▲ロストロポーヴィチ、1992。▲ロストロポーヴィチ、2006。▲ヴィシネフスカヤ。
〓今日は、昼まで仕事をしてから、映画を2本、見に出かけました。連休の渋谷は、ガラガラかと思いきや、とんでもねえでがす。
『フランドル』 «Flandres»
監督=ブリュノ・デュモン Bruno Dumont
2005年、フランス映画
『ロストロポーヴィチ 人生の祭典』
«Элегия жизни
──Ростропович, Вишневская»
監督=アレクサンドル・ソクーロフ Александр Сокуров
2006年、ロシア映画
〓ワレながらスゴイハシゴだと思いますねえ。「チゲ鍋」 食ったあとに、別の店で 「冷麺」 食うような、そんな感じ……
【 『フランドル』 】
〓例によって、どんな映画か、まったく知らないで見てきました。カンヌでグランプリを獲ったことさえ知りませんでした。ブリュノ・デュモン監督の映画は初めて見るんですが、画に触覚があります。肌に感じるんですね。
〓とりあえず、舞台は 「フランドル」 から始まります。この 「フランドル」 というのが、とても複雑な地域なのです。この映画に登場するのは、
フランス国内の “フランドル” Flandre(s)
です。
〓フランドルというのは、そもそも、9世紀に設置された、フランドル伯爵 comte de Flandre [ コん ドゥ フ ' らーんドル ] の領地の名にちなむものです。最大時で、現在の
オランダの南端部から、ベルギー北西の半分を含み、カレーなどが位置するフランスの北端部に至る地域が、フランドル伯領に属しました。
〓この地域は、そのまま、オランダ語が話される、言語的・文化的に一体の地域でした。15世紀にハプスブルク家の領地となり、続く16世紀にネーデルラントでプロテスタント勢力が反旗をひるがえし、現在のオランダにあたる地域が独立します。しかし、文化的・言語的に地続きであった南部オランダ語圏 (現在のベルギー、フランス部) ではカトリック勢力が優位で、ハプスブルク領にとどまったために、「オランダ語圏」 は、現在のように、
オランダ 〜 ベルギー 〜 フランス
の三国に分裂してしまったんです。
〓この映画 “Flandres” は、フランス北端の 「ごくわずかな面積にすぎない」 フランドルのハナシです。
〓ベルギーでは、この地域は、フラマン語 (オランダ語) で、
Vlaanderen [ フ ' らーンデレン ]
と言います。そして、「フラーンデレン」 の住人を、
vlaming [ フ ' らーミング ]
と言います。Fleming という姓の人は、この地域の出身者です。
〓英語では、フランドルを
Flanders [ フ ' らンダァズ ]
フランダース
と言います。『フランダースの犬』 は、この地域のハナシですね。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=166943972&owner_id=809109
〓ブリュノ・デュモン監督は、バイユール Bailleul [ b a j ø : l ] 生まれ。学校で使う地図帳だと、ちょうど、ダンケルクとリールの中間あたりに位置します。つまり、監督自身が 「フランドル」 の出身ということです。それだけに、フランドルの自然というものを肌で知っているんですね。
〓もっとも、Dumont という姓は、フランス系です。映画の出演者の役名と本名を見てみましょうか。上が役名で、下が本名です。
Barbe バルブ。フランス語の女子名 Barbara の略称。
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Adélaïde Leroux アデライッド・ルルー。姓名ともにフランス系。
Demester デメステル。フラマン系の姓。
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Samuel Boidin サミュエル・ボワダン。姓名ともにフランス系。
Blondel ブロンデル。フランス系・フラマン系に共通の姓。
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Henri Cretel アンリ・クルテル。姓名ともにフランス系。
Briche ブリッシュ。フランス系の姓。
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Jean-Marie Bruveart ジャン=マリー・ブリュヴェアール。姓名ともに仏系。
Leclercq ルクレルク。フランス系の姓。
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David Poulain ダヴィド・プラン。姓名ともにフランス系。
Mordac モルダック。フランス系の姓。
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Patrice Levant パトリス・ルヴァン。姓名ともにフランス系。
中尉
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David Legay ダヴィド・ルゲ。姓名ともにフランス系。
France フランス。フランス系の女子名。
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Inge Decaesteker インゲ・デカーステケル。姓名ともにフラマン系。
〓つまり、「フランス」 (フランス語の女子名) だけがフラマン系で、あとは、全員、フランス系なんですね。(ややこしいけど……)
〓「城のまわりの堀を埋めるようなハナシばかり」 書きましたが、映画そのものについては、もはや語るべきことがないんです。パンフレットには書かれていないことだけ書きました。
〓ひとつ、カンヌについて書くなら、2001年9月11日以来、審査員の思考法に柔軟性が感じられないように思います。創作はあらゆるものから自由であるべきではないでしょうか。映画が評価されるためには、「正義について語っていなければならない」 と規定するなら、それは、すでに偽善です。
〓創作は、どんなにクダラナイことがテーマであろうと、作品そのものがクダラナイわけではありません。
【 『ロストロポーヴィチ』 】
〓邦題はどうも好きになれません。ソクーロフが永年続けている 「哀歌」
элегия eljegija [ エ ' りぇーギヤ ] シリーズの1本です。
«Элегия жизни»
Eljegija zhizni
『人生の哀歌』
〓「エリェーギヤ」 というのは、英語でいうところの elegy 「エレジー」 です。語源は、ギリシャ語で、そもそもは 「哀悼の歌」、「亡き人をいたむ歌」 です。それを、堂々と、
『人生の祭典』
にされたんでは身も蓋もない。
〓この映画は、ビデオ作品です。画像に粗さが目立つので、『エルミタージュ幻想』 のようなハイビジョン撮影ではありません。単なるデジタルビデオ作品です。ドキュメンタリーだから、これでもいいんでしょうが、ビデオ特有の 「映像の奥行きの無さ」 が終始ついてまわります。
〓映像の質はさておき、ビデオによるドキュメンタリー作品としたら、とても面白いものです。
ムスチスラフ・ロストロポーヴィチとガリーナ・ヴィシネフスカヤが、ドキュメンタリー映画の撮影に応じたのは、これが初めてだそうです。(そして、最後でしょう)
〓とても、面白い、興味深いインタビューが含まれています。音楽に関する話題もあれば、否応なしにかかわらざるを得なかった政治に関する話題もあります。
〓クラシック音楽ファンなら大いに楽しめること請け合いだし、そうでなくても、興味は尽きません。
〓ソ連邦の音楽界の構造なんていうのは、以前は、内部から探ることができなかったので、言ってみれば 「非破壊検査」 みたいな推測でしか判断できませんでした。そういうことについても、ロストロポーヴィチはいろいろ語っています。
〓いちばん可笑しかったエピソードは、
ショスタコーヴィチは、
マーラーが大好きで、
プロコーフィエフは、
マーラーが嫌いだった
というハナシ。ショスタコーヴィチが、あまりに、学生たちにマーラーを演奏させるので、プロコーフィエフがロストロポーヴィチに、こういう皮肉を言ったことがあるそうです。
「スラーヴァ (ムスチスラーフの愛称)、近ごろ、
若い作曲家のあいだで疫病が流行っているね。
何の病気か知ってる? マレリヤだよ!」
〓マーラー Mahler は、ロシア語では、
Малер Maljer [ ' マーりぇル ]
マーラー
となります。そして、マラリアは、
малярия maljarija [ マりゃ ' リーヤ ] マラリア
と言います。プロコーフィエフはダジャレを言ったんです。
малерия maljerija [ マりぇ ' リーヤ ] マーラー病
〓もうひとつ意外だったのは、
Мусоргский Musorgskij ムーソルグスキイ
の名前が、
[ ' ムーソルスキイ ]
と発音されることです。確かに、ロシア語では、通例、-ргск- -rgsk- と子音が続くと、г g は発音されない傾向にあります。ためしに、Яndex で、誤綴を含めて、次のような検索をしてみました。
Мусоргский Musorgskij ムーソルグスキイ
…… 305,345件
Мусоркский Musorkskij ムーソル
クスキイ
…… 99件
Мусорский Musorskij ムーソルスキイ
…… 37,325件
〓この結果から言えることは、ムソルグスキイの名前は、ロシア語ではふつう、
[ ' ムーソルスキイ ]
と発音するということです。
〓映画では、ロストロポーヴィチ夫妻とソルジェニーツィンとの関係も詳しく語られます。映画の中では出てこなかったのですが、あとでパンフレットを読んでいたら、「ソ連音楽史」 研究家の中田朱美 (なかた あけみ) さんの次のような一文があって、ビックリしました。
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…… 67年に作家 (ソルジェニーツィン) と知り合ったロストロポーヴィチは、彼の信念に共鳴し、海外演奏の折に複写機を持ち帰り贈っている (これが地下出版 <サミズダート> に貢献した)……
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〓こんなハナシは、初めて聞きました。この
「複写機」 というのがどのようなものなのか、どのような方法で、ソ連邦内に持ち込むことができたのか、ソルジェニーツィンは、その複写機を、どのように使ったのか? 興味はシンシンです。
〓ムスチスラーフ・ロストロポーヴィチは、1978年に、国籍を剥奪されて以来、あらゆる国の申し出を断り、「世界市民 cosmopolitan 」 でいたそうです。彼は、先だっての 4月27日に亡くなるまで、終生、無国籍だったということです。
〓それでも、彼はパスポートを持っており、それは、「モナコ公国」 のものでした。不思議ですね。モナコ人ではないが、「モナコ公国のパスポート」 を持って、世界じゅう、演奏旅行に出ていた。
〓この映画は、ぜひ、ご覧ください。劇場の大きさに比して、案外と混むので、早めに行ったほうがよいですよ。
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