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言語学コミュの「は」と「が」:措定と指定の原理批判

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これは、次のような内容です。

 5)措定と指定の原理―措定には「ハ」、指定には「ガ」
  「措定と指定の原理」と呼ぶのは主格名詞と述語の意味的な関係によって「ハ」と「ガ」の使い分けを説明するものである。つまり、述語が主格名詞の性質を表す「措定」のときには「ハ」だけが使われ、主格名詞と述語名詞が同じものであることを表す「指定」のときは「ハ」か「ガ」が使われるという原理である。

  (18) いなごは害虫です。
  (19) 君の帽子はどれです?

  前の(18)のような文は、「いなご」について「害虫だ」と解説する措定の文なので、次の(20)のような「ガ」の文に変えることはできない。それに対して、前の(19)のような文「君の帽子」と「どれ」の一致を認定する指定の文なので、その次の(21)のような「ガ」の文に変えることができるというのである。

  (20) *害虫がいなごです。
  (21) どれが君の帽子です?/

 (20)の文は、「ミツバチといなごのどちらが害虫ですか?」という問いに対する正しい回答です。また、「害虫はいなごです。」と答えることもできます。

  (18) いなごは害虫です。

の「は」は普遍性の認識を表わすもので、その普遍性の持つ特殊性が害虫という述語になっています。従って、イナゴの持つある側面の性質を指定するもので、指定文ともいえます。

 この、措定文、指定文の区分は三上章『現代語法序説』(1953)で提起されたもので、もう一つ「端折リ文」があります。この「端折リ文」には、いわゆる「僕はうなぎだ!」の「ウナギ」文も含まれ、さらに「指定は措定と違って、語順を変えて指定以前のセンテンスに戻すことができる。」などと、話者の認識を無視し、文の意味と対象のあり方を直結して、文を書き替える形式的、機能的な発想で、変形文法が提起した非文と同じ感覚的な区分でしかありません。

 結局「は」と「が」に合わせた解釈でしかなく、とても「は」と「が」の相違、使用原理を明らかにするようなものではありません。三上自身、『文法小論集』(1970)で、「は」と「が」「を」などとの違いを係り方に求めて、「いいくふはないものだろうか」と匙を投げています。

 このように、主体的表現である助詞の意義の相違を話者による判断の相違として正しく捉えることなく、表現結果としての文の形式や機能により分類しようとしても混乱する他ありません。

 特に助詞「は」には、最初に明らかにしたように普遍性の認識を表わす「は」と特殊性の認識を表わす「は」の二種類があり、多義のため、尾上圭介のように<「は」の文法的機能は「二分結合」である>などと機能を言ってみても「は」の全体を明らかにすることは出来ないことになります。

 最後に、先に引用した三浦つとむ『「が」と「は」の使い分け』の纏めの部分を引用しておきます。

 国語学者が「が」と「は」の意義をそれなりにとらえながら、両者の使いわけについて論じることが出来なかった理由は、これまでの叙述から大体想像できよう。対象の立体的な構造に対応して認識もまた立体的な構造を取ること、個別的判断・特殊的判断・普遍的判断がそれぞれ<助詞>にむすびついて、認識の立体的な構造に対応した表現の構造が成立すること、このような過程的構造の把握が十分なされなかったからである。チェイフがそれを把握できなかったことはいうまでもない。彼にしても、日本の新聞の記事が、彼のいう「新しい情報」に「は」を使ったり「古い情報」に「が」を使ったりしていると知ったら、あんなことを書きはしなかったであろう。しかし彼よりも、その叙述を信用した日本人のほうがヨリ以上にオッチョコチョイだったことはたしかである。橋本進吉はその形式主義で山田文法を改悪し、国語学の歴史を後退させたが、橋本文法を信用するだけでなく欧米の言語学の形式主義的発想をも日本語に持ちこむようでは、後退に輪をかけることになりかねない。大野は意識すると否とに関係なく、この道を辿っている。正しい方法を持たないのに、「事実を山ほど集めて、そこから素晴らしい結論が出るだろうなんて期待するのは、学問の邪道」(時枝誠記『国語学への道』)だという警告も、この際思いだしてもらいたいものである。■

コメント(120)

>>[80]

>>修飾とは格関係です。

まあ寝言はそれ位にして、一連の、

言語はどんな矛盾を含んでいるか 【1】〜【6】は理解できましたか?

不明な点があれば是非、コメント下さい。

この辺の本質的な理解が重要です。■
>>[81]

>まあ寝言はそれ位にして、一連の、

いやいやいや、追いつめられると逃げるんだよなあ笑。まあ、いつものことだけど笑。別に断言的な発言をするなとは言いませんが、断言的な発言をする以上、責任を持ってください。誤りと気づいたのであれば、素直に訂正してください。

・太郎は明日から医者だ。

辞「だ」は詞「太郎は明日から医者」全体と異次元の統一関係にあるだけです。個別の詞「明日」とは関係がありません。詞「明日」は辞「から」と異次元の統一関係にあり、辞「だ」とではありません。詞と辞の統一と、格関係は別物です。

>(時枝) 文の成分及び格概念は以上の如くであるから、成分及び格は、句の中から、辞を除いたものについて言はなければいけないのは当然である。
>>[81]

回答をもらえませんか?

質問は、トピック文の

・いなごは害虫だ。

>イナゴの持つある側面の【性質】を指定するもので、

ここはやはりおかしく、「害虫」は実体で名詞です。「害虫」はいなごの性質ではありません。イナゴの性質を表すのであれば、属性で動詞や静詞でないといけません。明らかにトピック文の説明は誤りではないでしょうか?
>>[81]

>修飾とは格関係です。

まあ寝言はそれ位にして、一連の、



修飾は制限ではなく結びつきだと言いたいのでしょうが、たしかに文の成分は制限で分けるのは本質的ではありませんが、結びつきで分けたとしても上位分類にどんどんしていけば結局は「述語」と「述語に結びつく語」の2個になります。

そのうえで、

・太郎は明日から医者だ。

「明日」が「医者」に係らない根拠は一体何ですか?あなたの意見は「なんとなく」なのですよ。「なんとなく」で断言的に肯定するのは説得力があまりありません。恥ずかしくないのですか?私の根拠は、

>(時枝) 文の成分及び格概念は以上の如くであるから、成分及び格は、句の中から、辞を除いたものについて言はなければいけないのは当然である。

これです。まったく正当ではないですか。「明日」が「だ」に係るわけがありません。辞「だ」は詞「太郎は明日から医者」全体と関係があり、個別の詞「明日」とは直接関係はありません。

>(時枝) 「梅の花」を一の詞とし、それに「が」という辞が附いて、「梅の花が」を一の句と見ることができる。
>>[89]

本 Topi とは全く無関係なので新たにTopiを立てましょう。

本項は削除対象です。■
>>[90]

>本 Topi とは全く無関係なので新たにTopiを立てましょう。

いいえ。

・太郎は明日から医者だ。

これは指定文であり「は」があります。トピックの範囲外とは言い切れません。そのうえで、

>修飾とは格関係です。

まあ寝言はそれ位にして、一連の、



修飾は制限ではなく結びつきだと言いたいのでしょうが、たしかに文の成分は制限で分けるのは本質的ではありませんが、結びつきで分けたとしても上位分類にどんどんしていけば結局は「述語」と「述語に結びつく語」の2個になります。

そのうえで、

・太郎は明日から医者だ。

詞「明日」が詞「医者」に係らない根拠は一体何ですか?あなたの意見は「なんとなく」なのですよ。「なんとなく」で断言的に肯定するのは説得力があまりありません。恥ずかしくないのですか?私の根拠は、

>(時枝) 文の成分及び格概念は以上の如くであるから、成分及び格は、句の中から、辞を除いたものについて言はなければいけないのは当然である。

これです。まったく正当ではないですか。詞「明日」が辞「だ」に係るわけがありません。辞「だ」は詞「太郎は明日から医者」全体と関係があり、個別の詞「明日」とは直接関係はありません。

>(時枝) 「梅の花」を一の詞とし、それに「が」という辞が附いて、「梅の花が」を一の句と見ることができる。
>>[91]

>>トピックの範囲外とは言い切れません。

まあ、面白いテーマなので、キチンと纏め Topi を立てましょう。■
>>[92]

なぜあなたが答えないのですか?トピック主のあなたに質問しているのですが。無責任ではないでしょうか?

制限についてですが、以前あなたは制限そのものが誤りだと言いましたが、制限そのものが誤りではなく、文の成分を制限とするのが誤りです。ですから、時枝の

・春めく

>(国語学原論・上・336ページ) 「春」は「めく」という概念の限定語であって、これが全体で一つの大きな概念を構成するのである。

これは誤りではありません。文の成分として限定語と言っているわけではありません。

何か反論はありますか?理解できたのであれば、理解できたというコメントをくれると助かります。コメントをくれませんか?
>>[94]

>>メントをくれませんか?

■(零記号)
>>[95]

>■(零記号)

全然おもしろくないです。



それで、入れ子主従を否定するあなたに質問したいのですが、

辞に総括機能はありません。あなたの意見が摩訶不思議なのが、例えば、

・太郎はゆっくり走る。

「太郎はゆっくり走る」全体と辞「■」が統一しますが、あなたの意見だとどうやって辞「■」が「太郎はゆっくり走る」全体と統一するのでしょうか?辞「■」に総括機能はありませんよ?
>>[99]

>>辞「■」に総括機能はありませんよ?

突っ込みどころ満載ですので、頭の中を整理して、疑問をきちんと纏め Topi を立てましょう。■
>>[100]

>突っ込みどころ満載ですので、

それを言ってください。なぜ言わないのですか?



それで、質問に答えてください。入れ子主従を否定するあなたに質問したいのですが、辞に総括機能はありません。あなたの意見が摩訶不思議なのが、例えば、

・太郎はゆっくり走る。

「太郎はゆっくり走る」全体と辞「■」が統一しますが、あなたの意見だとどうやって辞「■」が「太郎はゆっくり走る」全体と統一するのでしょうか?繰り返しますが、辞「■」に総括機能はありませんよ?
>>[103]

>>それを言ってください。なぜ言わないのですか?

秘密 人差し指☞☟☚ !!!

頭の中を整理し Topi に纏め公開の場で議論ましょう。☛
>>[104]

なぜ逃げるのですか?辞は総括機能なんかないのになぜ「太郎はゆっくりと走る」全体と「■」が統一できるのですか?あなたはトレードマークとして文章の終わりに■をつけますが、■が分かっていないではないですか?恥ずかしくないのですか?

・太郎はゆっくりと走る。

【辞「■」は詞「走る」としか直接の関係はありません。】入れ子図を見ればわかりやすいですが、詞「走る」の内側に句「太郎は」と句「ゆっくりと」があり、主従関係になっています。句「太郎は」と句「ゆっくりと」は詞「走る」に従属しているから、詞「走る」と辞「■」が統一するということは「太郎はゆっくりと走る」全体と辞「■」が統一するということになります。

ちなみに「太郎はゆっくりと走る」全体は句ではなく詞です。根拠は、

>(日本文法口語篇・254ページ) 「梅の花」を一の詞とし、それに「が」という辞が附いて、「梅の花が」を一の句と見ることができる。

「梅の花」を一つの詞と見ることができるのは、句「梅の」が詞「花」に従属しているからです。辞「の」があるので一語とは見れませんが一つの詞とは見れます。

「梅の花」を句とは三浦はしていません。句としているのは生成文法とか日本語教育の話です。生成文法などは日本人向けの文法ではないので、あまり参考にしてはいけません。
>>[112]

>>なぜ逃げるのですか?

君こそ、

☛頭の中を整理し Topi に纏め公開の場で議論ましょう。

と提起しているのに、

なぜ逃げ回るのですか??????

頭の中を整理し Topi に纏めることができませんか?

そう言えば、まともな Topi を提起されたのを見たことがありませんが?
>>[113]

>頭の中を整理し Topi に纏めることができませんか?

いやですから、トピック主のあなたに言っているのですよ。あなたが答えればいいだけの話ではないですか。なぜトピック主にコメントをしてはいけないのですか?トピック主として責任を持ってください。それと君呼ばわりは失礼なのでやめてください。

それで、

辞は総括機能なんかないのになぜ「太郎はゆっくりと走る」全体と「■」が統一できるのですか?あなたはトレードマークとして文章の終わりに■をつけますが、■が分かっていないではないですか?恥ずかしくないのですか?

・太郎はゆっくりと走る。

【辞「■」は詞「走る」としか直接の関係はありません。】入れ子図を見ればわかりやすいですが、詞「走る」の内側に句「太郎は」と句「ゆっくりと」があり、主従関係になっています。句「太郎は」と句「ゆっくりと」は詞「走る」に従属しているから、詞「走る」と辞「■」が統一するということは「太郎はゆっくりと走る」全体と辞「■」が統一するということになります。主従とは連邦国や棟割長屋のようなもので、全体と部分です。

ちなみに「太郎はゆっくりと走る」全体は句ではなく詞です。根拠は、

>(日本文法口語篇・254ページ) 「梅の花」を一の詞とし、それに「が」という辞が附いて、「梅の花が」を一の句と見ることができる。

「梅の花」を一つの詞と見ることができるのは、句「梅の」が詞「花」に従属しているからです。辞「の」があるので一語とは見れませんが一つの詞とは見れます。

「梅の花」を句とは三浦はしていません。句としているのは生成文法とか日本語教育の話です。生成文法などは日本人向けの文法ではないので、あまり参考にしてはいけません。

>>[114]

>>なぜトピック主にコメントをしてはいけないのですか?

本 Topi のテーマではありません。

ほんなゴツ判らんとか?

頭を丸めて出直しましょう!
>>[115]

>本 Topi のテーマではありません。

トピックに合わせて指摘してもあなたは逃げるではないですか?あなたが逃げなければ、こんなことしませんよ。

それで、

・太郎はゆっくりと走る。

あなたは時枝の入れ子主従説を否定する (三浦は否定していません) のであれば、辞に総括機能なんかないのにどうやって「太郎はゆっくりと走る」全体と「■」が統一できるのですか?あなたはトレードマークとして文章の終わりに■をつけますが、■が分かっていないではないですか?恥ずかしくないのですか?

【辞「■」は詞「走る」としか直接の関係はありません。】入れ子図を見ればわかりやすいですが、詞「走る」の内側に句「太郎は」と句「ゆっくりと」があり、主従関係になっています。句「太郎は」と句「ゆっくりと」は詞「走る」に従属しているから、詞「走る」と辞「■」が統一するということは「太郎はゆっくりと走る」全体と辞「■」が統一するということになります。主従とは連邦国や棟割長屋のようなもので、全体と部分です。

ちなみに「太郎はゆっくりと走る」全体は句ではなく詞です。根拠は、

>(日本文法口語篇・254ページ) 「梅の花」を一の詞とし、それに「が」という辞が附いて、「梅の花が」を一の句と見ることができる。

「梅の花」を一つの詞と見ることができるのは、句「梅の」が詞「花」に従属しているからです。辞「の」があるので一語とは見れませんが一つの詞とは見れます。

「梅の花」を句とは三浦はしていません。句としているのは生成文法とか日本語教育の話です。生成文法などは日本人向けの文法ではないので、あまり参考にしてはいけません。

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