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2007年03月28日22:15

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人間の美意識

俺は常に男としてかっこよく生きていきたいと思っていた・・・。
見た目の美しさ、かっこよさではなく、男の魂がだ。
ブ男のひがみではなく純粋に心の底から矢吹丈や、坂本竜馬のような男になりたいと思っていた。そこで俺が考えるのは人間の行動、思考における美意識だ。
美意識というものは簡単にいうとやせがまんだと思う。皆が持っている美意識とは、見た目の美意識だ。コギャルが歩きづらいのにもかかわらずに厚底ブーツを履くのもその一つだし、男性でも整髪料で時間をかけてヘアースタイルを整えたりもする。
自分が美しくあるためには人は面倒くさい事や不自由になる事でも時間を費やしたり、また行動したりするものだ。
つまり見た目の美しさ、カッコよさには自ら進んで辛いことでも人は耐えていけるのだ。
これを俺は精神的世界、人間の魂に求めたい。

今現在の考えが行きついた先は「自分を大切にする」という事である。
なぜ、「他人を大切にする」より「自分を大切にする」という事の方が重要なのか?
「自分を大切にする」という言葉は、言葉だけそのままとらえると非常に簡単そうに思えるが実はとても深い。
「他人を大切にする」という事はしっかりとした自分を持っていないと、本当の意味で他人を大切に、または幸せには出来ないからだ。
では「自分を大切にする」とは一体どういう事なのか?
「自分を大切にする」という事は即ち、より自分を向上させ素敵な自分でいられるという事だと思う。
ここで先ほど述べた精神的美意識が登場するのである。
今の生活において人は楽をしたい、楽しくありたいとまず考えている筈。
ようするに、「自分が大切」=「自分を甘やかす」という図式になっているのだ。
これが基本に置かれると美意識から外れてしまう。
美意識とは基本的にやせがまん。辛いことであり苦しいことなのだ。
誰が生活において修行僧じゃあるまいし、自ら苦しい方へ苦しい方へと意識して生きている人間がいるだろう。
だが不思議なことに見た目の美しさには自ら進んで美意識を実践しているのである・・・・。

これをふまえて考えると精神面で人はどれだけ美意識に欠けていることだろう・・・。
答えは簡単、現代の人間は目に見えているものしか意識が持てないのだ。
人にどう見られているのかでなく、自分がどうあるべきか自覚を持つべきであり、周りに主観(振り回されず)されずに自分を主観するべきである。
故に「自分を大切にする」という事が精神的美意識において一番大切だと思う。

何か物事が起きた時、美意識に欠けていないか?(自分は楽しようとしてないか?)
男としてカッコよく生きているか?日々、俺は考える。
あえて困難な道を選んだとき、苦しいけれどもこれで少しでもかっこいい男に近づいているのなら案外どうってことないなと思えるものだ。

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