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2008年01月12日18:38

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科学と心

山本弘の『MM9』を読む。
http://homepage3.nifty.com/hirorin/MM9.htm
怪獣小説でありながら本格SFであるという、一見矛盾している内容。

それを可能にしているのは「人間原理」とジュリアン・ジェインズの『神々の沈黙』という、多少「トンデモ」の領域にかかりそうな理論に依拠している設定だ。(と学会会長の面目躍如と言ったところか)
http://www.mns.kyutech.ac.jp/~kamada/ningengenri.htm
http://ish.chu.jp/blog/archives/2007/02/1.html

はしょって言えば、宇宙にはいろいろな原理に基づく世界が存在しているが、人間はたまたまその中の、人間というモジュールによって観測できる世界(ビッグバン世界)に生きている。それが「人間原理」だ。
しかしそれは「人間」という意識が生まれる3000年前から始まったことで、それ以前には別の原理に基づく世界(神話世界)も平行して存在していたと言うのだ。

その世界の残滓が怪獣であり、それゆえビッグバン世界の物理法則であるところの、質量保存の原則に当てはまらない、怪獣の急激な巨大化や、単位断面積の最大筋力をオーバーした体重負荷も成立すると言うわけだ。
http://www.ntv.co.jp/FERC/research/20040222/r0833.html

つまり、怪獣が存在する世界と言うのは、未だ神々が完全に沈黙していない状態ということのようだ。

そして面白いのは「人間原理」は因果律を逆転させる世界だということだ。
宇宙があって人間が生まれたのではなく、人間が存在したからこそ、それによって観測される宇宙が存在しえたという因果律の逆転は、つまり人間の意識によって世界の組成自体が過去に遡って変化してしまうということになる。

だから、科学が進歩し人間の意識が世界を覆うようになれば、怪獣は消え去り、過去の存在についても別の自然災害という形で認識や事実が刷新される。原因の方が変化してしまうわけだ。

シュレーディンガーの猫の生死を決定するのは「未来」の観測者であり、未決定のそれまでは生きている猫(ビッグバン世界)/死んでいる猫(神話世界)が箱の中に同時に「ある」というパラドキシカルな世界がありうる。
そしてこの物語はその未決定の箱の中の世界なのだ。
http://hp.vector.co.jp/authors/VA011700/physics/catwja.htm

そんな最新科学理論によって説明されることで、なんとなく説得力を持って感じられてしまい、この「怪獣小説/本格SF」が成立しているわけだ。



先日の日記で骨王さんと心理学についてやり取りしたが、心理学が秘教的レベルから科学に移行しようとする流れは、すべてを意識化したいという人間の根本願望であり、征服欲によるものなのかもしれない。
科学とは観測者としての人間を完成させるために、「人間原理」の世界が要請している根本原理と言えるかもしれない。

科学による征服とは、ひとえに全世界の意識化であり、神話世界の駆逐であり、神々の抹殺に他ならないわけで、曖昧なイマジネーションの世界に生きたいと思う人間には、あまり居心地のいい世界ではないかもしれない。


ル・グィンが言っていたが、神の不在が証明されていたら宗教は生まれなかっただろうが、神の存在が証明されていても、やはり宗教は生まれなかっただろう。

この「神」は人間の「生きる意味」に置き換えることも出来る。人間の「生」を支えているのは「不可知」なのだ。

同じように心理学がすべての心理を解明してしまったら、おそらく人は「心」を失ってしまうのだろう。

3000年前の意識のない人間というのが、意識を持った我々からは想像しがたいように、心を失った後の人間は、心を持つ人間というものを理解できなくなるのではないだろうか。

そう考えると、心を解明しようとすることで、決定的に心がわからなくなることを目指す心理学とは、何と因業な学問だろう。
いや科学自体が因業と言うべきか。
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