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†イエス・キリスト†コミュの疑り深いトマスへのイエスの愛

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復活されたイエスが弟子たちの前に現れられ
弟子たちは狂喜したことでしょう。
でも、そこにいなかったトマスは
「わたしたちは、主にお目にかかったのだよ」
と、後からいくら、みんなが言っても信じなかった。

信じずに、トマスの言った言葉が
また、ひどいです。
主をこの目で見なければ、だけでなく
自分の手を傷跡に、釘跡に入れて確かめなければ
決して信じない、、と。

どんな気持ちだったのでしょうね。

考えると、胸が痛くなります。

目の前で愛する師を惨殺されて
気が狂うほどの悲しみや怒りや恐れで
正気を失うくらいではなかったのでしょうか。
愛していたからこそ
信じていたからこそ
神の子であると信じて、すべてを捨ててついて来ていたからこそ
失望と絶望と、
また、深く愛していた人を失ったショックと、、、、
それは、平和な日本に住んでいるわたしたちには
計り知れない打撃であったはずです。
とても、トマスを責められません。

この、
有名な話は、ご存知ですよね。

イエスは、トマスがいる時に再び来られ
トマスに言われます。
「さわって確かめてごらん。
 お前が望んだように、
 傷跡に、釘跡に触れて、手を入れてごらん。」

トマスは主に触れもせずに叫びます。
「わが主よ。わが神よ。」

どんなにか、こころが震えたのでしょうね。
もう、彼は、触れて確かめる必要がなかった。
彼の激しい感動が伝わってきて、
胸が震えます。

そして、イエスはトマスを慈しみながら言われます。
決して、非難ではなかったと、わたしは思うのです。
「お前は見たので信じたのか。
 わたしの愛する子よ。
 見ないで信じるものは、永久に幸いなり。」


たくさんの教師がこの有名な言葉を解説します。
「見ないで信じるものになりなさい」と。

本当にそうです。

信仰とは、目に見えないものを
見えるかのように名前で呼ぶこと。
既に手に入れたかのように喜ぶこと。
「既に叶えられたと信じなさい。」と
主が言われたのと同じで
これこそが、生きた信仰生活の極意です。
これがなければ、信仰は紙に書いたもののようになる。
本当に大事なことです。



けれど





けれど





わたしは


このエピソードを読んで
違うところに
いつも
ふかくふかく
こころを打たれます。


それは



主のよみがえりを信じずに
悲しみにくれていたトマス

あんなひどい言葉を吐いてしまったトマス

でも、
「触れないと、手を入れないと、決してわたしは信じないぞ!」
と叫ぶ者には

「その手を触れてごらん。入れてごらん。」
と、
ご自身の、ぱっくりと開いた傷口を
目の前にさらしてくださる
その、
イエスのやさしさです。

なんという、激しい愛でしょうか。
いのちを捨てて貫いてくださったのですから
なまぬるいわけがない。
イエスの愛は、燃えさかっている。
ご自身のすべてを、いのちまでをも捨ててくださった。
そして
それでも、足りないのならばと
こうして
見ないと、触らないとわからないという者には
見せてくださるし、触らせてくださるのです。

なんという愛でしょうか。

これを思うたびに
わたしは、主の愛の大きさと激しさに
強くこころを打たれて
言葉を失います。



主は、来てくださる。
失意のどん底に。

主は、来てくださる。
信じられないと嘆くこころに。

主は、来てくださる。
お前のための十字架は、完成したと
力づけてくださる。

主は、来てくださる。
わたしのもとへ。

あなたのもとへ。


主の傷口が見たいのならば
その釘跡に手を入れたいのならば


そう、祈ればいい。

哀しみも、不信の痛みも、あなたの、すべての絶望も
なにひとつとりつくろわないで
主の御前にさらけだせばいい。
いいかっこうなんていらない。
あなたの、本気の叫びを
恐れずに聞いていただけばいい。

主は、なにもかもごぞんじで
そして、あなたを愛し
あなたを待っておられるのだから、、、、、。


「主の愛がわからなければ
 主に、あなたの愛を教えて下さい
 という祈りにしがみつけ。
 とことん、わからないことに苦しんでも
 祈りぬけ。
 中途半端にわかったような顔をするな。」

大好きな牧師先生の言葉で終わります。


あなたのために祈ってますよ。

 

コメント(5)

私もトマスの話は大好きです。
イエスの慈愛に満ちたとても大切なエピソードだと思います。

でも今日一番感動したのは。
『お前のための十字架は、完成した』という言葉です。

『お前のための…』
そう、あなたのための十字架です。

苦しみを受けられ、耐え忍ばれ
そして
真似事どころか
あろうことか
本当に
死んでしまわれたのですね。

わたしたちは、知識が先行して
ともすれば当たり前のように読んでしまいがちですが

本当に死んでしまわれたのだ
というのは
すさまじいことです。

そして、復活された、、、、、。

その復活も、「あなたのため、、」なんですよね。
そして、聖霊を賜ったのも「あなたのため」

世界中にたとえあなたひとりしかいなくても
その
たったひとりの、あなたのために
主は、やっぱり十字架にかかられたでしょう。
そして、復活してくださる、、、

主の愛はすさまじい。
きちがい沙汰にしか見えないほどに!!
そんな愛で愛されている。
幼子のように
ただ、喜んで受けたいですね。
ハレルヤ。

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