社会人になって3年目の1989年に、社命でイラン国際見本市(家電)出展のために首都テヘランを訪れ、いささか儲けた話を本稿0529に書きました。テヘランの後にアラブ首長国連邦の商都ドバイを訪れたのですが、直行便がなくて、イラン南部のバンダルアバスという地方都市で乗り換えることに。
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その際にチョッとした経験をしたのですが、それは別の機会に譲るとして、このバンダルアバス〜ドバイのイラン航空機がこの半年前にんでもない事件に巻き込まれました。
ソビエト連邦(現ロシア連邦)の首都モスクワの南方に位置するイランは、パーレビ国王が脱イスラム化・近代化政策を採り、アメリカの援助を受けていました(地政学的に冷戦相手国の動きを探れたので)。
ところが、1979年にシーア派イスラム教の最高指導者ホメイニ師は、「たるんでる」状況を改めて厳格なイスラムの教えを取り戻すべく180度方向転換を主導(イラン革命)。結果、パーレビ国王は追放されイラン・イスラム共和国が樹立しました。
以降、アメリカとイランは現在に至るまで緊張状態が続いていますが、特に1980年代の後半は一触即発状態でした。そんな時に起こった「とんでもない事件」のあらましを。
1988年7月3日、ドバイ行きのイラン航空655便(エアバスA300)がバンダルアバスを出発しました。
時を同じくしてイランの領海内に侵入してしまったことを自覚したアメリカ海軍のミサイル巡洋艦ヴィンセンス。
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領海侵犯でイラン軍からの攻撃を受ける懸念があり焦っていたのでしょう、件のイラン航空機(ボクが搭乗したのと全く同じバンダルアバスア発ドバイ行き)をイラン空軍の戦闘機と誤認してミサイル攻撃したのです。
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ひとたまりもありません。無辜の290名の民間人(乗員乗客全員)の命が奪われました。
エピローグは1996年2月22日。事件から7年半が経過してようやくアメリカは自国軍の非を認め、撃墜によるイラン人犠牲者に対する補償費6180万ドルの支払いに同意しました。
ところで、イラン航空機の垂直尾翼に描かれている動物(かな?)あれ何でしょう(気になっているのだ)。
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