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憂国の士コミュの日本の捕鯨文化 もたらす恵みに感謝と弔意

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http://sankei.jp.msn.com/life/news/110723/art11072307440002-n1.htm

日本の捕鯨文化 もたらす恵みに感謝と弔意


2011.7.23 07:42 (1/2ページ)

昔の国語教科書に載っていた「南極海に鯨を追ふ」
 かつての教科書、「小学国語読本巻十」(昭和13年)には「南極海に鯨を追ふ」と題する捕鯨の様子を描いた作品が収録されていたが、今や日本捕鯨は残虐な行為として非難中傷される始末で、その真実の姿を伝える機会に乏しい。

 そもそも、反捕鯨を標榜(ひょうぼう)する米国などは、かつては世界有数の捕鯨国であり、鯨油さえ採取すれば、鯨体そのものは海中に投げ棄(す)てて平然たるものだった。だから、19世紀後半に石油が採掘されると、鯨には見向きもしなくなる。彼らにとって鯨は「鉱物資源」だったと言ってよい。

 これに対し、日本人の鯨に対する接し方はまるで異なる。平戸藩の鯨組「益富家」が1832年に作成した『鯨肉調味方』には、鯨には70箇所におよぶ部位があり、そのうち68箇所を食すことが可能とされ、刺し身や湯引き、揚げ物、ステーキなど、多彩なレシピが詳細に紹介されている。

 鯨がもたらす恵みをあますところなく受容することこそ、鯨に対する礼儀と見る文化にほかならない。

 もう一つ、注目すべきは鯨への感謝と弔意を示す鯨墓の建立である。墓だけではなく、過去帳に鯨の戒名を載せ位牌(いはい)も作った。ほかに供養塔や絵馬、梵鐘(ぼんしょう)や燈籠(とうろう)まで存在する。その分布は北海道から九州に及び、120余箇所を数える。

このように、鯨を殺生して人間が恵みを受けることに、日本人は実に真摯(しんし)だった。欧米のごとき鯨油の他は残骸と見て抛(ほう)り捨てるなど、鯨に対して申しわけなしと思う感覚を育てた民族なのだ。

 佐賀県唐津市に伝わる資料「小川島鯨鯢(げいげい)合戦」(1840年)に見える次のような記述に日本人独特の惻隠(そくいん)の情が偲(しの)ばれる。

 「大魚皮肉一寸捨る所なく数百人の世わたりを助け…其潤となれるは功徳広大なり。このゆゑに、…数多の僧徒を請待し、鯨鯢の供養を営み亡鯨の日を卒塔婆に書して、…両手を合せ殊勝に念仏を唱ふれば、死したる鯨も成仏すべし」

 これが捕鯨に携わる漁師たち、その恵みを蒙(こうむ)った津々浦々の人々の偽らざる心境だったのである。(中村学園大学教授 占部賢志)

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