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チベットの神様コミュの聖なる言葉

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 チベットの神様やチベット仏教、その他チベットと関係のある「聖なる言葉」をご紹介下さい。



コメント(17)


 ある物事が良いか悪いかが分からないとき、私たちは、自らの自己中心性のために、無用な期待を抱いたり、疑念を抱いたりします。自らの自己中心性のために、何とか生き延びようと考えながら戦争に赴いたり、明日の戦いのために生きようと考えながら、自分の命を危険にさらしたりします。

 「思い通りにならない」という取るに足らない問題に直面した時、私たちはいつも僧院長、教師、友人、あるいは両親を非難します。私たちの自己中心性の感覚は、恥知らずなのです。私たちは自分より優れた人には嫉妬し、自分と対等な人には競争的であり、自分より低い人には得意になり、尊大です。褒められれば幸福に感じ、批判されれば怒ります。全く自らの自己中心性のために、煩悩は、轡をつけていない馬のように、抑制が利かないのです。

 私たちは非常に自己中心的であるために、自分の枕の上にネズミが落ちたのに気づいた時、ネズミが耳をかじるのではないだろうかと不安になります。雷のバリバリという音を聞くと、閃光が自分の頭に落ちるのではないかと心配します。悪霊の出るところでは、最初に、そこに住む悪霊にとりつかれるのではないかと心配になります。自己中心性は、私たちの恐怖の源泉です。悪い知らせを聞きたくないことから苦しむ人もいますし、敵を抑えられなかったり、身内の暮らしを援助できなかったりすることから苦しむ人もいます。このようなあらゆる事例において、自己中心性は、一切の「責め」を負うべき根源なのです。

 私たちの不幸はすべて、教化されていない心のために起こってきます。「心」というものは、制御されないままに、自己中心的な態度に起因します。自己中心的な態度は、毒の源泉であるトリカブトのようなものです。それは、希望や不安のような感情の主人を作り出します。そしてこれらの感情のために、私たちは絶えず失敗と災難に直面するのです。

 通常、私たちは、悪くなったことは何でも他者のせいにして、他者を名指しで責めます。しかし問題の本当の根っこ、つまりあらゆるトラブルの根源、すべての不幸なことや悪い前兆の発端は、何ものにも邪魔されずに私たちの心を占拠している「自己中心的な態度」なのです。その始まりすら分からない遠い過去から、私たちは、忠実にその指導力に追随してきました。ですから、自己中心的な態度にすべての過失の責めを負わせるべきなのです。


 ――「ダライ・ラマ 他者と共に生きる」より

 グルの御足に礼拝します。

 人の跡のない森深く
 わたし、ミラレーパは、喜びに満ちて瞑想する。

 執着もとらわれもなく
 歩くこと、静かでいることもともに快い。

 病も障害もない
 この幻影の身体を私は快く持ち
 眠らずに、静寂の内に安らかに座る。

 不変なきサマーディにあって、
 喜びを味わう。
 熱のヨーガを続ければ寒さもなく
 真に心地よい。

 臆病になることも、落胆することもなく
 喜びに満ちて、私はタントラの修行にはげみ
 努力なくして修行を完成し
 いかなるものにも心を奪われることなく
 独居して、私は真に楽しい。
 これらが体の喜び。

 幸せなるかな、智慧と方便の道。
 幸せなるかな、生成と完成のヨーガ、二つが一つになる瞑想。
 幸せなるかな、プラジュニャー、去来なき自覚。
 幸せなるかな、会話の不在、友もなく雑談もない。
 これが言葉の喜び。

 幸せなるかな、とらわれることのない理解。
 幸せなるかな、妨げなき瞑想。
 幸せなるかな、望みや恐れもない達成。
 幸せなるかな、けがれなくなされる行為。
 これが心の喜び。

 幸せなるかな、思考も変化もない光輝。
 幸せなるかな、ダルマダートゥの清らかさの大歓喜。
 幸せなるかな、存在の止むことなき世界。

 心から自由に流れ出た
 この大いなる幸せの小さな歌は
 瞑想により、行為と叡智の合一により
 霊感を得た。

 ボーディの果実を志す者は
 このヨーガの行に従うがよい。




ミラレーパ


 輪廻は、変わることなくニルヴァーナでした――
 それについての誤った観念が減少していくことは、
 空の中の雲が分散するようです。


 あなたが、根源的な誕生の地に静止するこれを知ったならば
 その領域の完全な寂静、空、光輝である純粋意識を守ってください。


 主観的な心によって意図された客体は、起源のない領域では見つかりませんが、
 起源の魔術を抑制することなく、
 あなたは、増殖している概念へ陥る迷妄の根を絶つべきです。

 終わった何かも、終わっていない何かもなく、
 受容も拒否も存在しませんが、
 物質と自己を信じている心が存在している限りは、
 あなたは、感情を対治するという意味としての深遠な教えに頼らなくてはなりません。

 それゆえに、あなたが、内側にも外側にも存在していない心の本性の領域としての自由を理解したとき、
 あなたは、賢者となるでしょう。




 あなたがこの教えを実際に身につけたいならば、 
 準備段階の修行は、他の教えと同様に、
 「すべては陽炎であると悟らせてください」と、グルに祈ることです。


 実際の修行は、すべては陽炎のようであるということを思索することです。

 陽炎は、どこにも実体は存在しませんが、存在します。
 形、音、香り、味、触覚の喜び、そしてすべての思考は、陽炎です。

 心の中に、肯定と否定のカテゴリーを生じさせてください
 それらをすべて陽炎であるとして、鮮明に想像してください。

 そのようにして常に、昼も夜も、すべての存在は陽炎であるという事実を修習してください。



 あなたが、陽炎のような物事、不自然である物事を理解した時点で、
 真実の原理のない領域にそれらをありのままに解放することによって、
 すべての事柄は弱まるでしょう。

 真の実在の完全な光、空、輝きは、その深みから生起します。
 
 たとえ夢の中でも、それらのイメージは、陽炎として見られます。

 このようにして、陽炎の中に真実の原理を欲することから解放され、
 主体・客体の束縛は破壊されるでしょう。

 自由、すべては一つであるという理解、すべての動きの完全な停止は、確立されるでしょう。

 それゆえに、すべては陽炎であるという真実を修習してください。




ロンチェンパ

 この世とあの世で経験する物事はすべて、
 自分自身の思いによって作り出された幻である。
 だが、こうした物事への執着が、さらに知覚をゆがめるのだ。
 執着を捨てよ。そして、物事が実際に存在しているとおりに観察せよ。
 

 誰かに会うときはいつでも、あなたは、
 慈愛をたたえた微笑むようなまなざしで、彼らにお会いなさい。
 あなたは、人を傷つけようとする意志や、欺こうとする思いを持つことを
 考えてもいけないのだ。


 他なるものを曼荼羅の諸尊が姿を変えて現われたものとみなすような、
 すなわち、あらゆる出来事を、”諸尊が演じるお芝居”であると解するような、
 あらゆる音を、マントラやダラニとして聞くような、
 あらゆる思いを、空性を理解する智慧と一体化した大楽であると見るような、
 純粋な見方を常に保持しなさい。
 これが、密教的な生活の真髄である。



     −−ダライ・ラマ七世

「ツォギャルよ、私はこれらのことをみなに語ってきた。しかし誰も耳を傾けない。死のマーラに捕まると、そのとたん解脱へのチャンスはなくなる。ダルマを修習しない人は、死に近づいたとき、このことを後悔するだろう。

 一秒たりとも引き伸ばすことなく、年、月、日は過ぎ去る。一時間、一分たりとも休むことなく、この命は尽きていき、死ぬのだ。季節は続くが、命の終わりは待ってはくれない。

 年、月、日々が過ぎ行き、死がだんだん近づいていると分かったとき、あなたは失望しないか? 
 予期せず突然に死が訪れるとき、あなたはどのように満足を感じることができるだろうか? 
 子孫も富も何の役にも立たない死のとき、これらにどのように満足を感じることができるだろうか? 
 死後には善行と悪行のみが付き添うとき、どのように自信に満ちていられるだろうか? 

 具体的な現実への執着と、この世が永続するという見解を断ち切らない人は、思慮がないのだ!」


グル・リンポチェ

「ツォギャルよ、死は、生まれた日からずっとあなたに付き添っているのだ。
 死ぬ状況も不確実だ。
 死ぬつもりがなくても死ぬのだ。
 あなたの死は、決してあなたのためにその活動を止めるようなことはしない。
 あなたは世間的な富をすべて集めるかもしれないが、それでもそれを残して去らねばならないのだ。

 輪廻は死んでも消えない。再び三悪趣の領域をうろつくだろう。
 輪廻の存在には幸福はない。六道の中では、どこに生まれ変わっても、決して惨めさを越えることはない。
 過去において、ものすごい苦痛を経験しながら、どれだけうろついてきたことか! そしてまた苦しみの波に放り込まれて、輪廻をうろつき続けるだろう。ダルマを修習して、惨めさの鎖を断ち切った方が良いではないか! 
 自らが陸地に到達しないなら、他の人々を輪廻から救い出すことはできない。それなのに、ダルマを修行している人が皆、世間的な楽しみに執着し、繰り返し自らを輪廻の中に投げ戻しているように思われる。

 自由と幸運の助けによって、今すぐ輪廻の束縛を断ち切らねばならないのだ!」


グル・リンポチェ

「ツォギャルよ、今解脱しないならば、次にどこに生まれてこようとも、存在の惨めさの中にさらに深く沈むだけだ。
 山中の隠れ家に暮らさないなら、どこに暮らしても、ただ輪廻の毒の中に生きるだけだ。
 修行をしないなら、何をしても、輪廻のためのさらなる悪しきカルマを作るだけだ。

 功徳と智慧の二つの集積を集めないなら、あなたが集める他のどんなことも、単にマーラに裏切られるだけだ。
 あなたの根本グルに従わないなら、他のどんな人に従っても、単にさらなる輪廻に導かれるだけだ。
 師の口頭の教えに耳を傾けないなら、他のどんな人に耳を傾けても、あなたをさらに下に引きずり下ろす助言になるだけだ。

 精神的な資質があなたの連続体の中に生まれないなら、どんな仲間も、悪しき行為のサポートになるだけだ。
 あなたの心の本質に気づかないなら、どんな考えであろうとも、概念的思考であるにすぎない。
 自分自身の心をじっと見ることができなければ、何をしても、幻想を永続させるだけだ。
 輪廻を厭わないなら、何をしても低い領域の種になるだけだ。

 輪廻に幻滅していない人は、絶えず苦しむであろう。」

グル・リンポチェ

「ツォギャルよ、今解脱しないならば、次にどこに生まれてこようとも、存在の惨めさの中にさらに深く沈むだけだ。
 修行をしないなら、何をしても、輪廻のためのさらなる悪しきカルマを作るだけだ。

 功徳と智慧の二つの集積を集めないなら、あなたが集める他のどんなことも、単にマーラに裏切られるだけだ。
 あなたの根本グルに従わないなら、他のどんな人に従っても、単にさらなる輪廻に導かれるだけだ。
 師の口頭の教えに耳を傾けないなら、他のどんな人に耳を傾けても、あなたをさらに下に引きずり下ろす助言になるだけだ。

 精神的な資質があなたの連続体の中に生まれないなら、どんな仲間も、悪しき行為のサポートになるだけだ。
 あなたの心の本質に気づかないなら、どんな考えであろうとも、概念的思考であるにすぎない。
 自分自身の心をじっと見ることができなければ、何をしても、幻想を永続させるだけだ。
 輪廻を厭わないなら、何をしても、低い領域の種になるだけだ。

 輪廻に幻滅していない人は、絶えず苦しむであろう。」


グル・リンポチェ

「ツォギャルよ、年老いて、あるいは若くして、あなたの先祖たちが死んだのを聞いたことはないか? 
 あなたの仲間や隣人が死ぬのを見たことはないか? 
 あなたの身内の死に気づいたことはないか? 
 死体が墓場に運ばれていくのを見たことはないか? 
 死があなたにも訪れることに思いが至らないなど不可能ではないか? 
 それでも動機付けられないなら、決して解脱は訪れないだろう!

 高貴な資質の根幹は、無常を心に根付かせることだ。故に、死への恐れを決して忘れてはならない。
 すべての法の中で、無常性は最も明らかである。故に、それから離れてはならない。
 物事が続くことを信じる態度は、すべての悪しき行為のまさに根幹である。だから、それを引っこ抜け!
 この態度(無常性)を真摯に心に根付かせないなら、邪悪さは山のように積み上がるだろう。

 多くの人々は、無常性を明らかにしないために、解脱を求めない。
 高位にある人たちは自惚れ、慢心からくる自己評価に執着する。
 金持ちたちは、貪欲さによって手かせ足かせをかけられている。
 迷妄なる者たちは、悪しき行為の中で寝そべっている。
 怠惰な者たちは、やる気なく生きている。
 修行者は世俗的なことに戻る。 
 ダルマの師は、八つの世間的な関心事に迷い込む。
 瞑想家たちは帰依心と勤勉さを欠き、現世の目的を追求する。
 このすべては、無常性を心に根付かせることに失敗したがゆえである。

 一旦、無常性の考えがあなたの連続体の中に真に同化したなら、解脱の道のすべての資質は、山のように積み上がるだろう。
 現世の目的は無益であるという態度を形成しなさい。
 この現世の無意味さを捨てなさい!

 不屈の精神で解脱の道に乗り出すのだ! 
 物質的なものに執着してはならない! 
 五蘊を自分自身であるとして拘ってはならない。
 娯楽はマーラなのだということを理解しなさい! 
 望ましい感覚対象は策略なのだということを理解しなさい! 
 切迫感から決して離れてはならない!

 今生の出来事(への執着)を、あなたの敵とみなしなさい! 
 真の師を求めなさい! 
 悪しき仲間から離れなさい! 
 山の中の独居に逃れなさい! 
 あなたの修行を遅らせてはならない! 
 あなたの誓いとサマヤを遵守しなさい! 
 あなたの心をダルマと混ぜ合わせなさい!

 もしこのようにするなら、神は成就を与え、ダーキニーは祝福を与えることを許し、仏陀たちは確信を与えるだろう。そしてあなたはすぐに悟りに到達するだろう。――これはすべて、無常性が心に根付いたことからくる結果である。

 過去から今日この日まで、全ての仏陀方と彼らの息子や娘たち、そしてすべてのヴィディヤーダラたちやシッダたちは、無常性を心に根付かせることによって、輪廻から解放されたのだ。」


グル・リンポチェ

「ツォギャルよ、今すぐにも輪廻の存在から脱却しないなら、あなたのカルマと厄介な感情が因となり、結果として必ずやあなたを条件付きの身体に再生させるだろう。そのような再生を果たすやいなや、その肉体は痛みを伴った種類のものなのだ。生まれると年を取り、必然的に死に至る。そして死が起こると、再び必ず六つの世界の生き物に再生するより他はない。

 そのような形に生まれると、そこには欲望と惨めさが自動的に存在する。五毒によって造られたカルマの行為の苦痛の海から逃げる道はない。逃亡に失敗することの当然の結果は、輪廻の存在の中で休みなくぐるぐる回るということだ。それから逃れるためには、あなたの心の不生性に気づかなくてはならないのだ。それに気づかないのなら、輪廻からの解放はないのだ!」


グル・リンポチェ

「ツォギャルよ、概して輪廻には始まりも終わりもない。しかし、一個人としては、その始まりと終わりを経験しなくてはならない。
 今生であなたはパワーがあって、豊かかもしれないが、それでもあなたはそれらから離れるのだから、それらは役に立たない。
 あなたの強さ、力、能力は素晴らしいかもしれない。しかし、それによって死魔を克服することはできないのだ。

 あなたは富を持っているかもしれないが、いったん死神に捕まったなら、富によって死神を欺くことはできない。
 あなたの軍団と富は恐るべきものかもしれないが、それとて、あなたが死んだ後、前方を行くのでも後方から付いてくるのでもない。
 あなたの子孫、従者、身内はたくさんいるかも知れない。しかし彼らとて、あなたの来世にまで付き添うことはできない。
 あなたは世界中のすべての軍隊を自分の周りに置くかもしれない。しかし彼らとて、誕生、老い、病、死をくい止めることはできない。

 今、来世の幸福を保証しないなら、誰が地獄に落ちる苦悩に耐えることができるだろうか? 
 餓鬼界の空腹と喉の渇きは耐え難い! 
 奴隷にされた動物は恐怖だ! 
 人間の生の変化はほとんど苦痛だ! 
 阿修羅の苦闘は耐え難い! 
 天界からの転落は激しい苦痛だ! 
 すべての生き物はこの酷い輪の中をぐるぐる回るのだ! 
 生と死の波からはなかなか逃げられないのだ!

 六道の淵を渡らない限り、全ては無意味である。それを越えるには、非二元の悟りの強さを培わねばならない。」

グル・リンポチェ
 あらゆる問題はただ一つ、エゴのせいである。
 それを払いのけなさい。

 ――ゲシェー・チェカワ

「ツォギャルよ、もし人々が自分たちのことを大事に思うならば、私の教えに耳を傾けるべきなのだ!

 我々は、集めてきた富をすべて残して去らねばならない。故に、富のために悪しきことをしてはならない! 
 善行と悪行のカルマの集積と成熟は、死んでも消えない。故に、ごく小さな行ないにも注意深くありなさい!  
 つかの間の所有物には実体がない。故に、それらを与え、功徳になるように使いなさい! 
 今作る功徳が将来必要になるだろう。故に、清らかな戒律を守りなさい!

 この暗黒の時代には、嫌悪が蔓延している。故に、忍耐の鎧を身に着けるのだ! 
 怠惰さによって再び輪廻の存在に迷い込むだろう。故に、まっすぐな勤勉さを培いなさい。
 人生は迷いの道で終わってしまう。故に、瞑想と生来の本性を修習しなさい。
 輪廻の存在の中では、迷妄によって苦しめられる。故に、叡智のランプを灯しなさい。

 この堕落の沼の中には幸福はない。故に、解脱の土地に進みなさい!  
 深遠な教えで正しく訓練し、存在の網を切り抜けなさい! 
 故郷を捨てなさい。身内から距離を取りなさい。そして山中の棲家に暮らしなさい! 
 思い、言葉、行為において、気晴らしを止め、束縛されない生来の本性を覗き込みなさい!

 一番低い席に座り、ボロ布を纏い、自分の経験を維持しなさい!
 食事は質素にして、曲がりくねるインドの川のように放浪しなさい。
 そして崇高なる心の宝庫を掘り起こしなさい! 
 自分の観念で、師の中に欠点を見てはならない。
 法友の欠点と見えることに拘ってはいけない。

 この世はすべて表層的な現実なのだ。希望や恐怖の中に溺れるのではなく、すべてが幻想であることを修習しなさい! 
 将来衆生の利益になるためには、菩薩の決意を培わねばならない! 
 二つの無明が良い資質の生起の邪魔になる。故に、それらを素早く浄化しなさい!

 火に包まれた家のような輪廻の状態を恐怖するなら、パドマの教えを心に留めるべきだ!」


グル・リンポチェ

「ツォギャルよ、もしコンスタントに修行したいと思うなら、直ちに執着を断ち切りなさい!

 魔力を持つ恐ろしい大軍が押し寄せてきたとき、それらを幻想と見る鉄の壁を自分に張り巡らせなさい。
 意地の悪い言葉に腹が立ったとき、その音の波動の源を探しなさい! 
 ヴィパシャナー(正観)を発達させるために、方便として、観るもの、聞くものを使いなさい。
 経験の強さを完全にしたいと願うなら、高揚の訓練をしてスキルを上げなさい!

 高貴な存在の道のステージを通って行くためには、方便と智慧の見解を覗き込まねばならない。
 無尽蔵の富を手に入れたいと願うなら、功徳と智慧の二つの集積を集めなさい! 
 悪しき見解の危険な場所を渡りたいと願うなら、二元的認識のとらわれの心を解放させなさい! 
 素晴らしい無上の喜びである智慧があなたの連続体の中に増大するのを望むなら、方便の道の直接の教えを受けなさい!

 常に幸福でありたいのなら、この惨めな牢獄から逃れなさい! 
 根のない心の真髄を悟りたいのなら、瞑想経験への執着を断ち切りなさい! 
 常に祝福の雨に濡れていたいのなら、信仰をもって嘆願しなさい!
 六道の深淵を渡りたいと願うなら、エゴの悪しき精神を払いのけなさい! 
 菩提心の高貴な大望を成就したいと願うなら、今の経験への執着を断ち切りなさい!

 ヴィパシャナー(正観)を修習したいなら、非二元の覚醒を迷いの戸口に置き去りにしてはならない!
 自分の心をダルマと融合させたいと願うなら、訓練を鈍らせたり、無感覚にさせてはならない。
 今生で成就したいと願うなら、完成のステージを単なる大志とさせてしまってはならない! 
 見えるもの、存在するものをありのままの覚醒したものとして経験したいのなら、心の自然な状態を覗き込みなさい!

 ツォギャルよ、このように正しく修行している修行者がいるようには思えない。」


グル・リンポチェ
虚空が永続する限り、また世界が永続する限り、私は世界の苦しみを滅ぼす者として永続しますように。

 ――入菩提行論

「ツォギャルよ、輪廻の存在の欠点を深く考えたとしても、苦しみにうんざりしないなら、現世的な事柄を捨てることはできない。
 条件付けられた事柄の変化を理解したとしても、無常性が真に心に根付かない限り、感覚上の世界への執着は断ち切れない。
 教えを授けられていても、死が訪れる時の不確実性を常に思っていないなら、その深遠なる教えを心に根付かせることはできない。

 たとえ具体的な現実へのとらわれが魔術的な幻想の魅惑であると理解していても、幻の存在の非現実性を解明しない限り、それを放棄しないだろう。
 たとえあなたの器が深遠な教えで一杯であるとしても、世間的な事柄を捨てない限り、輪廻を捨ててニルヴァーナに至ることはできない。
 最高の要塞を今すぐつかみ取らない限り、たとえ将来のためにいくつかの良いカルマが作られていたとしても、どこであなたの悪しきカルマに捕らえられるかは明らかではない。

 輪廻を求めて励むことから真に離れないなら、一度や二度は信を感じるかもしれないが、瞑想修行の目的には到達しないだろう。
 たとえ決意をもって努力しても、家庭生活や故郷への執着を捨てないなら、輪廻の存在の沼から這い上がれないだろう。
 エゴが執着するものから自分を解放しないなら、三悪趣には実体はないと理解していても、六道に繋がる川を止めることはできないだろう。

 自分の生来の欠点を根絶しないならば、たとえ覚醒の歓喜あふれる透明な状態を垣間見たことがあるとしても、厄介な感情の卑しいゾンビが再び現われるだろう。
 好き嫌いといった事を放棄していても、執着の絆を断ち切っていないならば、何度も何度も戻ってくるだろう。

 現世的な事柄が多すぎるなら、師の口頭の教えを得ていたとしても、覚醒の状態を得るチャンスが見つからないだろう。
 常に学んで思索しているかもしれないが、生と死の恐怖に襲われない限り、教えのすべてはただの言葉だけのものになるだろう。
 四つの行為に習熟していたとしても、あなたのすることが衆生の幸福のためでないなら、菩薩の決意は表面的なものになるだろう。

 修行の鎧は強い印象を与えるかもしれないが、生来の本性の受容が得られない限りは、辛らつな言葉に耐えられないだろう。
 外と内の教えを学んでいるかもしれないが、修習に励まないなら、普通の人の心と同レベルである。
 師がたとえ大きな雲の塊のような素晴らしい徳を持っていたとしても、弟子であるあなたに帰依の心がなければ、祝福の雨は降らないだろう。

 修行者として、祝福と口頭の教えを受けるかもしれないが、無量の慈悲心がなければ、それは衆生の役には立たない。
 人間界において城を得るかもしれないが、最高の不生の要塞を見出さない限り、来世は混乱したままさまようことになるだろう。
 確かな悟りを仲間にしないなら、人間の友や身内がたくさんいても、彼らを残して死ぬのだ。

 肉体的な強さをすべて達成しているかもしれないが、この肉体にある間に瞑想の強さを完全にしない限り、死神の大軍に抵抗することはできないだろう。
 あなたの雄弁さは人の心を揺さぶるかもしれないが、解脱を得ようと心から決意しない限り、死神の心を揺さぶることはないだろう。
 富を蓄積することに人生のすべてを費やすこともできるが、永続する功徳の田地を今すぐ耕さない限り、小麦の一粒さえも持ち去ることができない時が来るだろう。

 一つの生でブッダフッドに到達するためには、たくさんの影響しあう状況が一致しなくてはならないのだが、それは難しいのだ!」

グル・リンポチェ

 再び師パドマは仰った。

「ツォギャルよ、正法の時代の終わりが近づいたとき、悟りに到達したいと願う人々がここチベットに多くいるだろう。しかし、ダルマを正しく訓練する方法を知らないがゆえに、ほんの一握りの人しか成功しないだろう。そのとき、もし彼らがこの親切なアドヴァイスに耳を傾けるならば、幸福を手に入れる方法を得るのだ。」

「どうぞ、私達にそのアドヴァイスをお与え下さいませ。」

と、ツォギャルは言った。

 師は仰った。

「あなたは労を惜しまずに努力するかも知れないが、町に住んでいる限りは、障害の魔から逃れることはないだろう。故に、早く成就したいなら、人里離れた山中の棲家に暮らしなさい。
 大乗の決意をしたとしても、自身が成熟していなかったら、他者の幸福のために働くことは大変骨の折れる仕事だ。故に、修行を個人的な経験の中に生かしなさい。
 明らかな意味の見解を持っているかもしれないが、それを日常の行為の中に巧みに生かせないなら、五毒に陥ってしまう。故に、現世の事柄を放棄しなさい。
 
 ダルマのように見える精神修行を求めるかもしれないが、菩薩の決意を失えば、世俗的な人の道に迷い込むことになる。故に、八つの世間的関心事を捨てなさい。
 師の慈悲によって受け入れられたかもしれないが、世俗的関心から脱却していないならば、友や敵との結びつきを断ち切ることはないだろう。故に、自分と他者という二元のこだわりを止めなさい。
 深遠な教えを受けたかもしれないが、あなたがやり抜かなければ、教えのみでは障害は消せないだろう。故に、進歩のための巧みな方法を用いなさい。

 瞑想状態にある間は意識は集中しているかもしれないが、逆境をなんとかして道に引き入れない限り、習慣的傾向の強い流れを断ち切れないだろう。故に、瞑想から出たとき、続いて起きる正智の間にも、あなたの本来の本性を経験しなさい。
 概念を伴った修行は終わりがないだろうが、大望を非概念の状態に解放することができないなら、それは成就に関わる希望や恐れに変わるだろう。故に、二元性を固定している結び目を解きなさい。

 スートラとタントラの広範囲な知識を持っていたとしても、心の生来の状態に気づかないなら、心が身体を去るとき、普通の人のままだろう。故に、修行の真の本質を認識しなさい。

 いずれにせよ、ブッダのダルマに入っても、スートラやタントラ、および師の言葉に沿って行動しない人には、幸福は見出せないだろう。
 しかし、ウッディヤーナのパドマサンバヴァのアドヴァイスに耳を傾けるなら、今生では幸せになり、来生でも喜びに満ちるだろう。」


グル・リンポチェ

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