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憂国の士コミュの(9)消えゆく満州

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http://sankei.jp.msn.com/world/news/110926/chn11092608140000-n1.htm

宿願果たすための“道具”


 くたびれたフォルクスワーゲンの小型セダンの後部座席を通して、荒れた道路の振動が、体に伝わってきた。中国全土で最も満州族(中国では「満族」と呼称)が多い遼寧省。省都・瀋陽から南へ車を飛ばすこと4時間で、人口約51万人のうち満州族が95%を占める岫巌(しゅうがん)満族自治県に入った。

 県境を示す標識がなければ、いまなお多くの満州族が暮らす一帯に足を踏み入れたことに、気づくことはないだろう。空腹を満たそうと、満州料理の店を探したが見当たらない。60代とおぼしき男性に尋ねても、「さあて、昔は1、2軒あったが、今は知らんな」。「おじさんは漢族? 満族?」と振ると、「どっちでもいいことだ」とそっけない答えが返ってきた。

 やっと「満族金羊城」の看板を見つけ、扉を開けると、そこは満州族とは何の関係もない羊肉料理店。料理長を名乗る男性は「満族自治県にあるから満族の文字を入れただけさ」と笑い飛ばした。

 1980年代以降、中国政府が進める少数民族優遇措置を享受するため民族籍を変える人が増え、「満族」の人口自体は増加している。2000年の調査では1千万人を超えている。

 しかし漢族との同化が進み、農村部を除けば、衣食住すべてにおいて満州族独自の様式は廃れている。アルタイ語族に属する満州語を話し、読み書きできるのは100人に満たず、しかも、みな古希を過ぎた高齢者ばかり。満州文化は今や、風前のともしびとなっている。


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 秦の時代以来、漢族は万里の長城の内側を国土としてきた。漢族の孫文が夢見ていたのは、満州族が打ち立てた清朝からその国土を奪い返し、漢族の国家を再建すること。そんな孫文にとって、満州の地は自らの宿願を果たすための“道具”でしかなかったことをうかがわせる資料がいくつか残されている。

 中でも三井物産上海駐在員、森恪が1912年2月に、同社顧問の益田孝に宛てて送った電報・書簡には、時の元老、桂太郎の意を受けて南京で孫文と交わしたとされる、生々しいやり取りが記されている。

 森「世界は今や黄色人種と白色人種の戦場となっている。白人勢力の先鋒(せんぽう)であるロシアの南下を防ぎ、東洋の平和を確保するために、日本の力で満州を守る必要があると考える」

 「閣下が、既に運命の定まった満州を捨て、これを日本に一任し、日本の特別な援助と引き換えに革命の大業を完成する決心をすれば、日本は直ちに必要な手段を取る」

 孫文「東洋の平和のためには、満州は東洋人の手中に収めておかなければならない。それゆえ、武装蜂起当初から、満州を日本に委ね、その代わりに日本が中国革命を援助することを希望した」

 「革命政府の財政は窮乏の極限点に達し、もはや軍隊に供給もできない。破産の境地に陥っている」

 森は、桂の内意であると強調した上で、日本から派遣した軍艦により、孫文または、孫文と並ぶ大物革命家の黄興が日本に渡り、桂と密約を結ぶことを提案。「すでに時機を失した」と繰り返していた孫文も、最後にこう答えたという。

「日本政府が間違いなく速やかに資金の援助ができるならば、私か黄興のいずれかが日本に赴き、桂公と会見し、満州問題と革命政府の前途について相談してもよい」

 しかし、桂との会見は実現しなかった。


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 中国社会科学院近代史研究所研究員の楊天石氏は、1988年に発表した論文で、孫文が「満州租借」の考えをもった背景として3つの理由を挙げている。

 まず、中国で「封建的資産階級による民主革命」とされる辛亥革命は、民族闘争の仮面を被っていた。「当時、多くの革命家が満族を“異族”“異種”と呼び、満州を“野蛮な地”とみなしていた。偏狭な民族主義が、満族、満州の問題で誤った判断を下させた」というのが楊氏の分析だ。

 2つ目として、辛亥革命には黄色人種と白色人種、アジア人と欧州人の闘争という側面もあった。多くの革命家が日本と団結して西洋の侵略を防ぎ、アジアを振興させる幻想を抱いていた。楊氏は「孫文は長きにわたり“大アジア主義”思想を有していた。満州租借には明らかにその思想が関係している」と断じる。

 また、「孫文は特殊な軟弱性を有していた」とも指摘する。軟弱性とは、革命の成否を列強、特に日本の援助に託していたことを指す。孫文にとって満州租借への同意も援助を得るため。それが、革命成就の障害となり、中華民族に災難をもたらすことを理解していなかったと厳しい目を向けている。

 満州租借をめぐる史実からは、「愛国者」のイメージが定着する孫文の別の顔が浮かび上がってくる。

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 岫巌満族自治県の中心部の一角に、満州族の歴史・文化を展示する博物館がひっそりと建つ。

 満州族にとって、清朝を倒した孫文は「仇敵(きゅうてき)」にも等しい。だが、同館の王新玉主任は「孫文は満族にとっても尊敬される人物だ。中国のすべての民族にとって同じことが言える」と、「建国の父」の偉業に一点の疑いも抱いていない。

 満州文化を残すため、大規模博物館の設立を訴えてきた満州族作家、崔岩氏も「辛亥革命と満族は何の関係もない」とにべもない。

 満州族古来の名字について、漢族風に改めたことを悔やむ満州族はほとんどいないというのが実情だ。一時代を築いた民族のアイデンティティーを消し去るきっかけを作った辛亥革命。これが孫文の宿願の一つであったとすれば、それは確かに果たされた。(岫巌満族自治県 川越一)

コメント(1)

☆【日中戦争の真実ローマ法王も、日本の行動を支持していた日本は、内戦に明け暮れる中国を救おうとした】http://www2.biglobe.ne.jp/~remnant/rekishi05.htm ローマ法王 ピオ11世「全世界のカトリック教会、信徒は、遠慮なく日本軍に協力せよ」


☆http://chinachips.fc2web.com/repo5/051044.html

満州を承認した23ヶ国。バチカンも入ってますね。

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