「バカだった」って言うが、馬鹿だったからこそ、映画史に残るスターになれたのだ。
1960年代前半までのアメリカ映画は、世界覇権国の自信満々、西部劇とかミュージカルとか、娯楽大作の時代。
同時期、冷戦真っ最中のヨーロッパ・フランス映画ではヌーヴェルヴァーグ(ニューウェーブ)の時代。政治的にはソ連に絶望したヨーロッパ「新左翼」の文化闘争。
その波が、ベトナム戦争が終わらず徐々にダメになっていくアメリカにも到来する。
それが「アメリカン・ニューシネマ」。知らない平成令和の皆さんはAIに尋ねよう。
ぶっちゃけ、アメリカン・ニューシネマは「左翼映画」だ。
でも、革命が勝利するようなソ連のプロレタリア映画ではない。正反対。
ソ連の大失敗に絶望した反体制左翼が描く、敗北者の映画、負け犬映画だ。
「俺たちに明日はない」「真夜中のカーボーイ」「イージー・ライダー」「スケアクロウ」「カッコーの巣の上で」「タクシードライバー」などなど。
そのアメリカン・ニューシネマの映画文法で作られたのが、スタローンの1976年「ロッキー」。
錆びれ荒んだボロボロの都会で負け犬として生きる主人公ロッキーも勝利はしない。しかし、最後に希望は残る。
アメリカン・ニューシネマの映画文法を使って、アメリカン・ニューシネマに反撃の狼煙を上げた「反・左翼映画」なのだ。
ロッキーは、続編以降、どんどんアメリカ万歳・右翼映画になっていく。
1982年「ランボー」もアメリカン・ニューシネマの手法だ。
ベトナム帰りの負け犬が、戦争の英雄としての尊敬も受けず、アメリカの保守的な田舎で仕打ちを受ける。
負け犬は、自分に価値があった戦場に戻してくれ!、兵士が尊敬される昔のアメリカに戻してくれ!、と叫ぶ。
ランボーも、続編以降、どんどんアメリカ万歳・右翼映画になっていく。
「スターウォーズ」と共に、明るい1980年代アメリカ映画の幕開けである。
そして、1990年代、ソ連は崩壊する。
一人勝ちのアメリカが世界全体を管理する黄金時代が永久に続く、とみんなが思っていた。
しかし2016年、トランプが登場し、覇権国アメリカは世界に背を向ける。
トランプ以降、世界を捨てた孤立主義のアメリカ映画は、何を描くのだろうか?
シルヴェスター・スタローン、危険なスタントをこなしてきたことを「バカだった」と大後悔「プロに任せろ」
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=25&from=diary&id=8990447
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