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猛虎伝説コミュの田村勤(全9伝説)

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田村勤  たむら・つとむ
背番号 36
在籍1991年〜2000年

悲運のストッパー

私は田村が、歴代の阪神のストッパーの中では最強であると思ってます。
もちろん、故障で活躍期間は短ったのは百も承知で・・・
それ程までにインパクトが強い投手だった。

私の知る限り、歴代のタイガースで、ど真ん中のストレートで空振りを取れた投手は江夏、球児そして田村です。

左サイドスローから浮き上がるストレートを投げ込み、92年の躍進時は完璧なリリーフとして活躍したが、後半故障で欠場 田村の故障さえなければ優勝できたといわれる程の活躍ぶりだった。 愛称「タムじい」

1965.8.18生
出身地   静岡県榛原郡川根町
出身校   島田高校 駒澤大学
ノンプロ   本田技研和光
投手 左横投左打

1990年 補強で都市対抗出場し1回戦で先発 ドラフト4位で阪神タイガース入団

1991年 阪神タイガース 背番号36 50試合 3勝3敗4S 3.77
1992年 24試合 5勝1敗14S 1.10 後半戦でヒジを痛める
1993年 30試合 1勝1敗22S 2.20
1994年 11試合 2勝3敗4S 3.77
1995年 一軍登板なし (W19試合 1敗2S 0.43)
1996年 40試合 1勝 1.16
1997年 50試合 0勝2敗9S 2.86
1998年 一軍登板なし (W投げられず)
1999年 40試合 1勝1敗1S 4.64 対松井用ワンポイントで復活
2000年 一軍登板なし (W27試合 2敗4S 4.43)  自由契約

2001年〜2002年 オリックス 2年42試合0勝1敗  02年自由契約

芦屋の接骨院に勤務 柔道整復師を目標とする

実働9年 出場287試合 勝利13 敗戦12 S54 SP67 投球回257.2 奪三振260 防御率2.9

コメント(24)

★ドラフト4位★

駒澤大学4年次にサイドスローに転向し、本田技研和光に入社。
1年目の1988年には都市対抗に選手登録されるも出場はならなかったが、2年目の1989年には初出場。
さらに、翌1990年にはチームは敗れるものの、補強選手として出場。
なんと、1回戦に先発として起用される(通常は初戦には自チームの投手を起用することが多い)。同年ドラフト4位で阪神に入団、背番号は一貫して36を背負った。
ちなみにその年のドラフト1位は本田技研鈴鹿の湯舟敏郎だった。
★記録よりも記憶に残る名投手★

入団後はルーキーイヤーから中継ぎ・抑えとして大車輪の活躍。
球速は最高141kmながらもキレがよく、ストレートで狙って三振が取れる投手として50試合に登板する。
一見物静かそうに見えるが、一度マウンドに上がると叫びながら闘志を剥き出しにして投げ続けた。

2年目の1992年は球速も146kmまで上がり、14試合連続SPをマークするなど、守護神として大活躍。
前半戦だけで5勝1敗14セーブ、防御率1.10という抜群の成績を残す。
しかし、肘の故障に泣き、後半戦は登板することができなかった。
この絶大な安定感を誇る抑えの切り札の故障離脱が尾を引き、この年阪神は優勝を逃してしまう。

確かに、通算記録は一流と呼ばれる選手のそれとは程遠いが、「故障さえなければ佐々木主浩以上のストッパーになれただろう」と言う評論家は数多く、伊藤智仁と並んで、「記録よりも記憶に残る選手」と呼ばれる。

光が当たった時間は確かに短かったかもしれないが、打ち上げ花火のような一瞬の強烈な印象をファンに残して消えた偉大な選手の一人である。
★故障★ 

しかし、度重なる無理は、彼の肩や肘を確実に蝕んでいた。
1992年6月のある日、彼のコントロールが明らかに定まらない。
そして、三塁に送球の際とんでもない暴投でランナーがホームベースを踏む……。

この日を境に、肩・肘の故障が田村に常に付きまとい、あの快速球を見ることはもう出来なかった。
翌年復活した田村の球速は146Kmを掲示することもあったが、球威という点では前年に比べて劣っていた。
どう見ても、あの絶対無敵の投球とダブらなかったのだ。
(とは言っても、前年を越える22のセーブに、2点台半ばの防御率。投球回数に比例する三振数と立派な成績だった事を補足しておく。)

そしてまた故障、復活を繰り返す。
1995年には一軍登板なし、1996年、1997年にはショートリリーフとして2年間で90試合に登板するが、1998年には二軍登板すらできなかった。
1999年には野村克也監督に遠山奬志とともに対松井秀喜用のワンポイントとして起用されるも、すでに以前の球威はなく、気迫と投球術でカヴァーする投球に終始した。

2000年オフに自由契約を言い渡され、オリックスに移籍。
しかし、活躍はできず、2002年の最終戦となった10月14日の日本ハム戦で引退試合を行う。この試合で田村はプロでは最初で最後となる先発マウンドに立ち、打者1人を三振に取って降板した。

本当に、お疲れ様と言いたい……。
★美しいサイドスロー★

サイドスローの美しい投手であった。
彼のフォームはゆったりと、しかし淀みなく流れるような美しさを持つ。
右足を上げるとその動きそのままに左腕を背中の後にまわし、肘をしならせながら美しい弧を描いてボールを離す。
体がなかなか打者の方へ向かないので、最後までしっかりと力をためることができ、遠心力を最大限に利用した合理的なフォームである。

これだけ右足を踏みこんでいるにも関わらず上半身はほとんど後を向いており、左腕にいたってはまだ力を蓄えている。
いかに下半身でつくったエネルギーを上半身で活かそうとしているかがわかると思う。

彼の全盛期は前述の92年だったが、直球はせいぜい140キロそこそこ。しかしとても重い球質で、セ・リーグの強打者たちはタジタジとなっていた。

肘の故障にたびたび見舞われ、92年以降はほとんど隔年で働くことしかできなかった。
しかも球威は戻らず、そのマウンド度胸とコントロールで勝負することしかできなくなり、対左バッターへのワンポイントリリーフが多くなった。

しかし大差で負けているなか“敗戦処理”のような形で登板しても、ふつうならクサって気が抜けるような場面でありながら雄叫びをあげながら投げていた。

もともとマウンドではふてぶてしく表情を変えず、強気に真剣勝負を挑んでいたが、いつ選手生命を絶たれるかわからないという状況のなか、その勝負根性はチームの勝敗などとは関係のない次元にまで達していて、見ていて悲痛になるとともに真のプロの姿を見た思いがした。
★ど真ん中のストレート★

私の知る限り、歴代のタイガースで、ど真ん中のストレートで狙って空振りを取れた投手は江夏豊、藤川球児そして田村勤の三人だけです。

田村の投球フォームは左の変則サイドスロー。
サイドスローとアンダースローの中間……真横より少し下から投げていました。
左のサイド及びアンダースローの選手はプロでは稀有な存在なので、それだけでもかなり個性的でした。

そしてその左腕から繰り出される速球がめっぽう速かった。
だが単に速いだけのピッチャーではなかった。
その球威が尋常ではなかった。
普通はサイドやアンダーのピッチャーのストレートは、ホームベースの手前で少し沈んで見えるのだが、田村の球はほとんど沈まなかったのだ。
初速と終速の差が余程少なかったのだと思う。

だから、打者の膝元より少し下ぐらいのボールに、主審の手が上がったのだ。
例えそれを振ったところで、面白いように皆空振りする。
普通、左投手は右打者に弱いのだが、クロスファイヤーで投げ込むど真ん中のストレートでも面白いように三振の山を築いたのだ。
★鉄火面★

最終回のマウンド上で注目を浴びる彼の表情は、見事なほどに無表情だった。
なんでも、アマチュア時代によれよれの投球ながらも勝った試合に大喜びして、当時の監督に怒られて以来、マウンド上で感情を出さなくなったらしい。
だが、そんな彼の無表情ぶりが、当時のズームイン朝の司会だった福留さんに、「あの鉄仮面が憎たらしい」と言わさせたのを覚えている。
★歴代三位★

阪神の歴代ストッパーの最多記録は、同じくサウスポーの山本和行の130である。
二位は1985年の胴上げ投手の「球道くん」と言われた中西清起の75。
そして田村が歴代三位で54を記録している。

以下は下記の通り

4位 古溝克之(42)
5位バルビーノ・リベラ(39)
5位ジェフ・ウィリアムス(39)

         ※記録は2005年現在
 
 
★「たむじい」★

あだ名は「たむじい」。
これは本人が「おっさん顔」で、歩く時はちょっと猫背気味にとぼとぼと歩き、また、静岡出身でお茶に目がなく、自前の急須をいつも持ち歩いていたというエピソードがまるでおじいさんみたいだと言われたことに由来する。

「鉄火面」と言われたマウンドでの激しい姿とは違う、普段の穏やかな田村に、ファンは親しみをこめて「たむじい」と呼んだのだった。

また、自動車メーカーの出身ながらなぜか自宅から甲子園球場まで自転車通勤をしていた庶民派で、1992年の契約更改を伝えるスポーツニュースでは、当時巨人の駒田徳広が颯爽とスポーツカーで契約更改に現れた映像の直後に、自転車で契約更改に現れる田村の姿が大写しになり、彼の人柄が浮き彫りになった。
★MEDICAL&SPORT 田村整骨院★

田村整骨院が現役引退後の田村選手の活躍の場です!



■開業するにあたって 田村 勤
自分自身野球というスポーツに人生の大半を費やした中で、特にプロ野球に所属していた12年間はいつも故障との戦いでした。
それでも37歳までプレー出来たのは、阪神タイガース・オリックスのトレーナーならびに数多くの治療家の先生に支えられた部分が非常に大きかったと思います。

患者(施術を受ける側)としての経験の中で大切なのは、まず自分で本当によくなろうと言う気持ちを持つことと、自分のことを親身になって考えて頂ける先生にめぐり会うが一日でも早くよくなる秘訣ではないかと思います。

人は病んでいるときはわらをもつかむ思いで何かに依存してしまうことが多いと思われます。

そこまでの人ではなくても、心身共に健康になりたい人は我々をとりまく環境の中で数多く居られると思います。そう言う人たちのベストの状態、そして更なる可能性を引き出すお手伝い、アシスト的な役割を果たせる治療院を目指したいという動機からスタートし、それを目標にしたいと思います。

予約に関しましては現在会員様が増えておりますのでお早めにお申し付けください。お問い合わせはメ-ルもしくは直接治療院にお気軽にご相談下さい。料金:30分〜1時間 @1000円  

≪田村整骨院≫
■各種保険取扱  
■休診日/日曜・祝日
■診療時間/13:30〜22:00(最終受付21:30)
西宮市市庭町6-6 井岡ビル2F 
阪神電車「香櫨園駅」より徒歩2分
0798-22-3644


詳細はこちらから
★Tamura36
http://www005.upp.so-net.ne.jp/tamura36/
へ〜!田村は最後はオリックスだったんですね!!
> いけちゃん

田村の現役時代の試合は見た事あるのかな?
私の中で阪神の左ピッチャーで最強(現役を見ている)は
1番 田村 2番 山本和 3番遠山 ?番マイク仲田・・・
です
>とよ隊長さん

大歓迎ですよ!
このコミュはライフワークとして充実させていきたいと思ってます。
どんどん、参加して下さい。



>いけちゃん

あれっ・・・井川は入らないの?
>カチタインヤさん

嬉しいです、当時の田村投手の活躍を知っている仲間が多くて・・・
本当に、球児のように打たれる気がしませんでした。

こちらこそ、ヨロシクです!!!
あっ・・・しまった、下さんを忘れてた
たむじい!あぁ、懐かしすぎる。
暗黒時代にあって強烈な輝きを放った選手ですね。
浮き上がるストレートもさることながら、
これぞ勝負師!といった鋭い眼光に大いに魅了されました。
しかし、短命・悲運…。
球児のスーパーストレートを見るたび、
不安になってしまう私です。

懐かしの田村勤投手に反応し、コミュ参加させてもらいました。
30年来の猛虎党です。よろしくお願いします!
>MYさん

参加は大歓迎ですよ。
それにしても田村が一番に皆さんの食いつきが良いですね!

今は戦前の猛虎伝説にはまってます。。。
田村ーほんまかっこええ!!

やっぱ田村最高ですね。

広島戦で内角に切れ込むようなストレートを投げ込み、
バッターがバットを動かすこともできずに見逃し三振を
奪った勇姿がいまだに忘れられません。

あと、中込が完封寸前で田村に代わってせっかくサードゴロに
うちとったのに古屋がエラーをして同点になった試合・・・。

とにかく田村が凄かった!!ということを今の球児しか知らない若い阪神ファンの子に教えてやりたい。

92年当時は高校三年生で大学受験真っ只中でした。
当然のごとく浪人しました。

遅れましたがはじめまして。

田村のコミュを探していてないなーを思っていましたが偶然ここを見つけて感激しました。

マッキーさんありがとうございます。

あー田村の壁紙が欲しい!!
>bassさん
素直に嬉しいです!
田村の全盛を知ってる人と話せるのが・・・
凄かった・・・
本当に凄かった。。。
あれだけ、肘を酷使してましたから。
でも、平成4年の頃は、今の球児クンに匹敵するピッチングでした。
普段も、温厚な方でしたね。

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