あの日はおやすみの金曜日で、ボタニカルアートを一枚描きました。
2011.3.11と日付までつけている。
今でも捨てられません。
それからムスメとお出かけ。
たぶん食事をしてから、整骨院、ゆめタウンに行った。
ムスメは志望大学に合格したばかりで、わたしたちはとてもうかれていた。
翌日は近くの駅で「九州新幹線の開業イベント」があるので、そこを散歩する予定でした。
夕方帰ってきて。
すべてがすべてがひっくりかえってた。
もう、あんな画像、ショックでショックで。どうしていいかわからなかった。
新幹線のイベントは中止になって、それでも小さくひっそり安い浴衣を売ってたので、それだけ買った。
それからもっとこわいことがいっぱいあって。
ミクシで原発のことを書くと「あ」さんがいっぱい足跡をつけた。
地震雲もいっぱい見たけれど。
あれは関係ないとのことでした。
わたしは映像を見てこわがっているだけの人だったけれど。
それでも多くの日本人同様、深く傷ついた。
傷ついたと言う言い方さえ適切かわからないけれど。
鎮魂とか、復興という言葉の前に。
大災害に打ちのめされていたように思います。
今年も長いサイレンが鳴りました。
会社のBCP委員会で、いろんなことを話しました。
年度末で、正直BCPより、他の仕事をさせてくれい!と思ったけれど。
それでも、毎年いろんなことを思い出して。
そして、あの日の1日のことを今年も書いています。
今後災害が起こらないことなんてないだろうけれど。
いくつもの経験のあとの叡智が多くの命を今度は救ってくれますように。
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