東大阪の孔舎衛坂で一度敗戦し、
地形から考察するに、次は大和川さかのぼり、
亀の瀬渓谷から奈良入りを目指すが、
急流で狭く、待ち伏せされると不利な土地柄、
さらに南下し、和歌山県の熊野付近で上陸し、奈良を目指す、、、、
実際、熊野を三度訪問するが、
309号線や169号線は非常に険しく、
熊野信仰が盛んになった平安からの修行道であって、
神武天皇一行をなかなか感じることが出来ず、
全体的に平坦なところを流れる紀の川をのぼり、
五条を超えると、そこは高鴨神社があり、
京都府京都市の賀茂神社(上賀茂神社・下鴨神社)
を始めとする全国のカモ(鴨・賀茂・加茂)神社の総本社であり、
元祖カモ氏が住む地域。
そしてカモ氏と言えば、有名な八咫烏。
その導きで吉野川をさかのぼり、宇陀入りの方が、
よほどしっくりくるという考えが頭の中をよぎる。
さらに、弥生遺跡の一つ鴨都波遺跡では、
紀伊(和歌山)との盛んな交流が認められる他、
瀬戸内の土器も出土していて、
神武天皇が三年かけて東征準備をした地と関わりを持つ。
東大阪の孔舎衛坂で傷を負った兄の五瀬命が
水門吹上神社(湊本えびす)に、神武天皇聖蹟男水門顕彰碑があり
この場所で無念の雄叫びあげ、亡くなった。
和歌山市和田438にある「竈山」神社横に葬られた。
両方とも紀の川河口の南側に位置し、
近くの矢宮神社には八咫烏(カモ氏)まで祀られています。
神武御東征のさいに活躍された道臣命(大伴氏の祖先神)が
主祭神の刺田比古神社まである。
大和地方の豪族、大伴氏とカモ氏の関係が見えてきそうです。
現地でお話しするのは、大事で!
矢宮神社の宮司さんからお聞きしましたが、
「高鴨神社は八咫烏のカモ一族の系統では無い!」とのこと。
でも、宇陀にある八咫烏神社は同系列であると、断言されました。
最初は御所にある高鴨神社がカモ一族つながりで、
吉野まで導いたと思っていましたが、間違いで、
宇陀にある八咫烏神社と繋がっていました。
賀茂建津身命を祀られてることが、大切なようです。
そのことからも、熊野本宮大社も違うことがわかる。
ということは、紀ノ川(矢宮神社)⇒吉野川をさかのぼり、
奈良の宇陀(八咫烏神社)入りをしている方が、自然にみえてきそうです。
(左から右の矢印→ほぼ一直線・・・紀の川ルート)
この推理を【 神武東征の紀ノ川さかのぼり説 】と、
勝手に命名しようと思います。
和歌山は、神武東征で重要な地点である気がする。
●天道根命・・・・日前神宮・國懸神宮(元・濱宮←元伊勢)
●五十猛命・・・・伊太祁曽神社
●道臣命・・・・・刺田比古神社
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