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†イエス・キリスト†コミュの 「神の愛」

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いつも行っている教会でもらった
週報の中に書かれていた詩です。

ちょっと長いけど読んでみてください。
神様が私たちに注いでいてくれる愛の深さを知ることができます。
心が温かくなります。



 「神の愛」

私は早く起き出して朝日を見ることにした。
ああ、神の創造の業は素晴らしい。
突然私は聖霊の臨在を感じた。私は静まり、神の声に耳を澄ました。

神は訊かれた。子よ、あなたは私を愛しますか。
主よ、あなたはご存知です。私はあなたを愛します。

もし、あなたの肢体が不自由になっても、子よ、あなたは私を愛しますか。
私はその状態になった自分の姿を想像してみた。そして次の瞬間、なんと多くの身体に障害を持つ人たちが神を愛しているか思い至った。
主よ、たとえ私の肢体が不自由になっても、私はあなたを愛します。

もし、あなたの目が見えなくなっても、子よ、あなたは私を愛しますか。
目が見えなくなったら、どうして神の偉大な創造の業を褒め称えることが出来るだろうか。しかし次の瞬間、なんと多くの目の見えない人がそれでも神を愛しているか思い至った。
主よ、私の目が見えなくなっても、私はあなたを愛します。

もし、あなたの耳が聞こえなくなっても、子よ、あなたは私を愛しますか。
耳が聞こえなくなったら、どうして神の声を聞き、神を称える賛美の声を聞くのだろう。しかしすぐに、完全な静寂の中にこそ、神の声が周りの音に遮られることもなく、私の心に響くのだということに思い至った。
主よ、私の耳が聞こえなくなっても、私はあなたを愛します。

もし、あなたの声が出なくなっても、子よ、あなたは私を愛しますか。
声が出なくなったら、どうして賛美出来るのだろう。どうして神に祈り、神に訴え、神と交わることが出来るのだろう。しかし私は判った。賛美は歌のみを通して行うものではなく、私の魂の叫びであることを。沈黙の中で、魂をもって私は主を賛美しよう。
主よ、たとえ私の声が出なくなっても、私はあなたを愛します。

私は自信を持って、堂々と主に答えた。
主よ、私は心を尽くして、思いを尽くして、知力を尽くして、あなたを愛します。

私は上手く答えられたと思ったが、主の声は寂しそうだった。
では、何故あなたは私に従わないのですか。私があなたを愛する程に、何故あなたは私を愛さないのですか。
私はひどく戸惑った。

何故あなたは人前で私を恥じるのですか。何故私の福音を人に語ろうとしないのですか。
私はすぐに答えることが出来なかった。主よ、私は人間です。私は完全ではありません。

何故あなたは集会の中でしか私を賛美しないのですか。何故あなたには喜びが無いのですか。
何故ささいなことでいつもつぶやくのですか。私があなたのためにあれほど苦しんだというのに。
ショックだった。ことばも無かった。

嬉しい時、何故私を無視するのですか。苦しい時、何故他の人のところで泣くのですか。私はいつもあなたの傍にいたというのに。
私は何も言えなかった。涙が私の頬をつたった。

何故あなたは困難にある人から顔を背けるのですか。私は私のしもべをあなたの周りに送り続けたのに。何故あなたは私のことばに耳をふさぐのですか。
何も言えない。ただ涙。

私は能力をもってあなたを祝福した。しかしあなたはそれを用いようとしなかった。
私があなたを愛したように、あなたは人を愛することはしなかった。
あなたはいつも自分のことだけを愛し、自分勝手に私を求めた。
それでも私はあなたの祈りを全部聞いた。そしてそれら全てに私は応えた。

神はもう一度私に訊かれた。
あなたは本当に私を愛していますか。

私は立っていられなかった。わたしはひれ伏し、顔を上げられずに言った。
主よ、私からお離れ下さい。私はあなたに相応しくありません。

主は言われた。
それでいいのです。私はあなたの傍にいます。私はあなたを見捨てません。

主よ、何故あなたはこんな私を愛して下さるのですか。
それは私があなたを造ったからです。あなたは私の子です。

私は尋ねた。
主よ、あなたはどこまでこんな私を愛して下さるのですか。

主はゆっくりと私の目の前に両腕を差し出し、手の平を広げられた。
私はそこにはっきりと釘でさされた傷跡を見た。

私はそれまでになく激しく泣いた。
そして私は生まれて初めて暖かい平安に満たされた。


コメント(9)

こころに響きました

少し違うかもしれませんが、この間読んだ本の一節がが頭に浮かびました

臨床心理学者、河合隼雄氏の書いた『ケルト巡り』とゆー本で、その中で著者がナバホの先住民との話がでてくるんですが、ナバホの人に『ナバホの宗教とはなんですか?』と問うと

“宗教という言葉、概念はない。生きていること、すなわち生活することじたいが宗教だ”と言ったそうです

それから“白人の方々は教会に行ったときだけ『宗教』をやって、あとは勝手なことをやっている。われわれはそうではなく、いきていることそのものが宗教なのだ”と

そうありたいものです

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