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2007年05月01日09:03

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『ボンボン』。ムスッとした犬のおかしさ。

  

〓今日は、夕方まで仕事をしてから映画を見てきました。まったく、連休は 「無休」 ということで……



  【 『ボンボン』 という映画 】

〓アルゼンチン映画の 『ボンボン』 というのを見てまいりました。よかったですよ。2000年以降の傾向なんですけど、年に数本ではありますが、日本でも南米の映画がロードショーされるようになりました。
〓南米の映画と聞いて、アナドッてはいけません。

   映画表現として、かなり高度である

んです。日本に入ってきている南米の映画に関して言うなら、

   1990年代のイラン映画のドキュメンタリー性
   アキ・カウリスマキ式の 「脱 演出」

の2点が、特徴としてあげられます。ハリウッドなど歯牙にもかけないシンプルな映像表現は、「南米派」 という表現形式を生み出しつつあるかもしれません。

〓この 『ボンボン』 という映画、出てくる職業俳優はたったひとり、ワンシーンだけ出てくる9歳の女の子です。あとのキャストは、シロウトかスタッフです。主演のオジサンに至っては、

  映画の制作会社の近くの駐車場で、
  クルマを動かす係のオジサン


というテイタラクです。
〓しかし、このオジサンがいいのだ! 何十年も映画を見てくると、もういいかげん 「アクターズ・スタジオ」 の “思い入れタップリな演技” なんてムネヤケするだけなんですよ。ただのオジサンが、ただのオジサンとして出ている。カメラの前でボッと突っ立ってる。そこに映像としてのリアリティがある。牛は食った草をナンなく牛乳に変えるけれど、どんな工場をつくったって、草を牛乳に変えることはできないのです。

〓オジサン、本名で出演している。役名=本名なのです。

   Juan Villegas [ ふ ' アン ビ ' ジェーガ(ス) ]
     フアン・ビジェーガ (アルゼンチン式発音)
     ※ Villegas というのは、スペインのブルゴス県の地名。

〓ビジェーガスおじさんは、ほとんど演技をしません。これは、フィンランドの監督、アキ・カウリスマキの演出によく似ています。カウリスマキは、俳優に対して、

   「片方の眉毛だけで、演技をしろ」

と、おそらく半分冗談で言うそうですが、まさにビジェーガスおじさんは、そういう動きしかしないのです。
〓ただ突っ立っているオジサンが、スクリーンの中で、いかに多くを物語るか、を見れば、誰しも 「演出」 とは何かについて、一から考え直さなければならないでしょう。


〓映画の紹介が遅れました。「犬」 の映画です。しかし、どこぞの映画のように、「犬がニンゲンのコトバをしゃべる」 たぐいの映画ではありません。
〓舞台は、アルゼンチンのパタゴニア。ナンにもない。見渡すかぎりの荒野。そして、いつでも強い風が吹きつけている。この映画の 「クレジットされていない登場人物のひとり」 は “風と雲” です。
〓町は閑散としていて、誰もが失業している。オジサンも失業者です。住むところがないので、娘のところに転がりこんでいます。しかし、娘のダンナにも仕事がないのです。家計は火の車で、オジサンはいたたまれないのです。

〓「犬」 の映画だからといって、“子ども向け” だと思ったら大間違いです。現代アルゼンチン社会について、“語るべきことは、それと感じられる程度に” 語っています。何が映っているのか、それがアルゼンチンにとってどんな問題なのか。“彼らの痛み” を想像する力が必要です。
〓しかし、だからといって、この映画は社会派ではありません。それが目的ではないのです。「犬に出会ったことで、少しずつ変化してゆくオジサンの人生」 がテーマなのです。「人は、生きている以上、生きていかなきゃならん」。そのツラサと喜びを、きわめて遠回りに、アッサリと描いた映画なのです。

〓日本語タイトルは 『ボンボン』 です。あまり感心しない邦題です。オジサンが犬につけた愛称が 「ボンボン」 なんです。

   【 bombón 】 [ ボン ' ボン ]
     (1) お菓子のボンボン。砂糖菓子のボンボンも、
        チョコレート・ボンボンも指す。
     (2) かわいらしい子ども、魅力的な女性などを指す。

〓つまり、「かわいいヤツ」 という意味で、オジサンは 「ボンボン」 とつけました。そして、これは猟犬のプロのブリーダーからすれば、バカげた名前でした。
〓犬の品評会 (ドッグショー) で 「ボンボン」 の名前がアナウンスされます。

   Bombón de Lechien
      [ ボン ' ボン デ れチ ' エン ]
      ボンボン・デ・レチエン

〓今どきの日本の犬みたいに、オジサンは 「フルネーム」 で登録しちゃいました。これ、ものすごくオカシイ名前なんですけど、パンフレットでは何も説明していません。それどころか、パンフレットでは、「ボンボン・オ・ルシアン」 Bombón o Le Chien にしちゃってる。スペイン語で、「ボンボン、もしくは、ルシアン」 という意味です。ツマンナイ解説だなあ。

〓オジサンは、パタゴニアの荒野のハイウェイで、通りがかりに 「裕福なフランス系移民の農園の娘」 のクルマの修理をしてあげるんですね。そのお礼として──いや、お礼という名のヤッカイ払いとして──猟犬をもらうんです。気が優しくて、気が弱いオジサンは、「お金のほうがいい」 とは、よう言わんのです。
〓亡くなった農園主の残した 「犬の繁殖場」 Criadero [ クリア ' デーロ ] は、「繁殖場」 とは名ばかりで、白いブルドッグのような猟犬が一頭いるだけです。入口の看板には、

   Le Chien [ ル・シ ' アん ]

と書いてあります。これは、フランス語で 「犬」 という意味です。しかし、おじさんはこれを犬の名前だとカン違いするのです。スペイン語式に読んで、
Lechién [ れチ ' エン ] が名前だと思い込みます。以後、オジサンは、「レチエン!レチエン!」 と呼ぶのです。ここが爆笑なんですが、日本の映画館では誰も笑いません。字幕の説明もないし。

〓どういうものか、オジサンは、「書かれた文字」 をよく読み落とします。ちょいとした機械や、家の配管などは自分で直してしまうにもかかわらず、書かれた文字には弱いのです。「文字が敵なんです」。映画を見ればわかります。

〓この映画、邦題は 『ボンボン』 ですが、そもそものスペイン語題は、

   «El Perro» [ エる ' ペッロ ] 『犬』

です。それ以上でも以下でもない。ただの 『犬』 です。直球勝負です。ハリウッドのように、多彩な変化球で勝負したりしないのです。
〓犬種は、

   Dogo Argentino [ ' ドーゴ アルへン ' ティーノ ]
        ドーゴ・アルヘンティーノ

です。英語名では、

   Argentinian Mastiff アルゼンチニアン・マスチフ
   Argentine Dogo  アルゼンチン・ドーゴ

とも言います。日本では有名ではありませんが、世界的には有名な犬種らしく、Google のヒット数は、

   “dogo argentino” OR “argentine dogo”
           OR “argentinian mastiff”  804,000件
       ※アルゼンチン国内に限ると、55,400件

です。これを土佐犬と比べてみますと、

   “tosa inu” OR “tosa ken” OR “土佐犬” 590,000件

ということになります。「土佐犬」 よりも有名です。
〓 dogo 「ドーゴ」 という単語は、英語の dog に似ています。それもそのはずで、語源は英語です。しかし、こんなふうに借用されました。

   dog  「犬」。英語
    ↓
   dogue [ ' ドッグ ] 「番犬、ブルドッグ」。フランス語
    ↓
   dogo [ ' ドーゴ ] 「番犬、ブルドッグ」。スペイン語

〓スペイン語では、「番犬になるような猛犬種」 を指すようです。たとえば、

   Doberman Dogo ドーベルマン

のような言い方が見られます。

〓この映画はすばらしいですよ。それ以外に言うことはありません。広大なパタゴニアの自然。吹きすさぶ風。貧していてもナントカ生きているフツーの人々。時代物の自動車。犬犬犬。50歳過ぎで失業したオジサンの人生。それだけでできている映画です。

〓監督は、アルゼンチンの 「カルロス・ソリン」 Carlos Sorín。昔のアタクシの視界の狭さを感じることには、ソリン監督は、1986年に、ヴェネチアで銀獅子賞を獲っているのです。日本でも公開されています。当時は、アルゼンチンの映画なんか関係ネーヨ、と思ってたんだろうなあ。
〓カメラは全編、手持ちです。カメラマンについては、パンフレットにいっさいプロフィールが載っていないので、よくわかりません。
〓この映画、おそらく、普通の人は、最初に 「奇妙な見づらさ」 を感じるハズです。いきなり、手持ちカメラによる、屋外でのクローズアップから始まるからです。もう、映像表現として、何をやらかそうとしているのか、強調して宣言してるんです。イラン映画によくあるような 「ドキュメンタリー」 風の映画である、ということ。
〓カメラを手持ちにする、というのは、最近のアルゼンチンの流行りなのかもしれません。やはり、昨年、日本で公開されたアルゼンチン映画で、ダニエル・ブルマン Daniel Burman 監督の 『僕と未来とブエノスアイレス』 は、全編、極端な手持ちカメラによる表現でした。
〓手持ちによるカメラのブレを、極力補正しようという、従来の 「まっとうな志向」 が見られず、「手持ちのブレ」 をそのまま “画に映し込もう” とする傾向が見られます。

〓ところでですね、「小説を書いたら、最後の章をぶった切ると良い作品になる」 ということを聞いたことありませんか。この映画は、それどころではなく、最後の2章くらいをブッタ切ったような終わりかたです。「えっ?」 というくらい。「もう終わっちゃうの?」 もうちょっと、「ビジェーガスおじさん、ボンボンといっしょに居させてちょうだいよ……」 という感じですね。
〓それだけに、映画の終わりには大きな余白が残ります。そこに何を書くかは、見る人によって、いくらでも想像できます。パタゴニアの平原と同じく、この映画も果てしないのです。



  【 言語的な考察 】

〓アルゼンチンのスペイン語について気がついたことがあります。語末の -s をいっさい発音しません。オジサンの名前 Villegas も 「ビジェガ」 です。
〓スペイン本国のスペイン語で 「ありがとう」 は、

   Gracias [ ' g r a : θ i a s ] [ グ ' ラーすィアス ]

ですが、アルゼンチンでは、

   Gracias [ ' g r a : s i a ] [グ ' ラースィア]

です。「ブエノス・アイレス」 Buenos Aires も 「ブエノ・アイレ」 と発音されます。
〓それと -ll- の音は、完全に 「ジュ」 です。だから、オジサンの名前は、

   Villegas [ ビ ' ジェーガ ]

なんですね。

〓最後に 「パタゴニア」 という地名についてです。
〓ヨーロッパ人で、最初にパタゴニアを探険したのはマゼランでした。マゼランの一行は、パタゴニアの浜辺に 「裸の巨人」 を発見します。敵意がないことを示して、その巨人と接触すると、彼は指で空を指し、「天からやって来た」 ということを示したと言います。マゼラン一行の背丈は、やっと 「その巨人のウエスト」 に達するぐらいであった、と一行の記録に残っています。
〓パタゴニアの先住民について、なぜ、このようなヘンテコな記録が残ったのか、理由はさだかではありません。しかし、このマゼランの報告によって、「パタゴニアの巨人族伝説」 がヨーロッパじゅうに広まりました。
〓18世紀の終わりに、ウソであることが判明するまで 250年間、信じられていました。そして、ウソであることが判明したのちも、しばしば、パタゴニアの人々は巨人に描かれることがあり、非科学的デマの根強さを示しています。

〓マゼランは、この地域の 「巨人族」 を、

   Patagão [ パタ ' ガオん ] ポルトガル語
   Patagón [ パタ ' ゴン ] スペイン語

と命名しました。これらは、pata [ ' パータ ] 「脚」 に “指大辞” ──「しだいじ」=大きいものを言い表す語尾。「指小辞」 の逆──を付けたものに違いないハズなんですが、造語法が間違っているんですね。正しい 「大足」 という単語は、次のとおりです。

   Patão, Patona [ パ ' タオん、パ ' トーナ ] ポルトガル語
   Patón, Patona [ パ ' トン、パ ' トーナ ] スペイン語

〓それぞれ 「大足の人」 を表す男性形女性形です。しかし、ポルトガル語を母語とするマゼランが、こんなことを知らなかったとは思えないので、独自に -g- を挟み込むことによって、「大大大足族」 ってなコトを表現したかったのかもしれません。
〓ポルトガル語の Patagão [ パタ ' ガオん ]、スペイン語の Patagón [ パタ ' ゴン ] は、全然別の単語のように見えますが、実は、どちらもラテン語形、

   Patagonus [ パタ ' ゴーヌス ] 巨足族

の 「各 民族語形」 と言えます。
〓そして、「巨足族の」 という形容詞が、

   patagonius [ パタ ' ゴーニウス ] 巨足族の

と造語できます。そして、「巨足族の土地」 と言いたければ、terra 「テッラ=土地」 が女性名詞であることに従って、

   (terra) Patagonia [ パタ ' ゴーニア ] 巨足族の土地

と言えばいいんですね。
〓これが 「パタゴニア」 の語源です。
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