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2026年06月09日01:50

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【対話】日本のアート教育について

 
大倉里司さんの日記「宮下先生フェルメールを語る」で、楽しい脱線話をしていました。

  https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1992261285&owner_id=1471688


とても興味深い話ですが、日記の趣旨から外れて長文コメントをやり取りし続けるのは
日記主様に申し訳ない。そこで、こちらに引っ越して、話の続きをしたいと思います。

まずは、これまでのやり取りを記録。(以下、コピペ)


ーーーーーーー


獅子座9番さん 2026年06月02日 08:20
(前略)
日本における昨今のフェルメール人気にも、私も少々戸惑っております。上から目線を承知の上で言わせてもらうなら、「君たち、本当に解ってる?」と言いたくなります。
フェルメールといえば、「色彩」「光」ときますが私は去年、絵画の在り方においてフェルメールと他の画家(特に現代日本の写実画)との決定的な違いに思い至りました。まあ、そのことはいずれ日記にでも書こうと思っています。

宮下先生の日本の美術教育の欠陥についての御意見には私も全くの同意見です。特に日本の美術の授業は「(文学鑑賞も分析もやらせず)作文だけを書かせている国語の授業」という表現は言い得て妙だと思いました。



クローバー銀猫 2026年06月02日 17:37
横レス失礼します。

> 日本の美術の授業は「(文学鑑賞も分析もやらせず)作文だけを書かせている国語の授業」

2024年夏、大和文華館で浮世絵(摺物)コレクションを観たとき、大学生と思しき集団を学芸員が引き連れて作品解説しているところに遭遇しました。

 https://photo.mixi.jp/view_album.pl?album_id=500000121218594&owner_id=1833905

摺物は19cm角くらいの小さな紙に、それは細かく工夫を凝らした作品ばかりなので、ちゃんと鑑賞しようと思ったら、ガラスに鼻がくっつくくらい近づいて「じーっくり隅々まで」観ないといけないんです。
ところが、学生集団は展示物に近づこうともせず、学芸員の周りをぐるりと取り囲み、話を聞くと「ちらっ」と作品に一瞥くれただけで次の解説ポイントに移動していました。

限られた時間内に要領よく説明していかねばならない学芸員の都合もわかります。
ただ、あの学生たちは、この貴重なコレクションをろくすっぽ見もせずに、どうやって「鑑賞レポート」を書くつもりだろうか?と首を傾げました。おそらくは、学芸員の「言葉の受け売り」に終始し、指導教官が頭を抱えるほど判で押したようなレポートが提出されただろうなと私は推測します。



獅子座9番さん 2026年06月03日 06:59
> silver catさん 

世はVUCA時代(正解がない時代)と言われて久しいです。世界の名だたるグローバル企業は、幹部候補生にアートの勉強をやらせるそうです。
おそらく大学側はそんな時代性を踏まえ学生たちに「正解のない課題」を出したつもりでしょうが、肝心の学生たちは絵の見方に「正解」があると思っている。むしろ絵を見て感じた「ぼんやりとした感想」を提出することが、不誠実だと考えているのかも知れません。
宮下先生や山田五郎氏も指摘されていますが、日本の教育は、「正解」のある学問重視です。そのツケが、ここにきてのし掛かって来てるのでしょう。



クローバー銀猫 2026年06月03日 21:34
> 9番さん 

返信をありがとうございました。
昔から、大企業の幹部は茶道などを嗜んでいたものですが、
今時は業務命令で「アートの勉強」ですか。
なんだか、粋なんだか無粋なんだか、よく分からないことになっていますね。爆


> 学生たちは絵の見方に「正解」があると思っている。

べらんめえ、笑わせんなよ!って話ですが、そういう良識を身につけていないんでしょうね。

今時の若い子達は「極端に失敗を恐れる」らしいです。
だから、予めチャッピーに相談したり、何ならついでに回答もらったりして「無難に、無難に」生きようとしている。
その方がコスパとタイパがいいと思っているんでしょう。小賢しいことで。
でも、人間は失敗からしか学習できない生き物なので、傷つきたくない子供達は成長できませんわ。
「トライ&エラーで馬鹿やり放題」は若者の特権なのに。実にもったいないことです。



クローバー銀猫 2026年06月03日 21:57
> 大倉里司さん 

> 「正解」のある学問が手っ取り早く近代化を進める上で大事だったのでしょう

マークシート試験で採点処理できるような学問は、確かに手っ取り早いですね。
ただ、それはどんなに頑張っても所詮「AIには叶わない」能力です。

若者が勝負すべきは感覚、運動、アイデア、情緒等の直感的な賢さだと思います。

 https://www.active-brain-club.com/ecscripts/reqapp.dll?APPNAME=forward&PRGNAME=ab_brain_detail&ARGUMENTS=-A1,-A,-A20260317170813082,-A
 https://www.mcsg.co.jp/kentatsu/health-care/24651

小さい頃から保育園でわちゃわちゃ遊んでいる方が、後者の賢さは身につけやすいです。
でも、教育熱心な親達は、幼児教育漬け・習い事漬け・塾漬けにして子供をダメにする。
私、個別指導塾のバイトで見たことありますもん。人形のようになった小学六年生を。
ああなっちゃったら、人間性を一から取り戻すことは容易じゃないです。


さっき作ったアルバム『ガウディ展』コメント欄に、ひたすら石を掘るのは魂の修行、てな話を書きました。
芸術を深く理解するには「身体性」や「体験」がとても大事だなと感じます。
すでに東京展をご覧になったかもですが、お時間ある時にぜひご覧くださいませ。

◆ガウディ展@VS. グラングリーン大阪(全体に公開)
https://photo.mixi.jp/view_album.pl?album_id=500000121442813&owner_id=1833905




獅子座9番さん 9番2026年06月04日 11:28
> silver catさん 

>昔から、大企業の幹部は茶道などを嗜んでいたものですが、今時は業務命令で「アートの勉強」ですか。

それが「社員にちょっと教養を」というレベルじゃないらしいんです。
世界最高峰のアートスクール、イギリスのRCA(Royal College of Art)の大学院(RCAはそもそも院だけの美大)に、この数年Googleなどのグローバル企業のエリート社員が続々と入学してきているんですって。
企業にとって、それは「生き残りをかけた経営戦略」なんです。
『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』という本からの受け売りなんですけど、今まで経営というのをサイエンス(論理性)だけでやってきたんですが、VUCAの時代それでは全く対処出来なくなってきた。
さらに生成AIという「論理性の塊」みたいなモノも出てきて、論理的な思考の果てにあるのは、各社すべて「同じ結論」に至るしかない。そこで「ART」の出番です。
「カッコいい」「美しい」の復権です。

ノートパソコンでイノベーションを起こした筈の東芝が沈み、なぜAppleが隆盛を極めているのか?それはAppleという企業がもつ「美しい物語」であり「カッコ良さ」だと言うんですね。現代において製品の性能の優劣などあまりなくて、背景にどれだけ「物語」を持つか。スタバでMacBookを広げている人は、「スタバ」で「MacBook」を広げる自分という自己実現の為に、Apple製品を買う。
ルノワールでdynabookじゃだめなのです。

本は「日本の企業には理念(美意識)がない」と断罪しています。
今こそ、日本企業のトップは茶道を嗜むべきなのかもしれません。茶道で「真・善・美」を学んだ人間なら、粉飾決済・データ改竄・リコール隠し等の「美しくない」行為を許す筈がありません。

>「トライ&エラーで馬鹿やり放題」は若者の特権なのに。実にもったいないことです。

そうなんです。
「ぜったいこっちの方がカッコ良いっすよ。」「なんでこんなに美しくないことを、いつまでもやってるんですか?」という感性(磨きに磨いた感性でなくてはダメだけど)の若者たちが出てこないと、この国は沈みます。
「美しいと感じるものは実は正解に近い」という研究があるそうです。数学の優れた定理は「美しい」し、将棋の棋士が詰みまでの道筋を見つけた時、その道筋を「美しい」と感じるそうです。
日本企業のトップも余暇にアートのワークショップに参加するとか、新入社員に藝大で美学やった人材を一人採用するとか、出来ることから始めた方が良い。(そう言えば、Dysonに至っては、創業者のチャールズ・ダイソンその人がRCAの卒業生)
ま、その前に教育改革です。「自分の感性を発揮して、好きなように絵を描いて」という生徒に丸投げの美術の授業。「いや、その“感性”を磨く取っ掛かりを提供するのが美術教育でしょ?」と言いたくなります。
その美術の授業すら、減らして“論理性”を高める授業を増やそうとしている文科省。
この国で、“感性”を磨くのは、極めて困難と言わざる得ません。



クローバー銀猫 2026年06月06日 23:32 削除
> 9番さん 

> 世界最高峰のアートスクール、イギリスのRCA(Royal College of Art)の大学院(RCAはそもそも院だけの美大)に、この数年Googleなどのグローバル企業のエリート社員が続々と入学してきているんですって。

RCAってどんな選抜方式なんですかね??

映画『かくかくしかじか』や『ブルーピリオド』で、芸大の一般入試は非常に熾烈だと思っていました。
ついこないだまで芸術に何の関心もなかったビジネスマンが、あんな試験をパスするとは思えませんし、企業も社員の「芸術的センス」で幹部を決めているとも思えません。

私の友人で、京都のお嬢様ですが「日本の枠」に収まらず、サントリーを辞めてスペインとNYにに美術留学したアーティストがいます。
彼女は服を自分でデザインしお母様に仕立てていただいてたそう。ですが、お母様がご病気で縫えなくなった。
困ったなと思いながら歩いていると、たまたま通りかかったニューヨーク州立ファッション工科大学(FIT)の看板を見て(ここなら縫い方を教えてくれるかも!)と閃き、ツカツカ中に入り、受付で「服の縫い方を教えて欲しい」と言ったそう。笑
すると、女性(実は教授)が彼女にスケッチブックとペンを手渡し「ここに服のデザインを描いてみて」と。「OK.」と彼女がその場でさらさらーっと描いたデザイン画を見た瞬間、「合格!」となったそうです。
彼女はとんでもない才能の持ち主なので、まぁあり得る話よねと思いますが、こんな人はそう滅多にいないと思います。


> なぜAppleが隆盛を極めているのか?それはAppleという企業がもつ「美しい物語」であり「カッコ良さ」だ

私はMacユーザーです。ワープロやPC操作を正式に教わったことはありません。
ある日、夫がお古のMacを私にくれて、ついでにアカウントも作ってくれました。
メールなどしたことなかったから(何のため?)と思ったくらいPC原始人でした。苦笑

Macというのは「子供のおもちゃ」みたいな、可愛くて妙に人間臭いPCでした。
無理なタスクで一杯一杯になるとシクシク泣いたり、終了する時バイバイしたり。
もちろん、見た目も可愛かったですね。トイストーリーに出てきそう。

私は「マニュアルを読めない女」で、物はとにかく体当たりでいじり倒して「体で覚えていく」スタイルなんです。Macはそんな私の特性にピッタリ合いました。
それはたぶん、ジョブズもADHDだったからかもしれません。「直感的に使える」PCなんですよ。後に、PTAの仕事でWindowsを使った時に絶句しました。何もかもMacと違ったから。別世界の物のようでした。
ちなみに、うちの次男もADHDですが、彼はまだ2歳なるやならずの頃、当然読み書きもできない頃に、一人でMacを立ち上げ、パスワードを入れ、ゲームを起動して「さめがめ」をやっていました。Macだからできたのだと思います。


> スタバでMacBookを広げている人は、「スタバ」で「MacBook」を広げる自分という自己実現の為に、Apple製品を買う。

あー、見たことあります。「ノマド」でしたっけ? ダサいですよね。笑


> 「美しいと感じるものは実は正解に近い」という研究があるそうです

へー、そうなんですね! 面白い! でも、これはわかる気がします。
私は文系でしたが数学は結構得意で、ノートが人気だったんです。
理系クラスの子がわざわざ借りに来てました。解き方が美しいからって。


> その前に教育改革です。「自分の感性を発揮して、好きなように絵を描いて」という生徒に丸投げの美術の授業。「いや、その“感性”を磨く取っ掛かりを提供するのが美術教育でしょ?」と言いたくなります。

うーん。これはちょっと、賛同するのが難しいです。

だって、そもそもの話。「とっかかりを学校で与えてもらえなきゃ美的感性を磨けない」という時点で、人として終わってるかなーと私は思いますよ。爆

言葉も話せない赤ちゃんですら、シャボン玉を吹いてやって「きれいねー」って声をかけると、ニコニコしなが掴もうとしますよ。お散歩して「お花、きれいねー」「お空、きれいねー」「お星さま、ピカピカねー」「虫さん、かわいいねー」とかいう、日常生活での小さな積み重ねが、美的感覚の原点になると私は思います。

お母さんが口紅塗ってた、おばあちゃんが素敵な服を着ていた、この世界は「美しい物で溢れている」んです。普通に生きてりゃ誰でも「美」を見つけられるはず。

学校で習ってなくても、お金がなくても、いくらでも美的感性は磨けます。
本人にその気さえあれば。

 

獅子座9番さん 2026年06月08日 17:49
> silver catさん 

<RCAってどんな選抜方式なんですかね??

詳しいことは分かりませんが、論文提出と面接におけるプレゼンテーション(自己アピール)が選考の中心みたいです。前述の通り、RCAにはいわゆる大学院しかないので、実技試験はどの科でもないんじゃないかな。
RCAだけでなく欧米のアートスクールは、実技重視の日本の美大と違って「どのように描くのか」ではなく「どうして描くのか」に教育の重点を置いていると言われています。
ですから、その京都のお嬢様は、「絵(ファッション画)が上手く描けていた」からではなく、「描かれた服のコンセプトが飛び抜けて優れていた(もしくは斬新だった)」から「教授特権推薦枠」での即合格が得られたのだと思います。
グローバル企業も、なにも幹部候補生たちに絵や彫刻を作らせる為に経費を使って留学させているわけでなく、「美学」(どのように世界を捉え、どのように問題を発見するのか)を学ばせようとしているのだと理解しています。

>それはたぶん、ジョブズもADHDだったからかもしれません。「直感的に使える」PCなんですよ。後に、PTAの仕事でWindowsを使った時に絶句しました。何もかもMacと違ったから。別世界の物のようでした。

私も30年来のMacユーザーで、初めてWindowsに触れた時は同じように絶句しました。端的に「美しくない」と思いました。誰かの比喩ですが、「ドアに例えるとMacは引く方には取手がついていて、押す方にはただ板が張ってあるドア。Windowsは全てのドアに同じ取手がついていて、引く方には「引」、押す方には「押」と張り紙がしてある」。
Macの直感性・ミニマリズムと、ジョブズのADHDは関係ない筈がありません。
企業のトップには、いわゆる発達障害と診断された人が少なくないです。例えば、イーロン・マスクは自身のアスペルガー症候群をカミングアウトしています。人格的に色々と問題がある人物ですが、少なくとも私はテスラ社の自動車のデザインは美しいと感じます。もちろん、デザインはマスクが行っているわけではなく、チーフデザイナーのフランツ・フォン・ホルツハウゼンという人物がやってるんですが、そこにマスク自身の感性(ASD特有の強いこだわり等)が投影されていない筈がありません。マスクとフランツの関係は、スティーブ・ジョブズとジョナサン・アイブの関係に似ています。

発達障害や学習障害と「アート性」の関係は解明されていない問題ですが、統計学的に言って関わりがあると考えるのが自然です。最近、私はディスレクシア(読字障害)とアートの関係性に着目しています。レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ・ブオナローティ、パブロ・ピカソ、アンディ・ウォーホル、この人たち全員ディスレクシアだと聞いたら放っておけません(笑)。
いっぱんにディスレクシアの人は「空間認識」「俯瞰力」「立体把握」に優れていると言われています。もちろん、全員が‥と言うわけでもないし、得意分野も少しずつ異なるようですが。

ところで、ジョブズやマスクなど「アーティスト型」が企業トップ、と言うのは偶然ではないようです。アーティストは「一社員」ではなく「リーダー」でなければいけない。社内で「アートvsサイエンス」が勃発した時、アートは必ず負けます。アートは議論に弱いからです。弱いというか、そもそも議論になりません。経営会議で「こちらの方がカッコいい」「美しい」「粋だ」では、役員達の失笑を買うだけです。笑われるだけならまだマシで、「エビデンスもアカウンタビリティも語れないヤツが私たちの貴重な時間を奪うな」とか怒鳴られその場を追い出されてしまうかも。唯一、アーティストの「案」が通るケースがリーダーその人がアーティストの場合です。
「携帯電話から物理的キーボードをなくす」という「案」は、論理的思考においてなら「(技術的にも経営的にも)危険すぎる」となります。ところがこの「無謀極まる案」は、ジョブズの「ない方が美しい」という一言で製品化されてしまいました。結果はご存知の通りです。
日本でも、HONDAの本田宗一郎やSONYの伊深大などはアーティスト(思考の人)でした。

>あー、見たことあります。「ノマド」でしたっけ? ダサいですよね。笑

ノマドはダサいですが、現代が自己実現型消費社会に突入しているのは間違いないでしょう。
人々は機能や性能(だけ)では、商品(特に高額商品)を買わなくなっている。購入意欲が情緒的な部分で起こっている。これは、(論理的思考で)真面目にコツコツやってきた企業にとって、たまったものではないでしょうね。市場調査も、もはやアテにはなりません。




獅子座9番さん 2026年06月08日 17:50

>だって、そもそもの話。「とっかかりを学校で与えてもらえなきゃ美的感性を磨けない」という時点で、人として終わってるかなーと私は思いますよ。爆

そうですね。
そもそも�犂鏡��瓩箸いΔ發里蓮�教室で「与えられる」ものではありません。お言葉の通り、その人が日々の生活の中で自分で見つけ、育むものです。
そして、幸いなことに我々日本人の�猗�的感性�瓩枠鷯錣僕イ譴討い襪噺世錣譴討い泙后�
たった17音の中(俳句)に「美」を落とし込む美的センスは、世界に類を見ないものです。
例えば私の経験の中でも、美大の日本画科の学生の作品の中に「美」を超え「詫・寂」の領域に入っているものを見つけ慄然としたことがあります。
ここで言う「詫・寂」とは、単に「詫しい・寂しい」絵という意味ではありません。言葉で説明するのは難しいのですが、「美のピークから、わざと少しだけ「外した」感じ」というのかな。
これは例えば、英国の抽象絵画の巨匠ベン・ニコルソンなどにも通じる感覚ですが、ニコルソンがその「領域」に到達したのは最晩年です。巨匠の到達点に、20歳そこそこの日本女性が到達している!「諸君、脱帽したまえ。天才が出現した」(シューマンが生徒(ショパン)の楽譜を見て発した言葉)と言いたいところですが、残念ながらその領域の作品は割りとゴロゴロしていて、そして「頭打ち」になることが多いようです。
私、思うんです。日本人の�猗�的感性�瓩詫イ譴討い襦��狒〆扠瓩如△修靴騰狎伴絖瓩澄�

美術(大学レベルでは美学)の授業の役目は「生徒が自分だけの�犂鏡��瓩鮓�つける手助けをし、見つけたそれを強化し、言語化する手助けをする」です。
そうです。�犂鏡��瓩篭�化され、(ある程度の)言語化されなければならない。
�犂鏡��瓩鬮猗�意識�瓩吠儡垢気擦觝邏函△噺討鵑任睥匹い�も知れない。
私が、「磨きに磨かれた�犂鏡��瓩任覆�ては、(ビジネスや芸術において)役に立たない」と言い続けるのはそういうことです。
自分だけで磨いた(言わば独学の)�犂鏡��瓩函�美術(美学)によって磨かれた�犂鏡��瓩琉磴ぁ�それは、そこに「批判性」が介在しているかいないか、だと考えます。
「美学」では、例えばセザンヌの絵を生徒に見せた後、美術史におけるセザンヌの立ち位置などを一通り教えます。しかしそれは「セザンヌがいかに凄いか」を教えることではありません。「美学」の目的は、セザンヌがなぜこのような「描き方」を選んだのかを考えさせ、最終的にセザンヌの何を「肯定」し、何を「否定」するかを生徒自身に決めさせることです。
西洋では、�犂鏡��瓩箸浪梗爾涼罎任劼辰修蠅醗蕕討襪茲Δ覆發里任呂覆�、「他者の感性」(美術館の壁の絵は全て「他者の感性」)に触れ、時にぶつかりながら、あたかも鉄を叩くように鍛え上げるものなのだと思うのです。�犂鏡��瓩呂笋�て、「確固たる自己」としての�猗�意識�瓩望魂擇靴泙后�

silver catさんは『13歳からのアート思考』と言う本をご存知ですか。
ここに私が理想と考える(それに近い)美術の授業が展開されています。最近、値上げしたらしいので、「買って」とは言いづらいですが、図書館などで見かけたら手に取って頂けたら幸いです。
お子様の教育に関する何らかのヒント、が見つかるかも知れません。

 ーーー(コピペはここまで)ーーー




【INDEX】アート 関連日記
 https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1973808525&owner_id=1833905

【INDEX】ファッション( = Wearable Art ) 関連日記
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