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2008年01月28日16:54

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表現と権利

作り手を“やる気”にさせる著作権とは――島本和彦氏など語る
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=393310&media_id=32


白田秀彰氏が提案した「完全コピーフリー、税方式で徴収」は、僕も漠然と考えていた抜本的解決法。
以前、それを著作権コミュで言ったら、税には馴染まないと一蹴されてしまったが、同じ考えを持っている人がいるのに心強く思った。


ちょっと違うのは、白井氏が「人気投票を行い、得票に基づいて配分するという仕組み」を提案しているのに対し、僕の考えは利用される回数や重要度に応じてポイントをつけるというもの。

そのためにはある種の登録が必要になるが、それも含めてすべての表現をネット上に展開することで、リンクポピュラリティ、リンクレピュテーションを駆使したページランクを指標とするのがいいと考える。

これは逆転の発想で、それにより自分の作品のポイントを上げるために、一層他人の作品を評価することに繋がると思うからだ。

要は評価のためのアルゴリズム次第だろう。
それは表現者による意識的関連付けと、検索エンジンによる潜在的関連付けの2段階の評価が基本となる。


表現者による意識的関連付けは、別の表現者に対する敬意の表れとなる気もする。

例えば、まったく無名な僕の作品が、ある有名作品のリンクを見たら、その作者によって関係付けられていたとしたら嬉しいものだ。
そしてその作品の評価が高ければ、無名な僕の作品のポイントも上がるし、さらに一般に知られる機会も増える。
(表現者に対する敬意の逆、侮蔑とは、その表現の「無視」だろう)

ブログのトラックバックみたいなものだ。

作品のソースを示すことで、まったくのパクリをしていればそれは明らかになってしまうし、多くのソースが上げられていれば、作品解題の手がかりともなるだろう。


この考えは、すべての表現には必ずモデルが存在し、そのモデルに対し、作者は自覚的であるべきだとの表現上の信念から来ている。


得てして自分が先に考えたとか、パクられたとか、表現を個人の手柄のように捉えがちだが、そうした狭隘な考えは表現を角質化させる。
どんな表現も、自分が最初なんてことはありえないし、そうだとしてもそれが自分の所有物と思うのは傲慢だ。

表現は伝わってナンボ。ちゃんと伝わればその評価も自ずと正当なものになっていくだろう。
そのためには自由な流通が原則にならなければならない。


http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0801/28/news012.html
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