もう古い話になりますが、年始にNHKを見ていたら省エネがテーマの番組を放送していました。
省エネについては日本が進んでいると思っていたのですが、最近は西欧諸国の発展が著しく、もう追い越されているそうです。
パネリストの一人は言いました。
「こうした国々は21世紀の国策として、環境関連技術で国民の生活を成り立たせようとしている」
たしかに、そういう側面はありそうです。
少ないエネルギー消費で社会を運営する技術・システム・インフラストラクチャーの確立・整備は、今後、発言力の増大に大きく寄与することでしょう。
一方、社会規範をきっちり制定して、それを厳密に運営するのが好きそうなアングロサクソン・プロテスタントの性癖も見える気がします。
エコロジーに関する言葉にはいささか胡散くさい響きがあります。
たとえば、「地球にやさしい」というフレーズはよく聞きますが、地球そのものはただの惑星なので、いくら気温が上昇しようが、生態系が変化しようが痛くもかゆくもありません。
かつて地表は嫌気性細菌の天下でした。しかし、大気ができてから彼らは地中などに逼塞させられています。その過程でなにがあったかは容易に想像がつくわけで、現在進行中の環境破壊といったところでそれと比較すればなにほどのこともない、という言い方もできるのではないでしょうか。
そういうわけで、「地球のために」とか言われても私にはよくわかりません。
私自身はケチな人間なので浪費は嫌いですし、決められたことはその通りにやりたいのでゴミの分別はしますけど(当たり前ですが)、そこについてまわるフレーズはしっくりきませんでした。
そうしたところに前述の番組を見て、ひとつ腑に落ちたというか、最初からそういうふうに社会の仕組みとの関わりで言ってくれればいいのにと思いました。
それやこれやで先日、ダイソーでエコバッグを買いました。
スーパーで買い物した時にもらえるビニール袋はゴミ捨てに重宝しますが、消費が追いつかず余剰を解消できない事情にも後押しされました。
正直なところ、使ったところで意義は実感できません。ただし、少しだけ環境よりに生活を変えることで、いずれはいままでにない発想が出てくるのではないかとか、そんなふうに思っています。
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