先日の不老不死の話から派生した話になるが、私は西暦何年まで生きれるだろうか。22世紀は拝めるだろうか。22世紀は一体どんな世界になっているだろうか。
人間の技術の発展速度はすごいもので、十数年前にはまだまだ先だろうと思っていたことがどんどん実装されていく。例を挙げるならVRやAIだってせいぜい2040年前後ぐらいになってからだろうと私は思っていたが、まだまだ発展途上と言えど一応形にはなっている。
それで言ったら3DSもそうだ。当時は赤と青の眼鏡をかけてるという特殊な環境を用意しなきゃいけないという認識だった。そして仮に眼鏡を外してみると映像が二重になって見えて変な見え方になる。裸眼で3Dに見えるというのは難しい技術だと思っていた。それなのに何もせずとも3Dに見える3DSは本当にびっくりした。もう15年前のことである。当時の私はその見慣れないハイテクっぷりにそわそわしたものだ。残念なことにだんだん慣れてくると3Dじゃない方がよくて産廃になってしまったが。2DSまで出される始末である。
そんな驚きを私はあと何回だけ目にできるだろうか。
きっと私は22世紀の世界を見る前に死ぬことだろう。いやもしかしたら生きてるかもしれないが、平均寿命を考えたら相当上振れ無いと無理だ。そう考えると少し寂しい気持ちにもなってくる。
不老不死なら22世紀どころか、果ては地球の終わり、宇宙の終わりまで観測できる。その世界を見てみたい。まあもし地球が終わった時点で人類がもし他の星に移住する技術を持ってない場合、私はカーズのように宇宙空間に放り出されるので、考えるのをやめる⋯⋯前に早々に自決を選びそうだが。
私は、私の夢見る未来をこの目で見てみたい。この目で見てから死にたい。デトロイトに出てくるようなアンドロイドがいたり、スマートレンズやスマートグラスがスマホ並みの性能と普及率になって、なろう系の「ステータスオープン!」みたいなテンプレがリアルで出来るようになっていたり⋯⋯。ゲームもVRが主流になって、その仕組みとして夢を見るような感覚⋯⋯ゲームの世界の夢を見させてその世界での行動が、脳波を読み取った機械に記録されるとか。まあそれはさすがにいろんな意味で厳しいと思うが、脳波による機械のコントロールは現代でも研究されているし、未来ではそれが当たり前のことになっていて、誰しもが第三の手を持っているかもしれない。ポケモンのように化石から生物を復元できるようにもなってるかもしれないし、深海が既知になっているかもしれないし、ヴォイニッチ手稿も解読されてるかもしれないし、日本において地震に対する完璧な対処方法が確立されているかもしれない。
未来の可能性を考えればキリがない。技術の発展速度を考えると、22世紀になる頃にはこれらが既存のものになっていてもおかしくないわけだ。それを見ずに死ぬのは口惜しい。が、ジジイになってからじゃ活用できない気もする。見るだけ見てポックリ逝ってしまうかもしれない。それこそ21世紀のうちに日本が何度大地震に見舞われるかって考えたら、寿命まで生きていられる自身がない。
私は希死念慮があるが、苦しい死に方は嫌なのでできれば寿命で死にたいものだ。技術が発展していれば、健康寿命も寿命も伸びて22世紀まで生き延びれるかもしれない。高齢化したとて、高齢者が自由に動けるのであれば負担にはなりづらいし、そんな未来に期待したいものだ。
ログインしてコメントを確認・投稿する