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平将門コミュの関東独立王国

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将門公に関する本でさえろくすっぽまだ読んでいないのに、トピ立てなんて…なんですけど、徳川家康が天下分け目の合戦に挑む前に神田明神にお詣りしたという逸話に感動したものです。関西に対して植民地独立戦争を仕掛けた(史上初)英国に対する米国の初代大統領のような人物という切り口から語り合いませんか?

コメント(11)

【独立王国】と言えば、映画【ブレイブ・ハート】で描かれました、13世紀スコットランドの英雄『ウィリアム・ウォレス』を連想します。彼はイングランドに処刑されることになりますが、ウォレスの存在と活躍をきっかけに、その後スコットランドはイングランドからの独立を果たすことになります。この映画を見た時に「将門ストーリーにそっくりだ!」と感動しました。

平将門公も、その【乱】のキッカケになった源護(みなもとまもる)の息子たち3人との対決で、愛する存在(奥さんと子供)が危機に晒されたから『怒りのマッドマックス』になったという伝説があります。それまでは京の都で12年も宮仕えした、インテリのお坊ちゃまだったのです。しかし故郷に帰って、父の遺領が荒れ果てているのを見て懸命に開墾し、それから叔父さんたち『権威』と、【愛】の名の下に対決することになりました。これはスコットランドより400年も早く、日本で起こったことです。

そしてこの将門公の出現以来、日本の歴史は変わりました。将門公のような存在は、その生まれる前とあとで、歴史の在り方を変えてしまうくらいのエネルギーがあるのではないかと思います。将門公の肉体人生は、39年という短いものでしたが、その後250年も経って、将門公の子孫が、貞盛公の子孫である伊勢平氏と対決したのです。それが世で言うところの【源平合戦】で、『源氏』側の武将のほとんどは、『坂東平氏(ばんどうへいし)』と呼ばれる将門公の子孫たちでした。その将門流の武士たちが、源氏を神輿に担いで、かつて将門公を死に追いやった貞盛公陣営である【平家】に対し、坂東的リベンジを果たしたのが【源平合戦】であったと、私は考えます。ですから『鎌倉幕府』というのは、事実上、将門公のコンセプトを実現した、坂東独立王国なのです!!

このことを説明したくて、以前ブログ記事を書いたことがあります。
≪裏・源平合戦≫
http://blog.goo.ne.jp/shuban258/e/d26d35e0019624c5fc19cd54e3247d50
ご参考になさってみてください。。<(_ _)>

尚、私の考察では、『徳川幕府』は【新田義貞公】のコンセプトを実現したものだということになっております。このことに関する考察は、【前世の忘れもの】というシリーズに特集しておありますので、そちらもお読みになってみてください。
http://blog.goo.ne.jp/shuban258/c/eba8aedf6fbeac4b1ade1a59e9eef6d4

いすれにしても、【幕府】という存在は、【坂東独立王国】の象徴ですね。
お読みいただき、ありがとうございます。。<(_ _)>
いやあ〜ありがとうございます!! 私まだ携帯でしかミクシィできないんで、まさか私が立てたトピに書き込みして下さった方がいたなんて気がつかなかったですよ!!!! 嬉しいですね。じっくり読ませていただきますね!ふらふら
うーむ、鋭いexclamation

当時の人口の3分の2は奴隷階級だったと聞いておりますし、将門が敢えて『乱』を起こした理由の背景に、その奴隷階級の存在たちが居るのだろうと思います。もっとも将門公の母親も『縄文系』の犬飼一族だという話ですし、キャラクターと血筋から、【弱いもんの見方】という将門像が浮き彫りになってくるわけであります。

その辺に焦点を当てて描いた小説として、吉川英治さんの『平将門』は
面白く読みやすいと感じます。(女性関係が単純すぎるような気もしますが)
あれ? 画像が小さかったので、もう一度。
ネットで検索して吉川英治さんの「平将門」買って読んでみますよ。
引越しでいろいろ本を捨てましたが

将門さまの関係の本は捨てられませんでした。
次は将門記を読みたい。

頼朝が幕府を開けたのは将門さまの坂東王国の石杖があったから
出来たんですよね、ほんとに自分もそう思います。

だから、家康は将門さまを美味く利用して、幕府を開いたんですよね。
もし、秀吉が、家康を江戸に追いやらなかったら、
ひょっとしたら、家康は幕府を開けなかった気がします。
家康を三川そのままにし、坂東に前田とかを置いたらね・・・
現在、『将門記』を基本にして、「将門の乱」をシリーズとして書き始めまして、そろそろ最終回に近づこうとしています。もし、よろしければお立ち寄りください。
自分の日記にはよく書いてますが

ご存知、将門さまの母は犬養氏、坂東蝦夷の末裔そして
父は鎮守府将軍、あまり正史には出てこないが
将門さまには、当時のことを考えれば蝦夷の異母弟も、間違いなくいたはず、
子供の頃の将門さまは間違いなく、東北に来ていた・・

将門さまの馬術は子供の時の東北での経験では?と


たぶん、このコミの人は、知ってると思いますが
うちの田舎の羽黒山には、五重塔がありますが
現存の建物は、違いますが
もともと、ここに五重塔を建てたのは、将門さまが建てたといわれています・・

なんで、こんなところ?
歴史家が誰も何もそこに着眼しない・・というのはおかしいです


そういうのを考えていくと・・

実は、坂東王国は東北蝦夷の後ろ盾があったのでは?

関東だけでなく実は、坂東と東北蝦夷との、連合王国を目指していたのではと・・


それをわかっていた、秀郷が後ろから攻められるのを恐れて、また蝦夷の利益を目当てに
戦ったのでは・・と


現に
藤原経清(藤原清衡の父)は秀郷子孫・・



正史では、蝦夷と将門さまの関係は誰も何も言いませんが

自分は、間違いなく、蝦夷と将門さまの関係はかなりあったと
思っています・・

東北生まれ、蝦夷の末裔だから考えられることです

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