優位に言える
ってのがほとんどじゃないですか。
また、単なる算術平均でしかないですが、このスレでも
親の学歴と子供に望む最終学歴の統計がありましたが、
あれも、言葉になると
「親が中卒だと子供に学歴を望まない」
って話になって一人歩きしだしちゃう。

たとえば経済指標などでも、経済指標が上昇していても体感として好景気が感じられないことがある。

青汁を飲んでいる人に生活習慣病が少ない というデーターがあったとして
・青汁が生活習慣病を抑えたのか
・青汁飲むほど、健康に気を使う人は生活習慣病になりそうな食生活をしないし運動もした
のか分からないというような感じかなぁと思います。


IZUMIさんへ

私は教育学なんて役に立たないというつもりではなく、様々にある要素の一つだという立場です。
専門的な知識を知らないで素晴らしい教育をする人もいるでしょうし、教育に悩んだ教職員の助けになる専門的な知識もあると思います。

専門家の立場からいろいろとご指摘・アドバイスいただけると話の幅が広がるし勉強になりますし、うれしいなぁと思います。

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