いや、僕の考えが芸術至上主義に毒されて間違っているのはわかっている。
でもやっぱり、こういう風に与えられたテーマのための表現を、アートと呼ぶのは違和感がある。
http://www.eco-japan-cup.com/culture/outline_art.html
http://www.eco-japan-cup.com/index.html
アートを単に周知のための一つのチャンネルとしか捉えていないから、反戦アートだとか、反テロアートだとか、エイズアートだとか、一過性の中身のないお祭りがその場その場で繰り広げられる。
こんなキャンペーンにのっかること自体、もはやそこに表現者の個は存在せず、アートには成り得ないと思ってしまう。
アートっぽいことで耳目を集めたいだけなのだろうが、もともとアートなんて集客能力も影響力も低いんだから、無駄なことと何故わからないのか。
そんな無駄な作品を残す労力からして、既にエコとは言えないんじゃないか。
アートは常に、大勢とは別の違う可能性を指し示す光なのではないか。
みんながエコを呼び掛けるなら、「エコなんて糞だ」と叫ぶのがエコ・ア−トだと思いたい。
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