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2008年04月04日07:38

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旧GJ#43戊辰戦争

 3月15日にYSGAの例会にて旧ゲームジャール43号の付録『戊辰戦争』をプレイしました。
 YSGAブログの当該トピックはこちらです。
http://www.doblog.com/weblog/myblog/21434/2605339#2605339

 あらためて読んでみると、上記のページにほとんど書いてありますが、それでも頑張って思い出しつつリプレイを書いてみようと思います。
 薩長・奥幕軍にそれぞれ2人ずつを配した4人プレイ、私は奥幕軍の太平洋側を担当しました。

 まずは生き残りチェックですが、有名なところでは新撰組の内紛で近藤勇と伊東甲子太郎が相打ちになってしまいました。沖田総司も鳥羽伏見で戦死してしまい(いずれにせよこの頃はもう戦える体ではなかったような)、生き残ったのは土方歳三のみというヒストリカルな展開に。
 他に坂本龍馬は暗殺され(中岡慎太郎は生存)、高杉晋作は病死してしまいました。
 一方、赤報隊と水戸天狗党は生き残ります。後者は残念ながら後の水戸の受難を予感させるものでした。
 幕府側では文官がすべて生き残りました。これはジョン万次郎の変転の伏線となります。

 中立諸藩の動向については、北陸口戦線の入り口にあたる高田、沼田口の前橋、関東の要衝である宇都宮といった重要拠点が軒並み奥幕軍についてしまい、薩長軍の初動での展開に大きな制約を課すこととなりました。
 それにもめげず、忍・古河・黒羽に前方に部隊を配置した薩長軍でしたが、後方の川越も奥幕軍についたことと、岩槻に彰義隊が出現したため、江戸との連絡線が途絶するおそれが生じ、掃討を余儀なくされてさらに展開が遅れることとなりました。

 開始時の奥幕軍首脳人事についてですが、史実では陸軍奉行並だった松平太郎が海軍奉行になっています。実は榎本武揚もいるのですが、こちらは前線に出ています。榎本武揚は戦略値が2、提督として海スキルが適用されても3にしかなりません。一方、松平太郎の戦略値はもとから3です。となると、銃スキルもある榎本武揚の方が前線での使い勝手が良く、史実とは逆の配置になってしまっています。
 外国奉行はジョン万次郎。会津防衛軍の川路聖謨と能力が似ています。実のところ、幕末の政争を生き延びた幕府の文官はだいたいこのタイプでして、諸外国との折衝しか仕事がありません。一人で十分なのに何人もいるため手が余ってしまい、川路聖謨は序盤は閑職の会津防衛軍にまわされてしまいました。
 しかし、一つの仕事しかできないにもかかわらず、能力的には対する薩長軍外務局は西郷吉之助の方が優秀であり、実際の外交でもしばしば苦渋を飲まされました。
 そんなわけでジョン万次郎はこの職にあるあいだ二人の奥幕軍プレイヤーから罵詈雑言を浴びせられ続け、いよいよ会津防衛軍へ適任者が必要になった折、ところてん式に解任され前線へ飛ばされてしまいました。

 序盤、薩長側の展開の遅れをついて、関東・北陸ともに奥幕軍は積極的に反撃しました。
 このゲームは1回の戦闘に参加できる部隊数に上限があります(最大で4)。また、戦闘で部隊が除去されることもありません(混乱して後退するのみ)。そのため、漫然と攻撃すると押し合いになるだけで、前進できません。
 迂回して側面をつくなど退路を遮断すべく機動して敵を後退させたり、重要拠点を奪取して敵の継戦能力を低下させるなど、テクニカルな攻撃が必要です。
 関東では宇都宮と古河で主力が対峙し、水戸で両軍が何度も激突する展開となりました。そもそも水戸は天狗党が残ったために諸生党との因縁の地になってしまいました。神風チットが2度も使用され、海沿いであるゆえに艦砲射撃にもさらされ、戦場が東北に移る頃には焦土になっていたものと思われます。

 一方、薩長軍は外交に活路を見いだします。
 イベントチットの密使により、久保田藩と米沢藩を寝返らせ北方より会津に圧力をかけました。
 これを受けて奥幕軍は北に部隊を転出させましたが、前線は人手が足りません。指揮官は外国奉行を更迭されたばかりジョン万次郎でした。
 つくづく世の転変というものは人知の及ばぬところであると思うのですが、どう考えても適性のない仕事であるにもかかわらず、彼の運はむしろこの時から拓けていきました。
 まず、米沢藩を寝返らせてそのまま指揮を執っていた桂小五郎(江戸三大道場の一つ、練兵館塾頭)を撃破、重傷を負わせます。さらに北上、石巻にて薩長軍をカンネーにおけるハンニバルばりの包囲殲滅。北畠顕家の再来と讃えられました。
 余勢を駆って、仙台から強襲上陸にて江戸占領を目指します。当然ながら薩長海軍も応戦、品川沖にて開戦が発生。
 奥幕海軍は開陽を失うも、薩長海軍を1隻撃沈、1隻大破。ジョン万次郎は開陽と運命をともにしました。

「私は義務を果たした」

 彼の最期の言葉と伝えられています。
 冷静に考えてみると、彼はあくまで陸戦隊の隊長であって、提督は相変わらず松平太郎なのでネルソンに擬せられるのは無理があります。
 でもまあ、基本的に海の男なので(意味ないけど海スキルあり)仕方ないといえるでしょう。
 やがて、艦隊は迎撃を振り切って強襲上陸を敢行。
 水際防御の陣を敷いた薩長軍の一部を艦砲射撃で壊走させ、江戸に突入しました。
 江戸を陥落させればサドンデス勝利。サイを振る手にも力がこもりますが、さすがに上陸作戦のサイの目修正はきつく、ジョン万次郎の弔い合戦も奮闘虚しくあと一歩のところで撃退されてしまいました。

 江戸強襲によって一時は薩長軍を心胆寒からしめた奥幕軍ですが、さすがにこの頃には大阪からの援軍も到着し、兵力的な劣勢を覆すのが難しくなってきます。
 連絡用の部隊を配置し忘れたまま前進した沼田口の薩長軍に対し、前橋にからす組が出現して足を止めるといった、文字通りのゲリラ戦も展開されました。
 一時、戦線を少し整理したところでやや小康状態を得ることができましたが、やがて沼田口の会津隣接峠エリアに薩長軍の侵入を許し、再び戦線縮小のタイミングというところでプレイ終了となりました。
 すでに降雪チェックの始まる前の月であり、けっこう粘ったといえるでしょう。

 最後までプレイすることはできませんでしたが、展開としてはまずまず奥幕軍優勢といえます。
 序盤、要衝の中立諸藩が味方になったことが有利に働いたことは否めません。
 ただし、その後の薩長軍の攻撃は力攻めの傾向が強く、あまり有効でなかったという点も指摘しておきます。
 前述の通り、このゲームでは兵力を集めて攻めこんでも押し合いにしかなりません。
 一方、連絡線の遮断はきわめて有効であるため、むしろ、迂回移動や新たな進撃路の開設が重要となります。
 薩長軍は関東と北陸での戦闘にこだわりすぎたといえるでしょう。久保田・米沢藩の寝返りに成功したものの、北方からの圧力は軽微であり、対応は容易でした。
 プレイヤーズ・ノートで推奨されている平潟(会津の東)への上陸もなく、総じて進撃路開設への意欲は低調だったといえます。しかし、戦線を押し上げるには宇都宮・水戸を何度も攻撃するより、その後方へ上陸した方が有効だったでしょう。
 複数の進撃路を開設することにより、ゲームは会津を中心とした内線外線の機動戦に移行し、これが中盤の展開になると思うのですが、そこへ行かずに終盤に流れこんだといえます。

 また、無駄な攻撃もいくつかあったと思います。
 このゲームでは移動ではポイント、戦闘では弾薬を消費し(戦闘は敵のいるエリアに移動することなので、戦闘にもポイントは必要です)、ポイントを用いて弾薬は購入します。そのため、攻撃で損害が出ないとはいえ、移動・攻撃には常に対費用効果のみきわめが大切になります。あえて動かないことにも、積極的な意味があります。
 冬の降雪チェックというタイムリミットを強く意識しすぎたのか、必要以上に攻撃が実行される場合があり、それが中盤における薩長軍の弾薬切れにつながっていたと思います。
 おおむね火力での優位をアドバンテージとする薩長軍であるため、弾薬切れは致命的でした。中盤の数ターンはこれでしのぐことができたといってもいいぐらいです。

 リプレイを読む限り、キャラクターゲームという印象を強く持たれてしまうかもしれません。
 そういう側面は否定しませんが、キャラクターゲームとして成立するためには、キャラクターのスペックさえあればことたりわけでなく、それなりのフィールドが必要になります。
 ゲームシステムは戊辰戦争の架空戦ものとして堅固な枠組みを備えつつ、ディテールも踏まえており、けっこうハードな仕上がりとなっています。その上に乗っかってこそ、キャラクターが生きているわけでして、一筋縄ではいかないゲームです。
 同人時代のゲームジャーナルの付録であるため、コンポーネントが貧弱(マーカーをいくつか自作するか、次号も購入する必要がある)とか、ルールを読んでいるだけで腹が立つという貴重な体験をすることができる(ウケ狙いのふざけた文章がルールにあるが単純につまらない)など、目をつむりたくない欠点もありますが、もっとプレイされていいゲームだと思います。

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