▲ジャン・パウル。
〓今日は、忙しいので早足でいきやしょう。
〓伊集院光さんのラジオで面白いハナシを聴きました。
〓最近の伊集院さんの個人的流行は、
iPod に寺山修司のラジオドラマを入れておいて、
TV、ラジオの収録のあと、夜中の東京の都心を、
それを聞きながら歩くこと
なんだそうです。「家まで歩く」 んじゃなくて、信号で立ち止まらないでいい方向へ、どんどん歩いていくんだそうです。皇居のまわりを歩くことが多いらしいんですが、あのあたりの交番は、夜、灯りが消えて真っ暗なんだそうで。
〓それで、「ああ、誰もいないのか」 を思っていると、暗闇の中にオマワリサンがいるんでギョッとする、というハナシ。
〓これは、1ヶ月くらい前に聴いたかな。まだ、寒いころのハナシです。
〓このあいだも、皇居付近を歩いていたら、オマワリサンが暗闇からニュッと出て来て、「あの、このあいだラジオで話したことだけどね」 と言って、夜中の路傍で説明してくれたんだそうで。
〓ひとつは、煌々と灯りをつけていると、皇居の周囲の環境になじまないのと、さらには、何かあったときに、周囲が真っ暗なので、目が利かないので、ワザと交番をヤミにしておくんだそうで。
〓もうひとつ、最近、聴いた面白いハナシ。
「伊集院さん、このあいだ、高田馬場、歩いてませんでした?」
「伊集院さん、このあいだ、池袋の対向車線の
歩道を歩いてるの見ましたよ」
〓そんなとこ歩いた覚えないのに。
〓1週間そこそこのあいだに、3人くらいから目撃情報を聞かされ、ブルってしまったそうです。
「ドッペルゲンガーか?」
〓ドッペルゲンガーを見たヒトは、死期が近い、ということを言います。『歯車』 を書いて自殺してしまった芥川龍之介も、ドッペルゲンガーを見ていたのではないか、と言いますね。
〓と、伊集院さん、ここで、ふと思い当たるフシが。4月末日を期限に、池袋に借りていたマンションの仕事部屋を解約して引き払ったんです。そのとき、不要な衣類を大量に捨てました。
〓どうやら、ホームレスなのに体格のいい人物が、その衣類を拾って、着用しているらしいんです。そのホームレスさんの行動範囲が、池袋から高田馬場近辺ということらしい。肥えた体軀 (たいく) に、見慣れた服で、誰もが 「伊集院光が歩いてる」 と思ったらしいんですね。
【 ドッペルゲンガー 】
〓「ドッペルゲンガー」 というコトバが、日本でも広く知られるようになったのは、それほど古いことではないでしょうが、ドイツ語圏では、古くから言い伝えられていた 「民間信仰」 だったようです。
〓生きている人の霊魂が、一時的に肉体を離れ、離れた場所に 「人の姿」 として現れる現象を言いました。
〓「ドッペルゲンガー」 についての 「科学的・心理学的・民俗学的・哲学的」 な考察は、それぞれの専門家にまかせましょう。知りたいことがあったら、その手の本をお読みください。
〓アッシのほうは、言語的な説明をいたします。
〓「ドッペルゲンガー」 “Doppelgänger” という語の成り立ちの説明はカンタンなようで、実は、それほどカンタンではありません。
〓この単語を造語したのは、18〜19世紀のドイツの作家 「ジャン・パウル」 Jean Paul [ ζ ã ' p a u l ] だと言われています。ドイツ人なのに Jean Paul 「ジャン・ポール」 はヘンテコですよね。フランス人の名前です。本名は、
Johann Paul Friedrich Richter 1763〜1825
[ ヨ ' ハン ' パウる フ ' リードリヒ ' リヒタァ ]
ヨハン・パウル・フリードリヒ・リヒター
〓ジャン=ジャック・ルソー Jean-Jacques Rousseau への並々ならぬ傾倒から、筆名を Jean Paul と変えたのだそうです。名前だけ見るとフランス人ですね。
〓彼が 1796年に発表した小説 『ジーベンケース』 »Siebenkäs« [ ' ズィーブンケース ] (「7切れのチーズ」 という実在するドイツ語姓) の中で、
Doppelgänger [ ' ドプるゲカ゚ァ ]
という単語が使われました。おそらく、それまで、ドイツ人のあいだにあった迷信に、彼がハッキリと名前をつけたのでしょう。
〓作家たちの 「ドッペルゲンガー」 に対する興味は、このジャン・パウルに始まります。
〓単語の構成要素はカンタンです。
doppel- [ ' ドプる ] 「二重の」 を意味する接頭辞
+
Gänger [ ' ゲカ゚ァ ] 歩行者、通行人
↓
Doppelgänger 「二重に歩き回る者」 1796年初出
〓 doppel というのは、英語の double と同源です。しかし、ゲルマン語ではなくラテン語の duplus [ ' ドゥプるス ] 「二重の」 という形容詞に由来するものです。英語で double と p → b に変化しているのは、仲介したフランス語で p が有声化したからです。
〓 Gänger 「ゲンガー」 は、Gang [ ' ガング ] 「足どり、動き、行くこと」 に -er が付いたもののように見えますが、実は、そうではありません。
〓もともと、ゲルマン語で 「行く」 という動詞は、
*γaŋγan [ ' がンがヌ ] 「行く」。ゲルマン祖語
※ γ は、摩擦音の [ g ]。スペイン語の g
でした。そして、「行くこと」 が、
*γaŋγaz [ ' がンがズ ] 「行くこと」。ゲルマン祖語
でした。
〓動詞のほうは、*γaŋγan から、次のように変化しました。
gān [ ' ガーン ] 古期英語
gān, gēn [ ' ガーン、' ゲーン ] 古期高地ドイツ語
〓この2つが、それぞれ、
go 現代英語
gehen [ ' ゲーエン ] 現代ドイツ語
になります。
〓そのいっぽうで、「行くこと」 という名詞は、
gang [ ' ギャング ] 現代英語。
Gang [ ' ガング ] 現代ドイツ語。
となりました。ドイツ語では、「足どり、行くこと」 というような本義に近い意味で残りましたが、英語ではずいぶんと意味が変わったんですね。
gang
「行路、旅行」。古期英語。現在は廃義。
「道」。古期英語。現在は方言に残る。
↓
「道具などのひとそろい」。1340年ころから。廃義。
↓
「一群の人々、一団」。1440年ころから。廃義。
↓
「徒党を組んで悪さをする連中」。1632年から。
〓つまり、「ギャング」 っていうのは、動詞 to go の名詞形なんですね。
〓ドイツ語では、動詞 *γaŋγan 「ガンガン」 に対する 「行為者」 を表す名詞として、
gänger [ ' ゲンゲル ] 「行く人、歩く人」
が存在していました。つまり、英語の goer (14世紀から) にあたる名詞です。動詞のほうの語形が擦り減って gehen 「ゲーエン」 になったのちも、化石的に Gänger 「行く人」 が残ったんです。現代ドイツ語には、あらたに gehen からつくられた、
Geher [ ' ゲーァ ] 歩く人、競歩選手
という名詞もあります。
〓ドイツ語に堪能な人は、なぜ、名詞 Gang に、-er が付くんだろうと訝 (いぶか) っていたヒトもいると思います。実は、動詞に -er が付いてたんですね。語幹の a が ä になっているのは、-er の 「エ」 の舌の位置に引きずられて、「 a が e 寄りの発音になった」 ものです。ドイツ語では、こういう現象を 「ウムラウトを起こす」 と言います。
〓英語に、「ドッペルゲンガー」 というコトバが輸入されたのは、1830年ですが、このときは、
double-ganger 「ダブルギャンガー」
という語形でした。ドイツ語そのままの語形で借用されたのは、1851年です。
doppelgänger [ , ドパる ' ギャカ゚ァ ] 1851年初出
〓英語のことですから、現在では、ウムラウト記号抜きで doppelganger と書かれることのほうが多いです。ウムラウト記号抜きの表記が、英国では6倍、米国で5倍程度見られるようです。もっとも、英語では、ウムラウト記号があってもなくても、発音の変えようがないんですが……
【 ドップラー効果 】
〓ところで、「ドッペルゲンガー」 と 「ドップラー効果」 は、ナンか似てるなァ、と思ったことはありませんか。このコトバは、19世紀のオーストリアの物理学者、
Johann Christian Doppler
[ ヨ ' ハン ク ' リスティアン ' ドプらァ ]
ヨハン・クリスティアン・ドップラー
の姓に由来します。この Doppler という姓は、実は、
doppeln [ ' ドプるン ] 二重にする
という動詞の 「行為者」 を表す名詞形なのです。
Doppler [ ' ドプらァ ] “二重にする人”
〓オーストリアでは、これは職業名です。
Doppler 靴底の張り替え職人
〓つまり、ドップラー博士の先祖は、「靴底の張り替え職人」 だったんですね。ドイツ語で 「ドップラー効果」 は、
der Dopplereffekt [ デァ ' ドプらァエフェクト ]
と言います。字面の取りようによっては、
「靴底を張り替えに出した効果」
と取れないこともありません。
〓「ドッペルゲンガー」、「ドップラー効果」 という2つのコトバが似ているのは、あながち、他人の空似ではないんですね。コトバの 「ドッペルゲンガー」 だったんです。
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