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永平寺・宮崎奕保コミュの「陸象山と王陽明」(読書録/最終版)吉田公平著

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当方は現在儒教を勉強中ですが、禅(仏教)と陽明学との類似性はその中心部分です。禅(仏教)の専門家から当方の読書録にコメントいだけると幸いです。


1.読書環境

8月26日から読み始めて、完読するのに今日まで3週間もかかってしまった。 その間、蘇州旅行一週間、名古屋/京都/大阪/浜松旅行4日間、会社に出社2回。旅行にはこの本を携帯し、毎朝2時間ぐらい読んだ。図書館の本ゆえ、本に書き込みが出来ず、要点や感想をノートに記録しながら読んだ。

吉田先生の博士論文との事ゆえ、先生の集大成で、あとがきには卒業論文から、早くも25年になると記してある。普通、一冊を3-4日で読む自分にとっては、三週間は非常に永いが、25年の集大成を読むには短い過ぎる?

2.陸象山

p102 陸子は北宋の道学の先駆者を認めることを全くしていない。
p103 陸子の思想行動は朱子批判を最大眼目にして思想形成し、批判をテコにして思索立論していた。

p129 陸子の学問論は「大いなるものを立てよ」の一語につきる。「大いなるもの」は本心そのものであり、「立てよ」とは自力で確立すること、つまり自立することである。我々万人は本来天から完全に善なる本性を賦与されている本心を確信して、本来完全なる本心を自力で自己実現することである。

陸子は孟子の告子編上に立脚。端緒をさえ明晰に把握してそこに立脚出来たなら、あとは本心が自ずから自己救済を企図するのである。

感想:
  この本で、陸子の議論は孟子を根拠に立論とのことと読解しましたが、思想内容は仏教の「仏性」のパクリに思える。中国人としてのプライドの高い陸子は根拠を類似の孟子に探したと推定される。中心思想が仏教と同じであることは、それだけ本質的に普遍性がある。

  何故この様な楽観主義者が出現したか?北宋時代は外交は軍事力によらず、お金で対応したところは平和ボケの現代日本と同じ。現代日本の多数の世論、ほとんどの政治家が極楽トンボで陸子の超楽観主義と同じ。戦後62年間も戦争しない日本は陸子と同じ平和ボケで歴史は繰り返す。

3.王陽明

p168 前の病気がぶり返した。その為、諦めて仏老を学んだところ、仏老の学問に覚醒した。--後に龍場に流されたおり、仏老の学問が十全でないので思索をこらした所、更にからりとこの頭脳を発見出来た。まことに痛快---

p169 程朱が仏老は真理に近似するが故に真理を乱す、陽明ののめり込みはこれを地でいったもの。仏老の道を近道と理解した。朱子学が提示する聖人の道は煩雑困難なものと---

感想:
王陽明のこの時期の考えと同じで、近道の方がよいと思う。荒木先生の「仏教と儒教」を早く読みたい。

p178 「物」とは一草一木などの個別的客体そのものをいう。所謂自然科学としての物理学は見る主体としての人格がその物体といかなる関係をもつか問題にしない。

長谷川の仮説:
中国で物理学、自然科学が発展しなかったのは、周易が古来あり、これを大事にして中身を疑わなかった為では?易は自然原理を割り切って理解し、当初は当時偉大なる自然科学理論であったが、内容が立派過ぎて、それを疑って見直すガリレオが現れなかった。

p352 資質に差異のある現実をふまえて、各自の分限を満開させる。

感想:禅と同じだ! 容易ゆえ、普及した理由だ。



p389 極言すれば、性善説、徳知主義が否定されたところでこそ、政策論の独自の発展をみるものであろう。
一気流通論による「教養」論、徳知主義、万物一体論の思考の枠組みに拘束されてしまい、一気の流通しない、徳知主義の効力の及ばない三人称としての他者一般を構想することが出来なかった。
これは明代社会の文化的政治的構造そのものである。

感想:
 この文章は素晴らしい。まさにその通りと思う。こうした考察を始めて見た。感動した!

 東洋、中国、日本は欧米に比べて誇るべき文化が多くあり、劣等感を持つ必要は全く無いが、しかし、日本、東アジアの政治や民主主義があまりにも欧米に遅れているのは、市民革命を経験していないから。野党政治家は今回の参議院選挙でも財源根拠のない、所謂バラマキのマニフエストで勝ってしまった。特にジャ-ナリストは幼稚で政治家に道徳を要求する。現中国共産党を含めて皇帝の徳知政治しか知らず、近代政治に未熟な為。日本では自分達が未熟であることを自覚していない為、改善の努力がない。事実を報道せず、政治を三面記事にしてしまうジャ-ナリストの罪は重い。


4,性善説のゆくえ

p409 戴震は血気(欲望の源泉)、心知(理を創造)という気質が人間の本質と主張。
万人が欲望をもつ存在であるという事実から出発して、それが満たされて、しかもなお社会秩序が維持される。そのような理を個々人が心知を活用させて、後天的に発見することを主張する。発明した性善説は先天的なものから後天的なものへと転換した。それは一つの発展形態であると理解するのが妥当。
荻生徂徠の政治思想は自力主義の宗教から開放されて、政治それ自体が独立したと言う意味では政治思想史で画期的成果。一方戴震は自力主義から離脱していない。その意味では政治は道徳、徳知主義から自立していない。

感想:
吉田先生も当に政治は道徳、徳知主義から自立していないことを指摘された。わが意を得たり。クリントンは道徳的にはスキャンダルまみれであったが、政治能力を認められ失脚しなかった。日本ジャ-アナリストは政治家のお金で大はしゃぎ。米国と比較して、何と大人気ないことか!

戴震の「気の哲学」は自分の信条と同じ。現代の現実態を観察するとそれが必然と思うが如何?
戴震を読みたくなった。

5.この本で得た知見

5-1 陸王学は本質で仏教(禅)と類似   
5-2 儒学は近代政治、民主主義に適合しない。
5-3 戴震にめぐり合えた。

6.今後の勉強計画

6-1 陸子を読む。
  今回陸子は当方を感動させなかった。
  小路口先生の「即今自立」を読む。
  今月中に読み終えるか不安。

6-2 陸王学と仏教(禅)のどこが違うのか研究
  荒木先生の「仏教と儒教」を読む

6-3 戴震の研究
  著述を読む
   
以上

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