「どんと晴れ」で2つ目の日記をUPしたつもりだったのですが、トータルは1件。
昨日、UPしたはずのこの「すべからく」が上がっていなかったみたいです。というわけで、本当はこの日記が第一日目です。トホホ。
「すべからく」は「すべて」の意味ではありません。しばしば下に「〜べし」の形で受けて、「当然、〜すべきである」といった意味になります。
goo辞書:国語辞典「すべからく」
http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=%A4%B9%A4%D9%A4%AB%A4%E9%A4%AF&kind=jn&mode=0&kwassist=0
私も数年前に呉智英さんの本で読むまで知りませんでした。音も似ているし、漠然と「すべて」と同じような意味かと思っていました。そういう人は多いのではないでしょうか。
ただし、上記のリンク先にあるようにこの語は漢文訓読に由来しています。
たとえば、李白の『月下獨酌 其一』の一節、
行樂須及春
この「須」を再読文字として、
行樂須らく春に及ぶべし
と読み下しますが、むしろ、漢文の「須」という字を読み下すために、「すべからく〜べし」という言い回しが生まれたと考えるべきでしょう。
「すべくあらく」が縮まって「すべからく」だそうです。「すべくあらく〜べし」ならば、「するべきであることは〜である」といったところでしょうか。こうすると少し見通しがよくなりますが、また落ち着かないことが生じてきます。そもそも、「〜べし」だけあればよくて、「すべからく」なんてすわりの悪い言葉は不要なのではないかと。
goo辞書:国語辞典「べし」
http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=%A4%D9%A4%B7&kind=jn&mode=0&kwassist=0
現代では「べし」をもっぱら当然・義務・命令・禁止の意味で用います。ですから、「すべからく」は必要ないどころか、ない方がわかりやすいぐらいです。しかし、古語においてはこれに加えて推定・意思・勧誘・可能など、より広い意味で使われているため、当時の人々には「すべからく」が必要だったのでしょう。
なまじ意味を知ってしまったせいで、用法が気になってしまうようになりました。大雑把な感触ですが、正しく使われている場合は1割もありません。ほぼ9割は「すべて」の意味で「すべからく」を用いています。正しい用法に行き当たると、ちょっと感動してしまうぐらいです。
それも若い人が間違えているばかりではなく、相当に年輩の長く出版業界にいた人ですら誤用が見られます。
漢文訓読由来の語ですから、「すべからく」の語を知識でなくニュアンスで捉えられるのは戦前の教育を受けた世代だけかもしれません。特に現代の用法の「べし」に慣れてしまうと、「すべからく」の意味が身につかないため、誤用の傾向はますます顕著になります。
もっとも、「すべて」という意味で憶えていても、さほど困りません。「すべからく」のリンク先に用例として「学生は―勉強すべし」とありますが、この意味を「学生はすべて勉強すべし」と解釈しても、そもそも現代の「べし」はほぼ「当然〜すべきである」というニュアンスに限定されていますし、「すべて」はそれを強調しているわけで、実際にはほとんど問題ありません。すでに誤用から転じて慣用表現の域に達しているということなのでしょう。
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