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ゴスペルハウスコミュの「問答の先に」2026.07.11

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ゴスペルハウスメッセージ 2026.07.11
「問答の先に」ローマ8:31-39

31 では、これらのことについて、どのように言えるでしょうか。神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。
32 私たちすべてのために、ご自分の御子さえも惜しむことなく死に渡された神が、どうして、御子とともにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがあるでしょうか。
33 だれが、神に選ばれた者たちを訴えるのですか。神が義と認めてくださるのです。
34 だれが、私たちを罪ありとするのですか。死んでくださった方、いや、よみがえられた方であるキリスト・イエスが、神の右の座に着き、しかも私たちのために、とりなしていてくださるのです。
35 だれが、私たちをキリストの愛から引き離すのですか。苦難ですか、苦悩ですか、迫害ですか、飢えですか、裸ですか、危険ですか、剣ですか。
36 こう書かれています。「あなたのために、私たちは休みなく殺され、屠られる羊と見なされています。」
37 しかし、これらすべてにおいても、私たちを愛してくださった方によって、私たちは圧倒的な勝利者です。
38 私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いたちも、支配者たちも、今あるものも、後に来るものも、力あるものも、
39 高いところにあるものも、深いところにあるものも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。

今週の聖書箇所は、ローマ人への手紙8章の終わりの部分です。
8章のまとめであり、1章から8章までのまとめでもあります。
ローマ書全16章のクライマックスと言ってもよい箇所です。

ここには、問いかけと答えという形での、力強い問答形式の宣言が記されています。
今日はここから、「問答の先に」というテーマで御言葉を開いていきましょう。

まず、第1の問答は31〜32節です。
「だれが私たちに敵対できるでしょう」(31節)とあります。
ある人は、「クリスチャンになったら、成功と祝福ばかりで、敵などいなくなる」と言います。
しかし、パウロは敵がいないとは言っていません。

コリント人への第二の手紙11-12章にあるように、パウロはむしろイエスさまを信じたことによって、敵対する者が増えました。
私たちも同じように、イエスさまを信じることで敵が増えることがあります。
その敵とは、サタンであったり、この世からの反対や迫害であったり、病気や苦しみ、悲しみ、人間関係の問題であったりします。

しかし、「神様が私たちの味方」であり、「御子さえ惜しむことなく私たちを愛してくださった」という事実の前では、敵対するものは存在しても、その力を私たちに及ぼすことはできないのです。
その根拠は、歴史的な事実であるイエスさまの十字架と、不完全なあなたをそのまま受け入れてくださる神様の御心です。

ローマ人への手紙5章8-9節には、こうあります。
「しかし、私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死なれたことによって、神は私たちに対するご自分の愛を明らかにしておられます。
ですから、今、キリストの血によって義と認められた私たちが、この方によって神の怒りから救われるのは、なおいっそう確かなことです。」

第2の問答は33〜34節です。
「だれが・・・訴えるのですか。」(33節)
「だれが・・・罪ありとするのですか。」(34節)
裁判の法廷を思わせる言葉が並びます。
足りなさを指摘し、断罪する姿勢がここにあります。

生きていれば、私たちは必ず失敗します。
きちんと生きようとすればするほど、失敗することもあるでしょう。
何もしないで怠けていれば、失敗はないかもしれません。
しかし、怠けること自体が失敗なのです。

「ああ、あんな失敗をしてしまった。」、「もう許されないかもしれない」と自分を責めたり、
「教会員としてそれはだめだね」、「クリスチャンとしてそれはどうなの」と周りの人に言われたりすることもあるでしょう。
私たちは裁判所ではなく、日常生活の中で、また信仰生活の中でも訴えられ、罪に定められるような思いを抱くことがあります。

しかし、そのような私たちを「神が義と認めてくださるのです」(33節)。
もちろん、それは強引な不起訴のようなものではありません。
あるいは、裏取引のような、不正な方法でもありません。
また、罪を見て見ぬふりするわけでもありません。
34節にあるように、イエスさまが、「死んで」、「よみがえり」、「神の右の座に着いて」、今も「私たちのためにとりなして」いてくださるからです。

イエスさまは裁判であなたを責める検察官ではありません。
断罪する裁判官でもありません。
身を挺してあなたを守ってくださる、最も優れた弁護者なのです。
そう、あなたのための、あなただけの救い主・イエスさまなのです。

第3の問答は35〜39節です。
第1の問答では、敵対するものが対象でした。
第2の問答では、法廷、つまり人間の正しさという、ある意味で客観的な基準が対象でした。
パウロは、敵、人からの訴えと、範囲を広げて語ってきました。
そして最後には、その視野を宇宙全体にまで広げます。
そして、神様の愛が私たちから取り去られることがあるのかという問いに対して、「引き離すことはできません」(39節)という真理を、はっきり断言しているのです。

「どんなと言っても、例外はあるでしょう」と言わせないために、パウロは力強い言葉を重ねます。
「死も、いのちも、御使いたちも、支配者たちも、今あるものも、後に来るものも、力あるものも、高いところにあるものも、深いところにあるものも、そのほかのどんな被造物も」(38-39節)
人間の力では、とうてい太刀打ちできないようなものを挙げることで、例外は何一つないことを強調しているのです。

そして、
「私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。」(39節)と断言します。

聖書は、この手紙に記された問答を通して、問答の先にあるもの、すなわち神様の揺るぎない愛を、あなたに届けています。

私たちには、日々たくさんの問いがあります。
「なぜ、こんなことが起こるのか。」
「あの人は、なぜ分かってくれないのか。」
「この国は、いったいどこへ向かうのか。」
「このまま教会に集い続けてよいのだろうか。」
「将来に希望が見えない。」

そんなとき、その問いを一人で抱え込まないでください。
神様に伝えましょう。
祈りましょう。
ありのままの思いをぶつけましょう。
つぶやくだけでも、もちろん構いません。
すぐに答えが見つかるとは限りません。
しかし、その先には揺るぎない神様の愛があるのです。

あなたが熱心に信じるから、神様の愛が離れないのではありません。
神様の愛の強さと揺るぎなさが、あなたを決して離さないのです。

人生には、答えきれないほど多くの問いがあります。
また、答えの見つからない、難しい問いもあります。
しかし、覚えておいてください。
その問答の先には、神様の揺るぎない愛があるのです。
そして、その愛は決してあなたから取り去られることはないのです。

ローマ人への手紙のクライマックスが、いや、聖書全体が証ししていることがあります。
それは、十字架にかかられたイエス・キリストによって示された、神様の揺るぎない愛です。

今日も、問答の先にある愛とともに歩んでまいりましょう。

【参考聖書箇所】
☆ パウロに敵対するもの
2コリント
11:23 彼らはキリストのしもべですか。私は狂気したように言いますが、私は彼ら以上にそうです。労苦したことはずっと多く、牢に入れられたこともずっと多く、むち打たれたことははるかに多く、死に直面したこともたびたびありました。
11:24 ユダヤ人から四十に一つ足りないむちを受けたことが五度、
11:25 ローマ人にむちで打たれたことが三度、石で打たれたことが一度、難船したことが三度、一昼夜、海上を漂ったこともあります。
11:26 何度も旅をし、川の難、盗賊の難、同胞から受ける難、異邦人から受ける難、町での難、荒野での難、海上の難、偽兄弟による難にあい、
11:27 労し苦しみ、たびたび眠らずに過ごし、飢え渇き、しばしば食べ物もなく、寒さの中に裸でいたこともありました。
11:28 ほかにもいろいろなことがありますが、さらに、 日々私に重荷となっている、すべての教会への心づかいがあります。

12:7 その啓示のすばらしさのため高慢にならないように、私は肉体に一つのとげを与えられました。それは私が高慢にならないように、私を打つためのサタンの使いです。

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