▲チョコレート・プディング。 ▲ブラック・プディング。
〓ニンゲンには、
「言語獲得の臨界期」 というものがあります。10〜12歳までに、何か1つの言語を獲得 (話せるように) しておかないと、それ以降は、言語の獲得が不可能か、あるいは、きわめて困難になる、と言われています。詳しくは、「カツ丼」 と 「ネコ丼」 をお読みください。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=280704109&owner_id=809109
〓ニンゲンは、残念ながら、「すべての言語の、すべての音」 を聞き分けられるようには育ちません。たとえば、英語と日本語の2ヶ国語を、ネイティヴとして話せるように育っても、このどちらの言語にも含まれないような音、たとえば、アラビア語の
ح [ ћ ] などは、習得するのに非常な困難をともないます。
〓日本人が、英語の [ θ ] を [ s ] に聞き取り、think を 「スィンク」 と発音するのは、英語のネイティヴにとって奇妙なことでしょう。
〓いっぽうで、英語化される以前の、かつてのハワイ人が、
「メリー・クリスマス」 を
Mele Kalikimaka!
と聞き取っていたことは、日本人にとっては、まったく奇妙なことです。R と L を混同する点では、五十歩百歩ですが、[ s ] を [ k ] に聞き取る脳、というのは、日本人にとって想像を絶するものです。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=67257342&owner_id=809109
〓古い時代のロシア人は、ギリシャ語の [ θ ] を [ f ] で聞き取っていました。なので、
θεολογία theologiā [ せオろ ' ギーヤ ] 神学。中世ギリシャ語
theology [ すぃ ' アらヂィ ] 神学。英語
феология [ フィア ' ろーギヤ ] 神学。ロシア語
という対応が成り立ちます。にもかかわらず、現代アラビア語を聞き取る際には、
ث [ θ ] を、日本人と同様に [ s ] 音として解釈します。
〓ニンゲンは、自分が母語として獲得していない言語の音に、とても弱いんですね。
【 日本人がもてあました 「ディ」 】
〓日本人が出会ってきた外国語音のうち、とりわけ、「興味深い反応を引き起こした音」 に、
[ d i ] 「ディ」
があります。なんだそれ? という感じでしょう。現代日本人が、「ディ」 を発音し、聞き取るには、さほどの苦労はしません。もっとも、ある程度以上の年輩のかたがたには、今でも、
デスカウント
デスプレー
という発音が聞かれます。
〓そもそも、日本語の 「ダ行音」 は、
ダ、ディ、ドゥ、デ、ド
でした。規則的な発音です。このうち、「ディ」 と 「ドゥ」 で、「口蓋化」 (こうがいか) という変化が起こり、
ダ、ヂ、ヅ、デ、ド
[ d a 、 dζ i 、 d z u 、 d e 、 d o ]
となりました。この変化がいつ起こったのかは、必ずしもハッキリしません。なぜなら、変化したのは発音で、文字表記は何ら変化が起こらなかったからです。外国語の資料から、少なくとも
16世紀初頭には、すでに起こっていた変化、と考えられています。
〓つまり、室町時代の終わりごろ、江戸時代が始まる 1世紀前には完了していた変化です。
〓そして、この変化が完了したのちに、日本へと西欧の船がやって来て、新しい文物やコトバが移入されることとなります。
〓キリシタンの用語では、ポルトガル語・スペイン語の di は、「ヂ」 となるようです。たとえば、スペイン語の洗礼名 Diego は、「ヂエゴ」 です。
【 ハライソ、パライソ、パライゾ 】
天国、楽園、パラダイス
というポルトガル語系の用語は、一見、-d- が落ちているように見えますが、これは、そもそも、元になったポルトガル語で -d- が落ちているんです。
Paraíso [ パラ ' イーゾ ] 天国、楽園。ポルトガル語
〓なんでこんなことになるかというと、後期ラテン語 (キリスト教時代のラテン語) の
paradisus [ パラ ' ディースス ] 天国、エデンの園
が、ポルトガル語では、
↓ [ d ] が摩擦音化する。英語の [ ð ] 音
*paraðiso [ パラ ' ずぃーソ ]
↓ 摩擦音 [ ð ] が消失する
paraíso [ パラ ' イーゾ ]
※ a-i が二重母音でないことを示すため í という
綴りになる。
〓日本語には基本的に p- で始まる単語がなかったので、これを 「ハライソ」 と発音したようです。
〓この時代のキリシタン用語における di の受容は、イエズス会の刊行した教義書を通した 「文字による受容」 という側面が強いようです。つまり、純粋に耳で聞いて写した音ではないのですね。だから、Diego に対して 「ヂエゴ」 というように、
合理的で法則性はあるが、
聴覚イメージは似ていない
転写法で一貫しています。
〓おそらく、耳で聞いた di の受容の最も古いヘンテコな例は、
メリヤス
ではないでしょうか。この語の語源は、ポルトガル語の meias [ ' メイヤス ] だとする説もあるようですが、どうも、それより、スペイン語の
【 medias 】 [ ' メディヤス ]
メリヤス。スペイン語
の di を 「リ」 に聞き取ったもの、と解釈するほうが合理的です。ポルトガル語形は、ラテン語にあった -d- が摩擦音になったのち消失したものです。
〓そののち、「ディ」 の受容でもっとも奇怪な例が、
ギヤマン
と言えます。これは、江戸時代中期にオランダ語から入りました。
【 diamant 】 [ ディア ' マント ]
ダイヤモンド
〓この単語を聞いた日本人は、ナンという音なのか、解釈に悩んだんでしょう。「ギヤマン」 にしてしまいました。つまり、
di → gi
というふうに聞き取ったわけです。「リヤマント」 と聞き取らなかった理由としては、日本語は語頭に R が来るのを嫌う性質があるからかもしれません。
〓明治時代中ごろになると、日本にも、
pudding という食べ物が知られるようになりました。当初は、文人や学者が、「プヂン」、「プデン」、「ポッディング」 という表記を使っていました。用例は少なくないようです。
〓しかし、大正になると、なぜか、突然、
「プリン」
という語形が現れます。そして、この語形がまたたくまに主流になって、現代に至っているわけです。
〓これなんぞも、di を 「リ」 で聞き取っていることを示しています。おそらく、文字から知識を得ていた文化人が 「プヂン」 などと書いたのに対して、耳で聞いた普通の人たちは 「プリン」 と書いたのでしょう。
〓けっきょく、勝ったのは、一般庶民の生み出した語形でした。
〓 pudding を 「プリン」 と聞いた世代は、まだ、生きてますね。日本人が、[ d i ] を聞き取れるようになったのは、そんなに古いことではない、と言えそうです。
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