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猛虎伝説コミュの藤田平(全11伝説)

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藤田 平  ふじた・たいら
背番号 6
在籍1966年〜1984年

タイガース唯一の2000本安打到達打者。軽い感じで左へ右へ球を運ぶバット操作は、まさに「自動ボール運び機」。田淵・掛布らに比べて華がないのだが、守備打撃とも玄人好みの名選手。タイガー印のバットのCMに出ていた。捕球からタッチへの動作が速く盗塁ランナーを殺すことがうまいが、陸上選手のロッテ飯島にスライディングでケガをさせられた。
ベストナイン6回・首位打者1回
監督としては4番桧山・センター関川らを育て成果をあげたが、フロント・マスコミと対立して短命に終わった。

1947.10.19生
出身地  和歌山県和歌山市
出身校  市立和歌山商業高校
内野手 右投左打

1964年 2年生で4番 春夏甲子園出場 
1965年 春甲子園出場 小倉戦では安田(ヤクルト)から決勝二塁打 平松(大洋)から2安打も岡山東商に敗れて準優勝 チームのエースは住友金属の岡本嘉平
1965年 明大に進学予定だったがドラフト2位でタイガースに入団した

1966年 阪神タイガース 背番号6 68試合 .235
1967年 一番ショート 131試合 .291 オールスターファン投票出場 ベストナイン
1968年 129試合 .240
1969年 130試合 .293 オールスターファン投票出場 ベストナイン
1970年 121試合 .275 オールスターファン投票辞退 ベストナイン 
1971年 122試合 .272 オールスター出場 ベストナイン
1972年 130試合 .276
1973年 130試合 .281 オールスター出場 ベストナイン ダイヤモンドグラブ賞 3番ショート
1974年 100試合 .302 オールスター出場 ベストナイン
1975年 102試合 .290 オールスター出場 ダイヤモンドグラブ賞
1976年 103試合 .278 オールスターファン投票出場 2番ショート
1977年 119試合 .300 1番ショート
1978年 130試合 .301 ダイヤモンドグラブ賞 一塁手転向 208打席連続無三振(97年イチローが破る) 3番ファースト
1979年 18試合 .270
1980年 103試合 .304 6番ファースト
1981年 兼任打撃コーチ 107試合 .358首位打者 オールスター出場 ベストナイン カムバック賞
1982年 兼任打撃コーチ 116試合 .290
1983年 兼任打撃コーチ 90試合 .275
1984年 兼任打撃コーチ 61試合 .171 現役引退

1985年〜1994年 MBS解説者

1995年 阪神タイガース 二軍監督 背番号80 オールスター後に監督代行となり4番桧山を育成
1996年 監督  9月13日解任

1997年〜 サンテレビ解説者 デイリースポーツコメンテーター

実働19年 出場2010試合 打数7217 安打2064 本塁打207 打点802 盗塁85 犠打44 三振679 打率.286
監督2年 勝利65 敗戦105 勝率.382

コメント(11)

★選抜準優勝★ 

市立和歌山商業高校で3季連続出場を果たした藤田が最も注目を集めたのは、1965年春のセンバツ大会である。
藤田の市立和歌山商は、1回戦の小倉高戦で藤田が決勝二塁打を放って2−1で勝つと、2回戦の中京商高戦ではセンバツ史上初の快挙となる1試合2本塁打を放つなど大活躍を見せて6−2で破り、波に乗った。

準々決勝の東京農大二高戦も5−0、準決勝の高松商高戦も3−1で接戦を制し、決勝に駒を進める。
決勝戦の岡山東商高戦では1−2で敗れたものの、後にプロで200勝投手となる平松政次から2安打を放って平松の連続完封を4で止め、延長13回までもつれこむ熱戦を繰り広げた。

5試合で24打数10安打、打率.417を残してチームを引っ張る藤田の活躍は、当然プロから注目され、ドラフト創設初年度に2位で阪神に入団することになる。
★遊撃手争い★

藤田がドラフト2位で阪神に入団した当時、遊撃手には「牛若丸」と呼ばれた名手吉田義男がいた。
牛若丸を彷彿とさせる身のこなしと俊敏な送球で、長い間、遊撃手のレギュラーは吉田が独占していた。

しかし、藤田は、猛烈な練習を自らに課してレギュラーを目指した。堅実な守備もさることながら、打撃のミートセンス、長打力をも兼ね備えていたため、プロ2年目にして藤田は遊撃手のレギュラーを獲得する。

藤田によって遊撃手のレギュラーを奪われたベテランの吉田は、二塁手のレギュラーに収まり、最強の二遊間が整ったのである。
★塁打三冠★

藤田は、プロ2年目の1967年に安打数154、二塁打数30、三塁打数10でいずれもリーグトップの塁打数を記録する。

本塁打こそ16本であったが、最多安打、最多二塁打、最多三塁打の組み合わせで三冠を獲得するのは非常に稀なケースである。
福本豊は、2度記録しているが、王貞治や張本勲、長嶋茂雄、野村克也、落合博満、バース、イチローといった野球史に名を残した選手たちもこの組み合わせでの三冠を獲得していない。

そういう意味では、打撃主要部門の三冠王と同等の価値を持っていると言っても過言ではない。
★シーズン併殺打ゼロ★

1969年、藤田は、規定打席に達しながらもシーズン併殺打ゼロという記録を達成する。

その記録だけでも快挙なのだが、さらに際立たせているのが打数である。
この年、藤田は、全130試合に出場し、全選手中の最高打数である526打数を記録しているのだ。

そんな主力中の主力でありながら、併殺打ゼロを記録しているのは、藤田のバットコントロールがいかに優れていたかを暗に示すものである。
シーズン併殺打ゼロの記録は、セパ分立後、規定打席に達した打者の中では、藤田が史上5人目の快挙だった。
★208打席連続無三振★

1978年、藤田は、4月30日から7月5日まで2ヶ月以上にわたって三振をしないという大記録を打ち立てている。
7月5日の中日戦で4回、佐藤政夫投手の前に空振り三振に倒れて記録は止まったものの、小川亨が記録した180打席連続無三振の記録を大きく塗り替えた。
その期間中、空振りしたのはわずかに8回だけという天才ぶりだった。

この年は、522打数でわずか18三振。打率は、.301、157安打を残している。安打数は、164本を記録したリーグトップの松原誠に7本差だったが、単打数はリーグトップを記録した。

その後、1997年にイチローが216打席連続無三振を記録して藤田の記録を塗り替えている。
イチローは、大リーグの中でも最もミートするのがうまいとさえ言われており、藤田は、イチロー出現前の日本球界で最もミートがうまい打者だったと言ってもいいだろう。
★首位打者獲得でカムバック賞★

1978年に一塁手に転向したが、翌1979年4月17日の対ヤクルト戦(神宮球場)6回2死の打席で、遊ゴロを打って一塁に走る途中で左足太ももの肉離れを起こす。
経過が思わしくなく当時のドン・ブレイザー監督は、『日本の医者は何をしているんだ?米国なら簡単に治る!』と激怒。
同年7月に渡米、ロサンゼルスの外科手術専門治療所で筋肉強化のリハビリを受けシーズンを棒に振った。

それまで12年間にわたって毎年規定打席に達していたが、プロ入り以来初の長期欠場でその年はわずか18試合出場したのみであった。

しかし、1980年、藤田は鮮やかに復活する。
103試合に出場し、規定打席に到達しなかったものの打率.304を記録したのである。

さらに翌年には9月に結膜炎を患いながら打率.358、11本塁打、70打点を記録し、篠塚利夫との激しい首位打者争いを制してタイトルを獲得する。その活躍により、藤田は、その年のカムバック賞に選出された。
★通算2000本安打で名球会入り★

藤田は、プロ2年目から毎年安定して安打を量産し、12年連続で110安打以上を記録した。現役中、シーズン3割以上は4回にとどまったが、打率ベスト10入りは7回、ベストナイン選出も7回に及んでいる。
プロ18年目の1983年5月3日に達成した通算2000本安打は、阪神生え抜き選手としては史上初の快挙だった。

しかし、藤田は、現役を通じて優勝に縁がなかった。
優勝した翌々年に入団し、優勝する前年に現役を引退しているのである。
藤田が入団する前年から巨人は、圧倒的な強さでV9を達成し、その間藤田がどれだけヒットを打ち続けても、周囲は貧打にあえぐことが多く、巨人に歯が立たなかったのである。

そんな阪神で長年に渡って打線を支えた藤田は、玄人好みの職人肌の打撃で阪神史上最高の打者との呼び声もあり、現在でも流れるような美しい打撃フォームは手本として語られることが多い。
★暴行事件★

1982年8月31日、夏休み最後のこの日、横浜スタジアムで対大洋21回戦が行われた。
阪神・藤原仁、大洋・遠藤一彦の両投手で始まったこの試合で、阪神史上いやプロ野球史上最も恥ずべき大醜態が演じられた。

1−1で迎えた7回表にそれは起こった、この回阪神は藤田平からの攻撃。
その打席、カウント1−0からの2球目を藤田がポーンと打ちあげると、打球は三塁前に高くあがり、大洋の三塁手・石橋貢は捕球体勢に入る。
しかし打球は人工芝にポトリと落ち、その後ファウルゾーンに転がった。

「ファウル」鷲谷亘三塁塁審が宣告する。

しかし、阪神側はそのジャッジに納得がいかない。選手、コーチがベンチから飛び出すと猛烈な抗議を行う。
島野育夫コーチが鷲谷塁審のシャツを引っ張り、小突く。

「退場!」

ここで終わればまぁ良かったのだが、今度は島野コーチを止めに入っていた岡田功球審を柴田猛コーチが蹴り上げ、右フックをかます。
更にこの行為に怒った岡田球審が、プロテクターを地面にたたきつけ、ほかの審判とともに球場の控え室に退場してしまう。
10分間の中断の後、安藤統男監督が審判に謝罪、両コーチを退場させ、試合は再開された。

実はこの「暴行」の前、4回に伏線があった。
4回裏、大洋の攻撃は二死満塁で、打者・遠藤の時にマウンドの藤原がボークをとられ、阪神は同点に追いつかれる。
このボークの判定が実に微妙なところで、阪神側は抗議、8分間の中断があったのだ。
重要な場面での判定だったたけに「不利な判定をされた」と審判に遺恨を残していた、というのだ。

退場処分のあと、三塁ベンチ裏のロッカールームに入った両コーチは、約40分後報道陣の前で頭を下げた。
暴力をふるったことは反省している、その行為についてはどんな申し開きも通らない、本当に申し訳ない。(阪神・島野コーチ)
ボールは間違いなく石橋のグラブをかすっていた。
殴ったのは悪かったが、向こうからきつい言葉をぶつけられ逆上してしまった。(阪神・柴田コーチ)
これに対し鈴木龍二セ・リーグ会長は「言語道断、重罰に処す」と話し、翌日の大洋戦の両コーチの出場停止を決めた。
★ミスター地味★

首位打者も獲りベストナインにも何度も選ばれているし、物凄い選手なのだが、彼の印象は何故か地味である。

同じ地味の存在でも安藤元監督とか中村勝と違うのは、彼らは試合に出ることが少なかったことが地味な存在とさせているのに対し、藤田の場合はこれだけの実績があっても地味にみえる。

これは、彼のプレースタイルにもよるのでしょうね。
難しいゴロをいとも簡単にさばく堅実な守備に、美しいスイングと柔らかいリストで難しい球をいとも簡単にヒットする職人的打撃。
派手さを感じさせないプレーのレベルの高さが、見ているものに地味な印象を与えるのが彼の凄さでしょうね。
★鬼平監督★

中村勝広監督の要請で1995年阪神2軍監督になり、中村監督の途中休養に伴い同年オールスター後は代理監督を務めたのちの
1996年に監督に昇格する。

近鉄の鈴木啓示前監督の様に妥協を許さぬ姿勢と指導力で阪神の再建に本気で取り組んだ。
長谷川平蔵をもじった「鬼平監督」と呼ばれるほどの熱血指導であったが、はっきりとものを言う性格がフロントから反感を買う事もあった。

1996年の9月12日に監督を解任されることを知って、当時の三好球団社長と面会し久万オーナーとの面会を求めるも応じられず球団事務所に8時間たてこもりシーズン途中で解任された。
ここでも、内紛の度毎に選手に迎合し、監督に詰め腹を切らせるという阪神の悪しき伝統が露呈した。

決定権がなく、オーナーとの間で右往左往する三好社長について、「伝書鳩の方が賢いわ」と痛烈に皮肉っている。
その後は柴田猛ヘッドコーチが監督代行となった。
★新庄引退騒ぎ★

1995年夏、中村勝広監督が休養となり、代わって監督代行となった藤田平は、打率が2割台前半に低迷し、本塁打数も落ち込む新庄に2軍落ちを宣告する。
自由奔放なプレースタイルを好む新庄は、藤田平のような厳しい指導が合わなかったのだろう。その年の調子は、最悪なままで、上向くことはなかった。

藤田平は、通算2068安打した大打者で、1981年には打率.356で首位打者になった。
208打席連続無三振という日本記録を打ち立ててもいるて、守備も堅実にこなす、まさに昔気質の職人と言える選手だった。
その反面、藤田は、江夏や田淵、掛布らに比べ、スター性に乏しく、地味なイメージがつきまとった。
スター性で人気先行の新庄とは全く逆のタイプだったわけだ。

藤田に冷遇された新庄は、その年、87試合出場にとどまり、打率.225、7本塁打というレギュラー獲得後最低の成績で終える。
そして、オフに衝撃の騒動が起こる。

「自分はセンスがないから野球を辞めます」

新庄は、記者会見を開き、23歳にして引退宣言をしてしまったのだ。もちろん、前代未聞だった。
このとき、新庄は、野球を引退して、日本初のプロ野球出身Jリーガーを目指そうとしていた、という伝説がある。その真偽は定かではなが、新庄なら充分に本気で考えていそうな話である。

新庄は、周囲の説得により、2日後に引退宣言を撤回する。翌1996年の成績は、打率.238、19本塁打だった。

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