アンディ・クラーク著『現れる存在』を読んだ。
うーん、歯が立たない、というのは、こういう本を言うのかもしれない。
一週間かけて、なんとか最後まで読んだんだけどさ。
読んでいるひとつひとつの文章が理解できないわけじゃないし、なんならその区画で論じられているエピソード、概念もわからないわけじゃない。
でも読み終わって、自分の中に何が残ったかと考えると、そこはなんとも言いようがない。
知性とか言語、自我みたいなものは情報のような物理的な存在を持たないものではなく、そこにある身体と不可分のものとして、ぜんぶひっくるめてのものなのだ、ということかなぁ。
何度か読み返して、いつか理解できるようになりたいものだけど、この著者の次の本が最近出ているから、そちらを先に読みたいところではある。
ただ、最後まで読んだということは、読んでいる最中はそれなりに感じ入るものはあったのだろうと思う。
無理、と思ったら、途中でやめちゃうこともあるから。
それからもう一冊。
恩田陸『珈琲怪談』も。
こちらは面白いといえないわけじゃなく、面白かったと思う。
ただ、なにが面白いというのが、なかなか微妙なところでさ。
怪談といっても、ゾワワとくるほど怖い話じゃない。
ただ、日常、そんなことがあったらゾワっとくるかも、という話をしているおじさんたちの座談会を読んでいるわけでね。
謎解きのカタルシスがあるわけじゃないし、キャーっと本を放り出したくなるほどの恐怖もない。
だけど、なんか読んでて楽しい。
こういう場に、俺もいられたらいいな、なんて思うくらいに。
趣向がこらされていないわけじゃない。
途中、主人公多聞のみた夢の話を聞いて、検事の友人が事件解決の糸口をつかむとか、どこかに物語の予感みたいのを感じらせるところはあった。
ただ、そちらの物語自体は語られないんだけどね。
そういえば、昔、恩田陸っていうと、寸止めというか、直球で感じさせる前のところでやめてしまうもどかしさ、なんて評をした人がいたようないないような。
まぁ、こういうド直球じゃないものを楽しませるというのも、作家の腕だろうな。
もう還暦を過ぎた、と聞いてびっくりしたけど。
まぁ、俺が十代か二十代の頃から読んでいる作家さんだから、それくらいにはなるのか。
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