〓三遊亭圓楽 (えんらく) 師匠が引退を表明されました。先だっての日曜日に、NHK総合で、
『三遊亭圓楽 最後の高座
〜落語家人生 53年目の決断〜』
という35分のドキュメンタリーが放送されました。師匠の現役最後の日々を追ったドキュメンタリーです。
なぜ引退を決意したのか
が明解に取材されていました。
〓三遊亭圓楽こと、吉河寛海 (よしかわ ひろうみ) さんは、少年時代、病弱で、腎炎、結核との闘病生活を経験しました。それが原因だったのか、進行した慢性腎炎のために、1998年からは、週3回、1回4時間の人工透析を受け続けていました。「笑点」 で笑っている司会という仕事のウラに、そういう苦労があったんですね。
〓2005年10月、その人工透析中に脳梗塞を起こしたものの、発見されたのが病院であっただけに、手当が早く、後遺症が軽くてすんだそうです。
〓そして、ちょうど1年後の 2006年10月に、『紺屋高尾』 (こうやたかお) で高座に復帰します。2007年2月25日の 「国立名人会」 で 『芝浜』 を口演して欲しい、と依頼されたのは、ちょうどそのころでした。
〓円楽師匠の 『芝浜』 というのは、短くやっても40分はかかろうという大ネタです。依頼を受けた10月から、口演の2月24日までの4ヶ月、師匠は、毎日毎日かかさず 『芝浜』 の稽古を繰り返していました。
〓しかし、2007年2月25日、東京 三宅坂の国立演芸場で開催された 「国立名人会」 のトリで演じた 『芝浜』 は、とうとう、自分の納得のゆくものにはなりませんでした。
4ヶ月間、毎日、稽古をしてもダメだった
〓このことが引退を決意させたのだそうです。
【 脳梗塞を起こすと、
なぜ、噺家はダメになるのか 】
〓噺家の引き際というのは、ヒトそれぞれです。誰もが羨ましいと言うのが、
高座で一席しゃべったあとで、
楽屋でいつのまにか亡くなっている
というものです。有名なのが、四代目の柳家小さん 師匠で、昭和22年、上野鈴本演芸場で、新作の 『鬼娘』 を口演したあと、楽屋に引き上げてきて、そこで 「スーッと」 (圓歌師匠の談) なくなったそうです。
〓まだまだ、現役のハズなのに、キッパリ噺家をやめてしまうヒトもいます。有名なのが、八代目の桂文楽 師匠です。昭和46年8月の 「落語研究会」──東京 三宅坂の国立劇場小劇場で月1回開催されている──に文楽師匠は、
『大仏餅』 (だいぶつもち)
を掛けました。「落語研究会」 らしく、“華やかなところのない、儲からないハナシ” です。その中のセリフのヤリトリで、
「あなたのお名前は?」
「あたくしは、芝片門前 (しば かたもんぜん) に
住まいおりました、神谷幸右衛門 (かみや こうえもん)
と申します」
というクダリがあるのですが、文楽師匠は、“神谷幸右衛門” という名前をド忘れしてしまったのでした。普通のヒトはメッタに聴かないハナシですから、テキトーな名前でゴマカシたってよかったんですが、「一言一句をユルガセにしない文楽師匠」 のことですから、思い出せない名前があったら、ハナシは、もう続かないのです。
「勉強し直してまいります」
〓文楽師匠は、そう言って頭をさげると、ハナシを途中にして、楽屋へ下がってしまいました。文楽師匠は、以後、二度と高座にあがっていません。
〓文楽師匠は、その年の 12月12日に肝硬変で亡くなっています。つまり、単に 「固有名詞1つが出てこなかったから引退した」 というワケではなかったのです。
〓このヘンの事情については、弟子の柳家小満ん (こまん) 師匠が執筆した 『べけんや』 (河出書房新社) に詳しく書かれています。
〓五代目 古今亭志ん生 師匠は、脳梗塞ではなく、脳溢血でした。昭和36年の暮れ、読売巨人軍優勝祝賀会に呼ばれます。今から思うと、志ん生師匠は、こんな仕事をウケなければよかったんですね。野球選手に落語なんて、ゴリラに詩の朗読を聴かせるようなものです。
〓案の定、選手たちは誰も落語に耳を傾けようとしない。志ん生師匠も、クソッ!ってんで、「ヘンテコなハナシをやってやろう」 と思ったそうです。それで掛けたのが、
『疝気の虫』 (せんきのむし)
〓オカシイですね。さすがに志ん生!と思いますが。しかし、落語の最中に乾杯の音頭を取り始めた。「チクショウ!」 ってんで、脳天に血がのぼって倒れちゃった。
〓志ん生師匠の音源は、
昭和36年まで
昭和37年から
で、まったく口跡がちがいます。37年からの高座も、味があっていい、というヒトもいますが、やはり、コトバ使いがガタガタであろうと、前のめりに突っ走ってゆく 「志ん生ブシ」 は、37年以降の音には聴かれません。
〓よく 「噺家は高座のソデからザブトンまで歩く力があれば続けられる」 と冗談に言いますが、むしろ、歩けなくたって、「口がまわれば」 噺家は続けられる。「板付き」 と言って、最初から高座にすわっていて、幕を上げてもらう、という方法があるのです。
〓脳梗塞、脳溢血をやったあとの噺家は、それ以前と、「文字のうえでは、まったく同じこと」 をしゃべっているのに、全然オモシロクなくなってしまうのがほとんどです。
〓たぶん、そのあたりに、「同じことをしゃべっても、ものすごく面白い噺家と、全然、面白くない噺家ができてしまう」 という現象の原因が隠れているように感じます。
〓脳をやられると、「意味以上のナニモノかを伝えるための “音声言語の操作”」 をうまくこなす力が無くなってしまうようなのです。
ログインしてコメントを確認・投稿する