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2026年05月23日00:27

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本山専修寺と金剛證寺 R08 (2026) .05.21

本日の天気は全国的な雨なので少しでも影響の少ない近場の三重県へと赴き、国宝を有する寺社という事で専修寺と金剛證寺を訪れました。専修寺の国宝は建造物としては如来堂と御影堂で、書跡・典籍としては親鸞筆の西方指南抄と三帖和讃になります。そして金剛證寺の国宝は考古資料としての伊勢国朝熊山経ヶ峯経塚出土品になります。しかしやはり如来堂と御影堂の他は見る事は叶わず、それでも寺社巡りとしては充実していました。

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�茵仝翩静睫腟擇啼�塀と奥に御廟拝堂
�蕁(�物館「燈炬殿」

浄土真宗の最大宗派である東西本願寺では御朱印の授与がないので、浄土真宗の寺院においては元より御朱印を期待していないのですが、ここ専修寺では参拝記念の名目でちゃんとした御朱印を頂けます。私にとってはこれが浄土真宗での最初の御朱印になりました。

観覧料が1000円の宝物館「燈炬殿」は全く期待せずに入館して、最初に観るVRシアター「SENJUJI360」で早くも微妙に感じていたのですが、その後も僧侶の直々の案内で詳しい説明を聞きながら展示物を観ている内に、余りにも丁寧な対応に感じ入ってしまいました。この安居にも通ずる熱意が専修寺の魅力なのだと思います。因みにこの日は開山親鸞聖人のご誕生を祝う法要である降誕会が執り行われていました。

「専修寺(せんじゅじ)は、浄土真宗10派のうちの一つである真宗高田派の寺院。本寺専修寺と本山専修寺の2つの寺院がある。本山の住職が本寺の住職を兼任している。『専修寺』の名の由来は浄土系宗派の特徴である専修念仏に基づいている」
本山専修寺は「浄土真宗最大宗派の東西本願寺に匹敵する広大な境内を持ち、周囲は寺内町を形成している」
「真宗高田派専修寺(およびその末寺)では他の真宗教団と異なり歎異抄を聖典として用いていない(否定しているわけではないことに要注意)。これは『専修寺には親鸞聖人の真筆文書が多数伝来しており、弟子の聞き書きである歎異抄をあえて用いる必要性が薄い』との考えによるものである。なお、専修寺は現存している親鸞の真筆文書の4割強を収蔵しており、これは東西本願寺よりも多い数である」
以上はWikipediaより。

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�茵ゞ盥粳�寺の本堂
�蕁ヽ�山堂

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�茵〃丱�峯(朝熊山経塚群)への参詣道
�蕁 ̄�之院への参道

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�茵…�熊山展望台から経ヶ峯と朝熊ヶ岳を望む。左手に金剛證寺
�蕁…�熊山展望台から伊勢湾を望む

「神仏習合の時代、伊勢神宮の丑寅(北東)に位置する当寺は『伊勢神宮の鬼門を守る寺』として伊勢信仰と結びつき、『伊勢へ参らば朝熊を駆けよ、朝熊駆けねば片参り』とされ、伊勢国・志摩国併せて最大の寺となった」
「また、当寺には虚空蔵菩薩の眷属である雨宝童子が祀られているが、雨宝童子は伊勢神宮内宮の祭神である天照大御神の化現と考えらていたため、当寺は伊勢神宮の奥の院とされるようになった。こういった伊勢神宮との結び付きもあり、当寺では仏事に用いられるのは樒(しきみ)ではなく神事に使われる榊(さかき)が供えられる、全国でも珍しい寺となった」
「1894年(明治27年)に近くの経ヶ峯から複数の平安時代末期の承安3年(1173年)の銘のある経筒が発見されたほか、1960年(昭和35年)の伊勢湾台風の際にも経塚が発見され、この平安時代末期には埋経信仰があったことが確認された。この時の出土品の経筒などは1963年(昭和38年)に国宝(考古資料)に指定され、経塚は1966年(昭和41年)に朝熊山経塚群として国の史跡に指定された」
「朝熊山付近では江戸時代以降、宗派を問わず葬儀の後に朝熊山に登り、金剛證寺奥の院に塔婆を立てて供養する『岳参り』『岳詣(たけもうで)』などと呼ばれる風習がある」
以上はWikipediaより。
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