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2007年10月28日02:15

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若年寄は語る

いよいよ我輩はまた一つ歳をとろうとしている。
んなもんで、今の心境を語ろうではないか。

自分で言うのもなんだが、自分はかなりの若年寄だと思う。
人間や人生、命において常人より卓越した気持ちがある。
大切な人を失い、抜け殻とまではいかないが、自分の命に関しては全く無関心だ。
いつ死んでも構わないと言えるまで執着心が無い。
ただ彼女に会いたい。
死んだらあいつに会えるかなあ?
それだけである。
それだけで、ここ数年生きてきた。
命に執着心は無いが、両親より先には死ねないというのはある。
彼女が亡くなった時に見た義理の母の泣き叫ぶ姿。
あれはうちの親父、お袋に経験させてはならない。
それは感じた。
出来る事なら孫を抱かせてやりたい。
家庭を持ってみたいとも思うが、俺の性格を受け止める事の出来る女などそうはいない。
死人は無敵だ。
いい事しか思い浮かばない。
それではいけないとは思ってはいるのだが。
救急車の中での意識朦朧の彼女の最後の言葉が「將士ごめんね」だったそうだ。
あの世で会ったら一番に「愛してる」と言ってやりたい。

自分がここまで生きてきた経験。
ズバッとした性格。
あとキャラクターか?
長年生きてきた安心感、信頼感からか大小、様々な相談事を受ける。
人として大変嬉しい事だが、受けてる当の本人はすごいクールである。
なんて小さい事で悩んでいるんだ・・・。
それは日本という国が平和であるからだと思うのだが、心に余裕があるから些細な事で悩んでしまうんだろう。
それってすごい幸せな事だと思う。
だから本当に心の底からは心配はしていない。
冷たい言い方だが、死ぬわけじゃあるまいし五体満足でいられるだけで充分だろ。と思ってしまう。
ただ、生死にまつわる事は痛みが分かる分、心配してしまう。
精神が壊れる瞬間を経験してしまった自分は精神の苦しみがどれほどのものかを理解する。
心の豊かさは人それぞれ違うものだが、「感じる心」は貧富の差、時間など関係無しに誰しも平等に生まれながらに持っている。
それだけが自分に与えられた宝であり幸せを掴み取る鍵だ。
だからこそ自分を大切にしてほしい。
まずは自分の心を。
自分を大切にするというのは自分を甘やかすという事ではない。
一番、大変な事だと皆は分かってない。
そう自問自答していたら、命の尊さを一番よく知るであろう自分が、命に全く執着していないという心の矛盾になんて随分甘ったれた事を!と気付かされる。
自分にとっての幸せは未だ発見出来ないが、新しい歳を迎えるにして、また幸せ探しの一年を歩いて行く事にしよう。

今、感じた自分の心をそのまま流れにまかせて筆を走らせた。
(こーゆー場合、キーボードを打った?それだとなんか味気無い・・・。)
一切の修正無しで。
だから乱文、乱筆になってると思うが、たまにはこういうのもいいではないか。
正真正銘の自分の心。
最後の日にて日記らしい日記になった。
振り返り恥ずかしくなったら削除もありうるで。
この日記を読めたあなたはラッキーぃ!かもよ。

「將士さん頑張って!あなたなら出来るわ。」

おお・・・セイラさんも応援して下さる。
頑張らねば。

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