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生活保護者の集いコミュの菅義偉新総裁「国民の皆さんのために働く内閣を作る」 その一方で「自分でできることは自分で」の矛盾

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https://news.yahoo.co.jp/byline/fujitatakanori/20200914-00198270/

菅義偉自民党新総裁の選出
自民党総裁選挙が終わり、安倍晋三総裁に代わり、菅義偉新総裁が選出された。

これによって、間もなく国会での指名を受けて、菅義偉内閣も誕生することとなる。

菅義偉新総裁の政策は、今後の正式な所信表明などを経て、批評していく必要があるが、社会保障政策、社会福祉政策の拡充を求めてきた立場からは懸念しかないと言ってもいい。

「まず自分でできることは自分でやってみる」という菅義偉新総裁の危険性
まず恐ろしいことは菅氏が掲げる目指すべき社会像、国家像にある。

以下の通り、新総裁の決意表明でも「私の目指す社会像は、自助・共助・公助、そして絆であります。まず自分でできることは自分でやってみる。そして地域や家族で共に助け合う。その上に立って、政府がセーフティネットでお守りをする。」と強調している。

私の目指す社会像は、自助・共助・公助、そして絆であります。

まず自分でできることは自分でやってみる。そして地域や家族で共に助け合う。その上に立って、政府がセーフティネットでお守りをする。

そうした、国民から信頼される政府を作っていきたい。

そのためには、役所の縦割り、既得権益、そして悪しき前例主義、こうしたことを打破して、規制改革を進めてまいります。

そして、国民の皆さんのために働く内閣を作ってまいります。

出典:「国民の皆さんのために働く内閣を作る」菅新総裁が決意表明 ANNニュース 9月14日
一見すると、当たり前のように感じられ、何ら問題がないように思う方も多いかもしれない。

セーフティネット(社会保障政策)にも触れていて、期待を持たれる方もいるだろう。

何が問題なのか。

「まず自分でできることは自分でやってみる」という場合、どこまで自分でやってみたらいいのだろうか。

その範囲は常に明確ではなく、政府、自治体が恣意的に解釈し続けている。

私は生活困窮者支援現場に長年、身を置いて支援活動を続けている。

例えば、生活保護申請に付き添うことも多いが、そこで福祉課職員から言われることは「何とか働けないのですか」「頑張っているのはわかるのですがもう少し努力できないですか」「生活保護に頼る前にやるべきことがあります」などという言葉の数々である。

自分では限界を感じ、公的機関に支援要請をしても、さらなる努力(自助)を求める言葉は頻繁に聞かれる。

過去にも生活保護分野では「おにぎり食べたい」と書き残して餓死事件が起きたように、極端に言えば、ギリギリまで自助を求めて助けないことも現実にある。

例えば、菅氏の自民党には今も片山さつき参議院議員が所属している。

片山氏は2012年当時に「生活保護は生きるか死ぬかという状況の人がもらうべきもの」というテレビ発言もしている。

つまり、生きるか死ぬか、という状態まで自分でやれ、という意識であれば、新型コロナ禍で生活困窮者が増え続けるなか、極めて多くの人の生命や暮らしが危機にさらされることが理解できるだろう。

そもそも自民党は安倍首相「生活保護バッシングをしたのは自民党ではないと思います」 いえいえ完全に自民党ですと指摘したように、公助拡充に消極的だ。

この反省もなく「まず自分でできることは自分でやってみる」という冷徹な言葉に背筋が凍る思いを感じる。

「地域や家族で共に助け合う」の限界
さらに「地域や家族で共に助け合うこと」も持ち出してくる。

社会保障政策に詳しい藤森克彦氏も指摘しているが、そもそも家族扶助機能は一貫して低下してきている。

端的に言えば、一人暮らし、二人暮らしが多く、相互に支え合える余裕がない世帯が増加している。

単身世帯(一人暮らし)が増加しており、今後も増えていくことが予想されている。特に今後、中年層や高齢者の単身世帯が急増していくとみられている。

これまで日本は、様々な生活上のリスクに対して、家族の役割が大きいと言われてきた。しかし、単身世帯は、少なくとも同居家族がいないので、世帯内の支え合い機能は従来よりも低下していることが考えられる。

出典:単身世帯の増加と求められる社会政策の強化 藤森克彦
このような大きな潮流は少子化、未婚化の進展とともに、今後も続いていくだろう。

もちろん、自分たちの家族を助ける余裕がない人々が多い社会なのに、地域での支え合いなども限界がある。

メディアで子ども食堂などが注目されて、あたかも共助が進んでいるように見えるが、子どもの貧困率の低下や問題解消に至る状況は見られない。

つまり、地域や家族で共に助け合うことができると思っている時点で、決定的な欠陥があると言わざるを得ない。

努力をすれば総理大臣になれる?
このような個々人の所得低下や家族扶助機能の弱体化の現状において「その上に立って、政府がセーフティネットでお守りをする」と最後に公助が出てきても、人々はそこにたどり着かない。

政府の役割は、自分でやれるような環境を整備したり、下支えし、子ども食堂がなくても家族がいなくても、安心して暮らせるように社会保障政策を拡充し続けることである。

この努力を政府が推進してきていれば、ここまで貧困や生活困窮も広がっていないはずだ。

努力すべき主体は、あくまで市民個々人よりも政府でなければならない。

さらに恐ろしいことは「努力信奉」である。

菅義偉新総裁は総裁選前に産経新聞のインタビューで以下のように応えている。

自民党総裁選に立候補した菅義偉(すが・よしひで)官房長官は8日午後、党本部で開かれた所見発表演説会で「50数年前に(出身地の秋田から)上京した際に今日の自分の姿は全く想像することはできなかった」としたうえで、「私のような普通の人間でも努力をすれば総理大臣を目指すことができる。まさにこれが日本の民主主義ではないか」と述べ、支持を呼び掛けた。

出典:菅氏「普通の人間でも総理を目指すことができる」 産経新聞 9月8日
「私のような普通の人間でも努力をすれば総理大臣を目指すことができる。まさにこれが日本の民主主義ではないか」というのである。

努力を信奉することは悪い部分だけではないが、この価値観を一般適用してはいけない。

頑張って努力すれば、貧困や生活困窮に至らない、公助・社会保障に頼る必要はない、と思われたら危険な話だ。

いうまでもなく、努力をして普通の人間は総理大臣を目指せるわけではない。

例えば、日本の歴代首相のなかに女性はいるだろうか。海外にルーツを持つ首相はいるだろうか。

普通の人間が何を指すか、不明瞭だが、そもそもその選択肢に立てる人間は限られている。普通に見えているものは普通ではない。

初めから選択肢がないか、あるいは極めて選択肢が限られているなかで、努力すれば何かが可能だという言説の危険性を感じて欲しい。

だからこそ、努力をしていない人間が生活に困窮するわけでもない。

個別の事情があり、努力にも当然に限界がある。

もちろん「国民の皆さんのために働く内閣を作る」という意見には賛成なので、このような意見も踏まえて、菅義偉次期首相には所信表明、政策立案をしていって欲しい。


藤田孝典
NPO法人ほっとプラス理事 聖学院大学心理福祉学部客員准教授
社会福祉士。生活困窮者支援ソーシャルワーカー。専門は現代日本の貧困問題と生活支援。聖学院大学客員准教授。北海道医療大学臨床教授。四国学院大学客員准教授。反貧困ネットワーク埼玉代表。ブラック企業対策プロジェクト共同代表。元・厚生労働省社会保障審議会特別部会委員(生活困窮者自立支援法)。著書に『棄民世代』(SB新書2020)『中高年ひきこもり』(扶桑社 2019)『貧困クライシス』(毎日新聞出版2017)『貧困世代』(講談社 2016)『下流老人』(朝日新聞出版 2015)。共著に『闘わなければ社会は壊れる』(岩波書店2019)『知りたい!ソーシャルワーカーの仕事』(岩波書店 2015)など多数。

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